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title: "成實論 · 60 立無數品"
description: "成实论由印度高僧诃梨跋摩所著，鸠摩罗什于姚秦时期译成汉文，是小乘佛教向大乘过渡的重要论典。该论以四谛为核心，系统阐述苦、集、灭、道真谛，批判说一切有部观点，主张人法二空思想。其内容涵盖五蕴分析、业报理论及修行次第，结构严谨，逻辑清晰，被视为部派佛教思想的集大成者。在中国佛教史上，成实论曾形成成实学派，对南北朝佛学发展影响深远，为三论宗等宗派提供了理论基础，是研究早期佛教哲学的重要文献。"
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### 苦諦聚識論中立無數品第六十

> 苦諦聚識論中立無數品第六十

心意識體一而異名。若法能緣，是名為心。

> 心と意識は、その本体は一つでありながら、名前が異なるだけである。もし法（存在）が対象を認識する働きを持つならば、それを心と呼ぶ。

問曰：若爾，則受想行等諸心數法亦名為心，俱能緣故。答曰：受想行等皆心差別名，如道品中一念五名：念處、念根、念力、念覺、正念，精進等亦如是。又一無漏慧，而有苦習智等種種別名。又一定法，亦名為禪、解脫、除入。如是心一，但隨時故得差別名，故知但是一心。所以者何？如經中說：是人欲漏心得解脫，有漏、無明漏心得解脫。若別有心數，應說心數得解脫。又經中說：佛若知眾生歡喜心、柔軟心、調和心，堪任得解脫，然後為說四真諦法。是中不說心數。又經中說：心垢故眾生垢，心淨故眾生淨。又說：若比丘入四禪中，得清淨不動心，然後如實知苦聖諦集滅道諦。又十二因緣經中說行緣識。又說：六種為人。又說：輕躁易轉無過於心。又經中說：使詣城主語其事實，語已還去。主名為心。又說：內有識身、外有名色，是名為二。又但說有識身，不說有心數。又說三事合故名觸。若有心數，不名為三；而實說三，故知但心，無別心數。

> 問い：それでは、受・想・行などの心の働きもまた「心」と呼べるのでしょうか。どれも対象を捉える働きがあるからです。 答え：受・想・行などは、すべて心の様々な呼び名にすぎません。例えば、修行の道の教えでは、一念に五つの名前があります。すなわち、念処・念根・念力・念覚・正念です。精進についても同様です。また、一つの無漏の智慧にも、苦・集・滅・道などの智慧という様々な別名があります。さらに、一つの定められた法も、禅・解脱・除入などと呼ばれます。このように、心は一つですが、時と場合に応じて異なる名前が付けられるだけです。ですから、心はただ一つであると知るべきです。 なぜなら、経典にこうあるからです。「この人は、欲望の煩悩から心が解脱し、存在の煩悩や無明の煩悩からも心が解脱した」と。もし心の働きが別々に存在するならば、「心の働きが解脱した」と説くべきでしょう。 また、経典にはこうあります。「仏は、衆生が喜びの心、柔らかな心、調和した心を持ち、解脱を受けるにふさわしいと知ってから、四つの真理の教えを説かれる」と。ここでは、心の働きについては説かれていません。 また、経典にはこうあります。「心が汚れているから、衆生は汚れている。心が清らかであるから、衆生は清らかである」と。 また、こうも説かれています。「比丘が四禅に入って、清らかで動かない心を得てから、苦・集・滅・道の四つの聖なる真理を如実に知る」と。 さらに、十二因縁の経典では、「行を縁として識がある」と説かれ、また「六つの要素が人を構成する」とも言われます。また、「心より軽やかに動きやすいものはない」とも説かれています。 また、経典にはこうあります。「城の主のもとへ使者を遣わし、事実を伝えさせ、伝え終えたら帰らせる。その主とは心のことである」と。 また、「内には識という身体があり、外には名前と形がある。これを二つという」とも説かれています。ここでも、識という身体だけを挙げて、心の働きについては触れていません。 また、「三つの事柄が合わさって触が生じる」と説かれています。もし心の働きが独立して存在するならば、「三つ」とは言えないはずです。しかし実際には「三つ」と説かれているのですから、心だけがあり、別の心の働きは存在しないと知るべきです。