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成実論 (成實論)


大小利業品第九十九

大小利業品 第九十九

問曰:經中說有大小利業。何者為大利業?答曰:隨以何業能致阿耨多羅三藐三菩提,是名最大利報業,次業能得辟支佛道,次業得聲聞道。次業得有頂報壽八萬大劫,是生死中最大業報。次業得無所有處壽六萬劫,如是次第乃至梵世壽命半劫,次欲界他化自在天受天數萬六千歲,乃至四天王受天數五百歲,如是人中四天下各隨業受報,如是畜生、餓鬼、地獄,亦有小利業。

問い:経典の中には、大きな利益の業と小さな利益の業があると説かれています。では、何が大きな利益の業なのでしょうか。答え:どのような業であれ、それが阿耨多羅三藐三菩提を導くことができるなら、それは最も大きな利益の果報の業と名づけられます。次に、辟支仏の道を得ることができる業、次に、声聞の道を得ることができる業があります。次に、有頂の果報を得て、寿命が八万大劫あるという業があります。これは生死の中で最も大きな業報です。次に、無所有処を得て、寿命が六万劫あるという業があり、このように順次に、梵世の寿命が半劫に至るまで、次に欲界の他化自在天において天の数の一万六千歳を受けるに至るまで、さらに四天王において天の数の五百歳を受けるに至るまであります。このように、人中の四天下においても、それぞれ業に随って果報を受けます。このように、畜生・餓鬼・地獄にも、また小さな利益の業があります。

問曰:何等業能得阿耨多羅三藐三菩提等?答曰:檀等六波羅蜜具足,能得阿耨多羅三藐三菩提。從此善業次第轉薄,得辟支佛菩提,轉薄得聲聞菩提。若行增上四無量心,得生有頂。行四無量次第轉薄,次生下地。行四無量心小轉薄,及隨定戒因緣故生色界。以布施持戒修善因緣,故生欲界。是施等業,隨福田厚薄故有差別。若於諸佛福田中行是則最勝,次於辟支佛等福田中行,次第轉少。

問:どのような業によって、阿耨多羅三藐三菩提などを得ることができるのでしょうか。答:檀などの六波羅蜜を具足することが、阿耨多羅三藐三菩提を得ることができる原因です。この善業から、次第に薄くなっていくと、辟支仏の菩提を得ます。さらに薄くなると、声聞の菩提を得ます。増上された四無量心を行うと、有頂に生まれます。四無量を行い、次第に薄くなっていくと、次には下地に生まれます。四無量心を行い、少し薄くなり、また随定戒の因縁によって、色界に生まれます。布施や持戒、善を修める因縁によって、欲界に生まれます。この布施などの業は、福田の厚い薄いに応じて区別があります。諸仏の福田において行えば、これが最も勝れています。次は辟支仏などの福田において行うことで、次第に少なくなっていきます。

問曰:為智福田勝、斷福田勝?答曰:若智能達法相,謂必竟空,此則為勝。所以者何?如佛以智故,於弟子中勝,不以斷故。如雜藏中說,若掃僧房地如一閻浮提,不如掃佛塔猶如一掌處。有一切智慧皆為斷故,若諸菩薩久處生死皆為善斷。善斷者,謂自斷結亦斷眾生。是諸結皆以智漸斷,故知智慧福田於斷為勝。

問い:智の福田と断の福田とでは、どちらが勝れているのでしょうか。答え:もし智が法相を達することができるならば、すなわち畢竟空をいう。これこそが勝れているのです。なぜでしょうか。仏は智によって弟子たちの中でも勝れておられ、断によってではないからです。雑蔵の中に説かれているように、僧房の地を一閻浮提のように掃くよりも、仏塔を一掌の場所だけ掃くほうが勝れています。一切の智慧はみな断のためのものであり、もろもろの菩薩が久しく生死に処するのもみな善き断のためです。善き断とは、自ら結を断ち、また衆生をも断つことをいいます。これらの結はみな智によって漸次に断たれるものですから、智慧の福田は断よりも勝れていると知られるのです。

問曰:若利根須陀洹、鈍根斯陀含,是二福田何者為勝?答曰:利根者勝,非鈍根也。

問:利根の須陀洹と鈍根の斯陀含、この二つの福田ではどちらが勝れているのでしょうか。答:利根の者のほうが勝れていて、鈍根の者ではありません。

問曰:此語不然,如經中說:供養百須陀洹,不如供養一斯陀含。又說:稊稗害禾,貪欲穢心。是故施無欲人應得福多。斯陀含能薄三毒,須陀洹未,何故言勝?答曰:是經名不了義。何以知之?即此經中說:施畜生得百倍利。而實施鵽鳥等所得果報,勝施外道五神通人,是故此經應辯其義。此經從多故說,除利智慧人。須陀洹以智力故,雖受諸欲亦名福田,非斷欲凡夫乃至能得有頂定者。有多聞智在達分中尚勝,非有頂定不通達分。又彌勒菩薩雖未得佛,為阿羅漢之所禮敬。又但能空發菩提心者,以為羅漢所敬。如一沙彌擔持衣鉢逐阿羅漢行,是沙彌發無上心,阿羅漢即取衣鉢自擔隨其後行,如喻中廣說。故知智慧福田為勝。

問い:この言葉は正しくありません。経典の中に説かれているとおりです。百人の須陀洹に供養するよりも、一人の斯陀含に供養するほうが勝れています。また、稊稗は禾を害し、貪欲は心を穢すと説かれています。したがって、欲を離れた人に施せば、より多くの福を得るはずです。斯陀含は三毒を薄くすることができますが、須陀洹はまだそれができません。なぜ勝れていると言えるのでしょうか。

答え:この経典は不了義(意味が完全に明らかでない教え)と呼ばれます。どうしてそうと知るのでしょうか。まさにこの経典の中に、畜生に施せば百倍の利益を得ると説かれています。しかし実際には、鵽鳥などの畜生に施して得る果報は、五神通を持つ外道に施すよりも勝れています。したがって、この経典はその意味を弁別すべきです。この経典は多数の場合に基づいて説かれており、鋭い智慧を持つ人は除かれています。須陀洹は智慧の力によって、たとえ諸々の欲を受けるとしても、なお福田と呼ばれます。欲を断った凡夫、さらには有頂定を得た者でさえ、そうではありません。多聞の智慧を持つ者は、達分の中にあってなお勝れており、有頂定を得ていても達分に通じない者ではありません。また、弥勒菩薩はまだ仏を得ていませんが、阿羅漢たちから礼敬されています。また、ただ空しく菩提心を発しただけの者でも、阿羅漢から敬われます。ちょうど一人の沙弥が衣鉢を担って阿羅漢の後について行くとき、この沙弥が無上の心を発すれば、阿羅漢はすぐに衣鉢を取って自分で担ぎ、その後に従って行くという、喩えの中で詳しく説かれているとおりです。したがって、智慧の福田が勝れていると知るのです。


98 輕重罪品
100 三業品

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