邪行品第一百一
邪行品 第百一
佛說三邪行,身邪行、口邪行、意邪行。身所造惡名身邪行,是邪行有二種:一、十不善道所攝,如殺、盜、邪婬;二、不攝,如鞭杖繫縛、自婬妻等及不善道前後惡業。
仏は三つの邪行を説かれました。身の邪行、口の邪行、意の邪行です。身によって造られる悪を身邪行と名づけます。この邪行には二種類あります。第一に、十不善道に含まれるもの、たとえば殺生、盗み、邪淫です。第二に、それに含まれないもの、たとえば鞭で打つこと、杖で打つこと、縛りつけること、自分の妻と淫することなど、および不善道の前後の悪業です。
問曰:是殺生等三不善業,但是身業性耶?答曰:殺罪名殺不善業,是罪身亦可造,隨以自身殺害眾生;口亦可造,隨教勅人令殺眾生,或以呪殺;心亦可造,有人發心能令他死。盜婬罪亦如是。但自作得具足罪。又身不善業,或以身為相、或口為相、或發心他則知,以此因緣亦得造殺等罪。但以多是身所作故,通名身業。口邪行亦如是,口所造惡業名口邪行,是中亦有二種。若人決定問時現前誑他,是不善道所攝;餘名不攝。貪、恚、邪見等是意邪行。
問い:この殺生などの三つの不善の業は、ただ身業の性なのでしょうか。
答え:殺という罪は殺不善業と名づけられ、この罪は身によっても造ることができます。自らの身をもって衆生を殺害する場合です。口によっても造ることができます。人に教え勅して衆生を殺させたり、あるいは呪によって殺したりする場合です。心によっても造ることができます。人が発心して他を死なせることができる場合です。盗みや婬の罪もまた同様です。ただし自ら行なえば具足した罪を得ます。
また身の不善業は、あるいは身を相とし、あるいは口を相とし、あるいは発心して他がそれと知るという、これらの因縁によっても殺などの罪を造ることができます。ただ多くは身によって作られるものであるため、通じて身業と名づけます。口の邪行もまた同様です。口によって造る悪業を口邪行と名づけ、これにも二種類あります。もし人が決まった問いの時に面前で他を惑わすなら、これは不善道に含まれます。その他のものは含まれません。貪・恚・邪見などは意の邪行です。
問曰:何故十不善道中說邪見,三不善根中說癡耶?答曰:邪見是癡之異名,是癡增長堅固名為邪見,癡更無別相,但以顛倒貪著故名為癡。
問:なぜ十不善道の中では邪見を説き、三不善根の中では癡を説くのでしょうか。
答:邪見は癡の別名です。この癡が増大して堅固になったものを邪見と呼びます。癡にはそれ以外に別の相はなく、ただ物事を逆さまに見て貪り執着するがゆえに、癡と名づけられるのです。
問曰:經中說諸邪行得不愛報、正行得愛報。是愛不愛相不決定,如即一色而有愛不愛,是故應辯其相。答曰:樂是愛相,如經中說:福報名樂。苦是不愛相,如經中說:汝等於罪應生怖畏,以是苦因緣故。
問い:経典の中では、さまざまな邪行は愛されない報いを受け、正行は愛される報いを受けると説かれています。しかし、この愛と不爱の相は定まったものではありません。たとえば同じ一つの色であっても、愛される場合もあれば愛されない場合もあります。ですから、その相を明らかにすべきです。答え:楽が愛の相です。経典の中に説かれているとおり、「福の報いを楽と名づける」のです。苦は愛されない相です。経典の中に説かれているとおり、「あなたがたは罪に対して恐怖の心を起こすべきである、それが苦の因縁だからである」のです。
問曰:若樂是愛相者,猪犬等以食糞為樂,是福德果耶?答曰:是不淨福果。如《業經》說:若非時施、不淨施、輕心、濁心、非福田中,如是等施得此果報。
問い:もし楽が愛の相であるなら、猪や犬などが糞を食べることを楽とするのは、福徳の果でしょうか。 答え:それは不浄な福の果です。『業経』に説かれている通りです。時でない施し、不浄な施し、軽い心、濁った心、非福田に対する施しなど、このような施しはこの果報を得ます。
問曰:若經中說正行得愛報,何故復說以正行因緣得生天上?答曰:有邪行者亦生天上,或謂生天是邪行報,故經中更說正行因緣生於是中。又邪行正行能得善惡道身,受身已於中受苦樂,如邪行因緣惡道中受苦,正行因緣天人中受樂。
問:経典の中で正しい行いが愛の報いを得ると説かれているのに、なぜさらに正しい行いを因縁として天上に生まれると説かれるのでしょうか。
答:邪な行いをする者も天上に生まれることがあります。そこで、天に生まれるのは邪な行いの報いだと思う人があるため、経典では改めて正しい行いを因縁としてそこに生まれると説いているのです。また、邪な行いも正しい行いも、善悪の道の身を得ることを可能にし、身を受けた後、その中で苦楽を受けます。たとえば、邪な行いを因縁として悪道の中で苦しみを受け、正しい行いを因縁として天と人の中にあって楽を受けるのです。