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成実論 (成實論)


過患品第一百一十八

過患品 第百十八

問曰:不善業有何過患?答曰:以不善業故受地獄等苦。如經中說:殺生因緣故墮地獄,若生人中則受短命,如是乃至邪見。又以不善業因緣故久受苦惱,如阿鼻地獄過無量歲壽命不盡。又眾生所有一切諸惡敗壞衰惱皆由不善。又未曾見不善業有大利益,如屠獵師等終不以此業而得尊貴。汝意或謂以壞賊因緣而得富貴,是事先三業品中已答。又行不善者,受呵㥽等諸苦惱分,又令他人得所惡事名為凶暴,是故應離此不善業。又經中說:殺有五失,人所不信、得惡名聞、遠善近惡、死時生悔、後墮惡道。又殺生因緣樂少苦多。又行不善業染污人心,世世積集久則難治。又行不善者從冥入冥,流轉三塗永不得出。又行不善者空受人身,如採藥雪山而收毒草,是為極愚。如是以十善道乃得人身,但不行善尚為大失,況起惡業。又行不善者,雖自愛身而實不自愛,雖自護身實非自護,以起自惱業因緣故。又是人遇身猶如怨賊,自令苦故。又若行不善則自賊身,況他人耶。又行不善業,今雖不現,果報則著,是故雖少亦不可不信,如毒雖少亦能害人,如債雖少漸漸滋息。又為惡於人,人常不忘,是故為作雖久遠亦不可信。又行不善者名為失樂,以行不善故失人天樂,不樂樂者愚之甚也。又行不善者苦劇可愍,現受心悔等苦,後則受惡道苦。又不善業果,飛虛隱海無得脫處,如金鎗追佛。又一切不善皆由癡起,故有智者不應隨也。又經中說:放逸如怨,能害善法,故不應隨。又不善業,諸佛菩薩、應真賢聖、五通神仙及明罪福者無不呵毀,故不應造。又現見惡心熾盛則情志迷亂惱悶痛苦、面色變異人不喜見,況起身口。以此等緣故知不善有無量患。

問い:不善の業にはどのような過ちがあるのでしょうか。

答え:不善の業によって地獄などの苦しみを受けるからです。経典に説かれている通りです。殺生の因縁によって地獄に堕ち、もし人間として生まれれば短命を受けます。このように邪見に至るまで同様です。また不善の業の因縁によって長く苦しみと悩みを受けます。阿鼻地獄では無量の歳月を経ても寿命が尽きません。また、衆生が持つすべての悪しきもの、破壊、衰え、悩みは、すべて不善から生じます。また、不善の業に大きな利益があるのを見たことはありません。屠殺者や猟師などは、その業によって決して尊貴な身分を得ることはありません。あなたは「盗賊を壊滅させた因縁で富貴を得る」と思うかもしれませんが、このことはすでに三業品の中で答えられています。また、不善を行う者は、呵責や恨みなどのさまざまな苦悩を受けます。さらに他人に嫌なことをもたらすので、凶暴と呼ばれます。ですから、この不善の業を離れるべきです。

また経典に説かれています。殺生には五つの過ちがあります。人が信じないこと、悪い評判を得ること、善から遠ざかり悪に近づくこと、死ぬときに後悔すること、後に悪道に堕ちることです。また殺生の因縁は楽しみが少なく苦しみが多いのです。また不善の業を行うと人の心を汚し、代々にわたって積み重なり、長くなれば治すのが難しくなります。また不善を行う者は、暗黒から暗黒へと入り、三途を流転して永遠に出ることができません。また不善を行う者は、人間の身体を受けたのに無駄にしています。雪山で薬草を採りながら毒草を集めるようなもので、これこそ極めて愚かなことです。このように十善の道によってこそ人間の身体を得られるのです。ただ善を行わないだけでも大きな過ちなのに、ましてや悪業を起こす場合はなおさらです。また不善を行う者は、たとえ自分の身を愛しているようでも実際には自分を愛しておらず、たとえ自分の身を護っているようでも実際には自分を護っていません。自らを悩ませる業の因縁を起こしているからです。またこの人は、自分の身体に出会うことを怨敵に会うように感じます。自ら苦しみを生み出しているからです。また不善を行えば自分自身を害することになります。まして他人においてはなおさらです。また不善の業を行えば、今は現れなくても果報は必ず現れます。ですから少ないからといって信じないではいけません。毒は少なくても人を害することができ、借金は少なくても少しずつ利息が増えていくようなものです。また人に悪を行えば、人はいつまでも忘れません。ですから行ったことはどれほど時が経っても信じてはいけません。また不善を行う者は、楽しみを失う者と呼ばれます。不善を行うことによって人と天の楽しみを失います。楽しみを楽しまない者は、愚かさの極みです。また不善を行う者は苦しみが激しく、哀れむべきです。現世では心の後悔などの苦しみを受け、後には悪道の苦しみを受けます。また不善の業の果報は、虚空を飛び海に隠れても逃れる場所はありません。金の槍が仏を追いかけたようなものです。またすべての不善は愚かさから起こります。ですから知恵ある者は従うべきではありません。また経典に説かれています。放逸は怨敵のようなもので、善法を害することができます。ですから従うべきではありません。また不善の業は、諸仏・菩薩・阿羅漢・賢聖・五神通の仙人、そして罪福を明らかに知る者たちが、ことごとく呵責し非難します。ですから造るべきではありません。また現に見て取れることとして、悪心が盛んになれば情志は迷い乱れ、悩み悶え苦しみ、顔色は変わり、人は見ることを好みません。ましてや身と口の行為においてはなおさらです。これらの理由によって、不善には無量の過ちがあることを知るべきです。


117 十善道品
119 三業輕重品

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