成實論卷第九
成実論 巻第九
訶梨跋摩造
訶梨跋摩造
姚秦三藏鳩摩羅什譯
姚秦の三蔵鳩摩羅什訳
十善道品第一百一十七
十善道品 第百十七
十善業道,所謂離殺乃至正見,是十事戒律儀所攝,一時得禪無色律儀所攝,亦一時得離名善業道,即是無作。
十善業道とは、いわゆる殺生を離れることから正見に至るまでの十の事柄であり、これらは戒律儀に含まれます。一時に禅と無色の律儀に含まれるものを得ることもまた、一時に離れることを得ることです。善業道と名づけられるものは、すなわち無作です。
問曰:餘禮敬布施等福是善業道,何故但說離名業道耶?答曰:以離勝故。是十種業於施等為勝。所以者何?以布施等所得福報,不及持戒,如十歲人以離殺因緣增益壽命。又十不善業是實罪,故離名實福。又後三善業是眾善之本,是故施等諸善皆業道所攝。又是業道有離鞭杖等,先後合說故,一切諸善皆在中攝。
問:礼拝や布施などの福は善業道であるのに、なぜただ離れることだけを業道と名づけるのでしょうか。
答:離れることが勝れているからです。この十種の業は、布施などよりも勝れています。なぜなら、布施などによって得られる福報は、持戒には及びません。たとえば、十歳の人が殺さないという因縁によって寿命を増し加えるようなものです。また、十の不善業は実の罪であるため、離れることを実の福と名づけます。また、後の三つの善業は多くの善の根本です。それゆえ、布施などのもろもろの善は、すべて業道に含まれます。また、この業道には鞭や杖などを離れることがあり、先と後とを合わせて説くため、すべての善がその中に含まれるのです。