根本門第三
問:萬行為因乘、眾德為果乘。此論但明空義,云何釋大乘耶?答:此論明於乘本。乘本若成,乘義則立。言乘本者,所謂諸法實相。契斯實相則發生般若,由般若故導成萬行,皆無所得能動能出,故名為乘。又今明實相則具萬德,對虛妄故名之為實;用之為身,目為法身;諸佛以此為性,稱為佛性;遠離二邊,名為中道;照無不淨,目為般若;累無不寂,稱為涅槃。故但明實相,即萬義皆圓。問:云何悟此實相?答:以十二種門通於實相,令諸眾生從一一門得悟實相。又乘有三種:一乘因、二乘緣、三乘果。乘因者,所謂實相;乘緣者,即是萬行;乘果者,謂如來法身。問:何故但明此三?答:由實相故萬行成,萬行成故果德立,要須辨三。問:何處有此三文?答:《攝大乘論》明乘有三:一者性乘,謂真如;二隨乘,即萬行;三得乘,謂佛果。此三猶一體,但約時故分三,即是三種佛性義,性乘謂自性住佛性;隨乘謂引出佛性,修於萬行引出因中佛性;三果乘則果德佛性。此三佛性釋《涅槃經》甚精,是故《涅槃經》或時明佛性是果、或時明是因、或明佛性是空。此論正釋於空,則是釋根本佛性。故《涅槃》云「佛性者名為一乘」。今既釋一乘,即釋佛性。問:三論但明空義,正可釋於《大品》,云何解佛性一乘?答:三論通申大小二教,則大乘之義悉在其中,豈不明一乘佛性?問:何處有明一乘佛性文耶?答:《中論.四諦品》云「世尊知是法,甚深微妙相,非鈍根所及,是故不欲說。」此即《法華》之文。《法華》還序初成道時華嚴之事,明知《華嚴》、《法華》顯在《中論》之內。又偈云「雖復懃精進,修行菩提道,若先非佛性,終不得成佛。」長行釋云「如鐵無金性,雖復鍛鍊,終不得成金。」即佛性文也。〈觀如來品〉明法身絕四句、超百非,與《涅槃經.金剛身品》更無有異,即法身文也。
問:万行が因乗であり、衆徳が果乗であると言われます。この論はただ空の義を明らかにしているのに、どうして大乗を解釈できるのでしょうか?
答:この論は乗の根本を明らかにしています。乗の根本が成り立てば、乗の意義も確立します。乗の根本とは、すなわち諸法実相のことです。この実相にかなえば般若が生じ、般若によって導かれて万行が成され、すべて無所得でありながら能動し出離できるので、乗と呼ばれるのです。また、今ここで実相を明らかにするということは、万徳を具えているということです。虚妄に対比して「実」と名付け、これを身として用いれば「法身」と称し、諸仏がこれによって本性とすれば「仏性」と呼ばれ、二辺を離れれば「中道」と名付け、照らして不浄なものなく観れば「般若」と目し、煩悩が寂滅しないことがなければ「涅槃」と称します。だから、ただ実相を明らかにすれば、すべての意義が円満に含まれるのです。
問:どうすればこの実相を悟ることができるのでしょうか?
答:十二種の門によって実相に通じさせ、あらゆる衆生がそれぞれの門から実相を悟ることができるようにするのです。また、乗には三種類あります。一つは乗因、二つは乗縁、三つは乗果です。乗因とは実相のことであり、乗縁とは万行のこと、乗果とは如来の法身を指します。
問:なぜこの三つだけを明らかにするのでしょうか?
答:実相があるからこそ万行が成り立ち、万行が成り立つからこそ果徳が確立するので、この三つを弁える必要があるのです。
問:どこにこの三つの教えがあるのでしょうか?
答:『摂大乗論』には、乗には三つあると説かれています。一つは性乗(真如)、二つは随乗(万行)、三つは得乗(仏果)です。この三つは一つの本体でありながら、時節に応じて三つに分けられるのであり、これは三種の仏性の意義と同じです。性乗とは自性住仏性を指し、随乗とは引出仏性(万行を修して因中の仏性を引き出すこと)を指し、果乗とは果徳仏性を指します。この三種の仏性は『涅槃経』を非常に精緻に解釈しており、だからこそ『涅槃経』では、仏性を果として説くこともあれば、因として説くこともあり、また空として説くこともあるのです。この論は正しく空を解釈しており、それは根本仏性を解釈していることになります。だから『涅槃経』には「仏性は一乗と呼ばれる」と説かれているのです。今ここで一乗を解釈するということは、すなわち仏性を解釈していることになります。
問:三論はただ空の義を明らかにしているだけなので、『大品般若経』を解釈するには適していますが、どうして仏性や一乗を解釈できるのでしょうか?
答:三論は大小二乗の教えを通じて申し述べており、大乗の意義はすべてその中に含まれています。どうして一乗や仏性を明らかにしないことがありましょうか。
問:どこに一乗や仏性を明らかにする文があるのでしょうか?
答:『中論・四諦品』には「世尊はこの法が甚深微妙の相であり、鈍根の及ぶところでないことを知られたので、説こうとされなかった」とあります。これは『法華経』の文です。『法華経』はまた、初成道時の華厳の事柄を序説しているので、『華厳経』と『法華経』が『中論』の中に明らかに含まれていることが分かります。また、偈に「たとえ精進して菩提道を修行しても、もしもともと仏性がなければ、ついに仏となることはできない」とあり、長行の解釈には「鉄に金性がなければ、どれだけ鍛錬してもついに金にはならない」とあります。これが仏性についての文です。『観如来品』には、法身が四句を絶ち百非を超えることが説かれており、『涅槃経・金剛身品』と少しも異なるところがありません。これが法身についての文です。