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修行本起経 (修行本起經)


出家品第五

第五章 出家

「是時太子,還宮思惟,念道清淨,不宜在家,當處山林,研精行禪。至年十九,四月七日,誓欲出家。至夜半後,明星出時,諸天側塞虛空,勸太子去。時裘夷見五夢,即便驚覺,太子問之:『何故驚寤?』對曰:『向者夢中,見須彌山崩、月明落地、珠光忽滅、頭髻墮地、人奪我蓋,是故驚覺。』菩薩心念:『五夢者應吾身耳,念當出家。』告裘夷言:『須彌不崩、月明續照、珠光不滅、頭髻不落、傘蓋今在,且自安寐,莫憂失蓋。』於是諸天言:『太子當去,恐作稽留。』召烏蘇慢(漢名厭神),適來入宮,國內厭寐。時難提和羅,化諸宮殿盡為塚墓,裘夷伎女皆成死人,骨節解散,髑髏異處,膖脹爛臭,青瘀膿血,流漫相屬。太子觀視宮殿,悉作塚墓,鵄鵂狐狸,豺狼鳥獸,飛走其間。太子觀見一切所有,如幻如化如夢如響,皆悉歸空,而愚者保之。即呼車匿,急令被馬。車匿言:『天尚未曉,被馬何湊?』太子為車匿而說偈言:

(漢名厭神)という名の神を召し、宮中に入らせると、国内は皆、厭うように眠りに落ちた。その時、難提和羅が宮殿のすべてを墓塚に変え、裘夷や伎女たちはみな死人となり、骨は解け散り、髑髏はあちこちに分かれ、膿み腫れて爛れ、青黒く淤血し、膿血が流れ連なった。太子は宮殿を観ると、すべて墓塚と化し、鴟鵂や狐、豺狼や鳥獣がその中を飛び交っていた。太子は存在するすべてを観て、幻のようであり、化け物のようであり、夢のようであり、響きのようであり、すべては空に帰するが、愚か者はそれを執着するのだと知った。そこで車匿を呼び、すぐに馬を整えさせよと命じた。車匿が言う、「天はまだ明けておりません。馬を整えて、どこへ向かわれるのですか?」太子は車匿のために偈を説いて言った、

「『今我不樂世, 車匿莫稽留,
使吾本願成, 除汝三世苦。』

「今、私はこの世に満足していません。 チャンナよ、私を引き止めないでください。 私の本来の願いを成就させてください。 そうすれば、あなたの過去・現在・未来の苦しみを取り除きましょう。」

「於是車匿,即行被馬,馬便跳踉,不可得近。還白太子:『馬今不可得被。』菩薩自往拊拍馬背,而說頌言:

そこで車匿(しゃのく)が馬に鞍を付けようとすると、馬は激しく跳ね上がり近づくことさえできませんでした。車匿は太子のもとに戻り、「馬に鞍を付けることができません」と報告しました。菩薩ご自身が馬の背中を優しく撫でながら、次のように偈(うた)を唱えられました。

「『在於生死久, 騎乘絕於今,
騫特送我出, 得道不忘汝。』

「長く生死の海にあったが、 今日、ついに乗り物を捨て去る。 この駿馬が私を運び出してくれた。 悟りを得て、お前のことを忘れはしない。」

「於是被馬訖。騫特自念言:『今當足𨅞地,感動中外人。』四神接舉足,令脚不著地。馬時復欲鳴,使聲遠近聞。天神散馬聲,皆令入虛空。太子即上馬,出行詣城門,諸天、龍神、釋梵四天,皆悉導從,蓋於虛空。時城門神人現,稽首言:『迦維羅衛國,天下最為中。豐樂人民安,何故捨之去?』太子以偈答言:

そこで馬(犍陟)が用意されました。スッドーダナ王太子(釈迦牟尼)は自らこう念じられました。「今まさに足を地に踏みしめ、内外の人々を感動させよう。」すると四人の神々が太子の足を持ち上げ、地に着かないようにしました。馬が鳴こうとすると、その声が遠く近くに響き渡るようにされました。天の神々が馬の声を散じ、すべてを虚空の中に消し去らせました。太子はただちに馬に乗り、城門へと向かわれました。諸天の神々、龍神、帝釈天、梵天、四天王が皆、先導に従い、虚空を覆いました。その時、城門の神人が現れ、頭を下げて申し上げました。「カピラヴァストゥ国は、天下で最も中心にある国です。豊かで楽しく、人々は安らかに暮らしております。どうしてこれを捨ててお出かけになるのですか?」太子は偈(詩句)をもって答えられました。

「『生死為久長, 精神經五道,
使我本願成, 當開泥洹門。』

生死は長く続くもの、 心は五つの道を巡る。 どうか私の本来の願いが叶い、 この身を開き、静かな安らぎの世界へと至る道を開けますように。

「於是城門自然便開,出門飛去。天曉,行四百八十里,到阿奴摩國(漢言常滿)。太子下馬,解身寶衣纓絡寶冠,盡與闡特,告言:『汝便牽馬歸,上謝大王及國群臣。』闡特言:『今當隨從,供給所須,不可獨還放馬令去。山中多有毒蟲虎狼師子,誰當供養飲食水漿床臥之具?當何從得,要當隨從與并身命。』騫特長跪,淚出舐足,見水不飲,得草不食,鳴啼流涕徘徊不去。太子復說偈言:

こうして城門は自然に開き、太子は門を出て飛び去った。夜が明けるまでに四百八十里を進み、阿奴摩国(漢の言葉で「常に満ち足りている」という意味)に到着した。太子は馬から下り、身に着けていた宝衣、瓔珞、宝冠をすべて解いて闡特に与え、告げた。

「あなたは馬を連れて帰り、大王と国の群臣によく申し上げなさい。」

闡特は言った。

「今こそお供をし、必要なものを備えましょう。私だけが帰り、馬を放して去るわけにはいきません。山の中には毒虫や虎、狼、獅子が多くいます。誰が飲み水や食べ物、寝具をお世話するのですか?それをどこから得るのですか?どうかお供をさせ、命を共にさせてください。」

騫特は長く跪き、涙を流して太子の足を舐めた。水を見ても飲まず、草を得ても食べず、鳴き悲しみ、涙を流しながら去ろうとしなかった。太子は再び偈を説かれた。

「『身強得病摧, 氣盛老至衰,
死亡生別離, 云何樂世間。』

体が強くても病に打ちのめされ、 気力が盛んでも老いには衰えていく。 死は訪れ、生き別れもある。 どうしてこの世の中を楽しめようか。

「於是闡特,悲泣禮足,牽馬辭還。未至國城,四十里外,白馬悲鳴,其聲徹國中,國中皆云:『太子來還!』舉國人民,絡繹出迎,但見闡特牽馬空還。裘夷見此,自投殿下,前抱馬頸淚下交橫。王見裘夷泣,五內皆摧傷,自抑告言曰:『吾子學自然。』國中臣民,見王及裘夷哽咽悲泣,莫不為摧傷。裘夷日夜思,王便召群臣:『吾有一太子,捨我而入山。卿曹今差次,令數滿五人,共追侍太子,慎勿中來還。』

そこでチャンダカは、涙を流して足に触れる礼をし、馬を引いて別れを告げた。都から十里ほど手前の場所まで来ると、白馬カンタカが悲しげに嘶き、その声が都中に響き渡った。都の人々は皆「太子がお帰りだ!」と言い、国中の民が次々に出迎えた。しかし、彼らが見たのは、チャンダカが馬だけを連れて一人で帰る姿だった。后のヤショーダラーはこれを見て、自ら台座から身を投げ出し、馬の首に抱きついて涙を流した。王はヤショーダラーの泣く姿を見て、心の底から打ちのめされ、自らを抑えて言った。「我が子は自然の道を学んでいるのだ」。国の臣民たちも、王とヤショーダラーが嗚咽し悲しむのを見て、皆が心を痛めない者はなかった。ヤショーダラーは日夜思い悩み、王は臣下たちを集めて言った。「我には一人の太子がいたが、我を捨てて山へ入ってしまった。お前たちは選りすぐり、丁度五人を選び出し、共に太子を追い、仕えよ。決して途中で戻ってきてはならない」。

「太子得離俗,踊躍欣喜,安徐步行入城。國人覩太子,歡喜無有厭。太子離恩愛,遠諸苦惱根,思欲剃頭髮,倉卒無有具。帝釋持刀來,天神受髮去,遂復前行。國中人民,隨而觀之。於是出國,小復前行,到摩竭國,從右門入左門出。國中人民,男女大小,見太子者,或言天人,或言帝釋梵王、天神龍王,歡喜踊躍,不知何神。太子知其所念,便下道坐樹下,人民圍繞,歡喜觀視。時國王瓶沙,即問臣吏:『國中何以寂默,了無音聲?』對曰:『朝有道士,經國過去,光相威儀,非世所有。國人大小,追出而觀,于今未還。』

太子は俗世を離れることができ、喜びに踊り、ゆったりと落ち着いて歩きながら町に入られた。人々は太子を見て、飽きることなく喜んだ。太子は愛着を断ち、あらゆる苦しみの根本から遠ざかり、髪を剃りたいと思われたが、慌てて道具がなかった。すると帝釈天が刀を持って現れ、神々が髪を受け取って去っていった。太子はさらに進み、人々はそれを見守った。

こうして国を出て、少し進み、摩竭国に至った。右門から入り、左門から出られた。国中の人々は、男女老若を問わず、太子を見て、「天の神か」「帝釈天か、梵天か、天神か龍王か」と語り合い、喜びに湧き、何の神かも分からなかった。太子は彼らの思いを知り、道から外れて木の下に座られた。人々は囲んで喜び眺めた。

その時、瓶沙王が臣下に尋ねられた。「国中が静まり返り、全く物音がしないのはなぜか。」臣下は答えた。「今朝、修行者が国を通り過ぎられました。その光り輝く姿と威儀は、この世のものとは思えません。国中の老若男女が後を追って見に行き、まだ戻っておりません。」

「於是王與群臣,出詣道士。遙見太子光相殊妙,便問太子:『是何神乎?』太子答言:『吾非神也!』『若非神者,從何國來?何所姓族?』太子報言:『吾出香山之東、雪山之北,國名迦維,父名白淨,母名摩耶。』瓶沙問言:『將非悉達乎?』答言:『是也!』驚起禮足:『太子生多奇異,形相炳著,當君四天下為轉輪聖王,四海顒顒冀神寶至。何棄天位,自投山藪?必有異見,願聞其志。』太子答言:『以吾所見,天地人物,出生有死,劇痛有三,老、病、死苦,不可得離。身為苦器,憂畏無量,若在尊寵,則有憍逸,貪求快意,天下被患,此吾所厭故欲入山。』諸耆長曰:『夫老、病、死,自世之常,何獨預憂?乃棄美號,隱遁潛居,以勞其形,不亦難耶?』

そこで王は群臣を従えて、道士のもとへと向かいました。遠くから太子の光り輝く姿を見て、王は問いました。「あなたは何という神なのか?」太子は答えました。「私は神ではありません。」「神でなければ、どこの国から来たのか。どのような家柄なのか?」太子は答えました。「私は香山の東、雪山の北にある国、迦維(カピラヴァストゥ)から来ました。父は白浄王(シュッドーダナ)、母は摩耶(マーヤー)といいます。」瓶沙王(ビンビサーラ王)は尋ねました。「まさか、サンスクリット語でいうシッダールタではないか?」太子は答えました。「その通りです。」王は驚いて立ち上がり、太子の足に礼をして言いました。「太子は生まれつき多くの奇跡があり、その姿は輝かしく、四つの天下を治める転輪聖王となるべき方です。天下の人々はこぞって、聖なる宝が現れるのを待ち望んでおりました。どうして天の位を捨て、自ら山や野に身を投じられるのですか?きっと特別なご見解がおありなのでしょう。そのご意志をお聞かせください。」太子は答えました。「私の見るところ、天地や人々、万物は、生まれれば必ず死に、三つの激しい苦しみ、すなわち老い、病、死の苦しみがあり、それらから逃れることはできません。この身は苦しみの器であり、憂いや恐れは計り知れません。もし高い位にあり寵愛されれば、おごりや怠りが生じ、快楽を貪ろうとして、天下の人々は苦しむことになります。これが私が厭い、山に入ろうとする理由です。」年長者たちは言いました。「老い、病、死は世の中の常です。どうして一人だけ先に憂えるのでしょう。称号を捨て、隠れ潜んで、自らの体を苦しめるなど、なんと難しいことではありませんか。」

「於是太子,即說頌言:

そこで太子は、次の詩句を唱えられました。

「『如令人在胎,不為不淨;
如令在淨,不為不淨污;
如令苦,不為多、無有數;
假令如是,誰不樂世者?
如令人老形,不若干變;
如令善行者,不為惡行;
如令愛別離,不為苦痛;
假令如是,誰不樂世者?
如令病瘦,無復有大畏;
如令後世,無有諸惡對;
如令墮地獄,無有苦痛;
假令如是,誰不樂世者?
如令年少形,不變壞者;
如令所不可,不以著心;
如令死至時,無有眾畏;
假令如是,誰不樂世者?
如令愚癡,不以為厚冥;
如令瞋恚,不為強怨家;
如令五樂心,不為染惡;
假令如是,誰不樂世者?
如令不與,諸癡人共居;
如令眾癡法,自遠離人;
如令諸癡人,無有思想;
假令如是,誰不樂世者?
如令諸惡種,不若干輩;
如令諸惡,盡滅自離人;
如令諸惡念,無有思想;
假令如是,誰不樂世者?
如令世間惡,為最尊上;
如令惡行已,滅不復生;
如令諸惡行,盡無有實;
假令如是,誰不樂世者?
如令諸天,食福常不動;
如令世人,壽命得常存;
如令諸處所,不為行趣;
假令如是,誰不樂世者?
如令諸蔭蓋,不為怨家;
如令諸六入,無有苦惱;
如令一切世間,為不苦;
假令如是,誰不樂世者?』

もし胎内にいながら汚れず、 清らかな所にあって汚れに染まらず、 苦しみにあっても、それが多くも数えきれもしないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし老いても姿が変わることなく、 善く行う者が悪行をなさず、 愛する者との別れが苦痛でないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし病に臥しても大きな怖れがなく、 来世に悪い報いがなく、 地獄に堕ちても苦痛がないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし若い姿が変わらず、 嫌なことを心に留めず、 死が訪れてもあらゆる怖れがないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし愚かさが深い闇とならず、 怒りが強い敵とならず、 五感の楽しみに心を染められることがないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし愚かな者たちと共に住まず、 愚かさの性質が人から遠ざかり、 愚かな者たちに妄想がなければ、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし様々な悪の種がなく、 悪がすべて滅びて自然に人から離れ、 悪い思いが生じないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし世の中の悪が最も尊いものであり、 悪行が尽きて再び生じず、 あらゆる悪行がまったく実体を持たないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし天人が福報を享受して決して変わらず、 人間が寿命を長く保ち、 あらゆる場所に輪廻の行き来がないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

もし五蘊の覆いが敵とならず、 六根の対象に苦しみ悩みがなく、 この世のすべてが苦しみでないなら、 そうであるならば、誰がこの世を楽しまないだろうか?

「於是如諸君言:『不當預憂,使我為王,老到病至,若當死時,寧有代我受此厄者不?如無有代,胡可勿憂?天下有慈父孝子,愛徹骨髓,至當死時不得相代。若此偽身,苦至之日,雖居高位,六親在側,如為盲人設燭,何益於無眼者。吾覩眾行,一切無常,皆化非真,樂少苦多。身非己有,世間虛無,難得久居。物生有死,事成有敗,安則有危,得則有亡。萬物紛擾,皆當歸空,精神無形,躁濁不明。行致死生之厄,非直一受而已也。但為貪愛,蔽在癡網,沒生死河,莫之能覺。故吾欲入山,一心思四空淨,度色滅恚,斷求念空,無所適莫,是將反其原而歸其本,始出其根,如我願得乃可大安。』瓶沙王及諸耆長,歡喜意解:『太子志妙,世間難有,必得佛道,願先度我。』

さて、皆さんがこう言われました。『物事を先に心配するのはよくない。たとえ私が王となり、老いや病が訪れ、死ぬ時が来ても、果たして私の代わりにこの苦しみを受けてくれる者がいるだろうか?もし代わってくれる者がいないのなら、なぜ心配してはならないのか?世の中には慈しみ深い父や孝行な子がいて、互いを骨の髄まで愛していても、死ぬ時が来れば代わってやることはできない。この偽りの身体も、苦しみが及ぶ時には、高い地位にあっても、六親がそばにいても、まるで目の見えない人に灯りをともすようなもので、目のない者にとって何の役に立つだろうか。私はあらゆる行いを観察したが、すべては無常であり、仮のものであって真実ではない。楽しみは少なく、苦しみは多い。この身体は自分のものではなく、世の中は虚ろで儚く、長く留まることは難しい。物は生まれれば必ず死に、事は成せば必ず衰える。安らかであれば危険が伴い、得るものがあれば失うものがある。万物は入り乱れて騒がしいが、すべては空へと帰する。精神には形がなく、躁ぎ濁って明らかではない。行為は生死の苦難を招き、一度受ければ終わるというものではない。ただ貪りの愛著に囚われ、無明の網に覆われ、生死の川に沈み、それを覚る者はいない。それゆえ、私は山に入り、ひたすら四つの空の清らかさを思惟し、色を超え怒りを滅し、求めを断ち空を念じ、執着や嫌悪の区別なく、これこそ本源に帰ることだ。根源から出発し、私の願いが成就してこそ、大きな安らぎを得られるのだ。』

瓶沙王と長老たちは喜び、心が解けました。「太子の志は素晴らしく、世にも稀であり、必ず仏道を成就されるでしょう。どうかまず私たちを救済してください。」

「太子默然而逝,復前念言:『今我入山,當用寶衣為?世間癡人,皆為財所危。』即便見獵師,駈遊被法衣。太子喜念言:『此則真人衣,度世慈悲服,獵者何故著?心念欲貿易,成我志所願。』便持金縷衣,貿所法震越。獵者內歡喜,菩薩亦俱然。太子被震越,柔軟鮮且潔,顧視僧伽梨,過佛無差別,於是遂入山。菩薩得法服,欣喜光照耀。山林諸道士,一名為阿蘭,二名為迦蘭,學來積年,四禪具足,獲致五通,見光驚怖,此何瑞應?便共出觀,遙見太子:『是為悉達,今果出家。善來悉達便坐是榻,冷泉美果今可食之。』而作頌曰:

太子は黙って立ち去り、さらに心の中で思った。「今、私は山に入ろうとしている。どうして宝の衣を纏う必要があろうか。世の愚か者たちは皆、財のために危険に陥るものだ。」ちょうどその時、一人の猟師が法衣をまとって獲物を追いかけているのを見た。太子は喜び、心の中で思った。「これは真の修行者の衣であり、世を救う慈悲の服だ。猟師がなぜこれを着ているのだろう。これを手に入れたい。私の志を成就させてくれる。」そうして金糸で織られた衣を差し出し、猟師が持っていた法衣と交換した。猟師は内心喜び、菩薩もまた同じく喜んだ。太子は法衣を身にまとい、それは柔らかく清らかで美しかった。僧伽梨(修行者の衣)を見つめると、仏と少しの違いもなかった。こうして太子はついに山に入った。菩薩は法服を得て、喜びの光が周囲を照らした。山に住む道士たち、一人は阿蘭、もう一人は迦蘭といい、長年修行を積み、四つの禅定を完全に身につけ、五つの神通力を得ていた。彼らは光を見て驚き、これは何の吉兆であろうかと、共に外に出て眺めた。遠くから太子を認めて言った。「あれは悉達だ。ついに出家したのだ。よく来た、悉達よ。どうぞこの座に坐りなさい。冷たい泉と美味しい果実がある。今すぐ食べなさい。」そして、次のように賛歌を唱えた。

「『日王初出時, 在於山頂上,
是故慧明照, 一切諸群生。
若有觀面像, 終竟不知厭,
是故道德最, 無雙無有比。』

「日王が初めて昇るときは、山の頂上にある。 それゆえに、智慧の明るさは、すべての生きとし生けるものを照らす。 もしその姿を観る者があれば、ついに飽きることなく、 それゆえに、もっとも優れた徳を持ち、比類なく、並ぶ者がない。」

「是時菩薩而說頌曰:

その時、菩薩は次のように詩句を唱えた。

「『雖修四定意, 不知無上慧,
道心正為本, 不在事邪神。
行俗謂為真, 長夜求梵天,
是故不識道, 輪轉墮生死。』

『四つの定めを修行しても、 最高の智慧を知らねばならぬ。 道を求める心こそが根本であり、 邪な神を拝むことではない。

世間の習慣を真実と思い、 長き夜に梵天を求めるがゆえに、 それゆえ道を悟れず、 生まれ変わり死に変わり、苦しみの世界に落ちていくのだ。 』

「於是菩薩,行起慈心,遍念眾生老耄專愚,不免疾病死喪之痛,欲令解脫,以一其意;而起悲心,愍傷一切,皆有飢渴寒暑得失罪咎艱難之患,欲令安隱,以一其意;而起喜心,念諸世間,皆有憂苦恐怖遭逢之患,欲令淡泊,以一其意;而起護心,欲度五道八難眾生,愚蔽曚闇,不見正道,念欲成濟使得無為,以一其意;得善不喜,逢惡不憂,捨世八事,利衰毀譽稱譏苦樂,不以傾動,成二禪行。

そこで菩薩は慈しみの心を起こし、全ての衆生が老い、ぼけ、愚かであり、病気や死の痛みから逃れられないことを思い、彼らを解脱させようと心を一つにして願いました。 次に悲しみの心を起こし、全ての生きとし生けるものが飢えや渇き、寒さや暑さ、得失や罪過、艱難辛苦の悩みを抱えていることを哀れみ、彼らに安らぎを与えようと心を一つにして願いました。 そして喜びの心を起こし、世の中の全てが憂いや苦しみ、恐怖や逆境に遭遇する苦しみを抱えていることを思い、彼らが淡々と過ごせるようにと心を一つにして願いました。 さらに護りの心を起こし、五道や八難の衆生を救い、彼らが愚かさに覆われて正道を見失っているのを導き、無為の境地に至らせようと心を一つにして願いました。 善きことに出会っても喜ばず、悪しきことに遭っても憂えず、世の八つの事柄(利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽)を捨て、それらに心を動かされることなく、第二禅の境地を成就したのです。

「復前到斯那川,其川平正,多眾果樹,處處皆有流泉浴池,其中淨潔,無有蚑、蜂、蚊、虻、蠅、蚤。川中道士,名為斯那,教授弟子等五百人,修其所術。於是菩薩坐娑羅樹下,便為一切志求無上正真之道。諸天奉甘露,菩薩一不肯受,自誓日食一麻一米,以續精氣。端坐六年,形體羸瘦,皮骨相連,玄精靜寞,寂默一心,內思安般——一數、二隨、三止、四觀、五還、六淨——遊志三四出十二門,無分散意,神通妙達,棄欲惡法,無復五蓋,不受五欲,眾惡自滅,念計分明,思視無為,譬如健人得勝怨家,意以清淨,成三禪行。

さて、菩薩は斯那の川に至った。その川の流れは穏やかで平らかに流れ、多くの果樹が茂り、あちこちには泉の湧き出る水浴び場があった。その場所は清らかで、蚊や蝿などの小さな虫もいなかった。川辺には道士・斯那が住み、五百人の弟子たちに自らの術を教えていた。

そこで菩薩は娑羅樹の下に座り、一切の生きとし生けるもののために無上の真理を求める誓いを立てた。天の神々が甘露を捧げたが、菩薩は決して受け取らず、自ら「一日に胡麻一粒と米一粒のみを食し、気力を保とう」と誓った。

こうして六年間、端坐したまま過ごし、その体は痩せ細り、皮と骨だけが連なるようになった。深く静まり、沈黙のうちに一心不乱に、心の中で「安般(あんぱん)」の修行を行った。すなわち、一つに数えること、二つに従うこと、三つに止まること、四つに観察すること、五つに還ること、六つに清めることである。これら三四十二の門を遊び行い、心は散乱することなく、神通力は妙に達した。

そして欲望や悪しき行いを捨て去り、五つの蓋(五蓋)はもはやなく、五つの欲望にも執着せず、諸々の悪は自然に消え去った。想念は明らかに区別され、何もなさない無為の境地を観じた。まるで勇士が見事に怨みある者に打ち勝つかのごとく、心は清らかとなり、第三禅の境地を成就したのである。

「天帝釋意念言:『菩薩坐樹下,六年已滿,形體羸瘦,今當使世間人,奉轉輪王食,補六年之飢虛。』便感斯那二女,使於夢中見天下盡成為水,中有一花七寶光色,須臾便萎,失其本色。見有一人,以水灑上,更生如故。水中眾花,始生萌芽,覆水而出。二女夢寤,怪未曾有,即啟語父。其父不解,盡問耆年,皆不能說。天帝復下化作梵志,為女解夢言:『汝見天下水中生一花者,是白淨王太子初生時;今在樹下六年,身羸形瘦,是花萎時;見一人水灑更生者,是能獻食者;小花萠芽欲出者,是五道生死人也。』時天帝釋,即說偈言:

「天帝釋は思った。『菩薩が樹の下に坐してから六年が経ち、体はやせ細ってしまった。今こそ世の人々に、転輪王の食べ物を捧げさせ、六年の飢えを癒そう。』そうして、彼はスジャータ(斯那)という名の二人の娘に感応を与えた。夢の中で、彼女たちは世界全体が水となったのを見た。水の中には一輪の花が七宝の光を放って咲いていたが、やがてしおれてその色を失った。すると一人の人が現れ、水をその花に注ぐと、花は元のように生き返った。水中の多くの花が芽を出し、水面を覆うように伸びていった。二人の娘は夢から覚め、これまでにない不思議な出来事に驚き、父にそのことを話した。父はその意味がわからず、年長者たちに尋ねたが、誰も説明できなかった。そこで天帝釋は再び天から降り、バラモンの姿になって娘たちに夢の意味を解き明かした。『あなたたちが見た、世界の中の水に一輪の花が生じたのは、白浄王の太子がお生まれになった時のことです。今、彼は樹の下に六年もおられ、体はやせ細っておられます。それが花のしおれた姿です。一人の人が水をかけて花を生き返らせたのは、食べ物を捧げる者を表しています。小さな花の芽が出ようとしているのは、五道(地獄・餓鬼・畜生・人・天)を生死する人々です。』その時、天帝釋は偈を唱えて言った。」

「『六年不傾猗, 亦不念飢寒,
精進無所著, 形瘦骨皮連。
汝等修敬意, 奉獻於菩薩,
現世獲大福, 後世受果報。』

「六年の間、寄りかからず傾かず、飢えや寒さをも思いわずらわず、精進して執着するところなく、やせ細って骨と皮ばかりになった姿を見て、あなたがたは敬いの心を起こし、菩薩に奉納しなさい。そうすれば、現世で大きな福を得、後の世では果報を受けるでしょう。」

「女言:『獻食者其法云何?』梵志答言:『當取五百牛乳,展轉相飲至于一牛,𤚼一牛湩持用作糜,乳糜涌沸,出高七仞,左上右下,右上左下,斟糜入鉢,釜杓不污。』二女恭肅,奉獻菩薩。菩薩意念,欲先沐浴然後受糜,行詣流水側,洗浴身形。浴訖欲出水,天神按樹枝,二女奉乳糜。得色氣力充,呪願福無量,令女歸三尊。食畢洗手漱口,澡鉢已還擲水中,逆流未至七里,天化作金翅鳥飛來捧鉢去,并髮一處,供養起塔。即復前行,當渡尼連禪河。是時菩薩,便說偈言:

「女は言いました。『食べ物を捧げるその方法はどのようなものでしょうか。』梵志は答えました。『五百頭の牛の乳を取って、次々に飲ませてついに一頭の牛に至らせ、その一頭の牛の乳を搾って粥を作ります。乳粥が沸き立って、七仞の高さに涌き上がり、左が上になり右が下になり、右が上になり左が下になりますが、粥を鉢に注ぐと、釜も杓も汚れません。』二人の女は恭しく慎んで、菩薩に捧げました。菩薩はお思いになりました。まず沐浴してから粥を受けよう、と。流れのほとりに行き、身体を洗い清めました。沐浴が終わって水から出ようとすると、天神が樹の枝を押さえ、二人の女が乳粥を捧げました。色と気力が満ちあふれ、呪願すれば福は無量であり、女たちを三宝に帰依させました。食べ終わって手を洗い口を漱ぎ、鉢を洗ってから水中に投げ戻すと、逆流すること七里に至らないうちに、天が金翅鳥と化して飛来し鉢を捧げ持って去り、髪と一つの場所に、供養して塔を建てました。すぐにまた前に進み、尼連禅河を渡ろうとしました。その時、菩薩は偈を説かれました。

「『渡水尼連禪, 慈愍一切人,
五道三毒垢, 使除如水淨。
菩薩興是念, 一切癡墮冥,
當持八直水, 洗除三毒垢。
是時始上岸, 青雀有五百,
飛來繞菩薩, 三匝悲鳴去。』

「ニランジャナ川を渡り、一切衆生を慈しみ、

五道の三毒の汚れを、水のように清らかに除く。

菩薩はこう心に誓う——『すべての迷いの闇に堕ちた者たちよ、

八正道の水をもって、三毒の汚れを洗い清めよう。』

その時、菩薩が岸に上がると、五百羽の青い雀が現れ、

飛び来たりて菩薩の周りを三度巡り、悲しげに鳴きながら去っていった。」

「於是復前行,當過瞽龍池時,龍大歡喜,踊出見菩薩,便說偈言:

そこでさらに進んで行き、盲目の竜がいる池を通りかかった時、竜は大いに喜び、躍り出て菩薩を拝見し、偈を唱えて言いました。

「『善哉見悉達, 來救何以晚,
本請一切眾, 無上甘露漿。
行步地震動, 眾樂自然鳴,
正與過佛等, 於我無有疑。
今持無上慧, 降伏諸魔怨,
今當佛日照, 覺諸群生眠。』

「ああ、よくぞシッダールタよ、やって来た。 なぜ救いに来るのが遅かったのか。 もともと私は全ての衆生に、 この上ない甘露の法を請うていたのだ。 あなたが歩けば大地が震え、 自然とあらゆる楽器が鳴り響く。 あなたは過ぎ去った仏たちと全く等しい。 私にはそれについて疑いはない。 今、この上ない智慧をもって、 あらゆる魔の怨みを打ち負かし、 今まさに仏の太陽の光をもって、 眠りに耽るすべての生きとし生けるものを目覚めさせよ。」

「於是復前行,望見叢林山,其地平正,四望清淨,生草柔軟,甘泉盈流,花香茂潔,中有一樹,高雅奇特,枝枝相次,葉葉相加,花色蓊欝,如天莊飾,天幡在樹頂,是則為元吉,眾樹林中王。於是小前行,見一刈草人,菩薩便問曰:『今汝名何等?』『我名為吉祥,今刈吉祥草。』『今汝施我草,十方皆吉祥。』時人吉祥即說偈言:

そこでさらに進んで行くと、遠くに林に覆われた山が見えた。その土地は平らで見渡す限り清らかであり、柔らかな草が生い茂り、甘い泉が豊かに流れ、花は香り高く美しく咲き誇っていた。その中に一本の木がそびえ立ち、高く気品があり、枝は幾重にも重なり、葉は重なり合い、花の色は豊かに茂り、まるで天の装飾のようであった。天の幡が木の頂にあり、これこそが大いなる吉兆であり、森の中の王であった。そこで少し進むと、一人の草を刈る人に出会った。菩薩は尋ねられた。「今、あなたの名は何というのですか。」「私は吉祥と申します。今、吉祥草を刈っています。」「今、あなたが私にこの草を与えてくだされば、十方すべてが吉祥となるでしょう。」その時、吉祥という人は偈(げ)を唱えて言った。

「『以棄聖王位, 七寶玉女妻,
金銀之床榻, 氍氀錦繡褥。
吉祥哀樂聲, 八部真音響,
超越過梵天, 今用芻草為?』

「王位を捨て去り、七宝の王妃を離れ、 金銀の寝台や、華やかな敷物を捨てたのに―― 吉祥の楽の音、八部衆の聖なる響きが、 梵天さえも超えるというのに、今や刈り草を敷くとは? 」

「菩薩以偈答言:

菩薩が偈で答えた。

「『發願阿僧祇, 欲度五道人,
今往滿本願, 是故欲得草。』

「数えきれない時間をかけて誓いを立て、五つの道に迷う人々を救おうとしてきた。 今、その願いを果たすために向かう。だからこそ、この草が欲しいのだ。」

「人與把亂草, 便持向樹王:
『世間意皆亂, 我當正其志。』

草を一束、人から託されて、

目指すはあの悟りの樹のもとへ。

「世の中の心は、みな乱れている。

私がその心を、まっすぐに導こう。」

「即持草灑地, 齊正如所言,
菩薩便坐上, 一切蒙其恩。
菩薩作三要: 『心坐及其樹,
若我不得道, 終不離三誓。
言我肌骨枯, 不動會當成,
過佛得道時, 皆悉出一心。』

草をすぐに地面に敷き詰めると、 それは言われた通り、きちんと整っていました。

菩薩はそこに座り、 全ての者がその恩恵を受けました。

菩薩は三つの誓いを立てました。 「心を定めて座り、この木の下で、 もし悟りを得られなければ、 決してこの三つの誓いを破らない。

たとえ私の肉や骨が枯れ果てようとも、 動かずに必ず成し遂げる。 先達の仏が悟りを得た時のように、 全てを一心に尽くすのだ。」

「於是菩薩,安坐入定,棄苦樂意,無憂喜想,心不依善,亦不附惡,正在其中,如人沐浴淨潔覆以白褻,中外俱淨,表裏無垢,喘息自滅,寂然無變,成四禪行。以得定意,不捨大悲,智慧方便,究暢要妙,通三十七道品之行。何謂三十七品?一為四意止,二為四意斷,三為四神足,四為五根,五為五力,六為七覺意,七為八直行。周而復始,苦空非常,無想無願。『我念世間,貪愛嗜欲,墮生死苦,少能自覺本從十二因緣起。何等為十二本?從癡行便有識,緣識行便有名字,從名字行便有六入,緣六入行便有更樂,緣更樂行便有痛,緣痛行便有愛,緣愛行便有受,緣受行便有有,緣有行便有生,緣生行便有老死憂悲苦痛心惱大患,具有精神,從是轉墮生死。欲得道者,當斷貪愛,滅除情欲,無為無起,然則癡滅。癡滅則行滅,行滅則識滅,識滅則名字滅,名字滅則六入滅,六入滅則更樂滅,更樂滅則痛滅,痛滅則愛滅,愛滅則受滅,受滅則有滅,有滅則生滅,生滅則老死憂悲苦痛心惱大患皆盡,是謂得道。』

そこで菩薩は、静かに座って禅定に入り、苦しみと楽しみの思いを捨て、憂いや喜びの念もなく、善にも依らず、悪にも付かず、その中にあって、まるで人が沐浴し、清らかになった体を清い布で覆い、内外ともに清らかで、表裏に汚れのないように、息づかいも自然と消え、静かで変わることがなく、第四禅の境地に達した。

この定まった心を得ても、大いなる慈悲と智慧の方便を捨てることなく、要となる妙法を究め明らかにし、三十七道品の行を通じた。

三十七品とは何か?第一に四念処、第二に四正勤、第三に四神足、第四に五根、第五に五力、第六に七覚支、第七に八正道である。これらを繰り返し行じ、苦しみ、空しく、常住ではなく、想いも願いもないと観じた。

「私は世の中の者たちが、貪りの愛や欲に執着し、生死の苦しみに堕ちているのを思う。自らが元来、十二因縁から生じたことに気づく者は少ない。十二の根本とは何か?無明(むみょう)の行から識が生じ、識の行から名色が生じ、名色の行から六入が生じ、六入の行から触が生じ、触の行から受が生じ、受の行から愛が生じ、愛の行から取が生じ、取の行から有が生じ、有の行から生が生じ、生の行から老いや死、憂い悲しみ、苦痛、心の悩みという大きな患いが生じる。このようにして意識は存在し、そこから生死に堕ちて転がり続ける。道を得ようとする者は、貪りの愛を断ち、情欲を滅し、作為なく、起こさないようにしなければならない。そうすれば無明は滅する。無明が滅すれば行が滅し、行が滅すれば識が滅し、識が滅すれば名色が滅し、名色が滅すれば六入が滅し、六入が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、受が滅すれば愛が滅し、愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老いや死、憂い悲しみ、苦痛、心の悩みという大きな患いがことごとく尽きる。これを道を得るというのである。」

「菩薩心自念言:『今當降魔官屬。』即放眉間毫相光明,感動魔宮。魔大惶怖,心中不寧,觀見菩薩,已在樹下,清淨無欲,精思不懈,心中煩毒,飲食不甘,伎樂不御,念是道成,必大勝我,欲及其未作佛,壞其道意。魔子須摩提(漢言賢意)前諫父曰:『菩薩行淨,三界無比,以得自然神通,眾梵諸天億百皆往禮侍,此非天人所當沮壞,無為興惡自毀其福。』魔王不聽,三女自占,一名恩愛,二名常樂,三名大樂:『父王莫憂,吾等自往壞菩薩道意,不足勞父王,勿復憂念。』

菩薩は心の中でこう思った。「今こそ、魔王とその眷属を調伏しよう。」すると、眉間の白毫から光明を放ち、魔宮を揺り動かした。魔王は大いに恐れおののき、心も落ち着かず、菩薩がすでに木の下で、清らかで欲がなく、精進して怠ることなく思惟しているのを見た。心の中は煩悩と苦しみに満ち、飲食も美味しくなく、音楽も楽しめず、「この道が成就すれば、必ずや我に勝るであろう。まだ仏となる前に、その道心を壊そう」と考えた。

魔王の子である須摩提(漢の言葉で「賢意」という意味)は、父の前に進み出て諫めて言った。「菩薩の行いは清らかで、三界に並ぶ者はありません。すでに自然の神通を得て、多くの梵天や天人が何百億も礼拝し仕えています。これは天や人が壊すべきものではなく、無為に悪を起こして自らの福を壊すべきではありません。」しかし、魔王は聞き入れなかった。そこで三人の娘が自ら名乗り出た。一人は「恩愛」、二人は「常楽」、三人は「大楽」という名であった。「父王よ、ご心配には及びません。私たちが自ら赴いて、菩薩の道心を壊してまいります。父王がお労しくなることはありません。どうかもう心配なさいませぬよう。」

「於是三女,嚴莊天服,從五百玉女,到菩薩所,彈琴歌頌,婬欲之辭欲亂道意。三女復言:『仁德至重,諸天所敬,應有供養,故天獻我。我等好潔,年在盛時,願得晨起夜寐供侍左右。』菩薩答言:『汝宿有福,受得天身,不惟無常,而作妖媚,形體雖好,而心不端。譬如畫瓶中盛臭毒,將以自壞。有何等奇,福難久居,婬惡不善,自亡其本,福盡罪至,墮三惡道,受六畜形,欲脫致難。汝輩亂人道意,不計非常,經歷劫數,展轉五道。今汝曹等,未離勤苦。吾在世間,處處所生,觀視老者如母,中者如姊,小者如妹,諸姊等各各還宮,勿復作是曹事。』菩薩一言,便成老母,頭白齒落,眼冥脊傴,柱杖相扶而還。

そこで三人の娘たちは、天人の衣を美しく整え、五百人の天女を従えて菩薩の許に参りました。琴を奏で歌を歌い、淫らな欲の言葉で菩薩の道心を乱そうとしました。三人の娘たちは再び言いました。「あなたの仁徳は極めて尊く、諸天の神々も敬っております。故に捧げ物があるべきと、天が私たちを献上したのです。私たちは清らかで美しく、年も盛りでございます。どうか、朝に暮れにあなたのお側に仕えさせてください。」

菩薩はお答えになりました。「あなたがたは前世の福により天の身を得たが、無常を思わずに、かえって妖しく媚びる態度をとる。その姿形は美しくとも、心は正しくない。例えるならば、絵に描いた瓶の中に腐った毒を入れて、自らを滅ぼすようなものだ。何の不思議もない。福は長く続かず、淫らな行いは不善であり、自らの根本を失う。福が尽きれば罪が訪れ、三悪道に落ちて畜生などの姿を受け、そこから逃れるのは難しいのだ。あなたがたは人の道心を乱し、無常を考えず、長い劫の間、五道を巡り続ける。今のあなたがたも、まだ苦しみから逃れてはいない。私は世の中に生まれる度に、老人を見れば母のように、中年の者を見れば姉のように、若い者を見れば妹のように観じている。どうか娘たちよ、それぞれの宮殿に帰りなさい。もう、そのようなことをしてはならない。」

菩薩がこの一言を言い終えると、三人の娘たちはたちまち老いた老婆となり、頭は白く歯は抜け落ち、目はかすみ背は曲がり、杖にすがり支え合いながら帰って行きました。

「魔見三女還皆成老母,益大忿怒,更召鬼神王,合得十八億,皆從天來下,圍繞菩薩,三十六由旬,皆使變成師子、熊羆、兕虎、象、龍、牛、馬、犬、豕、猴猿之形,不可稱言。蟲頭人軀蚖虵之身黿龜之首,而有六目,或一頸而多頭,齒牙爪距,擔山吐火,雷電四繞,擭持戟鉾。菩薩慈心,不驚不怖一毛不動,光顏益好,鬼兵不能得近。魔王便前說偈問言——菩薩慈心,所問盡答——曰:

魔が三人の娘を見ると、皆が老いた母となって戻ってきた。ますます激怒し、さらに鬼神の王を召喚して、合わせて十八億の軍勢を集めた。皆天から降りてきて、菩薩を三十六由旬にわたって取り囲んだ。すべてを獅子、熊、犀、虎、象、龍、牛、馬、犬、豚、猿などの形に変えさせたが、その数は言葉に尽くせない。虫の頭に人間の胴体、蛇の身、鼈の首でありながら六つの目を持つもの、あるいは一つの首に多くの頭があるもの、牙や爪や距を持ち、山を担ぎ火を吐き、雷電を四方にまとい、矛や鉾を掴み持っていた。菩薩は慈しみの心をもって、驚きも恐れもせず、毛の一本すら動かさず、その姿はますます輝いて美しかった。鬼の兵隊は近づくことができなかった。そこで魔王が前に進み出て、偈を唱えて問いかけた。菩薩は慈しみの心をもって、問われたことすべてに答えた。曰く——

「『比丘何求坐樹下, 樂於林藪毒獸間,
雲起可畏窈冥冥, 天魔圍繞不以驚。』

比丘よ、なぜ木の下に座り、林や毒獣の間にいるのを楽しむのか。 雲が湧き、恐ろしいほど暗い闇の中、天魔に囲まれても驚くことはない。

「『古有真道佛所行, 恬惔為上除不祥,
其成最勝法滿藏, 吾求斯座決魔王。』

「昔、真の道あり。仏の歩まれた道。 静けさこそが最上であり、不祥を除く。 その完成は最も優れた法であり、蔵に満ちている。 私はこの境地を求め、魔王に打ち勝つ。」

「『汝當作王轉金輪, 七寶自至典四方,
所受五欲最無比, 斯處無道起入宮。』

「あなたはやがて王となり、金輪を回し、 七宝が自然に集まり、四方を治めるでしょう。 受ける五つの欲望は何にも勝るもので、 その場所に道はなく、宮殿に入るのです。」

「『吾覩欲盛吞火銅, 棄國如唾無所貪,
得王亦有老死憂, 去此無利勿妄談。』

「私は見た、欲に溺れれば火呑みの銅器をのむが如し。 国を捨てるのは唾を吐くように易く、何も執着しない。 王位を得ても老いと死の憂いはあり。 これを離れなければ利益はない、虚妄に語るな。」

「『何安坐林如大語, 委國財位守空閑,
不見我興四部兵, 象馬步兵十八億?』

「『どうして林に座り、大いなる言葉のように、 国や財産や位を捨てて、閑かな空を守るのか。 私が四つの軍勢を興したのを見なかったのか。 象・馬・歩兵、十八億もの軍を?』」

「『已見猴猿師子面, 虎兕毒虵豕鬼形,
皆持刀劍擭戈鉾, 超躍哮吼滿空中。
設復億姟神武備, 為魔如汝來會此,
矢刃火攻如風雨, 不先得佛終不起。
魔有本願令我退, 吾亦自誓不空還,
今汝福地何如佛? 於是可知誰得勝。』

「すでに見たり、猿や獅子の面、虎や毒蛇、豚の形をした鬼たちが、 皆、刀剣や戈(ほこ)を手に持ち、跳ね回り、吼えながら空に満ちているのを。 たとえ億万の神々が武装して集まろうとも、あなたのような魔がこの場に来たところで、 矢や刃、火の攻撃が風雨のように降り注ごうとも、私が先に悟りを得ぬ限り、決して立ち上がることはない。 魔よ、あなたには私を退かせようという本来の願いがあり、私もまた空しく引き下がらぬと固く誓っている。 さあ、あなたの福徳の地は、仏と比べてどうなのか? これによって、どちらが勝利するか明らかになるだろう。」

「『吾曾終身快布施, 故典六天為魔王,
比丘知我宿福行, 自稱無量誰為證?』

「私は生涯、惜しみなく施しを続けてきた。 その功徳により、今や第六天の魔王となっている。 比丘よ、私の過去の福徳を知っているのか? 自らを無量と称するが、誰がそれを証拠立てるのか?」

「『昔吾行願從錠光, 受拜為佛釋迦文,
怒畏想盡故坐斯, 意定必解壞汝軍。
我所奉事諸佛多, 財寶衣食常施人,
仁戒積德厚於地, 是以脫想無患難。』

「かつて私が修行の願いを立て、錠光仏のもとで 未来に仏となるという告げを受け、釈迦牟尼と名乗った。

怒りや恐れ、思い煩いをすべて捨て去ったからこそ、この場に坐している。 心が定まり、必ずや悟りを開き、お前の軍勢を打ち破るであろう。

私が仕え、敬ってきた仏は数知れず、 財宝や衣服、飲食を絶えず人々に施してきた。

慈しみの戒めを積み、その徳は大地よりも厚い。 それゆえ、執着の思いから脱し、苦しみや障りはないのである。」

「菩薩即以智慧力, 申手按地是知我,
應時普地軯大動, 魔與官屬顛倒墮。
魔王敗績悵失利, 惛迷却踞前畫地,
其子又曉心乃寤, 即時自歸前悔過:

菩薩は智慧の力をもって、手を伸ばして大地を押さえ、これを知らせた。 するとたちまち大地全体が大きく震え動き、魔王とその眷属は倒れ落ちた。 魔王は敗れて打ちのめされ、失意のうちに茫然とし、前に踞って地面に線を描いた。 その子が呼びかけると(魔王は)ようやく我に返り、すぐに自ら菩萨の前に進み出て悔い改めて言った。

「『吾以不復用兵器, 等行慈心却魔怨,
世用兵器動人心, 而我以汝等眾生。
若調象馬雖已調, 然後故態會復生,
若得最調如佛性, 已如佛調無不仁。』

「わたしはもはや武器を用いず、 慈しみの心をひとしく行じて、悪魔の怨みを退ける。

世の人びとは武器を用いて人の心を動かそうとするが、 わたしはあなたがたすべての衆生を慈しみの心で扱う。

たとえ象や馬を調教しても、いったん調教した後でも、 やがて古い癖がよみがえることがある。

しかし、仏の性質のように最上に調えられた者を得れば、 すでに仏のように調えられて、不慈悲な心はない。」

「垓天見佛擒魔眾, 忍調無想怨自降,
諸天歡喜奉華臻: 『非法王壞法王勝。
本從等意智慧力, 慧能即時禳不祥,
能使怨家為弟子, 當禮四等道之證。
面如滿月色從容, 名聞十方德如山,
求佛像貌難得比, 當稽首斯度世仙。』

垓天の境地で仏は魔の群れを捉え、 忍耐と調和によって、無想の怨みも自ずと降伏する。 諸天は歓喜して花を捧げ、こう唱える。 「法の王が破られるのではなく、法の王が勝利したのだ。 もとは智慧の力によって心が等しく、 智慧は即座に不祥を払い除ける。 怨みを持つ者さえも弟子に変えることができる。 四等の道の証を敬い、礼拝すべきである。 顔は満月の如く、姿は落ち着きに満ち、 名声は十方に轟き、徳は山のように高く、 仏の相好に並ぶものはなく、 この世を超えた聖者に、ひれ伏すべきである。」

「菩薩累劫清淨之行,至儒大慈,道定自然,忍力降魔,鬼兵退散,定意如故,不以智慮,無憂喜想,是日夜半後,得三術闍(三術闍者漢言三神滿具足),漏盡結解,自知本昔久所習行,四神足念,精進定、欲定、意定、戒定,得變化法,所欲如意,不復用思;身能飛行;能分一身,作百作千至億萬無數,復合為一;能徹入地,石壁皆過,從一方現,俯沒仰出,譬如水波;能身中出水火;能履水行虛,身不陷墜;坐臥空中,如飛鳥翔;立能及天,手捫日月,欲身平立,至梵自在;眼徹視,耳洞聽,意預知,諸天人龍鬼神蚑行蠕動之類,身行口言心所念,悉見聞知。諸有貪婬無貪婬者,有瞋怒無瞋怒者,有愚癡無愚癡者,有愛欲無愛欲者,有大志行無大志行者,有內外行無內外行者,有念善不念善者,有一心無一心者,有解脫意無解脫意者,一切悉知。

菩薩は幾多の劫にわたる清らかな修行を積み、限りない慈悲と悟りへと至る道を確立しました。不動の精神と智慧の力によって悪魔を降伏させ、鬼神の軍勢も退散しました。心は常に定まり、分別や思索を用いることなく、憂いも喜びの想念もありませんでした。

その夜半過ぎ、菩薩は三つの神通力(三術闍)の完全な具足を得ました。それは煩悩が尽き、執着が解け、自身の過去世における長年の修行の道を悟るものでした。四つの如意足(四神足)による、精進定、欲定、意定、戒定により、自在に変化する法を得て、思いのままに望むことを実現し、もはや分別の思考を必要としなくなりました。

身は空中を飛行し、一つの身を百、千、億、無数に分身させ、再び一つに合わせることができました。大地や岩壁を透り抜け、一方に現れ、沈み、浮かび上がることは水の波のようでした。身から水や火を出し、水の上を歩き、虚空を進んでも沈み落ちず、座っても横たわっても空中にあり、まるで鳥が翔けるようでした。立ち上がれば天に達し、手で日月に触れ、身体をまっすぐにして梵天の世界に至ることも自在でした。

眼は透徹して全てを見渡し、耳は全ての音を聞き分け、心は未来を予知しました。天、人、竜、鬼神、這い動くものたちの、身の行い、口の言葉、心に思うこと、すべてを見聞きし知りました。貪りのある者もない者も、怒りのある者もない者も、愚かさのある者もない者も、愛欲のある者もない者も、大いなる志を持つ者も持たない者も、内外の行いのある者もない者も、善を念じる者も念じない者も、一心の者もそうでない者も、解脱の意のある者もない者も、一切をことごとく知りました。

「菩薩觀天上、人中、地獄、畜生、鬼神五道,先世父母、兄弟、妻子中外姓字,一一分別,一世十世,百千億万無數世事,至于天地一劫崩壞空荒之時,一劫始成,人物初興,能知十劫百劫至千萬億無數劫中,內外姓字,衣食苦樂,壽命長短,死此生彼,展轉所趣,從上頭始,諸所更身,生長老終,形色好醜,賢愚苦樂,一切三界,皆分別知。見人魂神,各自隨行,生五道中,或墮地獄,或墮畜生,或作鬼神,或生天上,或入人形,有生豪貴富樂家者,有生卑鄙貧賤家者。知眾生或五陰自弊,一色像,二痛痒,三思想,四行作,五魂識,皆習五欲,眼貪色,耳貪聲,鼻貪香,舌貪味,身貪細滑,牽於愛欲,或於財色思望安樂,從是生諸惡本,從惡致苦。能斷愛習,不隨婬心,大如毛髮,受行八道,則眾苦滅,譬如無薪亦無火,是謂無為度世之道。

菩薩は、天上、人間、地獄、畜生、鬼という五つの世界を見渡し、前世の父母、兄弟、妻、子、そして一族の姓名を一つひとつはっきりと知っています。それは一世、十世、百千億万、数え切れないほどの過去世にわたり、天地が一劫の間に崩れ去り、何もない荒れ果てた時代から、一劫が新たに始まり、人間や生き物が現れ始めた時までに及んでいます。そして十劫、百劫、数千億万、数え切れない劫もの長い間、あらゆる内と外の姓名、衣食の苦楽、寿命の長短、この世に死んであの世に生まれる、次々と向かうさまを、最初の始まりから知っています。あらゆる身に変わり、生まれ、成長し、老い、死ぬまでの姿かたちの良し悪し、賢さ愚かさ、苦しみ楽しみ、あらゆる三界のことを、それぞれはっきりと見極めています。

人の魂が、それぞれの行いに従って五つの世界に生まれるのを見ます。ある者は地獄に落ち、ある者は畜生となり、ある者は鬼となり、ある者は天に生まれ、ある者は人の形をとります。そして、高貴で裕福な家に生まれる者もいれば、卑しく貧しい家に生まれる者もいます。

また、衆生が五陰(色、受、想、行、識)によって自らを覆い隠していることを知っています。すなわち、一に色かたち、二に痛みや感覚、三に思いや考え、四に行為、五に魂の識別です。彼らはみな五欲に親しみ、目は色を貪り、耳は音を貪り、鼻は香りを貪り、舌は味を貪り、体は滑らかな感触を貪り、愛欲に引き寄せられます。あるいは財や色に心を奪われ、安楽を望みます。これらからあらゆる悪の根本が生まれ、悪から苦しみが生じます。

しかし、愛欲への執着を断ち切り、髪の毛一本ほどのわずかな欲心にも従わず、八つの正しい道を実践すれば、あらゆる苦しみは消え去ります。例えるなら、薪がなければ火もないようなものです。これを「無為」の悟りに至る道と言います。

「菩薩自知,已棄惡本,無婬怒癡,生死五陰諸種悉斷,無餘災𭒯所作已成,智慧已了。明星出時,廓然大悟,得無上正真道,為最正覺,得佛十八法,有十神力、四無所畏。佛十八法者,謂從得佛至于泥曰,一、無失道,二、無空言,三、無妄志,四、無不淨意,五、無若干想,六、無不省視,七、志欲無減,八、精進無減,九、定意無減,十、智慧無減,十一、解脫無減,十二、度知見無減,十三、古世之事悉知見,十四、來世之事悉知見,十五、今世之事悉知見,十六、攬眾身行化以始所知,十七、攬眾言行化以始所知,十八、攬眾意行化以始所知,是為佛十八不共之法。

菩薩は自ら知っていた。すでに悪しき根本を捨て去り、欲や怒りや愚かさもなく、生・死・五陰の諸々の集まりもすべて断ち切られ、残る災いもなく、なすべきことはすでに成し遂げられ、智慧はすでに明らかとなった。明けの明星が現れるとき、はるかに大いなる悟りを開き、最高の正しい真理を得て、最も正しい覚者となった。仏の十八の法を得、十の神通力と四つの無畏を備えたのである。

仏の十八の法とは、仏を得てから般涅槃に至るまでの間のものである。 一、道を失うことがない。 二、むだな言葉がない。 三、むなしい思いがない。 四、清らかでない意がない。 五、さまざまな思いがない。 六、省みないことがない。 七、志欲が減ることがない。 八、精進が減ることがない。 九、定意が減ることがない。 十、智慧が減ることがない。 十一、解脱が減ることがない。 十二、度知見が減ることがない。 十三、過去の世のことをすべて知り見る。 十四、未来の世のことをすべて知り見る。 十五、現在の世のことをすべて知り見る。 十六、衆生の身の行いをすべてまとめて、その始まりを知るように導く。 十七、衆生の言葉の行いをすべてまとめて、その始まりを知るように導く。 十八、衆生の意の行いをすべてまとめて、その始まりを知るように導く。 これらを仏の十八の不共の法という。

「十神力者,諸佛悉見知,深微隱遠,是處非處,明審如有,一力也;佛悉明知來今往古所造行地,其受報處,二力也;佛悉分別天人眾生彼彼異念,三力也;佛知眾生若干種語及度世語,四力也;佛悉了知世間雜種無量情態,五力也;佛能現禪解定行,除眾勞諍,六力也;佛知欲縛知欲解要在所宜行,七力也;佛智如海善言無量追識一切宿命所更,八力也;佛天眼淨見人物死神所出生,善惡殃福,隨行受報,九力也;佛漏已盡,無復縛著,神真叡智,自知見證,究暢道行,可作能作,無餘生死,其智明審,是為佛十神力也。

十の神力とは、以下の通りである。

第一の力:全ての仏は、あらゆる事象を完全に見極め、深遠で微細な真理を明確に理解し、これが道理であるか否かを明らかに判断する。

第二の力:仏は、過去・現在・未来における全ての衆生の行いと、それによって受ける報いの因果を完全に知る。

第三の力:仏は、天・人・その他あらゆる衆生の、一つひとつの異なる思いを完全に識別する。

第四の力:仏は、無数の衆生の様々な言語と、悟りに至るための教えの言葉を完全に理解する。

第五の力:仏は、世の中の無数の種類の現象や、尽きることのない心のありようを完全に知る。

第六の力:仏は、禅定(心を集中する修行)や解脱(悟りに至る道)の境地を自在に示し、全ての煩悩や争いを除き去ることができる。

第七の力:仏は、人を縛る欲望を完全に知り、その束縛からの解放を望む者に、それぞれにふさわしい行いを示す。

第八の力:仏の智慧は海のように深く広大で、善く説かれた教えは無量であり、全ての生きとし生けるものの過去世における全ての出来事を記憶し、知り尽くす。

第九の力:仏の天眼(清らかな眼)は、人が死に、神々などに生まれ変わる様子を全て見通し、善悪の行いに応じて幸福や災いの報いを受ける因果を明確に見極める。

第十の力:仏は、全ての煩悩を尽くし、束縛や執着が完全に無くなった。その神々しく真実の智慧によって、自ら悟りを実証し、見事に道を極め、なすべきことをなした。もはや生死の輪廻はなく、その智慧は明らかである。これを、仏の十の神力と呼ぶ。

「四無所畏者,佛神智正覺,無所不知,愚人或言:『佛未悉知。』至於梵摩眾聖,皆莫能論佛之智故,獨步不懼,一無畏也。佛漏盡悉止,愚惑相言:『佛漏未盡。』至梵摩眾聖,莫能論佛之志故,獨步不懼,二無畏也。佛說經戒,天下誦習,愚惑相言:『佛經可遏。』至梵摩眾聖,莫能論毀佛正經故,獨步不懼,三無畏也。佛現道義,言真而要,能度苦厄,愚惑相言:『不能度苦。』至梵摩眾聖,莫能論佛正道故,周行不懼,四無畏也。

四つの無畏(四無所畏)について。

第一に、仏陀は神聖なる智慧と正しい覚りによって、全てを知り尽くしておられる。しかし、愚かな人々は「仏陀は全てを知っているわけではない」と言うかもしれない。しかし、梵天や摩醯首羅天などの聖者たちでさえ、仏陀の智慧を論じることはできない。そのため仏陀は独り歩み、何も恐れない。これが第一の無畏である。

第二に、仏陀は全ての煩悩(漏)を完全に断ち尽くしておられる。愚かな人々は「仏陀の煩悩はまだ尽きていない」と言うかもしれない。しかし、梵天や摩醯首羅天などの聖者たちでさえ、仏陀の境地を論じることはできない。そのため仏陀は独り歩み、何も恐れない。これが第二の無畏である。

第三に、仏陀は経典と戒律を説かれ、それを世の人々が学び実践している。愚かな人々は「仏陀の経典は否定できる」と言うかもしれない。しかし、梵天や摩醯首羅天などの聖者たちでさえ、仏陀の正しい経典を論じて非難することはできない。そのため仏陀は独り歩み、何も恐れない。これが第三の無畏である。

第四に、仏陀は道の義を示し、その言葉は真実で要を得ており、苦しみや災いから人々を救うことができる。愚かな人々は「苦しみを救うことはできない」と言うかもしれない。しかし、梵天や摩醯首羅天などの聖者たちでさえ、仏陀の正しい道を論じることはできない。そのため仏陀は広く行き渡り、何も恐れない。これが第四の無畏である。

「佛得是意,一切知見,坐自念言:『是實微妙,難知難明,甚難得也,高而無上,廣不可極,淵而無下,深不可測,大苞天地,細入無間,養育眾生,如視赤子,承事諸佛,積德無量,累劫懃苦,不忘其功也,今悉得之。』善自頌曰:

仏はこの悟りを得て、あらゆるものを見通し、自らこう思われた。「この法は実に微妙で、知ること難く、明らかにすること難く、得ることが極めて難しい。高くしてこの上なく、広くして限りがなく、深くして底知れず、測ることもできない。天地を包み込み、微細なものは無間に入り、生きとし生けるものを我が子のように慈しみ育てる。諸仏に仕え、無量の徳を積み、長い時間をかけて苦しみながらも、その功績を忘れることなく、今、すべてを成し遂げたのだ。」と。そして、自ら讃えて言った。

「『作福之報快, 眾願皆得成,
速疾入眾寂, 皆得至泥洹。
今覺佛極貴, 棄婬淨無漏,
一切能將導, 從者必歡豫。』

「善行を積む報いは楽しく、 すべての願いが叶う。 速やかに静けさに入り、 皆、悟りに至るのだ。

今、仏の尊さを知り、 欲望を捨てて清らかに、 すべてを導く方に従えば、 必ず喜びを得られる。」

「是時佛在摩竭提界善勝道場貝多樹下,德力降魔,覺慧神靜,三達無礙。度二賈客,提謂、波利,授三自歸,及與五戒,為清信士。

その時、仏はマガダ国の善勝道場、ベードゥ樹の下におられた。その功徳の力により、悪魔を降し、覚りの智慧によって心は静まり、三つの達智(宿命通・天眼通・漏尽通)は妨げなく現れていた。そこで、ティジャ(提謂)とバリ(波利)という二人の商人を教化し、三自帰(仏・法・僧への帰依)と五戒を授け、清信士(優婆塞)とされた。

「念昔錠光別我為佛:『汝後百劫,當得作佛,名釋迦文如來、至真、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師,號佛、世尊,度脫眾生,如我今也。』吾從是來,建立弘誓,奉行六度、四等、四恩、三十七品,善權隨時,一切諸法,積累不倦,高行殊異,忍苦無量,功報不遺,大願果成。」

昔、ダイバーランカラ(錠光如来)が私にこう告げました。「あなたは、この後百劫(長い時間)が過ぎた時、必ず仏となるでしょう。その名は、シャーキャムニ如来、真の悟りに達した者、正しい智慧を具えた者、智慧と行いを完成した者、善く逝った者、世間を理解した者、比べる者のない最上の者、道の教えを説く者、天人の師、仏・世尊と呼ばれるでしょう。そして、今の私のように、多くの人々を迷いから救い導くのです。」

私はこの言葉を受けて以来、大きな誓いを立て、六波羅蜜(六度)、慈・悲・喜・捨(四等)、布施・愛語・利行・同事(四恩)、三十七の悟りへの道を実践し、様々な状況に応じて巧みな方法を用い、すべての教えを怠ることなく積み重ねてきました。その高い行いは類い稀で、耐え難い苦しみも無量に受け入れ、その功徳は決して無駄になることはなく、ついに大きな願いが成就して仏の果報を得たのです。

佛說經已,一切眾會,皆大歡喜,為佛作禮而去。

お釈迦さまがこのお経を説き終えると、会場に集まったすべての人々は皆、大きな喜びに包まれました。そして、お釈迦さまに敬虔な礼拝を捧げてから、それぞれの場所へと帰っていきました。

修行本起經卷下

修行本起経 巻下


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