出三藏記集卷第一
『出三蔵記集』巻第一
釋僧祐撰
僧祐 撰
出三藏記集序
『出三藏記集』序
夫真諦玄凝法性虛寂。而開物導俗非言莫津。是以不二默詶。會於義空之門。一音振辯。應乎群有之境。自我師能仁之出世也。鹿苑唱其初言。金河究其後說。契經以誘小學。方典以勸大心。妙輪區別十二惟部法聚總要八萬其門。至善逝晦跡。而應真結藏。始則四鋡集經。中則五部分戒。大寶斯在含識資焉。然道由人弘。法待緣顯。有道無人。雖文存而莫悟。有法無緣。雖並世而弗聞。聞法資乎時來。悟道藉於機至。機至然後理感。時來然後化通矣。昔周代覺興而靈津致隔。漢世像教而妙典方流。法待緣顯信有徵矣。至漢末安高宣譯轉明。魏初康會注述漸暢。道由人弘於茲驗矣。自晉氏中興三藏彌廣。外域勝賓稠疊以總。至中原慧士煒曄而秀生。提什舉其宏綱。安遠振其奧領。渭濱務逍遙之集。廬岳結般若之臺。像法得人於斯為盛。原夫經出西域。運流東方。提挈萬里翻傳胡漢。國音各殊。故文有同異。前後重來。故題有新舊。而後之學者鮮克研覈。遂乃書寫繼踵而不知經出之歲。誦說比肩而莫測傳法之人。授之受道亦已闕矣。夫一時聖集。猶五事證經。況千載交譯。寧可昧其人世哉。昔安法師以鴻才淵鑒。爰撰經錄。訂正聞見炳然區分。自茲以來妙典間出。皆是大乘寶海時競講習。而年代人名。莫有銓貫。歲月逾邁。本源將沒。後生疑惑奚所取明。祐以庸淺豫憑法門。翹仰玄風。誓弘大化。每至昏曉諷持秋夏講說。未甞不心馳菴園影躍靈鷲。於是牽課羸志㳂波討源。綴其所聞。名曰出三藏記集。一撰緣記。二銓名錄。三總經序。四述列傳。緣記撰則原始之本克昭。名錄銓則年代之目不墜。經序總則勝集之時足徵。列傳述則伊人之風可見。並鑽析內經研鏡外籍。參以前識。驗以舊聞。若人代有據則表為司南。聲傳未詳則文歸蓋闕。秉牘凝翰志存信史。三復九思事取實錄。有證者既標。則無源者自顯。庶行潦無雜於醇乳。燕石不亂於楚玉。但井識管窺多慚博練。如有未備請寄明哲。
真実の真理は深く静かであり、法の本質は空寂である。しかし、人々を目覚めさせ世俗を導くには、言葉を借りなければならない。ゆえに、不二の教えは黙して答えるが、それは義空の門において会得される。一音の説法は響き渡り、あらゆる存在の境地に応じる。我が師、能仁(釈迦牟尼)がこの世に現れてから、鹿野苑で最初の教えを説き、金河で最後の説法を究められた。契経は小乗の学びを導き、方典は大乗の心を勧める。妙なる法輪は十二の部に分類され、法の集まりは八万の門を総括する。そして、善逝(如来)がその姿を隠されると、応真(阿羅漢)たちが経典を結集した。初めに四阿含が集められ、次に五部の戒律が分かたれた。この大宝はここにあり、生きとし生けるものの資糧となった。
しかし、道は人によって広められ、法は縁によって顕れる。道はあっても人がいなければ、文は残っても悟る者はいない。法はあっても縁がなければ、同じ時代に生きながら聞くことができない。法を聞くには時節の到来を待ち、道を悟るには機縁の至るのを待つ。機縁が至って初めて真理は感じられ、時節が来て初めて教化は通じるのである。昔、周の時代に仏教は興ったが、霊なる教えは隔てられていた。漢の時代に像教(仏像による教え)が伝わり、妙なる経典が流れるようになった。法が縁によって顕れることは、確かにその証拠がある。漢末には安清(安世高)が宣揚し翻訳が明らかになり、魏の初めには康僧会が注釈して次第に説き明かした。道が人によって広められることは、ここで確かめられた。
晋の時代の中興以来、三蔵(経・律・論)はますます広がり、西域からの優れた僧侶が相次いで訪れた。中原の賢者たちは輝かしく秀でて現れ、鳩摩羅什と浮陀跋摩がその大綱を掲げ、道安と慧遠がその奥義を振るった。渭水の畔では逍遥の集いが開かれ、廬山には般若の台が築かれた。像法の時代に人を得たことは、この時が最も盛んであった。
そもそも経典は西域に生まれ、東の方へと流れ伝わった。万里を運ばれ、胡語・漢語と翻訳された。国の言葉はそれぞれ異なるため、文には同じでないところがある。前後に重ねて伝来したため、題には新しいものと古いものがある。後世の学ぶ者たちは、よく研究することが少なく、そのために次々と書き写しながらも、経典が出た年を知らず、並んで誦説しながらも、伝法の人を知らない。教えを受け伝える道は、すでに欠けてしまっているのである。
かつて、聖者が一時に集まった時でさえ、五つの事によって経典を証明した。ましてや、千年の後に行われた翻訳において、その人物や時代を曖昧にしてよいはずがない。
昔、道安法師はその優れた才能と深い見識をもって、経録を撰し、見聞を訂正し、明らかに区分した。それ以来、妙典が次々と現れ、いずれも大乗の宝海であり、時々講習されてきた。しかし、時代や人名には整理がなく、年月が経つにつれて、本源は失われようとしている。後の世の者は疑惑を抱き、何を頼りに明らかにすればよいのか。
私は祐(僧祐)であり、浅学ながら法門に縁を授かり、玄妙な風を仰ぎ、大いなる教化を誓う。朝晩に読誦し、春秋に講説するたびに、心は常に林檎園に馳せ、霊鷲山に躍る。そこで、弱い心を奮い立たせ、流れに沿って源を尋ね、聞き得たものを綴り、『出三蔵記集』と名付けた。 一に縁記を撰し、二に名録を撰し、三に経序を総べ、四に列伝を述べる。縁記を撰せば、始まりの本源が明らかになる。名録を撰せば、年代の記録が失われない。経序を総べれば、すぐれた集いの時を確かめられる。列伝を述べれば、その人々の風儀が見える。
私は内典を深く探求し、外典を鏡として照らし、先人たちの知識を参照し、古い伝承を確かめた。もし人物や時代に拠るべきものがあれば、指南として示した。声の伝承が詳らかでなければ、文を疑問として残した。筆を執り、紙を凝らし、真実の記録を残すことを志した。三たび繰り返し、九たび思案し、事実を正しく記録した。証拠のあるものは明示し、根拠のないものは自ずと明らかになる。路の水溜りが純粋な乳に混じらず、燕の石が楚の玉と混同されないように願う。ただ、私の見識は井の中の蛙、管の中の光に過ぎず、広く練達していることを恥じる。もし不完全なところがあれば、明哲の方々に委ねたい。