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  1. 四分戒本約義 (四分戒本約義)
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四分戒本約義 (四分戒本約義)


No. 718-A四分戒本約義序
昔庚辰歲。予在杭之真寂。欲效顰圭峯。挈毗尼之要以示晚學。卒以病阻迨今春。自鼓山來寶善。謝絕參請。但弘唱毗尼而已。諸人以戒本請註作新戒方便。予曰此宿志也。故諾之。發筆於仲秋初旬。輟筆於孟冬末旬。凡三閱月。三脫稿而後成。其中若事若義。悉採之四分律藏。所有開遮亦悉本佛制。非敢妄以意裁也。嗚呼是書之成。乃在今日也耶。今當此乾坤鼎革之際。草昧未寧之秋。白刃凌空。橫尸遍野。居民逃奔山谷。旦夕莫必其命。而予乃力疾作此何哉。蓋以人知世運之變其苦為甚。而不知法運之變其苦為尤甚。世運之變苦在一時。法運之變苦在萬劫。一時之苦禍止殺身。萬劫之苦禍極三途。以此較彼。豈百千萬億能及其一哉。但人見已然。不能見未然故。於此則驚惶失措。於彼則怡然苟安也。予慨自天啟以來耆德凋喪。晚進日趨日下。如狂瀾之莫迴。且又妄逞空見弁髦戒律。不有防之後將安極。予所以孳孳亟亟勉成此書。未敢以世難阻也。但思行此書於今之世。正如鼓瑟於齊王之門。不鄙而嗤之則幸矣。況敢望其依而習之乎。雖然此亦告朔之羊也。或存或去。是在仁者。

昔、庚辰の年、私は杭州の真寂寺におりました。圭峯の例にならい、戒律の要旨を後学のために示そうとしましたが、病に阻まれ果たせませんでした。今春、鼓山から宝善寺に移り、参拝や問答を断ち、ただ戒律を広めることに専念しました。皆が戒本の注釈を請い、新たに戒を受ける者の手引きとしてほしいと言いました。私は「これはかねてからの志です」と答え、承諾しました。筆を執ったのは仲秋の初旬、筆を置いたのは孟冬の末旬、およそ三か月をかけ、三度推敲を重ねて完成させました。その内容、事柄も意義も、すべて『四分律』に基づき、許容と制限もすべて仏の定めに従い、決して私意で勝手に裁いたものではありません。ああ、この書が完成するのはまさに今日なのです。今、この天地が大きく変わる時代、世の中がまだ安定せず、刀剣が空を切り、死体が野に満ち、人々は山や谷に逃げ隠れ、明日の命さえ定かでないときに、なぜ私は病をおしてこれを著したのでしょうか。それは、人々が世の変転の苦しみは知っていても、法の変転の苦しみを知らないからです。世の変転の苦しみは一時的なもの、法の変転の苦しみは万劫に及ぶものです。一時の苦しみは身を殺すに止まりますが、万劫の苦しみは三悪道に堕ちるほどの禍いです。これを比べれば、百千万億分の一にも及ばないでしょう。しかし人は、目の前の事象には驚き慌てても、まだ見えぬ未来には平然と安穏としているものです。私は天啓の頃から、徳高い長老が次々と世を去り、後進が日に日に堕落し、狂瀾のごとく押し戻せぬ有様を嘆いてきました。さらに、空しい見解を振りかざし、戒律を軽んじる者がいます。これを防がねば、将来どうなることでしょう。だからこそ私は、世の難きにもかかわらず、せっせと急ぎ、この書を成し遂げたのです。ただ、この書を今の世に行うのは、まるで斉王の門前で琴を弾くようなもの、軽蔑され嘲笑されなければ幸いで、ましてやこれに従い学ぶことを望むなど、とてもできません。とはいえ、これもまた「告朔の羊」のようなものです。これを残すか捨てるかは、仁者のお考えにお任せします。

旹歲次丙戌冬一陽月朔旦嗣曹洞正宗沙門元賢題於劒津之寶善菴

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