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勝天王般若波羅蜜経 (勝天王般若波羅蜜經)


勝天王般若波羅蜜經卷第五

勝天王般若波羅蜜経 巻第五

陳優禪尼國王子月婆首那譯

陳優禅尼国、王子・月婆首那訳

無所得品第八

第八章 無所得の章

爾時,眾中有一菩薩摩訶薩,名須真胝,白勝天王言:「如來為大王授記乎?」

その時、会衆の中に須真胝という名の大菩薩がおられて、勝天王に申し上げました。「如来は大王に成仏の予言を授けられましたか?」

勝天王答善思惟菩薩言:「善男子!我授記如夢相。」

勝天王は善思惟菩薩に答えました。「善男子よ、私が授記を与えたことも、夢のようにはかないものなのです。」

又問:「大王!如此授記當得何法?」

また問う:「大王よ、このような授記を受けたならば、どのような法を得るのでしょうか?」

答曰:「善男子!佛授我記,竟無所得。」

答えました。「善き男子よ、仏は私に成仏の予言を授けられましたが、結局何も得るものはありませんでした。」

又問:「無所得者為是何法?」答曰:「不得眾生、壽者、人、養育,陰,界,入悉無所得。若善不善,若染若淨,若有漏若無漏,若世間若出世間,若有為若無為,若生死若涅槃,悉無所得。」又問:「若無所得,用受記為?」

また問う:「無所得とは、どのような法(真理)なのでしょうか?」答えて曰く:「衆生(生きとし生けるもの)も、寿者(寿命あるもの)も、人も、養育(育てられるもの)も得ず、五陰(五つの構成要素)、十八界、十二入(認識の領域)も、すべて得るところがないのです。善も不善も、汚れも清らかさも、煩悩のあるものもないものも、この世のものも、超世のものも、つくられたものも、つくられざるものも、生と死も、涅槃も、すべて得るところがないのです。」また問う:「もし得るものがないのなら、なぜ未来成仏の記し(受記)を受けるのでしょうか?」

答曰:「善男子!無所得故則得受記。」

答え:『善き人よ、何ものも得ることがないからこそ、悟りを開くという証しを受けることができるのです。』

又問:「若如大王所說義者,則有二智:一、無所得,二、得受記。」

さらに問う:「もし大王がおっしゃる通りの意味であれば、二つの智があることになります。一つは何も得ることがない智、もう一つは受記を得る智です。」

答曰:「若有二者則無授記。何以故?佛智無二。諸佛世尊以不二智受菩薩記。」

答えましょう。「もし二つのものがあれば、授記はありません。なぜなら、仏の智慧には二つのものがないからです。すべての仏・世尊は、二つのもののない智慧をもって菩薩に授記されるのです。」

又問:「若智不二,云何而有授記、得記?」答曰:「得記、授記,其際不二。」

また問う。「もし智慧が不二であるならば、どうして授記や得記ということがあるのか。」答えて曰く。「得記と授記、その際(きわ)は不二である。」

又問:「不二際者,云何有記?」

また問う:「不二の境地に、どうして善悪の区別があるのか?」

答曰:「通達不二際即是受記。」

答え:「不二の境地を悟ることが、すなわち受記(未来に仏となることの約束)を得ることなのです。」

又問:「大王住何際中而得授記?」

また問う:「大王は、どのような境涯に住して、授記を得たのでしょうか。」

答曰:「住我際得授記,住眾生際、壽命際、人際得授記。」

答え:「我という観念に留まるならば、悟りを得る予言を受けることになり、衆生という観念に留まるならば、寿命という観念に留まるならば、人という観念に留まるならば、悟りを得る予言を受けることになるのです。」

又問:「我際當於何求?」答曰:「當於如來解脫際求。」

また問う:「『我』という概念の究極的な在り処は、どこに求めるべきでしょうか?」答えて言う:「如来の解脱の究極的な在り処において求めるべきです。」

又問:「如來解脫際復於何求?」

また問う:「如来の解脱の境地は、いったいどこに求めるべきなのでしょうか?」

答曰:「當於無明有愛際求。」

答え:「無明があり、愛着があるところに、その縁を求めるべきです。」

又問:「無明有愛當於何求?」

また問う:「無明と愛は、どこにおいて求めるべきでしょうか?」

答曰:「當於畢竟不生際求。」

答え:まさに、究極には生じることもないという境地において求めるべきである。

又問:「畢竟不生際當於何求?」

また問う:「究竟の不生際は、どこにおいて求めるべきか。」

答曰:「當於無知際求。」

答え:「無知の境地において求めるべきである。」

又問:「無知者為無所知,云何於此際求?」

また問う。「無知の者は何も知らない。どうしてこの境地において求めるのか?」

答曰:「若有所知,求不可得,以無知故於此際求。」

答えましょう。「もし知ることがあれば、それを求めることもできません。知ることがないからこそ、この境地において求めるのです。」

又問:「此際無言,云何可求?」

また問う。「この時には言葉がない。どうやって求めることができるのか?」

答曰:「以言語斷,是故可求。」

答え:言葉による表現では捉えきれないからこそ、それは求められるのです。

又問:「云何言語斷?」答曰:「諸法依義不依語。」

また問う:「どのようにして言語を断つのか?」答えて曰く:「すべての法は意味に依りて言葉に依らない。」

又問:「云何依義?」答曰:「不見義相。」

また尋ねる:「どのようにして意味に依るのですか?」答えて言う:「意味の相を見ないことです。」

又問:「云何不見?」

また問う:「どのように見ないのですか?」

答曰:「不生分別:『義是可依,我為能依。』無此二事,故名通達。」

答え:分別を起こさないこと——「義は依るべきものであり、私はそれに依る者である」と考えることをしない。この二つの思いがないから、通達というのです。

又問:「若不見義,此何所求?」

また問う。「もし義(真理)を見ないのなら、これは何を求めるというのか?」

答曰:「不見不取,故名為求。」

答え:「見ることもなく、執着することもないから、これを求めるというのです。」

又問:「若法可求,即是有求。」

また問う:「もし法が求められるならば、それは求めることがあるということです。」

答曰:「不爾!夫求法者是無所求。何以故?若是可求則為非法。」

答え:そうではありません。法を求める者は、実は何も求めてはいないのです。なぜなら、もし求めることができるものなら、それは真の法ではないからです。

又問:「何者是法?」

また問う。「何が法であるのか。」

答曰:「法無文字亦離言語。」

答え:「この法には文字がなく、言葉や説明を離れているのです。」

又問:「離文言中,何者是法?」

また問う、「言葉や文字を離れた中で、何が法であるのか?」

答曰:「文言性離,心行處滅,是名為法。一切諸法皆不可說,其不可說亦不可說。善男子!若有所說,即是虛妄,中無實法。」

答え:言葉や文字の本質は離れており、心の働きが消え去ったところ、それを法と呼ぶ。すべての諸法は説くことができず、その「説くことができない」ということもまた説くことができない。善男子よ、もし何かを説くことがあれば、それはすべて虚妄であり、その中に実の法はない。

又問:「諸佛菩薩常有言說,皆虛妄乎?」

また問う:「諸仏や菩薩が常に説く言葉も、すべて虚妄なのでしょうか?」

答曰:「諸佛菩薩從始至終不說一字,云何虛妄?」

答えましょう。「諸仏菩薩は初めから終わりまで一字も説かないのに、どうして虚偽があろうか?」

又問:「若有所說,云何過咎?」

さらに問う:「もし何かを説くことがあるならば、どのようにして過ちとなるのか?」

答曰:「謂言語過。」

答え:言葉が過ぎることを言うのです。

又問:「言語何咎?」

また問う、「言葉に何の咎(とが)があろうか?」

答曰:「謂思量過。」

答え:「心が邪な思いをめぐらすことを、『過ち』と言うのです。」

又問:「何法無咎?」

さらに問う:「どのような法に咎めがないのか。」

答曰:「無說所說,不見二相,是則無咎。」

答えましょう:「説く者もなく、説かれるものもなく、二つの相(姿)を見ないこと、それがまさに咎(とが)がないということです。」

又問:「過何為本?」

また問う:「迷い過ちの根本は何か?」

答曰:「能執為本。」

答え:執着(しゅうちゃく)が根本(こんぽん)です。

又問:「執何為本?」

また問う:「何を執ることが根本であるか?」

答曰:「著心為本。」

答え:心の執着が根本である。

又問:「著何為本?」

また問う:「執着の根本は何ですか?」

答曰:「虛妄分別。」

答え:虚妄の分別です。

又問:「虛妄分別以何為本?」

また問う:「虚妄の分別は何を根本とするのか?」

答曰:「攀緣為本。」

答曰:「心が執着すること(攀緣)が根本です。」

又問:「何所攀緣?」

また問う:「何に攀緣するのか。」

答曰:「緣色、聲、香、味、觸、法。」

答え:色・声・香・味・触・法(の six つの対象)に執着するからです。

又問:「云何不緣?」

また問う:「どのように縁(よりどころ)としないのか?」

答曰:「若離愛、取則無所緣。以是義故,如來常說諸法平等。」

答え:愛や執着を離れれば、よりどころとなるものがありません。それゆえに、如来は常に「すべてのものは平等である」と説かれたのです。

說此法門時,眾中五千比丘得遠塵離垢法眼淨,一萬二千菩薩得無生法忍,無量無邊眾生發阿耨多羅三藐三菩提心。

この教えが説かれたとき、その中にいた五千人の比丘たちは、煩悩の塵を離れて清らかな法眼を得ました。また、一万二千人の菩薩たちは、生滅を超えた真理への忍耐を得ました。そして、数え切れないほどの生きとし生けるものが、悟りを開こうという願いを起こしたのでした。

爾時,勝天王即從座起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛頭面作禮,而白佛言:「世尊!善男子、善女人,聞是般若波羅蜜,云何未發阿耨多羅三藐三菩提心者即能發心,皆悉成就得不退轉,行常勝進而無墮落?」

その時、勝天王は座を離れて立ち上がり、右肩を露出し、右膝を地につけ、合掌して仏に向かい、頭を地につけて礼をし、仏に申し上げました。「世尊よ、善男子・善女人がこの般若波羅蜜を聞くとき、まだ阿耨多羅三藐三菩提の心を起こしていない者が、どうしてすぐにその心を起こし、皆が成就して退転しない境地を得、常に勝れた進みを行い、堕落することがないのでしょうか?」

佛告勝天王言:「大王!諦聽,善思念之,當為王說。善男子、善女人,聞般若波羅蜜,行得勝進,無有退墮。」勝天王言:「善哉,世尊!唯然願聞。」

仏は勝天王に告げられた。「大王よ、よく聞き、よく思いなさい。あなたのために説きましょう。善良な男子・善良な女子が、般若波羅蜜を聞いて修行すれば、すぐれた進みを得て、退くことも落ちることもありません。」

勝天王は申し上げた。「ありがとうございます、世尊よ。どうかお聞かせください。」

佛告勝天王言:「大王!若善男子、善女人,聞般若波羅蜜,以清淨意發阿耨多羅三藐三菩提心,具足正信、親近賢聖、樂聞正法,遠離嫉妬,無有慳悋,常修寂靜,好行布施,心無隔礙恒離穢濁,正信業果,心不疑惑知黑白報,設為身命,不應作者終不為之。大王!善男子、善女人,如是行般若波羅蜜,則遠離殺生、不與取、邪婬、妄語、兩舌、惡口、綺語、貪、瞋、邪見,心常繫念此十善法。

仏、勝天王に告げたまわく、「大王よ、もし善男子・善女人が般若波羅蜜を聞き、清らかな心をもって無上正等覚の心を起こし、正しい信を十分にそなえ、賢聖に親しみ近づき、正しい教えを聞くことを喜び、嫉妬を遠ざけ、貪り惜しみの心がなく、常に静けさを修め、布施を喜んで行い、心に隔てや障りがなく、常にけがれや濁りを離れ、因果の道理を正しく信じ、心に疑いを持つことなく、善悪の報いを知り、たとえ身命をかけるようなことがあっても、してはならぬことは決してしないのです。大王よ、善男子・善女人が、このように般若波羅蜜を行ずるならば、すなわち殺生・盗み・邪婬・うそ・両舌・悪口・綺語・貪り・怒り・邪見を遠ざけ、心は常にこの十善の教えを念じ保ちます。」

「大王!善男子、善女人行般若波羅蜜,以方便力,若見沙門、婆羅門,正行精進戒品清潔,多聞解義常起正念,心性調伏寂靜不散,口恒愛語遠離諸惡不善之法,修習眾善,不自矜高於他不下,不作惡口及無義語,不捨念處其心調直,能斷有流,善拔毒箭,捨離重擔,超出有難已度後有。大王!善男子、善女人行般若波羅蜜,若見如是菩薩摩訶薩,則應親近依止是人為善知識。菩薩摩訶薩以方便力而為說法:『善男子!施得大富,持戒生天,聽法大智。』又復告言:『此是布施,此是施報;此是嫉妬,是嫉妬報;此是忍辱,是忍辱報;此是精進,是精進報;此是禪定,是禪定報;此是般若,是般若報;此是愚癡,是愚癡報;是身善業,身善業報;是身惡業,身惡業報;是口善業,口善業報,是口惡業,口惡業報;是意善業,意善業報;是意惡業,意惡業報。諸善男子、善女人,此法應作,此不應作,若如是修致長夜樂,不如是作得長夜苦。』

大王よ、善男子・善女人が般若波羅蜜を修行するとき、方便の力をもって、もし沙門や婆羅門を見たら——彼らが正しく行いに励み、戒律を清らかに保ち、多くの教えを聞いてその意味を理解し、常に正しい念を起こし、心が調えられ静かで散乱せず、言葉はいつも愛しみに満ち、あらゆる悪や不善の法から遠く離れ、多くの善を修行し、自分を誇らず他人を見下さず、悪口や無意味な言葉を発せず、念処を捨てず、心は調えられてまっすぐで、迷いの流れを断ち切り、毒の矢を巧みに抜き取り、重い荷物を捨て去り、存在の苦しみを超え、後の生存を超えているならば——大王よ、善男子・善女人が般若波羅蜜を修行するとき、このような菩薩摩訶薩を見たら、その人に親しく近づき、依止して善知識とするべきである。

菩薩摩訶薩は方便の力をもって彼らのために説法する:「善男子よ、施しを行えば大いなる富を得、戒律を守れば天に生まれ、法を聞けば大いなる智慧を得るであろう。」さらにまた告げる:「これが布施であり、これが布施の報いである。これが嫉妬であり、これが嫉妬の報いである。これが忍辱であり、これが忍辱の報いである。これが精進であり、これが精進の報いである。これが禅定であり、これが禅定の報いである。これが般若であり、これが般若の報いである。これが愚痴であり、これが愚痴の報いである。これは身の善業であり、身の善業の報いである。これは身の悪業であり、身の悪業の報いである。これは口の善業であり、口の善業の報いである。これは口の悪業であり、口の悪業の報いである。これは意の善業であり、意の善業の報いである。これは意の悪業であり、意の悪業の報いである。

善男子・善女人よ、これらの法は行うべきであり、これらは行うべきではない。もしこのように修めれば長い夜の楽しみを得、このように行わなければ長い夜の苦しみを得るであろう。」

「大王!善男子、善女人,以方便力親近善知識,得聞如是次第說法。菩薩摩訶薩若知彼人是法器者,則應為說甚深般若波羅蜜,所謂空、無相、無願、無作,無生無滅,無我、無眾生、無命、無人,而說甚深因緣法——因此法彼法生,此法滅彼法滅——所謂無明緣行、行緣識、識緣名色、名色緣六入、六入緣觸、觸緣受、受緣愛、愛緣取、取緣有、有緣生、生緣老死憂悲苦惱;無明滅則行滅、行滅則識滅、識滅則名色滅、名色滅則六入滅、六入滅則觸滅、觸滅則受滅、受滅則愛滅、愛滅則取滅、取滅則有滅、有滅則生滅、生滅則老死憂悲苦惱滅。

「大王よ、善男子・善女人が、巧みな力によって善知識に親しみ近づくことで、このように順を追って説かれる法を聞くことができます。菩薩摩訶薩が、その人が教えを受けるにふさわしい器であると知ったならば、その人のために甚深の般若波羅蜜を説くべきです。すなわち、空・無相・無願・無作、生もなく滅もなく、我・衆生・命・人がないということ、そして甚深の因縁の法を説くのです。すなわち、この法があるからあの法が生じ、この法が滅するからあの法が滅する、という道理です。具体的には、無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、識を縁として名色が生じ、名色を縁として六入が生じ、六入を縁として触が生じ、触を縁として受が生じ、受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老死・憂悲苦悩が生じます。また、無明が滅すれば行が滅し、行が滅すれば識が滅し、識が滅すれば名色が滅し、名色が滅すれば六入が滅し、六入が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、受が滅すれば愛が滅し、愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老死・憂悲苦悩も滅するのです。」

「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,以方便力作如是說,於真實中無有一法可生可滅。何以故?世間諸法皆因緣生,無我、作者,因緣和合,無一實法受生滅者;虛妄分別,於三界中但有假名,隨業煩惱而受果報。若以般若波羅蜜如實觀察一切諸法,無生無滅,無作、受者,若法無作是亦無行,則於諸法心無所著,謂不著色、受、想、行、識,不著眼色識,不著意法識。大王!菩薩摩訶薩作如是說,一切諸法自性空離,不取不著。善男子、善女人,因如是說則無退失。

大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、巧みな方便の力によってこのように説きます。真実の中には、生じることも滅することもない一つの法もありません。なぜなら、世間のあらゆる法は因縁によって生じるものであり、我もなく、作り手もありません。因と縁が和合しても、実際に生まれ滅びる実体のある法は一つもないからです。虚妄な分別によって、三界の中には仮の名前があるだけで、業や煩悩に従って果報を受けているにすぎません。もし般若波羅蜜によって一切の法を如実に観察するならば、生じることも滅することもなく、作る者も受け取る者もないとわかります。もし作る者のない法があるならば、それには行じることもありません。そうであれば、すべての法に対して心が執着することはありません。すなわち、色・受・想・行・識に執着せず、眼と色と眼識に執着せず、意と法と意識に執着しません。大王よ、菩薩摩訶薩はこのように説いて、一切の法は自性が空であり、離れているものであり、取ることも執着することもないと示します。善男子・善女人は、このような説き方を聞けば、退失することがありません。

「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,樂見諸佛,樂聞正法,不墮卑賤,在所生處不離見佛,聽受正法,供養眾僧,面見諸佛,勇猛精進志求正法,不著有為,妻子、僕隷、生生所資,悉不貪著不染諸欲。常依正教憶念諸佛,離俗出家如聞修行,轉為他說心無求望,見聽法眾常生大慈,一切眾生而起大悲,多聞廣學不惜身命,少欲知足常樂遠離,但採義理不滯言辭,說法修行不為自身,唯化眾生得無上樂——所謂佛智。

「大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、諸仏にまみえることを喜び、正しい教えを聞くことを喜び、卑しい境遇に堕ちることはありません。生まれるところどこでも仏に出会わないことはなく、正しい教えを聴聞し、僧団に供養し、目の当たりに諸仏にお会いし、勇猛に精進して正法を求め求めます。有為のものに執着せず、妻子や召使い、生計のための資財にも一切執着せず、諸々の欲に染まることもありません。常に正しい教えに依って諸仏を念じ、世俗を離れて出家し、聞いたとおりに修行し、さらに他の人のために説いても、見返りを求める心はありません。説法を聴く人々を見ては常に大いなる慈しみを生じ、一切衆生に対して大いなる悲しみを起こします。多くのことを聞き広く学び、身命を惜しむことはなく、少欲知足で、常に遠離を楽しみます。ただ義理を取って言葉に執着せず、説法し修行しても自分のためではなく、ただ衆生を教化して最高の楽しみ——すなわち仏の知恵——を得させようとします。」

「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,如是修行,遠離放逸攝護諸根,若眼見色不著色相,如實觀察此色過患,耳聲、鼻香、舌味、身觸、意法亦爾。若縱諸根名為放逸,若能攝護名不放逸。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,調伏自心、將護他意,名不放逸;遠離貪欲,心順善法,覺觀瞋癡不善根本,身惡口惡及以邪念,一切不善皆悉遠離名不放逸。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,心常正念,名不放逸。

「大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、このように修行し、放逸(だらしなさ)から遠く離れて、諸々の感覚器官をしっかりと守ります。もし目で色を見ても、その色の形に執着せず、ありのままにこの色の過ちや害を観察します。耳で音を聞くとき、鼻で香りをかぐとき、舌で味を味わうとき、体で触れるとき、心で法(考える対象)を思うときも、同じようにします。もし諸々の感覚器官を勝手に働かせるならば、これを放逸といいます。もししっかりと守り保つならば、これを不放逸といいます。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、自分の心を調え、他人の気持ちを思いやることを、不放逸といいます。また、貪りの欲から遠く離れ、心を善い教えに従わせ、怒りや愚かさといった不善の根本、身体による悪い行い、言葉による悪い行い、そして邪な思いまで、すべての不善なものから遠く離れることを、不放逸といいます。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、心が常に正しい念(おもい)を保つことを、不放逸といいます。」

「大王。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,一切諸法信為其首,正信之人不生惡趣,心不行惡,聖人所讚。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,如法修行,在在生處常得值佛,遠離二乘安住正道,得大自在成就大事——如來正智。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,欲求安樂,當勤隨順薩婆若路。

「大王よ。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜(智慧の完成)を修行するとき、すべての諸法において信(信仰)がその根本となります。正しい信仰を持つ人は悪い境遇に生まれることがなく、心が悪を行わず、聖人から称賛されます。大王よ。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行し、法のとおりに修行するならば、生まれ変わるところで常に仏に出会い、二乗(小乗の声聞・縁覚)から遠く離れて正しい道に安住し、大きな自在を得て、大きな事業——如来の正しい智慧——を成就します。菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行し、安楽を求めるならば、精進して薩婆若(一切智)の道に従うべきです。」

「大王!今此大眾得聞深般若波羅蜜,已於過去無量百千萬劫,供養諸佛,修習善根,是故應當勤加精進,勿令退失。大王!若天若人,能制諸根不著五欲,遠離世間常修出世,三業清淨習助道法,名不放逸。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,正信具足心不放逸,勤修精進令得勝法,名不放逸。大王!菩薩摩訶薩欲具正信,心不放逸,精進正念,當學般若波羅蜜。因是念智,能速成就阿耨多羅三藐三菩提法。

「大王よ、今この大いなる衆は、深き般若波羅蜜を聞くことを得て、すでに過去の無量百千万劫の間に、諸仏に供養し、善根を修習してきました。それゆえ、さらに精進に励み、退失させてはなりません。

大王よ、天や人のうち、諸々の根を制して五欲に執着せず、世間を離れて常に出世の道を修め、三業を清らかにして助道法を習うならば、これを不放逸と名づけます。

大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、正しい信を具足し心が放逸でなく、勤めて精進して勝れた法を得ることを、不放逸と名づけます。

大王よ、菩薩摩訶薩が正しい信を具足し、心を放逸にせず、精進と正念を修めたいと望むならば、般若波羅蜜を学ぶべきです。この念と智によって、速やかに阿耨多羅三藐三菩提の法を成就することができるのです。」

「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,具足正信,心不放逸,勤修精進即得正念,用是念智知有知無。云何有無?若修正行得正解脫,是名為有;若修邪行得正解脫,是名為無。眼、耳、鼻、舌、身、意,世諦為有;真實中無。菩薩摩訶薩勤修精進能得菩提,是名為有;懶惰菩薩得菩提者,是名為無。若說五陰皆從虛妄顛倒而生,是名為有;若謂世法不從因緣自然生者,是名為無。色是無常、苦、敗壞法,是名為有;若言常樂、非敗壞法,是名為無。受、想、行、識亦復如是。無明緣行,是名為有;若離無明而行生者,是名為無。行緣識乃至生緣老死憂悲苦惱皆亦如是。施得大富,是名為有;施得貧窮,是名為無。清淨持戒得生善道,是名為有;若生惡趣,是名為無。乃至般若波羅蜜能得成聖,是名為有;修行般若波羅蜜作凡夫者,是名為無。若修多聞能得大智,是名為有;得愚癡者,是名為無。若修正念能得出離,是名為有;不得為無。若行邪念不得出離,是名為有;得者為無。無我、我所能得解脫,是名為有;有我、我所而得解脫,是名為無。若言虛空遍一切處,是名為有;五陰中我,是名為無。如實修智能得解脫,是名為有;若著邪智而得解脫,是名為無。若離我見、眾生見、壽者見、人見能得空智,是名為有,著我、眾生、壽者、人見能得空智,是名為無。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,如是知世有無,能修平等,了知諸法因緣而生,世諦故有不起常見,知因緣法本性自空不生斷見,於諸佛教如實通達。
「大王。諸佛如來略為菩薩說是四法:世間沙門、婆羅門及長壽天心皆著常,為破此執說行無常;有諸天、人多貪著樂,為破此計說一切苦;外道邪見著身中我,為破此執而說無我;又復為破增上慢人,是故而說涅槃寂靜。說無常者,令其志求究竟之法;為說苦者,令離願求;說無我者,為顯空門;說寂靜者,令達無相。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,如是修學,於諸善法終無退墮,速成阿耨多羅三藐三菩提。」

「大王、諸仏如来は、菩薩のために略してこの四つの法を示されました。世間の沙門や婆羅門、そして長寿天の者たちは、心がすべてを常住であると執着しています。この執着を破るために、無常を説かれました。また、多くの天や人は、楽に貪着しています。この考えを破るために、一切は苦であると説かれました。外道の邪見は、身の中に我があると執着します。この執着を破るために、無我を説かれました。さらに、増上慢の人々を破るために、涅槃は寂静であると説かれました。無常を説くのは、彼らに究竟の法を志し求めることをさせるためです。苦を説くのは、願い求める心を離れさせるためです。無我を説くのは、空の門を顕すためです。寂静を説くのは、無相に達せさせるためです。大王、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行じ、このように学ぶならば、すべての善法において決して退き堕ちることなく、速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就するのです。」

爾時勝天王白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修何等行擁護正法?」

その時、勝天王が仏に申し上げた。「世尊よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行する際、どのような行を修めて正法を護るのでしょうか?」

佛告勝天王言:「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,行不違言,敬重尊長隨順正法,心行調直諸根寂靜,遠離眾惡不善之法,修習善根,名護正法。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修身業慈悲、口業慈悲、意業慈悲,不求名利,持戒清白遠離諸見,名護正法。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,不隨愛行、不隨瞋行、不隨癡行、不隨畏行,名護正法。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修習慚愧,名護正法。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,說法修行悉如所聞,名護正法。大王!三世諸佛為護正法,是故擁護天王、人王,令法久住,說是陀羅尼:

佛が勝天王に告げられた:「大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、言葉と行いが一致し、目上の人を敬い重んじ、正しい法に従います。心は調和し直く、諸根は静かで、あらゆる悪しき不善の法から遠く離れ、善根を修め育てます。これを正しい法を守るといいます。大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、身の業・言葉の業・意の業に慈悲を実践し、名声や利益を求めず、戒律を清らかに守り、さまざまな偏った見解から離れます。これを正しい法を守るといいます。大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、愛欲の思いに従わず、怒りの思いに従わず、愚かさの思いに従わず、恐怖の思いに従いません。これを正しい法を守るといいます。大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、慚愧の心を育みます。これを正しい法を守るといいます。大王よ、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を修行するとき、説法する内容と実践が、すべて聞いたとおりに一致します。これを正しい法を守るといいます。大王よ、三世の諸仏は正しい法を守護するがゆえに、天界の王や人間の王を擁護し、法を長く末永く存続させます。そこで、こうした陀羅尼を説かれました:

「『多姪他阿吼羅(理我反,下悉同)吼羅婆(蒲我反,下悉同)底(都履反,下悉同)厚羅拏(弩假反,下悉同)莎臼茶(杜假反)柘柘柘柘柘 禰(寧履反,下悉同)富拏簉多(覩餓反,下悉同)叉多叉延多叉也莎摩(暮舸反,下悉同)奢摩禰柯羅甌樓甌樓婆底杞(枯履反)羅婆底金(季侵反)阿毘(彭履反)奢底禰莎羅禰𥝟闍𥝟𥝟摩底 阿婆柂禰婆柂跋多跋多羺莎履裒多羺悉蜜履底提婆多羺悉蜜履底』
「若龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽,一切眾生皆得安隱。大王!此大神呪,三世諸佛為護正法,擁護天王、人王,宜應誦持,怨賊惡難魔障正法皆悉消滅。諸佛如來為令正法久住世故,護天、人王,使其護法。」
說是般若波羅蜜神呪法門時,一切天宮、大地、諸山、大海皆悉震動,眾中八萬眾生發阿耨多羅三藐三菩提心。
爾時,勝天王以七寶網彌覆佛上,而白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修何等法,於阿耨多羅三藐三菩提心不移動?」
佛告勝天王言:「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修無礙大慈、無厭大悲,成辦大事。勤加精進學空三昧、修平等智,以方便力則能通達清淨大智,明了如實三世平等無有障礙,履三世佛所行之道。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修如是法於阿耨多羅三藐三菩提心不移動。」
勝天王白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩云何行般若波羅蜜,聞佛不思議事,不怖不畏、不驚不悔?」
佛告勝天王言:「大王!菩薩宜應具足般若、具足闍那,近善知識,樂聞深法,了知諸法皆悉如幻,悟世非常,心不住著猶如虛空,知一切法生必有滅。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜!修如是法,聞佛不思議事,不怖不畏、不驚不悔。」
勝天王白佛言:「世尊!云何菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,於一切處而得自在?」佛告勝天王言:「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,修五神通,具足無礙諸解脫門、四禪、四無量心、方便般若波羅蜜,於一切處而得自在。」
勝天王白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,得何等門?」
佛告勝天王言:「大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,得闍那門,能入眾生諸根利鈍;得般若門,分別句義;得陀羅尼門,總知一切語言音聲;得無礙門,說法不盡。大王!是名菩薩摩訶薩行般若波羅蜜得是諸門。」
勝天王白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,得何等力?」
佛告勝天王言:「大王!得寂靜力,成就大悲故;得精進力,成就阿鞞跋致故;得多聞力,成就大智故;得信樂力,成就解脫故;得修行力,成就出離故;得忍辱力,愛護眾生故;得菩提心力,斷除我見故;得大悲力,教化眾生故;得無生忍力,成就十力故。大王!菩薩摩訶薩行般若波羅蜜,成就如是等力。」
說是法門時,眾中五百菩薩得無生法忍,八千天子得阿鞞跋致,一萬二千天子得遠塵離垢法眼淨,四萬人天發阿耨多羅三藐三菩提心。

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