十住毘婆沙論卷第五
十住毘婆沙論 巻第五
聖者龍樹造
聖者龍樹造
後秦龜茲國三藏鳩摩羅什譯
後秦・亀茲国三蔵法師鳩摩羅什訳
易行品第九
第九 易行品
問曰:
お尋ねします。
是阿惟越致菩薩,初事如先說。
阿惟越致の菩薩については、その始めの修行について、すでに先に述べた通りです。
至阿惟越致地者,行諸難行,久乃可得,或墮聲聞、辟支佛地;若爾者是大衰患!
阿惟越致(不退転)の境地に至るには、さまざまな難しい修行を積み、長い年月をかけてようやく到達できるものです。しかし、途中で声聞や辟支仏の境地に堕ちてしまうこともあります。もしそうなれば、それは大きな災いなのです。
如《助道法》中說:
『助道法』の中で、このように説かれています。
若墮聲聞地, 及辟支佛地,
是名菩薩死, 則失一切利。
若墮於地獄, 不生如是畏;
若墮二乘地, 則為大怖畏。
墮於地獄中, 畢竟得至佛,
若墮二乘地, 畢竟遮佛道。
佛自於經中, 解說如是事,
如人貪壽者, 斬首則大畏;
菩薩亦如是, 若於聲聞地,
及辟支佛地, 應生大怖畏。
たとえ声聞の境地に落ちても、 また独覚仏の境地に落ちても、 これを菩薩の死と名づけ、 一切の利を失うこととなる。
地獄に落ちることを、 そうした恐れを抱くことはない。 しかし二乗の境地に落ちることを、 大いなる恐れとせねばならない。
地獄に落ちた者でも、 いずれは必ず仏に至れるが、 二乗の境地に落ちれば、 仏道が永遠に遮られるからだ。
仏ご自身が経典の中で、 このような事を説いておられる。 たとえば寿命を惜しむ人が、 首を斬られるのを最も恐れるように、 菩薩もまたそれと同じく、 声聞の境地や 独覚仏の境地に対しては、 大いなる恐れを抱くべきである。
是故,若諸佛所說,有易行道疾得至阿惟越致地方便者,願為說之。
ゆえに、もし諸仏の説かれた教えの中に、安易な方法で速やかに不退転の位に至る方便があるならば、どうかそれを説いてください。
答曰:
お答えしますと、
如汝所說,是儜弱怯劣,無有大心,非是丈夫志幹之言也!
あなたの言うことは、弱々しくて臆病で、大きな心がない、決して立派な人の決意の言葉ではありません。
何以故?若人發願欲求阿耨多羅三藐三菩提,未得阿惟越致,於其中間應不惜身命,晝夜精進如救頭燃。
なぜか?もし人が心から願いを起こし、無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)を求めようとしても、まだ不退転(阿惟越致)の境地に達していないならば、その間は身や命を惜しんではならない。昼も夜も、まるで頭に火がついたのを消そうとするかのように、精進し続けねばならない。
如《助道》中說:
『助道』の中に、こう説かれています。
菩薩未得至, 阿惟越致地,
應常勤精進, 猶如救頭燃;
荷負於重擔, 為求菩提故,
常應勤精進, 不生懈怠心。
若求聲聞乘, 辟支佛乘者,
但為成己利, 常應勤精進;
何況於菩薩, 自度亦度彼,
於此二乘人, 億倍應精進。
菩薩がまだ仏の境地に達していないならば、 まるで頭に火がついたのを消すように、 常に努力を怠らず、精進すべきです。 悟りを求めるという重い荷を背負い、 菩提を求めるゆえに、 常に精進し、怠ける心を起こしてはなりません。 声聞乗や独覚乗を求める者たちも、 ただ自分の利益のためであっても、 常に精進すべきです。 ましてや菩薩は、自分も救い、他者も救うのですから、 この二乗の人々よりも、 億倍も精進しなければなりません。
行大乘者,佛如是說:「發願求佛道,重於舉三千大千世界。」汝言:「阿惟越致地,是法甚難,久乃可得,若有易行道,疾得至阿惟越致地」者,是乃怯弱下劣之言,非是大人志幹之說!
大乗を修行する者に対して、仏は次のように説かれました。「仏道を求める誓いを立てることは、三千大千世界を持ち上げるよりも重い。」あなたが言うところの「不退転の地は、この法が非常に難しく、長い時を経て初めて得られる。もし易行の道があれば、速やかに不退転の地に至ることができる」との考えは、実に臆病で浅はかな言葉であり、立派な人の志や気概にかなうものではありません。
汝若必欲聞此方便,今當說之。
もしあなたがどうしてもこの方法を聞きたいのなら、今からお話ししましょう。
佛法有無量門,如世間道,有難、有易;陸道步行則苦,水道乘船則樂。菩薩道亦如是:或有勤行精進,或有以信方便易行疾至阿惟越致者。
仏の教えには数多くの方法があります。それは、世の中の道にも難しい道と易しい道があるのと同じです——陸路を歩くのは苦しく、水路を船で進むのは楽です。菩薩の道もまた同じです。精進して励み修行する人もいれば、信の力による方便によって容易に実践し、速やかに不退転の境地に至る人もいるのです。
如偈說:
次のように偈で説かれています。
東方善德佛, 南栴檀德佛,
西無量明佛, 北方相德佛;
東南無憂德, 西南寶施佛,
西北華德佛, 東北三行佛;
下方明德佛, 上方廣眾德,
如是諸世尊, 今現在十方。
若人疾欲至, 不退轉地者,
應以恭敬心, 執持稱名號。
東方には善徳仏、 南方には栴檀徳仏、
西方には無量明仏、 北方には相徳仏がおられます。
東南には無憂徳仏、 西南には宝施仏、
西北には華徳仏、 東北には三行仏がおられます。
下方には明徳仏、 上方には広衆徳仏。
このように諸々の世尊は、 今まさに十方の世界に現れておられます。
もし人が速やかに、 退転することのない境地に至りたいと願うならば、
敬いの心をもって、 これらの名号を唱え保つべきです。
若菩薩欲於此身,得至阿惟越致地、成就阿耨多羅三藐三菩提者,應當念是十方諸佛,稱其名號。
もし菩薩が、この身において阿惟越致の地(不退転の境地)に達し、無上正等覚(阿耨多羅三藐三菩提)を成就しようと願うならば、十方の諸仏を心に念じ、その御名を称えなさい。
如《寶月童子所問經.阿惟越致品》中說:
『宝月童子所問経』の「不退転の品」には、こう説かれています。
佛告寶月:東方去此,過無量無邊不可思議恒河沙等佛土,有世界名無憂。其地平坦,七寶合成,紫磨金縷,交絡其界,寶樹羅列,以為莊嚴。無有地獄、畜生、餓鬼、阿修羅道,及諸難處。清淨無穢,無有沙礫、瓦石、山陵、垖阜、深坑、幽壑。天常雨華,以布其地。
仏は宝月に告げられた。「東方、この世界から数えきれないほど多くの仏の国土を過ぎたところに、『無憂』という名の世界がある。その地は平らで、七種の宝でできている。紫磨金(しばこん)の糸が縦横に交わり、宝樹が並び立って、見事に飾られている。そこには地獄・畜生・餓鬼・阿修羅の道や、様々な苦しみの場所はない。清らかで汚れがなく、砂利や石、山や丘、深い穴や谷もない。天からは常に花が降り注ぎ、地面を敷きつめている。」
時世有佛,號曰善德如來、應供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊。大菩薩眾恭敬圍繞,身相光色,如燃大金山,如大珍寶聚。為諸大眾,廣說正法。初、中、後善,有辭、有義,所說不雜。具足清淨,如實不失。何謂不失?不失地、水、火、風;不失欲界、色界、無色界;不失色、受、想、行、識。
その昔、ある世界に善徳如来と呼ばれる仏がおられました。その方は、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊という十の尊称を持つ完全な覚者でした。大いなる菩薩たちが敬いながら周りを取り囲み、その身体の姿は光り輝き、大きな金山が燃えているかのよう、あるいは巨大な宝物の山のように映えていました。そして、その集まりのために、広く正しい教えを説かれました。その教えは、初めも中も終わりも善く、言葉も意味も美しく、雑じりけがありません。清らかさを完全に備え、真実のままに欠けるところがありません。 「欠けるところがない」とは何を意味するのでしょうか。それは、地・水・火・風の四大元素を失わず、欲界・色界・無色界の三界を失わず、色・受・想・行・識の五蘊を失わないことです。
寶月!是佛成道已來,過六十億劫。又其佛國,晝夜無異,但以此間閻浮提日月歲數,說彼劫壽。其佛光明,常照世界。於一說法,令無量無邊千萬億阿僧祇眾生,住無生法忍,倍此人數得住初忍、第二、第三忍。
宝月よ、この仏が悟りを開かれてから、すでに六十億劫が過ぎた。またその仏の国では、昼と夜の区別がない。ただこの閻浮提(人間世界)の年月の数え方で、彼の劫(長い時間)や寿命を説いているにすぎない。その仏の光明は、常に世界を照らしている。一度の説法で、無量無辺の千万億阿僧祇もの衆生を無生法忍(すべての現象が生じもせず滅しもせぬと悟る境地)に住まわせる。その倍の数の者が、初忍、第二忍、第三忍を得る。
寶月!其佛本願力故。若有他方眾生,於先佛所,種諸善根,是佛但以光明觸身,即得無生法忍。寶月!若善男子,善女人聞是佛名能信受者,即不退阿耨多羅三藐三菩提。
餘九佛事,皆亦如是。
そのほかの九つの仏事も、すべて同じように行うべきである。
今當解說「諸佛名號」及「國土名號」。
これより、「諸仏の名号」と「国土の名号」について、わかりやすく解説いたします。
善德者:其德淳善,但有安樂。非如諸天、龍神福德惑惱眾生。
善き徳を持つ者とは、その徳は純粋で善く、ただ安らぎと喜びのみがある。天や龍神の福徳が眾生を惑わし悩ますのとは異なるのである。
栴檀德者:南方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名歡喜,佛號栴檀德,今現在說法。譬如栴檀香而清涼,彼佛名稱遠聞,如香流布。滅除眾生三毒火熱,令得清涼。
栴檀徳という仏さまについてお話しします。この南方のはるか彼方、数えきれないほど多くの仏の国土を超えたところに、「歓喜」という名の世界があります。そこに栴檀徳という仏さまがおられ、今まさに説法をされています。
ちょうど栴檀の香りが清らかで涼しげであるように、この仏さまの名は遠くまで広く知れ渡り、その香りのようにすべての世界に行き渡ります。そして、生きとし生けるものの三毒(貪り・怒り・愚かさ)という燃え盛る苦しみの熱を取り除き、心に清らかな涼しさを与えてくださるのです。
無量明佛者:西方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名善,佛號無量明,今現在說法。其佛身光及智慧,明炤無量無邊。
無量明仏という方は、この西方に、数えきれないほど多くの川の砂のように無数の仏国土を超えたところに、「善」という世界があり、その仏の名を無量明といいます。今もなお説法をなさっています。その仏の身体の光と智慧は、限りなく広く輝き、計り知れません。
相德佛者:北方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名不可動,佛名相德,今現在說法。其佛福德高顯猶如幢相。
相徳仏という佛についてお話しします。北の方角、ここから数えきれないほど多くの恒河沙(ガンジス川の砂の数のように無数)の佛土を超えたところに、「不可動」という名の世界があります。そこに「相徳」という名の佛がおられ、今まさに説法されています。その佛の功徳と福徳は高く顕れ、まるで幢(はた)の相のように際立っておられます。
無憂德者:東南方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名月明,佛號無憂德,今現在說法。其佛神德令諸天人無有憂愁。
無憂徳菩薩についてお話しします。東方南の方角、ここから数えきれないほどの無数の仏の国々を越えたところに、「月明」という世界があります。そこには無憂徳という仏がおられ、今まさに教えを説いておられます。この仏の素晴らしい力によって、天の人々も人間も、みな憂いや悲しみを持つことがありません。
寶施佛者:西南方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名眾相,佛號寶施,今現在說法。其佛以諸無漏根、力、覺、道等寶,常施眾生。
宝施仏(ほうせぶつ)という方は、南西の方角に、この世界から数えきれないほどの無限の仏の国土を隔てたところに、衆相という世界があります。そこに宝施仏がおられ、今まさに説法なさっています。その仏は、煩悩のない清らかな能力や力、悟りへの道などの宝を、常に人々に施し与えられています。
華德佛者:西北方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名眾音,佛號華德,今現在說法。其佛色身猶如妙華,其德無量。
華徳仏という方は、西北の方角、ここから数え切れないほどの数多くの仏の国々を越えた先に、衆音という世界があり、そこに華徳仏がまさに説法しておられます。その仏のお姿は美しい花のように輝き、その徳は限りなく広大なものです。
三乘行佛者:東北方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名安隱,佛號三乘行,今現在說法。其佛常說:聲聞行、辟支佛行、諸菩薩行。有人言:說上、中、下精進故,號為三乘行。
三乗を行ずる仏について:東北の方角へ、この世界から数えきれないほどのガンジス川の砂の数ほどの仏国土を超えたところに、「安隱」という世界があり、そこに「三乗行」という名の仏がおられます。その仏は今まさに説法されています。その仏は常に、声聞の行、辟支仏の行、諸菩薩の行を説かれます。ある人は言います、「上・中・下の精進を説かれるから、三乗行と名付けられたのだ」と。
明德佛者:下方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名廣大,佛號明德,今現在說法。明,名身明、智慧明、寶樹光明,是三種明,常照世間。
明徳仏についてお話しします。この仏のいらっしゃる世界は、この場所から下の方に、数えきれないほどの恒河沙の数の仏国土を隔てたところにあります。その世界の名は「広大」といい、仏の名は「明徳」といいます。この明徳仏は、今まさに教えを説いておられます。
「明」とは、身体の明るさ、智慧の明るさ、宝樹の光の明るさを意味します。この三つの明るさが、常に世の中を照らしているのです。
廣眾德者:上方去此無量無邊恒河沙等佛土,有世界名眾月,佛號廣眾德,今現在說法。其佛弟子福德廣大故,號廣眾德。
広く衆徳を持つ者とは、上方にこの世界から無量無辺の恒河沙の数の仏国土を隔てたところに、衆月という世界がある。その仏の名を広衆徳といい、今まさに説法しておられる。その仏の弟子たちの福徳が広大であるがゆえに、広衆徳という名が付けられている。
今是十方佛,善德為初,廣眾德為後。若人一心稱其名號,即得不退於阿耨多羅三藐三菩提。
今、ここに十方の仏がおられる。善い徳を初めとし、広く多くの徳を後とす。もし人が一心にその名を唱えるならば、即座に阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)の退転しない境地を得るであろう。
如偈說:
次のように偈で説かれています。
若有人得聞, 說是諸佛名,
即得無量德, 如為寶月說。
我禮是諸佛, 今現在十方,
其有稱名者, 即得不退轉。
東方無憂界, 其佛號善德,
色相如金山, 名聞無邊際;
若人聞名者, 即得不退轉,
我今合掌禮, 願悉除憂惱。
南方歡喜界, 佛號栴檀德,
面淨如滿月, 光明無有量。
能滅諸眾生, 三毒之熱惱,
聞名得不退, 是故稽首禮。
西方善世界, 佛號無量明,
身光智慧明, 所照無邊際;
其有聞名者, 即得不退轉,
我今稽首禮, 願盡生死際。
北方無動界, 佛號為相德,
身具眾相好, 而以自莊嚴;
摧破魔怨眾, 善化諸人天,
聞名得不退, 是故稽首禮。
東南月明界, 有佛號無憂,
光明踰日月, 遇者滅煩惱;
常為眾說法, 除諸內外苦,
十方佛稱讚, 是故稽首禮。
西南眾相界, 佛號為寶施,
常以諸法寶, 廣施於一切;
諸天頭面禮, 寶冠在足下,
我今以五體, 歸命寶施尊。
西北眾音界, 佛號為華德,
世界眾寶樹, 演出妙法音;
常以七覺華, 莊嚴於眾生,
白毫相如月, 我今頭面禮。
東北安隱界, 諸寶所合成,
佛號三乘行, 無量相嚴身;
智慧光無量, 能破無明闇,
眾生無憂惱, 是故稽首禮。
上方眾月界, 眾寶所莊嚴,
大德聲聞眾, 菩薩無有量;
諸聖中師子, 號曰廣眾德,
諸魔所怖畏, 是故稽首禮。
下方廣世界, 佛號為明德,
身相妙超絕, 閻浮檀金山;
常以智慧日, 開諸善根華,
寶土甚廣大, 我遙稽首禮。
過去無數劫, 有佛號海德,
是諸現在佛, 皆從彼發願;
壽命無有量, 光明照無極,
國土甚清淨, 聞名定作佛。
今現在十方, 具足成十力,
是故稽首禮, 人天中最尊。
もしある人がこれらの諸仏の御名を聞くことができたなら、 その人は無量の功徳を得るであろう。 ちょうど宝月のために説かれたように。 私は今、十方にいますこれらの諸仏に礼拝します。 その御名を称える者があれば、 即座に退転しない境地を得るでしょう。
東方の憂いのない世界、その仏の名は善徳如来。 その姿は金山の如く輝き、名声は果てしなく広がる。 もし人がその名を聞けば、即座に退転しない境地を得る。 私は今、合掌して礼拝し、すべての憂いと悩みが除かれんことを願います。
南方の歓喜の世界、仏の名は栴檀徳如来。 その御顔は満月のように清らかで、光明は限りがありません。 すべての生きとし生けるものの三毒の熱き悩みを滅ぼし、 その名を聞けば退転しない境地を得る。ゆえに私は心から礼拝します。
西方の善き世界、仏の名は無量明如来。 その御身の光と智慧の明かりは、照らすところ限りがありません。 その名を聞く者があれば、即座に退転しない境地を得る。 私は今、心から礼拝し、生死の果てまで歩み抜かんことを願います。
北方の動くことのない世界、仏の名は相徳如来。 御身にあらゆる相好を備え、自らを荘厳しておられます。 魔の怨敵を打ち破り、人々や天の人々をよく導く。 その名を聞けば退転しない境地を得る。ゆえに私は心から礼拝します。
東南の月明かりの世界、仏の名は無憂如来。 その光明は日月を超え、遇う者あれば煩悩を滅ぼします。 常に衆生のために法を説き、内外の苦しみを取り除く。 十方の諸仏が称賛される。ゆえに私は心から礼拝します。
西南のあらゆる相を備えた世界、仏の名は宝施如来。 常に仏法の宝をもって、すべての者に広く施しを与えます。 諸天は頭を地につけて礼拝し、宝冠をその御足の下に置く。 私は今、五体投地して、宝施の尊に帰命いたします。
西北のあらゆる音声の世界、仏の名は華徳如来。 その世界の宝樹は、微妙な法の音を奏でています。 常に七覚支の花をもって、衆生を荘厳し、 白毫の相は月の如し。私は今、頭を地につけて礼拝します。
東北の安らかな世界、諸々の宝で成り立っています。 仏の名は三乗行如来、無量の相で御身を荘厳し、 智慧の光は限りなく、無明の闇を打ち破ります。 衆生に憂いなし。ゆえに私は心から礼拝します。
上方の衆月の世界、多くの宝で荘厳されています。 大いなる徳を備えた声聞の衆、菩薩も数えきれません。 聖者たちの中の獅子、その名は広衆徳如来。 諸々の魔が畏怖する方。ゆえに私は心から礼拝します。
下方の広大な世界、仏の名は明徳如来。 その御姿は見事に優れ、閻浮檀金の山よりも輝いています。 常に智慧の太陽をもって、善根の花を開かせ、 宝の国土は非常に広大です。私は遠くから心を込めて礼拝します。
過ぎ去りし無數の劫の昔、海徳如来という仏がおられました。 今現在のこれら諸仏は、皆この仏のもとで願を立てたのです。 その寿命は限りなく、光明は果てしなく照らし、 国土は非常に清らかで、その名を聞けば必ず仏となるでしょう。
今、十方にいますこれらの仏は、十の力を完全に備えておられます。 ゆえに私は心から礼拝します。人と天の中の最も尊い方々に。
問曰:
お尋ねします。
但聞是十佛名號,執持在心,便得不退阿耨多羅三藐三菩提?為更有餘佛、餘菩薩名得至阿惟越致耶?
ただ、この十の仏の名号を聞いて心に保ち続けるだけで、退かない阿耨多羅三藐三菩提を得られるのでしょうか?あるいは、他にも阿惟越致に至る仏や菩薩の名があるのでしょうか?
答曰:
阿彌陀等佛, 及諸大菩薩,
稱名一心念, 亦得不退轉。
阿弥陀などの仏や、多くの大菩薩の名前を一心に唱えれば、仏道から退くことのない境地に至ることができる。
更有阿彌陀等諸佛,亦應恭敬、禮拜、稱其名號。今當具說:
また、阿弥陀仏をはじめとする多くの仏様たちも、敬い、礼拝し、その御名を称えるべきです。ここで詳しくお話しいたしましょう。
無量壽佛、世自在王佛、師子意佛、法意佛、梵相佛、世相佛、世妙佛、慈悲佛、世王佛、人王佛、月德佛、寶德佛、相德佛、大相佛、珠蓋佛、師子鬘佛、破無明佛、智華佛、多摩羅跋栴檀香佛、持大功德佛、雨七寶佛、超勇佛、離瞋恨佛、大莊嚴佛、無相佛、寶藏佛、德頂佛、多伽羅香佛、栴檀香佛、蓮華香佛、莊嚴道路佛、龍蓋佛、雨華佛、散華佛、華光明佛、日音聲佛、蔽日月佛、琉璃藏佛、梵音佛、淨明佛、金藏佛、須彌頂佛、山王佛、音聲自在佛、淨眼佛、月明佛、如須彌山佛、日月佛、得眾佛、華生佛、梵音說佛、世主佛、師子行佛、妙法意師子吼佛、珠寶蓋珊瑚色佛、破癡愛闇佛、水月佛、眾華佛、開智慧佛、持雜寶佛、菩提佛、華超出佛、真琉璃明佛、蔽日明佛、持大功德佛、得正慧佛、勇健佛、離諂曲佛、除惡根栽佛、大香佛、道映佛、水光佛、海雲慧遊佛、德頂華佛、華莊嚴佛、日音聲佛、月勝佛、琉璃佛、梵聲佛、光明佛、金藏佛、山頂佛、山王佛、音王佛、龍勝佛、無染佛、淨面佛、月面佛、如須彌佛、栴檀香佛、威勢佛、燃燈佛、難勝佛、寶德佛、喜音佛、光明佛、龍勝佛離垢明佛、師子佛、王王佛、力勝佛、華齒佛、無畏明佛、香頂佛、普賢佛、普華佛、寶相佛。
是諸佛世尊,現在十方清淨世界,皆稱名憶念。
諸仏世尊は、現在十方の清らかな世界において、皆その名を称えて念じられる。
阿彌陀佛本願如是:「若人念我——稱名、自歸,即入必定,得阿耨多羅三藐三菩提。」是故常應憶念。
阿弥陀仏の本願は次のとおりである。「もし人が私を念じ、名を称え、自ら帰依するならば、その人は必ず悟りの境地に入り、最高の完全なる悟りを得るであろう。」それゆえ、常に心に念じるべきである。
以偈稱讚:
偈(げ)をもって讃嘆(さんだん)いたします。
無量光明慧, 身如真金山,
我今身口意, 合掌稽首禮;
金色妙光明, 普流諸世界,
隨物增其色, 是故稽首禮。
若人命終時, 得生彼國者,
即具無量德, 是故我歸命。
人能念是佛, 無量力威德,
即時入必定, 是故我常念。
彼國人命終, 設應受諸苦,
不墮惡地獄, 是故歸命禮。
若人生彼國, 終不墮三趣,
及與阿修羅, 我今歸命禮。
人天身相同, 猶如金山頂,
諸勝所歸處, 是故頭面禮。
其有生彼國, 具天眼耳通,
十方普無礙, 稽首聖中尊;
其國諸眾生, 神變及心通,
亦具宿命智, 是故歸命禮。
生彼國土者, 無我無我所,
不生彼此心, 是故稽首禮。
超出三界獄, 目如蓮華葉,
聲聞眾無量, 是故稽首禮。
彼國諸眾生, 其性皆柔和,
自然行十善, 稽首眾聖王。
從善生淨明, 無量無邊數,
二足中第一, 是故我歸命。
若人願作佛, 心念阿彌陀,
應時為現身, 是故我歸命。
彼佛本願力, 十方諸菩薩,
來供養聽法, 是故我稽首。
彼土諸菩薩, 具足諸相好,
以自莊嚴身, 我今歸命禮。
彼諸大菩薩, 日日於三時,
供養十方佛, 是故稽首禮。
若人種善根, 疑則華不開,
信心清淨者, 華開則見佛。
十方現在佛, 以種種因緣,
歎彼佛功德, 我今歸命禮。
其土甚嚴飾, 殊彼諸天宮,
功德甚深厚, 是故禮佛足。
佛足千輻輪, 柔軟蓮華色,
見者皆歡喜, 頭面禮佛足;
眉間白毫光, 猶如清淨月,
增益面光色, 頭面禮佛足。
本求佛道時, 行諸奇妙事,
如諸經所說, 頭面稽首禮。
彼佛所言說, 破除諸罪根,
美言多所益, 我今稽首禮;
以此美言說, 救諸著樂病,
已度今猶度, 是故稽首禮。
人天中最尊, 諸天頭面禮,
七寶冠摩尼, 是故我歸命。
一切賢聖眾, 及諸人天眾,
咸皆共歸命, 是故我亦禮。
乘彼八道船, 能度難度海,
自度亦度彼, 我禮自在者。
諸佛無量劫, 讚揚其功德,
猶尚不能盡, 歸命清淨人;
我今亦如是, 稱讚無量德,
以是福因緣, 願佛常念我。
我於今先世, 福德若大小,
願我於佛所, 心常得清淨;
以此福因緣, 所獲上妙德,
願諸眾生類, 皆亦悉當得。
無量の光明の智慧を持つ御方、その御身は真金の山のようです。 私は今、身・口・意を一つにし、手を合わせて頭を地につけ礼拝いたします。
金色の妙なる光明は、あまねくすべての世界に流れ広がり、 それぞれのものに応じてその色を増し加えます。それゆえに、頭を下げて礼拝いたします。
もし人が命終わるときに、かの国に生まれることができれば、 すぐに無量の徳をそなえることになります。ですから私は帰依し礼拝いたします。
人がこの仏を念ずることができれば、その無量の力・威光・徳により、 たちどころに不退転の境地に入ります。ですから私は常に念じます。
かの国の人は命が終わっても、たとえさまざまな苦しみを受けるべきであっても、 悪い地獄に堕ちることはありません。ですから帰依し礼拝いたします。
もし人がかの国に生まれれば、決して三悪趣に堕ちることはなく、 阿修羅の道にも堕ちません。私は今、帰依し礼拝いたします。
人も天も同じような身をもち、ちょうど金山の頂きのようです。 すべてのすぐれた者が帰依するところです。ですから私は頭を地につけて礼拝いたします。
かの国に生まれた者は、天眼と天耳の神通をそなえ、 十方の世界を自在に見渡し聞き渡ります。聖者の中の尊い御方に礼拝いたします。
かの国のすべての衆生は、神通変化と他心通をもち、 また宿命智もそなえています。ですから帰依し礼拝いたします。
かの国に生まれた者は、我という執着もなく、我がものという執着もなく、 こちらとあちらの分別心も起こしません。ですから頭を下げて礼拝いたします。
三界という牢獄を超え出て、その眼は蓮の花びらのようです。 声聞の衆が無量に集まっています。ですから頭を下げて礼拝いたします。
かの国のすべての衆生は、その心がみな柔和であり、 自然に十の善行を実践します。すべての聖者の王である御方に礼拝いたします。
善から清らかな光明が生まれ、その数は無量無辺です。 二足の衆生の中で第一の御方。ですから私は帰依いたします。
もし人が仏になることを願い、心に阿弥陀仏を念ずれば、 その時に応じて御身を現してくださいます。ですから私は帰依いたします。
かの仏の本願の力により、十方のすべての菩薩たちが 来て供養し法を聴きます。ですから私は頭を下げて礼拝いたします。
かの国のすべての菩薩は、三十二相八十種好を完全にそなえ、 それによって自らの身を荘厳しています。私は今、帰依し礼拝いたします。
かのすぐれた大菩薩たちは、毎日三時において 十方の諸仏に供養します。ですから頭を下げて礼拝いたします。
もし人が善の根を植えても、疑いの心があれば蓮の花は開きません。 信心が清らかな人は、花が開いて仏にお会いすることができます。
十方にいます現在の諸仏は、さまざまな因縁によって かの仏の功徳をたたえています。私は今、帰依し礼拝いたします。
その国土はたいそう美しく飾られ、諸天の宮殿よりもすぐれています。 功徳は非常に厚く深いものです。ですから仏の御足に礼拝いたします。
仏の御足には千輻輪の相があり、柔らかで蓮の花の色をしています。 見る者はみな喜びを起こし、頭を地につけて仏の御足に礼拝いたします。
眉間の白毫の光明は、清らかな月のようです。 御顔の光と色をいっそう増し加えます。頭を地につけて仏の御足に礼拝いたします。
もともと仏道を求められたとき、さまざまな奇妙な行いをなさいました。 諸経典に説かれるとおりに、頭を地につけて礼拝いたします。
かの仏がお説きになる法は、すべての罪の根本を打ち破り、 美しい言葉は多くの利益をもたらします。私は今、頭を下げて礼拝いたします。
この美しい説法によって、楽しみに執着する病を救ってくださいます。 すでに救い、今も救い、そして未来も救ってくださいます。ですから頭を下げて礼拝いたします。
人天の中で最も尊い御方、諸天も頭を下げて礼拝し、 七宝の冠や摩尼宝を捧げます。ですから私は帰依いたします。
すべての賢聖の衆、およびすべての人や天の衆生は、 みなともに帰依しています。ですから私もまた礼拝いたします。
かの八正道の船に乗って、渡り難い生死の海を渡ることができます。 自らを渡し、また他者をも渡します。私は自在なる御方に礼拝いたします。
諸仏が無量の劫のあいだ、その功徳をほめたたえても、 まだなお尽くすことができません。清らかな御方に帰依いたします。
私も今、同じように無量の徳を称え讚え、 この福徳の因縁によって、どうか仏よ、常に私を念じてください。
私は今より先の世において、福徳の大小があるならば、 願わくは、仏のみもとで心が常に清らかでありますように。
この福徳の因縁によって得られるすぐれた功徳を、 願わくは、すべての衆生もみな同じく得ることができますように。
又亦應念:毘婆尸佛、尸棄佛、毘首婆伏佛、拘樓珊提佛、迦那迦牟尼佛、迦葉佛、釋迦牟尼佛,及未來世彌勒佛。皆應憶念、禮拜,以偈稱讚:
また、次の諸仏を心に念じるべきである。毘婆尸仏、尸棄仏、毘首婆伏仏、拘楼珊提仏、迦那迦牟尼仏、迦葉仏、釈迦牟尼仏、そして未来の弥勒仏。これらの仏を思い起こし、礼拝し、偈(うた)をもって称え讃えるべきである。
毘婆尸世尊, 無憂道樹下,
成就一切智, 微妙諸功德;
正觀於世間, 其心得解脫,
我今以五體, 歸命無上尊。
尸棄佛世尊, 在於邠他利,
道場樹下坐, 成就於菩提;
身色無有比, 如然紫金山,
我今自歸命, 三界無上尊。
毘首婆世尊, 坐娑羅樹下,
自然得通達, 一切妙智慧;
於諸人天中, 第一無有比,
是故我歸命, 一切最勝尊。
迦求村大佛, 得阿耨多羅
三藐三菩提, 尸利沙樹下;
成就大智慧, 永脫於生死,
我今歸命禮, 第一無比尊。
迦那含牟尼, 大聖無上尊,
優曇鉢樹下, 成就得佛道;
通達一切法, 無量無有邊,
是故我歸命, 第一無上尊。
迦葉佛世尊, 眼如雙蓮華,
弱拘樓陀樹, 於下成佛道;
三界無所畏, 行步如象王,
我今自歸命, 稽首無極尊。
釋迦牟尼佛, 阿輸陀樹下,
降伏魔怨敵, 成就無上道;
面貌如滿月, 清淨無瑕塵,
我今稽首禮, 勇猛第一尊。
當來彌勒佛, 那伽樹下坐,
成就廣大心, 自然得佛道;
功德甚堅牢, 莫能有勝者,
是故我自歸, 無比妙法王。
毘婆尸世尊は、憂いのない道場の樹の下で、 一切智を成就し、微妙なる諸々の功徳をそなえられた。 世間を正しく観察し、その心は解脱を得た。 私は今、五体を投げ出して、この無上の尊に帰命します。
尸棄仏世尊は、邠他利にいまして、 道場の樹の下に坐し、菩提を成就された。 その身の色は比べるものなく、紫金山の如く輝いている。 私は今、三界の無上の尊に自ら帰命します。
毘首婆世尊は、娑羅樹の下に坐して、 自然に一切の妙智慧を通達された。 諸々の人天の中において、第一にして比べるものがない。 それゆえに私は、一切の最勝の尊に帰命します。
迦求村大仏は、尸利沙樹の下で、 阿耨多羅三藐三菩提を得られた。 大智慧を成就し、永遠に生死を脱せられた。 私は今、第一にして比べるものない尊に帰命し礼拝します。
迦那含牟尼、大聖無上の尊は、 優曇鉢樹の下で、仏道を成就された。 一切の法を通達し、無量にして際限がない。 それゆえに私は、第一の無上の尊に帰命します。
迦葉仏世尊は、その眼は双蓮華の如く、 弱拘楼陀樹の下で仏道を成じられた。 三界において畏れるところなく、歩みは象王の如し。 私は今、自ら帰命し、限りなき尊に頭を下げます。
釈迦牟尼仏は、阿輸陀樹の下で、 魔の怨敵を降伏し、無上の道を成就された。 その面貌は満月の如く、清らかにして塵ひとつない。 私は今、勇猛第一の尊に頭を下げて礼拝します。
未来の弥勒仏は、那伽樹の下に坐して、 広大な心を成就し、自然に仏道を得られるであろう。 その功徳は堅牢にして、これに勝るものはない。 それゆえに私は、比べるものない妙法の王に自ら帰依します。
復有,德勝佛、普明佛、勝敵佛、王相佛、相王佛、無量功德明自在王佛、藥王無閡佛、寶遊行佛、寶華佛、安住佛、山王佛,亦應憶念恭敬禮拜,以偈稱讚:
また、徳勝仏、普明仏、勝敵仏、王相仏、相王仏、無量功徳明自在王仏、薬王無礙仏、宝遊行仏、宝華仏、安住仏、山王仏も、心に念じ、敬い、礼拝し、偈(うた)をもって称賛すべきである。
無勝世界中, 有佛號德勝,
我今稽首禮, 及法寶僧寶。
隨意喜世界, 有佛號普明,
我今自歸命, 及法寶僧寶。
普賢世界中, 有佛號勝敵,
我今歸命禮, 及法寶僧寶。
善淨集世界, 佛號王幢相,
我今稽首禮, 及法寶僧寶。
離垢集世界, 無量功德明,
自在於十方, 是故稽首禮。
不誑世界中, 無礙藥王佛,
我今頭面禮, 及法寶僧寶。
金集世界中, 佛號寶遊行,
我今頭面禮, 及法寶僧寶。
美音界寶花, 安立山王佛,
我今頭面禮, 及法寶僧寶。
今是諸如來, 住在東方界,
我以恭敬心, 稱揚歸命禮。
唯願諸如來, 深加以慈愍,
現身在我前, 皆令目得見。
無勝世界の中に、仏の名を徳勝と号す方がおられます。 我れ今、頭を下げて礼拝いたします。そして、法宝・僧宝にも帰依いたします。
随意喜世界には、仏の名を普明と号す方がおられます。 我れ今、自ら帰命し、法宝・僧宝にも帰依いたします。
普賢世界には、仏の名を勝敵と号す方がおられます。 我れ今、帰命して礼拝し、法宝・僧宝にも帰依いたします。
善浄集世界には、仏の名を王幢相と号す方がおられます。 我れ今、頭を下げて礼拝し、法宝・僧宝にも帰依いたします。
離垢集世界には、無量の功徳の光明を放つ方がおられ、 十方に自在にゆきわたっておられます。それゆえ、頭を下げて礼拝いたします。
不誑世界には、無碍薬王仏がおられます。 我れ今、額を地につけて礼拝し、法宝・僧宝にも帰依いたします。
金集世界には、仏の名を宝遊行と号す方がおられます。 我れ今、額を地につけて礼拝し、法宝・僧宝にも帰依いたします。
美音界には宝花安立山王仏がおられます。 我れ今、額を地につけて礼拝し、法宝・僧宝にも帰依いたします。
これらの如來方は、今、東の方角の世界に住しておられます。 我れは恭敬の心をもって、その名を称え、帰命し礼拝いたします。
どうか、これらの如來方が深い慈しみをもって、 我れの前に姿を現し、すべてを私の目で見ることができますように。
復次,過去、未來、現在諸佛,盡應總念、恭敬、禮拜,以偈稱讚:
さらに、過去・未来・現在のすべての仏陀を、心から念じ、敬い、礼拝し、次の偈(うた)で讃えましょう。
過去世諸佛, 降伏眾魔怨,
以大智慧力, 廣利於眾生;
彼時諸眾生, 盡心皆供養,
恭敬而稱揚, 是故頭面禮。
現在十方界, 不可計諸佛,
其數過恒沙, 無量無有邊;
慈愍諸眾生, 常轉妙法輪,
是故我恭敬, 歸命稽首禮。
未來世諸佛, 身色如金山,
光明無有量, 眾相自莊嚴;
出世度眾生, 當入於涅槃,
如是諸世尊, 我今頭面禮。
過去世のすべての仏陀は、 衆魔の怨みを降伏し、 大いなる智慧の力をもって、 広く衆生を利益されました。 その時の衆生たちは、 心を尽くして皆供養し、 敬い称えました。 それゆえに、私は頭を地につけて礼拝します。
現在の十方の世界には、 数えきれないほどの仏陀がおられます。 その数はガンジス川の砂よりも多く、 限りなく、果てしありません。 慈しみをもって衆生を哀れみ、 常に妙なる法の輪を転じられます。 それゆえに、私は敬い、 命を捧げて礼拝いたします。
未来世のすべての仏陀は、 その身の色は金山のようであり、 光明は量り知れず、 さまざまな相が自ずから荘厳されています。 世に現れて衆生を救い、 やがて涅槃に入られるでしょう。 そのようなすべての世尊に、 私は今、頭を地につけて礼拝いたします。
復應憶念諸大菩薩:
また、諸々の大菩薩たちを心に思い浮かべるべきです。
善意菩薩、善眼菩薩、聞月菩薩、尸毘王菩薩、一切勝菩薩、知大地菩薩、大藥菩薩、鳩舍菩薩、阿離念彌菩薩、頂生王菩薩、喜見菩薩、欝多羅菩薩、薩和檀菩薩、長壽王菩薩、羼提菩薩、韋藍菩薩、睒菩薩、月蓋菩薩、明首菩薩、法首菩薩、成利菩薩、彌勒菩薩。
復有:
また、次のようなことがあります。
金剛藏菩薩、金剛首菩薩、無垢藏菩薩、無垢稱菩薩、除疑菩薩、無垢德菩薩、網明菩薩、無量明菩薩、大明菩薩、無盡意菩薩、意王菩薩、無邊意菩薩、日音菩薩、月音菩薩、美音菩薩、美音聲菩薩、大音聲菩薩、堅精進菩薩、常堅菩薩、堅發菩薩、莊嚴王菩薩、常悲菩薩、常不輕菩薩、法上菩薩、法意菩薩、法喜菩薩、法首菩薩、法積菩薩、發精進菩薩、智慧菩薩、淨威德菩薩、那羅延菩薩、善思惟菩薩、法思惟菩薩、跋陀婆羅菩薩、法益菩薩、高德菩薩、師子遊行菩薩、喜根菩薩、上寶月菩薩、不虛德菩薩、龍德菩薩、文殊師利菩薩、妙音菩薩、雲音菩薩、勝意菩薩、照明菩薩、勇眾菩薩、勝眾菩薩、威儀菩薩、師子意菩薩、上意菩薩、益意菩薩、增意菩薩、寶明菩薩、慧頂菩薩、樂說頂菩薩、有德菩薩、觀世自在王菩薩、陀羅尼自在王菩薩、大自在王菩薩、無憂德菩薩、不虛見菩薩、離惡道菩薩、一切勇健菩薩、破闇菩薩、功德寶菩薩、花威德菩薩、金瓔珞明德菩薩、離諸陰蓋菩薩、心無閡菩薩、一切行淨菩薩、等見菩薩、不等見菩薩、三昧遊戲菩薩、法自在菩薩、法相菩薩、明莊嚴菩薩、大莊嚴菩薩、寶頂菩薩、寶印手菩薩、常舉手菩薩、常下手菩薩、常慘菩薩、常喜菩薩、喜王菩薩、得辯才音聲菩薩、虛空雷音菩薩、持寶炬菩薩、勇施菩薩、帝網菩薩、馬光菩薩、空無閡菩薩、寶勝菩薩、天王菩薩、破魔菩薩、電德菩薩、自在菩薩、頂相菩薩、出過菩薩、師子吼菩薩、雲蔭菩薩、能勝菩薩、山相幢王菩薩、香象菩薩、大香象菩薩、白香象菩薩、常精進菩薩、不休息菩薩、妙生菩薩、華莊嚴菩薩、觀世音菩薩、得大勢菩薩、水王菩薩、山王菩薩、帝網菩薩、寶施菩薩、破魔菩薩、莊嚴國土菩薩、金髻菩薩、珠髻菩薩。
如是等諸大菩薩,皆應憶念、恭敬、禮拜,求阿惟越致地。
このような多くの大菩薩たちは、皆、心に念じ、敬い、礼拝し、不退転の境地(阿惟越致地)を求めるべきである。