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集一切福徳三昧経 (集一切福德三昧經)

「集一切福德三昧經」について

姚秦 · 底本の訳者:鳩摩羅什

2.2 万字 · 約 75 分

一切の福徳を集める三昧経は、鳩摩羅什によって姚秦の弘始年間に訳出され、大乗仏教の重要な経典の一つである。この経は、菩薩が如何にして修行によって一切の福徳資糧を集積し、三昧を成就して無上菩提を証得するかを説く。経中では福慧双修・悲智双運を強調し、菩薩道の実践方法と究竟の境界を詳細に解き明かす。この経は漢伝仏教において深遠な影響を有し、大乗菩薩行の重要な理論的根拠と見なされ、特に修行と資糧の積集・障りの浄化において体系的な指導を提供する。


集一切福德三昧經卷上

集一切福徳三昧経 巻上

姚秦三藏鳩摩羅什譯

姚秦三蔵法師鳩摩羅什訳

如是我聞:

私が聞いたところでは、次のように語られました。

一時佛在毘舍離菴羅樹園大法講堂,與大比丘眾十千人俱——皆阿羅漢,諸漏已盡,無復煩惱;心得自在、心得好解脫、慧得好解脫,其心調柔如大龍王;所作已辦,捨離重擔,逮得己利,盡諸有結,到於彼岸——菩薩摩訶薩二萬人俱,皆不退轉,得陀羅尼及無礙辯,獲大神通,善能出生諸深三昧,念慧堅誓,智慧方便到於彼岸,其名曰:行志菩薩摩訶薩、師子志菩薩摩訶薩、妙色志菩薩摩訶薩、增去志菩薩摩訶薩、增長志菩薩摩訶薩、無量志菩薩摩訶薩、法志菩薩摩訶薩、彌勒菩薩摩訶薩、文殊師利童子菩薩摩訶薩、那羅延菩薩摩訶薩,如是上首二萬菩薩。復有四萬天子——皆向大乘——及餘無量釋梵護世。

ある時、釈尊はヴァイシャーリーのアーマラ林にある大法講堂に滞在されていました。そこには一万もの大比丘たちが集っていました。彼らは皆、阿羅漢であり、あらゆる煩悩が尽き、もはや苦しみはありません。心は自在で、心の完全な解脱と智慧の完全な解脱を得ており、その心は大竜王のように調えられ、柔和でした。成すべきことは成し遂げ、重い荷を下ろし、自らの利益を得て、存在の束縛をすべて断ち切り、彼岸に達していました。

また、二万の菩薩摩訶薩たちも集っていました。彼らは皆、退転することなく、陀羅尼と無礙の弁才を得て、大いなる神通力を具え、深い三昧を自在に起こすことができました。彼らは念と慧と堅固な誓いを持ち、智慧と方便をもって彼岸に達していました。その名は、行志菩薩摩訶薩、師子志菩薩摩訶薩、妙色志菩薩摩訶薩、増去志菩薩摩訶薩、増長志菩薩摩訶薩、無量志菩薩摩訶薩、法志菩薩摩訶薩、弥勒菩薩摩訶薩、文殊師利童子菩薩摩訶薩、那羅延菩薩摩訶薩。このように二万の菩薩たちが上首として集っていました。

さらに、大乗を志す四万の天子たち、そして数え切れないほどの帝釈天や梵天、護世の神々も集っていました。

爾時,世尊與無量百千萬億大眾恭敬圍遶,而為說法。

その時、世尊は無数の幾億もの大衆に敬われ、囲まれながら、彼らのために説法をされました。

爾時,世尊却後三月當捨身命,入般涅槃。當于是時,佛法勝妙,極為增盛,隱蔽一切諸外道等。

その時、世尊は三ヶ月後にこの身を捨て、般涅槃に入られることを悟られました。その折、仏法はこの上なく素晴らしく、大いに盛んとなり、すべての外道たちを圧倒しました。

爾時,千世界主那羅延菩薩從坐而起,整於衣服,右膝著地,合掌向佛白言:「世尊!如來不久當捨身命,畢竟涅槃。今如來法極為最上,能悉隱蔽一切外道無信敬者。

その時、千世界の主である那羅延菩薩が座を立ち、衣を整え、右膝を地につけ、合掌して仏に向かって申し上げた。「世尊よ、如来は間もなくこの身と命を捨て、やがて涅槃に入られます。今、如来の教えはこの上なく優れており、すべての外道や信心のない者たちを、ことごとく覆い隠す力を持っております。」

「善哉!世尊!惟願如來護諸菩薩,令得現生一切諸善,善根增上,其心歡悅,增益威德,不斷佛種,護持法眼及與僧眼;惟願如來攝救一切諸眾生等,分別演說向涅槃道。所說正法,若佛滅後,令諸菩薩流通不斷,及阿耨多羅三藐三菩提久住於世,不離見佛、聞法、供養僧。增益念力不忘諸法,增益慧力覺了深法,增長進力得進解義,得具慚力淨自心故,具足愧力捨離一切諸惡法故,得堅固力威儀具足故,有牢強勇健除斷一切諸結使故,有大雄猛所住無畏故。

「ありがとうございます、世尊よ。どうか如来が菩薩たちを守り、現世においてあらゆる善を成就させ、善根を増し、心を喜ばせ、威徳を高め、仏の種を絶やさず、法の眼と僧の眼を護り続けてくださいませ。また、どうか如来がすべての衆生を救い導き、涅槃へと至る道を一つひとつ説き明かしてください。お説きになった正しい法が、仏の滅後も菩薩たちによって絶えることなく伝えられ、無上正等覚(あのくたらさんみゃくさんぼだい)が長くこの世に留まり、常に仏に会い、法を聞き、僧に供養することを妨げられませんように。

また、念力を増してあらゆる法を忘れず、慧力を増して深い法を悟り、進力を増して教えの意味を理解し、慚力を備えて自らの心を清め、愧力を具えてあらゆる悪法を捨て去り、堅固な力を得て威儀を満たし、強く勇ましくあらゆる煩悩の束を断ち切り、雄々しく大いなる勇者のように、どこにも恐れのない境地に安住することができますように。」

「世尊!云何菩薩摩訶薩不失功德、不失正法、不失慧、不失智、不失菩薩心,志念堅固,親友究竟,令諸眾生乃至涅槃,如說、如作不誑眾生住滿佛法;不求自施悉捨於一切,自如教住住三淨戒,自住淨忍心無麁獷,於諸眾生其心平等,自住精進作一切業、自住諸禪具三善戒、自善住慈不依著於一切禪定、自住明慧離諸邪見,一切法中得於照明;以四攝法攝取眾生無有疲惓,不求恩報,常念修行一切人天所有善處,住一切智心如門閫;心不趣向聲聞、緣覺,心常趣法、不趣於欲,為法王利、非人天利,行智慧、行佛智所說,以法養命、非飲食活,遠離貪欲、攝受一切,遠離瞋恚、於諸眾生無侵害心,遠離愚癡、離諸法闇,出過眾魔離諸結惱,善巧方便善趣諸門?」

「尊よ。菩薩摩いかいして、どうすれば功徳を失わず、正しい教えを失わず、智慧を失わず、智を失わず、菩薩の心を失わず、意志と念が堅固で、友人関係が究極に達し、あらゆる生きとし生けるものを涅槃に導き、語った通りに行い、行った通りに生き、生き物を欺かず、完全な教えの中に安住し、自分のために求めず施し、すべてを捨て去り、自分の教えに従って住み、三つの清らかな戒律を守り、自分は清らかな忍びの心を持ち、心は荒々しくなく、あらゆる生き物に対して心を平等にし、自分は精進してあらゆる行いを行い、自分はさまざまな禅定に住み、三つの善戒を具え、自分はよく慈悲に住み、すべての禅定に執着せず、自分は明らかな智慧に住み、あらゆる邪見を離れ、すべての法の中に照明を得る。そして、四つの摂取法によって生き物を引き寄せ、疲れを知らず、恩返しを求めず、常にすべての人間や天人の善い境地を修行し、すべての智の心を門のように保ち、心は声聞や縁覚に向かわず、常に法に向かい欲望には向かわず、法王の利益を求め、人間や天人の利益ではなく、智慧を行い、仏の智慧が説くところを行い、法によって命を養い、飲食によって生きるのではなく、貪欲を遠く離れてすべてを受け入れ、瞋りを遠く離れてすべての生き物に害する心がなく、愚かさを遠く離れてすべての法の闇を離れ、あらゆる魔を超え、すべての煩悩を離れ、巧みな方法で、善くすべての門に入ることができるのですか?」

如是問已。爾時,世尊告千世界主那羅延:「善哉!善哉!那羅延!汝今乃能為諸菩薩問於如來如是之義。那羅延!汝今諦聽,善思念之,當為汝說菩薩摩訶薩如是諸行,所得功德復過於是。」

このようにお尋ねがあったとき、世尊は千世界の主である那羅延に告げられました。

「よきかな、よきかな、那羅延よ。あなたは今や、菩薩たちのために、如来にこのような真理を問うことができた。 那羅延よ、あなたは今、よく聞き、よく考えなさい。あなたのために、菩薩摩訶薩のこのような行いと、それによって得られる功徳が、さらにこれに勝ることを説こう。」

時那羅延菩薩歡喜白言:「善哉!世尊!受教而聽。」

すると、その時、那羅延菩薩は喜んで申し上げました。 「ありがとうございます、世尊よ。教えをいただき、謹んでお聞きいたします。」

佛告那羅延:「菩薩摩訶薩有三昧,名集一切福德。菩薩成就是三昧者,不失功德、不失正法、不失於慧、不失於智、不失見佛聞法供僧,勤修四攝,自住布施,乃至自住於善方便,成就此功及餘功德。」

仏は那羅延に告げられた。「菩薩摩訶薩には、『一切の福徳を集める』という三昧があります。菩薩がこの三昧を成就すれば、功徳を失うことなく、正しい教えを失うことなく、智慧を失うことなく、智力を失うことなく、仏にお会いし、法を聞き、僧に供養することを失うことはありません。また、四摂法(布施・愛語・利行・同事)を熱心に修行し、自らは布施の行に安住し、さらに自らは善巧方便に安住して、これらの功徳とその他の功徳を成就するのです。」

爾時,世尊敷演說是集一切福德三昧名已,即便默然。

その時、世尊(仏陀)は「すべての福徳を集める三昧(深い瞑想の境地)」という名前を説き示してから、ただ静かに沈黙されました。

爾時,有大力士名曰淨威,成就大力,居毘舍離大城,作如是念:「我大力士成就大力,閻浮提中所有眾生無有大力與我等者。我先聞有沙門瞿曇成就大力,具足十力那羅延身。」

その時、毘舎離の大城に、浄威という名の大力士が住んでいました。彼はこのように考えました。「私は大力を成就した力士である。閻浮提中のすべての衆生の中で、私に勝る大力を持つ者はいない。先に、沙門ゴータマという者が大力を成就し、十力を具えたナラーヤナの身を持つと聞いた。」

復作念言:「我當往觀沙門瞿曇何如我也?」

(彼は)またこう考えた。「私が沙門ゴータマ(釈迦)のところへ行き、彼が私と比べてどうであるか確かめてみよう。」

爾時,淨威力士出毘舍離大城,趣菴羅園大法講堂。到已,瞻覩如來、應、正遍覺,佛大威德,百千萬眾恭敬圍遶,而演說法,猶如須彌顯于大海,周匝端嚴,極為微妙。當初覩見於如來時,得大信樂愛敬之心,即前投地,禮如來足,右遶三匝,却住一面,合掌頂上,一心觀佛。

その時、浄威力士は毘舎離の大城を出て、庵羅園の大法講堂へと向かいました。到着すると、如来・応供・正遍覚である仏さまの大いなる威徳を拝見しました。そこでは百千万もの大衆が恭敬して周りを取り囲み、法を説かれていました。その様子は、まるで大海にそびえる須弥山が周囲を厳かに荘厳し、極めて微妙であるかのようでした。

如来を初めて拝見した時、彼は大きな信楽と愛敬の心を得て、すぐに前に進み出て地にひざまずき、如来の足に礼をしました。そして右に三度巡り、一方に退いて立ち、合掌し頂上に手を上げ、一心に仏を観じました。

是時,世尊知是淨威力士心已欲降伏,故告大目連:「目連!汝往取吾昔菩薩時為娉瞿夷釋種女故捔力時箭。」

その時、世尊は浄威力士の心の内を見抜き、彼を調伏させたいと考えられました。そこで大目連に告げられました。「目連よ、あなたは行って、私がかつて菩薩であった時、瞿夷という釈迦族の娘を娶るために力比べをした際の、あの弓矢を取りなさい。」

爾時,目連白世尊言:「我都不見知在何處?」

その時、目連が世尊に申し上げました。「私はそれがどこにあるのか、全く見当がつきません。」

爾時,世尊從於右足放大光明,名曰照明,是光遍照三千大千此佛世界。時三千大千世界之下,大金剛輪箭在彼竪。

その時、世尊は 右足から「照明」という名の大きな光明を放ちました。その光は、この三千大千世界の仏の世界全体をくまなく照らしました。すると、三千大千世界の下の方にある、大きな金剛の輪のような土台に、その光が矢のようにまっすぐに届き、そこにしっかりと立ったのです。

爾時,世尊告大目連:「汝見此界大金剛輪箭在彼竪不?」

その時、世尊は大目連に告げて言われた。「あなたはこの世界に、あの大いなる金剛の輪の矢が立っているのを見るか?」

目連白言:「已見。世尊!」

目連が申し上げました。「はい、見えました。世尊よ!」

佛告目連:「汝取持來。」

仏が目連に告げられた。「あなたが持って来なさい。」

時大目連即下至彼,如大力士屈伸臂頃,一切大眾皆見其去,即便持來授與如來,作如是言:「世尊!是菩薩時父母生力?為神通力?」

そのとき、大目連はたちまちそこへ降り立ちました。それは、大力の者が腕を曲げ伸ばしするほどの一瞬のことで、すべての大衆はその様子を見ていました。そして、その品を携えて如来の許に届け、次のように申し上げました。「世尊よ、これは菩薩の時の父母から受け継いだ力でしょうか、それとも神通力によるものでしょうか?」

佛言:「是菩薩時父母生力,非神通力。目連!菩薩若以神通之力,是箭即過無量無邊諸佛世界。」

仏陀は言われた。「この菩薩は、父母から生まれ持った力であって、神通力によるものではない。目連よ、もし菩薩が神通力を使ったならば、この矢は無量無辺の仏の世界を瞬時に超えていったであろう。」

大德目連白言:「世尊!乃是菩薩父母所生福德之力。」

尊者目連がおっしゃいました。「世尊よ、それは菩薩の父母から生まれた福徳の力でございます。」

佛告目連:「如十人力等一健牛力、十健牛力等一青牛力、十青牛力等一凡象力、十凡象力等一羅迦象力、十羅迦象力等一迦尼象力、十迦尼象力等一香象力、十香象力等一毘陀象力、十毘陀象力等一無鬪象力、十無鬪象力等一伊沙陀象力、十伊沙陀象力等一安禪象力、十安禪象力等一婆摩象力、十婆摩象力等一青象力、十青象力等一黃象力、十黃象力等一赤象力、十赤象力等一白象力、十白象力等一赤蓮花象力、十赤蓮花象力等一紅蓮花象力、十紅蓮花象力等一香象力、十香象力等一大香象力、十大香象力等一繫羂師子王力、十繫羂師子王力等一力士力、十力士力等一大力士力、十大力士力等一遮㝹羅力、十遮㝹羅力等一大遮㝹羅力、十大遮㝹羅力等一波建提力、十波建提力等一大波建提力、十大波建提力等一地天子力、十地天子力等一堂天子力、十堂天子力等一持風天力、十持風天力等一持鬘天力、十持鬘天力等一常醉天力、十常醉天力等四天王中一天子力、一切四天中天子力等一天王力、十天王力等三十三天中一天子力、一切三十三天中天子力等一帝釋力、十帝釋力等焰天中一天子力、一切焰天中天子力等一焰天王力、十焰天王力等一兜率陀天中一天子力、一切兜率陀天中天子力等一兜率陀天王力、十兜率陀天王力等化樂天中一天子力、一切化樂天中天子力等一化樂天王力、十化樂天王力等他化自在天中一天子力、一切他化自在天中天子力等一他化自在天王力、十他化自在天王力等魔天中一天子力、一切魔天中天子力等一魔王力、十魔王力等半那羅延力、十半那羅延力等一那羅延力、十那羅延力等一大那羅延力、十大那羅延力等一百劫修行菩薩力、十百劫修行菩薩力等一千劫修行菩薩力、十千劫修行菩薩力等一萬劫修行菩薩力、十萬劫修行菩薩力等一十萬劫修行菩薩力、十十萬劫修行菩薩力等一百萬劫修行菩薩力、十百萬劫修行菩薩力等一千萬劫修行菩薩力、十千萬劫修行菩薩力等一百千萬劫修行菩薩力、十百千萬劫修行菩薩力等一千千萬劫修行菩薩力、十千千萬劫修行菩薩力等一百千千萬劫修行菩薩力、十百千千萬劫修行菩薩力等一千千千萬劫修行菩薩力、十千千千萬劫修行菩薩力等一百千千千萬劫修行菩薩力、十百千千千萬劫修行菩薩力等一萬千千千萬劫修行菩薩力、十萬千千千萬劫修行菩薩力等一無生法忍菩薩力、十得無生法忍菩薩力等一十地菩薩力、十十地菩薩力等一後身菩薩力。是故,目連!菩薩成就如是力故,生便即能行於七步。

仏が目連に告げられた。「例えば、十人の人間の力が一頭の強い雄牛の力に相当し、十頭の強い雄牛の力が一頭の青牛の力に相当し、十頭の青牛の力が一頭の凡象の力に相当し、十頭の凡象の力が一頭の羅迦象の力に相当し、十頭の羅迦象の力が一頭の迦尼象の力に相当し、十頭の迦尼象の力が一頭の香象の力に相当し、十頭の香象の力が一頭の毘陀象の力に相当し、十頭の毘陀象の力が一頭の無鬪象の力に相当し、十頭の無鬪象の力が一頭の伊沙陀象の力に相当し、十頭の伊沙陀象の力が一頭の安禪象の力に相当し、十頭の安禪象の力が一頭の婆摩象の力に相当し、十頭の婆摩象の力が一頭の青象の力に相当し、十頭の青象の力が一頭の黄象の力に相当し、十頭の黄象の力が一頭の赤象の力に相当し、十頭の赤象の力が一頭の白象の力に相当し、十頭の白象の力が一頭の赤蓮花象の力に相当し、十頭の赤蓮花象の力が一頭の紅蓮花象の力に相当し、十頭の紅蓮花象の力が一頭の香象の力に相当し、十頭の香象の力が一頭の大香象の力に相当し、十頭の大香象の力が一頭の縛られた師子王の力に相当し、十頭の縛られた師子王の力が一人の力士の力に相当し、十人の力士の力が一人の大力士の力に相当し、十人の大力士の力が一人の遮㝹羅の力に相当し、十人の遮㝹羅の力が一人の大遮㝹羅の力に相当し、十人の大遮㝹羅の力が一人の波建提の力に相当し、十人の波建提の力が一人の大波建提の力に相当し、十人の大波建提の力が一地天子の力に相当し、十の地天子の力が一堂天子の力に相当し、十の堂天子の力が一持風天の力に相当し、十の持風天の力が一持鬘天の力に相当し、十の持鬘天の力が一常醉天の力に相当し、十の常醉天の力が四天王のうちの一天子の力に相当し、全ての四天王の天子の力が一天王の力に相当し、十の天王の力が三十三天のうちの一天子の力に相当し、全ての三十三天の天子の力が帝釈の力に相当し、十の帝釈の力が焰天のうちの一天子の力に相当し、全ての焰天の天子の力が焰天王の力に相当し、十の焰天王の力が兜率陀天のうちの一天子の力に相当し、全ての兜率陀天の天子の力が兜率陀天王の力に相当し、十の兜率陀天王の力が化楽天のうちの一天子の力に相当し、全ての化楽天の天子の力が化楽天王の力に相当し、十の化楽天王の力が他化自在天のうちの一天子の力に相当し、全ての他化自在天の天子の力が他化自在天王の力に相当し、十の他化自在天王の力が魔天のうちの一天子の力に相当し、全ての魔天の天子の力が魔王の力に相当し、十の魔王の力が半那羅延の力に相当し、十の半那羅延の力が一那羅延の力に相当し、十の那羅延の力が一大那羅延の力に相当し、十の大那羅延の力が百劫修行の菩薩の力に相当し、十の百劫修行の菩薩の力が千劫修行の菩薩の力に相当し、十の千劫修行の菩薩の力が万劫修行の菩薩の力に相当し、十の万劫修行の菩薩の力が十万劫修行の菩薩の力に相当し、十の十万劫修行の菩薩の力が百万劫修行の菩薩の力に相当し、十の百万劫修行の菩薩の力が千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の千万劫修行の菩薩の力が百千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の百千万劫修行の菩薩の力が千千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の千千万劫修行の菩薩の力が百千千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の百千千万劫修行の菩薩の力が千千千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の千千千万劫修行の菩薩の力が百千千千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の百千千千万劫修行の菩薩の力が万万千千千万劫修行の菩薩の力に相当し、十の万万千千千万劫修行の菩薩の力が無生法忍を得た菩薩の力に相当し、十の無生法忍を得た菩薩の力が十地の菩薩の力に相当し、十の十地の菩薩の力が後身の菩薩の力に相当する。それゆえ、目連よ。菩薩はこのような力を成就しているからこそ、生まれてすぐに七歩歩むことができるのである。」

「目連!若此世界佛不持者,便壞不住。何以故?菩薩摩訶薩當其生已,行七步時,此界大地從廣六十八千由旬;菩薩生已,當下足時,便當却沒深百千由旬;還舉足時,復當踊出百千由旬;以佛持故,令是世界不動無壞、眾生無惱。最後身菩薩始初生時,則便具有如是力。

「目連よ、もしこの世界を仏が支えていなければ、世界は壊れてしまうでしょう。なぜなら、菩薩摩訶薩が生まれて七歩歩むとき、この世界の大地は広さ六万八千由旬もあります。菩薩が生まれて足を下ろすとき、大地は深さ百千由旬も沈み込み、足を上げるときには同じく百千由旬も盛り上がるからです。しかし、仏が支えているので、この世界は動かず壊れず、人々も悩みません。最後の身である菩薩が初めて生まれるとき、すでにこのような力を持っているのです。」

「目連!十初生菩薩力等一盛年菩薩力。目連!菩薩摩訶薩成就是力,趣向道場覺於菩提;如是當趣道場時力,比道場上座時之力,超過百千;復以如是無量無邊阿僧祇不可得不可壞力,成就具足,乃至成阿耨多羅三藐三菩提。

目連よ。十人の初めて生まれた菩薩の力を合わせても、一人の壮年の菩薩の力に等しい。

目連よ。菩薩摩訶薩がこのような力を成就して、悟りの場へと向かい、菩提を覚る。そのように悟りの場へと趣く時の力は、悟りの場の座に上った時の力よりも、百千倍も超えている。さらに、このような無量・無辺・阿僧祇・得ること能わず・壊すこと能わざる力をもって、成就し具足し、ついには阿耨多羅三藐三菩提に至るのである。

「目連!假使一切世界眾生悉得具足垂成菩提菩薩之力,比於如來處非處智力,百千萬億分不及其一,乃至算數譬喻所不能及。得具如是十種之力,名為如來、應供、正遍覺。是故,目連!如來之力為本善根之所護持,無增、無減。此中不明菩薩通力,菩薩若用神通力者,能以恒河沙等世界,置於足指一毛端上,擲過無量無邊恒河沙世界。如是往來,不令眾生有於苦惱;如是神力,無量無邊、不可思議、不可稱量、不可數知無等等。若當如來盡現所有神通力者,汝等聲聞尚不能信,況復其餘諸眾生也?

「目連よ、たとえ一切世界のすべての衆生が、そろってまさに悟りを成就しようとする菩薩の力を持つようになったとしても、如来の『道理・道理にあらずの智慧』(処非処智力)と比べれば、その百千万億分の一にも満たず、算数やたとえをもってしても及ぶことはありません。このような十の力をそなえた方を、如来・応供・正遍覚と名づけるのです。だから目連よ、如来の力は根本の善根によって守られ支えられており、増えることも減ることもありません。

ここでは菩薩の神通力については明かしませんが、菩薩がもし神通力を使えば、ガンジス河の砂の数ほどの世界を、足の指の先や毛の先の上に置き、それを無量無辺のガンジス河の砂の数ほどの世界を超えて投げ渡すことができます。そのように往来しても、衆生に苦しみを与えることはありません。このような神通力は、無量無辺で、考え及ばず、はかり知れず、数えきれず、比べるものがないのです。

もし如来がそのすべての神通力をありのままに現し示せば、あなたがた声聞でさえも信じることができず、ましてやその他の衆生が信じることなどできるでしょうか。」

「目連!菩薩趣詣道場上時,觀於地大、水、火、風大悉為一界,所謂空界。是故,大地而不壞敗、眾生無惱。」

目連よ、菩薩が悟りを求めて修行の場に赴く時、地・水・火・風のすべての要素を一つの領域として観じます。すなわち、空の領域としてです。それゆえに、大地は壊れることなく、生きとし生けるものは悩み苦しむことがないのです。

時淨威力士從如來所,聞說菩薩父母生力。聞已,驚怪身毛皆竪,生希有心。從坐而起,正於衣服,右膝著地,合掌向佛白言:「世尊!我今憍慢悉皆摧滅,從如來所聞菩薩力故。世尊!我今歸依佛、法、眾僧,發於無上正真道心,為欲安樂一切眾生,願得具足如來之力。」

その時、力持ちの浄威という修行者が、如来の御もとで菩薩の父母から生まれる力についての説法を聞きました。 聞き終えると、驚き怪しみ、身の毛がよだち、未曾有の心を生じました。 席から立ち上がり、衣服を整え、右膝を地につけ、合掌して仏に向かい、こう申し上げました。 「世尊よ、私は今、全ての驕り高ぶる心を打ち砕かれました。如来の御もとで菩薩の力を聞いたからです。 世尊よ、私は今、仏と法と僧伽に帰依し、無上の正しい悟りの心を発します。 全ての衆生を安楽にしたいと願い、如来の力を完全に備えたいと願います。」

爾時,復有十千天子聞淨威力士作如是語,皆發無上正真道心,亦作是念:「世尊!願令我等得如是力,如今如來、應供、正遍覺。」

その時、一万の天人が、浄威力士のこの言葉を聞いて、皆、最高の悟りを求める心を起こし、こう思った。「世尊よ、どうか私たちにも、今の如来・応供・正遍覚のように、そのような力を得させてください。」

爾時,那羅延菩薩白言:「世尊!云何名為菩薩所修集一切福德三昧?如來先說是名字已,即便默然。世尊!今當敷演解說是集一切福德三昧,云何菩薩得是三昧?」

その時、那羅延菩薩が申し上げました。「世尊(お釈迦様)、どのようなものを『菩薩が修行するあらゆる福徳を集める三昧』とおっしゃるのでしょうか。先に如来はこの名前をお示しになりましたが、その後、ただお沈みになりました。どうか今、この『あらゆる福徳を集める三昧』について詳しくお説きください。菩薩はどのようにしてこの三昧を得るのでしょうか。」

爾時,世尊告千世界主那羅延菩薩:「那羅延!無有菩薩發於無上正真道心而不隨是集一切福德三昧者。何以故?一切福德無有不入初發心中。那羅延!猶如江河一切諸流無有不入大海中者。如是,那羅延!所有福德若施戒修,有漏、無漏、世間、出世間、若天、若人,所有福德,皆悉攝在發菩提心中。是故,那羅延!若善男子、善女人欲集一切諸福德者,當發無上正真道心。

その時、世尊は千世界の主である那羅延菩薩に告げられた。「那羅延よ、無上正等覚の心を起こさずして、この『一切福徳を集める三昧』に従う菩薩はいない。なぜならば、一切の福徳は、初めて発する心の中に収まらないものはないからである。那羅延よ、ちょうど、大河や小川のすべての流れが大海に入らないものはないように、那羅延よ、施しや戒律や修行による福徳、有漏、無漏、世間、出世間、天、人のものも含め、あらゆる福徳はすべて、菩提心を発することの中に収められている。それゆえ、那羅延よ、もし善男子、善女人が一切の福徳を集めたいと望むならば、無上正等覚の心を発すべきである。」

「那羅延!猶如寶山——所謂須彌、目真隣陀、摩訶目真隣陀、輪圍山、大輪圍山——及諸餘山藥木叢林,村邑聚落大小諸城,閻浮提、弗婆提、瞿耶尼、欝單越,諸四天下,及千世界、二千世界、三千大千世界,欲界、色界、無色界,日月星宿若日月蝕,一切皆攝三千大千世界之內,乃至百億四天下皆悉在中。如是,那羅延!所有一切諸凡夫福,若學人福、無學人福、若菩薩福、若如來福,一切皆攝在於菩薩初發心中。是故,那羅延!若欲攝取一切福德,當發菩薩阿耨多羅三藐三菩提心。

那羅延よ。たとえば宝山、すなわち須弥山、目真隣陀山、大目真隣陀山、輪囲山、大輪囲山、その他の山々や薬草、樹木、林、村や集落、大小の都市、閻浮提、弗婆提、瞿耶尼、欝単越の四大洲、さらに千世界、二千世界、三千大千世界、欲界、色界、無色界、日月や星宿、日食・月食に至るまで、すべては三千大千世界の中に収められ、百億の四大洲もその中にある。

そのように、那羅延よ。すべての凡夫の福、修行者の福、究極の修行者の福、菩薩の福、如来の福も、すべては菩薩が初めて発心する心の中に収められている。

それゆえ、那羅延よ。もし一切の福徳を摂取したいと望むなら、菩薩の無上なる正しい悟りを求める心(阿耨多羅三藐三菩提心)を起こすべきである。

「那羅延!若四天下一切眾生,悉具轉輪大王福德,若有初發大乘道心,福德智慧殊勝於彼。那羅延!如四天下一切眾生,乃至三千大千世界所有眾生,是眾生界之所攝者,是一一眾生皆具轉輪大王福德,是諸轉輪大王福德為一轉輪大王德聚,是一一眾生復具是德。於意云何?是諸福德寧為多不?」

「ナーラーヤナよ。もしもこの四天下のすべての衆生が、それぞれ転輪聖王の福徳をそなえているとしても、初めて大乗の道を発心した者の福徳と智慧は、それよりも勝れている。ナーラーヤナよ。例えば、四天下のすべての衆生、さらには三千大千世界のすべての衆生、つまり衆生の世界に含まれるすべての者たちが、それぞれ転輪聖王の福徳をそなえているとする。それらすべての転輪聖王の福徳を集めて、一つの転輪聖王の福徳の集まりとする。そして、その一人ひとりの衆生が、さらにその同じ福徳をそなえているとしよう。あなたはどう思うか。その福徳は多いと言えるだろうか?」

那羅延言:「是一人福尚多無數,況復無量阿僧祇人所有德聚?」

那羅延が言いました。「たった一人の福徳でさえ、すでに無数のものです。ましてや、計り知れないほどの無量の人々の功徳の集まりについては、なおさら言うまでもありません。」

佛言:「那羅延!置是三千大千世界所有眾生,乃至恒河沙等世界所有眾生,悉具轉輪大王福德。那羅延!於意云何?是諸德聚寧為多不?」

佛は言われた。「那羅延よ、この三千大千世界のすべての生きとし生けるものは、さらにはガンジス川の砂の数ほどの世界のすべての生きとし生けるものまでもが、すべて転輪聖王の福徳をそなえている。那羅延よ、あなたはどう思うか。これらの福徳の集まりは、多いと言えるだろうか。」

那羅延言:「世尊!若一三千大千世界眾生具足轉輪大王所有德聚,尚多無量無邊阿僧祇;況復無量無邊世界眾生具足轉輪大王福德之聚?」

那羅延が申し上げました。「世尊、もし一つの三千大千世界の衆生すべてが転輪聖王の持つすべての徳の集まりを備えているとしても、その数はすでに無量・無辺・阿僧祇よりも多いのです。ましてや、無量・無辺の世界の衆生すべてが転輪聖王の福徳の集まりを備えているならば、なおさらのことです。」

「那羅延!我今知已而唱是言,有初發菩提之心,所有德聚比前德聚,百分不及其一,千分百千分百千萬億分,乃至算數譬喻所不能及。那羅延!是名初說入集一切福德三昧。

ナーラーヤナよ。私は今、これを悟って次のように宣言する。初めて菩提心を発した者の功徳の集まりは、先に述べた一切の功徳と比べても、その百分の一にも満たず、千分、百千分、百千萬億分、さらには算数や譬えをもってしても及ぶことができない。ナーラーヤナよ。これこそを「一切の福徳を集める三昧に入る最初の教え」というのである。

「復次,那羅延!如千世界梵王慈心普遍滿此一千世界,那羅延!有人復以滿千世界七寶布施。於意云何?是人施福、梵王慈福,何者為勝?」

「さらに、ナラヤナよ。例えば、千の世界において梵天(ブラフマー)の慈しみの心がこの千の世界全体に満ち満ちているとする。ナラヤナよ。また、ある人が千の世界に満ちた七宝を布施したとする。あなたの考えではどうか。この人の布施の功徳と、梵天の慈しみの功徳と、どちらが勝っているだろうか。」

那羅延言:「世尊!梵王慈福無量無邊。」

那羅延が申し上げました。「世尊よ、梵天の王の慈悲と福徳は限りなく広大でございます。」

「那羅延!置是千世界梵王慈心。若二千世界梵王慈心普遍滿此二千世界,那羅延!若復有人以滿二千世界七寶持用布施,汝意云何?是人施福、梵王慈福,何者為勝?」

「那羅延よ、千世界の梵天の慈しみの心はさておき、二千世界の梵天の慈しみの心が、その二千世界全体に満ちわたるとしよう。那羅延よ、もしも誰かが二千世界いっぱいの七宝をもって施しを行ったなら、あなたはどう思うか。この人の施しの功徳と、梵天の慈しみの功徳とでは、どちらが勝っているだろうか。」

那羅延言:「世尊!梵王慈福無量無邊。」

那羅延が言った。「世尊よ、梵天の王の慈愛による福徳は、限りなく、果てしないものです。」

「那羅延!如三千大千世界梵王慈心普遍滿此三千大千世界,若復有人以滿三千大千世界七寶布施。於意云何?是人施福、梵王慈福,何者為勝?」

那羅延よ、例えば三千大千世界において、梵天の慈悲の心がこの三千大千世界全体に満ち渡っているとしよう。また、ある人が三千大千世界いっぱいに七宝を満たして布施したとする。あなたはどう思うか。この人の布施の功徳と、梵天の慈悲の功徳とでは、どちらが勝っているだろうか。

那羅延言:「世尊!梵王慈福無量無邊。」

那羅延が申し上げました。「世尊よ、梵天の王の慈悲と福徳は限りなく広大でございます。」

那羅延言:「世尊!施福比慈百分不及一,千分、百千分乃至算數譬喻所不能及。」

那羅延が言いました。「世尊よ、施しの功徳は、慈しみの功徳と比べれば、百分の一にも及びません。千分、百千分、さらには計算や例えを用いても、到底及ぶものではないのです。」

佛言:「如是四千世界梵王慈心亦遍滿此四千世界、五千世界梵王慈心亦遍滿此五千世界、十千世界梵王慈心亦遍滿此十千世界、百千世界梵王慈心亦遍滿此百千世界,那羅延!若人以滿百千世界所有七寶持用布施,所得福聚比慈福德,慈福為勝。

仏は言われた。「このように、四千世界の梵天の慈しみの心は、この四千世界にも満ちわたる。五千世界の梵天の慈しみの心も、この五千世界に満ちわたる。十千世界、百千世界の梵天の慈しみの心も、それぞれの世界に満ちわたる。ナーラーヤナよ、もし人が百千世界のあらゆる七宝で満たして布施したとしても、その功徳の集まりは、慈しみの心による功徳には及ばない。慈しみの心による功徳のほうが勝れているのだ。」

「那羅延!正使是等三千大千世界之中一切眾生各具慈心,如百千世界大梵天王所有慈心,是諸慈心福德之聚。欲比菩薩初發道心,專志增上,為脫一切所有眾生,無幻無偽,實為一切眾生修行慈心福德,百分不及一,千分、百千分、億分、百億分、千億分,乃至算數譬喻所不能及。

那羅延よ、たとえこの三千大千世界にいるすべての生きとし生けるものが、それぞれ百千世界の大梵天王が持つような慈しみの心を具えていたとしても、その慈しみの心による福徳の集まりを集めたところで、菩薩が初めて道心を起こし、ひたすらに向上心を高め、すべての生きとし生けるものを救い脱せしめんとするために、偽りなく、まことにもって一切の衆生のために慈しみの心を修行する福徳と比べれば、百分の一にも及ばず、千分、百千分、億分、百億分、千億分、もっと言えば、算数や譬えを用いても、その及ぶところではない。

「那羅延!是故,當知若欲修集一切福德,是善男子、善女人應發阿耨多羅三藐三菩提。今發、當發,具足如是無量無邊福德之聚,是第二說入集一切福德三昧。

那羅延よ、それゆえに知るがよい。もしすべての福徳を修め集めようと望むならば、善き男子、善き女人は、自ら阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)を発起すべきである。今発起し、未来に発起する者も、このように限りなく広大な福徳の集まりを具足するのである。これが、第二の「一切福徳を集める三昧」に入ると説く所以である。

「復次,那羅延!汝意云何?東方虛空為普遍不?南、西、北方四維、上、下所有虛空為普遍不?」

「また、ナラヤナよ。あなたはどう思うか。東方の虚空は普遍であるか。南・西・北の四方向、そして上下のすべての虚空は普遍であるか。」

那羅延言:「世尊!東方虛空尚不得邊,何況十方不可說無量無邊隨有世界虛空普遍?」

那羅延が申し上げました。「世尊よ、東の虚空でさえもその果てを見出すことはできません。ましてや、十方に広がる、言葉にできないほど無量無辺の世界に普遍する虚空については、なおさらです。」

佛言:「那羅延!假令有人乃至百千萬億劫中引諸喻說,欲盡虛空得其邊際,不得其邊。那羅延!我今引喻以明斯義,為欲成滿是集一切福德三昧故,亦令增益諸有修集福德眾生增長志欲,令向大乘菩薩摩訶薩滿大精進。

仏陀は言われた。「那羅延よ、たとえある人が百千万億劫の長きにわたり、あらゆるたとえを用いて虚空の果てを尽くそうと試みても、その果てにたどり着くことはできない。那羅延よ、私は今、たとえをもってこの教えを明らかにしよう。それは、この『一切の福徳を集める三昧』を成就させ、また福徳を積む修行者たちの志を高め、大乗を求める菩薩たちの大いなる精進を満たすためである。」

「那羅延!若以芥子盛滿三千大千世界,乃至非想、非非想處滿中芥子,假令有人持過東方百千恒河沙等世界下一芥子,如是東行,盡是芥子,猶不能得世界邊際;南、西、北方四維、上、下亦復如是。那羅延!若復恒河沙等世界滿中芥子,那羅延!頗有人天能數如是一切芥子知其數不?」

ナラヤナよ、もし芥子の種で三千大千世界を満たし、さらに非想非非想処に至るまで芥子の種で満たしたとする。仮に誰かがその芥子の種を一つ取り、東方の百千ものガンジス川の砂の数ほどの世界を超えて、そこに一つの芥子を置くとする。このように東方へ進み、芥子の種がすべて尽きても、なお世界の果てには到達できない。南・西・北・四隅・上方・下方もまた同様である。

ナラヤナよ、さらにガンジス川の砂の数ほどの世界に芥子の種を満たしたならば、ナラヤナよ、はたして人間や天人は、これらすべての芥子の種を数え、その数を知ることができるであろうか?」

時那羅延白言:「世尊!若四天下一切眾生成就智慧如舍利弗,於一劫數猶尚不能數其一分,況能數盡大芥子聚?」

その時、那羅延が申し上げた。「世尊よ、もし四天下のすべての衆生が舎利弗のような智慧をそなえたとしても、一劫のあいだに、その一分の数さえも数えることはできません。ましてや、大きな芥子の山を数え尽くすことなど、できるはずがありません。」

「那羅延!假令有人過於東方恒河沙世界著一芥子,如是東行盡是芥子,猶故不得世界邊際;南、西、北方四維、上、下亦復如是。那羅延!如是世界虛空普遍,設有人天以滿中七寶持用布施,那羅延!於意云何?是福德聚寧為多不?」

「ナーラーヤナよ、たとえば東の方角にあるガンジス川の砂の数ほどの世界に、一粒の芥子(からし種)を置くとしよう。そのようにして東へ進み、芥子を置き尽くしても、なお世界の果てには到達できない。南・西・北の方角や、四隅、上下も同様である。ナーラーヤナよ、このように世界は虚空のように広がっている。もし人が、その世界中に満ちた七宝(七つの貴重な宝物)を持って布施を行ったなら、ナーラーヤナよ、あなたはどう思うか。その福徳の集まりは、多いと言えるだろうか。」

那羅延言:「無量,世尊!無邊,世尊!」

那羅延が申し上げました。「限りがありません、世尊。果てがありません、世尊。」

佛言:「那羅延!是人所有福德之聚,欲比初發道心菩薩,成就志欲,無幻、無偽,勤修精進,為脫一切眾生,起大慈大悲所集德聚,是施德聚百分不及一,乃至算數譬喻所不能及。那羅延!十方一切所有諸物虛空皆悉周遍,那羅延!菩薩慈心亦復如是,遍滿十方諸佛世界,所有眾生皆悉普遍。

仏陀が言われた。「ナーラーヤナよ、すべての人が積んだ善い行いの功徳の集まりを集めても、はじめて悟りを求める心を起こした菩薩が、固い決意を持ち、偽りや飾り気がなく、熱心に修行に励み、すべての生きとし生けるものを救おうという大いなる慈しみと悲しみから積んだ功徳の集まりには、その百倍にも及ばない。いや、計算やたとえで表せるものではないのだ。

ナーラーヤナよ、この世界のすべてのもの、虚空はあまねく満ちわたっている。ナーラーヤナよ、菩薩の慈しみの心もまた同じように、十方すべての仏の世界にあまねく満ち、すべての生きとし生けるものに広く行き渡っているのだ。」

「那羅延!是菩薩慈心所及眾生,令悉具足轉輪大王所有福德,如是帝釋所有福德,如是梵王所有福德。若有菩薩初發道心,專志趣向,無幻、無偽,勤修精進,為脫一切所有眾生,起慈悲心而趣向之,行於愍悼所得福德,是福勝彼一切眾生具轉輪王、帝釋、梵王所得功德。那羅延!是第三說入集一切福德三昧。

那羅延よ、菩薩の慈心が及ぶ全ての衆生は、転輪聖王が持つ全ての福徳を完全に備え、また帝釈天の全ての福徳、梵天の全ての福徳をも備えることができるのです。しかし、もし菩薩が初めて道心を起こし、心を一つにそれに向かい、偽りや欺きがなく、熱心に精進し、全ての衆生を救済しようと慈悲の心を起こして進み、哀れみの行いを実践して得た福徳は、転輪聖王、帝釈天、梵天の功徳を全ての衆生が備えたとしても、それよりも勝っています。那羅延よ、これが『集一切福徳三昧』に入る第三の教えです。

「復次,那羅延!假令三千大千世界所有眾生皆具轉輪大王福德,比帝釋福德百分不及一,乃至算數譬喻所不能及。那羅延!假令三千大千世界所有眾生皆為帝釋,比梵王所有福德百分不及一,乃至算數譬喻所不能及。

「さらに、ナーラーヤナよ。仮に三千大千世界のすべての生きとし生けるものが、転輪聖王の福徳をすべてそなえていたとしても、その福徳は帝釈天の福徳に比べれば百分の一にも満たず、算術や例えで表すことさえできない。ナーラーヤナよ。仮に三千大千世界のすべての生きとし生けるものが、みな帝釈天となったとしても、その福徳は梵天の福徳に比べれば百分の一にも満たず、算術や例えで表すことさえできない。」

「那羅延!假令三千大千世界一切眾生皆悉具足大梵天王所有福德,比一斷欲優婆塞所有福慧百分不及一,乃至算數所不能及。那羅延!假令三千大千世界所有眾生皆為斷欲優婆塞所有福慧,比舍利弗所有福慧百分不及一,乃至算數譬喻所不能及。

那羅延よ、たとえ三千大千世界のすべての衆生が、ことごとく大梵天王の持つすべての福徳を具えているとしても、一人の断欲の優婆塞が持つ福徳と智慧に比べれば、百分の一にも及ばず、算数をもってしても及ぶことができません。那羅延よ、たとえ三千大千世界のすべての衆生が、断欲の優婆塞の持つすべての福徳と智慧を具えているとしても、舎利弗の持つ福徳と智慧に比べれば、百分の一にも及ばず、算数や譬えをもってしても及ぶことができません。

「那羅延!假令三千大千世界所有眾生福德智慧如舍利弗,比一緣覺所有福慧百分不及一,乃至算數譬喻所不能及。那羅延!若令三千大千世界所有眾生悉具緣覺所有福慧,比一五百劫中修行菩薩所有福德智慧百分不及一。入集一切福德三昧應如是學。」

「ナーラーヤナよ、たとえ三千大千世界のすべての衆生に舎利弗と同じだけの福徳と智慧があったとしても、その福徳と智慧は一人の縁覚のそれと比べれば百分の一にも満たず、たとえ算術や比喩を用いても及ぶことはない。ナーラーヤナよ、もし三千大千世界のすべての衆生が、縁覚と同等の福徳と智慧をすべて備えていても、その福徳と智慧は五百劫の間、修行する菩薩のそれと比べれば百分の一にも満たない。一切の福徳を集める三昧に入る者は、このように学ぶべきである。」

說是法時,三萬二千眾生皆發無上正真道心。此三千大千世界六種震動,人天伎樂同時俱作,人天雨花積至于膝。

この教えが説かれたとき、三万二千の生きとし生けるものたちが皆、最高の悟りを目指す心を起こしました。この三千大千世界は六通りに震動し、天と人の音楽が一斉に鳴り響き、天と人から降り注ぐ花が膝の高さまで積もりました。

天、龍、夜叉、乾闥婆、釋梵護世,皆作是言:「世尊!是初發心者悉勝我等。世尊!我等亦當利是善男子、善女人,已發、今發、當發阿耨多羅三藐三菩提心者。如我等解佛所說義,若有眾生不發無上正真道心,則不能趣是集一切福德三昧,不能正入;若有眾生發於無上正真道心,則能得趣是集一切福德三昧,亦能正入。」

天、竜、夜叉、乾闥婆、帝釈天や梵天、そして四天王などの守護神々はみな、こう申し上げました。「世尊よ、こころざしを新たに発する方々は、すべて私たちよりも優れておられます。世尊よ、私たちもまた、これらの善男子・善女人の利益となるよう努めましょう。彼らはすでに無上正等正覚の心を発した方々、今まさに発する方々、そして未来において発する方々であります。私たちが仏の教えの意味を解するところによれば、もしも衆生がこの無上の真実なる道への心を発さなければ、この『一切の福徳を集める三昧』に到達することはできず、正しく入ることも叶いません。しかし、もしも衆生が無上の真実なる道への心を発すれば、この『一切の福徳を集める三昧』に到達し、正しく入ることができるのです。」

爾時,淨威力士白言:「世尊!以何等法能得成就攝此集一切福德三昧?」

その時、浄威力士が申し上げました。「世尊よ、どのような法によって、この『一切の福徳を集める三昧』を成就することができるのでしょうか?」

佛言:「善男子!成就一法攝此集一切福德三昧。何等一法?謂不捨於一切智心。善男子!是名成就一法攝此集一切福德三昧。

仏が言われた。「善男子よ、一つの法を成就すれば、この『一切の福徳を集める三昧』を得ることができる。その一法とは何か。一切智を求める心を捨てないことである。善男子よ、これこそが一つの法を成就して、この『一切の福徳を集める三昧』を得る道である。」

「復次,善男子!復成就二法攝此集一切福德三昧;謂聞法無厭、聞已修行。善男子!是名成就二法攝此集一切福德三昧。

さらに、善き人よ。二つの法を成就することで、この一切の福徳を集める三昧を具えることができる。すなわち、法を聞くことを厭わず、聞いた後に実践することである。善き人よ、これを二つの法を成就してこの一切の福徳を集める三昧を具えるというのである。

「復次,善男子!復成就三法攝此集一切福德三昧。何等三?謂離諸惡、修行善法、善巧迴向。善男子!是名成就三法攝此集一切福德三昧。

「また、善き男子よ。さらに三つの法を成就すれば、この『一切の福徳を集める三昧』を修得することができる。その三つとは何か。すなわち、あらゆる悪しき行いを離れ、善い行いを実践し、その功徳を巧みに他者や悟りのために廻向することである。善き男子よ、これこそが三つの法を成就して、この『一切の福徳を集める三昧』を修得する道である。」

「復次,善男子!復成就四法攝此集一切福德三昧;所謂戒淨、見淨、心淨、慧淨。善男子!是名成就四法攝此集一切福德三昧。

「さらに、善き人よ。もう一つの四つの法を成就することで、この『一切の福徳を集める三昧』を得ることができる。すなわち、戒めの清らかさ、見解の清らかさ、心の清らかさ、智慧の清らかさである。善き人よ、これら四つの法を成就することが、この『一切の福徳を集める三昧』を得るための方法なのである。」

「復次,善男子!復成就五法攝此集一切福德三昧。何等五?所謂專意發菩提心、常真實語、無有諂偽、無有嫉妬、於一切眾生心常平等。善男子!是名成就五法攝此集一切福德三昧。

「さらに、善き人よ。この『一切の福徳を集める三昧』を得るには、五つの行いを身につけることです。その五つとは、一心に悟りを求める心を起こすこと、常に真実の言葉を語ること、へつらったり偽ることのないこと、ねたみのないこと、そしてすべての生きとし生けるものに対して心を平等に保つことです。善き人よ、これら五つの行いが、この三昧を得る道なのです。」

「復次,善男子!復成就六法攝此集一切福德三昧。何等六?所謂親近於善知識、離惡知識、遠離眾閙、閑居寂靜、不捨大慈、於諸眾生起大悲心。善男子!是名成就六法攝此集一切福德三昧。

また、善男子よ。この「一切の福徳を集める三昧」を得るには、六つの法を成就せよ。その六つとは、善き知識に親しみ、悪しき知識を離れ、人混みを避け、閑かな所に静かに住み、大いなる慈しみを捨てず、全ての生きとし生けるものに大いなる悲しみの心を起こすことである。善男子よ、これを六つの法を成就してこの三昧を収めるという。

「復次,善男子!復成就七法攝此集一切福德三昧。何等七?所謂修定、善於智慧、善知於因、善知於緣、正直而住、修集於道、修行道時無有懈怠。善男子!是名成就七法攝此集一切福德三昧。

「また、善き方々よ。この『一切の福徳を集める三昧』を成就するには、更に七つの教えを身につける必要があります。その七つとは、すなわち、心を静めて瞑想し、智慧を磨き、因(原因)を正しく理解し、縁(条件)を正しく理解し、正直な心で過ごし、道を積み重ね、修行に励む時に怠りがないことです。善き方々よ、これら七つの教えを身につけることが、『一切の福徳を集める三昧』を成就する道なのです。」

「復次,善男子!復成就八法攝此集一切福德三昧。何等八?謂調柔身、調柔心、觀受、觀法、未生惡法令其不生、已生惡法斷之令滅、未生善法方便令生、已生善法護令增長。善男子!是名成就八法攝此集一切福德三昧。

さらに、善男子よ。この「一切の福徳を集める三昧」を成就するための八つの法がある。どのような八つか?すなわち、身体を柔らかく調えること、心を柔らかく調えること、感覚(受)を観察すること、現象(法)を観察すること、まだ生じていない悪い行いを生じさせないようにすること、すでに生じた悪い行いを断ち消し去ること、まだ生じていない善い行いを巧みに生じさせること、すでに生じた善い行いを守って増長させることである。善男子よ、これを「八つの法を成就して、この一切の福徳を集める三昧を摂する」と名付けるのである。

「復次,善男子!復成就九法攝此集一切福德三昧。何等九?觀過法無盡、現法無盡、來法無盡、觀法如幻、等覺三世、如一切法知而忍之、不謗於空、不分別無相、不願諸有。善男子!是名成就九法攝此集一切福德三昧。

「さらに、善き人よ。また九つの法を成就することで、この『あらゆる福徳を集める三昧』を修めることができる。その九つとは何か。過ぎ去った法を尽きることなく観じ、現在の法を尽きることなく観じ、未来の法を尽きることなく観じ、法を幻のように観じ、三世を平等に覚り、すべての法をあるがままに知って忍び、空を謗らず、無相に執着せず、諸々の有を願わないことである。善き人よ、これが九つの法を成就してこの『あらゆる福徳を集める三昧』を修めることというのである。」

「復次,善男子!復成就十法攝此集一切福德三昧。何等為十?謂解無我、忍於無命、不疑無人、緣法無常、於諸生處如地獄想、觀四大如毒蛇、觀入如空聚、觀陰如魁𮫨、流出諸有想、樂修解脫。善男子!是名成就十法攝此集一切福德三昧。」

「さらに、善き男子よ、この『一切の福徳を集める三昧』を成就するには、十の法(教え)を身につけることである。その十とは何か。すなわち、 無我を理解し、 命なきことを受け入れ、 人という実体を疑わず、 縁起による無常を観じ、 あらゆる生存の場を地獄のように思い、 四大(地・水・火・風)を毒蛇のように観じ、 六つの感覚器官を空虚な集まりのように観じ、 五つの構成要素(五蘊)を殺人鬼のように観じ、 あらゆる生存への執着から心を解き放ち、 解脱を喜んで修行することである。 善き男子よ、これが『一切の福徳を集める三昧』を成就する十の法である。」

爾時,淨威力士白佛言:「世尊!若菩薩摩訶薩欲成就一切福德莊嚴者,應聽是三昧;菩薩摩訶薩欲集一切福德者,應聽是三昧;若菩薩摩訶薩欲得不思議福德者,應信是三昧、應聽是三昧;若菩薩摩訶薩欲得無盡福德者,應當修行於是三昧;若菩薩摩訶薩欲到一切福德大海者,應當受持讀誦修說於是三昧;若菩薩摩訶薩欲得百福相者,應當修行於是三昧。」

その時、浄威力士が仏に申し上げました。「世尊よ、もし菩薩が一切の福徳の荘厳を成就しようと望むならば、この三昧を聴くべきです。菩薩が一切の福徳を集めようと望むならば、この三昧を聴くべきです。菩薩が思議を超えた福徳を得ようと望むならば、この三昧を信じ、聴くべきです。菩薩が尽きることのない福徳を得ようと望むならば、この三昧を修行すべきです。菩薩が一切の福徳の大海に至ろうと望むならば、この三昧を受持し、読誦し、修め、説くべきです。菩薩が百の福相を得ようと望むならば、この三昧を修行すべきです。」

爾時,淨威力士復白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩何法相應成就,滿此一切福德莊嚴、修集一切福德、不可思議福德、無盡福德、大海福德滿百福相?」

その時、清らかな威力を持つ力士が再び仏に申し上げました。「世尊(仏さま)よ、菩薩(悟りを求める修行者)はどのような教えと調和して、このすべての福徳の飾りを満たし、すべての福徳を積み集め、思いもよらない福徳、尽きることのない福徳、大海のような福徳を成就し、百の福徳の相を満たすのでしょうか?」

爾時,佛告淨威力士:「善男子!有於三法為福德柱、福德莊嚴、福德來集、福德增廣、福德無盡、福德大海、福德叵思。何等三?謂一布施莊嚴、持戒莊嚴、多聞莊嚴。

そのとき、仏は浄威力士に告げられた。 「善男子よ、三つの法がある。これらは福徳の柱、福徳の荘厳、福徳の集まり、福徳の増大、尽きることのない福徳、福徳の大海、はかり知れない福徳となる。 その三つとは何か。すなわち、布施の荘厳、持戒の荘厳、多聞の荘厳である。」

「善男子!云何菩薩摩訶薩修行布施莊嚴?善男子!菩薩摩訶薩應生是心,若布施時不見施心、不見所施及以受者、不見眷屬。若有乞者來有所求,為攝護故,不以王位、封邑、財物諸珍寶等而有悋惜,生於異心。

「善き男子よ。菩薩摩訶薩はいかにして布施という徳行を完成させるのか。善き男子よ。菩薩摩訶薩は次のように想いを巡らせるべきである。すなわち、布施を行うとき、施す心も、施すものも、それを受け取る人も、周囲の人々も見てはいけない。もし物を乞う人が来て何かを求めたなら、その人を導き守るために、王位や領地、財産や宝石などに対して微塵も執着せず、ためらう心を起こしてはいけない。」

「善男子!是菩薩摩訶薩作如是念:『今我此身悉已給施一切眾生,況餘財物?若已施者,終無悔心。須財施財、須食施食、須飲施飲、須眼施眼、須肉施肉、須血施血、須髓施髓、須於支節施與支節、須頭施頭,我悉當施,況餘財物?穀米、金銀、衣服、瓔珞、象馬、車乘、國城、王宮男女、妻妾、奴婢、眷屬無不捨者,若有眾生隨其所須而求索之,我隨所有悉當施與,無有憂悔,不望其報。起慈悲心為攝眾生,攝取眾生乃至成佛,終無有盡。』善男子!若有菩薩發如是心,名菩薩布施莊嚴。

「善男子よ。この菩薩摩訶薩は、次のように考えます。『今、この我が身はすでに、一切の衆生に施し与えている。ましてや、他の財物などなおさらである。もしすでに施したならば、決して後悔の心を起こさない。財を必要とする者には財を施し、食を必要とする者には食を施し、飲み物を必要とする者には飲み物を施す。目を必要とする者には目を施し、肉を必要とする者には肉を施し、血を必要とする者には血を施し、髄を必要とする者には髄を施す。手足の関節を必要とする者には手足の関節を施し、頭を必要とする者には頭を施す。私はすべてを施そう。ましてや、他の財物はなおさらである。米、金銀、衣服、瓔珞、象、馬、車、乗り物、国、城、王宮、男女、妻妾、奴婢、眷属に至るまで、捨てないものはない。もし、ある衆生がその求めに応じて、私に請い求めるならば、私は持っているものすべてを施し与えよう。憂いや悔いはなく、その報いを期待もしない。慈悲の心を起こして、衆生を摂(おさ)め取るためであり、衆生を摂め取って、ついには仏となるに至るまで、決して尽きることはない。』善男子よ。もし菩薩がこのような心を発したならば、これを菩薩の布施の荘厳と名づけるのです。」

「復次,善男子!菩薩不自觀計身命,寧捨身命終不為惡;不為養身邪命自活,寧捨身命不惱於他;不為封邑造行諸惡、不為眷屬熾然諍訟、不為妻妾及以男女嫉利他財,不生慳心,常恒少欲,乃至不生一念惡心,況復多也?為斷慳貪不生瞋恚,無瞋恚故正行相應,正行相應故到於正處,到正處故正戒相應,正戒相應故親善知識恭敬供養,恭敬供養善知識故得聞正法,聞正法已如說修行,如說修行已則能利益邪道眾生,不作眾惡隨順善法,得知方便、知眾生根。善男子!而是菩薩行施莊嚴得是功德。

また、善き人よ。菩薩は自らの身や命を顧みない。たとえ身命を捨てることになっても、決して悪を行わない。身体を養うためだけに、邪な生き方で自らを生かそうとはしない。たとえ身命を捨てることになっても、他者を悩ませることはない。領地を得るために悪行を積むこともない。家族や眷属のために激しく争うこともない。妻や妾、子どもや財産のために他人の財を妬むこともない。貪りの心を起こさず、常に少欲であり、一瞬の悪心さえも起こさない。ましてや多くの悪心など起こすだろうか。

貪りと吝嗇を断つために、怒りの心を起こさない。怒りがないからこそ、正しい行いと相応する。正しい行いと相応するからこそ、正しい境地に至る。正しい境地に至るからこそ、正しい戒律と相応する。正しい戒律と相応するからこそ、善き知識を親しくし、敬い、供養する。善き知識を敬い供養するからこそ、正しい教えを聞くことができる。正しい教えを聞いたならば、その教えの通りに修行する。教えの通りに修行したならば、邪道に迷う衆生を利益することができる。悪をなさず、善法に従い、方便を理解し、衆生の根機を知る。

善き人よ。このように、菩薩は施しの行を荘厳として、これらの功徳を得るのである。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩不生內外想,若內地大、若外地大,等無異想。何以故?身猶如牆壁、草木,如影、如炎,無知、無思、無作、無堅,四大所攝。若有斫截刀杖、瓦石撾打之者,終不生報。不觀計身、不愛壽命,於諸眾生不起瞋恚,彼眾生所修慈悲心。

「さらに、善き人よ。菩薩は内も外もないと考える。内の地大も外の地大も、同じであって異なることはないと見る。なぜなら、体は壁や草や木のようなものだからだ。影や陽炎のように、知覚もなく、意識もなく、作為もなく、固さもない。ただ四大から成り立っているだけだ。もし刀や杖、瓦や石で打たれても、決して仕返しをしない。体を気にすることもなく、寿命を惜しむこともない。すべての生きとし生けるものに対して怒りを起こさず、彼らのために慈悲の心を修めるのだ。

「善男子!猶如藥樹,若有取根、莖節、枝葉、花鬚及果,終不作念:『取根莫取莖、取莖莫取根。』如是乃至枝葉果實亦爾。而是藥樹都無想念,然能寂滅一切眾生若上、中、下所有病患。如是,善男子!菩薩摩訶薩於四大身生藥樹想,隨諸眾生,須手與手、須脚與脚、須眼與眼、須肉與肉、須血與血、須骨與骨、須髓與髓、須頭與頭、須支節者施與支節。善男子!若是菩薩以如是心行施莊嚴,趣向無盡。

「善男子よ。ちょうど薬の木があるように、その根、茎、節、枝葉、花、果実を取る人がいても、その木は決して『根を取れ、茎を取るな』とか『茎を取れ、根を取るな』とは思いません。枝葉や果実についても同様です。その薬の木には全く思いはありませんが、それでもすべての衆生の、上・中・下のあらゆる病苦を静め去ることができます。

これと同じように、善男子よ。菩薩摩訶薩はこの四大からなる身体を薬の木と見なして、あらゆる衆生の求めに応じて、手を与え、足を与え、目を与え、肉を与え、血を与え、骨を与え、髄を与え、頭を与え、手足を与えます。善男子よ。菩薩がこのような心で施しを行い、それを荘厳としながら、尽きることのない境地へと向かうのです。」

「菩薩摩訶薩行布施時,為慳眾生令成滿施、少福眾生具滿福德、貧窮眾生滿大封邑,若捨支節為令眾生具滿支節。如是布施不向三處。何等三?不求王位自在、不求大富自樂、不向聲聞緣覺菩提。

菩薩摩訶薩が布施を行うとき、けちな衆生に対して、布施を完全に成就させるため、福徳の少ない衆生には十分な福徳を満たすため、貧しい衆生には大きな財産を満たすために行います。もし自分の手足を施す場合でも、それは衆生が完全な手足を備えるためです。このような布施は、三つの方向を目指しません。どの三つかというと、国王としての地位や自在を得ることを求めず、大きな富みや自分だけの楽しみを求めず、声聞や縁覚の悟りを目指さないことです。

「如是布施為滿四淨。何等四淨?謂佛土淨、菩薩僧淨、化眾生淨、迴向一切智淨。菩薩摩訶薩應當如是,迴向四淨。

このような布施は、四つの清らかさを満たします。その四つとは何か?すなわち、仏の国土の清らかさ、菩薩の僧の清らかさ、衆生を教化する清らかさ、そして一切の智慧に回向する清らかさです。菩薩摩訶薩は、このようにして四つの清らかさに回向すべきなのです。

「復次,菩薩摩訶薩施住無盡。何等名為菩薩施住?善男子!菩薩摩訶薩有四法布施,是施有盡。何等四?謂不迴向、無有方便、所為下劣、近惡知識。善男子!是名菩薩四法布施,是施有盡。

また、菩薩摩薩は施しにおいて尽きることがありません。では、どのような施しが菩薩の施しと言えるのでしょうか。善男子よ、菩薩摩薩には四つの施し方があり、その施しには限りがあります。その四つとは何か。すなわち、功徳を他へと向け回さないこと、適切な方法を持たないこと、目的が低いこと、悪い知識に近づくことです。善男子よ、これらを菩薩の四つの施し方と言い、その施しには限りがあるのです。

「善男子!菩薩有四法布施,施住無盡。何等四?謂迴向菩提、有巧方便、為得法王、近善知識。善男子!是名菩薩四法施住而不可盡。

「善男子(よき人びとよ)よ。菩薩には、尽きることのない施しを行う四つの方法がある。その四つとは何か。すなわち、悟り(菩提)へと回向すること、巧みな方便を備えること、法の王たる境地を得ようとすること、そして善知識に近づくことである。善男子よ。これこそが菩薩の尽きることのない四つの施しの法である。」

「復次,善男子!菩薩摩訶薩應念三法而行布施,謂念不離菩提之心、憐愍一切所有眾生、不違佛語不望果報。善男子!是名菩薩念於三法而行布施。

さらに、善き人よ。菩薩は三つのことを心に留めて布施を行うべきである。すなわち、菩提心を決して離れないこと、すべての生きとし生けるものを慈しむこと、仏の教えに背かず、見返りを求めないことである。善き人よ、これを菩薩が三つの法を心に留めて布施を行うというのである。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩安置眾生於三法中而行布施。何等三?謂安眾生菩提道中而行布施、為安眾生善讚法中而行布施、為安眾生著無上門中而行布施。善男子!是名菩薩摩訶薩安置眾生於三法中而行布施。

「また、善男子よ。菩薩摩い(さま)は、次の三つの教えに衆生を置いて、布施を行います。その三つとは何か。すなわち、衆生を菩提の道に置いて布施をすること、衆生を善い教えで讃える方法に置いて布施をすること、そして衆生をこの上ない悟りの門(に導くこと)に置いて布施をすることです。善男子よ、これを、菩薩摩いが衆生を三つの教えに置いて布施を行う、と名付けます。」

「復次,善男子!菩薩摩訶薩悕望二法而行布施。何等二?所謂悕望有大封邑、能行捨心。善男子!是名菩薩悕望二法而行布施。

さらに、善き人よ。菩薩(修行者)は、二つの願いをもって施しを行うのです。その二つとは何か。すなわち、大きな富みを得たいと願いながらも、執着を手放す心を持って施しを行うことです。善き人よ、これが菩薩が二つの願いをもって施しを行うという意味なのです。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩為滿二法而行布施,謂智與慧。善男子!是名菩薩摩訶薩為滿二法而行布施。

さらに、善き男子たちよ。菩薩摩薩は二つの法を満たすために布施を行います。すなわち、智慧と悟りの智慧です。善き男子たちよ、これを菩薩摩訶薩が二つの法を満たすための布施と言います。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩進趣二法而行布施。何等二?謂盡智、無生智。善男子!是名菩薩摩訶薩進趣二法而行布施。

また、善き人よ。菩薩は二つの法に趣き入りながら布施を行う。その二つとは何か。すなわち、「尽智(煩悩を尽くした智慧)」と「無生智(再び迷いの世界に生まれない智慧)」である。善き人よ、これこそが菩薩が二つの法に趣き入りながら布施を行うことである。

「復次,善男子!菩薩摩訶薩修行四施。何等四?謂等心行施、不望果報施、向菩提施、滿調寂施。善男子!是名菩薩修行四施。

さらに、善き男子よ。菩薩(修行者)は四つの施しを実践します。その四つとは何か?平等な心で施しを行うこと、見返りを求めずに施しを行うこと、悟りを目指して施しを行うこと、心を整え静めるための施しを行うことです。善き男子よ。これを菩薩の四つの施しの修行といいます。

「是故,善男子!菩薩欲趣至無盡福,應當修行如是布施。」

「ですから、善き人よ。菩薩が尽きることのない福徳を求めるならば、このように布施を行うべきなのです。」

爾時,淨威力士即白佛言:「希有!世尊!如來說施攝取一切佛之正法。世尊!若有菩薩成就是施,無有能量是菩薩福。」

その時、浄威力士が仏に申し上げた。 「めったにないことです、世尊。如来は布施こそが、すべての仏の正しい教えを包含すると説かれます。世尊、もし布施を成就した菩薩がいるならば、その菩薩の福徳を測ることのできる者はおりません。」

佛言:「如是!如是!善男子!若有菩薩成就具足如是布施,知是菩薩成就具足無盡福德大海福德,不貧聖法成大封邑,住在法流獲得大財,具足七財成大福德,持百福相為大福田,養育一切諸眾生等。」

仏陀はこうおっしゃいました。「その通り、その通りです。善き男子よ。もし菩薩がこのような布施を完全に成就したならば、その菩薩は尽きることのない功徳の海、大きな功徳の大海を完全に成就したと知るべきです。彼は聖なる教えに貧しくならず、大きな領地を成し遂げ、法の流れの中に留まり、大きな財を得ます。七つの財を完全に備え、大きな福徳を成就し、百の福相を身に帯びて大きな福田となり、すべての衆生を養い育てるのです。」

集一切福德三昧經卷上

集一切福徳三昧経 巻上


第二

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