集一切福德三昧經卷中
一切功徳を集める三昧経 巻中
姚秦三藏鳩摩羅什譯
爾時,佛告淨威力士:「善男子!云何菩薩摩訶薩淨戒莊嚴?謂戒淨無缺、不捨學戒,愍於毀禁、極敬持戒,淨身三業、淨口四過、淨意三業,自成十善、教他十善,不自稱譽、不起戒慢、勤進修戒,頭陀德中心不動轉,住於聖種自護己心,不見他過、不作眾惡,不願諸有、亦不喜樂,勸他修善、勤營助他,不悕望樂、勸人布施,不捨阿練若處,為病給使,作已歡喜,如說如作,失利不憂、得利不高,毀譽稱譏及與苦樂心不傾動,斷除愛恚、不懷怨嫌,修行慈心、視怨如親,不以戒自高、不向餘乘、不禮餘天,捨離諸見蓋覆、使纏斷除滅悔,捨財無悔心生歡喜,不生諸有心不願樂,忍於疲苦、善護進心,遠離著心、不驚怖畏、無生法忍。
その時、仏は浄威力士に告げられた。「善き男子よ。どのようにして菩薩摩訶薩が清らかな戒律の荘厳を成就するのか。それは、戒律が清らかで欠けるところがなく、学ぶべき戒律を捨てず、戒を破る者を哀れみ、戒を守る者を深く敬い、身の三つの業を清め、口の四つの過ちを清め、心の三つの業を清めることである。自ら十善を成就し、他者にも十善を教え、自らをほめたたえず、戒への慢心を起こさず、努め励んで戒律を修め、頭陀の徳において心が揺るがず、聖者の種姓に安住して自らの心を守り、他者の過ちを見ず、あらゆる悪をなさず、三有の生存を願わず、また喜びもせず、他者に善を修めるよう勧め、精進して他者を助け、楽を受けることを望まず、人に布施を勧め、阿蘭若の住処を捨てず、病人の世話をし、行い終えたならば喜び、語るとおりに行い、利益を失っても憂えず、利益を得ても高ぶらず、毀誉褒貶や苦楽に対しても心が動じず、愛着と怒りを断ち、恨みや怨みを抱かず、慈しみの心を修めて怨みをも親のように見なし、戒律をもって高ぶらず、他の乗り物に向かわず、他の天を礼拝せず、あらゆる見解や煩悩の覆いを捨て離れ、束縛や煩悩を断ち滅し、罪の悔いを除き、財を施しても悔いることなく、心に歓喜を生じ、あらゆる有の心を生ぜず、楽しむことを願わず、疲れや苦しみに耐え、よく進みの心を守り、執着の心から遠く離れ、驚きや恐怖に怯えず、無生法忍を得ることである。」
「善男子!菩薩摩訶薩為集此戒,乃至失命終不毀犯,不為王位護持禁戒,不為生天、不為帝釋、不為梵王護持禁戒,不為封邑、不為自在、不為妙色護持禁戒,不為端正、不為名稱、不為讚歎、不為利養、不為恭敬、不為活命、不為飲食、不為臥具、不為病藥護持禁戒,不為眼色、不為耳聲、鼻香、舌味、身觸、心法護持禁戒,不依倚色、不依受、想、行、識護持禁戒,不依欲界、色界、無色界護持禁戒,不畏地獄、餓鬼、畜生、不為救護護持禁戒,不畏人道貧窮困苦護持禁戒,不畏天道貧窮苦故護持禁戒,不畏天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、緊那羅、迦樓羅、摩睺羅中貧苦惱故護持禁戒。
善男子よ、菩薩摩訶薩はこの戒を集めるために、命を失うようなことがあっても終に毀犯しません。王位のために禁戒を護持するのではなく、天に生まれるためでもなく、帝釈のためにでもなく、梵王のためにでもなく禁戒を護持しません。封邑のためでもなく、自在のためでもなく、妙色のためでもなく禁戒を護持しません。端正のためでもなく、名称のためでもなく、讃歎のためでもなく、利養のためでもなく、恭敬のためでもなく、活命のためでもなく、飲食のためでもなく、臥具のためでもなく、病薬のためでもなく禁戒を護持しません。眼の色のためでもなく、耳の声、鼻の香、舌の味、身の触、心の法のためでもなく禁戒を護持しません。色に依倚せず、受・想・行・識に依らずに禁戒を護持します。欲界・色界・無色界に依らずに禁戒を護持します。地獄・餓鬼・畜生を畏れるためでもなく、救護のためでもなく禁戒を護持しません。人道の貧窮困苦を畏れるためでもなく禁戒を護持しません。天道の貧窮の苦を畏れるためでもなく禁戒を護持しません。天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・緊那羅・迦楼羅・摩睺羅の中の貧苦悩を畏れるためでもなく禁戒を護持します。
「為佛種故護持禁戒,為住聽法如聞而行護持禁戒,為僧種故護持禁戒,為欲出過生、老、病、死、憂悲、苦惱故護持禁戒,為欲解脫諸眾生故護持禁戒,為安樂利益諸眾生故護持禁戒,欲住佛法故護持禁戒,欲轉法輪故護持禁戒,為集聖種故護持禁戒,為不斷佛法僧種故護持禁戒,為妙神通故護持禁戒,為戒、定、慧解脫、解脫知見故護持禁戒,為神足變化應現無方護持禁戒。如是持戒,不毀、不缺、不穿、堅實、無所作為、具足成就、精妙無染、清淨香潔、智者所讚、諸佛所歎,如法修行堅固真實。
仏の種となるために戒律を守り、教えを聞いてその通りに修行するために戒律を守り、僧の種となるために戒律を守り、生・老・病・死・憂い・悲しみ・苦しみ・悩みを超えようとするために戒律を守り、全ての生きとし生けるものを解脱させるために戒律を守り、生きとし生けるものを安楽にし利益するために戒律を守り、仏の教えを保つために戒律を守り、法輪を転ずるために戒律を守り、聖なる種を集めるために戒律を守り、仏・法・僧の種を絶やさないために戒律を守り、素晴らしい神通力を得るために戒律を守り、戒・定・慧・解脱・解脱知見を得るために戒律を守り、神足通による変化で自在に現れるために戒律を守る。
このように戒律を守ることは、壊れることなく、欠けることなく、破れることなく、堅固で、作為がなく、完全に成就し、精妙で汚れがなく、清らかで香り高く、智者に称賛され、諸仏に讃嘆される。教えの通りに修行し、堅固で真実である。
「若菩薩成就如是持戒,不失十法。何等十法?謂不失於轉輪王位,既在是位不生放逸,悕望欲得無上菩提願得見佛;不失帝釋,既得是處不生放逸,悕望欲得無上菩提願得見佛;不失梵王,既在是處不生放逸,悕望欲得無上菩提願得見佛;淨信正真不失聞法;如所聞法善能分別;不失攝取菩薩智慧;不失無斷無礙辯才;不失集聚一切善根;不失一切諸佛聲聞緣覺所讚;不失疾能通達一切諸佛智慧。若菩薩成就如是持戒,不失此十法。
もし菩薩がこのような戒を成就すれば、十の法を失うことはありません。その十法とは何か?
1. 転輪王の位を失うことがない。その位にあっても放逸にならず、無上の菩提を得たいと願い、仏に会えることを望む。 2. 帝釈の位を失うことがない。その位を得ても放逸にならず、無上の菩提を得たいと願い、仏に会えることを望む。 3. 梵王の位を失うことがない。その位にあっても放逸にならず、無上の菩提を得たいと願い、仏に会えることを望む。 4. 清らかな信仰を確かに持ち、法を聞くことを失わない。 5. 聞いた法をよく分別することができる。 6. 菩薩の智慧を摂取することを失わない。 7. 絶えることのない無碍の弁才を失わない。 8. 一切の善根を集めることを失わない。 9. 一切の諸仏や声聞・縁覚による讃嘆を失わない。 10. 速やかに一切の諸仏の智慧に通達することを失わない。
菩薩がこのような戒を成就すれば、この十の法を失うことはありません。
「菩薩成就如是戒聚,諸天常禮、諸龍宗敬、夜叉常供、諸乾闥婆亦常供養,阿修羅敬侍,諸王、婆羅門、長者、居士皆尊重之;智者常趣、諸佛常念、諸天世人常師事之,常愍眾生。
菩薩がこのように戒めを身につけるならば、天人は常に礼拝し、竜神たちは敬い、夜叉は常に供養し、乾闥婆もまた常に供養します。阿修羅は敬い仕え、王様やバラモン、長者、在家の皆さまも尊び、敬います。賢者は常に近づき、仏様たちは常に心にかけ、天と人の世では常に師として仰ぎ、いつも生きとし生けるものを慈しみます。
「若菩薩如是淨持戒聚,不生四處,除化眾生。何等四?不生邊地、不生無佛國、不生邪見家、不生惡道。菩薩如是淨持戒聚不生四處。
菩薩がこのように清らかに戒律を守り積むならば、衆生を教化する場合を除いて、次の四つの場所には生まれません。その四つとは何か。辺地(辺鄙な土地)には生まれず、仏のいない国には生まれず、邪見の家には生まれず、悪道(苦しみの世界)には生まれません。菩薩がこのように清らかに戒律を守り積むならば、この四つの場所には生まれないのです。
「復次,善男子!菩薩如是淨持戒聚不失四法。何等四?所謂不失菩提之心、不失念佛、不失聞法、既聞法已乃至無量阿僧祇劫而不忘失,是為菩薩淨持戒聚不失四法。
「さらに、善き人よ。菩薩はこのように戒の集まりを清らかに保つことで、四つの法を失うことがありません。その四つとは何か。すなわち、悟りを求める心を失わないこと、仏を念じることを失わないこと、教えを聞くことを失わないこと、そして教えを聞いたならば、無量・無数の長い時間が過ぎてもそれを忘れないことです。これらが、菩薩が戒の集まりを清らかに保つことで失わない四つの法なのです。」
「善男子!若菩薩如是淨護戒聚,不值四處——不值法滅、不值刀兵劫、不值飢餓劫、不值劫燒。菩薩如是淨持戒聚不值是四。
「善き人よ。もし菩薩がこのように戒の集まりを清らかに守るならば、四つの場所に出会うことはない。すなわち、法が滅びる時、刀兵の劫、飢饉の劫、劫が焼き尽くされる時に出会うことはない。菩薩がこのように戒の集まりを清らかに保つならば、これらの四つに遭うことはないのである。」
「復次,善男子!菩薩如是淨持戒聚得四勝法。所謂不誑佛、不誑諸天、不誑眾生、不誑自心。菩薩如是淨持戒聚得四勝法。
さらに、善き人よ。菩薩がこのように戒めを清らかに保つならば、四つの優れた功徳を得る。すなわち、仏を欺かず、天を欺かず、衆生を欺かず、自らの心を欺かないことである。菩薩がこのように戒めを清らかに保つならば、これら四つの優れた功徳を得るのである。
「復次,善男子!菩薩成就護持戒聚離十種畏。何等十?離地獄畏,離畜生畏,離餓鬼畏,離貧窮畏,離不稱讚畏,離諸纏畏,離諸聲聞、緣覺位畏,離天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、拘辦茶、羅剎等畏,離魁膾、刀杖、火毒等畏,離諸師子、虎豹、熊羆及多勒叉、狐狼、蟒蛇、猫鼠、百足毒蛇、䖧𧔣、王賊等畏。菩薩如是住淨戒聚離十種畏。
「さらに、善き男子よ、菩薩は戒律の集まりを保ち守ることによって、十の怖れから離れます。その十とは何か。地獄の怖れ、畜生の怖れ、餓鬼の怖れ、貧しさの怖れ、褒められないことへの怖れ、煩悩に絡まれる怖れ、声聞や独覚の境地にとどまる怖れ、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・鳩槃荼・羅刹などの怖れ、屠殺者や刀杖、火毒などへの怖れ、獅子・虎・豹・熊・羆・その他野獣や狐・狼・大蛇・猫・鼠・百足の毒蛇・毒虫・王や盗賊などへの怖れです。菩薩はこのように清らかな戒律の集まりを保ち、十の怖れから離れるのです。」
「善男子!菩薩持戒則能發起一切佛法,乃至起於無上菩提。何以故?若有持戒便有三昧、若有持戒便有智慧、若有持戒便有解脫、若有持戒便有解脫知見。
「善き人よ。菩薩が戒律を守ることによって、あらゆる仏の教えを引き起こし、さらにはこの上ない悟りへと至ることができる。なぜか。戒律を守れば、心の統一(三昧)が生まれ、戒律を守れば、智慧(プラジュニャー)が生まれ、戒律を守れば、解脱が生まれ、戒律を守れば、解脱の智慧と見解が生まれるからである。」
「善男子!云何名戒?戒者,名為寂調結使。以何緣故名為結使?以染污三有諸眾生故名為結使。云何名寂?無妄想、無分別、無起著,永不思念一切諸法,是名寂調一切結使。
「善男子よ。戒とは何か。戒とは、煩悩を静め整えることをいう。では、なぜ煩悩というのか。それは、三つの世界に生きる生きとし生けるものを汚すからである。静め整えるとは何か。妄想がなく、分別がなく、執着して起こすことがなく、決して一切の諸法について思いを巡らせないこと、これを煩悩をすべて静め整えるというのである。」
「善男子!若菩薩摩訶薩不能如是知寂調結使,是不名為戒聚清淨。何以故?若不能知寂調結使,雖生梵世猶為結染,乃至非想非非想處猶為結使。善男子!是故當知寂三界結名淨戒聚。」
「善き男子よ。もし菩薩摩訶薩が、このようにして煩悩を静め調えることを知らなければ、戒めの集まりが清らかであるとは言えない。なぜなら、煩悩を静め調えることを知らなければ、梵天の世界に生まれてもなお煩悩に染まっており、非想非非想処に至ってもなお煩悩に束縛されているからである。善き男子よ。それゆえに、三つの世界の煩悩を静めることを、清らかな戒めの集まりと知るべきである。」
爾時,淨威力士白佛言:「世尊!若離三界諸結使染名淨戒聚,世尊何故為菩薩時離三界結,還生其中?」
その時、浄威力士が仏に申し上げた。「世尊よ。もし三界(欲界・色界・無色界)の束縛や汚れを離れることが清らかな戒めの集まりだというのなら、なぜ世尊は菩薩の時に、その三界の束縛を離れながら、再びそこに生まれたのですか?」
爾時,世尊告淨威力士:「善男子!菩薩摩訶薩不以自結生於三界,以方便故同在三界無三界結,化眾生故。善男子!假使人天能畫虛空現諸色像,於意云何?為希有不?」
その時、世尊は浄威力士に告げられた。「善男子よ。菩薩摩訶薩は、自らの執着によって三界に生まれるのではありません。方便のゆえに、あえて三界に同化していながら、三界の執着は全くなく、ただ衆生を教化するためなのです。善男子よ。もし人が虚空を描いて様々な形や色を現すことができるとしたら、あなたはどう思うか。それは希有なことだろうか?」
「如是世尊!如是善逝!是人所作甚為希有。」
「その通りです、世尊よ。その通りです、善逝よ。この方がなさったことは、まことに稀有なことです。」
佛言:「善男子!菩薩捨離一切結使,處在三界、現三乘化,是乃希有。」
仏はおっしゃいました。「善男子よ、菩薩は一切の結使を捨て離れながら、三界にとどまり、三乗の教化を現すのです。これこそ希有なことです。」
淨威力士言:「世尊!是菩薩成就住解脫門,憐愍眾生還住三界。世尊!譬如有人從魁膾所得全身命,既得脫已,復還其所而語之言:『汝今殺我,莫殺餘人。』世尊!是三界者如魁膾舍、一切眾生喻應死者、生死諸行猶如魁膾、從得脫者猶如菩薩脫三界已,為化眾生、為脫眾生還住三界。世尊!是菩薩大悲,諸聲聞、緣覺所不能及。何以故?聲聞、緣覺無是大悲、無善方便、無淨戒莊嚴。」
浄威力士は仰せました。「世尊よ、この菩薩は解脱の門に安住する境地を成就しながらも、衆生を哀れんで三界に留まります。世尊よ、譬えば、ある人が死刑執行人の手から命拾いをし、その危地を脱した後、再び執行人のところへ戻って『あなたは私を殺しなさい。他の者を殺してはならない』と言うようなものです。世尊よ、この三界はいわば執行人の家のようなものであり、一切の衆生は死に処せられる者に譬えられ、生死の諸々の行いは執行人そのもののようなものです。そして、そこから逃れ得た者は、譬えば菩薩が三界を脱した後、衆生を教化し、衆生を救済するために再び三界に留まるようなものです。世尊よ、この菩薩の大悲は、声聞や縁覚などとうてい及ぶものではありません。なぜなら、声聞や縁覚にはこのような大悲も、巧みな方便も、清らかな戒による荘厳もないからです。」
世尊復告淨威力士:「善男子!云何菩薩摩訶薩善能修集多聞莊嚴、求學多聞?善男子!菩薩摩訶薩於諸和上阿闍梨所,恭敬、供養、尊重、讚歎,隨教而行,除捨憍慢速受教誨,於正法中生起藥想、於和上阿闍梨所生起佛想、於自身所起病人想、於說法者起明醫想,為集佛法不愛身命,於諸財物衣鉢之餘起惱結想。雖具封祿不生愛著,為重法故一切悉捨、為護正法應捨一切世間珍寶、為得法故應捨一切名譽讚歎、為得法王捨諸王位。為捨一切諸結使故,應當勤修集法相應;為救一切諸眾生故,應當勤修集法相應。菩薩摩訶薩修集諸法者,一切善根自然而得。是故,善男子!菩薩摩訶薩欲成菩提、欲竪立智柱,應修多聞。
世尊が再び浄威力士に告げられた。「善男子よ。どのようにして菩薩摩訶薩は、よく多聞の荘厳を修し集め、多聞を求めて学ぶのか。善男子よ。菩薩摩訶薩は、すべての師匠や教授師のもとにおいて、敬い、供養し、尊び、讚嘆し、その教えに従って行い、驕りを捨てて速やかに教えを受け、正法に対しては薬のように思い、師匠や教授師に対しては仏のように思い、自身に対しては病人のように思い、説法者に対しては名医のように思う。仏法を集めるためには命さえ惜しまず、すべての財物や衣鉢の余計なものに対しては煩悩の束縛のように思う。たとえ地位や俸禄を備えていても愛着せず、法を重んじるゆえにすべてを捨て、正法を守るためには世の中のすべての珍宝を捨てるべきであり、法を得るためにはすべての名声や讚嘆を捨てるべきであり、法王となるためにはすべての王位を捨てるべきである。すべての煩悩の束縛を捨てるために、精進して法にかなった行いを修集すべきであり、すべての衆生を救うために、精進して法にかなった行いを修集すべきである。菩薩摩訶薩が諸々の法を修集するならば、すべての善根は自然に得られるのである。それゆえに、善男子よ。菩薩摩訶薩は菩提を成就し、智の柱を打ち立てたいと望むならば、多聞を修すべきである。」
「善男子!如帝釋堂因柱得住,三十三天在中歡樂。如是,善男子!由菩薩智柱,一切諸天世人悉蒙受樂。
善男子(ぜんなんし)よ。ちょうど帝釋天(たいしゃくてん)の堂が柱によって支えられ、三十三天(さんじゅうさんてん)の者がそこで楽しむように、善男子よ。菩薩(ぼさつ)の智慧という柱によって、すべての天や世の人々が楽しみを得るのである。
「善男子!若有菩薩發菩提心,菩提所攝言欲作佛,於多聞中而不勤修,諸眾生中最為無智。是故,善男子!菩薩摩訶薩應勤精進修集多聞,諸眾生中為多聞柱。是時,諸天歡喜踊躍。是善丈夫,堅牢精進修集智慧,必能獲得於佛十力;是善丈夫,當以慧力斷諸結網;是善丈夫,當演說法斷於一切眾生結使;是善丈夫,當往至彼菩提樹下諸佛坐處;是善丈夫,當以自力降一切魔;是善丈夫,當轉十二行相法輪。
「善男子よ。もし菩薩が菩提心を発し、菩提に導かれて仏陀になろうと願いながら、広く教えを聞くことに精進しないなら、その者は衆生の中でも最も智慧のない者である。ゆえに、善男子よ。菩薩摩訶薩は、熱心に努力し、広く教えを積み集めるべきである。そうすれば、衆生の中で『多聞の柱』となるであろう。
その時、天の人々は歓喜し踊るであろう。『この善き丈夫は、堅固に精進し、智慧を積み集めて、必ずや仏の十力を得るであろう。この善き丈夫は、智慧の力で、あらゆる束縛の網を断ち切るであろう。この善き丈夫は、説法して、すべての衆生の煩悩を断ち切るであろう。この善き丈夫は、菩提樹の下、諸仏の坐所に至るであろう。この善き丈夫は、自らの力で一切の魔を降伏するであろう。この善き丈夫は、十二の行相を持つ法輪を転ずるであろう。』」
「善男子!若有菩薩修多聞時,一切魔宮皆悉闇蔽,三千大千世界魔王皆悉憂惱,作如是言:『是人今者勝過我等。』其餘魔天各作是言:『是人降伏於我等主,我等一切悉屬是人。』
「善き者よ。もし菩薩が多くを聞いて学ぶならば、すべての魔の宮殿は闇に包まれ、三千大千世界の魔王たちは皆、憂い悩んでこう言うでしょう——『この人は今、我々を超えている』と。また、他の魔の諸天はそれぞれこう言うでしょう——『この人は我々の主を打ち負かした。我々は皆、この人のものとなった』と。
「何以故?善男子!由是菩薩集多聞慧能寂結使,以無結使魔不得便;已有多聞則能分別,既能分別則能修行,已能修行魔不得便;修多聞者遠離邪見,得住正見,已能正住魔不得便,則能正修;已能正修,能分別義,離諸非義,便能正度義及非義。
「なぜかというと、善き男子よ。菩薩が多くの教えを聞く智慧を集めることで、煩悩を静め鎮めることができるからです。煩悩がなければ、悪魔は付け入る隙を得ることができません。多くの教えを聞けば、ものごとを正しく見分けることができ、正しく見分ければ修行ができ、修行ができれば悪魔は付け入る隙を得られません。多くの教えを聞く人は、誤った見解から遠ざかり、正しい見解に安住します。正しく安住すれば悪魔は付け入る隙を得られず、正しく修行できます。正しく修行できるならば、物事の意味を正しく見分け、あらゆる無意味なことから離れ、意味あることと無意味なことを正しく区別できるのです。」
「善男子!以是緣故應如是知。善男子!菩薩修集是多聞時,除四種魔。所謂陰魔、煩惱魔、死魔、天魔。
善き男子よ、このような理由から、そのように知るべきである。善き男子よ、菩薩が多くの教えを修め集める時、四種の魔を除く。すなわち、五陰の魔、煩悩の魔、死の魔、天魔である。
「善男子!如本菩薩集多聞時,欲法、利法、善住於法,我今少說。
「善き人よ。菩薩がかつて多くの教えを集めたときのように、法を欲し、法を利益とし、法に善く安住することを、今私は少しだけ説こう。」
「善男子!乃往過世阿僧祇劫無量無邊不可思議。爾時,有大仙人名曰最勝,住山林中具五神通,常行慈心。作如是念:『我今山中修行慈心無所利益,不但慈心能滅眾生無量劫中所集煩惱,非此慈心能起正見。』復作是念:『因於何事能起正見?』作是念言:『有二因緣能起正見。謂從他聞、聞已正思。以是二法能生正見。』是時,便生求多聞心:『當從何處得聞善說,為法因緣集法相應?』
「善男子よ。遥か過去のアーサンキヤ劫、無量無辺、不可思議の昔。その時、一人の大いなる仙人がおりました。名を最勝と言い、山林に住み、五つの神通力を具え、常に慈しみの心を修めていました。彼はこう考えました。
『私は今、山中で慈心を修しているが、これによって何の利益もない。慈心だけでは、衆生が無量の劫の間に積み重ねた煩悩を滅することはできない。この慈心だけでは、正しい見解を起こすこともできない。』
さらにこう考えました。『では、どのようなことによって正しい見解が生じるのか?』
そして、こう思い至りました。『二つの因縁によって正しい見解は生じる。すなわち、他から教えを聞くことと、聞いてから正しく思惟することである。この二つの方法によって、正しい見解が生まれるのだ。』
そこで彼は、多くの教えを聞きたいという心を起こしました。『どこで、善い説法を聞くことができるだろうか。法を求める因縁により、法にかなった教えを集めるには、どうすればよいのだろうか。』」
「爾時,仙人至諸聚落封邑郡縣王城,處處推求多聞,了不能得說法之師。時魔天子來至其所,作如是言:『我今有佛所說一偈。』是最勝仙聞佛偈名,即語之言:『為我演說。』時天報言:『汝今若能剝皮為紙、以血為墨、折骨為筆,書寫此偈,乃當相與佛所說偈。』
その時、仙人は村々や町々、郡や県、さらには王城に至るまで、あちこちで広く教えを求めたが、説法の師を得ることはついになかった。すると、魔の天子が彼のところに来て、こう言った。「私には今、仏がお説きになった一つの偈があるのだ。」この最勝仙は、仏の偈であると聞いて、すぐに言った。「どうか、私のために説いてください。」そこで、魔の天子は答えた。「もしお前が今、自分の皮を剥いで紙とし、血を墨とし、骨を折って筆とし、この偈を書き写すならば、その時にこそ仏の説いた偈を与えよう。」
「善男子!時最勝仙作是念言:『今我此身無量生死,在在生處賊兵魁膾,百千劫中常以無事墮在彼手,利刀割截、分解支節,或為欲故、或財利故,殺縛、捶打、繫閉、訶罵,受無量苦都無利益,唐受割截。我今當以此不堅身易得妙法。』歡喜踊躍,我得大利,聞是法語,於此天所生師宗想。即以利刀自剝身皮乾以為紙、復刺出血用以為墨、復折其骨削以為筆,合掌向天而作是言:『天為我說佛所得偈。如先所勅,剝皮為紙、出血為墨、折骨為筆,我悉作已。』
「善男子よ。そのとき、最勝仙はこう思いました。『今、この私の身体は、無数の生まれ変わりの中で、賊や兵士、執行人の手に、何百、何千という劫もの間、理由もなく落ちてきた。鋭利な刀で切り裂かれ、手足をばらばらにされ、あるいは欲望のため、あるいは金銭の利得のために、殺され、縛られ、打たれ、閉じ込められ、罵られ、無数の苦しみを受けてきたが、それらには何の利益もなく、無駄に切り裂かれてきた。今、私はこの不安定な身体をもって、素晴らしい法を得よう。』彼は喜び勇んで言いました。『私は大きな利益を得た。この法の言葉を聞き、この天を師と仰ごう。』そして、鋭利な刀で自らの皮を剥ぎ、それを紙とし、さらに血を刺して墨とし、骨を折って筆とした。彼は両手を合わせて天に向かい、こう言いました。『天よ、私のために、仏が悟られた偈を説いてください。あなたが先に命じられた通り、皮を剥いで紙とし、血を出して墨とし、骨を折って筆としました。私はすべて成し遂げました。』」
「善男子!時魔天子見最勝仙恭敬為法,見已愁悴,即便隱去。
善男子よ。そのとき、魔王の天子は、最勝仙人が法のために恭敬している様子を見て、心を悩ませ、そのまま姿を隠して去った。
「善男子!時最勝仙見天沒已,作如是念:『我今為法生恭敬心,剝皮為紙、折骨為筆,我今如此恭敬求法,而是善根終不敗亡。若我此言誠實不虛,起慈悲心為諸眾生不惜身命,剝皮為紙、出血為墨、折骨為筆。若我至心誠實不虛,餘方世界大慈大悲能說法者,當現我前。』
「善き人よ。その時、最勝仙人は天人が亡くなったのを見て、こう考えました。『私は今、法のために敬虔な心を起こし、皮をはいで紙とし、骨を折って筆としよう。このように敬虔に法を求めるなら、この善根は決して滅びないはずだ。もし私のこの言葉が偽りなく真実であり、慈しみの心をもって、すべての生きとし生けるもののために自らの命を惜しまず、皮をはいで紙とし、血を出して墨とし、骨を折って筆とするなら、すなわち、もし私のこの至誠の心が偽りなく真実であれば、他の世界において、大いなる慈悲をもって法を説くことのできる方が、私の前に現れるだろう。』」と。
「善男子!最勝大仙作是語時,一念之頃,東方去此佛土三十二佛剎,彼有國土名普無垢,是中有佛號淨名王如來、應供、正遍覺,今者現在,知最勝仙心念所作,亦欲教化是閻浮提諸眾生故,譬如壯士屈伸臂頃,乘空而來到是最勝仙人前住,及五百菩薩。是淨名王如來放大光明遍照彼林,天雨眾花,時彼樹林枝葉、花果皆出法音。爾時,無量百千萬億諸天來集。
「善男子。最勝大仙がこの言葉を語った、その瞬間のことです。東方、この仏国土から三十二もの仏の世界を隔てた場所に、『普無垢』という名の国土がありました。そこには『浄名王如来・応供・正遍覚』と称される仏がおられ、今まさに現存していました。この仏は、最勝仙が心の中で願ったことを全て知り、さらには閻浮提(私たちの世界)の衆生を教化しようとお考えになりました。ちょうど力強い人が腕を伸ばしたり曲げたりするほどの一瞬のうちに、虚空を渡って、あの最勝仙人の前に、五百人の菩薩と共に姿を現されました。そして、浄名王如来は大いなる光明を放ち、その林全体を照らし出し、天からは様々な花が雨のように降り注ぎました。その時、あの林の枝や葉、花や果実までもが、みな法の音を響かせたのです。また、その時には、無量の百千万億もの天の人々が集まって来ました。」
「是時,彼仙得淨名王佛光觸身已,苦痛悉除,還復如故,無有瘡瘢。爾時,彼仙頭面敬禮佛世尊足,右遶三匝,合掌頂上,白淨名王佛而作是言:『世尊是我師!善逝是我師!世尊!我今歸依佛、歸依法、歸依僧,惟願世尊為我說法。我聞法已,不信眾生,行邪見者、壞正見者、行黑闇者,導示正故而為說法。』
その時、その仙人は浄名王仏の光が身に触れたことで、あらゆる苦痛が消え去り、元の通りに傷も瘢痕もなくなりました。そこで、その仙人は頭を地につけて仏世尊の足に礼拝し、右に三回巡って、合掌して頭の上にかざし、浄名王仏にこう申し上げました。「世尊こそが私の師です。善逝こそが私の師です。世尊よ、私は今、仏に帰依し、法に帰依し、僧に帰依します。どうか世尊が私のために法を説いてください。私はその法を聞いた後、信じない衆生や、邪見を行じる者、正見を壊す者、暗闇の中を歩む者たちに、正しい道を示すために説法いたします。」
「善男子!爾時,淨名王佛因最勝仙及諸天子諸菩薩等,為其演說此集一切福德三昧法。彼天眾中八千天子本種善根,皆發無上正真道心;最勝大仙得大喜悅,生於大信得無礙辯。
「善男子よ。その時、浄名王仏は、最勝仙ならびに諸々の天子や菩薩たちのために、この『一切の福徳を集める三昧の法』を説かれました。その天人の集まりの中にいた八千の天子たちは、もとより善い根を育てていたため、皆、無上の正しい悟りを求める心を起こしました。最勝の大仙は、大いなる喜びを得て、深い信を生じ、自在の弁才を獲得したのです。」
「彼佛如來復為演說八金剛句。何等八?一切諸法性本淨句,一切諸法離結使故;一切法無漏句,盡諸漏故;一切法離巢窟句,過巢窟故;一切法無門句,無有二故;一切法普遍句,示解脫門故;一切法無去句,無去處故;一切法無來句,斷諸來故;一切法三世等句,去來現在無二相故。彼淨名王佛演說如是八金剛句,是中開解一切法義。
かの仏・如来はさらに八つの金剛句を説かれました。その八つとは何か。
「一切の諸法(あらゆる現象)は、その本性がもともと清らかであるという句。すべての法は、煩悩という結びつきを離れているからである。
すべての法は、漏れ(煩悩)が尽きているという句。すべての漏れが尽きているからである。
すべての法は、巣窟(執着の住まい)を離れているという句。巣窟を超えているからである。
すべての法は、門がないという句。二つの相対性がないからである。
すべての法は、あまねく行き渡るという句。解脱の門を示すからである。
すべての法は、去るところがないという句。去るべき場所がないからである。
すべての法は、来るところがないという句。すべての来ることを断っているからである。
すべての法は、三世(過去・未来・現在)が等しいという句。過去・未来・現在が二つとしての相を持たないからである。」
浄名王仏は、このように八つの金剛句を説き、その中であらゆる法の意味を開き解かれました。
「復更演說餘八法門,令菩薩摩訶薩疾成就智。何等八?謂一切法名字門,以名分別一切法故;一切法音聲門,以言分別令歡喜故;一切法共要門,一切諸法決定相故;一切法言說門,虛妄自在故;一切法自相門,離他相故;一切法畢竟盡門,無所有故;一切法分別門,從分別有故;一切法平等門,等一味故。最勝!是名八法門疾成就智。
さらに、ほかの八つの法門を説き示して、菩薩摩訶薩が速やかに智慧を成就できるようにしましょう。その八つとは何でしょうか。
第一に、一切の法の名前の門です。名前によってすべての法を分別するからです。 第二に、一切の法の音声の門です。言葉によって分別し、喜びを与えるからです。 第三に、一切の法の要点の門です。すべての法に決定した相があるからです。 第四に、一切の法の言説の門です。虚妄でありながら自在であるからです。 第五に、一切の法の自相の門です。他相を離れているからです。 第六に、一切の法の畢竟尽の門です。何も所有しないからです。 第七に、一切の法の分別の門です。分別から生じるからです。 第八に、一切の法の平等の門です。等しく一味であるからです。
最勝よ、これが八つの法門であり、速やかに智慧を成就させるものです。
「最勝!復有八字種子門,能成就於無盡辯才。何等八?一切法阿字種子門,示法無生故;一切法蛇字種子門,示第一義法故;一切法那字種子門,示字名色故;一切法遮字種子門,示現一切法調伏故;一切法婆字種子門,示一切法入平等故;一切法多字種子門,示如不壞故;一切法迦字種子門,滅苦業故;一切法摩字種子門,究竟成就斷一切法故。是名八字種子門,能成就於無盡辯才,是故最勝。
「最勝よ、さらに八つの字の種子門があり、尽きることのない弁才を成就させる。その八つとは何か。すべての法は「ア」の字の種子門であり、法に生まれがないことを示す。すべての法は「ジャ」の字の種子門であり、第一義の法を示す。すべての法は「ナ」の字の種子門であり、字と名色を示す。すべての法は「チャ」の字の種子門であり、すべての法を調伏することを現す。すべての法は「バ」の字の種子門であり、すべての法が平等に入ることを示す。すべての法は「タ」の字の種子門であり、如が壊れないことを示す。すべての法は「カ」の字の種子門であり、苦の業を滅する。すべての法は「マ」の字の種子門であり、究極に成就してすべての法を断つ。これらを八つの字の種子門といい、尽きることのない弁才を成就させる。ゆえに、最勝である。」
「是八字種子句門、八法句門、八金剛句門,正念修行,常離憒閙,恒善思惟,觀察修集功德之利。
是れ八つの種子句の門、八つの法句の門、八つの金剛句の門なり。正念をもって修行し、常に喧騒を離れ、恒に善く思惟し、功徳の利益を観察し修集せよ。
「善男子!淨名王如來說是法已,放大光明遍照世界,震動大地,即沒不現,與諸菩薩還至彼土,彼諸眾生都不覺知佛來去時。
「善男子よ。浄名王如来はこの法を説き終えられると、大いなる光明を放って世界を照らし、大地を震動させた。そのまま姿を消され、菩薩たちと共にあの国へと還って行かれた。しかし、あの国の人々は、如来が来られ、また去られたことにも全く気づかなかったのである。
「善男子!爾時,最勝大仙成就聖辯,諸天侍衛、諸天守護為降魔故,至諸聚落諸城國邑,為諸眾生廣敷演說此集一切福德三昧。滿于千歲常演說法,令八萬四千眾生住聲聞乘、八萬四千眾生住緣覺乘、八萬四千眾生住於大乘、八萬四千眾生作轉輪王、八萬四千眾生作釋提桓因、八萬四千眾生得作梵王、八萬四千眾生修行於慈、八萬四千眾生修行於悲、八萬四千眾生修行於喜、八萬四千眾生修行於捨、無量眾生得生天上。
「善男子よ。その時、最勝大仙は見事な弁才を成就し、天の神々が彼を守り護った。悪魔を降伏させるため、彼は様々な村々や町々、国々を巡り、多くの人々のためにこの『一切の福徳を集める三昧』を広く説き示した。千年の間、絶えず法を説き続けたことで、八万四千の衆生は声聞の道に、八万四千の衆生は縁覚の道に、八万四千の衆生は大乗の道に安住した。また、八万四千の衆生は転輪聖王となり、八万四千の衆生は釈提桓因(たいしゃくてん)となり、八万四千の衆生は梵天となることができた。さらに、八万四千の衆生は慈心を、八万四千の衆生は悲心を、八万四千の衆生は喜心を、八万四千の衆生は捨心を修行し、数え切れないほどの衆生が天界に生まれることができたのです。」
「是最勝大仙後乃命終,即往生彼淨名王佛普無垢土,及八萬四千天子亦生彼土。
この最も優れた大いなる仙人は、その後寿命を終え、浄名王仏の普無垢土という清らかな世界に生まれ変わりました。また、八万四千の天人の方々も、同じくその世界に生まれたのです。
「善男子!於意云何?爾時,最勝仙者豈異人乎?汝勿有疑,即我身是。我本如是欲法、敬法,說誠實言,便能敬感彼淨名王佛來至我所。是以當知,若有菩薩恭敬求法,則於其人,佛不涅槃、法亦不滅。
「善男子(善き人よ)、どう思うか。あの時の最勝仙人というのは、他の誰かではない。疑ってはならない。それはすなわち、私自身である。私はこのように法を求め、法を敬い、誠実な言葉を語った。それによって、あの浄名王仏が私のもとに来てくださるという敬いの感応があったのだ。だから知るべきである。もし菩薩が恭敬の心をもって法を求めるならば、その人にとって、仏は涅槃に入らず、法もまた滅びることはない。」
「何以故?淨威!若有菩薩專志成就求正法者,雖在異土,常面覩佛得聞正法。淨威!若菩薩摩訶薩欲法、敬法,令諸山巖樹木林藪出諸法藏陀羅尼門,及諸經卷自來在手。淨威!諸有菩薩敬法、欲法,若有諸天曾見佛者來至其所,從於佛所得聞諸法具為演說。
「なぜならば、浄威よ、もし菩薩が一意専心に正しい教えを求め続けるならば、たとえ遠い国にいても、常に仏を目の前に見て、正しい教えを聞くことができる。浄威よ、もし菩薩摩訶薩が法を欲し、法を敬うならば、山々の岩や木々の林からも、法蔵や陀羅尼の門、また経典そのものが自然に手に入る。浄威よ、諸々の菩薩が法を敬い、法を欲するならば、かつて仏に会ったことのある天の神々がそのもとに訪れ、仏から聞いた教えをすべて説いてくれるであろう。」
「淨威!利法菩薩若其壽盡,諸佛世尊增益其壽,佛力持故,欲住千歲即便能住,二千、三千、四千、五千,乃至一劫若減一劫,隨意得住。
「浄威よ、利法菩薩がもしその寿命が尽きようとも、諸仏・世尊はその寿命を延ばされる。仏の力によって支えられるからだ。千歳でも留まりたいと思えば留まることができ、二千、三千、四千、五千、あるいは一劫、半劫でも、思いのままに留まることができるのだ。」
「淨威!若有菩薩敬法、欲法,不老、不病,得憶念力,進趣智慧,得於辯才。若有菩薩敬法、欲法、得見佛已,捨離諸見,趣入正見。淨威!若有菩薩敬法、欲法,一切眾生無能侵害。
「浄威よ、もしも菩薩が法を敬い、法を求めるならば、老いることなく、病むこともなく、記憶する力を得て、智慧へと進み、弁才を得るでしょう。また、もし菩薩が法を敬い、法を求めるならば、仏を見た後は、あらゆる誤った見解を捨て去り、正しい見解へと入っていくでしょう。浄威よ、もしも菩薩が法を敬い、法を求めるならば、全ての生きとし生けるものは、その菩薩を害することができなくなります。」
「是故,淨威!是大眾生應當勤修多聞莊嚴,所獲功德復過於是。
「ですから、浄威よ。この偉大な者は、多くの教えを聞いて身に着けるという荘厳を熱心に修行すべきです。そうして得られる功徳は、さらにそれを超えるものなのです。」
「淨威!若有菩薩住是三福莊嚴,福柱廣、福增、福無盡、福不思議,無有能得是福邊者。淨威!可以一毛數大海渧,無有能盡是菩薩莊嚴福聚、淨戒多聞慧聚,得其邊者。
「浄威よ、もし菩薩がこの三つの福徳の荘厳にとどまるならば、その福徳の柱は広く、福徳は増し、尽きることがなく、思議を超えている。誰もその福徳の果てを知ることはできない。浄威よ、一本の毛先で海の水滴を数えることはできても、この菩薩の荘厳なる福徳の集まり、清らかな戒、多くの学び、智慧の集まりの果てを知ることはできないのだ。」
「淨威!能稱三千大千世界草木山林及諸眾生得其輕重,不能稱量如是菩薩莊嚴福戒、多聞慧聚,得其邊者,是名解說智莊嚴已。」
浄威よ、三千大千世界の草木や山林、そしてあらゆる生きとし生けるものの重さを量ることはできても、このような菩薩の荘厳なる福徳と戒め、そして広い学問と智慧の集まりの限界を量ることはできない。これを「智の荘厳を説き明かす」というのである。
爾時,淨威力士白佛言:「世尊!布施莊嚴、淨戒莊嚴、多聞莊嚴,是三莊嚴,何者為最?何者為勝?」
その時、浄威力士が仏に申し上げました。「世尊(おさとしのお方)、布施の荘厳、浄戒の荘厳、多聞の荘厳、この三つの荘厳の中で、どれが最も優れ、どれが最も勝れているのでしょうか?」
佛言:「淨威!三莊嚴中,多聞莊嚴最可稱歎、最勝尊上、無上、無上上。
仏が言われた。「浄威よ、三つの荘厳(三つの清らかな飾り)の中で、多くの教えを聞くという荘厳が最も称賛に値し、最も優れて尊く、この上なく、この上もないものなのです。
「善男子!如須彌邊著一芥子,而是施福及淨戒聚亦復如是,猶如芥子;多聞莊嚴如須彌山。善男子!如一小鳥所住虛空,施戒莊嚴亦復如是;多聞莊嚴如餘虛空。
よき人々よ、須弥山に一粒の芥子を置くようなものだ。布施の功徳と清らかな戒めの集まりもまたこれと同じで、まるで芥子のように小さい。しかし、多くの教えを聞いて身につける荘厳は、須弥山のように広大である。
よき人々よ、一羽の小鳥が飛ぶほどの虚空のようなものだ。布施と戒めの荘厳もまたこれと同じである。しかし、多くの教えを聞いて身につける荘厳は、残りの広大な虚空のようなものである。
「善男子!布施莊嚴能作二事。何等二?能除貧窮、成大封祿。淨戒莊嚴亦作二事。何等二?一離惡道、二至善處。善男子!多聞莊嚴亦作二事。何等二?謂能除去一切諸見、能集一切智慧莊嚴。善男子!布施莊嚴是有漏報、淨戒莊嚴亦有漏報;善男子!多聞莊嚴無漏無報。是故,善男子!菩薩摩訶薩應勤精進修多聞慧。」
「善き男子よ。布施の荘厳は二つの働きをする。何が二つか。貧しさを除き、大きな財産や地位をもたらすことである。清らかな戒律の荘厳もまた二つの働きをする。何が二つか。第一に悪い道から遠ざけ、第二に善い境地へ導くことである。善き男子よ。多くの教えを聞く荘厳もまた二つの働きをする。何が二つか。あらゆる誤った見解を取り除き、すべての智慧の荘厳を集めることである。善き男子よ。布施の荘厳は煩悩に染まった報いをもたらし、清らかな戒律の荘厳もまた煩悩に染まった報いをもたらす。しかし善き男子よ。多くの教えを聞く荘厳は煩悩を離れており、報いを伴わない。それゆえ、善き男子よ。菩薩は努め励んで、多くの教えを聞く智慧を修めるべきである。」
說是施福淨戒多聞莊嚴法時,三千眾生本種善根,便發無上正真道心;五千天子於諸法中遠離塵垢得法眼淨;淨威力士得無生法忍。
このように、布施・清らかな戒律・多くの学びを荘厳とする法を説かれたとき、三千の衆生はもとより善根を培っていたので、無上の正しい悟りの心を起こしました。また、五千の天子たちは、諸々の教えにおいて塵や汚れを離れ、清らかな法の眼を得ました。そして、浄威力士は、生も滅もないという真理の智慧を悟りました。
爾時,淨威力士白佛言:「世尊!菩薩摩訶薩成就幾法,疾能獲得無生法忍?」
その時、浄威力士が仏に申し上げた。「世尊よ、菩薩大士はどのような法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができるのでしょうか?」
佛言:「善男子!菩薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?謂解知身猶如鏡像、解知言說猶如響聲、解心如幻、解諸法無二。淨威!當知菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。
仏陀は言われた。「善き男子よ。菩薩が四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができる。その四つとは何か。すなわち、身体は鏡に映る像のようなものと悟ること、言葉は響きのようなものと悟ること、心は幻のようなものと悟ること、すべての諸法は二つではないと悟ることである。浄威よ、知っておきなさい。菩薩がこの四つの法を成就するならば、速やかに無生法忍を得ることができるのだ。」
「復次,善男子!菩薩摩訶薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?謂慈悲普覆遍一切眾生無眾生想、解諸法空不見所解、觀見佛淨不以肉眼住於慧眼、善分別心而不見心不依猗心。善男子!菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。
さらに、善き男子よ。菩薩摩訶薩が四つの教えを成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができる。その四つとは何か。すなわち、慈しみと悲しみを全ての生きとし生けるものに広く施すが、そこに「生きとし生けるもの」という考えを持たないこと。すべての現象(法)が空であると理解するが、その「理解した」という捉え方もしないこと。仏の清らかさを見るが、肉眼に頼らず、智慧の眼にとどまること。心をよく分別しても、心に捉われず、心に依存しないこと。善き男子よ。菩薩がこの四つの教えを成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができる。
「復次,善男子!菩薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?所謂不捨一切眾生、捨離諸見、護持淨戒、寂一切結。善男子!菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。
「さらに、善き人よ。菩薩が四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍(すべての現象が生じもせず滅しもないと悟る智慧)を得ることができる。その四つとは、すなわち、一切の衆生を見捨てないこと、さまざまな誤った見解を捨て去ること、清らかな戒律を守り続けること、すべての煩悩を静めることである。善き人よ。菩薩がこの四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができる。」
「復次,善男子!菩薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?謂有忍力、法轉增勝、勤行精進、解法寂靜。善男子!菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。
また、善き者よ。菩薩が四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができます。その四つとは、忍ぶ力を持つこと、法をさらに高めること、精進して努力すること、法の寂静を理解することです。善き者よ。菩薩がこの四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができるのです。
「復次,善男子!菩薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?所謂得禪而不依禪、以慧分別無有戲論、成就方便攝取眾生、增長諸行善知諸行。善男子!菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。
また、善男子(ぜんなんし)よ。菩薩(ぼさつ)が四つの教えを成就すれば、速やかに無生法忍(むしょうほうにん)を得ることができます。その四つとは、すなわち——禅定を得てもそれに執着せず、智慧によって分別しながらも無意味な議論をしないこと、巧みな手段を身につけて人々を導き、あらゆる行いを深く理解しながら修行を積み重ねることです。善男子よ。この四つの教えを成就した菩薩は、速やかに無生法忍を得ることができるのです。
「復次,善男子!菩薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?謂以大慈救諸眾生、謂以大悲不厭生死、謂以大喜欣樂於法、謂以大捨斷一切愛。善男子!菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。
「さらに、善き人よ。菩薩が四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍(すべてのものは生じもせず滅しもしないと悟る智慧)を得ることができる。その四つとは何か。すなわち、大いなる慈しみをもって生きとし生けるものを救うこと、大いなる悲しみをもって生死の輪廻を厭わないこと、大いなる喜びをもって真理を喜び楽しむこと、大いなる捨てる心をもって一切の執着を断ち切ることである。善き人よ。菩薩がこの四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができる。」
「復次,善男子!菩薩成就四法,疾能獲得無生法忍。何等四?謂得三解脫門、解知三世、超過三界、信法性無生。善男子!菩薩成就是四法者,疾能獲得無生法忍。」
また、善男子(ぜんなんし)よ。菩薩が四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍(むしょうほうにん)を得ることができる。その四つとは、すなわち三解脱門(さんげだつもん)を体得し、三世(さんぜ)を悟り知り、三界(さんがい)を超え、法性(ほっしょう)が無生(むしょう)であると信じることである。善男子よ。菩薩がこの四つの法を成就すれば、速やかに無生法忍を得ることができる。
演說如是諸四法時,淨威力士得無生法忍,歡喜踊躍,上昇虛空,高七多羅樹。爾時,三千大千世界六種震動,人天伎樂同時俱作,天雨花雲,大光普照遍此世界。
浄威力士がこの四つの教えを説かれた時、無生法忍(生も滅もない真理に安住する境地)を得て、喜び勇んで虚空に飛び上がり、七本の多羅樹の高さまで昇りました。
その時、三千大千世界が六種に震動し、人間と天人の音楽が一斉に響き渡り、天からは花の雲が降り注ぎ、大きな光がこの世界全体を包み込みました。
爾時,世尊即便微笑。
その時、世尊は静かにほほえまれました。
諸佛常法若微笑時,若干百千青、黃、赤、白、紅、紫等光從面門出,遍照無量無邊世界,上過梵世,還遶身三匝從頂相入。
仏様たちが微笑む時には、必ず無数の青、黄、赤、白、紅、紫などの光がお顔から放たれ、限りのない世界を照らします。その光は梵天の世界を越え、三度お体の周りを巡って、頂上から体内に還ります。
時大德阿難即從坐起,整衣服,偏袒右肩,右膝著地,合掌向佛白言:「世尊!佛不妄笑,今者世尊何緣而笑?」
その時、大徳アーナンダは座を立って衣を整え、右肩を露わにし、右膝を地につけて合掌し、仏に向かって申し上げた。「世尊よ、仏はお笑いになることなく、今、世尊はどのような因縁でお笑いになったのですか?」
說偈問曰:
偈を唱えて問いかけた。
「得無上智無垢眼, 諸根寂靜到彼岸,
大光須彌金山色, 導師以何因緣笑?
善知眾生諸根行, 淨慧相應知三世,
得於無想最上智, 面如滿月說笑緣。
如過去佛及未來, 現在諸佛尊亦爾,
種種真實清淨行, 善知一切如實義。
其身普遍諸佛界, 音聲亦滿諸佛界,
慈心普遍諸眾生, 願說誰與智相應?
自在知法如水月, 如幻化相亦如夢,
如空如電清淨法, 今人師子何緣笑?
解空無相無願法, 善知實性常調心,
如風遊行虛空中, 惟願演說何緣笑?
今佛智慧知誰心? 誰應道樹下降魔?
誰當坐於金剛座? 人仙今者何緣笑?
非是聲聞之境界, 亦非緣覺之所及,
是佛大海智境界, 願說所為之因緣。」
「無上の智慧と濁りなき眼を得て、 諸々の感覚は静まり、彼岸に至る。 大いなる光、須弥山、金山のような色を持つ導師は、 どのような因縁で微笑まれているのですか?
衆生のあらゆる感性と行いをよく知り、 清らかな智慧と相応して三世を悟り、 無想という最上の智慧を得たあなたは、 満月のような顔で、笑う因縁をお語りください。
過去の仏や未来の仏、 現在の諸仏の尊い方々も同様に、 様々な真実で清らかな行いを持ち、 すべてをあるがままに知っておられます。
その身はあまねく諸仏の世界に広がり、 音声もまた諸仏の世界に満ちています。 慈しみの心はあまねく衆生に及びます。 誰が智慧と相応するのか、どうかお説きください。
自在に法を知ることは水に映る月のよう、 幻の姿のようであり、また夢のようです。 空のよう、稲妻のよう、清らかな法であること、 今、人々の獅子よ、何の因縁で笑われるのですか?
空・無相・無願の法を解き、 真実の性質をよく知り、常に心を調え、 風が虚空を遊行するように、 どうか、何の因縁で笑われるのかをお語りください。
今、仏の智慧は誰の心を知るのですか? 誰が道場の樹の下で魔を降すべきなのでしょうか? 誰が金剛座に坐るのでしょうか? 人天の尊よ、今、何の因縁で笑われるのですか?
これは声聞の境地ではなく、 また縁覚の及ぶところでもありません。 仏の大海のような智慧の境地であり、 その行われる因縁をお説きください。」
爾時,佛告阿難:「汝今見是淨威力士住虛空不?阿難!是淨威力士過三百億阿僧祇劫,當得作佛,號多莊嚴王出現於世如來、應供、正遍覺、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、佛、世尊,於此東方國名嚴淨,劫名梵歎。阿難當知,是多莊嚴王佛嚴淨國中當得成佛,其土豐樂安隱熾盛,是諸人眾所受用物如兜率天。是莊嚴王佛不說餘法,惟菩薩乘;乃無聲聞、緣覺乘名,純菩薩僧皆得法忍;無諸八難、無有魔怨及諸外道。彼佛壽命無有限量,琉璃為地,閻浮那提金花以間錯之。」
そこで、仏は阿難に告げられた。「汝、今、この浄威力士が虚空に立つのを見るか。阿難よ、この浄威力士は、三百億アサンキア劫を過ぎて、ついに仏となるであろう。その名を多荘厳王如来・応供・正遍覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号し、この東方の、国名を厳浄、劫名を梵歎という世界に出現するであろう。
阿難よ、知るがよい。この多荘厳王仏は、厳浄という国において成仏されるであろう。その国は豊かで安らかであり、人々が享受するものは兜率天のようである。この荘厳王仏は、他の教えを説かず、ただ菩薩乗のみを説かれる。声聞や縁覚の乗という名すらなく、純粋な菩薩の僧伽(僧団)のみであり、皆、法忍を得ている。そこには八つの難処も、魔の障りも、外道も存在しない。その仏の寿命は限りなく、大地は瑠璃でできており、閻浮那提金の花が、美しくちりばめられている。」
爾時,淨威力士從空而下,頂禮佛足,合掌向佛求索出家,佛即聽許。
その時、浄威力士が虚空から降り立ち、仏の足に頭を付けて礼拝し、合掌して仏に向かって出家を願い出ました。仏は即座にこれを許されました。
爾時,那羅延菩薩白言:「世尊未曾有也!善逝未曾有也!乃能以是勝妙善法善調眾生,乃至能令如是憍慢競勝眾生,是等當見佛如來時,即得歡喜除捨憍慢,禮如來足。如此淨威大慢力士,除捨慢已,得勝上法,復當調伏無量眾生除捨憍慢。世尊!是淨威力士為曾供養幾佛,世尊!種諸善根,乃能如是速疾開解?」
その時、ナラーヤナ菩薩が申し上げました。「世尊よ、未曾有のことであります!善逝よ、未曾有のことであります!かくも勝れた善き法をもって、衆生をよく調え、さらには、かくも高ぶり競い合う心の強い衆生までも、かの仏如来をお目にかかれば、ただちに喜びを得て、高ぶりを捨て去り、如来の足もとに礼拝するように導かれるとは。この浄威・大慢の力士も、高ぶりを捨て去って、勝れた最上の法を得ました。さらにまた、無量の衆生を調えて、高ぶりを除き去ることでしょう。世尊よ、この浄威力士は、どれほどの諸仏に供養し、世尊よ、どれほどの善根を積んで、かくも速やかに悟りを開くことができたのでしょうか?」
爾時,佛告那羅延菩薩:「那羅延!是淨威力士曾於過世供養六十二億諸佛,種諸善根;從今已後,當復值遇無量無邊阿僧祇佛,恭敬、供養、尊重、讚歎,淨修梵行。」
その時、仏は那羅延菩薩に告げられました。「那羅延よ、この浄威力士は過去世において六十二億もの諸仏に供養を捧げ、善根を培ってきました。そしてこれから先も、数えきれないほどの多くの仏と出会い、敬い、供養し、尊び、称賛し、清らかな修行を積み重ねていくでしょう。」
那羅延言:「世尊!是淨威力士復以何緣懷大憍慢,求佛競勝?」
那羅延が申し上げました。「世尊(お釈迦さま)、この浄威力士は、どのような因縁で大きな驕り高ぶりの心を抱き、仏さまに勝負を挑んだのでしょうか?」
佛告那羅延:「菩薩摩訶薩有四法忘菩提心。何等四?謂增上慢、不敬重法、輕善知識、說不實語。那羅延!菩薩有此四法忘菩提心。
仏が那羅延に告げられた。「菩薩摩訶薩には、菩提心を忘れる四つの法がある。その四つとは何か。すなわち、増上慢、法を敬わないこと、善知識を軽んじること、不実の語を説くことである。那羅延よ、菩薩にこの四つの法があるならば、菩提心を忘れるのである。」
「那羅延!菩薩摩訶薩復有四法忘菩提心。所謂讚歎趣向聲聞緣覺乘者、呵向大乘、毀呰菩薩、悋惜於法。那羅延!菩薩有是四法忘菩提心。
ナラヤナよ、菩薩摩訶薩には菩提心を忘れる四つの行いがあります。すなわち、声聞や縁覚の道に進む者を褒め称えること、大乗の道を非難すること、菩薩を誹謗すること、そして教えを惜しんで人に伝えないことです。ナラヤナよ、これら四つの行いによって菩薩は菩提心を忘れてしまうのです。
「那羅延!菩薩復有四法忘菩提心。何等四?於諸眾生行幻惑術、詐偽親近、於善知識合偶言說、為利養故。那羅延!菩薩有是四法忘菩提心。
那羅延よ、菩薩には再び四つの法があり、菩提心を忘れることとなります。四つとは何か。生きとし生けるものに対して幻術を用いて惑わし、偽りをもって親しく近づき、善知識に対しては都合のよい言葉だけを語り、利養のために振る舞うことである。那羅延よ、菩薩にこれら四つの法があれば、菩提心を忘れることとなる。
「那羅延!菩薩復有四法忘菩提心。何等四?不覺魔事、不除業障、志意羸弱、無方便慧。那羅延!菩薩有是四法忘菩提心。
那羅延よ、菩薩にはさらに四つの法があり、菩提心を忘れさせます。その四つとは何か。それは、魔の働きに気づかないこと、業の障りを除かないこと、意志が弱いこと、方便の智慧がないことです。那羅延よ、菩薩にこの四つの法があると、菩提心を忘れるのです。
「那羅延!是淨威力士本造惡業,忘菩提心。我今當說,汝善聽之。
那羅延よ、この淨威力士はかつて悪業を造り、菩提心を忘れていた。私が今、そのことを説こう。よく聞きなさい。
「乃往過世,此賢劫中,有佛出世號迦迦孫。是佛法中有大婆羅門,名曰善財,起大憍慢、得增上慢,不往佛所。憍慢、增上,與說王法諸婆羅門而共諍競。是憍慢故,獲得現報,退失多事——謂不見佛、不聞正法、亦不得聞趣向菩薩大乘之法、亦不得聞諸天淨法、亦不得聞功德善根,迴向菩提而不堅固;為此五惡法遮持故離菩提心。
昔、この賢劫の中に、迦迦孫という名の仏が世に現れました。その仏の教えの中に、善財という名の大バラモンがいました。彼は非常に高慢であり、慢心がさらに増長して、仏のもとへ行こうとはしませんでした。その高慢と増上慢のゆえに、王法を説く他のバラモンたちと激しく争いました。この高慢が原因で、現世における報いを受け、多くのことを失ってしまいました。すなわち、仏を見ることができず、正しい教えを聞くこともできず、菩薩の大乗の道に向かう法を聞くこともできず、天の清らかな法を聞くこともできず、功徳や善根が菩提に向かって回向されても堅固ではなくなりました。この五つの悪い法に妨げられたために、菩提心から遠ざかってしまったのです。
「那羅延!於意云何?爾時善財婆羅門者,豈異人乎?汝勿有疑,即今淨威力士是也。以憍慢故,忘菩提心;以菩提心本善根故,不墮惡道;雖成大力,猶有憍慢。佛力所持,得聞佛力及菩薩力,捨離傲慢將來見佛。不作眾惡,因本善根,今現發起,速疾得是無生法忍。」
那羅延よ、あなたはどう思いますか。あの時の善財婆羅門とは、別人でしょうか。疑ってはいけません。それはまさに、今の浄威力士なのです。彼は慢心があったために菩提心を忘れてしまいました。しかし菩提心という根本の善根があったために、悪道に堕ちることはありませんでした。大きな力を得てもなお、慢心を持っていました。仏の力に支えられて、仏の力と菩薩の力を聞き、傲慢を捨ててやがて仏にまみえることとなるでしょう。さまざまな悪業をなすことなく、もとの善根によって、今、現れ出でて、速やかにこの無生法忍を得るのです。
爾時,那羅延菩薩語淨威力士:「汝住何法得無生忍而受記別?」
その時、那羅延菩薩が浄威力士に言いました。「あなたはどのような法に安住して、無生法忍を得て、授記されたのですか?」
淨威答言:「我以生起諸凡夫法得受記別。」
浄威が答えた。「わたしは凡夫の法を生じ起こすことによって、受記を得ました。」
那羅延言:「云何而生?」
那羅延が尋ねました。「どのようにして生まれるのですか?」
淨威答言:「生如不生,如是生;滅如不滅,如是滅;如是而生,亦復不住。」
淨威が答えた。「生じることは、生じないのと同じようにして生じる。滅することは、滅しないのと同じようにして滅する。このようにして生じても、またとどまることもない。」
那羅延言:「善男子!若其爾者,佛法、凡夫法,有何差別?」
那羅延が言いました。「善男子よ、もしそうであるならば、仏法と凡夫の法には、どのような違いがあるのでしょうか。」
淨威答言:「以文字故有差別耳,若以其義則無差別。」
浄威が答えた。「文字の上で違いがあるだけです。その意味においては、まったく違いはありません。」
那羅延言:「是凡夫法有何義也?」
那羅延が尋ねました。「これらの凡夫の教えに、どのような意味があるのでしょうか?」
淨威答言:「無妄想、無分別,是凡夫法義。」
浄威が答えた。「妄想がなく、分別がないこと。これが凡夫の法の意味です。」
那羅延言:「是義何趣?」
ナラーヤナが尋ねました。「その意味はどのような趣旨でしょうか?」
淨威答言:「而是義者,離凡夫法趣於佛法。」
浄威が答えた。「この意味は、凡夫の境地を離れて仏法に趣くことにあります。」
那羅延言:「佛法有何義?」
那羅延が問いました。「仏法にはどのような意味があるのですか?」
淨威答言:「不作二是佛法義。」
浄威が答えて言った。「二つに分けないこと、それが仏法の意味です。」
那羅延言:「善男子!如佛所說,依法不依人。又復說言,有二因緣起於正見。何等為二?因外言聲、內善思惟,如是之義即是文字。」
那羅延が言いました。「善き人よ、仏がおっしゃったように、『法に依りて人に依らず』とあります。また、『正しい見解を生じさせる縁には二つある。何を二つとするか?外の言葉の声と、内の善き思惟である。このような意味は、すなわち文字そのものです』とも説かれています。」
淨威答言:「那羅延!依法菩薩不取文字、不取非文字。若得文字是即為義,而是義者是不得義。是故,不依於義,一切諸法都無有義。何以故?一切諸法不可得故,非方不離方,隨所住處即處自滅。如佛所說,畢竟滅想是名為義。是故,那羅延!依義者,無法可依、無不可依,若依非依是名為義。」
浄威は答えた:「ナーラーヤナよ、法に従う菩薩は文字に執着せず、文字でないものにも執着しません。もし文字を得たとしても、それがすなわち意味であり、その意味とは結局、得られた意味ではありません。ゆえに、意味に執着してはなりません。すべての諸法には全く意味がないからです。なぜなら、すべての諸法は捉えられず、方角に固定されることもなく、方角から離れてもいません。存在する場所があれば、その場所は即座に消滅します。仏がお説きになったように、念いを消滅させること、それこそを意味と呼びます。それゆえ、ナーラーヤナよ、意味に依るとは、依るべき法もなく、依るべきでない法もないことです。もし依ることなく非依であるならば、これを意味と呼ぶのです。」
那羅延言:「善男子!頗有依義即是依於一切法也。」
那羅延が言いました。「善男子よ、いったい『意味に依る』ということが、そのまま『すべての法に依る』ことなのでしょうか。」
淨威言:「有。那羅延!一切法空、一切法寂。一切法空,依亦如是;一切法寂,依亦如是。如是,那羅延!若依是義即依諸法。」
浄威が言った。「ありますとも、ナーラーヤナよ。すべてのものは空であり、すべてのものは静寂なのです。すべてのものは空であり、その拠り所もまた同様です。すべてのものは静寂であり、その拠り所もまた同様です。このように、ナーラーヤナよ、もしこの意味を拠り所とするならば、それはすべてのものを拠り所とすることなのです。」
那羅延言:「淨威!若如是者,一切諸法常自是依。」
那羅延が言った。「浄威よ、もしそうであるならば、すべての諸法は常に自らを依りどころとするものだ。」
淨威答言:「如是如是!那羅延!一切諸法皆第一義。依第一義者彼得安樂,彼應當求於第一義。若能不起法及非法,不求二、不求不二,是名為聖分別選擇,而是選擇無作、無不作。若無作、無不作,是名為作,所求、求者義不相違。」
浄威が答えた。「その通り、その通りです、那羅延よ。すべての諸法は第一義(真理)なのです。第一義に依る者は安楽を得ます。だからこそ、第一義を求めるべきです。もし法と非法(迷いの現象)を起こさず、二つの世界も、二つでない世界も求めず、それを聖者の分別選択と呼びます。しかし、その分別選択には、作ることも作らないこともありません。作ることもなく、作らないこともない、それを『行い』と呼びます。求めるものと、求める者とは、意味が矛盾することはないのです。」
淨威力士說是法時,五百比丘不受諸法,漏盡心得解脫;八千天子遠離塵垢,得法眼淨。
浄威力士がこの法を説いたとき、五百人の比丘は一切の執着を離れ、煩悩の汚れが尽きて心の解脱を得ました。また、八千人の天子たちは塵や垢から遠く離れ、清らかな法の眼を得ました。
爾時,那羅延菩薩語淨威力士:「如佛所說,依義不依文,然此眾生不解是義,行於二行,是不解文亦不解義。為是不解,故說依義不依於文。依文、依義,是義出過於諸文字。
その時、那羅延菩薩(ならえんぼさつ)は浄威力士(じょうきょうりきし)にこう語りました。
「仏がおっしゃったように、私たちは言葉そのものではなく、その意味に従うべきです。しかし、この世の人々はこの意味を理解できず、二つの見方にとらわれています。そのため、言葉も意味も理解できていないのです。そうした人々のために、『言葉より意味に従いなさい』と説かれたのです。言葉に従うこと、意味に従うこと、その意味はあらゆる言葉を超えているからです。」
「善男子!如佛所說,有二因緣能生正見。謂彼有人不聞正法,調伏法中,以少緣故,便生歡喜,言我出生死,彼是增上慢。
よき人々よ、仏がお示しになったように、正しい見解を生む因縁は二つあります。しかし、ある者は正しい教えを聞かず、調伏の教えの中でわずかな縁によって喜び、「私は生死を超えた」と言います。これは増上慢(おごり)です。
「本是增上慢,為勸是人令勤修行,彼聞法已,即便修行趣於正道。是故,佛說:『聞已得知法、聞已不作惡、聞已離無利、聞已得涅槃。』」
「もともと増上慢(おごり高ぶり)の者であっても、その人に励んで修行させようと勧めるために、その人は法を聞いたならば、すぐに修行して正道に向かうのです。ですから、仏はこう説かれました。『聞くことによって法を知り、聞くことによって悪を行わず、聞くことによって無益なことから離れ、聞くことによって涅槃(悟りの境地)に至る』と。」
那羅延言:「云何比丘念法相應?」
那羅延が尋ねました。「どのように比丘は法を念じて修行するのでしょうか?」
淨威答言:「無相應、無不相應,若能如是,念法相應。」
浄威が答えた。「対応するものもなく、対応しないものもない。そのようにしてこそ、法への念(おもい)が対応するのです。」
那羅延言:「彼修行者是語相應。」
那羅延が言いました。「あの修行者は、その教えにかなった行いをしているのです。」
「復次,那羅延!若有比丘與念法相應,則不起瞋、不起憍慢,是名正思惟。
さらに、ナーラーヤナよ。もし比丘が法の念に相応するならば、怒りを起こさず、驕り高ぶることもありません。これを正しい思考といいます。
「若有觀察說法去來現在,若解所說,為斷故說、為解故說、為修故說,不得過去世之所作、不得未來世之所作、不得現在世之所作,是正修行。
もし法の説かれるのを観察し、過去・未来・現在について説かれるのを理解しようとするならば、断ち切るために説かれ、理解させるために説かれ、修行させるために説かれていると知るべきです。過去の所作も得られず、未来の所作も得られず、現在の所作も得られません。これこそが正しい修行なのです。
「若正觀一切法性常滅,是名正修思惟所見;若見一切法性常寂,是名修正思惟所見;若正觀一切法性常定,是名修正思惟所見;若正觀諸法畢竟不生,是名修正思惟所見;若正觀一切法實無常,是名修正思惟所見;若正觀一切法無常滅,是名修正思惟所見。
もし、あらゆるものごとの本質が常に消え去るものであると正しく観察するならば、それを正しい修習と思惟によって見ることといいます。 もし、あらゆるものごとの本質が常に静まりかえっていると見るならば、それを正しい思惟によって見ることといいます。 もし、あらゆるものごとの本質が常に落ち着いていると正しく観察するならば、それを正しい思惟によって見ることといいます。 もし、あらゆるものごとが結局は生じないと正しく観察するならば、それを正しい思惟によって見ることといいます。 もし、あらゆるものごとが実際には無常であると正しく観察するならば、それを正しい思惟によって見ることといいます。 もし、あらゆるものごとが無常であり消え去ると正しく観察するならば、それを正しい思惟によって見ることといいます。
「若彼見者及以所見,都不可見、如如見、如不見,如是名為說示思惟。」
「もし、それを見る者と見られるものの、そのいずれもが、見ることができないのである。あるがままに見ることも、また見ないのと同じようにある。このように示すことを、思惟(思考)の説示というのです。」
是時,世尊讚淨威力士:「善哉,善哉!善男子!汝之所說如是相應。若能如是,則於諸法無有愚癡;如是修行則無有障。正修行者,無縛、無解。何以故?正思惟者,於一切法無斷、無趣。
その時、世尊は浄威力士を称賛された。「善きかな、善きかな。善き男子よ、あなたの説くところはまさに理にかなっている。もしこのようにできるならば、諸々の法に対して愚かさはなくなる。こうして修行すれば、障りもなくなる。正しく修行する者には、束縛も解脱もない。それはなぜか。正しく考える者は、一切の法において断ち切ることもなければ、執着することもないからである。」
「若如是者,名為正見見一切法,如是正見。云何正見?謂不見法。所言見者,是說無生不實之言,語不實者說無生名。
「如我所說,諸法無生,以慧初見,若至正位名為正見。若如是見名至正位。以何因緣名為正位?我與無我二俱平等,如無我等諸法等起,是名正位。」
「私が説いた通り、すべての現象(諸法)には発生がありません。智慧によってこれを初めて見るとき、それを正しい位(正位)に至るといい、正しい見解(正見)と呼びます。このように見ることを、正しい位に至るといいます。では、何をもって正しい位と呼ぶのでしょうか。自己(我)と無我の両方が平等であり、無我のようにすべての現象が平等に生じる、これを正しい位といいます。」
集一切福德經卷中
一切功徳を集める経 巻中