菩提場所説一字頂輪王経 分別秘密相品 第六
その時、釈迦牟尼仏は再び金剛手秘密主に告げられた。 「聞きなさい、金剛手よ。この仏頂王の真言を成就させる修行は、すべての如来が説かれたものであり、仏頂を成就させるためのものです。壊れることのない伽他(詩句)の行によって教えられています。 金剛手よ、ここに簡潔に、すべての如来が説かれた成就の次第を明かしましょう。」
そして、次のような伽他(詩句)を説かれた。
静かな場所に聖衆を集め、 威力ある境地を得させ、 家屋や天宮、空き家や洞窟、 遠くの樹木や屍林、林の中、山谷にて、 成就し、あるいは念誦し、心は本尊に在す。 清らかでないものを清らかにし、清らかでないものを遍く清らかにし、 清らかな成就において、二つによって二種を成す。 これを成就者と名づけ、一切の修行は悉地を成す。
食は量を節すべきで、満腹にもならず飢えにもならず、 飲食物は等しく量るべきで、甘いものや酸っぱいもの、 かような貪りは捨てるべきだ。貪りを共にする有情は、 味に貪著を生じ、貪りの想いから護摩を行っても、 一心には生じない。初夜には正しい経典を読み、 中夜には眠りにつく。清らかな茅の莚の上で、 護身の儀軌を行い、全て印と相応させる。 寝るときは獅子のように、獅子の如く勇ましく、 東方および南方に、手を枕にして眠る。 息災と増益は護摩による。もし東南の方角ならば、 左を右の上に置き、足や手も同様に、 足を重ねてから寝て、少しだけ整えて端厳にする。 頭をもし西方に向け、面を南方に向けて見る。 寝るときは身を護るべきで、調伏と相応する。 もし白檀の樹や、吉祥の尼倶陀樹、 優曇鉢などの樹に登る夢を見たら、 これは成就の相である。雁や迦陵伽、 鴛鴦や白鶴、孔雀などの吉鳥、 これらの鳥に乗る夢、かような相を見たら、 まもなく悉地を得る。もし血の夢を見たら、 これも成就の相である。もし夢の中で、 幢幡などが交じり合うのを見たり、高い楼に登ったり、 歩いたり遊行したりするなら、これも成就の相である。 あるいは舟に乗る夢、あるいは箏や箜篌を手にする夢、 あるいは塔や比丘を見る夢、かような良い夢は、 全て成就の相である。もし夢の中で、 犬や旃陀羅、蛭、油を塗った体を見たら、 これらは全て不吉である。駱駝や驢馬や車などを、 見たり触れたりしたら、必ず成就を壊す。 かような夢の相、善い相と不善な相、 この二つの夢を知るべきだ。知って成就を求める。 護摩の法を行い、粳米や油や胡麻を焼くなら、 諸々の魔の障りから逃れ、すぐに本尊を見る。 常に目覚めていて、聖者がこのように言う。 「ある場所に行き、そこで酥と蜜を焼け。」 すると現実に現れる。去って食べることは全て真実、 道においても真実である。もし本尊を疑うなら、 夢の中で寝るべきだ。「願わくは尊、我が身を示したまえ。」 すると丈夫の身を現す。もし女人を見たら、 貪欲な心を生じることがある。放逸であってはならず、 眠ろうとする時に加持する。念誦するときは思うべきではない。 過去の財宝、未来もまた思うべきではない。 決して思惟を起こしてはならない。そうしないと念誦の儀式は成らない。 もし心が散り動くなら、真言の義理を観じ、 定に住して念誦する。心がもし貪欲に縁るなら、 不浄観を作すべきだ。もし心に瞋恚が起きたら、 すぐに慈悲と相応させる。愚かな想いが縁となって生じることを、 度々もし心が起きたら、それは顛倒の中にある。 すぐに一心に専注し、本尊の観想に住する。 もし曼荼羅に入っていないのに、諸々の香や華などを供えるなら、 諸々の魔の食物となってしまう。儀軌に依らなかったり、 広く善く理解しなかったり、阿闍梨から遠ざかることにより、 諸々の魔が行者に従い、影が形に従うように、 念誦の功徳を奪われる。魔が香などを食べると、 念誦や護摩は、本尊に受け取られない。 この真言の主、成就頂真言を用いて、 加持するべきだ。魔や頂上行などは、 障害となることはできず、成就頂輪王となる。 ゆえに加護を作す。一切の成就の場所では、 無能勝を誦し、自身の加持を作すべきだ。 菩薩種の真言、輪王の眷属は、 それらを用いて加護を作す。真言を成就する時、 念誦や護摩などは、まず護身を作すべきだ。 もし護身の法を離れたら、悉地は必ず成らない。 虚空を遊ぶ大薬叉、成就鬼や羅刹は、 遊行して壊すからだ。彼らの心に疑惑を生じさせる。 尾臘嚩の華、遏迦度度囉は、 全て用いるべきではない。一切の仏頂部は、 闍提華、青蓮、倶勿頭、 蓮華、庾体花、その他種々の華、 極めて香ばしい陸地の華を称賛する。 知るべきだ。仏頂明は、 一切時において供養する。修行者が成就しないならば、 二度三度と法を行い、乃至七度に至るまで、 次第に成就を作す。海に入る河において、 印塔の法を作す。あるいは一、二、三、四と、 力に応じてそれを作す。念誦し、また塔を作り、 恭敬して讚歎し、妙典を読誦する。 度々疲れた時には、塔を三洛叉満たせば、 先の罪は全て消滅する。極めて香ばしい華、 焼香や塗香を用いて、卒塔婆に供養する。 一つ一つの塔の前で、真言を用いて加持し、 一つ一つの卒塔婆ごとに、千八遍誦するべきだ。 もし真言が成らないのは、罪が心を覆うからである。 一肘の大きさの、一千の卒塔婆を作すべきだ。 たとえ五無間を作しても、決して成就を得る。 念誦によって罪を滅するからだ。ましてや制底を作すのは? 海に入る河において、蓮華十万を献じ、 その数を限りとして献じれば、速やかに成就を得る。 海に入る河において、ましてやこの量を超えれば? 遅い速いは成就を得るのは、全て自分の身による。 真言を成就するのは、その福と無福による。 もし福徳が強く盛んなら、まもなくの時に、 速やかに悉地を得る。福徳の無い人は、 卒塔婆を作すべきだ。悉地は念誦が根本である。 ゆえに精進によって、成就は牢固となる。 真言が経書にあっても、衆毒を除くことはできない。 かような道理を見て、勤めて念誦することが勝る。 常に父母や師、苦しみを受ける諸々の有情のために、 一部を念誦し、彼らのために全てを回向する。 諸々の障難を滅するために、常に仏を礼すべきだ。 仏を礼し念誦することにより、速やかに成就を得る。 仏を礼する果報を説けば、無量の福徳の集まりである。 知るべきだ。これが帰命である。度々勤めて敬礼すれば、 常に恒に悉地を得る。そうでなければ末法の時に、 真言は成就しない。ゆえに我が釈迦は、 威徳ある弟子を説き、末世に解脱を得させる。 ゆえに疑いの心を離れ、大きな精進を発起し、 諸々の悉地を修め持てば、まもなく成就を得る。 増勝した福徳ある人は、速やかに悉地を得る。 多くの福徳の無い人は、遅くしてようやく成る。 もし慈悲と智慧が相応すれば、殊勝な悉地を得る。 仮の瑠璃や紅頗梨などをもってするのではない。 これは仏頂の真言であり、力用は思議できない。 乞うて得た食物を清め、本尊に献じるべきだ。 分けて三分となし、有情を愍れむがゆえに。 まず一分を取り、本尊に供養すべきだ。 また一分を取り、来た客に施す。 残りの一つは自ら食す。本尊に献じた食物は、 請い戻してから受用する。もし客がいなければ、 転じて諸々の禽獣に施す。自分が分けた食物は、 全て他人に施してはならない。身を損なうことを恐れるからだ。 減らした一部は施すべきで、面を南にして食べるべきだ。 これは調伏の法である。面を西にして食べてはならない。 調伏の事を作すべきで、北と東は息災と増益を許す。 仏頂などを成就するのは、寂静は東が異なる。 悲愍の心を作すべきで、三時において思惟すべきだ。 「誰が苦悩の中にあるのか。私は今、全て救い上げよう。」 大悲心と相応し、出家や在家、 杖を持つ者や梵志も、皆悲愍の意を抱く。 念誦する者は遊行し、同伴無くして常に謹慎する。 ゆえに常に敬礼すべきだ。諸仏の塔廟に。 成就し難い真言は、一切時において等しく保ち、 常に三昧を修する。この人は自在を得る。 種々に調伏する者は、種々の色を現す。 ゆえに常に作すべきだ。念誦および護摩を。 塗り拭き、そして洒浄し、清浄を作すことは前述の如く。 後に護身を作すべきだ。灰や芥子で方隅を結ぶ。 弁事の真言を用い、あるいは摧壊頂を用い、 加持した糸で杭を巻き、四隅に打つべきだ。 護ったなら供養すべきだ。智者はすぐに請う。 一切の諸々の聖衆を、念誦や護摩の場所に。 座上に安置し、成就の因を作すべきだ。 瞿摩土と和合し、智者は壇を作す。 この壇の輪の中で、供養を儀軌と説く。 まず如来勝のために、儀軌に従って献じる。 次に輪王頂、次に諸仏頂、 次第に供養する。次に観自在、 自族および眷属、そして金剛手に至るまで、 献じることは仏頂と同じである。献じる香や華なども、 また部類と同じである。かように三部となし、 供養の儀軌を作す。これにより常に覚醒する。 そして一切の世天は、愚かにもこう言う。 「一切の真言の人は、全て虚妄である。」 もし儀軌を説かなければ、誹謗に堕ちる。 油麻や白芥子で、護摩を作せば、 敬愛の事を成すことができる。油麻や粳米を焼けば、 増益を得る。毒薬や羅蘖㘓を、 和合して護摩すれば、仏法を壊し乱す者を、 全て除き滅する。尾臘嚩の樹木、 無憂や白秦、波羅奢や菩提樹、 また白膠木は、増益の諸々の護摩に、 かような木を用いる。尼瞿陀や優曇、 阿説他や乳木、活兒子などの木は、 もし息災法を作すなら、護摩の薪として用いる。 佉陀羅の木や槵、迦羅迦木、 迦羅尾羅木、かような諸々の木は、 互いに憎しみ合う調伏に用いる。面を南に向けて座し、 「吽」の字を唱えて焼き、心で思い口で唱え、 調伏の法を作すべきだ。面を北方に向け、 真言の句に「娑嚩訶」を加えて誦すれば、 すぐに息災を成す。諸々の仏頂は修すべきだ。 面を東に向けて座し、護摩は増益を作す。 結跏趺坐は息災のため、吉祥坐は増益のため、 蹲踞は調伏を作す。害を除くゆえの護摩は、 調伏の事と名づける。諸々の障りを止めるゆえに、 息災と名づける。随意の成就のゆえに、 増益と名づける。かように一切の場所で、 善く思って修行する。仏法を憎む者を、 遠ざけるゆえに、これを相憎の法と名づける。 清らかに念誦する者は、爪や髪を長く伸ばしてはならない。 在家の清らかな行者は、髪が長くても過ちとはならない。 護摩や念誦の時には、皆妨げがある。 梳ることに忙しく、時を無駄に過ごすからだ。 聖衆を供養する時に、爪に垢が溜まり、 髪に虱が生じれば、諸々の罪過を生じる。 日の出の時を見ず、日蝕の時を見ず、 また月蝕も見ず、師や尊を軽んじない。 聖衆を供養する時に、安楽の事を見ず、 また諍いも見ない。ゆえに修行者は、 常に定と相応する。飢饉の国において、 また戦いの場所、国主が和合しない場所では、 悉地を求めるべきではない。聖衆が罰せられた場所、 薬叉や鬼神の場所、龍神が乱れた場所、 屍林の汚れた場所、弥㗚車の住む場所、 蚊や虻が多い場所、あるいは旱魃の場所、 かような難のある場所では、成就を求めるべきではない。 遊女のいない場所、悪風が多い場所、 かような場所では、悉地を得られない。 その場所がもし吉祥ならば、念誦し護摩を作せば、 聖衆は皆喜ぶ。人が良い食物を食べるように、 心は適悦を得る。この中の護摩は勝れており、 諸々の事業を成し遂げる。もし王の相が具わらなければ、 王位を継ぐに堪えない。力に応じて分かち行うべきだ。 念誦および護摩を。下劣な修行者は、 果報もまた下劣である。もし乞い、毒や刀杖は、 施すべきではない。ただ敬愛の法と、 命の難を守るため、憂いを除くためを除き、 かような因縁を除いて、全て与えるべきではない。 清らかな修行者は、もし誤って不浄に触れたら、 すぐに沐浴すべきだ。心に誦し印契を結ぶ。 かような貪染の類は、清浄真言を思うべきだ。 明を誦し印契を結べば、全て清らかになる。 諸々の汚れた鬼神、起屍や薬叉、 羅刹の成就は、上中作法の場所では、 智者は疑うべきではない。殊勝な河に沈み、 正法の水に沐浴し、智慧をもって思惟し、 念誦は全て行う。結跏趺坐を破るべきではない。 事に全て違うからだ。もし結跏趺坐を破ったら、 すぐに起きて沐浴するか、心で沐浴すれば、 全て成就を得る。
菩提場で説かれた一字頂輪王経 巻第二