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分別善悪報応経 (分別善惡報應經)

「分別善惡報應經」について

宋 · 底本の訳者:天息災

8,448 字 · 約 28 分

『分別善悪報応経』は、北宋の時代に天息災によって漢訳された重要な仏教経典であり、漢伝仏教における因果応報に関する典籍に属します。この経典は、インドの高僧である天息災によって太平興国の年間に汴京(現在の開封)で翻訳され、その内容は主に善悪の業報の法則を明らかにし、衆生の行為とその果報との対応関係を詳細に説き、因果の理法の必然性と公正性を強調しています。経文は具体的な事例を通じて、十の善行と十の悪行それぞれに伴う業報の違いを明らかにし、修行者に明確な行動指針を提供しています。仏教の体系において、この経典は業報思想を説く権威ある経典の一つと見なされ、中国仏教における因果観念の形成と普及に重要な影響を与え、仏教の倫理教育の基本教材としてしばしば用いられてきました。


分別善惡報應經卷上

善悪報応経 巻上

西天中印度惹爛駄囉國密林寺三藏明教大師賜紫沙門臣天息災奉 詔譯

西天中インド・ジャランダラ国密林寺の三蔵明教大師、紫衣を賜る沙門、臣

如是我聞:

このように私は聞きました。

一時,世尊在舍衛國祇樹給孤獨園。爾時,世尊食時著衣持鉢,入舍衛城次第乞食,至兜儞野子輸迦長者舍,在門外立。是時,輸迦長者家有一犬,名曰商佉,常在門首。於是,長者常用銅器盛以美飯,與商佉食。犬見世尊瞋恚而吠。爾時,世尊謂商佉言:「汝由未悟,見我乃吠。」作是語時,商佉轉惡心生瞋恨,即離本處往旃檀座下。

ある時、世尊は舎衛国の祇樹給孤独園に滞在しておられた。その時、世尊は食事の時刻になると衣を身につけ鉢を持ち、舎衛城に入って順に托鉢をされた。そして兜儞野子の子であるシューカ長者の家の前に立ち、門の外でおられた。この時、シューカ長者の家には商佉という名の犬が一匹おり、いつも門のところにいた。長者はいつも銅の器に美味しい飯を盛って商佉に与えていた。その犬は世尊を見ると怒って吠えた。その時、世尊は商佉に向かって言われた:「あなたはまだ悟っていないから、私を見て吠えるのだ。」この言葉を聞いた時、商佉は邪な心を起こし怒りを抱き、その場を離れて栴檀の座の下に行ってしまった。

是時輸迦長者出舍門外,見犬在於旃檀座下,長者問言:「誰瞋於汝?」商佉默然。是時輸迦長者又復問言:「賢子!誰人瞋汝商佉?」對曰:「沙門瞿曇而來在此,於門下立,我見乃吠。彼沙門瞿曇作如是言:『汝由未悟,今乃更吠。』我聞此語心生瞋怒,起離本處來栴檀座下。」是時輸迦聞是語已,發大瞋怒出舍衛城,往彼祇樹給孤獨園。

その時、スーカ長者は家の門の外に出て、犬が栴檀の座の下にいるのを見て、長者は尋ねました。「誰がお前に腹を立てたのか?」と。しかし、商佉(犬の名)は黙っていました。そこでスーカ長者は再び尋ねました。「愛しい子よ、誰がお前、商佉に腹を立てたのか?」と。すると犬は答えました。「沙門ゴータマがここに来て、門の下に立っていたので、私はそれを見て吠えました。その沙門ゴータマはこう言いました。『お前はまだ悟っていないから、今また吠えるのだ。』私はこの言葉を聞いて心に怒りが生じ、元の場所を離れてこの栴檀の座の下に来たのです。」と。スーカ長者はこの言葉を聞いて、大いに激怒し、舎衛城を出て、あの祇樹給孤独園へと向かいました。

爾時世尊與無量百千諸比丘眾,前後圍遶在座說法。於是世尊遙見輸迦長者遠路而來,告諸比丘:「汝等見此輸迦長者遠來已不?」諸比丘言:「唯然已見。」世尊告言:「此長者子,向於佛所而發瞋心,命終之後如箭剎那墮大地獄。何以故?虛妄計執分別彼我,起瞋煩惱毀謗於佛,墮諸惡趣受苦無量。又復於我心生輕謗,一切眾生亦復如是。」

その時、世尊は無数の比丘たちに前後を囲まれ、座して説法しておられた。そこへ世尊は、はるか遠くから輸迦長者がやって来るのをご覧になり、比丘たちに告げられた。「あなたがたは、この輸迦長者が遠くから来るのを見たか。」比丘たちは申し上げた。「はい、すでに見ております。」世尊は告げられた。「この長者の子は、私のもとへ向かう途中で怒りの心を起こし、その命が終われば、あたかも矢が放たれるかのような速さで、瞬く間に大地獄に堕ちるであろう。それはなぜか。虚ろな思い込みによって自分と他人を分別し、怒りの煩悩を起こして仏を誹謗し、数々の悪い境遇に堕ちて、限りない苦しみを受けるからである。さらにまた、彼は私の心に対して軽んじ謗る思いを抱いている。すべての衆生もまた、このようなものである。」

爾時世尊告諸比丘,而說頌曰:

その時、世尊は比丘たちに告げて、次のように偈を説かれた。

「於佛起惡心, 毀謗生輕慢,
入大地獄中, 受苦無窮盡。
有諸數取趣, 於師及比丘,
暫時起惡心, 命終墮地獄。
若於如來處, 起大瞋恨心,
皆墮惡道中, 輪迴恒受苦。」

仏に対して悪い心を起こし、 誹謗して軽んじ侮るならば、 大地獄の中に落ちて、 苦しみを受けることが限りなく続く。 さまざまな生きとし生けるものたちが、 師や僧侶に対して、 ほんの一時でも悪い心を起こせば、 命終わって地獄に堕ちる。 もし如来のもとで、 大きな怒りや恨みの心を起こすならば、 みな悪い道に堕ちて、 輪廻の中で常に苦しみを受けるのである。

是時兜儞野子來詣佛所,頂禮佛足,於世尊前種種語言,柔和善順稱歎如來。說是語已,在一面立而白佛言:「世尊!以何因緣到於我舍?」

その時、兜儞野の子が仏のもとにやって来て、仏の足に頭を付けて礼をし、世尊の前で様々な言葉を述べ、優しく柔和な態度で如来を称賛しました。この言葉を述べ終えると、片側に立って仏にこう申し上げました。「世尊よ、どのような理由があって私の家にお越しになったのですか?」

佛告輸迦長者言:「食時已至,吾乃著衣持鉢入舍衛城,次第乞食,遂至汝舍在門下立。是時商佉處於門首,銅器之內飲食之次,商佉見吾在門下立,纔見乃吠。我言:『商佉!汝由未悟,何故見吠?』犬聞是語,遂生瞋怒往詣別處。」

仏がシューガ長者に告げて言われた。「食事の時刻が来たので、私は衣を着け、鉢を持って舎衛城に入り、順に托鉢して、あなたの家の門の前に立ちました。その時、商佉という犬が門のところにいて、銅器の中で食事をしている最中でした。商佉は私が門の下に立っているのを見ると、すぐに吠えました。私は言いました。『商佉よ、あなたはまだ悟っていない。なぜ私に向かって吠えるのか。』すると犬はこの言葉を聞いて、怒りを起こし、別の場所へ行ってしまいました。」

是時長者白世尊言:「此犬商佉,過去宿因不知云何?願佛演說。」

その時、長者が世尊に申し上げました。「この犬の商佉(シャンカ)は、過去のいかなる因縁によるものか、私にはわかりません。どうか仏様、お示しください。」

佛言:「且止!勿問斯事!汝若聞此,倍生懊惱,不可忍矣。」

仏は言われた。「そのことは問うな。もしお前がこのことを聞けば、ますます苦しみが増し、耐え難くなるだろう。」

輸迦長者如是三請,白佛言:「世尊!唯願為我演說斯事我等樂聞。」

輸迦長者がこのように三度請うて、仏に申し上げた。「世尊よ、どうか私どものためにこのことをお説きください。私たちは喜んでお聞きいたします。」

爾時世尊告長者言:「汝今諦聽,善思念之,吾今為汝分別演說。此犬汝父兜儞野身,於過去生妄計此身無我計我,慳貪嫉妬不行惠施,貪惜財物不信三寶,墮畜生中,今犬商佉是長者父。」

その時、世尊は長者に告げられた。「あなたは今、よく聞き、心して考えなさい。私は今、あなたのために詳しく説き明かしましょう。この犬は、あなたの父である兜儞野の生まれ変わりです。彼は過去世において、この身について誤って『これが我である』と考え、物惜しみして嫉妬深く、施しを行うことがありませんでした。財物を惜しみ、三宝を信じず、畜生の身に堕ちました。今のこの犬の商佉こそが、長者であるあなたの父なのです。」

輸迦長者復白世尊:「我父兜儞野,在生之日常行布施,祭祀火天及諸鬼神,彼身決定得生梵天受大富樂,何故復墮畜類之中?此事難信。」

輸迦長者がまた世尊に申し上げました。「私の父、兜儞野は生きていた頃、常に布施を行い、火天やさまざまな鬼神を祀っておりました。その者は必ず梵天に生まれ変わり、大きな富と楽しみを受けるはずです。それなのに、なぜ再び畜生の身に堕ちてしまったのでしょうか。このことは信じがたく存じます。」

佛告長者言:「汝父兜儞野,由是分別妄生計執,不行惠捨不信三寶,以此因緣墮此類中。」復告長者:「吾今所說恐汝難信,當自還家問於商佉。」

仏が長者に告げて言われた、「あなたの父、兜儞野(トウニヤ)は、その分別による誤った執着の思いから、施しを行うこともなく、三宝を信じることもなかった。この因縁によって、このような身(畜生の類)に堕ちたのである。」さらに長者に告げて言われた、「私が今説くことは、あなたにとって信じ難いかもしれないが、あなた自身が家に帰って、商佉(シャンギャ)に尋ねてみなさい。」

是時長者辭佛歸家,到已告言:「商佉!汝實我父是兜儞野!」此犬却坐栴檀之座。長者復言:「商佉!實是我父兜儞野不?可就銅盤食此肉飯。」商佉即食。食已又復告言:「若實我父是兜儞野,當何所表為顯奇異?」於時商佉聞是語已,從座而起詣本住處,於栴檀座下以鼻齅地,以足攫出四大鐵甕,滿中盛金瓶盤雜器。是時輸迦長者見此希奇金銀珍寶,踊躍歡喜愛護覆藏。於是長者,出舍衛城,往詣佛所,一心歸依。

その時、長者は仏に別れを告げて家に帰りました。家に着くと、こう言いました。「商佉よ、お前こそ本当に我が父、兜儞野であるか!」この犬は(その言葉を聞いて)栴檀の台座に座りました。長者はさらに言いました。「商佉よ、本当にお前が我が父、兜儞野であるならば、銅の皿に盛った肉入りのご飯を食べなさい。」商佉はそれを食べました。食べ終わると、また長者は言いました。「もし本当に我が父、兜儞野であるならば、何か不思議な力を示して、その証としなさい。」その時、商佉はこの言葉を聞くと、座を立って元いた場所へ行き、栴檀の台座の下を鼻で地面を嗅ぎ、足で掘り出したのです。そこには四大鉄甕(よつのはがま)があり、金の瓶や皿、さまざまな道具がぎっしり詰まっていました。輸迦(しゅか)長者は、この珍しい金銀の宝を見て、喜び勇んで、大切にしまい込みました。その後、長者は舎衛城を出て、仏のもとへ赴き、一心に帰依したのでした。

爾時世尊,與無量百千比丘眾等,在座說法。於是世尊告諸比丘:「汝見兜儞野子鸚鵡長者遠來已不?」諸比丘言:「唯然已見。」佛告比丘:「今此長者身謝命終,如捨重擔往生天上,因於我所歡喜踊躍,發誠諦心獲報如是。」

その時、世尊は無数の中の比丘たちと共に座して説法しておられた。そこで世尊は比丘たちに告げられた。「汝ら、兜儞野子の鸚鵡長者が遠くから来るのを見たか。」比丘たちは答えた。「はい、見ました。」仏は比丘たちに告げられた。「この長者は、今まさに命を終え、重い荷を下ろすようにして天上に生まれ変わった。それは私のもとで歓喜し踊躍し、誠の心を発したことによる報いである。」

爾時世尊告諸比丘,而說頌曰:

その時、世尊は比丘たちに告げて、次のように偈を説かれた。

「此一數取趣, 發心見我喜,
命終往生天, 如捨於重擔。
若於說法師, 如來及比丘,
暫時心歡喜, 獲果亦如是。」

この一人の修行者は、心を発して私を見て喜びを得る。 命終わりの後、天に生まれ変わる。それは重い荷を下ろすようなものだ。 もし説法する師、如来や比丘に対して、 ほんの一瞬でも心を喜ばせれば、得る果報もこのようになるのだ。

爾時世尊說此偈已,於是輸迦長者往詣佛所,頭面禮足歡喜無量,種種稱讚歎未曾有。說是語已,在一面立。於是世尊告輸迦言:「此商佉犬,實是汝父。」

その時、世尊がこの偈を説き終えられると、輸迦長者は仏のもとへ赴き、頭を地につけて足に礼拝し、限りない喜びを抱いて、さまざまに称賛し、「このようなことはかつてなかった」と嘆賞しました。この言葉を述べ終えると、一方に立っていました。そこで世尊は輸迦に告げられました。「この商佉という犬は、実にあなたの父である。」

長者白言:「唯然,世尊!如佛所說真實不虛,所有疑惑皆悉除斷。」

長者が申し上げました。「はい、世尊よ。仏がお説きになったことは、真実であり、偽りはありません。すべての疑いは、ことごとく断ち切られました。」

爾時輸迦長者白世尊言:「一切有情夭壽長命、有病無病、端嚴醜陋、貴賤種族、聰明愚鈍、柔和麁獷,其事非一,因果善惡報應云何?」

その時、シュカ長者が世尊に申し上げました。「すべての生きとし生けるものには、早く死ぬ者もいれば長生きする者もおり、病気にかかる者もいれば健やかな者もおり、姿の美しい者もいれば醜い者もおります。また、身分の高い者も低い者も、賢い者も愚かな者も、穏やかな者も荒々しい者もいて、その様相は一様ではありません。これらの善悪の原因と結果、報いとは、いったいどのようなものなのでしょうか。」

佛告輸迦長者子言:「善哉善哉!汝應諦聽,善思念之,今為汝說。一切有情,作業修因善惡不等,所獲報應貴賤上下,種族高低差別亦殊,我今略說如斯之事,若廣分別其義甚深。」

仏はシューカ長者の子に告げて言われた。「善きかな、善きかな。汝はよく聴き、よく心にとどめなさい。今、汝のために説こう。すべての生きとし生けるものは、行いと原因によって善悪の差があり、受ける報いも貴賤・上下・種族の高低によって異なる。私は今、その一端を簡潔に説こう。詳しく分別すれば、その意味はさらに深いのである。」

是時長者重白佛言:「願佛演說。」

その時、長者が再び仏に申し上げました。「どうか、仏がお説きくださいませ。」

爾時佛告長者言:「汝應善聽!一切有情造種種業,起種種惑。眾生業有黑白,果報乃分善惡,黑業三塗受報,白業定感人天。又業有分限,命乃短長。復次補特伽羅有業,多病少病、端嚴醜陋。或復有業,補特伽羅,富貴貧窮、聰明智慧、根鈍愚闇。或復有業,補特伽羅,生三惡趣。或復有業,生欲界人天乃至有頂。或復有業,補特伽羅,遠遊及近,或復有業,補特伽羅,所求不遂;或復有業,不求自至。或復有業,補特伽羅,成就難易有成不成。或復有業,補特伽羅,地獄壽命圓滿中夭輕重不等。或復有業,補特伽羅,富貴貧窮先後不定。或復有業,補特伽羅,富貴貧窮、布施愛樂慳悋不定。或復有業,補特伽羅,壽命長短於中不定。或復有業,補特伽羅,身心快樂苦惱不定。或復有業,補特伽羅,形貌端嚴光潤愛樂,或復醜陋麁澁嫌厭。或復有業,補特伽羅,諸根具足不具足等。」

その時、仏は長者に告げられた。「あなたはよく聞きなさい。すべての生きとし生けるものは、さまざまな業(行い)を起こし、さまざまな惑い(迷い)を生じます。衆生の業には白と黒があり、その報いは善悪に分かれます。黒い業は三悪道で報いを受け、白い業は必ず人や天の世界に感応します。また、業には限界があり、それによって命の長短が決まります。さらに、人によっては、病気がちであったり、ほとんど病気をしない者がいたり、容姿が端麗であったり、醜かったりします。あるいは、富貴や貧窮、聡明で智慧がある者、根が鈍く愚かで暗い者といった業を有する人もいます。あるいは、三悪趣に生まれる業を有する人もいます。また、欲界の人間・天界、さらには有頂天に生まれる業を有する人もいます。あるいは、遠くへ旅する者、近くに留まる者といった業を有する人もいます。また、求めるものが得られない者、求めなくても自然に得られる者といった業を有する人もいます。あるいは、物事を成し遂げるのが難しい者、易しい者、成就する者、しない者といった業を有する人もいます。また、地獄での寿命が満ちる者、中途で亡くなる者、その重さが軽重さまざまであるといった業を有する人もいます。あるいは、富貴や貧窮の順序が前後して定まらないといった業を有する人もいます。また、富貴や貧窮、布施を好む者、吝嗇(けち)である者といった不定の業を有する人もいます。あるいは、寿命の長短が一定しないといった業を有する人もいます。また、心身が快楽である者、苦悩に満ちている者といった不定の業を有する人もいます。あるいは、容姿が端麗で肌が艶やかに輝き愛される者、あるいは醜く肌が荒れていて嫌われる者といった業を有する人もいます。また、諸根が完全に備わっている者、備わっていない者といった違いをもたらす業を有する人もいるのです。」

爾時佛告長者子言:「有十善業應當修習,若十惡業汝應除斷。」

その時、仏は長者の子に告げて言われた。「十の善い行いを身につけるべきである。もし十の悪い行いがあれば、それを断ち切るべきである。」

於是長者白佛言:「世尊!有情短命,何業所獲?」

そこで長者が仏に申し上げました。「世尊よ、有情の命が短いのは、どのような業によって得られるのでしょうか?」

佛告長者子言:「殺生所獲。復次殺業,然有十種:一自手殺,二勸他殺,三慶快殺,四隨喜殺,五懷胎殺,六勸墮胎殺,七酬冤殺,八斷男根殺,九方便殺,十役他殺;如是十種獲短命報。

仏は長者の子に告げて言われました。「殺生によって得るものがあります。さらに殺生の業には、十種類あります。一つには自ら手を下して殺すこと、二つには他人に殺すよう勧めること、三つには殺すことを喜び楽しむこと、四つには殺すことを随喜すること、五つには胎児を殺すこと、六つには堕胎を勧めること、七つには仇を討って殺すこと、八つには男根を断つこと、九つには方便をもって殺すこと、十つには他人に命じて殺させることです。このように十種類の殺生によって、短命の報いを得るのです。」

「復云何業獲報長命?有十種業。何等為十?一離自手殺,二離勸他殺,三離慶快殺,四離隨喜殺,五救刑獄殺,六放生命,七施他無畏,八慈恤病人,九惠施飲食,十幡燈供養;如是十種獲長命報。

では、どのような業が長命の報いを得るのでしょうか。十の業があります。何が十であるかというと、第一に自分で手を下して殺さないこと、第二に他人に殺すことを勧めないこと、第三に殺しを喜ばないこと、第四に殺しに随喜しないこと、第五に刑罰や牢獄で殺されようとする者を救うこと、第六に命あるものを放してやること、第七に他の人に畏れのない心を与えること、第八に病人を慈しみいたわること、第九に飲食を施すこと、第十に幢幡や灯明を供養することです。これら十の業が長命の報いをもたらすのです。

「復云何業獲報多病?有十種業。何等為十?一自壞有情,二勸他令壞,三隨喜壞,四讚歎壞,五不孝父母,六多結宿冤,七毒心行藥,八慳悋飲食,九輕慢聖賢,十毀謗師法;如是十種獲報多病。

「また、どのような業が多くの病を得る報いをもたらすのでしょうか。十種の業があります。それらは何かというと、第一に自ら他者を傷つけること、第二に他者に害をなすよう勧めること、第三にその害を喜ぶこと、第四にその害を褒め称えること、第五に父母に孝行しないこと、第六に多くの古い恨みを結ぶこと、第七に悪意を持って薬を用いること、第八に食べ物や飲み物を惜しむこと、第九に聖者や賢者を軽んじること、第十に師や教えを誹謗中傷することです。このような十の業が、多くの病を得る報いをもたらします。」

「復云何業獲報少病?有十種業。何等為十?一不損有情,二勸他不損,三不隨喜損,四不讚歎損,五離慶快損,六孝養父母,七尊重師長,八不結宿冤,九施僧安樂,十施藥飲食;如是十種獲少病報。

「では、どのような業が原因で、少ない病の報いを得るのでしょうか?十種類の業があります。その十種とは何かというと、第一に、生きとし生けるものを傷つけないこと。第二に、他の人にも傷つけないよう勧めること。第三に、傷つけることを喜ばないこと。第四に、傷つけることを褒めないこと。第五に、傷つけることを快く思わないこと。第六に、父母を孝養すること。第七に、師や長上を敬い尊ぶこと。第八に、過去の恨みを結ばないこと。第九に、僧侶に安楽を施すこと。第十に、薬や飲み物・食べ物を施すこと。この十種によって、少ない病の報いを得るのです。」

「復云何業獲報醜陋?有十種業。何等為十?一恒起瞋忿,二恣縱慢心,三不孝父母,四恒恣貪癡,五毀謗聖賢,六侵奪𣣋逼,七盜佛光明,八戲弄他醜,九壞佛光明,十行非梵行;如是十種獲報醜陋。

さらに、どのような業が醜い姿の報いをもたらすのか? 十種の業がある。何が十種かというと、第一に常に怒りや恨みを起こすこと、第二に慢心をほしいままにすること、第三に父母に孝行しないこと、第四に貪りや愚かさをほしいままにすること、第五に聖賢を誹謗中傷すること、第六に他人のものを奪い、脅し虐げること、第七に仏の光明を盗むこと、第八に他人の醜さをからかうこと、第九に仏の光明を壊すこと、第十に清らかな行い(梵行)をしないことである。この十種の業が、醜い姿の報いをもたらすのである。

「復云何業獲報端嚴?有十種業。云何十業?一修慈忍,二惠施佛塔,三塗掃塔寺,四修嚴精舍,五莊嚴佛像,六孝養父母,七信重聖賢,八謙卑離慢,九梵行無缺,十遠離損害;如是十種獲報端嚴。

また、どのような業が端正な姿の報いを得るのでしょうか。十種類の業があります。その十とは、第一に慈しみと忍びの心を修めること、第二に仏塔に施しを行うこと、第三に塔や寺院を掃除し清めること、第四に修行の場である精舎を立派に整えること、第五に仏像を荘厳に飾ること、第六に父母を孝養すること、第七に聖賢を敬い重んじること、第八に謙虚で慢心を離れること、第九に清らかな行いを欠かさないこと、第十に他者を傷つけることを遠ざけることです。この十種の業によって、端正な姿の報いを得るのです。

「復云何業獲種族卑賤?有十種業。云何十種?一貪愛名利不修施行,二嫉妬他榮,三輕毀父母,四不遵師法,五譏謗賢善,六親近惡友,七勸他作惡,八破壞他善,九貨易經像,十不信三寶;如是十種獲報卑賤。

では、どのような行いが、生まれながらに身分の低い境遇を得るのでしょうか。それには十種の行いがあります。その十種とは、次の通りです。

第一に、名声や利益に執着し、施しを行う修行をしないこと。 第二に、他人の栄えを妬むこと。 第三に、父母を軽んじ、ないがしろにすること。 第四に、師の教えを尊ばないこと。 第五に、賢く善い人々を非難し、中傷すること。 第六に、悪い友人に親しむこと。 第七に、他人に悪を行うことを勧めること。 第八に、他人の善い行いを妨げること。 第九に、経典や仏像を売買すること。 第十に、仏・法・僧の三宝を信じないこと。

この十種の行いによって、身分の低い境遇に生まれる報いを受けるのです。

「復云何業得豪族富貴?有十種業。何等為十?一離嫉妬慶他名利,二尊重父母,三信崇師法,四發菩提心,五施佛傘蓋,六修嚴塔寺,七懺悔惡業,八廣修施行,九勸修十善,十信崇三寶;如是十種獲報豪貴。

では、どのような業によって豪族や富貴を得るのでしょうか。それには十種類の業があります。その十種類とは何か。

一つ目は、他人の名声や利益を妬まず、むしろ喜んで祝うこと。

二つ目は、父母を敬い尊ぶこと。

三つ目は、師や教えを信じ、敬うこと。

四つ目は、悟りを求める心(菩提心)を起こすこと。

五つ目は、仏に傘や蓋を捧げること。

六つ目は、塔や寺院を美しく整え、修繕すること。

七つ目は、自らの悪い行いを反省し、悔い改めること。

八つ目は、広く施しを行うこと。

九つ目は、他の人々にも善い行い(十善)を勧めること。

十つ目は、仏・法・僧の三宝を心から信じ、敬うことです。

この十種の業によって、豪族や富貴な境遇を得る報いがもたらされるのです。

「復云何業獲人間惡報?有十種業。云何十種?一恣縱我慢,二輕慢父母,三輕慢沙門,四輕慢婆羅門,五輕毀賢善,六輕慢親族,七不信因果,八輕厭自身,九憎嫌他人,十不信三寶;如是十種獲人間惡報。

では、どのような業が人間としての悪い報いをもたらすのでしょうか。それには十種類の業があります。その十種とは何か。第一に、慢心をほしいままにすること。第二に、父母を軽んじるこど。第三に、修行者を軽んじること。第四に、聖職者を軽んじること。第五に、賢く善良な人をけなし傷つけること。第六に、親族を軽んじること。第七に、因果の道理を信じないこと。第八に、自分自身を軽んじ嫌うこと。第九に、他人を憎み嫌うこと。第十に、仏・法・僧の三宝を信じないこと。このような十種の行いが、人間としての悪い報いをもたらすのです。

「復云何業獲人中勝報?有十種業。云何十種?一謙卑離慢,二尊重父母,三尊重沙門,四信崇婆羅門,五愛護親族,六尊重賢聖,七修行十善,八不輕慢補特伽羅,九尊重師法,十諦信三寶;如是十種獲人中勝報。

また、どのような業が人間として優れた報いを得るのか?十種の業がある。その十種とは何か?一つに、謙虚で慢心を離れること。二つに、父母を敬い尊ぶこと。三つに、沙門(修行者)を敬い尊ぶこと。四つに、婆羅門(バラモン)を信じ尊ぶこと。五つに、親族を大切にすること。六つに、賢い聖者を敬い尊ぶこと。七つに、十の善行を実践すること。八つに、他者を軽んじ見下さないこと。九つに、師や教えを敬い尊ぶこと。十に、三宝(仏・法・僧)を真実に信じること。この十種が、人間として優れた報いを得るのである。

「復云何業獲報孤貧?有十種業。云何十種?一恒行劫盜,二勸他劫盜,三讚歎劫盜,四隨喜劫盜,五毀謗父母,六謗讟聖賢,七障礙他施,八嫉他名利,九慳悋財物,十輕毀三寶願常飢饉;如是十種獲報孤貧。

また、どのような業が報いとして孤独や貧窮を得るのでしょうか。 ten種の業があります。 ten種とは何か。 一には常に盗みを行うこと、二には他人に盗みを勧めること、三には盗みを褒め称えること、四には盗みを見て喜ぶこと、五には父母を誹謗すること、六には聖賢を謗り非難すること、七には他人の施しを妨げること、八には他人の名声や利益を妬むこと、九には財物を惜しんで吝嗇であること、十には三宝を軽んじ毀り、常に飢饉を願うことです。 この ten種によって、孤独や貧窮の報いを得るのです。

「復云何業獲大福德?有十種業。云何十種?一離劫盜,二離勸他非,三離隨喜盜,四孝養父母,五信崇聖賢,六慶他名利,七廣行惠施,八不嫉名利,九不慳財寶愛恤孤貧,十供養三寶;如是十種獲福廣大。

また、どのような業が大いなる福徳を得るのでしょうか。十種の業があります。その十種とは何か。一つには、盗みを離れること。二つには、他人に不正を勧めないこと。三つには、盗みを喜ばないこと。四つには、父母を孝養すること。五つには、聖賢を信じ敬うこと。六つには、他人の名利を喜ぶこと。七つには、広く施しを行うこと。八つには、名利を妬まないこと。九つには、財宝に執着せず、孤児や貧者を哀れみ養うこと。十には、仏法僧の三宝を供養すること。この十種によって、広大な福を得るのです。

「復云何業獲報愚鈍?有十種業。云何十業?一謂此補特伽羅不信沙門亦不親近,二不信婆羅門,三不信師法亦非親近,四隱法不傳,五伺師法短,六遠離正法,七斷滅善法,八謗毀賢智,九習學非法,十毀謗正見稱揚邪見;如是十法獲報愚鈍。

「では、どのような業によって愚鈍な報いを受けるのでしょうか。十種類の業があります。その十種類とは何かと言いますと、第一に、この人は沙門(修行者)を信じず、また近づきもしないこと。第二に、婆羅門(バラモン)を信じないこと。第三に、師や法を信じず、また親しむこともないこと。第四に、法を隠して伝えないこと。第五に、師の法の欠点を探すこと。第六に、正しい教えから遠ざかること。第七に、善い行いを断ち消すこと。第八に、賢く智慧のある人を誹謗し非難すること。第九に、正しくない法を学び実践すること。第十に、正しい見解を否定し、誤った見解を褒め称えることです。これら十の行いによって、愚鈍な報いを受けるのです。」

「復云何業獲大智慧?有十種法。云何十法?一謂此補特伽羅親近沙門深信求法,二信婆羅門,三親近師法求解深義,四尊重三寶,五遠離愚癡,六不謗師法,七求於深智,八傳法利生令不斷滅,九遠離非法,十稱揚正見離諸邪見;如是十法獲大智慧。

また、どのような業によって大いなる智慧を得るのでしょうか。十の法があります。その十の法とは何か。第一に、この人が沙門(修行者)に親しく近づき、深く信じて法を求めること。第二に、婆羅門(バラモン)を信じること。第三に、師に親しく従い、法を学んで深い意味を求めること。第四に、三宝(仏・法・僧)を敬い重んじること。第五に、愚かさや迷いから遠ざかること。第六に、師や法を誹謗しないこと。第七に、深い智慧を求めること。第八に、法を伝えて人々を利益し、その教えが絶えないようにすること。第九に、正しくない行いから遠ざかること。第十に、正しい見解をほめ称え、あらゆる誤った見解から離れること。この十の法によって、大いなる智慧を得るのです。

「復云何業獲地獄報?有十種法。云何十種?一不善身業,二不善口業,三不善意業,四恒起身見,五恒起邊見,六邪見不息,七作惡不懺,八婬欲邪行,九毀謗聖賢,十壞滅正法;如是十業獲地獄報。

また、どのような業が地獄の報いを受けるのか。十種の法がある。どのような十種か。一には不善の身業、二には不善の口業、三には不善の意業、四には常に身見を起こすこと、五には常に辺見を起こすこと、六には邪見をやめないこと、七には悪を作りながら悔いないこと、八には淫欲や邪な行いをすること、九には聖賢を誹謗中傷すること、十には正しい法を壊し滅ぼすこと。このような十の業が地獄の報いを受けるのである。

「復云何業獲畜生報?有十種業。云何為十?一中品惡身業,二中品惡語業,三中品惡意業,四起種種貪,五起種種瞋,六起種種癡,七布施非法,八禁呪厭術,九毀菩薩梵行,十起常邊見人死為人;如是十業獲報畜生。

また、どのような業が畜生の報いを受けるのでしょうか。十種の業があります。その十種とは何かというと、第一に中程度の悪い身の行い、第二に中程度の悪い言葉の行い、第三に中程度の悪い心の行い、第四に様々な貪りの心を起こすこと、第五に様々な怒りの心を起こすこと、第六に様々な無知の心を起こすこと、第七に道理に合わない布施をすること、第八に咒文やまじないを用いること、第九に菩薩の清らかな行いを謗ること、第十に「人は死ねばまた人として生まれる」という間違った見解を常に抱くことです。このような十の業が、畜生の報いをもたらすのです。

「復云何業獲報餓鬼?有十種業。云何十業?一耎惡身業,二耎惡口業,三耎惡意業,四貪悋財物不行惠施,五起大邪見謗佛因果,六我慢自恃輕毀賢良,七障礙他施,八不恤飢渴,九慳惜飲食不施佛僧,十他獲名利方便離隔;如是十業獲報餓鬼。

さらに、どのような業によって餓鬼の報いを受けるのでしょうか。十種類の業があります。その十とは、第一に、軽微な悪い身の行い、第二に、軽微な悪い口の行い、第三に、軽微な悪い心の行い、第四に、財物に執着し惜しんで、施しを行わないこと、第五に、大きな間違った見解を起こして仏と因果の教えを謗ること、第六に、傲慢で自分を恃み、賢く善い人々を軽んじ貶めること、第七に、他の人の施しを妨げること、第八に、飢えや渇きを思いやらないこと、第九に、飲食を惜しんで、仏や僧侶に施さないこと、第十に、他の人が利益や名声を得るのを、方便を用いて妨げ隔てることです。これらの十種類の業によって、餓鬼の報いを受けるのです。

「復云何業獲報人間?有十種業。何等十業?一離殺生,二離不與取,三離非梵行,四離虛誑語,五離雜穢語,六無離間語,七離麁惡語,八離飲酒食肉,九離癡闇,十離邪見諦信三寶;修如是等十種耎業,獲報人間。

また、どのような業が人としての報いを得るのか。十種の業がある。何が十種か。一つには、殺生を離れること。二つには、与えられないものを取らないこと。三つには、清らかでない行いを離れること。四つには、偽りの言葉を離れること。五つには、雑ざった汚れた言葉を離れること。六つには、人を仲違いさせる言葉がないこと。七つには、荒々しい言葉を離れること。八つには、酒を飲み肉を食うことを離れること。九つには、無知の暗さを離れること。十には、誤った見解を離れ、三宝を真実に信じること。このような十種の柔らかな業を修行することで、人としての報いを得るのである。

「復次,修習何業得生欲天?修十善業得生彼天。復修何業得生色界?修十定善得生彼天。復修何業得生於彼四無色界?修習三摩鉢底為因,得生彼天。何等為四?遠離一切色,作無邊空想,復修彼定伏除彼障,命終之後生彼空無邊處。遠離麁識細識現前,作無邊想伏除彼障,復修彼定後生彼天。遠離無所有處障染,復修彼定後生彼天。遠離彼障復修彼定,命終之後得生非想非非想處。

また、どのような行いを修めれば欲界の天に生まれることができるのでしょうか。十善業を修めれば、その天に生まれます。さらに、どのような行いを修めれば色界に生まれることができるのでしょうか。十種の定を伴う善行を修めれば、その天に生まれます。さらに、どのような行いを修めれば四無色界に生まれることができるのでしょうか。三摩鉢底(さんまはってい)の修行を因として、その天に生まれます。

その四つとは何かといえば、すべての色(かたちあるもの)から離れ、果てしない空(くう)の想いを起こし、その定を修めて障害を除き、命終の後に空無辺処(くうむへんしょ)に生まれます。次に、粗い識(こころのはたらき)から離れ、細やかな識が現前し、果てしない想いを起こして障害を除き、その定を修めた後に、その天に生まれます。次に、無所有処(むしょゆうしょ)の障害や煩悩から離れ、その定を修めた後に、その天に生まれます。次に、その障害から離れてその定を修め、命終の後に非想非非想処(ひそうひひそうしょ)に生まれます。

「復次,修習何業不生無間?修諸善業迴向所求,決定得生諸善趣中不入無間。復次,修習何業感得何果?若修善業感可愛果,若造惡業感非愛果;若遠離此善不善業,愛非愛果終不可得,譬如慈女商主遠行,久不歸家子無由得。

「次に、どのような業を修めれば無間地獄に生まれないのでしょうか。さまざまな善業を修めて、その功徳を求めるものに振り向ければ、必ず善趣の中に生まれることが定まり、無間地獄には入りません。次に、どのような業を修めればどのような果を感得するのでしょうか。もし善業を修めれば愛すべき果を感得し、もし悪業を造れば愛すべからざる果を感得します。もしこの善業と不善業を遠く離れれば、愛すべき果も愛すべからざる果も、ついに得ることはできません。たとえば、慈しみ深い女商人が遠くへ旅に出て、長く家に帰らなければ、その子が会うすべがないのと同じです。

「復云何業而不得果?所修惡業迴心發露,省悟前非思惟嫌厭,心念口言作意專注重重懺悔,此業雖作而不受果;善業亦然。

また、どのような業が果報を受けないのでしょうか。それは、行った悪業を心を改めて悔い、素直に告白し、以前の過ちを悟って嫌い離れることです。心に思い、口に唱え、心を込めて何度も何度も懺悔するならば、たとえその業を犯しても、果報は受けません。善業もまた同じです。

「復云何業得身心圓滿?修習忍辱得身相圓滿,修習聞思得心圓滿,此業修習必定得果。

では、どのような業によって身心が円満に得られるのでしょうか。忍辱を修習すれば身体の相が円満になり、聞思を修習すれば心が円満になります。この業を修習すれば、必ずその果報を得ることができるのです。

「復云何業,修作已後而非散失?若有善業已作不悔亦不嫌厭,而非擾惱又非撥無,不說是非而不遠離,亦非躁撓作如是行,此業修習終非散失定受於果。

また、どのような業が、修行して作った後に散失することがないのか。もし善い業を作って、後悔せず、嫌うこともなく、煩わされることもなく、否定もせず、善悪を論じず、避けることもなく、心を騒がせることもなく、このように行うならば、この業は修習しても最終的に散失せず、必ずその果報を受けるのである。

「復云何業而不得果?修無記業不得其果。

では、どのような業が結果を得られないのでしょうか。それは、善でも悪でもない無記の業を修めた場合、その結果は得られません。

「復云何業,補特伽羅,地獄壽命而無中夭?此一補特伽羅作彼業已,而不悔恨亦不嫌厭,又不撥無心不擾惱,不說是非又不躁撓,行如此行天受當知,作彼彼業補特伽羅,處地獄生,圓滿壽命而非中夭。

さらに、どのような業によって、人は地獄の寿命を全うし、途中で命を絶つことがないのでしょうか。この人は、その業をなした後、悔やむこともなく、嫌がることもなく、その業の存在を否定せず、心を煩わすこともありません。また、善悪を論じず、落ち着きを失うこともありません。このように振る舞う人は、天の世界に生まれると知るべきです。そのような業をなした人は、地獄に生まれても、寿命を全うし、途中で命を失うことはありません。

「復云何業,有補特伽羅,處地獄中壽量不滿?此一補特伽羅,作彼業已而乃嫌悔,煩惱自毀省悟前非,遠離彼業而不躁撓,行如是行,此補特伽羅作彼業已,地獄中生不滿壽命。

さらに、どのような業によって、ある有情が地獄にいても寿命を全うしないのでしょうか。その有情は、その業をなした後に後悔し、煩悩に悩まされず自らを戒め、以前の過ちを悟り、その業から遠ざかり、心を乱すことなく行動します。この有情がその業をなした後、地獄に生まれても寿命を全うしないのです。

「復云何業,有補特伽羅,地獄中生即便命終?此一補特伽羅作彼業已,悔嫌躁擾說言撥無,解除遠離煩惱鋒利,不可愛樂我更不作。如阿闍世王,作殺父罪已悔過發露:『我作惡業應當自受。』對佛懺悔解說前非。佛愍彼王令觀罪性,從緣幻有了不可得。故此補特伽羅,處地獄中即便命終。

また、どのような業によって、ある人が地獄に生まれてもすぐに命を終えるのでしょうか。この人はその業をなした後、悔やみ、嫌い、焦り悩み、「そんなものはない」と言い放ち、煩悩という鋭い刃から離れ、それを遠ざけます。「これは愛すべきものではない、私はもう二度と行わない」と。ちょうどアジャータシャトル王が父を殺す罪を犯した後、悔いて告白したのと同じです。「私は悪業をなした、その報いを自ら受けるべきだ」と。仏の前で懺悔し、以前の過ちを解き明かしました。仏はその王を哀れみ、罪の本質を観察させました。それは縁によって生じた幻のようなもので、実体としては得られません。それゆえ、この人は地獄に生まれても、すぐに命を終えるのです。

「復云何業,有補特伽羅,先受快樂後受苦惱?此一補特伽羅,初行布施愛樂歡喜,施已心悔。故此補特伽羅,生在人中處上種族,金銀珍寶象馬車乘,悉皆具足,父母妻子吏民知識,圓滿無缺,乃至庫藏亦復如是;故得果時,先受快樂後乃苦惱。

さらに問う、どのような業によって、ある人はまず楽を受け、後に苦を受けるのか。この人は、初めに布施を行い、喜び楽しんで、施した後に心に後悔が生じる。それゆえにこの人は、人として生まれ、高貴な家系に生まれる。金銀や宝、象や馬、車や乗り物がすべて揃い、父母や妻、子、官吏や民、知人や友人もすべて満ち足りて欠けることがなく、倉庫の財産もまた同じである。それゆえに果報を受ける時、まず楽を受け、後に苦を受けるのである。

「復云何業,有補特伽羅,先受貧苦後乃快樂?此一補特伽羅,由昔因時用下品心微分布施,捨已不悔後乃歡喜。故此補特伽羅,生在人中種族卑下,飲食珍寶悉皆乏少亦不自在,後漸增長財物廣大,乃至種種資具無有乏少,故此補特伽羅,後得果時,先乃貧苦後受快樂。

また、どのような業によって、ある人がまず貧しい苦しみを受け、その後になってようやく幸福を享受するのでしょうか。この人物は、過去世において下等な心持ちでわずかな布施を行い、施した後に悔やむことなく、むしろ喜びを抱いたのです。そのため、この人物は人として生まれながらも低い身分の家系に生まれ、食べ物や財宝に乏しく、心のままにならない生活を送ります。しかしその後、徐々に財産が増え広がり、さまざまな道具や品々も欠けることがなくなります。こうしてこの人物は、結果を受けるときになって、まず貧しい苦しみを味わい、その後で幸福を楽しむのです。

「復云何業,有補特伽羅,先受快樂後亦快樂?此一補特伽羅,未施歡喜,正施、施已歡喜,三時無悔。此一補特伽羅,生在人中於富貴家上種族中,父母妻子吏民親友圓滿具足,庫藏珍寶象馬牛羊,乃至園林田宅,無不具足自在受用,故此補特伽羅,先受快樂後亦快樂。

さらに、どのような業によって、ある人はまず楽を受け、後にまた楽を受けるのでしょうか。この人は、布施をする前に喜び、布施をしている最中も喜び、布施を終えた後も喜び、この三つの時において何の後悔もありません。この人は人間に生まれ、裕福で高貴な家柄に生まれます。父母、妻、子、役人、民衆、親しい友人など、すべてが満ち足りてそろっています。倉庫には宝物があり、象、馬、牛、羊などの家畜もいて、庭園や田畑、家屋に至るまで、すべてが整い、自由に使うことができます。ゆえにこの人は、まず楽を受け、後にまた楽を受けるのです。

「復云何業,有補特伽羅,先無快樂後無快樂常受苦惱?此一補特伽羅,先無施心,亦無良友勸令布施,又無信心貪惜珍寶,從始至終絕施纖毫。故此補特伽羅,若生人中,處下種族貧窮困苦,財寶飲食田宅資具,乃至眷屬悉皆乏少,先無快樂後無快樂,故此補特伽羅,先受苦惱,後亦苦惱。

また、どのような業によって、ある人は最初から最後まで楽しみがなく、常に苦しみを受けるのでしょうか。この人は、最初から施しの心がなく、善友に勧められて布施を行うこともなく、信心もなく、財宝を惜しみ、最初から最後まで一切を施すことがありません。それゆえに、この人はもし人間として生まれれば、賤しい家系に生まれ、貧しく苦しみ、財宝や飲食・田畑・家屋・道具類、さらには家族や親族までもすべて乏しく、最初から楽しみがなく、最後にも楽しみがありません。このように、この人はまず苦しみを受け、後にも苦しみを受けるのです。

「復云何業,有補特伽羅得大富貴,貪惜財物無纖毫施?此一補特伽羅於過去世,向三寶處曾行布施,不曾發願於當來世更修施行,故此補特伽羅命終已後,若生人間得大富貴,居上種族珍寶廣大,象馬奴婢牛羊田宅,亦皆廣大受用自在,於其財物慳惜愛護不行惠施,故此補特伽羅,富貴多財,愛護慳貪亦無信心。

また、どのような業によって、ある人は大いなる富と貴さを得ながらも、財物を貪り惜しんで、少しも施しをしないのでしょうか。この人は過去世において、仏・法・僧の三宝に布施を行ったことがありましたが、来世においてさらに施しの行いを修行しようとは願わなかったのです。それゆえに、この人は命を終えた後、もし人間の世界に生まれ変われば、大いなる富と貴さを得て、高貴な家柄に生まれ、珍宝は豊かで広大であり、象・馬・奴婢・牛・羊・田畑・家屋もすべて広大で、享受し用いることに自在でありながら、その財物に対しては吝嗇で愛執し、守り惜しんで、恵み施すことを行わないのです。それゆえにこの人は、富貴で多くの財を持ちながらも、愛執し吝嗇で貪欲であり、また信仰の心もないのです。

「復云何業,有補特伽羅,一生貧苦愛樂布施?此一補特伽羅,於過去世三寶勝處,曾修布施又復發願,而於未來施心不斷,命終之後生在人天受福往來,彼後福盡又生人間貧窮愛施,故此補特伽羅貧窮愛施信心不斷。

また、どのような業によって、ある有情は一生貧しく苦しみながらも、布施を喜んで行うのでしょうか。この有情は、過去世において仏法僧の尊い境地に対して布施を行い、さらに願を立てて、未来に向かっても施しの心を絶やさず、命終の後には人や天に生まれて福報を受けながら往来しました。その後の福報が尽きると、再び人間に生まれて貧しいながらも施しを愛し、信心を断ち切ることがないのです。ゆえに、この有情は貧しくても施しを愛し、信心を持ち続けるのです。

「復云何業,有補特伽羅,一生貧苦又復慳貪,不行少施?此一補特伽羅,於過去世不遇善友,又復愚闇不信因果,於其施度微分不修,故此補特伽羅,命終之後生在人間種族貧窮,財物飲食、田業資具一切乏少,故此補特伽羅,貧窮困苦不樂布施。

では、どのような業によって、ある人は一生貧しく苦しみながらも、なお物惜しみして、少しの施しも行わないのでしょうか。この人は過去世において良い友人に恵まれず、また愚かで暗く因果の道理を信じず、布施の修行を少しも積みませんでした。そのため、この人は命を終えた後、人間に生まれ変わっても貧しい家系に生まれ、財物や食べ物、田畑や道具など、すべてが乏しいのです。それゆえ、この人は貧しく苦しみながらも、布施を喜んで行おうとはしないのです。

「復云何業,得身心快樂譬如輪王又樂作福?此一補特伽羅,於過去世修不殺戒施他無畏,又復發願施心不昧,故此有情,命終之後生在人間,得身心快樂常愛惠施。

「どのような業によって、心身ともに楽しく、あたかも転輪聖王のように、また福徳を積むことを喜ぶ者となるのか。この一人の人は、過去世において殺生を戒め、他者に恐れなきことを施し、さらに『施しの心を曇らせない』と願いを立てた。それゆえにこの者は、命終えた後、人間界に生まれ、心身ともに楽しく、常に施しを愛する者となるのである。」

「復云何業,有補特伽羅身心快樂,如極老人家務久棄不樂作福?此一補特伽羅,於過去世施他無畏,不損有情不發勝願,故此補特伽羅,命終已後生在人間,而得身心悉皆快樂,不愛修福。

また、どのような業があるのでしょうか。ある人が心身ともに楽しく過ごしながらも、まるで年老いて家の務めを長く捨て去った人が福を積むことを好まないかのような姿があります。この人は、過去の人生において他者に安心を与え、生きとし生けるものを傷つけることはなかったものの、特に強い願いを起こすことはありませんでした。そのため、この人は命を終えた後、人間の世界に生まれ落ち、心身ともに楽しく過ごすことができるものの、福を積むことには積極的ではありません。

分別善惡報應經卷上

善悪報応経 巻上


第二

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