底哩三昧耶不動尊聖者念誦祕密法卷上
底哩三昧耶不動尊聖者念誦祕密法 上巻
大興善寺三藏沙門不空奉 詔譯
大興善寺三蔵沙門不空奉詔訳
底哩三昧耶不動明王本事神力息障祕要品第一
底哩三昧耶不動明王本事神力息障祕要品 第一
我薄伽梵大日世尊復為修真言者說除障之因:「一切障法雖有無量,以要言之,但從心生。又由行者過去世隨順慳法故,今世多有諸障,當知亦是從心因緣生也。當知彼慳貪等是諸障之因,若能除彼因,障諸障自息。若能除對治,即淨菩提心也。若念菩提心,故即是能除諸障之因。又一切諸障由分別心生,心思有者即是障,謂心中煩惱隨煩惱等。若離諸分別,即是淨菩提心。由真言行者憶念此心,即離一切諸過,意常思惟無動聖者,即能除一切為障者,如前所說。無動明王,此是如來法身,以大願故,無相相中而現是相,護一切真言行者。若能常念,能離一切障也。所謂無動者,即是真淨菩提之心。為表是義,故因事立名。此明王閉一目者,亦有深意也。以佛明鑒唯一無二無三。其印,下自當說之。
薄伽梵大日世尊は、さらに真言を修める者のために、障りを除く因縁を説かれました。
「すべての障りとなる法は、無量にあるけれども、要約して言えば、ただ心から生じるものです。また、行者が過去世において、物惜しみの法に従ったために、今世において多くの諸々の障りがあるのです。これもまた、心の因縁から生じたものであると知るべきです。
その物惜しみや貪りなどが、諸々の障りの因であると知りなさい。もしその因を除くことができれば、諸々の障りは自然に静まります。もし対治(障りに対抗する力)を除くことができれば、それはすなわち清浄な菩提心なのです。もし菩提心を念じるならば、それこそが諸々の障りを除く因となるのです。
また、すべての諸々の障りは、分別の心から生じます。心に『ある』と考えること、それがすなわち障りです。つまり、心の中の煩悩や随煩悩などです。もし諸々の分別を離れるならば、それはすなわち清浄な菩提心です。
真言行者がこの心を憶念するならば、すべての過ちから離れ、心を常に動かざる聖者(無動明王)に思惟を向けるならば、前に説いたように、一切の障りとなるものを除くことができるのです。
無動明王、これは如来の法身であり、大いなる願いによって、無相の相の中にこの相を現わし、すべての真言行者を護るのです。もし常に念じることができれば、一切の障りから離れることができるでしょう。
いわゆる『無動』とは、まさに真実清浄な菩提心のことです。この意義を表すために、事象に因って名を立てたのです。この明王が一目を閉じていることにも、深い意味があります。仏の明らかな鑑識は、唯一にして二なく三もないからです。
その印相については、後ほど自ずと説くことでしょう。」
「祕密主,一切惡風,當誦阿字,亦有深意。正取阿字為身,以此本無生之字門而作我身也。無我作訶字心誦,塗香點地作七圓點。此風先想訶字,在中加七點而好蓋之,方依縛庾以瓦椀蓋合之。此瓦椀,大眾生彌盧思念,時時彼上想阿字并點。作是風大縛,繼先佛所說,謂造立壇時或有大風為障,以露地立故當須止之。當想此阿字遍於身分之內,此字作金剛不動色,謂真金色也。如是想已,又心誦阿字,於風方(西北方也)用塗香於地畫作一小圓點...各如彈丸許大。如數足即用瓦椀蓋之,於瓦器上想阿字,以此字為金剛山而鎮押之,三千大千諸須彌山合為一體而蓋其上。又當時時器上作阿字想,此阿是金剛不動義,加一點是遍一切處。今此金剛不動遍一切處,即是增廣之義也。
秘密主よ、一切の悪風に対しては、阿字を誦するべきであり、これには深い意味があります。阿字を正しく身とし、この本来無生の字門をもって我が身とするのです。無我の境地では訶字を心に誦し、塗香で地面に七つの円点を描きます。この風を制するには、まず訶字を想い、その中央に七点を加えてよく覆い、次に縛庾の法に依って瓦椀で覆い合わせます。この瓦椀は、大衆生が弥盧山を思念するが如く、時折その上に阿字と点を想うのです。
この風を縛する法は、先仏の説かれたところであり、壇を建立する際に大風が障りとなることがあります。露地に立つ故、これを止めねばなりません。この阿字が身分の内に遍満することを想い、この字を金剛不動の色、すなわち真金色と観じます。このように想い定めた後、さらに心で阿字を誦し、風の方角(西北方です)に塗香を用いて地面に小さな円点を描きます[图片: ../figures/T/T21p0013_01.gif]それぞれ弾丸ほどの大きさとします。数が満ちたら直ちに瓦椀で覆い、瓦器の上に阿字を想います。この字を金剛山として鎮め押さえ、三千大千世界の諸須弥山が一体となってその上を覆うと観じます。また、時折器の上に阿字を想い起こします。この阿は金剛不動の義であり、一点を加えることは遍一切処を表します。今、この金剛不動が遍一切処に広がることは、すなわち増広の義なのです。
「祕密主!水障法者,當思囉字遍於身,內作赤色大力焰,即是火焰之鬘,從內而出遍於身上如鬘也。作大力可畏惡形,手執大刀印作嗔形已,畫地作雲像或作龍蛇之像,用刀印斬斷其形,雲即散滅,以雲是諸水之所因依故也。隨所起障之方而作之,如雨從東來即於東方作也。或作金剛橛用此止其風,其橛用佉陀羅木作獨股金剛杵,以金剛真言加持之,想同一切金剛而以打之,亦隨所在方面也。此應自身同於一切金剛然後作之。此橛是三股金剛除去邊支,即成獨股金剛。其最小者名金剛針,息除一切障難。復說大威德忿怒不動大力真言法。於本曼荼羅中作住持誦者,於曼荼羅中畫作彼形像,左脚蹈彼頂上,當除息,死無疑。復更明異方便除一切障也。即前所說不動明王本曼荼羅,即是三角曼荼羅其中黑色是也。持誦者自想己身作不動尊明王之像。又於此中作法有二意:一者想不動尊在圓壇中而蹈彼上也;二者想自身不動尊,即以本真言印而蹈上也。三角中畫彼為障者形,然後入中以左脚蹈彼頂上,以大忿怒形加之,彼當應時退散。若彼違戾此教者,主必自斷其命根。是故持誦者當生慈心念言,勿令彼斷命也。然此中密意,不動謂為障者,即是從心所生慳貪等法,能為行人作一切障事。今此無動明王即是一切智智大菩提心,當知此即是大力威猛,能永害一切隨眠等過,令彼永斷即是死義也。如瑜伽會中佛初成正覺,大集會中一切曼荼羅所攝三界之眾有摩醯首羅者,即是三千世界之主。住三千界之中,心慢故不肯從所召命,而作是念:『是三界之主,更有誰尊而召我耶?』復作是念:『彼持明者畏一切穢惡。我今化作一切穢污之物,四面圍繞而住其中,彼所施明術何所能為?』時無動明王承佛教命召彼天,見其作如此事,即化受觸金剛(即是不淨金剛)令彼取之。爾時不淨金剛須臾悉噉所有諸穢令盡無餘,便執彼來至於佛所。彼復言:『爾等是夜叉之類,而我是諸天之主,何能受爾所召命耶?』尋即逃歸。如是七遍。爾時無動明王白佛言:『世尊!此有情故犯三世諸佛三昧耶法,當何事治之?』佛言:『即當斷彼也。』時不動明王即持彼,以左足蹈其頂半月中,右足蹈其妃首半月上。爾時大自在天尋即命終。於爾時悶絕之中證無量法,而得授記,生於灰欲世界作佛號日月勝如來。此皆祕密也。食一切穢惡污,是噉惡業煩惱等垢穢滓濁,謂之為法。本命終者,是彼一切心法永斷,入無生法性故。於此中得一切佛記,非是殺也。爾時諸天等見三千界天王以不順諸佛三昧耶故自取命終,一切敬畏,自相謂言:『天主尚爾。我云何不往?』即共來詣佛所,於大曼荼羅中而得法利。時無動明王白佛言:『此大自在天,當更云何?』佛言:『汝應甦之。』時無動明王即說法界生真言。爾時大自在者即復蘇息,生大歡喜,白佛言:『甚希有也。我初召至,己向佛故。此夜叉是何等類,我所不解。佛言:「是諸佛之主。」我作是念:「諸佛一切之尊,云何以此而更為主也。」是所不解,今乃知之。此大王力故,令我現前得記作佛,當知實是諸佛之尊也。』祕密主!大自在天三千世界之主,即是眾生自心,所謂無明住地於諸惑中得自在,唯除大菩提心無能伏者。斷其命已,即於寂然世界作證,所謂生者即是起諸慧門。是故真言行者應一一思順諸佛密語也。
秘密主よ、水の障りを除く法は、羅の字を思い、全身に行き渡らせ、内に赤色の大いなる炎を起こすことである。これはすなわち炎の鬘であり、内から出て全身に鬘のように広がる。大いなる力を持つ恐ろしい悪相を現し、手に大刀の印を結び、怒りの形相を成したならば、地に雲の像、あるいは龍や蛇の像を描き、刀の印をもってその形を断ち切れば、雲はたちまち散り滅びる。雲は諸々の水が依りつく因縁となるからである。障りが起こる方角に応じてこれを行う。例えば雨が東から来れば、東方で行うのである。
あるいは金剛橛を用いて風を止める。この橛は佉陀羅木で作り、独鈷金剛杵とし、金剛の真言で加持する。一切の金剛と同じく思い、これをもって打つのである。これもまた方角に応じて行う。この時、自身を一切の金剛と同じく思い、それから行うべきである。この橛は三鈷金剛から辺の支えを取り除き、独鈷金剛としたものである。その最も小さいものは金剛針と呼ばれ、一切の障り難を静め除く。
さらに大威徳忿怒不動大力の真言法を説く。本の曼荼羅の中に住し、誦する者は、曼荼羅の中にその形像を描く。左の足でその頂上を踏みつければ、除息し、死ぬことは疑いない。さらに異なる方便を明らかにして、一切の障りを除く。すなわち前に説いた不動明王の本曼荼羅、これは三角の曼荼羅であり、その中は黒色である。誦する者は自ら己の身を不動尊明王の像と想う。またこの中で行う法に二つの意味がある。一つは、不動尊が円壇の中にいて、その上を踏むと想うこと。二つは、自身が不動尊であると想い、すなわち本の真言印をもってその上を踏むことである。三角の中に障りをなす者の形を描き、それから中に入り、左の足でその頂上を踏みつけ、大いなる忿怒の形相を加えれば、彼はたちまち退散するであろう。もし彼がこの教えに背くならば、主は必ず自らその命の根を断つであろう。ゆえに誦する者は慈しみの心を起こし、彼の命が断たれないよう念じるべきである。
しかし、この中の密意は、不動が障りをなす者と謂うのは、すなわち心から生ずる慳貪などの法であり、修行者の一切の障り事をなすものである。今この無動明王はすなわち一切智智の大菩提心であり、これは大いなる力威猛にして、永く一切の随眠などの過ちを害し、彼を永く断つ、すなわち死の意味であると知るべきである。
例えば瑜伽の会において、仏が初めて正覚を成じた時、大集会の中の一切の曼荼羅に摂せられた三界の衆に摩醯首羅という者がいた。これは三千世界の主である。三千世界の中に住し、心に慢があったため、召し命に従おうとせず、このように思った。「我は三界の主である。さらに誰が尊くて我を召すというのか。」またこのように思った。「あの持明者は一切の穢悪を畏れる。我は今、一切の穢れた汚れた物を化し、四面を取り囲んでその中に住もう。彼の施す明術など、何ができようか。」
その時、無動明王は仏の教命を承けて彼の天を召した。彼がこのようなことをしているのを見て、すなわち受触金剛(すなわち不浄金剛である)を化し、彼に取らせた。その時、不浄金剛は須臾のうちにすべての諸々の穢れをことごとく食い尽くして余すところなくし、すなわち彼を執って仏の所に至った。彼はまた言った。「汝らは夜叉の類いである。我は諸天の主である。どうして汝らの召命を受けることができようか。」尋いで逃げ帰った。このように七遍繰り返した。
その時、無動明王は仏に白した。「世尊よ、この有情は故に三世の諸仏の三昧耶法を犯しました。どのような事でこれを治すべきでしょうか。」仏は言われた。「すなわち彼を断つべきである。」その時、不動明王はすなわち彼を持ち、左の足でその頂上の半月を踏み、右の足でその妃の首の半月の上を踏んだ。その時、大自在天は尋いで命終した。その時、悶絶の中において無量の法を証し、授記を得て、灰欲世界に生まれ、日月勝如来と号する仏となった。これらはすべて秘密である。
一切の穢悪汚れを食うとは、悪業煩悩などの垢穢滓濁を噉むことであり、これを法と謂う。本、命終するとは、彼の一切の心法が永く断たれ、無生の法性に入るからである。この中において一切の仏の記を得るのであり、殺すことではない。その時、諸天などは三千界の天王が諸仏の三昧耶に順わないが故に自ら命終を取ったのを見て、一切畏敬し、互いに言った。「天主でさえこのようである。我らはどうして行かないことがあろうか。」すなわち共に来て仏の所に詣で、大曼荼羅の中において法の利を得た。
その時、無動明王は仏に白した。「この大自在天は、さらにどうすべきでしょうか。」仏は言われた。「汝は彼を甦らすべきである。」その時、無動明王はすなわち法界生の真言を説いた。その時、大自在者はすなわち蘇息し、大いなる歓喜を生じ、仏に白した。「甚だ稀有である。私は初め召されて、すでに仏に向かいました。この夜叉はどのような類いか、私には理解できません。」仏は言われた。「これは諸仏の主である。」私はこのように思った。「諸仏は一切の尊い方である。どうしてこれを以てさらに主とすることがあろうか。」これは理解できなかったが、今にして知った。この大王の力の故に、私に現前に記を得させ、仏となることを得させた。実にこれは諸仏の尊い方であると知るべきである。」
秘密主よ、大自在天、三千世界の主とは、すなわち衆生の自心であり、いわゆる無明住地が諸々の惑の中で自在を得ているのである。ただ大菩提心のみがこれを伏すことができ、他にはない。その命を断ったならば、すなわち寂然の世界において証を得る。いわゆる生ずるとは、すなわち諸々の慧の門を起こすことである。ゆえに真言の行者は、一つ一つ諸仏の密語に順って思うべきである。
「又法用芥子及諸毒藥二種相和,作彼為障者形像,而用塗之,令彼身如火燒,速被中傷,故云速被著也。乃至大梵等為障,尚被能著,何況餘耶。又凡此法皆是久時持誦大成就解法者乃能作之,若但聞法即求得如是用,無此理也。其佉陀羅木橛,若無此,當用苦練木,乃至用賓鐵亦得。事知之也。」
また、法では芥子と諸々の毒薬の二種を混ぜ合わせ、その障害となる者の形像を作り、それに塗りつける。すると、その者の身体は火に焼かれるかのようになり、速やかに中傷される。ゆえに「速やかに着せられる」というのである。大梵天などの障害でさえ、なお着せられることができるのだから、ましてや他のものは言うまでもない。また、凡そこの法は、長い間持誦し大成就の解法を得た者でなければ行うことができない。ただ法を聞いただけで、このような効果を求めることは、道理に合わない。その佉陀羅の木の杭は、もしこれがなければ、苦練の木を用いることができる。さらに賓鉄を用いてもよい。このことを心得ておくことである。
時金剛手白佛言:「如我知佛世尊所說義,我亦是知曼荼羅位住。世尊尊主現威令住彼位,如是如來教勅不敢隱蔽。何以故?此佛三昧耶,一切諸真言所師,謂性住者。」金剛手白佛言:「此大無動明王(即是尊主),能作如是威猛之事,能調難調,為傳如是祕密之教,令使如本尊,是佛部即金輪中,若如是作必有靈驗。此之現威,即効驗之語也,令修行者若如是作必令有効。諸生死中普得聞知,不敢隱蔽此之真言主。是故持金剛者,大威猛所不敢隱蔽,謂此尊有靈驗故。所作善事皆成,諸為障者不敢隱蔽如來所教勅也。此即是十方三世諸佛三昧耶。我等一切執金剛亦應作此法。所應作者隨此三昧耶不敢失墜。何以故?此即是諸執金剛性,是故當住斯法。如四姓等各各有家法,若失家法則不名敬順先祖父之教,世人名為惡子。今此大雄猛調伏難調宣布難信之教,是我金剛等家姓之法,所謂如來種姓之家也。是等真言門修行諸菩薩等,於本中住。一切事業作者,是金剛手以身勸懃而行之,言我等所應作事業亦復如是。若未來世持真言者亦當住此位,所謂如來家法。應以無量門降伏諸障,令如來法無敢隱蔽也。此真言行人亦於諸尊若欲作降伏,即須自身作無動尊住於火輪中,亦名火生三昧也。」「祕密主!若諸彩色畫曼荼羅中諸尊色。先佛說者,謂本尊各有形色,下當更說之。如上說隨本位住而作事業,謂於會中所有諸尊,若見其黃色即應坐金剛中,白色即坐水輪中,赤色即坐火輪中,黑色坐風輪中。次下有色字梵音別名,此是形相也。如是寂然,即須坐圓壇等類,應一一依教而畫。是故諸佛所說,其道玄同,非我故說欲令眾生起決定信也。祕密主!未來世當有眾生劣慧不信聞此法,以先無信根故,聞此而不能信。以此眾生等鈍根少智信不具故,聞此甚深之事不能曉了,更增疑網,此即說為障所由也。如是真畫色及持誦等,一一皆有深意。畫是如來不思議事,如此畫色等皆依法不疑,乃能深入法界不思議,唯信者得入。若欲以心數下量,云何得知所以而不疑耶?謂非如來真空無相之法,從自傷也。此色字亦云通達是正義,謂異方便無事不解之義已。彼先此一切說梵音迴互。上文已明諸佛,今此下句云先佛作如是說已,彼此一切說利益求者,彼凡夫不知說法相空,一切諸法相說常,當住真言業。作善無疑者,此意言如來具一切智,於諸法中而得自在,以眾生劣慧未堪頓說如來自證不思議力用故。作此畫色等方便,令諸眾生隨所作者能滿所求而得利益。所以然者,以諸眾生未解諸法空相,是故於無相中而作有相方便說之。若人得佛深意者,當住真常之行,諸有所作皆入理體,同於一切智智之心。如是無疑慮者,一切障法無得其便次。復說法界生真言曰:
時に金剛手は仏に申し上げた: 「私が仏世尊の説かれる意味を理解するに、私もまた曼荼羅の位に住することを知っております。世尊尊主が威徳を現して彼の位に住まわせるように、如来の教えを隠し立てすることはいたしません。なぜなら、この仏の三昧耶は、一切の真言の師であり、本性に住するものだからです。」
金剛手は仏に申し上げた: 「この大無動明王こそ尊主であり、かくも威猛なることをなすことができ、調え難きを調えることができます。この秘密の教えを伝え、本尊のごとくならしめるためです。仏部すなわち金輪の中にあり、もしこのように行えば必ず霊験があります。この威徳を現すことは、すなわち効験の言葉であり、修行者がこのように行えば必ず効果があることを示します。諸々の生死の中に普く聞き知られ、この真言主を隠し立てすることはありません。それゆえ、金剛を執る者は、大威猛なることを隠し立てせず、この尊に霊験があるからです。なす善き事は皆成就し、障りをなす者は如来の教えを隠し立てすることはできません。これはすなわち十方三世の諸仏の三昧耶です。我等一切の執金剛もまたこの法を行わねばなりません。なすべきことをこの三昧耶に従って失い落とすことはありません。なぜなら、これは諸々の執金剛の本性であり、それゆえこの法に住すべきだからです。四姓などのように、それぞれに家法があります。もし家法を失えば、先祖父の教えに敬順するとは名付けられず、世人は悪しき子と呼びます。今この大雄猛が調伏難きを調え、信じ難き教えを宣布することは、我が金剛等の家姓の法であり、いわゆる如来種姓の家です。このような真言門で修行する諸菩薩らは、本の中に住します。一切の事業を行う者は、金剛手が身をもって勤め励んで行うように、我等のなすべき事業もまたこのようであります。もし未来世に真言を執持する者もまたこの位に住すべきであり、いわゆる如来の家法です。無量の門をもって諸々の障りを降伏し、如来の法が隠し立てされることのないようにすべきです。この真言行人もまた諸尊に対して降伏を行おうとするならば、すなわち自身を無動尊として火輪の中に住し、また火生三昧とも名付けます。」
「秘密主よ、もし諸々の彩色で曼荼羅の中の諸尊の色を画くならば。先に仏が説かれたように、本尊はそれぞれに形色があり、後にさらに説かれるでしょう。上に説かれたように本位に住して事業を行い、会中のすべての諸尊について、もしその黄色を見ればすなわち金剛の中に坐し、白色を見ればすなわち水輪の中に坐し、赤色を見ればすなわち火輪の中に坐し、黒色を見れば風輪の中に坐すべきです。次に色字の梵音の別名があり、これは形相です。このように寂然たるならば、すなわち円壇などの類に坐し、一つ一つ教えに依って画くべきです。それゆえ諸仏が説かれる道は玄妙にして同じであり、私が故意に説くのではなく、衆生に決定した信心を起こさせたいからです。秘密主よ、未来世には衆生に劣った慧があり、この法を信じず聞くことがあるでしょう。先に信根がなかったゆえに、これを聞いても信じることができません。このような衆生らは鈍根で智が少なく、信が具わらないゆえに、この甚深なる事を聞いても理解できず、かえって疑いの網を増し、これが障りの由来として説かれるのです。このように真に色を画き、また持誦することなど、一つ一つに深い意味があります。画くことは如来の不思議なる事であり、このような画色などは皆法に依って疑うことなく、はじめて法界の不思議に深入りでき、ただ信ずる者のみが入ることができます。もし心数をもって推し量ろうとするならば、どうしてその所以を知って疑わないことができましょうか。いわゆる如来の真空無相の法ではなく、自らを傷つけることになります。この色字もまた通達することが正義であるといい、異なる方便によって解けない事がないという意味です。先にこれら一切の梵音の説き方を示しました。上文にはすでに諸仏を明らかにし、今この下の句には先の仏がこのように説かれたことを示します。これら一切の説は利益を求める者のためであり、彼ら凡夫は説法の相が空であることを知らず、一切の諸法の相が常であると説き、真言の業に住すべきです。善を行って疑わない者は、この意味は如来が一切智を具え、諸法の中で自在を得、衆生の劣った慧が頓に如来の自証不思議の力用を説くに堪えられないゆえに、この画色などの方便を作り、諸々の衆生がなすところに随って求めることを満たし、利益を得られるようにするということです。そうであるゆえに、諸々の衆生はまだ諸法の空相を解しておらず、それゆえ無相の中に有相の方便を説くのです。もし人が仏の深意を得るならば、真常の行に住し、諸々のなすところは皆理体に入り、一切智智の心と同じになります。このように疑慮がなければ、一切の障りの法がその便を得ることはありません。次にまた法界生の真言を説きます。」
「曩麼三曼多沒陀南(一)達磨馱睹(二)薩嚩(二合)婆嚩(二合)句痕」
ナモー・サンマンダ・ブッダーナーン ダルマ・ダートゥ サルヴァ・バヴァ・ゴーハン
「祕密曰不動者,是菩提心,大寂定義也。我薄伽梵大日世尊,從最初正覺坐寂滅道場,以大願故證,三世諸佛應正等覺皆從四祕密三菩提起,應現三身成等正覺。如來成道時,先坐寶菩提樹降魔成道者,即是大寂定不動菩提本因,三世諸佛皆幻化義,現種種身雲,教化調伏諸眾生故。因事立號,號不動尊,又明尊義也。即是大日世尊差別智身。以大願故,於無相中而現作相。閉一目有深意,示現極惡醜弊身也。唯佛世尊廣大圓滿眾相具足,我下劣卑弊之身,亦是怖魔之義。頭上七種髮,表七菩提分。左垂一髮向下者,是垂慈悲之義,悲念下惡極苦惱眾生也。云無動使者,即大日如來,如世間王勅教命,令使一人火急追役。使人至已,上至王公下及凡庶無問貴賤更不敢拒逆,皆隨使往至彼王所,無問善惡一依教命。無動使義亦復如是,能令真言行者親見佛故,發廣大心灌頂位中為佛長子,佛使願淨佛國土遊戲神通。右手執劍者,如世間征戰防禦,亦皆執利器然始得勝。菩薩亦爾。左手執索者,是繫縛之義。又如世間密捉一人,如有違逆難伏者,即以繩繫縛捉將。諸佛祕索降伏四魔,亦復如是。坐盤石上者,亦是不動之義。如世山岳亦以石鎮押方始不動,又如大海亦以須彌山鎮押然始得常安湛然圓滿。不動亦爾,其大石性能出生一切寶物。無動坐大盤石者,亦能出生佛功德寶,亦是降伏四魔義。不動亦自身遍出火焰光,即是本尊自住火生三昧。又明火有四義,二種世間、二種出世間。世間火者,一是內火,三毒煩惱名之為火,能燒諸眾生諸善功德故;二外火,能成就眾生長養萬物。出世間火者,是大智火也,如九十五種外道法中事火為最,如大火龍變出世火,燒損眾生亦能焚燒眾物。此無動智火,先能降伏火龍、制諸異道,上至等覺下至眾生皆能燒諸煩惱,乃至菩提大智習氣亦燒一切眾生無明煩惱黑闇障故。又本尊真言句自有火生義,即摩賀盧沙句是。此智火住阿字一切智門,重重燒諸菩薩廣大習氣煩惱令盡無餘,故名火生三昧。又無動義者,執持利劍能斷壞生死業愛煩惱故,降伏三世貪瞋癡我慢煩惱故。喫殘食者,噉一切眾生惡業煩惱重障令盡無餘,證無生法忍故。三降未來世,斷無明煩惱習氣見障故。執金剛索引至大菩提路住佛解脫門,紹隆三寶種位不斷,故名降三世義也。是故本尊住四密門也,所謂阿路唅𤚥重重。是怖魔義,亦是種子義。如世間良田堪下善種,諸佛智種亦復如是,能成就大悲曼荼羅,出生一切陀羅尼門、三摩地門。拘底支木(槐木是),鳥伽木(嗢勃是),阿彌尸利師木(守宮槐木是),鎮頭迦木(柿木未詳),篤迦木(栗木是),播囉師木(胡桃木是),羊素佉木(甘草),居凌迦木(李子是),舍利般那木(牆微是)。
秘密に申しますと、不動とは、これすなわち菩提心であり、大いなる寂定の境地を意味します。我らが薄伽梵(世尊)たる大日如来は、最初に正覚を開かれた寂滅道場において、大いなる誓願ゆえに悟りを証されました。三世の諸仏、応供・正等覚者たちは皆、四つの秘密と三菩提から起こり、応じて三身を現じて等正覚を成じられたのです。
如来が成道された時、まず宝菩提樹の下に坐し、魔を降伏して成道されたことは、まさに大寂定不動の菩提の根本原因であり、三世の諸仏は皆、幻化の意味を持ち、種々の身の雲を現じて、衆生を教化し調伏されるのです。事象に因って名を立て、不動尊と号し、また尊い意味を明らかにするのです。これこそが大日世尊の差別智の身です。大願ゆえに、無相の中に相を現じ作られたのです。
片目を閉じているのには深い意味があり、極めて悪く醜い身を現じ示すことです。ただ仏世尊のみが広大円満で、衆相を具足されています。我らが下劣で卑しい身もまた、魔を怖れしめる意味を持つのです。頭上にある七種の髪は、七菩提分を表します。左に垂れ下がる一筋の髪は、慈悲を垂れる意味であり、下悪の極苦悩に陥った衆生を悲念するのです。
無動使者と申しますのは、すなわち大日如来であり、あたかも世間の王が勅命を下し、一人の使者に火急の追役を命じるようなものです。使者が到着すれば、上は王公から下は凡庶に至るまで、貴賤を問わず誰も拒逆することができず、皆、使者に従ってかの王の元へ赴き、善悪を問わずすべて教命に依るのです。無動使の意味もまた同様であり、真言行者が仏を親しく見ることを可能にし、広大な心を発して灌頂の位において仏の長子となり、仏の使者として願いを起こし、仏国土を清浄にし、神通を遊戯するのです。
右手に剣を執るのは、あたかも世間の征戦や防禦において、皆、利器を執って初めて勝利を得るようなものです。菩薩もまた同様です。左手に索を執るのは、これすなわち縛り付ける意味です。また、あたかも世間で密かに一人を捕らえる時、もし違逆して従い難い者がいれば、縄で縛り付けて捕らえるようなものです。諸仏の秘密の索が四魔を降伏するのも、また同様なのです。
盤石の上に坐すのは、これもまた不動の意味です。あたかも世の山岳も石で鎮め押さえて初めて動かず、また大海も須弥山で鎮め押さえて初めて常に安らかで湛然円満であるようなものです。不動もまた同様であり、その大石の性質は一切の宝物を生じ出すことができます。無動が大盤石に坐すのは、また仏の功徳の宝を生じ出すことができ、これもまた四魔を降伏する意味です。
不動はまた、自身から遍く火焰の光を出します。これこそが本尊自らが住する火生三昧です。また、火には四つの意味があることを明らかにします。二種は世間の火、二種は出世間の火です。世間の火とは、一つは内なる火であり、三毒煩悩を火と名付け、衆生の諸善功徳を焼き尽くすからです。二つは外なる火であり、衆生を成就させ、万物を生長養育することができます。出世間の火とは、大智の火です。あたかも九十五種の外道の法の中で、事火が最も優れているように、また大火龍が変じて出世の火を現じ、衆生を焼損し、また衆物を焚焼するようなものです。この無動の智火は、まず火龍を降伏し、諸異道を制し、上は等覚から下は衆生に至るまで、皆、諸煩悩を焼き尽くし、さらに菩提の大智の習気をも焼き、一切衆生の無明煩悩の黒闇の障りを焼き尽くすのです。
また、本尊の真言の句には自ら火生の意味があり、すなわち摩賀盧沙の句がそれです。この智火は阿字の一切智門に住し、重々に諸菩薩の広大な習気煩悩を焼き尽くして余すところなく、故に火生三昧と名付けるのです。
また、無動の意味とは、利剣を執持して生死の業愛煩悩を断ち壊すこと、三世の貪瞋痴我慢の煩悩を降伏することです。残食を喫するのは、一切衆生の悪業煩悩の重い障りを食い尽くして余すところなく、無生法忍を証するためです。三に未来世を降伏し、無明煩悩の習気見障を断つためです。金剛の索を執って大菩提の路へ引き至り、仏の解脱門に住し、三宝の種位を紹隆して絶えさせず、故に降三世の意味と名付けるのです。
是の故に、本尊は四つの秘密の門に住するのです。いわゆる阿・路・唅・𤚥、重々なり。これは魔を怖れしめる意味であり、また種子の意味でもあります。あたかも世間の良田が善き種を下すに堪えるように、諸仏の智種もまた同様であり、大悲の曼荼羅を成就し、一切の陀羅尼門、三摩地門を出生させるのです。
拘底支木(槐の木である)、鳥伽木(嗢勃である)、阿彌尸利師木(守宮槐の木である)、鎮頭迦木(柿の木(未詳))、篤迦木(栗の木である)、播囉師木(胡桃の木である)、羊素佉木(甘草)、居凌迦木(李の木である)、舍利般那木(牆微である)。
「復次或有真言中有三吽字者能成一切事,所謂護身、結界、召請、供養、相助、決罰、教授等事。若久持一切真言不成就者,持此真言當成一切真言之法。三吽字真言曰:
また、ある真言には三つの「フーム」の字があり、すべての事を成就させることができます。それはすなわち、身を護ること、結界を張ること、神仏を招請すること、供養を捧げること、助け合うこと、罰を与えること、教え授けることなどです。もし長く真言を唱えても成就しないならば、この真言を唱えることで、すべての真言の法を成就させることができます。三つの「フーム」の字の真言は次のとおりです。
「曩謨喇但曩怛囉夜耶(一)曩莽室戰(二合)荼嚩日囉(二合)簸拏曳(二)摩賀藥乞叉(二合)細那鉢多曳(三)唵(四)蘇悉地耶蘇悉地耶(五)娑太野(六)蘇悉地羯羅(七)吽吽吽(八)泮吒泮吒」
「蓮華部明王名賀野羯利婆,為補瑟徵迦明王真言,亦名降三世明王。真言曰:
蓮華部の明王、名は賀野羯利婆。補瑟徵迦明王の真言を司り、また降三世明王とも称される。真言は次の通り:
「曩謨囉怛曩(二合)怛囉(二合)夜耶曩莽室戰(二合)荼嚩日囉(二合)簸拏曳摩賀藥乞叉(二合)細曩鉢多曳唵嗉婆儞嗉婆吽𭙐哩(二合)亹拏(二合)𭙐哩亹拏(二合)吽𭙐哩(二合)亹拏(二合)播耶吽阿娜耶護(引)薄伽梵尾儞夜嚩日囉(二合)囉闍吽泮吒曩莽」
南無 宝ある方々よ。 南無 金剛の守護神よ。 偉大なる薬叉の首領よ。 おん そばに そばに ふうん。 そりーまん そりーまん。 ふうん そりーまん はや ふうん。 あのや こ。 世尊よ 金剛王よ。 ふうん はった。 南無。
「蓮華部明王心
「蓮華部明王の心
「唵微路枳寧莎嚩(二合)訶(引)」
「唵 微路枳寧 莎嚩訶」
「佛部明王心
仏部明王の心
「唵若嚩囉路者寧莎嚩(二合)訶(引)」
「唵 若嚩囉 路者寧 莎嚩訶」
(二合) (引)
(注:これは真言(マントラ)の音写であり、そのまま音として唱えます。
- 唵(おん) - 若嚩囉(にゃくばら) - 路者寧(ろしゃにょう) - 莎嚩訶(そわか)
「莎嚩訶」はサンスクリットの svāhā(スヴァーハー)の音写で、真言の結びの言葉です。「二合」は二つの音を合わせて一音節として読むこと、「引」は音を長く引いて読むことを示す注記です。)
「金剛部明王心
金剛部の明王の心
「唵滿度哩儞異鉢帝莎嚩(二合)訶」
唵、満足の境地へと導く者よ、成就あれ。
「念誦已欲眠之時,作前光莊嚴印,又以部母護身,再被甲加持所臥處,然後澄淨身心誦明曰:
念誦を終え、眠ろうとする時は、まず光の印を結び、部母の護りを身に受け、さらに鎧を着て臥す場所を清めます。それから心身を澄ませて真言を唱えます。
「唵吠賒儞吽」
「唵吠賒儞吽」
「以此加持令無惡夢。若有夢諸惡相者,即誦此明曰:
この加持により、悪い夢を見ないようにします。もし悪い夢を見たなら、すぐにこの真言を唱えなさい:
「唵嚩日囉(二合)那羅呵那麼他盤闍囉拏吽泮吒」
「唵嚩日囉(二合)那羅呵那麼他盤闍囉拏吽泮吒」
「誦一百八遍,於所眠處如法辟除結界。若欲知善惡相,應用前三部明王心加持檀香水七遍而飲三掬,并以灑身上。若念誦求成就之時,如上作法方取善相。
百八回唱え、眠る場所で法に則って結界を張り、邪気を祓う。吉凶の相を知りたければ、まず三部明王の心を加持した檀香水を七回唱えてから三掬い飲み、また身体にも振りかける。成就を願って念誦する時は、上記の作法を行い、善相を得てから始める。
「一切眾生, 無明所覆, 唯求菩提,
不能信受。 我今為彼, 非為己身,
唯願如來, 成就之時, 還我遍數。」
すべての生きとし生けるものは、 無明に覆われており、 ただ菩提を求めながらも、 それを信じて受け入れることができません。
私は今、彼らのために、 自分自身のためではなく、 ただ如来が成就されるその時に、 私の遍数をお返しくださいますようお願い申し上げます。
「誦偈既畢,以百字明加持。又以部母護尊及己身,以三昧耶大結護左轉其印,以文闍句即成界也。」
偈を唱え終えたら、百字明で加持を施します。さらに、部母と護尊、そして自らの身を守るため、三昧耶の大結印を左回りに結び、文闍の句をもって結界を成します。
底哩三昧耶不動尊聖者念誦祕密法卷上
底哩三昧耶不動尊聖者念誦祕密法 上巻