No. 229-A大方廣佛華嚴經普賢行願品別行疏鈔重刊序
大方広仏華厳経普賢行願品別行疏鈔重刊序
新安道奎稽首和南述
新安道奎、謹んで拝礼し述べる
雜華,為十方三世大覺根本法輪,蓋指人人本具大事因緣也。祇因眾生昧之,以故諸佛出興,發明建立。就中雖隨時、隨方、隨言論、隨知解、隨意想分別,稱彼根欲廣演無邊差別妙法,究竟於當人分上增減,絲毫不得。悟至此者,方知佛祖無法與人,亦無一時一處塵毛剎海。非是弘宣此者,縱欲以大海量墨,須彌作筆,亦不能吐露少分,何況今經。所以龍猛入婆伽宮,見文字所載,已有其三。而閻浮心力有限,乃誦出十萬頌四十八品者,弘揚五天,東傳震旦。則自晉譯三萬六千頌成六十卷,唐譯四萬五千頌成八十卷,續得烏茶國所貢後分般若三藏,同清涼國師再譯成四十卷。其臨末一卷,即今十大願王是也,乃晉唐二大部中所缺。然具攝全經綱領,故清涼於大疏鈔外,已為十卷疏疏。此後譯而復更作別行疏疏。此一卷,圭峰作鈔釋之,最為詳盡。竭藏海之洪瀾,收歸一滴。指中邊之蜜味,頓令親甞。欲求開示悟入,舍此更無門矣。予恒傷清涼著述六百卷之繁,今多散落。即續疏十卷,亦不復存。幸此一卷疏鈔,昭慶藏板,具為不知。何緣南北兩藏,俱未收入。嘉興書本亦然。誠恐日久歲深,又歸變滅。適羌世隆欲流通大法,予指令刻此,廣布種無上福慧勝因。至於不可思議殊勝功德,如盥掌之水,尚拯生靈升天。一偈之功,已至獄門而返。具如傳譯,感通備述。所謂一文之妙,攝義無遺。讀誦思修,功齊種智。古德已言之審矣。是在當人深信力行,終獲全身證入。然後知佛祖真不我欺,皆緣自欺辜。宏慈深悲,傷己之迷。轉導一切,窮塵剎量。盡未來劫,步普賢菩薩之芳躅。如經所云,乃人人應為可為,不敢不為者耳。No. 229
雑華は、十方三世の大覚の根本法輪であり、これはつまり、すべての人々が本来備えている大事な因縁を指しています。ただ、衆生がこれを理解できずにいるため、諸仏が世に現れ、これを明らかにし、確立されたのです。その中でも、時や場所、言論、知解、意想の違いに応じて、それぞれの根機と欲望に合わせて無辺の差別妙法を広く説かれましたが、結局のところ、個人の分上においては、少しも増減することができません。この境地に悟り至った者は、初めて、祖師や仏陀が人に与える法はなく、また一時も一処も、塵のごとき微細なものから大海のような広大な世界に至るまで、すべてがこの法輪の中にあることを知るでしょう。これを弘宣する者でなければ、たとえ大海の量の墨と須弥山を筆にしても、少しも吐露することはできません。ましてや、この経典においてはなおさらです。それゆえ、龍猛菩薩が婆伽宮に入り、文字に記されたものを見ると、すでにその三つがありました。しかし、閻浮提の衆生の心力には限りがあるため、十万頌四十八品を誦出し、五つの天竺に弘め、東に伝わって震旦(中国)に至りました。晋代には三万六千頌が六十巻に訳され、唐代には四万五千頌が八十巻に訳され、さらに烏茶国から献上された後分般若三蔵を、清涼国師とともに再訳して四十巻となりました。その最後の一巻が、今の十大願王であり、晋唐の二大部には欠けていたものです。しかし、この一巻は全経の綱領をすべて摂しているため、清涼国師は大疏鈔のほかに、すでに十巻の疏疏を著わされました。その後、訳されてからも、さらに別行の疏疏が作られました。この一巻について、圭峰大師が鈔を著わして解釈され、最も詳尽に説明されています。蔵海の洪瀾を尽くして一滴に収め、中辺の蜜味を指し示して、たちまちに親しく味わわせてくださいます。開示悟入を求めようとするならば、これ以外に門はありません。私は常に、清涼国師の著述六百巻の繁雑さを嘆き、今では多くが散逸しています。続疏十巻さえも、もはや残っていません。幸いにも、この一巻の疏鈔は、昭慶蔵の板木として残っており、その価値が知られていません。なぜか南北両蔵にも収録されておらず、嘉興の書本も同様です。誠に、日久歳深のうちに、また変滅に帰することを恐れます。ちょうど羌世隆が大法を流通させたいと願っていたので、私はこれを刻んで広く布施し、無上の福慧勝因を種とすべきことを指し示しました。不可思議な殊勝な功徳については、たとえ手を洗う水であっても、なお衆生を救って天に昇らせることができます。一偈の功徳ですら、すでに地獄の門に至って返すほどです。伝訳や感通に詳しく述べられているとおりです。いわゆる一文の妙は、義を摂して遺すところがありません。読誦し、思惟し、修することは、その功徳が種智と等しいのです。古徳はすでにこれを詳しく言われています。これは、当人が深く信じて力行し、ついに全身で証入することを得ることにあります。そうして初めて、祖師や仏陀が真に私を欺かないことを知り、すべては自らを欺き、慈しみ深い悲しみに背いたからであると悟るでしょう。己の迷いを悲しみ、一切を導き転じ、塵刹の量を窮め、尽未来劫にわたって、普賢菩薩の芳しい足跡を歩むのです。経に説かれるように、これはすべての人がなすべきこと、なし得ること、敢えてなさざるを得ないことなのです。No. 229