大唐眾經音義序 納
大唐衆経音義序
終南太一山𥼶氏
終南山太一山の𥼶氏
自法王命駕導之者九乘𪪺傳聲教統之者三藏然則指月之喻無爽於恒規因言之義有契於常則所以實相窅冥開宗於文字㩲道綜御崇尚於方言且夫一音各解惟聖之筌蹄隨緣別悟在凡之准的西梵天語遂古莫虧東華人言㳂時遷𧵍至如說文在漢字止九千韻集出唐言增三萬代代繁廣符六文而挺生時時間發寄八體而陳迹求其本據諒在前摸覈其離廣誠歸物議夫以佛教東翻六百餘載舉其綱紐三千餘軸隨部出音聞之徃說殷鑒群錄未曰大觀然則必也正名孔君之貽誥隨俗言晤𥼶父之流慈非相無以引心非聲無以通解有大慈恩寺玄應法師愽聞強記鏡林菀之宏摽窮討本支通古今之㸦體故能讎挍源流勘閱時代刪雅古之野素削澆薄之浮雜悟通俗而顯教舉集略而騰美真可謂文字之鴻圖言音之龜鏡者也貞觀末曆𠡠召㕘傳宗經正緯咨為實錄因譯尋閱捃拾藏經為之音義注𥼶訓解援引群籍證據卓明煥然可領結成三[〦/失/衣]自前代所出經論諸音依字直反曾無迫顧致失教義寔迷匡俗今所作者全異恒倫隨字刪定隨音徵引并顯唐梵方言翻度雅鄭推十代之紕紊定一期之風法文非詞費務在綱正恐好異者輙復略之斯則得於要約失於義本救弊開信終掩玄化故重陳委想無昧焉序之云尒。
法王は自ら命じて車を駆り、導く者は九乗の教えを伝え、声を伝えて教えを統べる者は三蔵である。されば、月を指す譬えは恒常の規矩に違わず、言葉による意味は常なる法則に合う。それゆえ、実相は深遠で、文字によって宗を開き、道を総合し、方言を尊崇するのである。そもそも一つの音声でもそれぞれに解釈があり、聖者の手立てであり、縁に随って別々に悟ることは凡夫の規範である。西方の梵語は古来より損なわれず、東の中国語は時代とともに変遷する。例えば『説文解字』は漢代にあり、文字は九千に止まり、『韻集』は唐代に出て、言葉は三萬に増えた。代々繁栄し広がり、六書に符合して生まれ、時々に発展し、八体に寄せて跡を陳べる。その本拠を求めれば、確かに前の模範にあり、その広がりを核とすれば、まさに世の議論に帰する。仏教が東に翻訳されて六百余年、その綱領を挙げれば三千余巻、部ごとに音を出し、往時の説を聞く。多くの記録を殷鑒とし、未だ大観とは言えない。されば必ずや名を正すことは、孔子の遺訓であり、俗に随って言葉を交わすことは、釈尊の流れる慈悲である。相なくしては心を導くことができず、声なくしては理解を通じることができない。大慈恩寺の玄応法師は、博聞強記で林苑の宏標を鏡とし、本支を窮め討ち、古今の互いの体を通じた。故に源流を校合し、時代を勘定し、古雅の野素を削り、澆薄の浮雑を除き、通俗を悟って教えを顕し、集略を挙げて美を騰せる。真に文字の鴻図、言音の亀鏡と言うべきである。貞観の末年に勅命を受け、伝に参じて経を宗とし、緯を正し、実録として諮問された。翻訳に因って尋ね求め、蔵経を捃拾し、その音義を注し、訓解を施し、群籍を援引し、証拠は卓明で、焕然として領することができる。三巻を結成し、前代より出た経論の諸音は、字に依って直に反切し、かつて顧みることがなく、教義を失い、まさに俗を匡すことを迷う。今作る所のものは全く恒倫に異なり、字に随って刪定し、音に随って徵引し、併せて唐梵の方言を顕し、雅鄭を翻度し、十代の紕紊を推し、一期の風法を定める。文は詞費を求めず、務めて綱正に在り。異を好む者が輙ち略すことを恐れる。これに於いては要約を得るも、義本を失い、弊を救い信を開くも、終に玄化を掩う。故に重ねて委想を陳べ、昧むこと無かれ。序いて云うのみ。
一切經音義卷第一(大乘單本)
一切経音義 巻第一(大乗単本)
翻經沙門玄應撰
翻経沙門玄応撰