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菩薩地持経 (菩薩地持經)


菩薩地持方便處發菩提心品第二

菩薩地持方便処発菩提心品第二

菩薩初發心,是一切正願始,悉能攝受一切正願,是故初正願為自性願。菩薩發心而作是言:我當求無上菩提,安立一切眾生,令究竟無餘涅槃及如來大智。如是發心求菩薩道,是故初發心名為求行菩薩。緣於菩提及緣眾生而發心求,是故初發心攝受一切菩提善根,為上導、為極巧便、為功德具足、為極賢善、為極真實,於一切眾生悉捨惡行,於世間出世間正願為上無上,如是當知。初發心有五相:一者自性:二者行:三者緣:四者德:五者勝。初發心菩薩名為度大乘菩提諸菩薩數,是故初發心度之所攝。發是心已,漸得阿耨多羅三藐三菩提,是故初發心是菩提根本。發是心已,見諸眾生受無量苦,而起悲心欲度脫之,是故初發心是大悲所依。依初發心建立菩薩菩提分法,及眾生所作菩薩所學悉能修習,是故初發心是菩薩學之所依。如是初發心名為攝、名為根本、名為依。

菩薩が初めて発心するということは、あらゆる正しい願いの始まりであり、すべての正願を包み込むことができるものです。ですから、最初の正願は自性の願いと言えます。

菩薩は発心してこのように言います: 「私は無上の菩提を求め、すべての衆生を安立し、究極の無余涅槃と如来の大智へと導こう」 このように菩薩道を求めて発心するので、初発心は「求行菩薩」と呼ばれます。

菩提と衆生を縁として発心を求めることにより、初発心はあらゆる菩提の善根を摂受し、 最高の導きとなり、極めて巧みな手段となり、功徳を具え、極めて賢く善く、極めて真実となります。 すべての衆生の悪行を捨て、世間と出世間の正願の中で最上無上のものとなるのです。 このように理解すべきです。

初発心には五つの相があります: 一、自性 二、行 三、縁 四、徳 五、勝

初発心の菩薩は、大乗菩提を渡る菩薩の数に名を連ねるため、初発心は「度」に摂せられます。 この心を発した後、次第に阿耨多羅三藐三菩提を得るようになるので、初発心は菩提の根本です。 この心を発した後、無量の苦しみを受ける衆生を見て、悲心を起こし彼らを救おうとするので、 初発心は大悲の依り所です。

初発心に依って菩薩の菩提分法が確立され、衆生の為すべきこと、菩薩の学ぶべきことを すべて修習できるようになるので、初発心は菩薩の学びの依り所です。

このように、初発心は「摂」とも「根本」とも「依」とも呼ばれるのです。

初發心菩薩有二種:一者出;二者不出。出者,從初發心乃至究竟終不退轉。不出者,則有退轉。退有二種:一者究竟退;二者不究竟退。究竟退者,退已終不復起菩薩之願。不究竟退者,退已還起。

初心を発した菩薩には二つの種類があります。一つは不退の菩薩、もう一つは退転する菩薩です。

不退の菩薩とは、初めて菩提心を起こした時から悟りを究めるまで、決して退転することのない者です。 退転する菩薩とは、途中で退転してしまう者です。

退転にも二つの種類があります。一つは究竟退、もう一つは不究竟退です。

究竟退とは、一度退転したら、二度と菩薩としての誓願を起こすことのない者です。 不究竟退とは、一度退転しても、再び菩薩の道を歩み始める者です。

初發心菩薩有四種緣、四種因、四種力。云何四緣?一者善男子善女人,若見若聞諸佛菩薩有不可思議神通變化,彼見聞已即發是念:是為大事,不可思議,能為如是諸變化事。以此見聞為增上緣故,樂佛大智發菩提心。二者雖不見聞如上神變,聞說法者讚歎菩提及菩薩藏,聞則欣慶歡喜信樂。以此聞法為增上緣故,樂佛大智發菩提心。三者雖不聞法,見法滅相而作是念:無量眾生當遭大苦,菩薩住世則能除滅。我今當修菩提之道,護持正法,為諸眾生滅無量苦。以護法為增上緣故,樂佛大智發菩提心。四者不見法滅,見惡世眾生為十煩惱之所惱亂:一者愚癡;二者無慚愧;三者慳嫉;四者苦惱;五者穢污;六者煩惱;七者惡行;八者放逸;九者懈怠;十者不信。見已作是念:大濁世起,於此惡世尚不能發二乘之願,況能志求無上菩提?我當發心亦令他發。以濁世中發心難得為增上緣故,樂佛大智發菩提心。

初めて菩提心を起こす菩薩には、四種の縁、四種の因、四種の力があります。

四種の縁とは何でしょうか。

第一に、善男子・善女人が、諸仏や菩薩の計り知れない神通力や変化を見聞きしたとき、それを見聞きしてこう思うことです。「これは大いなる事柄であり、思いはかることもできず、このような様々な変化を起こすことができる」。この見聞を縁として、仏の大いなる智慧を喜び、菩提心を起こします。

第二に、上記のような神通変化を見聞きしなくても、説法者が菩提や菩薩の教えを讃嘆するのを聞き、それを喜び、信じ、楽しむことです。この法を聞くことを縁として、仏の大いなる智慧を喜び、菩提心を起こします。

第三に、法を聞かなくても、仏法が滅びゆく様子を見て、こう思うことです。「無量の衆生が大いなる苦しみに遭おうとしている。菩薩が世に住んでいれば、それを除き滅ぼすことができる。私は今、菩提の道を修め、正法を護持し、すべての衆生のために無量の苦しみを滅ぼそう」。この法を護ることを縁として、仏の大いなる智慧を喜び、菩提心を起こします。

第四に、法の滅びを見ずとも、悪世の衆生が十の煩悩によって悩み乱されているのを見ることです。それは、一に愚かさ、二に恥じない心、三に貪りとねたみ、四に苦しみ悩み、五にけがれ、六に煩悩、七に悪い行い、八に放逸、九に怠け心、十に不信心です。それを見て、こう思います。「大いなる濁った世が起こった。この悪世においては、二乗の願いさえ起こすことが難しいのに、ましてや無上菩提を志すことなどできようか。私は心を起こし、また他の者にも起こさせよう」。この濁世において菩提心を起こすことが難しいことを縁として、仏の大いなる智慧を喜び、菩提心を起こします。

云何四因?一者種性具足;二者諸佛菩薩善友所攝;三者起大悲心;四者生死苦、難行苦,如是久遠無量諸苦,於此眾苦心不怖畏。種性具足者,所謂無始法爾。善友所攝者,有四事:一者善友不愚不鈍,黠慧不邪。二者不教人放逸,亦不以放逸之具授與他人。三者不教人惡行,亦不以惡行之具授與他人。四者終不斷人上信、上欲、上受、上精進、上方便、上功德令其退下,不以下信、下欲、下受、下精進、下方便、下功德授與他人,所謂斷無上大乘令學二乘,斷修慧與思惠、斷思慧與聞慧、斷聞慧與福業、斷戒與施,如是等斷上功德令其退下,以下功德授令修習。起大悲心者有四事:或有世界有苦惱處、或有世界無有苦惱,菩薩生於有苦惱處,見他受苦、或自受苦、或見俱受,或見生死長久受無間苦,菩薩依自種性性自仁賢,於四境界起下中上悲。於無窮生死無間大苦心不怖畏者,有四事:一者性安隱勇猛;二者黠慧專修思惟;三者於無上菩提起增上樂;四者於諸眾生發增上悲。云何四力?一者自力;二者他力;三者因力;四者方便力。菩薩自力發菩提心,是名自力。因他發心,是名他力。先習大乘相應善根,今少見佛及諸菩薩,或少聞歎說則便發心,是名因力。於現世中近善知識,聞其說法能修眾善,是名方便力。

四つの因とは何か。第一に、成仏の種が備わっていること。第二に、諸仏や菩薩という善い友に導かれること。第三に、大いなる慈悲の心を起こすこと。第四に、生死の苦しみや艱難の苦しみなど、限りなく長く続く無数の苦しみに対しても、心が恐れおののかないことである。

「種が備わっている」とは、つまり無始の昔から自然に備わっているものである。

「善い友に導かれる」とは、次の四つのことを指す。第一に、善い友は愚かでも鈍くもなく、賢くて邪な心を持たない。第二に、人に放逸を教えず、また放逸を促す道具を人に与えない。第三に、人に悪行を教えず、また悪行を促す道具を人に与えない。第四に、決して人の上等な信仰、上等な願望、上等な感受、上等な努力、上等な方法、上等な功徳を断ち切って退歩させることがなく、また下等な信仰、下等な願望、下等な感受、下等な努力、下等な方法、下等な功徳を人に与えることがない。すなわち、無上の大乗を断ち切って二乗を学ばせたり、修行による智慧を断ち切って思索による智慧を与えたり、思索による智慧を断ち切って聞法による智慧を与えたり、聞法による智慧を断ち切って福徳の行いを与えたり、戒律を断ち切って布施を与えたりするといったように、上等な功徳を断ち切って退歩させ、下等な功徳を与えて修行させることである。

「大いなる慈悲の心を起こす」とは、次の四つの事情による。ある世界には苦しみや悩みがあるところもあり、ある世界には苦しみや悩みがないところもある。菩薩は苦しみのある世界に生まれ、他人が苦しむのを見たり、自ら苦しんだり、あるいは両方が苦しむのを見たり、また生死が長く続き、無間地獄の苦しみを受けるのを見たりする。菩薩は自らの種性に基づき、生まれつき慈しみ深い性質を持ち、これら四つの境遇に対して、下・中・上の三種の慈悲の心を起こす。

「限りない生死、無間地獄の大きな苦しみに対しても心が恐れおののかない」とは、次の四つのことによる。第一に、性質が安らかで勇猛であること。第二に、賢く智慧があり、思惟に専念すること。第三に、無上の悟りに対して、この上ない喜びを起こすこと。第四に、すべての生きとし生けるものに対して、この上ない慈悲の心を起こすこと。

四つの力とは何か。第一に、自らの力。第二に、他者の力。第三に、因の力。第四に、方便の力である。菩薩が自らの力で菩提心を発する、これを「自らの力」という。他者によって発心する、これを「他者の力」という。過去に大乗に相応する善根を修めていたため、今わずかに仏や諸菩薩を見たり、あるいはたまたま称賛する言葉を聞いたりするだけで発心する、これを「因の力」という。現世において善い知識に親しみ、その説法を聞いて様々な善行を修めることができる、これを「方便の力」という。

菩薩以四緣、四因、自力、因力發菩提心者,堅固不動決定究竟。他力方便力而發心者,不堅固動轉不定。

菩薩が四つの縁、四つの因、自らの力、因の力によって菩提心を発する場合、その心は堅固で動かず、必ず究極の境地に至る。他力や方便の力によって心を発する場合は、堅固ではなく、揺れ動き、定まらない。

菩薩有四事退菩提心。云何為四?一者種性不具足;二者惡知識所攝;三者於諸眾生悲心微薄;四者於生死苦生怖畏心。

菩薩には、悟りを求める心(菩提心)を退けてしまう四つのことがあります。その四つとは、次の通りです。

第一に、菩薩としての素質(種姓)が十分でないこと。 第二に、悪友に囲まれていること。 第三に、すべての生きとし生けるものに対する慈悲の心が薄いこと。 第四に、生死の苦しみを恐れる心を持つこと。

初發心堅固有二事,出過世間殊勝奇特未曾有法:一者於諸眾生起親屬想;二者無攝親屬之過。攝親屬過者,受親屬故心生愛恚。初發心堅固有二事,於諸眾生起真淨心:一者安隱心;二者快樂心。安隱心者,為諸眾生除不善處安置善處。快樂心者,貧乏眾生無所依怙,能以攝法等心饒益。初發心堅固有二方便:一者淨心方便;二者道方便。淨心方便者,彼安隱心快樂心日日增長。道方便者,自於日夜成熟佛法,隨其力能,依淨心方便安樂饒益一切眾生。

最初に堅固な発心には二つのことがあり、世間を超えて殊勝で奇特で未曾有の法があります。第一に、すべての衆生に対して親族のように思う心を起こすこと。第二に、親族を執着する過ちを持たないこと。親族を執着する過ちとは、親族を受けるがゆえに心に愛憎が生じることです。最初に堅固な発心には二つのことがあり、すべての衆生に対して真に清らかな心を起こします。第一に、安穏の心。第二に、楽しみの心。安穏の心とは、すべての衆生のために不善の場所を取り除き、善い場所に安置すること。楽しみの心とは、貧しく乏しい衆生で頼るところのない者に対して、平等の心で施しなどによって利益を与えること。最初に堅固な発心には二つの方便があります。第一に、清らかな心の方便。第二に、道の方便。清らかな心の方便とは、その安穏の心と楽しみの心が日々に増長すること。道の方便とは、自ら日夜にわたって仏法を成熟させ、その力の及ぶ限り、清らかな心の方便に依って、すべての衆生を安楽にし利益することです。

初發心堅固有二門,善法所入:一者自利方便,發菩提心;二者他利方便,滅除眾苦。

初めて発心するときの堅固な心構えには、二つの門があり、善い行いが入ってくる道となります。 第一は、自らの利益のための方法として、悟りを求める心(菩提心)を起こすこと。 第二は、他者の利益のための方法として、あらゆる苦しみを滅し除くことです。

初發心堅固有二事,發心成道所攝善法,出勝一切所攝眾善:一者因勝;二者果勝。彼菩提因所修善法,是名因勝。無上菩提,是名果勝。勝於一切聲聞緣覺,是故菩薩因果殊勝。初發心堅固有二種利益:一者發是心已,即為一切無量眾生而作淨施尊重福田。二者攝取純淨福德。成就淨福者,二轉輪王福德所護,若臥若覺不為惡獸惡鬼神等之所惱害,在所生處少病無病。若說法時,身不疲惓心不忘失。性種性菩薩身口意惡性自微薄,既發心已轉復輕微。若他所用無驗呪術,菩薩用之悉皆神驗。已能成就隨順上忍,能忍他惱亦不惱他;見人相惱,心生憐愍。瞋嫉隱覆、幻偽諂曲諸上煩惱皆悉微薄,設起速滅。在所住處無諸恐怖鬪諍飢饉非人所惱。如是諸難未起不起,設起速滅。發心菩薩或生惡道速得解脫,受苦微少疾生厭離。於餘眾生能起悲心,純淨福德之所護故。成就如是等無量淨福。

初めに心を発する堅固さには二つの事がある。その心を発して成道する際に修める善い法は、全ての集められた善を超えて優れている。第一に「因の勝れ」、第二に「果の勝れ」である。あの菩提の因として修める善い法、これを「因の勝れ」と名付ける。無上の菩提、これを「果の勝れ」と名付ける。全ての声聞・縁覚よりも勝れているから、菩薩の因果は殊勝なのである。

初めに心を発する堅固さには二つの利益がある。第一に、この心を発したならば、直ちに一切の無量の衆生にとって清らかな施しの尊い福田となること。第二に、純粋な清らかな福徳を収め取ることである。

清らかな福を成就する者は、二種の転輪聖王の福徳によって守られる。臥していても覚めていても、悪獣や悪鬼・神々などに悩まされることがない。生まれるところで病気が少なく、病気がない。法を説く時には、身体が疲れず、心も忘れない。

性種性の菩薩は、身・口・意の悪い性質が自然と薄いが、心を発した後はさらに軽微になる。もし他人が用いても効かない呪術であっても、菩薩が用いれば全て神奇に効く。すでに上忍に随順することを成就し、他人の悩ましに耐え、また他人を悩ませない。人が互いに悩ますのを見れば、心に憐みの念を生じる。

怒り・妬み・隠し覆い・幻偽・お世辞といった上の煩悩は全て薄くなり、仮に起こってもすぐに消え去る。住むところには、恐怖・争い・飢饉・非人による悩ましがない。これらの災いは、まだ起きていなければ起きず、仮に起きてもすぐに消え去る。

心を発した菩薩は、あるいは悪道に生まれても速やかに解脱し、受ける苦しみは少なく、すぐに厭離の心を生じる。他の衆生に対しては悲しみの心を起こすことができる。これは純粋な清らかな福徳に守られているからである。このようにして無量の清らかな福を成就するのである。


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