閱佛祖統紀說
『仏祖統紀』を読み解く
佛以心印授之於祖。而祖祖相印以至師。其間隨機立解。以權示實。脈絡分合。蓋不可思議焉。余頃憩烏瞻山。忽邑侯游公招至顧司寇之澄心樓。以校閱事見委。詢其所欲梓。則佛祖統紀也。余夙志闡繹弗敢以不敏辭。甫焚香展卷。有客進曰。吾聞心佛眾生三無差別。何有佛祖之異乎。道絕邊表。理非數量。又何統紀之一乎。若即心境為禪觀本有醍醐自味。何規規然尋牛𤛓乳於村落耶。余曰。子言似矣。猶未足語道也。夫道無統則散。統無紀則亂。散亂之作道理焉依。然道因言顯。理假教明。詎離言教而覓道理乎。試將此典喻村落也。能詮名句喻牛也。所詮諸義喻乳及酥酪醍醐也。若謂直取醍醐上味勿勞牛乳等義請君於牛乳外。別覓一醍醐味可乎。欲明古聖之道。此統紀斯其至焉。子又何疑。所以楊侍御為佛祖發心。游邑侯為眾生垂手。昱道人忍以帝虎誤學人耶。客輾然作禮而退。
仏は心をもって祖に印を授け、祖から祖へと印が伝わり、ついには師に至った。その間、機に応じて解釈を立て、権巧をもって真実を示し、その脈絡の分かれ合流は、実に不可思議である。私は先頃、烏瞻山に滞在していたところ、突然、邑侯の游公が私を招き、顧司寇の澄心楼に至り、校閲の仕事を委ねられた。そこで何を出版したいのか尋ねると、『仏祖統紀』だという。私はかねてより解説を志しており、不敏を理由に辞退することはできなかった。ようやく香を焚いて書を開くと、客が進み出て言った。「私は聞く、心と仏と衆生に三つの差別はないと。それなのに、なぜ仏と祖に異なりがあるのか。道は辺表を絶し、理は数量にあらず。それなのに、なぜ統紀などが必要なのか。もし心の境をそのまま禅観の本有とし、醍醐の自ら味わうべきものとすれば、なぜわざわざ村落で牛を探し乳を搾るようなことをするのか」と。私は言った。「あなたの言うことは一見もっともだが、まだ道を語るには十分ではない。道は統がなければ散り、統は紀がなければ乱れる。散乱が起これば、道理はどこに依拠するのか。しかし道は言葉によって顕れ、理は教えによって明らかになる。どうして言葉や教えを離れて道理を求めることができようか。試みにこの典籍を村落に譬え、能詮の名句を牛に譬え、所詮の諸義を乳や酥・酪・醍醐に譬えよう。もし直接醍醐の最上の味を得ようとして、牛乳などの義を労しないと言うなら、あなたに牛乳の外で別に醍醐の味を求めてもらいたい。できるだろうか。古聖の道を明らかにしようとするなら、この統紀こそがその極みである。あなたは何を疑うのか。そもそも楊侍御が仏祖のために発心し、游邑侯が衆生のために手を差し伸べ、昱道人がどうして誤って学人に帝虎の誤りを伝えられようか」と。客はにっこりと笑って礼をし、退いた。
大明萬曆甲寅夏季月
大明日の万暦甲寅年、夏の月
西蜀輔慈沙門明昱書
西蜀の輔慈沙門、明昱が記しました。