佛說海龍王經卷第一
仏説海龍王経 巻第一
西晉月氏國三藏竺法護譯
西晋・月氏国・三蔵竺法護訳
行品第一
行品第一
聞如是:
このように私は聞きました。
一時佛遊王舍城靈鷲山,與大比丘眾俱,比丘八千,菩薩萬二千,一切大聖十方來會——眾德具足,得諸總持;無所不博,辯才至真;決一切疑,入大神通;分剖慧義諸度無極,濟於彼岸究暢開士,定意正受諸佛諮嗟;普遊殊域,神足飛行,降化眾魔;分別諸法,知如本諦,覩見一切眾生之原;積累道品,於世八法而無所著,以大慈哀嚴身口意;被無極鎧過大精進,於無數劫而不厭惓;為師子吼開化外道,以不退轉印如印之;曉了諸佛深要法藏——其名曰:山光菩薩、惠山菩薩、大明菩薩、總持山剛菩薩、山鎧王菩薩、山頂菩薩、山幢菩薩、山王菩薩、石磨王菩薩、雷音菩薩、雨王菩薩、寶雨菩薩、寶英菩薩、寶首菩薩、寶藏菩薩、寶明菩薩、寶幢菩薩、寶頂菩薩、寶印手菩薩、寶暢菩薩、寶嚴菩薩、寶水菩薩、寶光菩薩、寶鎧菩薩、寶現菩薩、寶造菩薩、樂嚴法菩薩、淨王菩薩、嚴頂相菩薩、金光飾菩薩、寶髻菩薩、天冠菩薩、千光菩薩、原嶮菩薩、照昧菩薩、月辯菩薩、發意轉法輪菩薩、金光淨菩薩、常施無畏菩薩。萬二千菩薩,德皆如是。是賢劫中大士彌勒、軟首等六十大聖,不可思議、解縛等十六正士,帝釋、四天王與忉利天人俱;焰天、兜術天、不憍樂天、化自在天、魔子道師、梵天王、梵淨天王、善梵天王、梵具足天王、大神妙天、淨居天、離垢光天,乃至一善天、燕居無善神王,各與眷屬六萬,山樹神王四萬二千,力士神王,一名持華,三萬二千,與香音神俱;無焚龍王與七萬二千諸龍俱;四方金翅鳥王,及餘一切諸大尊神、天龍鬼神、無善神、鳳凰神王、山樹神王、甜柔神等,各與眷屬來詣佛所。稽首畢,一面住。比丘、比丘尼、清信士、清信女前為佛作禮,各坐一面。
一時、仏は王舎城の霊鷲山に遊化され、大比丘衆と共におられた。比丘は八千人、菩薩は一万二千人。すべては大聖であり、十方より集う——衆徳を具え、あらゆる総持を得ており、博く通じないものはなく、弁才は至真である。一切の疑いを断ち切り、大神通に入り、智慧の義を分け析いて、あらゆる度を極め、彼岸に至り、開士の道を究め暢んじている。定意正受し、諸仏に称讃され、広く殊なる境域を遊化し、神足飛行して衆魔を降伏教化する。諸法を分別し、本諦の如く知り、一切衆生の根源を覩見する。道品を積み重ね、世の八法に執着せず、大慈哀をもって身口意を厳かにする。無極の鎧をまとい、大精進を超え、無数の劫に厭倦することなく、師子吼を発して外道を開化し、不退転の印をもって印を押すが如く、諸仏の深要なる法蔵を明らかにしている。
その名は、山光菩薩、恵山菩薩、大明菩薩、総持山剛菩薩、山鎧王菩薩、山頂菩薩、山幢菩薩、山王菩薩、石磨王菩薩、雷音菩薩、雨王菩薩、宝雨菩薩、宝英菩薩、宝首菩薩、宝藏菩薩、宝明菩薩、宝幢菩薩、宝頂菩薩、宝印手菩薩、宝暢菩薩、宝厳菩薩、宝水菩薩、宝光菩薩、宝鎧菩薩、宝現菩薩、宝造菩薩、楽厳法菩薩、浄王菩薩、厳頂相菩薩、金光飾菩薩、宝髻菩薩、天冠菩薩、千光菩薩、原嶮菩薩、照昧菩薩、月弁菩薩、発意転法輪菩薩、金光浄菩薩、常施無畏菩薩である。一万二千の菩薩、その徳は皆このようである。
この賢劫の中の大士、弥勒菩薩、軟首菩薩など六十の大聖、不可思議菩薩、解縛菩薩など十六の正士、帝釈天、四天王と忉利天の天人たちが共にいる。焔天、兜率天、不憍楽天、化自在天、魔子道師、梵天王、梵浄天王、善梵天王、梵具足天王、大神妙天、浄居天、離垢光天、乃至一善天、燕居無善神王、それぞれ眷属六万を伴い、山樹神王四万二千、力士神王(一名、持華)三万二千が香音神と共にいる。無焚龍王は七万二千の諸龍と共にいる。四方の金翅鳥王、およびその他一切の諸大尊神、天龍鬼神、無善神、鳳凰神王、山樹神王、甜柔神など、それぞれ眷属を伴って仏の御所に参詣した。礼拝を終え、一かたわらに立った。比丘、比丘尼、清信士、清信女は前に進み出て仏に礼拝し、それぞれ座についた。
彼時佛與若干百千之眾營從圍遶,佛處諸天嚴淨師子高廣之座,為四部眾而普說法。佛在眾中如安明山王現于大海,德超諸天,世無雙比;光明巍巍,靡所不照。如來威變,應時空中化有寶蓋,眾珍雜珓,遍覆四方。無數百千垂珠瓔珞,青黃赤白無垢寶珠,照虛空珠,光從珠出,其色無量不可稱計。雨諸香華,華至于膝,虛空之中出大雷音,雨眾名香。
その時、仏は何百何千もの大衆に囲まれ、諸天が荘厳した清浄で師子王のように高く広い座に坐し、四部衆のために広く法を説かれていた。仏は大衆の中にあって、まるで安明山王が大海に現れるかのようであり、その徳は諸天を超え、世に比べるものはなかった。光明は高く輝き、照らさぬところはなかった。如来の威徳の変現により、時を同じくして空中に宝蓋が現れ、さまざまな珍宝が四方を覆った。無数の百千の垂れ飾りや瓔珞、青・黄・赤・白の無垢な宝珠、虚空を照らす宝珠があり、珠から光が放たれ、その色は無量で数え尽くせなかった。さまざまな香華が降り注ぎ、花は膝まで積もり、虚空の中から大いなる雷音が響き、多くの名香が降り注いだ。
於是賢者大目犍連,承佛聖旨,前問佛言:「今所感動,未曾見聞,此何瑞應?」
そこで賢者マハー・モッガラーナは、仏の尊いお言葉を承り、進み出て仏に尋ねました。「今、このような感動的な光景は、これまで見たことも聞いたこともありません。これはいったいどのような瑞兆なのでしょうか?」
佛告目連:「今海龍王欲來見佛,故先現瑞。」
仏は目連に告げられた:「今、海の龍王が私に会いに来ようとしている。だから、まずその前兆が現れたのだ。」
佛語未竟,尋時龍王與七十二億婇女、八十四億眷屬,皆齎香華、幢幡、寶蓋、百千伎樂,往詣佛所。前稽首畢,遶佛七匝,各以所持用散佛上,伎樂供養,與中宮眷屬俱住佛前,以偈讚曰:
釈尊のお言葉がまだ終わらないうちに、たちまち龍王は七十二億の侍女たち、八十四億の眷属たちとともに、香や花、幢幡(旗)、宝蓋(天蓋)、数え切れないほどの伎楽(音楽)を携えて、釈尊のおられる場所へと向かいました。まず頭を地につけて礼拝し、釈尊の周りを七回まわると、それぞれが持っていた供物を釈尊の上に散らし、伎楽を奏でて供養しました。そして、中宮の眷属たちとともに釈尊の前に立ち、次のような偈(詩)をもって讃嘆しました。
「慈施愍傷俗, 示現與世眼,
雖生於世俗, 無著如蓮華。
施俗之安隱, 在世照三世,
解法如日光, 稽首世最上。
十力超施戒, 自調成眷屬,
燒除塵勞冥, 御眾如調馬。
施與七大財, 恩慈加眾生,
為一切父母, 稽首最福田。
眉間相光曜, 如日白雪光,
梵天人在上, 無能見其頂。
佛面出大光, 蒙光獲安隱,
普照百千國, 至于無擇獄。
柔軟言無極, 解決眾疑結,
音遍天世間, 清淨無垢穢。
除婬怒癡冥, 照以智慧光,
施安令歡喜, 為示現解脫。
無礙達三世, 求比無等倫,
知人群萌行, 了善惡所趣。
觀察人根原, 一時咸能覩,
開心令解脫, 稽首諸慧上。
百千億諸魔, 詣樹求佛便,
至德願威神, 降化伏邪心。
不瞋不厭惓, 導以慈哀力,
供養世之尊, 孰敢懈慢者。
觀法無所有, 譬之如虛空,
猶電霧泡沫, 幻化及野馬。
本空緣相與, 計之無吾我,
照示生死法, 是故莫不供。
所以無數劫, 勤行億那術,
供養億萬姟, 不可計諸佛。
布施及戒忍, 精進禪智慧,
尊願已具足, 稽首大聖雄。」
慈悲の施しで世を憐れみ、世の眼として姿を現し、 世俗に生まれながらも、蓮華のごとく執着なく。
世に安穏を与え、三世を照らし、 法を解くこと日輪の如く、世の最上に頭を垂れる。
十力は施しと戒を超え、自ら調えて眷属を成し、 塵労の闇を焼き払い、衆を御すこと調馬のごとし。
七つの大財を施し、衆生に慈恩を加え、 一切の父母となり、最上の福田に頭を垂れる。
眉間の白毫光は、雪に映える日の如く輝き、 梵天の上にあれば、その頂を見る者なし。
仏面より大光を放ち、光に浴すれば安穏を得、 百千の国を普く照らし、無間地獄に至るまで。
柔らかな言葉は極まりなく、衆の疑いを解き結び、 音は天界に遍く満ち、清浄にして垢穢なし。
貪瞋痴の闇を除き、智慧の光をもって照らし、 安らぎを与えて歓喜せしめ、解脱を示し現す。
三世に通達して妨げなく、比べるに等しきものなく、 人々の行いを知り、善悪の行く先を明らかにする。
人々の根原を観察し、一時にことごとく見通し、 心を開いて解脱せしめ、諸々の智慧の上に頭を垂れる。
百千億の魔衆、樹下に至りて仏の隙を求めしも、 至徳の願いと威神により、邪心を降伏せしめ給う。
瞋らず倦まず、慈悲哀れみの力をもって導き、 世の尊に供養せば、誰か懈怠慢心なさんや。
諸法は無所有を観じ、虚空に譬え、 電光、霧、泡沫のごとく、幻化、陽炎の如し。
本来空にして縁によりて現れ、我と我がものとを計ることなく、 生死の法を照らし示すゆえ、供養せざるはなし。
故に無数の劫を重ね、億那術の勤行を積み、 億万姟の供養を捧げ、数えられぬ諸仏に仕え給う。
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、 尊き願いは既に具わり、大聖雄に頭を垂れる。
於是海龍王說此偈讚佛已,前白佛言:「願欲有所問,儻肯聽者乃敢宣陳!」
そこで海の龍王はこの偈をもって仏を讃えた後、前に進み出て仏に申し上げた:「お願いがあります。もしお聞き入れいただけるなら、申し上げたいことがございます」
佛言:「在汝所問。若有疑者,如來當為具發遣之!」
お釈迦様はおっしゃいました。「あなたがお尋ねになることがあれば、どうぞお聞かせください。もし何か疑問があれば、如来が必ず詳しくお答えし、解き明かしましょう。」
龍王見聽,喜踊問曰:「何謂菩薩除諸惡趣?何謂菩薩超出諸難?何謂菩薩生天上人間?何謂菩薩不離諸佛?何謂菩薩得值善友?何謂菩薩常在安隱?何謂菩薩常懷篤信?何謂菩薩多所悅護?何謂菩薩濟眾因緣?何謂菩薩長益善法?何謂菩薩喜造德本?何謂菩薩常樂於義?何謂菩薩不著五陰?何謂菩薩常好於法?何謂菩薩樂於法樂?何謂菩薩所聞無厭?何謂菩薩請益觀義?何謂菩薩聞能奉行?何謂菩薩具出家德?何謂菩薩離居順戒?何謂菩薩棄於重擔?何謂菩薩常處樹下?何謂菩薩樂處閑居?何謂菩薩而獨燕處?何謂菩薩離諸諛諂?何謂菩薩具出家慧?何謂菩薩入深要法?何謂菩薩觀法如幻?何謂菩薩不墮滅見?何謂菩薩不墮常見?何謂菩薩超因緣法?何謂菩薩離諸邪見?何謂菩薩神通自樂?何謂菩薩而得六通?何謂菩薩而得慧通?何謂菩薩漏盡神通?何謂菩薩現無蓋慈?何謂菩薩所見無礙?何謂菩薩曉了眾生心之所行?何謂菩薩行無厭足?何謂菩薩分別所受教化之言?何謂菩薩降伏魔怨?何謂菩薩離諸恐懼?何謂菩薩御退轉者?何謂菩薩得不退轉?何謂菩薩逮不起忍?何謂菩薩過於諸淨?何謂菩薩諸行清淨?何謂菩薩世尊授決?」
龍王はこれを聞き、喜び踊って尋ねました。 「菩薩はどうすれば悪しき世界を除くことができますか? 菩薩はどうすればあらゆる苦難を超えられますか? 菩薩はどうすれば天上や人間界に生まれられますか? 菩薩はどうすれば仏様から離れずにいられますか? 菩薩はどうすれば善き友に出会えますか? 菩薩はどうすれば常に安らぎの中にいられますか? 菩薩はどうすれば深い信心を保てますか? 菩薩はどうすれば多くの人を喜んで守れますか? 菩薩はどうすれば衆生を救う因縁を得られますか? 菩薩はどうすれば善い法を長く増やせますか? 菩薩はどうすれば徳の根本を喜んで築けますか? 菩薩はどうすれば常に真実の意味を楽しめますか? 菩薩はどうすれば五蘊に執着しませんか? 菩薩はどうすれば常に法を好みますか? 菩薩はどうすれば法の喜びを楽しめますか? 菩薩はどうすれば聞くことに飽きませんか? 菩薩はどうすれば教えを請い、その意味を観察できますか? 菩薩はどうすれば聞いたことを実践できますか? 菩薩はどうすれば出家の徳を備えられますか? 菩薩はどうすれば戒律に従って静かに住めますか? 菩薩はどうすれば重い荷を捨てられますか? 菩薩はどうすれば常に木の下に住めますか? 菩薩はどうすれば閑静な住処を楽しめますか? 菩薩はどうすれば一人で静かに過ごせますか? 菩薩はどうすればへつらいやごまかしを離れられますか? 菩薩はどうすれば出家の智慧を備えられますか? 菩薩はどうすれば深い大切な法に入れますか? 菩薩はどうすれば法が幻の如しと観じられますか? 菩薩はどうすれば断滅の見解に堕ちませんか? 菩薩はどうすれば常住の見解に堕ちませんか? 菩薩はどうすれば因縁の法を超えられますか? 菩薩はどうすればあらゆる邪見を離れられますか? 菩薩はどうすれば神通力を自ら楽しめますか? 菩薩はどうすれば六神通を得られますか? 菩薩はどうすれば智慧の神通を得られますか? 菩薩はどうすれば煩悩尽きる神通を得られますか? 菩薩はどうすれば覆いなき慈しみを現せますか? 菩薩はどうすれば見ることに妨げがありませんか? 菩薩はどうすれば衆生の心の行いを明らかに知れますか? 菩薩はどうすれば行いに飽き足りることがありませんか? 菩薩はどうすれば受け取った教化の言葉を分別できますか? 菩薩はどうすれば魔の怨敵を降伏できますか? 菩薩はどうすればあらゆる恐れを離れられますか? 菩薩はどうすれば退転する者を導き戻せますか? 菩薩はどうすれば不退転を得られますか? 菩薩はどうすれば不動の忍耐を得られますか? 菩薩はどうすればあらゆる清らかさを超えられますか? 菩薩はどうすればすべての行いが清浄になりますか? 菩薩はどうすれば世尊から授記をいただけますか?」
佛言:「善哉,善哉!海龍王!乃問如來如此之義。諦聽,諦聽!善思念之!」
仏陀は言われました。「善きかな、善きかな!海龍王よ、よくも如来にこのような深い意義を問うた。よく聞きなさい、よく聞きなさい。そして善く思念しなさい。」
龍王曰:「唯然,世尊!願樂欲聞!」
龍王は申しました。「かしこまりました、世尊。どうかお聞かせください。」
佛言:「菩薩有四事棄諸惡趣。何等為四?菩薩無害心於眾生,常護十德,不說人短亦不輕慢,自省己過不訟彼穢;是為四。復有四事超出諸難。何等為四?常歎三寶佛、法、聖眾,有樂法者而不嬈亂,不造人疑,有猶豫者悉開導之;是為四。復有四事生天上人間。何等四?不捨道心,又教他人亦不毀戒,心願清淨,為人說經而發大哀;是為四事。復有八事不離諸佛。何等八?常念諸佛,供養如來,嗟歎世尊,作佛像形,勸化眾生使見如來,其所向方聞佛之名,願生彼國志不怯弱,常樂微妙佛之正慧;是為八事。復有四事得值善友。何謂四?不慢無諂,常加恭敬,柔和順言而不自大,常受言教;是為四。復有三事常在隱處。何等三?不剛不䩕而不諛諂,除諸貪嫉,見人得供代其歡喜;是為三。復有五事常懷篤信。何等五?曉樂脫力,積功德力,入報應力,遵道心力,將御法力;是為五。復有二事多所悅護。何等二?不捨歡喜,不在瞋恨;是為二。復有二十事護眾因緣。何等二十?常信佛教,不著他緣,所作自護,他作他受,法法相應,法法相照,善惡報應,無亂不順,心無想念,無我無人,都無所有,亦無往來,無所歸趣,除因緣報,由罪福安危,將護諸緣,諸佛、世尊皆由清淨而成道德,除眾惡事,以故吾等修行善本;是為二十。復有二事長益善法。何等二?知於三品,行無放逸;是為二。復有二事。何等二?喜造德本,亦不想報;是為二。復有五事常樂於義。何等五?不著色、聲、香、味、識;是為五。復有五事常好於法。何等為五?不貪色、痛,志得智、慧,擁護一切;是為五。復有六事常樂於法。何等六?樂於五根,不樂五欲;常樂法會,不樂世談;樂講說經,不樂衣食;常樂觀法,不樂不淨;樂遵修法,不樂文字;樂於佛法,不樂聲聞、緣覺法;是為六。復有八事樂於法樂。何等八?樂講佛道,不樂卑賤;樂度無極,不樂聲聞、緣覺道;樂讚四恩,不樂非法;樂大慈哀,不樂世事;樂說大道,不樂終始;樂講深法緣起之本,不樂常、無常、我、人、壽命;樂空、無想、無願真諦之法,不樂調戲,離放逸想;樂嚴佛國,不樂觀滅;是為八。
仏は言われた。「菩薩には、あらゆる悪しき世界を捨てる四つの行いがある。どのような四つか。菩薩は衆生に対して害心を持たず、常に十の徳を守り、人の短所を語らず、また軽んじたりしない。自らの過ちを省みて、他人の穢れを咎めない。これが四つである。
さらに、あらゆる難を超える四つの行いがある。どのような四つか。常に三宝(仏・法・僧)を讃え、法を喜ぶ者を乱さず、人に疑いを抱かせず、迷いある者を皆導く。これが四つである。
さらに、天上や人間に生まれる四つの行いがある。どのような四つか。道心を捨てず、また他人にも教え、戒を毀たず、心願は清らかであり、人に経を説いて大いなる慈しみを起こす。これが四つの行いである。
さらに、諸仏から離れない八つの行いがある。どのような八つか。常に諸仏を念じ、如来を供養し、世尊を讃え、仏像の形を作り、衆生を教化して如来を見させ、向かう方角で仏の名を聞けば、その国に生まれんと願い、志は怯まず、常に微妙なる仏の正しい智慧を喜ぶ。これが八つである。
さらに、善き友に遇う四つの行いがある。どのような四つか。慢らず、諂わず、常に恭敬を加え、柔和な言葉で自ら大きくならず、常に教えを受ける。これが四つである。
さらに、常に隠れた境地にある三つの行いがある。どのような三つか。剛(強情)でなく、頑(頑固)でなく、諂わず、あらゆる貪りと嫉みを除き、人が供養を受けるのを見て代わりに喜ぶ。これが三つである。
さらに、常に篤い信を抱く五つの行いがある。どのような五つか。解脱の喜びを悟り、功徳の力を積み、報応の理に入り、道心の力に従い、法の力を用いる。これが五つである。
さらに、多くを喜んで護る二つの行いがある。どのような二つか。喜びを捨てず、怒りと恨みに陥らない。これが二つである。
さらに、衆の因縁を護る二十の行いがある。どのような二十か。常に仏の教えを信じ、他に縁を着けず、自らの行いは自ら護り、他者の行いは他者が受け、法と法は相応じ、法と法は照らし合い、善悪の報応があり、乱れず、逆らわず、心に想念なく、我も人もなく、すべて所有なく、また往来なく、帰趣するところなく、因縁の報いを除き、罪と福による安と危があり、諸縁を護り、諸仏・世尊は皆、清浄によって道徳を成し、衆の悪しき事を除き、それゆえ我等は善き根本を修行する。これが二十である。
さらに、善き法を長く増す二つの行いがある。どのような二つか。三品(善・不善・無記)を知り、行いに放逸がない。これが二つである。
さらに、二つの行いがある。どのような二つか。徳本を喜んで造り、また報いを想わない。これが二つである。
さらに、常に義を喜ぶ五つの行いがある。どのような五つか。色・声・香・味・識に執着しない。これが五つである。
さらに、常に法を好む五つの行いがある。どのような五つか。色と受(痛)に貪らず、智と慧を得んと志し、一切を擁護する。これが五つである。
さらに、常に法を喜ぶ六つの行いがある。どのような六つか。五根(信・精進・念・定・慧)を喜び、五欲(財・色・名・食・睡)を喜ばない。常に法会を喜び、世間話を喜ばない。経を講説することを喜び、衣食を喜ばない。常に法を観ることを喜び、不浄を喜ばない。修法に従うことを喜び、文字を喜ばない。仏法を喜び、声聞・縁覚の法を喜ばない。これが六つである。
さらに、法楽を喜ぶ八つの行いがある。どのような八つか。仏道を講ずることを喜び、卑賤を喜ばない。無極(彼岸)を度することを喜び、声聞・縁覚の道を喜ばない。四恩(父母・衆生・国王・三宝)を讃えることを喜び、非法を喜ばない。大いなる慈哀を喜び、世事を喜ばない。大道を説くことを喜び、終始(生死)を喜ばない。深い法の縁起の根本を講ずることを喜び、常・無常・我・人・寿命を喜ばない。空・無想・無願の真諦の法を喜び、調戯(ふざけ)を喜ばず、放逸の想いを離れる。仏国を厳(飾)ることを喜び、滅を観ることを喜ばない。これが八つである。」
「復有五事所聞無厭。何等五?博聞智慧,利於明達,聞無厭足;普聽不懈,決諸狐疑,聞無厭足;因聞覺了塵勞恚恨,故無厭足;因聞斷欲而除一切眾生垢著,故無厭足;因聞勇猛決一切疑,故無厭足;是為五。復有二事觀義求聞不惓。何等二?興於賢聖正見之行,得無礙辯總持之要;是為二。復有十事聞能奉行。何等十?利知厭足,在於閑居;身口心寂,進止安詳;所聞觀淨;獨處少事,不樂眾閙;初夜後夜常觀精進;敬重善友;志懷羞恥;常以大哀護於一切;等賢聖禪;至德具足,以惠救護天上世間;是為十。復有五事具出家德。何等五?所作已成,不復忘失;滅除塵結;其心當捨一切諸著;諸佛、世尊不訟其短;已得解脫,見諸縛者為說脫法;是為五。復有五出家順戒。何等五?救順禁法救濟毀戒,順諸所聞救濟尠聞,順所定意救濟亂心,順所智慧救濟惡智,順所度知立於眾人安隱無為;是為五。復有五棄。何等五?棄於重擔而除五陰,斷恩愛結及諸所習,常以寂定捨於寂滅,入于道德奉行八道,入於聖諦立一切人於正諦法;是為五。復有四法常處樹下。何等四?不惜身命,奉行一切諸德善法,發神通慧,行寂然事天人欣悅;是為四。復有四事樂處閑居。何等四?發大哀以處閑居,諸佛所歎;欲救眾生,無偏邪行;坐成佛時,莊嚴自由,不為塵勞;學餘菩薩究竟之行,積閑居德,入於郡國、縣邑、聚落為眾說法;是為四。復有三事而習燕坐,最尊無上功德微妙為賢聖行。何等三?不習憎愛亦無所慕;自在離欲,心無縛著;行步自由,等心一切,疾得定意;是為三。復有三事離諸諛諂:其心質直而無恚恨,已住於行,眾結便斷;是為三。復有八事具出家德。何等八?賢聖知足在於獨處,得知限節,逮諸博聞,棄恨忍辱,不捨道心,行四意止,專精定意而應智慧,一切所興以行為要;是為八。復有十事入深要法。何等十?見身自然諸法自然,身入於淨一切法淨,見已無吾諸法無我,自觀身空不疑諸法空,己身無聲諸法如響,察身寂寞諸法靜默,我者審諦觀諸法諦,我志深妙見諸法奧,己身無聞諸法如聾,吾無所受見一切法無可取者;是為十。復有十事:諸法如幻,興誑詐相;諸法如夢,所見無實;諸法如野馬,起顛倒想,見不諦故;諸法如影,所作因緣無以為樂;諸法如水月,捉不可得,其相離行;諸法如響,本末悉空;諸法如電,晃現隨滅;諸法如畫,離婬怒癡;諸法本淨,不為客垢之所沾污;諸法如虛空,適起尋滅,無有處所;是為十。復有二事不墮滅見。何等為二?隨時之慧入於罪福,了別諸佛聖智之明;是為二。復有二事不墮常見。何等為二?一切說無常慧,適起便滅意無永存;是為二。復有四事超因緣法。何等為四?無黠之習入生死習,無黠已滅生死便除,不墮滅見,不住常觀;是為四。復有四事離諸邪見。何等四?曉空慧不見彼我,解無相不見壽命,了無願不見三處,分別緣起離常無常;是為四。復有六事以諸神通而自娛樂。何等六?不以惡眼視於眾生,得天眼淨;聞惡聲音則能忍辱,逮天耳淨;其心不亂,覩他心淨;殖眾德本則識過事;如口所語身行亦爾,獲神足淨;修行諸敬,不欺法師,盡諸漏淨;是為六。復有六事得六通。何等六?以然燈故,得天眼淨;施諸音樂,得天耳淨;施無悕望,了眾生心;殖眾德本,知過去事;却諸陰蓋,決眾狐疑,逮神足淨;以法布施,盡諸漏淨;是為六。復有六事而得通慧。何等六?適見如來,得天眼淨;合會說法,得天耳淨;制伏其心,見眾生意;常習六念,得識宿命;棄諸貪濁,逮成神足,輕舉能飛;遵修諸法,得盡諸漏;是為六。」
また、聞法に飽くことのない五つの事柄があります。どのような五つでしょうか。一つ目は、広く学び智慧を深め、明るく道理に通じて、聞法に飽くことがないことです。二つ目は、あまねく聴聞して怠らず、諸々の疑いを決し、聞法に飽くことがないことです。三つ目は、聞法を通して塵労や怒りの心を覚り、それゆえに聞法に飽くことがないことです。四つ目は、聞法を通して欲を断ち、一切の衆生の煩悩や執着を取り除くため、聞法に飽くことがないことです。五つ目は、聞法を通して勇猛心を起こし、一切の疑いを決するために、聞法に飽くことがないことです。これが五つです。
また、道理を観察し法を求めることに倦むことのない二つの事柄があります。どのような二つでしょうか。一つ目は、賢聖の正見の行いを興すことです。二つ目は、無礙の弁舌と総持(記憶し保持する力)の要を得ることです。これが二つです。
また、聞いた法を奉行(実践)できる十の事柄があります。どのような十でしょうか。一つ目は、知足を知り、静かな場所に住むことです。二つ目は、身と口と心を静め、進退に安らかで穏やかであることです。三つ目は、聞いた法を清らかに観察することです。四つ目は、独り静かに過ごし、煩雑なことを好まないことです。五つ目は、初夜と後夜に常に精進を観察することです。六つ目は、善き友を敬い重んじることです。七つ目は、恥を知る心を抱くことです。八つ目は、常に大いなる哀れみの心で一切の衆生を守ることです。九つ目は、賢聖の禅定に等しい境地に至ることです。十つ目は、至れる徳を具足し、智慧をもって天上の世間を救い守ることです。これが十です。
また、出家の徳を具足する五つの事柄があります。どのような五つでしょうか。一つ目は、なすべきことを成し遂げ、二度と忘れ失わないことです。二つ目は、塵労の結び目を滅し除くことです。三つ目は、その心を一切の諸々の執着から離れるようにすることです。四つ目は、諸仏や世尊からその短所を咎められないことです。五つ目は、すでに解脱を得て、縛られている者たちを見て、解脱の法を説くことです。これが五つです。
また、出家して戒律に従う五つの事柄があります。どのような五つでしょうか。一つ目は、戒法に従って戒を破る者を救い済うことです。二つ目は、聞いた教えに従って教えの少ない者を救い済うことです。三つ目は、定まった心に従って乱れた心を救い済うことです。四つ目は、智慧に従って悪智を持つ者を救い済うことです。五つ目は、度する智慧に従って、衆生を安穏で無為の境地に立たせることです。これが五つです。
また、五つの捨てるべきことがあります。どのような五つでしょうか。一つ目は、重荷を捨てて五陰(身体と心)を除くことです。二つ目は、恩愛の結び目や習性を断つことです。三つ目は、常に静かな定めをもって寂滅を捨てる(執着しない)ことです。四つ目は、道徳に入り八正道を奉行することです。五つ目は、聖諦に入り、一切の人々を正しい諦(真理)の法に立たせることです。これが五つです。
また、常に樹下に住む四つの法があります。どのような四つでしょうか。一つ目は、身命を惜しまないことです。二つ目は、一切の諸々の徳と善なる法を奉行することです。三つ目は、神通の智慧を発することです。四つ目は、静かな事を行い、天人たちを歓喜させることです。これが四つです。
また、静かな場所を好んで住む四つの事柄があります。どのような四つでしょうか。一つ目は、大いなる哀れみの心を発して静かな場所に住み、諸仏から讃嘆されることです。二つ目は、衆生を救おうと願い、偏った邪な行いをしないことです。三つ目は、仏となる座にある時、荘厳でありながら自由であり、塵労にまみれないことです。四つ目は、他の菩薩の究竟の行いを学び、静かな場所での徳を積み、郡や国、県や邑、集落に入って衆生のために法を説くことです。これが四つです。
また、燕坐(坐禅)を習う三つの事柄があり、最も尊く無上の功徳で微妙であり、賢聖の行いとなります。どのような三つでしょうか。一つ目は、憎しみや愛着を習わず、また何事をも慕わないことです。二つ目は、欲から自在に離れ、心に縛りや執着がないことです。三つ目は、歩みも自由で、一切に対して平等の心を抱き、速やかに定意(定)を得ることです。これが三つです。
また、諛諂(へつらい)を離れる三つの事柄があります。その心は質直であり、怒りや恨みがなく、すでに行いに住し、諸々の結び目が断たれることです。これが三つです。
また、出家の徳を具足する八つの事柄があります。どのような八つでしょうか。一つ目は、賢聖の知足を知り、独り静かな場所に住むことです。二つ目は、節度を知ることです。三つ目は、広く学び聞くことです。四つ目は、恨みを捨て忍辱を行うことです。五つ目は、道心を捨てないことです。六つ目は、四念処を行うことです。七つ目は、専ら心を定めて智慧に応じることです。八つ目は、すべて興す事において行いを要とすることです。これが八つです。
また、深い要法に入る十の事柄があります。どのような十でしょうか。一つ目は、身体が自然であり、諸々の法も自然であると見ることです。二つ目は、身が清らかに入れば、一切の法も清らかであると見ることです。三つ目は、すでに我がないことを見て、諸法も無我であると見ることです。四つ目は、自ら身が空であることを観察し、諸法の空を疑わないことです。五つ目は、身に響き(声)がないように、諸法も響きのようなものであると見ることです。六つ目は、身が寂寞(静か)であることを察し、諸法も静黙であると見ることです。七つ目は、我というものが真実であることを観察するように、諸法も真実であると見ることです。八つ目は、志が深く妙であるように、諸法の奥深さを見ることです。九つ目は、身が音を聞かないように、諸法も聞かない(執着しない)ことと見ることです。十つ目は、我には受けるものがなく、一切の法に取るべきものがないと見ることです。これが十です。
また十の事柄があります。諸々の法は幻のようで、詐欺のような相を現すこと。諸々の法は夢のようで、見ているものに実体がないこと。諸々の法は陽炎のようで、顛倒した想いを起こし、真実を見ないこと。諸々の法は影のようで、行いには因縁があり、楽しみとするべきものがないこと。諸々の法は水中の月のようなもので、掴もうとしても得られず、その相は行いから離れていること。諸々の法は響きのようなもので、本末ともに空であること。諸々の法は稲妻のようなもので、輝き現れてはすぐに滅すること。諸々の法は絵画のようなもので、淫らな怒りや愚かさから離れていること。諸々の法は本来自性清浄であり、客観的な汚れ(煩悩)によって染まることがないこと。諸々の法は虚空のようで、現れてはすぐに消え、定まった場所がないこと。これが十です。
また、滅見(断見)に堕ちない二つの事柄があります。どのような二つでしょうか。一つ目は、時の智慧に従って罪と福を理解することです。二つ目は、諸仏の聖なる智慧の明るさを了別することです。これが二つです。
また、常見(恒久的な魂や世界を信じる見解)に堕ちない二つの事柄があります。どのような二つでしょうか。一つ目は、一切のものは無常であるという智慧を説くことです。二つ目は、生じたと思えばすぐ滅し、意(存在)は永遠に存在しないと理解することです。これが二つです。
また、因縁の法を超える四つの事柄があります。どのような四つでしょうか。一つ目は、愚かな習いによって生死の習いに入ることです。二つ目は、愚かさが滅すれば生死もすぐに除かれることです。三つ目は、滅見に堕ちないことです。四つ目は、常の見解に住まないことです。これが四つです。
また、邪見を離れる四つの事柄があります。どのような四つでしょうか。一つ目は、空の智慧を明らめ、彼と我を見ないことです。二つ目は、無相を解し、寿命(生命の実体)を見ないことです。三つ目は、無願を了し、三処(欲界・色界・無色界)を見ないことです。四つ目は、十二因縁を分別し、常や無常の執着から離れることです。これが四つです。
また、六つの事柄をもって、諸々の神通力で自ら楽しみます。どのような六つでしょうか。一つ目は、悪眼で衆生を見ず、天眼浄を得ることです。二つ目は、悪い言葉を聞いても忍辱することができ、天耳浄を体得することです。三つ目は、心が乱れず、他人の心を見抜く浄を得ることです。四つ目は、諸々の徳の根を植え、過去の事柄を知ることです。五つ目は、口に語る通りに身の行いもあり、神足浄を得ることです。六つ目は、諸々の敬いを修行し、法師を欺かず、諸々の漏(煩悩)を尽くして浄を得ることです。これが六つです。
また、六つの事柄をもって六通を得ます。どのような六つでしょうか。一つ目は、灯を燃やすことによって天眼浄を得ることです。二つ目は、音楽を施すことによって天耳浄を得ることです。三つ目は、望みなく施すことによって衆生の心を知ることです。四つ目は、諸々の徳の根を植えることによって過去の事柄を知ることです。五つ目は、諸々の陰蓋(五蓋)を退け、衆生の疑いを決して神足浄を体得することです。六つ目は、法の布施によって諸々の漏を尽くすことです。これが六つです。
また、六つの事柄によって神通の智慧を得ます。どのような六つでしょうか。一つ目は、如来を拝見して天眼浄を得ることです。二つ目は、教えを合会して説くことにより天耳浄を得ることです。三つ目は、心を制伏して衆生の意を知ることです。四つ目は、常に六念を習って宿命を知ることです。五つ目は、諸々の貪欲や汚れを捨て、神足を成し遂げて軽く空を飛ぶことです。六つ目は、諸々の法を遵修して漏を尽くすことです。これが六つです。
佛復告龍王:「以有神通而自娛樂:聲聞、緣覺及外道、神仙、天、龍、鬼、神、無善神、鳳凰神王、山神王、甜柔神、人與非人,所有天眼,計菩薩眼,最上無極清淨明徹,除如來眼,菩薩之眼無所不見,天人光色諸法之本,無所罣礙。又聲聞、緣覺及天、龍、神、人與非人,計菩薩耳,最上無極清淨明徹,除如來耳,菩薩之耳無所不聞,天、人音聲諸法之講,無所罣礙。聞諸音聲知三達事,皆了一切眾生之心,所行造念因緣報應往來之想,淨不淨,著不著,若干種心:若逆心,若順心、縛心、解心、依心、不依心、惑心、定心、有處心、無處心,若興衰心,已曉了之,悉見人根如應說法,以識宿命知彼我本,終始所起無所不達。至誠不虛,神足無猗,無所不現,是為菩薩五神通。又心自在所作具足,是為娛樂。示現佛身而般泥洹,不永滅度。何謂菩薩漏盡神通?菩薩超越聲聞、緣覺,所得解脫猗於佛慧,曉了眾生一切本淨,不盡諸漏而不取證,為一切人讚諸漏盡。是為六神通。復有四事見無蓋慧。何等四?遵修慧德,致此五通;行大慈大哀,知四解行;奉善權慧,逮四無礙;定意正受空、無相、無願,致三十七道品之法;是為四。」
仏は再び龍王に告げられた:「神通力を有して自ら楽しむとは――声聞、縁覚、および外道、神仙、天、龍、鬼、神、無善神、鳳凰神王、山神王、甜柔神、人と非人、これらすべての天眼を考えても、菩薩の眼に比べれば、最も優れ、極まりなく清浄で明らかに透徹している。如来の眼を除けば、菩薩の眼は見えないものはなく、天と人の光と色、諸法の根本を、何の妨げもなく見通す。また、声聞、縁覚、および天、龍、神、人と非人、これらすべての耳を考えても、菩薩の耳に比べれば、最も優れ、極まりなく清浄で明らかに透徹している。如来の耳を除けば、菩薩の耳は聞こえないものはなく、天と人の音声、諸法の説法を、何の妨げもなく聞き分ける。あらゆる音声を聞いて三達の事を知り、一切衆生の心のありようをすべて理解する。行い、思い、因縁、報応、往来の想念――清らかなものも清らかでないものも、執着するものも執着しないものも、さまざまな心の状態、すなわち逆らう心、従順な心、束縛された心、解脱した心、依存する心、依存しない心、迷いの心、定まった心、あるべきところに留まる心、留まらない心、盛んな心、衰える心――これらをすべて明らかに知り、人々の根性を見抜いて相応の説法をし、宿命を知って彼と我の根本を悟り、始まりから終わりまでに起こる一切を達観する。至誠にして虚偽なく、神足は偏りなく、現わさないものはない。これが菩薩の五神通である。また、心が自在であり、なすべきことをすべて具足している。これが楽しみである。仏身を示現して涅槃に入りながら、永遠に滅度しない。菩薩の漏尽神通とは何か。菩薩は声聞、縁覚を超越し、得た解脱は仏の智慧に依り、一切衆生の本来清浄であることを明らかに知る。諸漏を尽くさずともそれを証取せず、一切の人々のために諸漏の尽きることを讃える。これが六神通である。さらに、四つの事柄によって無蓋の智慧を見る。どの四つか。智慧の徳を修め行うことによって、この五通を得る。大慈大悲を行い、四つの解脱の行いを知る。善権の智慧を奉じ、四無礙辯を体得する。定意正受において空・無相・無願を修め、三十七道品の法を得る。これが四つである。」
佛復告龍王:「何謂所見無蓋?諸有塵勞除一切垢;所有罣礙現生死本,導御泥洹;現聲聞、緣覺乘,化至道場;隨勸習俗,示人行寂。是謂無蓋。復有無蓋:現一切數至無所有,現滅諸數逮無所著,雖在有數諸行之事,於無數法無所罣礙,彼無陰蓋得至無為,於有為法亦無罣礙,是謂菩薩現無礙慧。復有四事曉了眾生心之所行:隨習俗慧,正受明了識意所為,善權方便,於諸法自在;是為四。復有五事行無厭足。何等為五?已獲大安令眾生安,大哀堅強,視一切人如己骨髓,隨人所行而示現行,立於極上奇特之德;是為五。復有六事分別所受教化之言。何等六?逮得總持,心立寂然,入審諦淨,心入諸慧,辯才無著無止,方便之慧次第解脫;是為六。復有八事降伏魔怨。何等八?曉了五陰,譬若如幻,離貪見塵而行空事;知一切法皆無所生,隨其所生如開導之;不捨道意,堅強精進;不捨佛道,不畏三界;離於所有,觀於人物;求審諦慧,觀無常相;積德不厭;合集智慧,不樂聲聞、緣覺之智;是為八。復有十事離諸恐懼,行菩薩事。何等十?行於布施,以莊嚴想;立于禁戒,斷諸惡趣;遊於忍辱,諸根不亂;堅強精進,種善不惓;修行禪定,其心不荒;成于智慧而離塵勞;善權方便曉了無邊聖智之願,得分別事;解知法義,辯才隨順;逮得總持,決除眾生諸所狐疑;得住佛住,護一切法;是為十。復有八事御退轉者。何等八?言行相應;自省己過,不說彼闕;寧失身命不造輕重;獲利不喜,無利不慼;心不懷害,誘導一切興眾祐意;等敷禁戒,不捨師法;安悅眾人,不自求安;一切所愛施而不悔;是為八。復有五事得不退轉於無上正真道。何等五?善權方便成諸度無疑;入深妙法,了審諦義;神通無礙,見眾生根分別諸慧;行無所著,行不可盡;遊於緣起,不盡一切諸漏之證;是為五。復有三事逮不起忍。何等三?察人清淨而無吾我,法淨寂寞,慧淨無著;是為三。復有三事過諸清淨:過去清淨諸法常盡,當來清淨法無所起,今現清淨法無所住;是為三。復有三事:身行清淨功德熾盛,口言清淨智慧巍巍,意念清淨定而不轉;是為三。復有四事為佛世尊所見授決。何等四?情性和順,奉遵于法;具足諸行,觀清白行;逮得慧力,解一切心;了諸法本淨,不起不滅,所由不亂。」
仏はまた龍王に告げられた。「何を『見ることの覆いなきこと』というのか。すべての煩悩の塵を除き、一切の垢を清めること。すべての執着は生死の根源を現し、涅槃へと導く御者となること。声聞・縁覚の乗り物を現し、悟りの道場へと化導すること。世俗の習慣に従って人々を勧め、静寂の行いを示すこと。これを覆いなきことという。さらに覆いなきこととは、一切の現象を現じつつも無所有に至り、諸現象の滅を現じて何ものにも執着せず、現象世界の営みの中にあっても、無数の法に何の妨げもなく、五陰の覆いを離れて無為に至り、有為の法にも妨げられないこと。これが菩薩の現わす妨げなき智慧である。さらに四つのことにより衆生の心の行いを明らかに知る。世俗の習慣に従う智慧、正しく受け止めて明らかな意識の働き、巧みな方便により諸法に自在であること。これが四つである。さらに五つのことにより飽くことなく行じる。何が五つか。大いなる安らぎを得て衆生を安らがせること。大いなる慈悲を堅固にし、一切の人々を己が骨髄のように見ること。人々の行いに従って自らも行いを示すこと。最高の不思議な徳を確立すること。これが五つである。さらに六つのことにより教えの言葉を分別して受け止める。何が六つか。総持を得て心を静寂に立たせること。真実の清らかさに入ること。心を諸々の智慧に入れること。執着なく尽きることのない弁才を得ること。方便の智慧により次第に解脱すること。これが六つである。さらに八つのことにより魔の怨敵を降伏させる。何が八つか。五陰が幻の如きものであることを知り、貪りや塵を見て空の行いをすること。一切の法が生じないことを知り、その生じるに従って導き開くこと。菩提心を捨てず、堅固に精進すること。仏道を捨てず、三界を畏れないこと。所有を離れ、人と物とを観ること。真実の智慧を求め、無常の相を観ること。徳を積んで厭わないこと。智慧を集め、声聞・縁覚の智を喜ばないこと。これが八つである。さらに十のことにより諸々の恐れを離れ、菩薩の行いを行う。何が十か。布施を行い、荘厳の想いを持つこと。戒律を立て、諸悪の趣きを断つこと。忍辱に遊び、諸根を乱さないこと。堅固に精進し、善を種として倦まないこと。禅定を修行し、心を荒ませないこと。智慧を成じて煩悩の塵を離れること。善巧方便により無辺の聖智の願いを知り、分別の事柄を得ること。法の義を知り、弁才に随順すること。総持を得て、衆生の諸々の疑いを断ち除くこと。仏の住処に住し、一切の法を護ること。これが十である。さらに八つのことにより退転する者を導く。何が八つか。言行が一致すること。自らの過ちを省み、他人の欠点を言わないこと。たとえ身命を失うとも軽重を問わず悪を造らないこと。利益を得ても喜ばず、利益がなくとも悲しまないこと。害の心を抱かず、一切を導いて衆生を祐けようとすること。戒律を平等に敷き、師の法を捨てないこと。人々を安らぎ喜ばせ、自らの安らぎを求めないこと。一切の愛するものを施して後悔しないこと。これが八つである。さらに五つのことにより無上正真の道に退転しない。何が五つか。善巧方便により諸々の度(波羅蜜)を成じて疑いがないこと。深妙な法に入り、真実の義を知ること。神通に妨げなく、衆生の根機を見て諸々の智慧を分別すること。執着なく行じ、尽きることのない行いを行うこと。縁起に遊び、一切の煩悩の証を尽くさないこと。これが五つである。さらに三つのことにより不退転の忍辱を得る。何が三つか。人の清浄を観じて我と我所有がないこと。法の清浄は寂滅であること。智慧の清浄は執着がないこと。これが三つである。さらに三つのことにより諸々の清浄を超える。過去の清浄は諸法が常に尽きること。未来の清浄は法が生じないこと。現在の清浄は法が住しないこと。これが三つである。さらに三つのこと。身の行いの清浄は功徳が盛んであること。口の言葉の清浄は智慧が高いこと。意の思いの清浄は定まって動かないこと。これが三つである。さらに四つのことにより仏世尊より授記される。何が四つか。心性が和順で、法に従うこと。諸々の行いを具足し、清らかな行いを観ること。智慧の力を得て、一切の心を解すること。諸法の本質が清浄であり、生じず滅せず、その由来が乱れないことを知ること。」
佛告龍王:「是為四法菩薩所行,為佛、世尊所見授決。」
仏は龍王に告げられた:「これら四つの法は菩薩が行うべきものであり、仏や世尊が認め、授けられた決意である。」