總持身品第六
総持身品第六
佛語龍王:「菩薩已住無盡藏,而以文字求於佛道。總持文字,力也;歸趣文字,身也;滅盡像,色也;入法門,頂也;觀瞻,額也;慧眼,眼也;天耳,耳也;說名字,鼻也;制亂意眉間,闕庭也;攝一切心,面也;解喻一切可眾生心,舌根也;調定其心,齒也;師子觀奮迅,髭也;藏匿空語,脣也;觀一切法,咽也;勉出眾生令其歡悅,肩也;端正所謂,脾也;察諸法等,腹也;入於深門,臍也;入左右路,掌也;合會諸法,臂也;十善之句為善救護,指也;清淨法銅,爪也;來致虛無之念,脇也;次第講法,脊也;說不侵時無所為度,尻也;具足寂觀,髕也;趣審諦法,膝也;曉知一切,踹也;心意寂然,足趺也;遊到十方,足心也;次第說諦,步也;知羞慚恥,衣也;法鬘莊嚴,傅飾也;法華若干,臥具也;說種種法,枕也;不瞋不諍,塗香也;所行如應無所不了,雜香也;入深戒,說香也;於諸法自在,眷屬也;嗟歎梵跡,則親友也;得安隱眾,知識也;斷諸結縛開化眾人,則親暱也;曉了諸事,家室也;其心清淨,母也;一切巧便無所依信,慧父也;諸通慧心,從等也;施度無極,漿食也;戒度無極,泰安也;忍度無極,莊嚴也;精進度無極,作善剋辦也;一心度無極,飽滿也;智度無極,隨時順也;善權度無極,二句合義也;道品身支,黨也。講說至誠,未曾侵欺,一切世間尊豪自由,於法自恣。」
仏は龍王に語られた: 「菩薩はすでに尽きることのない蔵に住し、文字をもって仏道を求めます。 文字を総持するは力であり、 文字に帰趣するは身であり、 像を滅尽するは色であり、 法門に入るは頂であり、 観瞻するは額であり、 慧眼は眼であり、 天耳は耳であり、 名を説くは鼻であり、 乱れる意を眉間に制するは闕庭であり、 一切の心を摂するは面であり、 一切の衆生の心を解き説くは舌根であり、 その心を調えて定めるは歯であり、 師子のごとく観じて奮迅するは髭であり、 空語を蔵匿するは唇であり、 一切の法を観るは咽であり、 衆生を励まして歓悦せしめるは肩であり、 端正なるを所謂うは脾であり、 諸法の等しきを察するは腹であり、 深き門に入るは臍であり、 左右の路に入るは掌であり、 諸法を合会するは臂であり、 十善の句をもって善く救護するは指であり、 清浄の法銅は爪であり、 虚無の念を来致するは脇であり、 次第に法を講ずるは脊であり、 侵す時なく為すところなく度すを説くは尻であり、 寂観を具足するは髕であり、 審諦の法に趣くは膝であり、 一切を知り曉るは踹であり、 心意寂然なるは足趺であり、 十方に遊到するは足心であり、 次第に諦を説くは歩であり、 羞恥を知るは衣であり、 法の鬘をもって荘厳するは傅飾であり、 法華の若干は臥具であり、 種々の法を説くは枕であり、 瞋らず諍わざるは塗香であり、 行うところ応のごとくにして了らざるなきは雑香であり、 深き戒に入るは説香であり、 諸法に自在なるは眷属であり、 梵跡を嗟歎するは則ち親友であり、 安隠の衆を得るは知識であり、 諸の結縛を断ち人を開化するは則ち親暱であり、 諸事を曉了するは家室であり、 その心清浄なるは母であり、 一切の巧便にして依信するところなきは慧父であり、 諸の通慧の心は従等であり、 施度無極は漿食であり、 戒度無極は泰安であり、 忍度無極は荘厳であり、 精進度無極は善を為して剋く辦ずるであり、 一心度無極は飽満であり、 智度無極は時に随いて順うであり、 善権度無極は二句の義を合するであり、 道品の身支は党であり。 至誠を講説し、未だ曾て侵欺せず、一切の世間の尊豪自由にして、法に於いて自恣す。」
佛語龍王:「是為無盡之藏總持,無色像身也!其有菩薩,於是總持樂法之樂。譬如國王在於中宮;如天帝釋在須彌頂,威神巍巍;如梵天尊豪自在;如燕居阿須輪,難可制持;如海無邊,功德超殊;如寶大山,天所娛樂;如父母獨有一子,愛重無極;如月盛滿,眾星獨明,莫不稽首;如世尊為天、世人奮大光明;如日初出,光曜柔和;如孔雀在林樹間放妙音聲;如師子在巖窟中服美飲食;如龍心意調和,以時澍雨;如轉輪王大法化國;如眾龍舞,動發雷電;如龍王已得自在,降大法雨;如天帝釋撫化一切諸外異道;如勇猛將摧伏嚴敵,除諸勞垢,降納眾魔;如水消火;如風靡草,心計如地,開化明者,順化眾生;如火焚草,皆忍苦樂;如乳母養長者子,療治眾病,持心堅強,具眾人願;如意珠王總持諸寶。」
仏は龍王に語られた:「これは尽きることのない宝蔵の総持であり、色も形もない身である。菩薩がこの総持において法の楽しみを味わうのは、ちょうど国王が宮中にいるがごとく、帝釈天が須弥山の頂にいて威神が巍々としているがごとく、梵天が尊豪自在であるがごとく、阿修羅が安らかに住みながらも制し難いがごとく、海が果てしなく広く功徳が超絶しているがごとく、宝の大山が天の楽しみであるがごとく、父母がただ一人の子を限りなく愛おしむがごとく、満月が輝き群星を凌いで皆が礼拝するがごとく、世尊が天と世人のために大光明を放つがごとく、朝日が昇り柔らかな光を注ぐがごとく、孔雀が林間に妙なる声を響かせるがごとく、獅子が巖窟で美しい飲食を楽しむがごとく、龍が心を調えて時に応じて雨を降らすがごとく、転輪王が大法をもって国を治めるがごとく、多くの龍が舞い雷電を起こすがごとく、龍王が自在を得て大法の雨を降らすがごとく、帝釈天が一切の外道を導き化すがごとく、勇猛な将軍が強敵を打ち破り労苦と汚れを除き、諸魔を降伏させるがごとく、水が火を消すがごとく、風が草をなびかせるがごとく、心は大地のように計り、明るい者を開化し、衆生を順に導くがごとく、火が草を焼くように苦楽をすべて忍び、乳母が長者の子を養い、衆病を癒し、心を堅く持ち、人々の願いを満たすがごとく、如意珠の王が諸宝を総持するがごとくである。」
佛語龍王:「其有菩薩住無盡之藏總持門者,則可謂入佛之道場。如大海含受眾寶、諸珍苑府,無盡之藏總持如是,包弘諸法道寶篋藏,如無數香篋令無量人恣意所欲。菩薩已住無盡之藏總持門者,以真妙言開化一切,令各得所。是總持者,入一切聲。此土名道心者,彼無盡世界佛一寶蓋如來國曰目前;此名諸通慧者,彼超得度世界導龍如來佛國曰普達;此名施度無極者,彼寂定世界吉祥如來佛國曰精氣;此名戒度無極者,彼無憂世界離憂如來佛國曰多安;此名忍度無極者,彼無垢世界離垢如來佛國曰無盡句;此名進度無極者,彼普明世界無垢光如來佛國曰上度;此名專度無極者,彼道御世界堅要如來佛國曰寂行;此名智度無極者,彼陰雨世界雨王如來佛國曰清淨;此名善權方便者,彼尊調世界離垢辟如來佛國曰隨習俗宜;此名慈哀喜護者,彼豐盛世界吉祥義如來佛國曰憐傷仁攝彼我二寂;此名苦習盡道者,彼無悅世界首寂如來佛國曰本原由根根盡歸本;此名四意止者,他方世界曰無止;此名四意斷者,彼曰上勝;此名神足者,彼曰超步;此名五根者,彼曰悅原;此名五力,彼曰堅強;此名覺意,彼曰無冥;此名八由,彼曰所度;此名分別,彼曰目見;此名護仰,彼曰隨順;此名法施,彼曰善攝;此名寂觀,彼曰定察;此名脫門,彼曰離癡;此名功德,彼曰嚴辦;此名智慧,彼曰了便;此名棄家,彼曰修行;此名具戒,彼曰無犯;此名安隱無為,彼曰寂滅度;此名曰歎佛無量,彼曰佛曰佛眼放光。」
仏が龍王に語られた。 「もし菩薩が無尽の蔵総持門に住するならば、それは仏の道場に入ったと言えよう。大海が多くの宝や様々な珍しいものを含み受け、尽きることのない宝庫となるように、無尽の蔵総持もまた同様に、すべての教えの宝を包み込み、蔵する。それは数え切れないほどの香箱が無量の人々に思いのままのものを与えるようなものである。菩薩がすでに無尽の蔵総持門に住するならば、真実の妙なる言葉をもって一切を開き導き、それぞれがその境地を得るようにする。この総持は、あらゆる音声に入り込む。
この世界で『道心』と呼ばれるものは、かの無尽世界の仏、一宝蓋如来の国では『目前』と呼ばれる。 この世界で『諸通慧』と呼ばれるものは、かの超得度世界の導龍如来の国では『普達』と呼ばれる。 この世界で『施度無極』と呼ばれるものは、かの寂定世界の吉祥如来の国では『精気』と呼ばれる。 この世界で『戒度無極』と呼ばれるものは、かの無憂世界の離憂如来の国では『多安』と呼ばれる。 この世界で『忍度無極』と呼ばれるものは、かの無垢世界の離垢如来の国では『無尽句』と呼ばれる。 この世界で『進度無極』と呼ばれるものは、かの普明世界の無垢光如来の国では『上度』と呼ばれる。 この世界で『専度無極』と呼ばれるものは、かの道御世界の堅要如来の国では『寂行』と呼ばれる。 この世界で『智度無極』と呼ばれるものは、かの陰雨世界の雨王如来の国では『清浄』と呼ばれる。 この世界で『善権方便』と呼ばれるものは、かの尊調世界の離垢辟如来の国では『随習俗宜』と呼ばれる。 この世界で『慈哀喜護』と呼ばれるものは、かの豊盛世界の吉祥義如来の国では『憐傷仁摂彼我二寂』と呼ばれる。 この世界で『苦習尽道』と呼ばれるものは、かの無悦世界の首寂如来の国では『本原由根根尽帰本』と呼ばれる。 この世界で『四意止』と呼ばれるものは、他方の世界では『無止』と呼ばれる。 この世界で『四意断』と呼ばれるものは、かの世界では『上勝』と呼ばれる。 この世界で『神足』と呼ばれるものは、かの世界では『超歩』と呼ばれる。 この世界で『五根』と呼ばれるものは、かの世界では『悦原』と呼ばれる。 この世界で『五力』と呼ばれるものは、かの世界では『堅強』と呼ばれる。 この世界で『覚意』と呼ばれるものは、かの世界では『無冥』と呼ばれる。 この世界で『八由』と呼ばれるものは、かの世界では『所度』と呼ばれる。 この世界で『分別』と呼ばれるものは、かの世界では『目見』と呼ばれる。 この世界で『護仰』と呼ばれるものは、かの世界では『随順』と呼ばれる。 この世界で『法施』と呼ばれるものは、かの世界では『善摂』と呼ばれる。 この世界で『寂観』と呼ばれるものは、かの世界では『定察』と呼ばれる。 この世界で『脱門』と呼ばれるものは、かの世界では『離痴』と呼ばれる。 この世界で『功徳』と呼ばれるものは、かの世界では『厳辦』と呼ばれる。 この世界で『智慧』と呼ばれるものは、かの世界では『了便』と呼ばれる。 この世界で『棄家』と呼ばれるものは、かの世界では『修行』と呼ばれる。 この世界で『具戒』と呼ばれるものは、かの世界では『無犯』と呼ばれる。 この世界で『安隠無為』と呼ばれるものは、かの世界では『寂滅度』と呼ばれる。 この世界で『歎仏無量』と呼ばれるものは、かの世界では『仏曰仏眼放光』と呼ばれる。」
佛語龍王:「計諸佛國音聲言訓若干種教,菩薩若逮無盡之藏,皆知一切諸佛之土所說音聲文字所誨。佛以一劫若過一劫,讚歎有為言說章句之教十方所出,不能究竟諸佛國土音聲義也。」
仏は龍王に言われた: 「諸仏の国土で語られる音声と言葉、様々な教えがあるが、 菩薩がもし無尽の蔵(智慧の宝庫)を体得すれば、 一切の諸仏国土で説かれる音声と言葉の教えをすべて知ることができる。 たとえ仏が一劫また一劫をかけて、 十方世界から現れる有為の言葉や文章による教えを称賛したとしても、 諸仏国土の音声の真の意味を尽きることなく説き明かすことはできない。」
佛說是無盡之藏總持門時,六萬菩薩皆得總持,八千菩薩得不起法忍,三萬二千人皆發無上正真道意。
仏がこの尽きることのない蔵の総持の法門を説かれたとき、六万の菩薩は皆、総持を得、八千の菩薩は不退転の法忍を得、三万二千の人々は皆、無上正真の道心を発した。