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仏説海竜王経 (佛說海龍王經)


總持門品第七

総持門品第七

爾時佛告龍王:「菩薩以是離諸幽冥之路,趣諸通慧。往古不可計無央數劫不可思議,彼時有佛。號曰梵首天王如來、至真、等正覺、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法御、天人師,號佛、世尊,世界曰集異德,劫名淨除。彼時集異德世界豐盛安隱,五穀自然;快樂無極,天人繁熾。如我此土百億四域合為一佛國,則為彼土一大四域,如是之比百億須彌山,此梵首天王如來集異德世界廣大無邊,乃如茲乎!其世界如金剛光明摩尼之寶,自然常普大明,以寶交絡,周匝覆蓋懸繒、幢幡,百千伎樂於虛空中不鼓自鳴,其伎樂音普聞佛土。彼伎樂音,不出婬、怒、癡欲之音聲也,唯演寂然憺怕法樂歡喜之音。諸天、人民聞樂音者,則逮一心寂定,安隱晏然,不為塵勞之所危害也。其土平等,如柔軟衣,無有惡趣音聲誨也。天、人清淨,皆解微妙,志于大乘,少求聲聞、緣覺之乘。心有所念,衣食、室宇所欲隨意,悉自然至,天、人一等,無有窮厄匱乏者也,衣服、飲食如兜術天上,其國所有等無差特。其如來壽命滿六十七萬二千歲,其土人民壽亦復如是,無中夭者。佛土菩薩七十二那術,聲聞甚少。

その時、仏は龍王に告げられた。「菩薩はこのようにして、あらゆる暗き道を離れ、智慧の道へと向かう。計り知れないほど遠い昔の無量の劫、思議を超えた時代に、一尊の仏がおられた。その仏は梵首天王如来、至真、等正覚、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と称され、その世界は集異徳世界といい、その劫は浄除劫と呼ばれた。その時の集異徳世界は豊かで安らかであり、五穀は自然に実り、喜びは極まりなく、天界と人間界の衆生は繁栄していた。我がこの国土の百億の四天下を合わせて一つの仏国土としたとしても、それが彼の国土のただ一つの四天下にすぎないほどであり、このように百億の須弥山を比べても、この梵首天王如来の集異徳世界は広大無辺で、このようなものであった。その世界は金剛の光明を放つ摩尼の宝のようであり、自然に常に広く大いなる光明を放ち、宝が絡み合って周囲を覆い、幡や幢が懸けられ、虚空の中には百千の伎楽が打たずとも自ら鳴り響き、その伎楽の音は仏国土全体に聞こえた。その伎楽の音は、淫欲、怒り、愚痴の欲望の音声を出すことはなく、ただ静寂で淡泊な法楽の喜びの音を奏でるのみであった。諸天と人民がその楽音を聞けば、ただちに一心の寂定を得て、安らかで穏やかであり、塵労によって危害を受けることはなかった。その国土は平等で、柔らかな衣のようであり、悪趣の音声や教えはなかった。天界と人間界の衆生は清浄で、皆微妙なことを理解し、大乗を志し、声聞・縁覚の乗を求める者は少なかった。心に何かを念じれば、衣食や住居など、欲するものは思いのままに自然と現れ、天界と人間界は等しく、困窮や不足はなかった。衣服や飲食は兜率天のようであり、その国のすべては平等で差別はなかった。その如来の寿命は六十七万二千歳に満ち、その国土の人民の寿命もまた同じであり、途中で夭折する者はなかった。その仏国土の菩薩は七十二那由他であり、声聞は非常に少なかった。

「爾時有轉輪聖王號無盡福,主十六四天下。其無盡福王有八十四那術夫人,如天玉女。有四太后:一名離垢,二曰無垢光,三曰清淨,四曰淨句。子有八萬四千,皆大猛勇身相;有八端正姝好,皆志大乘。彼時無盡福王處於大城,名曰具樂。其城東西長二千四百四十里,南北亦爾。梵首天王如來興於彼國,無盡福王建立精舍,殖大林樹,名上香光園,佛所遊止。城之中央造王宮殿,七寶合成。城中有八萬四千街巷、八萬四千欄楯。一一街巷有八萬四千家居。其大城壁七重,七重欄楯、七重行樹、七重交路,繞城有萬遊觀園。其塹七重,滿八味水,生青蓮、紅蓮、黃蓮、白蓮,皆有美香,鴛鴦、鳧鴈相隨而鳴。其城如是,名等無量,不可思議。

その時、無尽福という名の転輪聖王がおり、十六の四天下を治めていた。無尽福王には八十四那術の夫人がおり、天の玉女のように美しかった。四人の太后がいた。第一は離垢、第二は無垢光、第三は清浄、第四は浄句といった。王子は八万四千人おり、みな大いに猛勇で体つきがよく、八つの端正な美しさを備え、みな大乗の志を持っていた。

その時、無尽福王は具楽という名の大城に住んでいた。その城は東西二千四百四十里、南北も同じ長さであった。梵首天王如来がその国に現れ、無尽福王は精舎を建立し、上香光園という大きな林を植え、仏が遊行し止住する場所とした。城の中央には王宮殿が七宝で造られていた。城の中には八万四千の街巷と八万四千の欄楯があった。それぞれの街巷には八万四千の家が並んでいた。大城の城壁は七重で、七重の欄楯、七重の並木、七重の交差路があり、城を取り囲んで一万の遊観園があった。堀は七重で、八味の水が満ち、青蓮、紅蓮、黄蓮、白蓮が咲き、みな美しい香りを放ち、鴛鴦や鳧雁が互いに鳴き交わしていた。その城はこのようなものであり、名は等しく無量で、不可思議であった。

「王供養佛,奉進所安,眾事具足,無所乏少,於百千歲不可稱限。率其中宮、子孫、親族、友黨、眷屬、國中人民,往詣上香光叢林,見梵首天王如來,稽首佛足,退住一面。佛告王曰:『有四事為大國王、君子、聖主猶得自在,與眾不同,增益善法。何等為四?立於篤信,數詣賢聖,樂欣請益,求德慕義;以法自娛,常觀無常、苦、空、非身之法,觀世所有有為之穢皆歸離別;自攝其心,入無放逸,覺察欲樂,無所饒羨;不以毀斷宿世福德,不廢道心,務志妙慧。是為四事,大國聖主猶得自在,與眾不同。』

王は仏陀を供養し、捧げるべきものをすべて整え、何一つ欠けることなく、百千年にも及ぶ限りない奉仕を捧げました。そして、后や子孫、親族、友人、眷属、国中の人々を率いて、香り高い光の林へと赴き、梵首天王如来にお会いし、仏陀の足下に額を付けて礼拝し、一歩退いて傍らに立ちました。

仏陀は王にこう告げられました。「大国の王、君子、聖なる君主が自在を得て、人々と異なる境地に至り、善き法を増すための四つのことがあります。それは何か。

第一に、篤い信仰を立て、たびたび賢者や聖者のもとを訪れ、喜んで教えを請い、徳を求め義を慕うこと。

第二に、法をもって自らを楽しませ、常に無常・苦・空・無我の法を観じ、世のすべての有為の穢れがやがて離別に帰することを観ること。

第三に、自らの心を制し、放逸に陥らず、欲楽を覚察し、何ものにも羨むことなく、過去世の福徳を損なうことなく、道心を廃さず、妙なる智慧に志を務めること。

これが四つのことであり、大国の聖なる君主が自在を得て、人々と異なる境地に至る所以なのです。」

「無盡福王白世尊曰:『菩薩有幾法而得自在?』佛告王曰:『菩薩有八法而得自在。何謂為八?得五神通以自娛樂,未曾有退,無所罣礙;并除瞋恨,而無害心,具暢聖慧,攝于道明;所作已辦,現得叡達,誠信神足,拔諸所有;以智慧聖捨離一切邪見塵垢,得四解明,佛所建立,無著不住;具足力處,逮于無盡福海印三昧;能悅眾生,攝御一切諸佛之教,以成總持;其心清淨,所聞不忘,應如所欲,而為說法;入一義味,住於本際,不計吾我,不起法忍。是為八事,菩薩而得自在。』佛告王曰:『又有總持名曰寶事,菩薩逮得此總持者於法自在。』

無尽福王が世尊に申し上げた。「菩薩には、いくつの法を得て自在となるのでしょうか。」

仏が王に告げられた。「菩薩には、八つの法を得て自在となる。何を八つというか。

第一に、五神通を得て自ら楽しみ、退くことがなく、何にも妨げられない。

第二に、怒りや恨みを除き、害する心がなく、聖なる智慧を十分に発揮し、道の明かりを身につける。

第三に、なすべきことを成し遂げ、すぐに聡明さを現し、誠実に神通力を信じ、すべての執着から抜け出す。

第四に、智慧の聖なる力によって、一切の邪見と煩悩を捨て離れ、四つの解明を得て、仏によって立てられた教えに執着せず、とどまらない。

第五に、力を具足し、尽きることのない福の海のような印三昧に達する。

第六に、衆生を喜ばせ、一切の仏の教えを統べ治め、総持を成し遂げる。

第七に、心が清らかで、聞いたことを忘れず、望むままに応じて説法する。

第八に、一つの真実の味わいに入り、本来の境地に住して、我や自分を計らず、法に対する忍辱を起こさない。

これが八つの事柄であり、菩薩はこれによって自在となるのである。」

さらに仏は王に告げられた。「また、宝事という総持があり、菩薩がこの総持を得れば、法において自在となるのである。」

「時佛為王說寶事總持之慧,滿百千歲普分別義。王捨國事一切眾緣,專精一心,及與眷屬聽受道化,於百千歲未曾想欲,無瞋恨意,不含想害,不顧妻子、國土、眷屬,一切所有永不以計,唯願法樂,立志佛道,大慈清淨,等心一切而行大哀,被大德鎧而聽受法。如是之比具百千歲,受佛誨已,因此寶事總持之要,所作則辦。越七百萬劫終始之患,積十萬劫除諸罪殃,見億百千佛從受德本,於恒沙等作天帝釋。若為梵天、轉輪聖王,積功累德,以清淨心志御諸法,用心不亂,聞百千佛,受法不忘。時王諸子,皆悉逮得柔順法忍;中宮婇女八萬四千,普發道意,為菩薩學;八萬四千人逮得法忍;九十那術諸天人民皆發無上正真道意;三十六那術學聲聞乘得法眼淨;萬六千比丘漏盡意解。

その時、仏は王のために宝事総持の智慧を説き、百千年にわたってあまねくその意味を分別された。王は国事を捨て、すべての縁を離れ、専心一意に、眷属と共に道の教えを聴き受け、百千年の間、欲望を起こすこともなく、怒りや恨みの心もなく、害を思うこともなく、妻子や国、眷属、一切の所有に執着することなく、ただ法の喜びを願い、仏道を志し、大いなる慈しみを清らかに保ち、一切に平等の心で大いなる哀れみを施し、大いなる徳の鎧をまとって法を聴き受けた。このようなあり方で百千年を過ごし、仏の教えを受けた後、この宝事総持の要諦によって、なすべきことはすべて成し遂げられた。七百萬劫の生死の苦しみを越え、十万劫の罪の災いを除き、億百千の仏に会って功徳の根本を受け、恒河の砂の数ほどの間、天帝釈として生まれた。また梵天や転輪聖王としても、功徳を積み重ね、清らかな心で諸法を統べ、心を乱すことなく、百千の仏の教えを聞き、法を忘れることはなかった。その時、王の諸子は皆、柔順の法忍を得た。中宮の侍女八万四千人は、ことごとく菩提心を発し、菩薩の学びを志した。八万四千人が法忍を得、九十那術の天と人々は皆、無上正真の道意を発した。三十六那術の者が声聞乗を学び法眼浄を得、一万六千の比丘は漏尽意解を得た。

「無盡福王棄國捐王,不慕天上、世間諸樂,唯志無上正真之道。因家之信,出家為道而作沙門。諸子亦然,皆作沙門。時國人見王棄國,六萬人悉為沙門;中宮婇女、四大夫人亦為沙門。佛教清淨,普蒙安隱,殖諸德本,眾行具足。」

無尽の福の王は国を捨て王位を退き、天上や世間のさまざまな楽しみを求めず、ただ無上の正しい道を志した。家の信仰に基づき、出家して道を求め、沙門となった。諸子もまた同じく、皆沙門となった。時に国中の人々は王が国を捨てたのを見て、六万人がことごとく沙門となり、中宮の侍女や四大夫人もまた沙門となった。仏の教えは清らかで、広く安穏を蒙り、多くの徳の根本を培い、あらゆる行いを具足した。

佛言:「龍王!爾時無盡福王轉輪聖帝非是餘人,則爾身是也。爾時轉輪聖王諸子,今此會中諸菩薩大士是也。時彼梵首天王如來,為王無盡福所說寶事總持,則今佛所說無盡藏總持是。」

仏は言われた。「龍王よ、あの時の無尽福王転輪聖帝は、他ならぬそなた自身である。あの時の転輪聖王の王子たちは、今この会に集う諸菩薩大士たちである。あの時の梵首天王如来が、無尽福王に説かれた宝事総持は、今、私が説く無尽蔵総持にほかならない。」

佛語龍王:「今如來以無著慧觀察人本而為說法,從無央數百千億那術諸佛聞無盡藏總持,以此數聞之故,今乃如斯志念強勇,獨步無礙,辯才難及,志懷智慧。若有菩薩,聞是無盡總持之名,其有說者,皆當逮得無著辯才。所以者何?由是總持,後當來世是離垢總持所流布處,皆是如來之所建立八萬四千法藏。是總持門為首面也,八萬四千行皆來歸於總持,八萬四千三昧皆從總持,八萬四千總持無盡之藏總持為本原。」

仏は龍王に告げられた:「今、如来は執着なき智慧をもって人間の本質を観察し、それに基づいて説法する。無量の百千億那由他もの諸仏から、尽きることのない宝蔵である総持を聞いてきた。このように数多く聞いてきたゆえに、今このような強い志と勇気を持ち、何ものにも妨げられずに独り歩み、弁才は及ぶべくもなく、心には智慧を宿している。もし菩薩がこの尽きることのない総持の名を聞き、それを説く者がいれば、皆、執着なき弁才を得ることができるだろう。なぜならば、この総持によって、後の世にこの垢離の総持が広まる場所は、すべて如来によって建立された八万四千の法蔵であるからだ。この総持の門はその先頭に立つものであり、八万四千の行いもすべて総持に帰し、八万四千の三昧もすべて総持から生じ、八万四千の総持のうち、尽きることのない宝蔵である総持がその根本なのである。」

佛語龍王:「假使菩薩無住無著,於四解義則降大法雨,皆來依猗此無盡之藏。此無盡之藏總持所入正句次第順章,諸天、龍、神、香音神、無善神、鳳凰神、甜柔神皆共營護:

仏陀は龍王に語られた:「もし菩薩が執着なく、四つの解釈の意味に住することなく、大いなる法の雨を降らせれば、すべてのものがこの尽きることのない宝庫に依り頼むでしょう。この尽きることのない宝庫は、総じて保持され、正しい言葉の順序に従って章を整え、諸天、龍、神、香音神、無善神、鳳凰神、甜柔神が皆共に守り護るのです。

「緣應意 隨順意欣樂跡直意 越度無盡句 次第 曜面 光目 光英 志造淨意 行步入 勇力 濟冥 所持 為上寂門入寂滅塵離居 居善 隨順離次 無所至所住 無所住 至處無至處 要御 速慧智根轉本根月光 日轉焰 光善離垢 無垢 淨諸垢 覺所建立 諸天祐 護諸魅 告乘 梵知化 釋諮嗟 四天護 眾聖愛仙人歸 諸姓修行 解牢獄縛 天人所攝 捨諸塵勞 破壞眾魔 降伏外道 攝欲明智 開化自大 不犯法師 不亂眾會悅可樂法護於法音 不斷三寶 慈愍眾生 讚慕德義(六十二事)」

縁に応じる心、順う心、喜び楽しむ道、素直な心、無限の言葉を超え渡り、次第に、輝く顔、光る目、光り輝く英知、清らかな心を志し、行を歩み入れ、勇猛なる力、闇を救い、保つところ、最上の寂門に入り、寂滅の塵を離れて住む、善く住む、離れる次第に順い、至る所なく住む、住む所なく、至る処に至る所なく、要を御し、速やかな慧、智の根を転じ本根、月光、日は転じて焔となり、光は善く垢を離れ、無垢、諸々の垢を清め、覚りによって建立せられ、諸天の祐け、諸々の魅を護り、乗を告げ、梵は化を知り、釈は諮嗟し、四天は護り、衆聖は愛し、仙人は帰し、諸姓は修行し、牢獄の縛を解き、天人の摂するところ、諸々の塵労を捨て、衆魔を破壊し、外道を降伏せしめ、欲を摂して明智とし、自大を開化し、法師を犯さず、衆会を乱さず、楽しまれるべき法を悦び、法音を護り、三宝を断たず、衆生を慈愍し、徳義を讃え慕う(六十二事)

佛告龍王:「是諸法句,為護無盡之藏總持。其有法師受是章句六十二事,若諷誦者,得三十二無所畏。何謂三十二?博聞無畏,諮嗟他人;處處無畏,言無缺短;如應無畏,棄捐鄭重;而無所畏,隨音所入;辯才無畏,無所罣礙;其心無畏,奉受道心;其志無畏,歡悅眾人;行步無畏,速決狐疑;覺意無畏,觀察眾人;無闕無畏,言行相應;無缺無畏,戒禁清淨;心面無畏,忍辱清淨;堅強無畏,於審諦願而不轉還;所處無畏,心不謬亂;辯慧無畏,能悅眾會;智慧無畏,知深妙法;降化無畏,離於調戲;師子無畏,伏諸外道;無受無畏,無衣食悅;無瑕無畏,降伏眾賊,令住正見;無愆無畏,智者不毀;導御無畏,不亂眾經;說等無畏,隨時而教;無諂無畏,言行相應;離慢無畏,見一切人;謙順無畏,無盡句本行修善;發遣所問無畏,開化一切無量法教;隨眾無畏,己身淨故;降魔無畏,除諸塵勞;大慈無畏,心不懷害;大哀無畏,將護眾生;智慧無畏,以法治國。」

仏は龍王に告げられた:「これらの法の句は、尽きることのない宝蔵を護る総持である。この六十二の事柄からなる章句を受持する法師が、もしこれを誦するならば、三十二の無所畏を得る。いかなる三十二か。博聞無畏、人を諮嗟することに畏れなし。処処無畏、言葉に欠け短いところなし。如応無畏、鄭重を棄捐することに畏れなし。而無所畏、音声の入るに随って畏れなし。弁才無畏、何ものにも妨げられず。その心無畏、道心を奉受することに畏れなし。その志無畏、人々を歓悦することに畏れなし。行歩無畏、速やかに狐疑を決することに畏れなし。覚意無畏、人々を観察することに畏れなし。無闕無畏、言行相応することに畏れなし。無缺無畏、戒禁清浄なることに畏れなし。心面無畏、忍辱清浄なることに畏れなし。堅強無畏、審諦の願いに於いて転還せず。所処無畏、心謬乱せず。弁慧無畏、衆会を悦ばしむる能くあり。智慧無畏、深妙の法を知ることに畏れなし。降化無畏、調戯を離るることに畏れなし。師子無畏、諸の外道を伏することに畏れなし。無受無畏、衣食の悦びなし。無瑕無畏、衆賊を降伏し、正見に住せしむることに畏れなし。無愆無畏、智者毀らず。導御無畏、衆経乱れず。説等無畏、時に随って教うることに畏れなし。無諂無畏、言行相応することに畏れなし。離慢無畏、一切の人を見ることに畏れなし。謙順無畏、尽きることなき句の本行、善を修むることに畏れなし。発遣所問無畏、一切の無量の法教を開化することに畏れなし。随衆無畏、己身浄なるが故に畏れなし。降魔無畏、諸の塵労を除くことに畏れなし。大慈無畏、心に害を懐かず。大哀無畏、衆生を将護することに畏れなし。智慧無畏、法を以て国を治むることに畏れなし。」

佛語龍王:「菩薩聞是無盡之藏總持,歡喜信,便得三十二無畏。假使不斷是三十二無畏,稍稍漸成如來四無所畏、佛之所有無所畏。諸天、人前為師子吼,恣聽一切所可欲問,都無有人能來窮極如來之智,亦不敢斷佛所說。是故菩薩欲致是無所畏者,當學行無盡藏總持。何所是總持所學行?無眼行、無色行、無眼色識行;無耳行、無聲行、無耳聲識行;無鼻行、無香行、無鼻香識行;無舌行、無味行、無舌味識行;無身行、無細滑行、無身細滑識行;無心行、無法行、無心法識行。無色行、無色生行、無色滅行、無色處行;無痛、想、行、識行,無識生行、無識滅行、無識處行。一切無行,是應總持行。

仏は龍王に告げられた:「菩薩がこの尽きることのない蔵である総持を聞き、歓喜して信じるならば、三十二の無畏を得るであろう。もしこの三十二の無畏を断たなければ、次第に如来の四無所畏、仏の持つ一切の無所畏へと至る。諸天や人の前で獅子吼をなし、一切の問いを自由に聞き入れても、如来の智慧を窮め尽くす者は一人も現れず、仏の説かれたことを断じようとする者もいない。それゆえ、菩薩がこの無所畏に至ろうと願うならば、尽きることのない蔵である総持を学び行うべきである。では、総持として学び行うべきものとは何か。眼の働きなく、色の働きなく、眼と色と識の働きなし。耳の働きなく、声の働きなく、耳と声と識の働きなし。鼻の働きなく、香りの働きなく、鼻と香りと識の働きなし。舌の働きなく、味の働きなく、舌と味と識の働きなし。身の働きなく、触れの働きなく、身と触れと識の働きなし。心の働きなく、法の働きなく、心と法と識の働きなし。色の働きなく、色の生起する働きなく、色の滅する働きなく、色の存在する働きなし。受・想・行・識の働きなく、識の生起する働きなく、識の滅する働きなく、識の存在する働きなし。一切の働きが無いこと、これが総持として行うべきものである。」

「復次,龍王!其行色空,心不空色,是應總持行。痛、想、行、識,其行識空,心不空識,是應總持行。復次,其無想色行,不念無想行,是應總持行。痛、想、行、識亦復如是,其無想識行,不念無想識行,是應總持行。復次,其不斷色行,於色行無行,不色生行,不色起行,不色寂行,色如諦行,色如本淨行,亦不念色如諦、本淨行,是應總持行。痛、想、行、識亦復如是,其不斷識行,於識行無行,不識生行,不識起行,不識寂行,識如諦行,識如本淨行,亦不念識如諦、本淨行,是應總持行。復次,於種由法界行,不想法界行,不想法界諸入本淨空行,不想本淨空,是應總持行。若一切法緣起之行,不想緣起,是應總持行。不著諸法行,不猗不著行,是應總持行。諸法如本無行,不壞諸法本無之行;若於諸法住本際行,不念本際住諸法行,是應總持行。復次,其知貪欲行,不於法界想念貪欲行,是應總持行。其知瞋恚行,不於法界想瞋恚行,是應總持行。其知愚癡行,不於法界想愚癡行,是應總持行。其等分行,不於等分行於法界有所壞行;若於八萬四千諸所修行,入于法界無若干行,是應總持行。若行、若合行,於行、合行而無所行,亦無不行。所以者何?其行無量亦無所度,亦無所想,是故彼行為平等行。於平等行亦無所毀,亦不有為,亦不無為,亦不受,亦無不受,無處無住,故曰平等行。菩薩行如是,則得無盡藏總持之門也。」

さらに、龍王よ。色が空であると行じながら、心は色を空じない。これが応じる総持の行である。受・想・行・識についても、識が空であると行じながら、心は識を空じない。これが応じる総持の行である。

さらに、無想の色を行じながら、無想の行を念じない。これが応じる総持の行である。受・想・行・識もまた同様に、無想の識を行じながら、無想の識の行を念じない。これが応じる総持の行である。

さらに、色を断たずに行じながら、色の行において行じることがなく、色が生じる行ではなく、色が起こる行ではなく、色が寂滅する行ではない。色が真実のままに行じ、色が本来清浄であるままに行じ、また色が真実であり本来清浄である行を念じない。これが応じる総持の行である。受・想・行・識もまた同様に、識を断たずに行じながら、識の行において行じることがなく、識が生じる行ではなく、識が起こる行ではなく、識が寂滅する行ではない。識が真実のままに行じ、識が本来清浄であるままに行じ、また識が真実であり本来清浄である行を念じない。これが応じる総持の行である。

さらに、種々の法界を行じながら、法界の行を想わず、法界の諸入が本来清浄で空である行を想わず、本来清浄の空を想わない。これが応じる総持の行である。もし一切の法が縁起する行であれば、縁起を想わない。これが応じる総持の行である。諸法に執着せずに行じ、依りどころとせず執着しない行。これが応じる総持の行である。諸法が本来無いままに行じ、諸法の本来無い行を壊さない。もし諸法において本際に住する行であれば、本際に住して諸法を行じることを念じない。これが応じる総持の行である。

さらに、貪欲を知り行じながら、法界において貪欲の行を想わない。これが応じる総持の行である。瞋恚を知り行じながら、法界において瞋恚の行を想わない。これが応じる総持の行である。愚癡を知り行じながら、法界において愚癡の行を想わない。これが応じる総持の行である。等分を行じながら、等分の行において法界を何か壊すような行をしない。もし八万四千の諸々の修行において、法界に入って若干の行がないならば、これが応じる総持の行である。

もし行じ、もし合わせて行じるならば、行じ、合わせて行じることにあって行じることもなく、また行じないこともない。なぜならば、その行は無量であり、また度することもなく、また想うこともないからである。それゆえ、その行は平等の行である。平等の行においてもまた壊すこともなく、また有為でもなく、また無為でもなく、また受けず、また受けずということもなく、処なく住まない。ゆえに平等の行というのである。

菩薩がこのように行ずれば、すなわち無尽蔵の総持の門を得るのである。

於是世尊則說頌曰:

そこで世尊は次の偈を説かれました。

「其人心意則清淨, 普入經卷度無極,
悉解眾人之音聲, 得總持時乃如是。
觀知群萠心所行, 善惡所念及中間,
分別本性所造興, 則為說法隨所應。
悉了因緣之報應, 令不覩常及無常,
皆以棄捐墮邊際, 分別總持隨順化。
明解文字之方便, 知無央數之音響,
曉了義理微妙好, 得總持者乃如是。
逮得天眼無垢污, 天耳清淨亦如是,
無量智慧知眾行, 念億千劫去來事。
獲四神足亦如是, 至無量國須臾頃,
供無數億諸導師, 聞所講法則總持。
若干億魔至百千, 不能覩知境界行,
清淨之人無塵埃, 講說經法無數千。
譬如蓮華無著水, 不猗世法亦如是,
常以解脫諸有無, 等心一切如虛空。
持最色相而勇猛, 眾人觀仰無厭足,
進止安詳行無缺, 愍傷群萠故遊世。
天帝釋梵及護世, 皆以恭敬稽首禮,
其心不以憍慢說, 得總持時亦如是。
口言柔軟如梵音, 為眾人說可其心,
溫潤流利言得時, 所可教化無所覆。
在於眾中無所畏, 為師子吼妙無難,
降伏一切眾麁人, 得淨總持為如是。
其諛諂人難調化, 興于憍傲而自大,
聞彼聖明所說法, 即棄貢高稽首禮。
入於本淨寂法界, 以達義歸解諸法,
以故所說無窮已, 分別文字知法律。
人之本性法界淨, 曉眾生淨亦如是,
解知本無人本無, 所說經法無罣礙。
所盡無盡不可知, 無盡之事無能盡,
覺了知是趣寂寞, 則說無住億經卷。
斯諸文字不處身, 亦不在意不住心,
文字本性空寂寞, 譬如山中呼聲響。
計總持者不著字, 無音無言無說聲,
以知文字所趣然, 假使所說無罣礙。
無意無想亦無心, 設有所說無所念,
又復解知去法慧, 講順說經隨所應。
以入分別四句義, 曉了義理明識法,
究暢音聲順所聽, 故講無著不可量。
翫習本原承其慧, 故說深要若干法,
所解之慧了逆順, 有趣頂法度無極。
方便所有諸怯弱, 以用救攝諸卒暴,
明識所作為解說, 得總持者乃如是。
其身口意皆已寂, 分別諸慧不著古,
所言無厭除瞋恨, 得住總持為勇猛。
其所總持心執御, 意之所入住法慧,
其有聞者未曾忘, 順如聽采等經典。
其總持義法不亂, 計法行之無所入,
以法等故曰平等, 如應平等順清淨。」

その人の心は清らかに澄み、 広く経典の海に分け入りて、限りなく衆生を救う。 あらゆる人々の言葉を理解し、 総持を得た者はこのようである。

群れなす衆生の心の行いを知り、 善悪の思いとその間のことを見極め、 それぞれの本性が生み出すものを識別し、 応じた法を説く。

因縁とその報いをことごとく了知し、 常も無常も見えぬ境地に至らしめ、 すべての偏りを捨て去り、 総持に従って順縁に教化する。

文字の巧みな使い方を明らかに知り、 数えきれぬほどの音響を知り、 微妙で優れた義理を理解する、 総持を得た者はこのようである。

清らかな天眼を得、 清らかな天耳もまた同じく、 無量の智慧をもって衆生の行いを知り、 億千劫の過去未来のことを念じる。

四神足を得ることもまた同じく、 無量の国へ瞬く間に至り、 数えきれぬ導師たちを供養し、 聞いた教えをすべて総持する。

幾億もの魔が百千と来ても、 その境地の行いを見知ることはできぬ。 塵埃なき清らかな人は、 数えきれぬ経法を説く。

たとえば蓮華が水に染まぬように、 世の法にも寄りかからず、 常に有無から解脱し、 一切を虚空のように平等に見る。

最上の相を保ち勇猛で、 人々は飽くことなく仰ぎ見る。 進退安詳にして行いに欠けなく、 群れなす衆生を哀れみ、世に遊ぶ。

天帝・梵天・護世の神々も皆、 恭しく礼拝して頭を地に付ける。 その心は驕り慢ることなく説く、 総持を得た時もまたこのようである。

口の言葉は柔らかく梵音のごとく、 人々の心にかなうように説く。 温かく潤い流れるような言葉は時を得て、 教化すべきものを覆うことなく明らかにする。

大衆の中にあっても畏れなく、 獅子吼のように妙にして難なく、 一切の粗暴な人々を降伏させ、 清らかな総持を得た者はこのようである。

おもねり諂う人は調伏し難く、 驕り高ぶって自らを大きくするが、 かの聖明の説く法を聞けば、 即ち高慢を捨てて頭を地に付ける。

本来清らかで寂たる法界に入り、 義の帰趣に達して諸法を解し、 ゆえに説くこと尽きることなく、 文字を分別して法の律を知る。

人の本性は法界のように清らかで、 衆生の清らかさもまた同じく知る。 本来人もなく、本も無いことを解知し、 説く経法には何の妨げもない。

尽きることなきものは知り難く、 尽きることなきことを尽くすことはできない。 これを覚り知って寂静に趣けば、 無住の億の経巻を説く。

これらの文字は身に留まらず、 意にも留まらず、心にも住まない。 文字の本性は空しく寂静で、 たとえば山中に響く呼び声のようである。

総持を考える者は文字に執着せず、 音もなく言葉もなく説く声もない。 文字の趣くところを知るがゆえに、 たとえ説くことがあっても妨げはない。

意もなく想いもなく心もなく、 もし説くことがあっても何も念じない。 さらに去る法の慧も解知し、 応じた経典を順縁に説く。

四句の義を分別して入り、 義理を了知して法を明らかに識り、 音声を究め暢げて聞く者に順じ、 ゆえに説くことは無著で量り難い。

本原を玩味してその慧を継承し、 ゆえに深く要なる種々の法を説く。 解した慧は逆順を了知し、 頂法に趣いて限りなく救い渡す。

方便をもってすべての怯弱を救い、 それを用いて突然の暴悪を摂取する。 なすべきことを明らかに識って解説する、 総持を得た者はこのようである。

その身口意はすでに寂静であり、 諸々の慧を分別しても古いものに執着せず、 説くことに飽きることなく瞋恨を除き、 総持に住して勇猛である。

その総持は心が執り行い、 意は法の慧に入って住する。 聞いた者は一度も忘れることなく、 聞き採った経典のように順じる。

その総持の義は法と乱れず、 法の行いを考えても入るところはない。 法が等しいゆえに平等と曰い、 応じた平等は清らかさに順う。


6 總持身品(二)
8 分別名品(二)

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