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釈氏要覧 (釋氏要覽)


法衣

法衣

衣

衣

釋名曰。服上曰衣。衣依也。所依以庇寒暑也。左傳曰。衣身之章也。白虎通曰。衣者隱也。所以隱形也。文子曰。衣足以蓋形。以禦風寒也。西天出家者衣。律有制度。應法而作。故曰法衣(西天一切帛未剪者皆呼為衣)。

『釈名』にこうあります。上半身に着るものを「衣」といいます。「衣」は「依」、身を依りどころとして寒暑を防ぐものという意味です。『左伝』には「衣は身の章(あや)なり」とあります。『白虎通』には「衣とは隠すもの、形を隠すためのものである」とあります。『文子』には「衣は形を覆い、風寒を防ぐに足るものである」とあります。西天(インド)で出家する者の衣は、律に制度があり、法にかなって作られるので、法衣といいます(西天では、すべての布でまだ裁断していないものを「衣」と呼びます)。

二衣

二衣

『文子』には「衣は形を覆い、風寒を防ぐに足るものである」とあります。西天(インド)で出家する者の衣は、律に制度があり、法にかなって作られるので、法衣といいます(西天では、すべての布でまだ裁断していないものを「衣」と呼びます)。

謂聽制二衣也○瑜伽論問云。何開聽謂佛於毘奈耶中。開許一切能無染污。現所受用資生因緣。云何制止。謂佛於毘奈耶中。制止一切自性罪法。違無罪法故(向下聽制篇義同此也。謂律中佛有聽衣。制衣故云二衣也)。

聴と制の二衣を説くものです。○『瑜伽論』に問うて言います。「何が開聴か。仏が毘奈耶(律)の中で、すべて汚れのない、現に受用する資生の因縁となるものを開いて許すことです。何が制止か。仏が毘奈耶の中で、すべて自性罪の法を制止することです。無罪の法に違するからです」と(以下の聴制篇の意味もこれと同じです。律の中で仏に聴衣があり、制衣があるので、二衣と言うのです)。

三衣

三衣

蓋法衣有三也。一僧伽梨(即大衣也)。二欝多羅僧(即七條也)三安陀會(即五條也。此是三衣也。若呼七條。偏衫。裙。為三衣者。誤之也)。慧上菩薩經云。五條名中著衣。七條名上衣。大衣名眾集時衣○四分律云。應作安陀會。儭體衣。欝多羅僧。僧伽梨。入聚落著○增輝記云。三衣之名。無正翻譯。皆從人強名之也。謂。見安陀會。有五幅。便喚作五條。見欝多羅僧有七幅。便呼為七條。見大衣條數多。故名雜碎衣也。夫大衣者。三衣中主。最為殊勝故。若從用名。入王宮時入聚落時衣也。七條名中價衣。謂不貴大衣不賤五條故。若從用名入眾衣也。五條名下衣。謂在七條下故。若從用名園中行道雜作衣也(園即寺院)○雜阿含經云。修四無量者。並剃除鬚髮服三法衣○僧祇律云。三衣者賢聖沙門之摽幟也○四分律云。三世如來。並著如是衣○智度論云。佛弟子。住於中道。故著三衣○薩婆多論云。欲現未曾有法故。九十六種外道無此三名。為異外道故。著三衣○華嚴經云。為捨離三毒故○戒壇經云五條斷貪。身業也。七條斷嗔。口業也。大衣斷癡。心業也。○增輝記問云。何不增四。咸二。惟三也。答三奇數屬陽。陽能生萬物。今制三衣。表生萬善。取益物之義也。

法衣には三つあります。第一に僧伽梨(すなわち大衣です)、第二に欝多羅僧(すなわち七条です)、第三に安陀会(すなわち五条です。これが三衣です。もし七条・偏衫・裙を三衣と呼ぶならば、それは誤りです)です。

『慧上菩薩経』にこう説かれています。五条は中著衣といい、七条は上衣といい、大衣は衆集時衣といいます。

『四分律』にこう説かれています。安陀会を作るべきです。これは体に親しむ衣です。欝多羅僧、僧伽梨は、聚落に入るときに着ます。

『増輝記』にこう説かれています。三衣の名称には、正しい翻訳がありません。みな人にしたがって無理に名づけたものです。すなわち、安陀会を見ると五幅あるので、そのまま五条と呼び、欝多羅僧を見ると七幅あるので、そのまま七条と呼び、大衣は条の数が多いので、雑碎衣と名づけたのです。そもそも大衣は、三衣のうちの主であり、最も殊勝であるからです。もし用途から名づけるならば、王宮に入るときの衣、聚落に入るときの衣です。七条は中価衣といいます。大衣を貴ばず、五条を賤しまないからです。もし用途から名づけるならば、入衆衣です。五条は下衣といいます。七条の下にあるからです。もし用途から名づけるならば、園中行道雑作衣です(園とは寺院のことです)。

『雑阿含経』にこう説かれています。四無量を修める者は、みな鬚髪を剃り除き、三法衣を着ます。

『僧祇律』にこう説かれています。三衣とは、賢聖の沙門の標幟です。

『四分律』にこう説かれています。三世の如来は、みなこのような衣を着られました。

『智度論』にこう説かれています。仏弟子は中道に住するがゆえに、三衣を着ます。

『薩婆多論』にこう説かれています。いまだかつてない法を現すためです。九十六種の外道にはこの三つの名称がありません。外道と異なるためです。それゆえ三衣を着ます。

『華厳経』にこう説かれています。三毒を捨離するためです。

『戒壇経』にこう説かれています。五条は貪を断ち、身業です。七条は嗔を断ち、口業です。大衣は癡を断ち、心業です。

『増輝記』の問いにこうあります。どうして四にも五にもせず、ただ三つなのでしょうか。答えていいます。三は奇数で陽に属し、陽は万物を生み出すことができます。いま三衣を定めるのは、万善を生み出すことを表し、物を益する意味を取るのです。

統名

三つの名を統べる

袈裟者。蓋從色彰稱也。梵音具云迦羅沙曳。此云不正色○四分律云。一切上色衣不得畜。當壞作迦沙色。今略梵語也又名壞色○業疏云。本作迦沙。至梁葛洪撰字苑下方添衣。言道服也。

袈裟とは、もともと色によってその名が示されたものです。梵語を完全に表すと「迦羅沙曳」といい、漢訳では「不正色」といいます。『四分律』には、「あらゆる上色の衣は蓄えてはならず、必ず壊して迦沙色にすべきである」と説かれています。今の「袈裟」は梵語を略したものです。また「壊色」ともいいます。『業疏』には、「もとは迦沙と書いたが、梁の葛洪が撰した『字苑』に至って、下に衣の字を添えた。道服のことをいうのである」とあります。

別名

別名

大集經云。袈裟名離染服○賢愚經云出世服○如幻三昧經云。無垢衣。又名忍辱鎧。又名蓮華衣。謂不為欲泥染故。又名幢相謂不為邪所傾故。又名田相衣。謂不為見者生惡故。又名消瘦衣。謂著此衣煩惱消瘦故。又名離塵服。去穢衣。又名振越。

『大集経』には、袈裟を「離染服」と呼ぶとあります。『賢愚経』には「出世服」とあります。『如幻三昧経』には「無垢衣」といい、またの名を「忍辱鎧」といい、またの名を「蓮華衣」といいます。欲望の泥に染まらないからです。またの名を「幢相」といい、邪なものによって傾かないからです。またの名を「田相衣」といい、これを見る人が悪心を起こさないからです。またの名を「消瘦衣」といい、この衣をまとうと煩悩が痩せ細るからです。またの名を「離塵服」「去穢衣」といい、またの名を「振越」といいます。

大衣有三品九種

大衣には三品・九種があります。

薩娑多論云。僧伽梨有三品。自九條。十一條。十三條名下品衣。皆兩長一短作。十五條。十七條。十九條。名中品衣。皆三長一短作。二十一條。二十三條。二十五條。名上品衣。皆四長一短作○增輝記問。七條何品攝。答下品攝。以兩長一短作故(律中三衣。各有廣長肘量既佛言度身而衣更不錄也)。

薩婆多論にこう説かれています。僧伽梨(大衣)には三品があります。九条・十一条・十三条は下品の衣と名づけ、いずれも二長一短で作ります。十五条・十七条・十九条は中品の衣と名づけ、いずれも三長一短で作ります。二十一条・二十三条・二十五条は上品の衣と名づけ、いずれも四長一短で作ります。

増輝記に問いがあります。七条はどの品に含まれるのでしょうか。答えは下品に含まれます。二長一短で作るからです(律において三衣には、それぞれ広さと長さの肘量がありますが、すでに仏が「身に合わせて衣を作るように」と説いておられるので、ここでは改めて記しません。)。

五部衣色

五部の衣の色

舍利弗問經云。摩訶僧祇部。勤學眾經。宣講真義。以處本居中。應著黃色衣。曇無德部。通達理味。開導利益。表發殊勝。應著赤色衣。薩婆多部。博通敏達。以導法化。應著皂色衣。迦葉彌部。精勤勇猛。攝護眾生。應著木蘭衣。彌沙塞部。禪思入微。究暢幽密。應著青色衣(謹按四分律云上色衣不得畜。當壞作迦沙色。今曇無德部。即四分所宗自著赤衣。是南方正色。與諸部皆競違佛制。今試論之。以累見天竺來僧衣色證知皆似色也應是譯人以壞色難名。故托指青黃赤皂等)。

舎利弗問経にこう説かれています。摩訶僧祇部は、諸々の経典を勤めて学び、真の義を宣講します。本処が中央に位置することから、黄色の衣を着るべきです。曇無徳部は、理の味わいを通達し、開導して利益を与え、殊勝なことを表し示します。赤色の衣を着るべきです。薩婆多部は、広く通じ敏く達して、法化を導きます。皂色の衣を着るべきです。迦葉弥部は、精勤勇猛にして衆生を摂護します。木蘭の衣を着るべきです。弥沙塞部は、禅思が微に入り、幽密を究めて暢べます。青色の衣を着るべきです。

(謹んで四分律を按ずるに、上色の衣は蓄えることを得ず、まさに壊して迦沙色と作すべきです。今、曇無徳部は、すなわち四分律の宗とする所でありながら、自ら赤衣を着けています。これは南方の正色であり、諸部はいずれも競って仏の制に違しています。今、試みにこれを論じますに、天竺から来た僧の衣色を累ね見たことに照らして証知するに、いずれも似色のようです。まさに訳者が壊色は名づけ難しとしたため、青・黄・赤・皂などを指して託したのでしょう。)

問五部衣得取次著否

問い:五部の衣は、受け取ってから次に着ることができるのでしょうか。

答舍利弗問經云。有比丘羅旬。以薄福故。乞食不得。後以五部衣。更互著之。便得大飲食。故佛言我法出家。純服弊帛。因羅旬故。聽受種種衣。

舎利弗の問いに対する答えの経典にこうあります。比丘の羅旬は福が薄いために、托鉢をしても食べ物を得られませんでした。そこで五部の衣を交互に着替えて着ると、たちまち多くの飲食物を得ることができました。それゆえ仏は「私の法では出家する者はもっぱら粗末な布をまとう」と説かれましたが、羅旬のことがあったため、さまざまな衣を受けることが許されたのです。

紫衣

紫衣

此非五部衣色。乃是國朝賜沙門故今尚之。僧史略云。按唐書。則天朝有僧法朗等九人。重譯大雲經畢。並賜紫袈裟。銀龜袋。此賜衣之始也。自後諸代皆行此賜。至大宋太平興國初。許四海僧入殿庭。乞比試三學。下開封府。差僧證經律論義。十條全通。乃賜紫衣。號為手表僧。以其面手進表也。尋因功德使奏。今天下一家。不須手表求選勅依自此每遇 皇帝誕節。親王宰輔。節度下至正刺史。得上表薦所知僧道紫衣惟兩街僧錄所薦得入內是日授門下牒。給紫衣。四事。謂之簾前紫。此最榮觀也。然此衣。以國恩故得著。極不容易。皆形相分。按東觀奏記云。大中年。大安國寺僧修會能詩應制。才思清拔。一日聞帝乞紫衣。帝曰。不於汝怪但觀汝相有闕未賜也。及賜著歸寺。忽暴病而卒。近代亦屢有此人焉。

これは五部の衣の色ではありません。国朝が沙門に賜ったものなので、今もなおそれを用いています。『僧史略』にこうあります。『唐書』によれば、則天武后の朝廷に法朗という僧ら九人がいて、『大雲経』を重訳し終えると、そろって紫の袈裟と銀の亀袋を賜りました。これが賜衣の始まりです。それ以後、どの代もこの賜り物を行いました。大宋の太平興国初年になると、天下の僧が殿庭に入り、試験を乞うことが許されました。開封府に命じて僧を差し向け、経・律・論の義を証させ、十条すべてに通じた者に紫衣を賜い、「手表僧」と称しました。自ら面と手をもって表を差し出すからです。ほどなく功徳使の奏上により、「今や天下は一家であり、手表によって選を求めるには及ばない」との勅が下り、これに従いました。以来、皇帝の誕生日ごとに、親王や宰輔、節度使から正刺史に至るまで、知る僧道を上表して推薦することができ、紫衣はただ両街の僧録が推薦した者だけが内に入ることを許され、その日に門下の牒を授けられ、紫衣と四事を給されました。これを「簾前紫」といい、これが最も栄えある光景です。しかしこの衣は、国恩によって着ることができるのであって、きわめて容易ではありません。みな形相によって区別されます。『東観奏記』によれば、大中年間、大安国寺の僧修会は詩に巧みで応制し、才思は清らかで抜きんでていました。ある日、帝に紫衣を乞うたところ、帝は「汝を怪しむのではない。ただ汝の相に欠けたところがあるので、まだ賜わないのだ」と言いました。やがて賜って寺に帰ると、にわかに病を得て亡くなりました。近ごろもまた、たびたびこのような者がいます。

染色

染色

律有三種壞色。謂。青。黑。木蘭。鈔云青謂銅青。黑謂雜泥(即溝瀆中泥)。木蘭即樹皮(此說壞新衣之色也。今云。染色亦無出此三也。今詳禪僧多著墨黲衣若深色者。可是律中皂黑衣攝緣用墨靛與雜泥不遠故若淡而青白者可是律中青衣攝以用銅青板緣雜墨染故)。

律には三種の壊色があります。すなわち、青・黒・木蘭です。鈔には「青とは銅青のこと、黒とは雑泥のこと(すなわち溝や下水の泥です)、木蘭とは樹皮のこと」とあります(これは新しい衣の色を壊す(くすませる)色についての説です。今の説では、染色もまたこの三色を出るものはありません。今詳らかにするに、禅僧は多く墨黲の衣を著し、もし深い色であれば、これは律の皂黒衣に摂められるでしょう。縁に墨や藍を用いるのは雑泥と遠くないからです。もし淡くて青白いものであれば、これは律の青衣に摂められるでしょう。銅青や板縁を用い、雑墨で染めるからです)。

物體

物体

准律有十種。不越布絹紬三也。須是厚熟緻(密也)者○五百問經云。三衣得用生絹作否答一切生物但不現身者得(律中遮此經開)。

律によれば十種ありますが、布・絹・紬の三つを越えるものではありません。厚く熟した緻密なものでなければなりません。

○『五百問経』にこう説かれています。「三衣は生絹で作ってもよいでしょうか」と問うと、「生き物のものでも、身に現れないもの(模様など)であれば用いてよい」と答えています。

田相緣起

田相縁起

僧祇律云。佛住王舍城。帝釋石窟前經行。見稻田畦畔分明。語阿難言。過去諸佛衣相如是。從今依此作衣相○增輝記云。田畦貯水。生長嘉苗。以養形命。法衣之田。潤以四利之水。增其三善之苗。以養法身慧命也。

『僧祇律』にこう説かれています。仏が王舎城の帝釈石窟の前を経行されていたとき、稲田の畦畔がはっきりと区切られているのをご覧になり、阿難にこう告げられました。「過去の諸仏の衣の相はこのようでした。これからは、これに従って衣の相を作りなさい」と。

『増輝記』にこう説かれています。田の畦は水を蓄え、よく育った苗を生長させて、身体と命を養います。法衣の田もまた、四利の水で潤し、三善の苗を増やして、法身と慧命を養うのです。

作法

作法

毘奈耶云。僧伽梨。得兩重作(義淨云。僧伽胘。唐言重復衣)。若三重作者。得惡作罪(自九條至二十五條。得用物夾作)○四分律云。大衣七條。要割截作。若五條。得襵葉作○準律。大衣服五日成。七條四日。成。五條二日成。限日不成。尼犯墮。比丘犯突吉羅罪。非本工故○(僧祇)律云。若作衣餘人助作。恐限日不成。應麁行針。急成竟受持。後更細㓨○南山大師章服儀云。諸律成衣。隨其豐儉。先其本制。如僧伽梨。欲創裁者。二十五條。財少以次減之。乃至九條七條。又不足乃縵作又云。今有情纏嗜好。自迷針縷。動必資人。但論㓨作之纖媚。不計工價之高下。或有雇縫之直。倍於衣價履歷荒孀。譏過斯負(抄略不次)。

毘奈耶に云います。僧伽梨は二重に作ることができます(義浄が云うには、僧伽胘とは、唐の言葉で重復衣のことです)。もし三重に作れば、悪作の罪を得ます(九条から二十五条に至るまで、物を挟んで作ることができます)。

○四分律に云います。大衣と七条は、必ず裁ち切って作らなければなりません。五条であれば、襵葉に作ることができます。

○律に準じますと、大衣は五日で仕上げます。七条は四日で仕上げます。五条は二日で仕上げます。期限の日までに仕上げなければ、尼は堕罪を犯し、比丘は突吉羅の罪を犯します。本来の仕事ではないからです。

○(僧祇)律に云います。衣を作るときに他の人が手伝って作り、期限の日までに仕上がらないことを恐れるなら、粗く針を運んで急いで仕上げ、受持した後に、改めて細かく縫うてよいのです。

○南山大師の章服儀に云います。諸律では衣を仕上げるのに、その豊かさや乏しさに従い、まず本来の制に従います。たとえば僧伽梨を作ろうとするなら、二十五条を本とし、財が少なければ順次減らして、ついには九条・七条とします。それでも足りなければ、さらに縵に作ります。また云います。今の有情は嗜好にまとわりつかれ、自ら針や糸に迷い、事を行うには必ず人に頼ります。ただ縫い方の細やかで美しいことだけを論じ、工賃の高い低いを計りません。あるいは縫う賃金を雇うのに、衣の価の倍もかけることがあります。荒れた孀婦の身には、この負い目が譏られます(抄略して順序は整っていません)。

明孔

明孔

三衣葉上不㓨合處。謂之明孔。有云若田畦入水之竇。按根本百一羯磨。淨三藏云。西國三衣。並皆㓨合。唯東夏開而不縫。詳觀律檢。實無開法。

三衣は葉の上で合わせ目を刺し合わせないことがあります。これを「明孔」といいます。ある説では、田の畦が水を取り入れる穴のようなものだともいいます。根本百一羯磨を調べますと、浄三蔵はこう述べています。「西方の国では三衣はすべて刺し合わせて仕立てます。ただ東の夏(中国)では開いたままで縫い合わせません」と。律の規定を詳しく見てみますと、実際に開いたままにするという作法は見当たりません。

縵衣

法衣

梵音鉢吒。唐言縵條。即是一幅㲲量以。三衣等。但無田相者是(西國㲲幅只闊故)。自佛法至漢。涉一百八十七年。凡出家者。未識割截法只著此衣。

梵語では「鉢吒」といい、漢語では「縵条」といいます。これは一幅の㲲の量で、三衣などと同じですが、ただ田相がないものです(西域の㲲は幅がただ広いからです)。仏法が漢の地に伝わってから百八十七年、出家した人々は割截の作法を知らず、ただこの衣を着ていただけでした。

貼相

貼り付け相

此法自縵條起也。十誦律云比丘居山野。許著縵條衣。不許著入聚落。應於衣上。貼作田相。又云。比丘貧少衣。不能割截應於衣上安貼。若五七九條。若過十五條等。

この法は縵条から始まります。『十誦律』に次のように説かれています。比丘が山野に住むときは、縵条の衣を着ることを許されていますが、聚落に入るときに着ることは許されていません。衣の上に田の相を貼り付けて作るべきです。また、次のようにも説かれています。比丘が貧しく衣が少なく、切り裁つことができないときは、衣の上に貼り付けるべきです。五条、七条、九条、あるいは十五条を超えるものなどです。

納衣

納衣

又名五納衣。謂衣有五種故。十誦律云。一有施主衣。二無施主衣。三往還衣(酉夭人亡衣屬以衣贈送至林却取施僧)四死人衣。五糞掃衣。此自有五種。一道路棄衣(脫厄衣也)二糞掃處衣。三河邊棄衣。四蟻穿破衣。五破碎衣。又有五種。一火燒衣。二水漬衣。三鼠咬衣。四午嚼衣。五嬭母棄衣。已上衣。天竺人諱忌故。棄之以不任用義同糞掃故。共納成衣。名糞掃衣也。律云。一切上色不得直用。並須染作迦沙色。今言毳者即是細毛為衣也○智度論云。佛意欲令弟子隨順道行。捨世樂故。讚十二頭陀。如初度五比丘。白佛當著何等衣。佛言應著納衣○十誦云。若納衣不貼田相。不詐披入聚落○此衣有十利。一在麁衣數。二少所求索。三隨意可坐。四隨意可臥。五浣濯易。六少虫禳。七染易。八難壞。九更不餘衣十不失求道。又云。體是賤物離自貪故。不為盜所貪。常得資身故。少欲者須濟形苦故上士著之。

別名を五納衣ともいいます。衣に五つの種類があるからです。『十誦律』にはこう説かれています。第一は施主の衣、第二は施主のない衣、第三は往還衣(酉夭人亡衣属以衣贈送至林却取施僧=人に贈られて林まで送られ、のちに取り戻して僧に施される衣)、第四は死人衣、第五は糞掃衣です。これには自ら五つの種類があります。第一は道路に捨てられた衣(厄を脱いだ衣のことです)、第二は糞掃の場所の衣、第三は川辺に捨てられた衣、第四は蟻が穴をあけた破れ衣、第五は粉々に破れた衣です。また五つの種類があります。第一は火で焼けた衣、第二は水に漬かった衣、第三は鼠がかじった衣、第四は牛が噛んだ衣、第五は乳母が捨てた衣です。以上の衣は、天竺の人々が忌み嫌うため、捨てて用いないという意味が糞掃と同じであることから、ともに納めて一つの衣とします。これを糞掃衣と名づけるのです。律にはこう説かれています。すべて上色のものはそのまま用いてはならず、みな迦沙色に染めなければなりません。今「毳」というのは、すなわち細い毛で作った衣のことです。○『智度論』にはこう説かれています。仏の御心は、弟子たちが道に随順して行じ、世間の楽しみを捨てるようにさせたいと願われたので、十二頭陀を讃嘆されました。たとえば初めに五比丘を度されたとき、彼らが仏に「どのような衣を着るべきでしょうか」と申し上げると、仏は「納衣を着るべきです」と言われました。○『十誦律』にはこう説かれています。もし納衣に田相を貼らなければ、偽ってこれを着て聚落に入ってはなりません。○この衣には十の利益があります。第一は麁衣の数に入ること、第二は求めるものが少ないこと、第三は思いのままに坐れること、第四は思いのままに臥せれること、第五は洗濯が容易なこと、第六は虫が少ないこと、第七は染めやすいこと、第八は壊れにくいこと、第九はさらに他の衣を必要としないこと、第十は求道を失わないことです。またこう説かれています。その体は賤しい物であり、自らの貪りを離れるため、盗賊に狙われず、常に身を養うことができます。少欲の者は形の苦しみを済う必要があるため、上士はこれを着るのです。

著衣功過

着衣の功徳と過失

佛告阿難。衣有二種。謂可親。不可親若著好衣。益其道心。此可親。若損道心。此不可親。是故。或從好衣得道。或從弊衣得道。所悟在心。不拘形服○智度論云。佛言從今日。若有比丘。一心求涅槃。背捨世間者。我聽著價直十萬兩金衣。食百味食。

仏が阿難に告げられました。「衣には二種類あります。すなわち、親しむべき衣と、親しむべきでない衣です。もし良い衣をまとうことで道心が増すなら、これは親しむべき衣です。もし道心を損なうなら、これは親しむべきでない衣です。ですから、ある者は良い衣によって道を得、ある者は粗末な衣によって道を得ます。悟りは心にあり、形や服装にこだわるものではありません。」

『智度論』にはこう説かれています。「仏が言われました。今日から、もし比丘が一心に涅槃を求め、世間を背いて捨てるなら、私はその者が十万両の金に値する衣をまとうことを許し、百味の食を食べることを許します。」

袈裟五種功德

袈裟の五つの功德

悲華經云。佛於寶藏佛前。發願成佛時。袈裟有五種功德。一入我法中。犯重邪見等。於一念中。敬心尊重。必於三乘受記。二天龍人鬼。若能敬此袈裟少分。即得三乘不退。若有鬼神諸人。得袈裟乃至四寸。飲食充足。四若眾生共相違背。念袈裟力尋生悲心。五若持此少分。恭敬尊重。常得勝他。

『悲華経』にこう説かれています。仏が宝蔵仏の前で、成仏を願われたとき、袈裟には五つの功徳があります。

一に、私の教えの中に入って重罪を犯し、邪見を持つ者などでも、一念のうちに敬いの心で袈裟を尊ぶなら、必ず三乗の授記を受けることができます。

二に、天・龍・人・鬼が、この袈裟を少しでも敬うなら、ただちに三乗から退くことがありません。

三に、もし鬼神や人々が袈裟を四寸ほどでも手に入れるなら、飲食に不足することがありません。

四に、もし衆生が互いに背き争うことがあっても、袈裟の力を念じるなら、ただちに悲しみの心が生じます。

五に、もしこの袈裟を少しでも身につけ、恭敬し尊重するなら、常に他に勝ることができます。

八法信重

八つの法を信じ重んじること

經云。袈裟聖人表式。隨順寂滅行。慈悲心。離欲者之所應服。是故。出家者身披袈裟若未得沙門果者應以八法敬重。何等八法。應起塔想。寂滅想慈悲想。如佛想。慚愧想。令我來世離貪恚癡。具沙門想。

経典にこう説かれています。「袈裟は聖人の表式であり、寂滅の行に随順し、慈悲の心を備えた、欲を離れた者がまとうべきものです。ですから、出家した者が身に袈裟をまとっていても、まだ沙門の果を得ていないなら、八つの法をもって敬い重んじるべきです。八つの法とは何でしょうか。塔を思う心を起こすこと、寂滅を思うこと、慈悲を思うこと、仏のように思うこと、慚愧を思うこと、私の来世が貪・恚・癡を離れるようにと願うこと、沙門を具えることを思うことです。」

受持衣法

衣を保持する法

毘奈耶云僧伽肱(大衣)是衣中主。是故不得隨處著用若入聚落時。乞食時。隨噉食時。入眾時。禮制底時。聽法時。禮拜二師及禮同梵行者時。皆可披大衣。若嗢多羅僧(七條)。應於淨處著及諸作業(業謂習誦等事)。若安咀婆娑(五條)。任於何處隨意著用無犯○五百問云。若無中衣(七條)。得著大衣上講禮拜。五條亦得著入眾食禮拜等○十誦律云。著大衣不得摙石土木草及掃地。敷坐臥具不得脚踏不得曳地。若去村遠。即疊於肩上。近村有池。汪即洗手足。無水。以草水葉拭塵土。然後著衣。

毘奈耶に云く、僧伽肱(大衣)はこれ衣の中の主なり。このゆえに随処に著用することを得ず。もし聚落に入る時、乞食する時、随って食を噉む時、衆に入る時、制底を礼する時、法を聴く時、二師を礼拝しおよび同梵行者を礼する時は、みな大衣を披くべし。もし嗢多羅僧(七条)は、浄処に著しおよび諸の作業(業とは習誦などの事を謂う)にて著すべし。もし安咀婆娑(五条)は、何れの処にも随意に著用することを得て犯無し。

五百問に云く、もし中衣(七条)無くんば、大衣を著して講に上り礼拝することを得。五条もまた著して衆に入り食し礼拝することを得。

十誦律に云く、大衣を著しては石・土・木・草を摙ることを得ず、および地を掃くことを得ず。坐臥具を敷くに足を踏むことを得ず、地を曳くことを得ず。もし村を去ること遠からば、すなわち肩上に畳む。村に近く池ありて水汪まば、すなわち手足を洗う。水無くんば、草・水・葉を以て塵土を拭い、しかるのち衣を著す。

背著袈裟

袈裟を身に着けます

即是以表為裏易前歸後也。北僧多如此○五分律云。佛言若出村入村若草木勾衣破風土污坌入葉中(葉即衣相)恐曰曝壞衣色聽為護衣故聚落外翻著袈裟若衣易壞聽顛倒著衣。上下安鉤紐。

すなわち、これは表を裏とし、前を入れ替えて後ろに帰するものです。北地の僧にはこのような者が多いのです。

○『五分律』にこう説かれています。仏がおっしゃいました。「もし村を出て村に入るとき、草木が衣に引っかかったり、風や土で汚れたり、葉の中に入り込んだりして、衣の色が日光にさらされて損なわれる恐れがあるなら、衣を守るために、聚落の外で袈裟を裏返して着ることを許す。もし衣が傷みやすいなら、衣を逆さまに着ることを許す。上下に鉤と紐を付けるように」と。

鉤紐

鉤紐

僧祇云。紐緤集要云。前面為鉤。背上名紐。先無此物。因佛制尼師壇。安左臂衣下。則肩上無鎮衣。不整齊。乞食時被風吹落。佛遂許安鉤紐。佛制一切金銀寶物。不得安鉤紐上。惟許牙骨香木之屬。

僧祇(そうぎ)にはこう説かれています。紐緤集要(ちゅうたいしゅうよう)には、「前面を鉤(かぎ)といい、背中側を紐(ひも)という。もともとこの道具はなかった。仏が尼師壇(にしだん)を定められた際、それを左の腕の衣の下に置いたため、肩のあたりで衣を押さえるものがなく、衣が整わなかった。托鉢のときに風に吹かれて落ちてしまった。そこで仏は鉤と紐をつけることをお許しになった。仏は、一切の金・銀・宝物は鉤や紐の上に取り付けてはならないと定め、ただ象牙・骨・香木の類だけをお許しになった」とあります。

披袒
(袒即肉袒)舍利弗問經云。於何時披袒(披即通覆兩肩。袒即偏露右臂)。佛言。隨供食時。應偏袒。以便作事故。作福田時。應覆兩肩現福田相故(記云。隨供養者。如見佛。禮佛。問許三師。入眾等時也。作福田者。謂計齊坐禪。誦經。入聚落。樹下坐時。使人見田相端嚴故。若對佛通披者。五百生墮鐵甲地獄)。

(袒とはすなわち肉袒のことです)『舎利弗問経』にこう説かれています。「いつ偏袒すべきでしょうか」(披とは両肩をすっかり覆うことで、袒とは右臂を片方だけ露わにすることです)。仏はお答えになりました。「食事を供養するときには、右肩を偏袒してよい。物事をなすのに都合がよいからです。福田をなすときには、両肩を覆って福田の相を現すべきです」と(記にこうあります。「供養に随うとは、仏を見るとき、仏を礼拝するとき、三師に許しを問うとき、衆に入るときなどのことです。福田をなすとは、斎の座に着き、坐禅し、経を誦し、聚落に入り、樹下に坐すとき、人々に田の相が端正であるのを見せることです。もし仏に向かって両肩を通して覆わずに偏袒すれば、五百生のあいだ鉄甲地獄に堕ちます」と)。

作益
僧祇云。僧尼有戒德者。若俗人求破袈裟段。欲禳災者。聽與小片。

『僧祇律』にこう説かれています。僧や尼で戒の徳を備えた者がいる場合、在家の人が袈裟の切れ端を求めて災いを払おうとするなら、小さな一片を与えてよいとされています。

偏衫

偏衫

古僧依律制。只有僧祇支(此名覆膊。亦名掩腋衣)此長覆左膊及掩右掖蓋儭三衣故即天竺之儀也。竺道祖魏錄云。魏宮人見僧袒一肘不以為善。乃作偏袒縫於僧祇支上相從因名偏衫(今開脊接領者蓋遺魏制也)。
裙
此方之名周文王制也○西域記云。泥縛些那。唐言裙(些字桑箇切)○根本百一羯磨云。梵語泥伐散那。唐言裙○諸律舊譯。或云涅槃(僧或云泥)洹僧或譯為內衣。或云圌衣(圌音舡。即貯米圓器似圌而無蓋○蓋取圓義)。
坐具
梵云尼師壇。此云隨坐衣○根本毘奈耶云。尼師但那。唐言坐具。淨法師註云。文言坐具。此乃敷具。坐臥皆得。佛制者。本為儭替臥具。恐有所損。不擬餘用也○五分律云。為護身護衣護僧床褥故。著生具○僧祇云。若在道行。得長疊中疊安衣囊中。至本處當敷而坐。律應量作。長佛二𭢳手。廣一𭢳手半(佛一𭢳手長二尺四寸。此合長四尺八寸。廣三尺六寸)○律云更增者。即向四邊各益。如今坐具。四緣有貼。即象也。不許單作。若新物作。當用故物貼中蓋壞其好也。若自無故物。又無求處。不貼無過。記云。佛先許安左肩上鎮衣。因有外道。問一比丘曰。汝肩上片布。何名何用。比丘答云。名尼師壇。是坐具。又問汝所披衣。何名。有何功德。答。忍辱衣。三寶之相。上制夭魔。下降外道。又問。此衣既有是功德可貴豈得以所坐之布居其上。若汝自為。師何不教。若師教者。此法不足可尊。比丘白佛。佛因制移安左臂衣下(衣即三衣也。以此證是。觸不得淨用)。戒壇圖經云。尼師壇。如塔之有基。汝今受戒。即身是五分法身之塔。良由五分法身因戒生故。
絡子
或呼掛子。蓋此先輩僧創之。後僧効之。又亡衣名。見掛絡在身故。因之稱也。今南方禪僧。一切作務皆服。以相不如法。諸律無名。幾為講流非之。予因讀根本百一羯磨第十卷云。五條有三品。上者竪三肘。廣五肘。下者減半。二內名中。又佛言。安陀會有二種。一者竪三肘。廣五肘。二者竪二肘。橫四肘。此謂守持衣。最後之量限。蓋三輪(上蓋臍下掩膝)因詳頗詳頗是今絡子之量也。若作之。但五幅。一長一短。或襵或貼。呼安陀會。即免謗。一切處著。合律無過。實勝空身矣(今詳律言肘但用自肘蓋度身而衣也。若用尺八之肘者下文即無臂短不及之言也)。
襪
鈔云。襪亦是衣○四分律云。寒聽着襪(古今注云。自三代及秦皆著角襪。以帶結至踝。洎魏文乃。更其樣釋名曰。襪未也。在脚未也。崔駟銘曰。建子之月。助養和氣)○五分律云。外道問衣。比丘不知。乃被譏曰。沙門有何奇特。尚不知衣相。云何知心。故於前文。委細註釋爾。

鈔に云く。襪もまた衣である。○四分律に云く。寒いときは襪を着けることを許す。(古今注に云く。三代から秦に至るまで、みな角襪を着け、帯で結んで踝に至らせた。魏の文帝に及んで、その様式を改めた。釈名に云く。襪とは末である。脚の末にあるからである。崔駟の銘に云く。子の月に、和気を養うのを助ける。)○五分律に云く。外道が衣について問うたが、比丘は知らなかった。そこで譏られた。「沙門には何の奇特があろうか。まだ衣の相すら知らないのに、どうして心を知ることができようか」と。それゆえ前の文において、委細に註釈するのである。


剃髮
戒法

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