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釈氏要覧 (釋氏要覽)


剃髮

剃髪

祠部牒

祠部の牒

此牒。自尚書省祠部司出。故稱祠部。按僧史略云。唐會要曰。則天延載元年五月十五日。勅天下僧尼。隷祠部。此為始也。義取其善禳惡福解災也○續會要云。天寶六年五月。制所度僧尼。仍令祠部。給牒。此為始也。

この度牒(どちょう)は、尚書省の祠部司から発行されたものです。そのため「祠部」と呼ばれます。

『僧史略』によれば、『唐会要』にこうあります。「則天武后の延載元年(694年)5月15日、天下の僧尼を祠部の管轄とするよう勅命が下った。これがその始まりである」。ここでの「祠」の字には、災いを除き福を招き、障りを解くという意味が込められています。

また『続会要』には、「天宝6年(747年)5月、新たに得度した僧尼には、祠部が度牒を発行するよう定められた。これが度牒制度の始まりである」と記されています。

剃髮

髪を剃る

律云。毀其形好。剃除鬚髮。俾即發先業。使異餘出家者○因果經云。過去諸佛。為成就無上菩提故。捨飾好。剃鬚髮。即發願言。今落髮故。願與一切眾生斷除煩惱。及以習障(此悉達太子。剃髮之時言也)。

律に曰く「その形好を毀ち、鬚髪を剃り除く。それによって先の業を発起させ、他の出家者と異ならしめる」。

因果経に曰く「過去の諸仏は、無上の菩提を成就するがゆえに、飾り好を捨て、鬚髪を剃った。その時、願を発して言った。『今、髪を落とすゆえに、願わくは一切の衆生と共に、煩惱と習障を断じ尽くさん』と」。〈これは悉達太子が髪を剃った時の言葉である〉

周羅髮
即今親教和尚。最後為剃頂上髮也。梵語周羅。此云小結。且三界九地。煩惱見修。所斷有八十一品。即第九地末品煩惱。名小結。微細難除。今此頂髮。喻彼煩惱。九十六種外道。皆不能盡除。唯佛弟子能斷故。親教師最後剃者。表為除殘結。令出三界故。

ただいま親教師(和尚)が、最後に頭の頂上の髪を剃っています。この髪を梵語で「周羅」といい、この国では「小さな結び目」という意味です。 三界九地には、煩悩があり、見惑と修惑として断つべきものが八十一品あります。そのうち第九地の最後の品の煩悩を「小さな結び目」といいます。これは極めて微細で、取り除くのが難しいものです。今、この頭の頂上の髪は、その煩悩を例えているのです。 九十六種の外道は、いずれもこの煩悩を完全に除くことができません。ただ仏の弟子だけが断ち切ることができるのです。それゆえ親教師が最後に髪を剃るというのは、残っている小さな結び目(煩悩)を取り除き、三界から出させるためなのです。

父母拜

両親を敬い、拝むこと。

南山鈔十二卷。法苑二十二卷。皆云。剃髮了。禮遶三寶。拜謝大眾。及二師已。然後在末座坐。父母諸親。皆為作禮拜。賀悅其道意。此亦如儒禮冠義曰。冠者。禮之始也。凡冠日。見母母拜。見兄兄拜之。注云。以其成人而為禮。今人子出家事佛剃髮為禮之始也。父母設拜。以其出世而為禮。抑又拜其法服戒體故也。亦是遠襲我佛之家風也。謹按根本毘柰耶律云。佛父淨飯王聞太子已成佛。在室羅伐城竹林精舍。王乃裁書遣使。往請歸國許之。王勅群臣曰。一切義成將歸鄉。可修飾城隍。莊嚴道路。於屈路陀林。造一精舍。爾時世尊作是念。若我徒行入城。諸釋必起慢心。應以神變入城。即共諸聲聞。涌在虛空。現諸神變。將近城攝諸神通。唯佛去地一人許。凌虛而行。民庶馳觀。各相謂言。為父禮子耶。為子禮父耶。時淨飯王見太子儀相非世。乃頭面禮足。時諸臣民情。俱不忍共言。云何尊父禮子之足耶。王曰。汝等不應作是念。當初太子生時。無人扶持。四方各行七步。於爾時我便禮其足。後於剡部樹下坐。日已過午。諸樹影東。唯剡部樹影不移。蔭太子身。我又禮其足。今當第三禮也。爾時世尊就座坐。父王復禮佛足。對面而坐。告大眾曰。此是第四禮子足也。自後日來即禮○本起經云。父王頭面禮佛足者。一者敬道。二者愛子故(今剃髮後。父母拜賀。亦此二緣也)○摩耶經云。爾時摩耶夫人(即佛母也)長跪佛前。五體投地。說偈云。稽首頭面禮。無上大法王(此父母拜緣略引為證今國家有制。慎勿違之。五分律。佛言非我所制。餘方為清淨者不得不行。此謂王法不得不依也。○薩婆多論云。比丘違王制者犯突吉羅罪)。

『南山鈔』十二巻、『法苑』二十二巻には、いずれもこう記されています。「剃髪を終えたら、三宝に礼拝し、大衆と二人の師に感謝の礼をする。その後、末席に座る。父母や親族は皆、彼のために礼拝し、その道心を喜び祝う」。これは、儒教の『礼記』冠義にある「冠礼は礼の始まりである。冠をあげる日、母に会えば母が礼をし、兄に会えば兄が礼をする」という教えと同様です。注釈には「成人した者として礼を行うからである」とあります。今、人が子として出家し、仏の道に入るために剃髪することは、これまた礼の始まりです。父母が礼をするのは、彼が世を超えた者となったからであり、さらに、その法服と戒体を敬う意味も含まれています。これは、遠く我が仏の家風を受け継ぐものなのです。

謹んで『根本毘柰耶律』を調べますと、こうあります。仏の父である浄飯王は、太子(後の仏)がすでに悟りを開かれたと聞き、室羅伐城の竹林精舎におられることを知りました。王は手紙をしたため使者を送り、帰国を請うて許されました。王は群臣に命じました。「一切義成(太子)が故郷に帰る。城を飾り、道を整え、屈路陀林に精舎を建てよ。」その時、世尊は考えました。「もし私が徒歩で城に入れば、釈迦族の人々は軽く見るだろう。神通力をもって入城しよう。」そこで、諸々の声聞と共に空中に浮かび上がり、様々な神通力を示されました。城に近づくにつれ神通を収め、ただ仏のみが地上一人分ほどの高さを虚空を歩むように進まれました。民衆は走り集まって見て、互いに言いました。「父が子に礼をするのか、子が父に礼をするのか。」その時、浄飯王は太子の姿が世のものと違うのを見て、自ら頭を付けてその足に礼をしました。群臣や民は皆、心に堪えず口を揃えて言いました。「どうして尊い父が子の足に礼をするのですか。」王は言いました。「あなた方はそう思ってはならない。かつて太子が生まれた時、誰にも支えられず四方に七歩ずつ歩んだ。その時、私はすでにその足に礼をした。その後、剡部樹の下に座り、日が既に午を過ぎても、他の木々の影は東に伸びたが、剡部樹の影だけは動かず、太子の身を覆った。その時も、私はその足に礼をした。今が三度目の礼である。」その時、世尊が座に着かれると、父王は再び仏の足に礼をし、向かい合って座り、大衆に告げました。「これが四度目の子の足への礼である。以後、毎日このように礼をする。」

『本起経』には、こうあります。「父王が頭を付けて仏の足に礼をするのは、一つには道を敬うため、二つには子を愛するためである」(現在、剃髪後に父母が礼をし祝うのも、この二つの理由によるのである)。

『摩耶経』には、こうあります。「その時、摩耶夫人(すなわち仏の母である)は仏の前に長跪し、五体を地に投げて偈を説いた。『頭を下げて礼拝します。無上の大法王(仏)に』」(これは父母の礼拝の理由を略して引用したものである。現在、国の制度があるので、決してこれに背いてはならない。『五分律』で仏は「これは私が定めたものではない。他の地方で清浄とされることは、行わなければならない」と言われている。これは、王法に従わねばならないという意味である。『薩婆多論』には「比丘が王の制度に背く者は突吉羅罪を犯す」とある)。

沙彌

沙弥(修行中の若い僧侶)

此始落髮後之稱謂也。梵音訛也此譯為息慈。謂安息在慈悲之地故。又此人息世染之情。以慈濟群生故。又云。初入佛法。多存俗情故。須息惡行慈也○大毘婆沙論云。室利摩拏洛迦唐言勤策男。謂此人離四性罪。六遮罪。勤自策勵不犯令清淨故○寄歸傳云。室羅末尼羅。唐。言求寂。夫稱寂者。即涅槃也。言此人出煩惱家。求趣涅槃故。

これは、最初に髪を落とした後の呼び名です。サンスクリット語の発音が訛っており、この訳語は「息慈」とします。「息」は安らぎ、「慈」は慈悲。すなわち、慈悲の境地に安らぐ者という意味です。 また、この人は世俗の染まりを静め、慈しみをもって多くの生きとし生けるものを救済するからです。 さらに言えば、初めて仏法に入った者は、世俗的な感情を多く残しているので、悪をやめ、慈しみを行う必要があるからです。

○『大毘婆沙論』には、「室利摩拏洛迦」とあります。唐の言葉で「勤策男」といい、この人は四つの性罪と六つの遮罪を離れ、自ら励まし、戒めを犯さずに清らかに保つ者だからです。

○『寄帰伝』には、「室羅末尼羅」とあります。唐の言葉で「求寂」といいます。「寂」とは涅槃のことです。この人は煩悩の家から出て、涅槃を求めて進む者だからです。

纔剃髮便授十戒

髪を剃ったらすぐに十戒を授ける。

寄歸傳云。西國出家具有聖制。諸有發心出家者。師乃問諸難事。難事既無許之攝受。或經旬月。令其解息。師乃為授五戒。方名鄔波索迦。此是創入佛法之基。七眾所攝也。師次為辦縵條僧脚崎下裙濾羅鉢等。方請阿遮梨為剃髮師親為著下裙。次與上衣令頂戴受著已授與鉢器授十戒。此名室羅末尼羅。方成應法。為五眾攝。堪消施利。若恐其十戒毀破。大戒。不成此則妄負求寂之名。既不合消常住受施。負債何疑。應依教而為濟度。

『寄帰伝』にこうある。西域では出家の際に正式な作法がある。発心して出家しようとする者があれば、師はまず様々な障りとなる事柄を尋ねる。障りとなることがなければ、受け入れを許す。あるいは一月や十日ほど経ってから、心を落ち着かせさせる。師は五戒を授け、これにより初めて「優婆塞(うばそく)」と名乗る。これが仏法に入る最初の基であり、七衆に含まれる。

次に師は、縵条(まんじょう)・僧脚崎(そうきゃき)・下裙(げくん)・漉羅(ろくら)・鉢などを整え、阿闍梨(あじゃり)を招いて剃髪を頼む。師自らが下裙を着せ、次に上衣を与え、頂戴して受けさせる。その後、鉢や器を授け、十戒を授ける。これを「室羅末尼羅(しらまにら)」という。こうして初めて法にかなった者となり、五衆に含まれ、布施を受けるにふさわしくなる。

もし十戒を破る恐れがあり、具足戒を受けられなければ、これは「求寂(ぐじゃく)」の名をむなしく持つことになる。常住の施しを受けるのにふさわしくなく、借りを負うことになるのは疑いない。よって教えに従って済度(さいど)すべきである。

三品沙彌
僧祇律云。佛制年不滿十五。不應作沙彌。後在迦維衛國。阿難有親里二小兒孤露阿難養育之。佛問何不出家。阿難白佛言佛制不許度。佛問是二小兒。能驅食上烏未答能。佛言聽作驅烏沙彌。最下七歲。至年十三者。皆名驅烏沙彌。若年十四。至十九名應法沙彌(今呼沙彌為法公也)若年二十已上。皆號名字沙彌。
沙彌亦名比丘
善見律云。如有檀越來。請比丘沙彌雖未具戒。亦入比丘數。是為名字比丘○涅槃經云。譬如幼年。初得出家。雖未受具。即墮僧數○四分律云。從大比丘。下次第與沙彌房舍臥具。若利養隨次與之。
沙彌行
毘尼母論云。沙彌應知慚愧。善住事師。法中不應懈怠放恣。當自慎身口卑己敬人。常樂持戒。莫樂調戲。不應自恃才力。復莫輕躁。應知羞恥。不說無定亂言。惟庠序合理。知淨不淨。常逐二師。讀誦經法。一切眾中。若有所作。皆不得違○五百問經云。沙彌詐稱大道人。受比丘一拜。是名賊住○有沙彌七十二威儀經一卷。在傳字函。好善有請檢讀之。

毘尼母論に云く、沙弥は慚愧を知り、善く師に仕えるべきです。法の中にあって懈怠放恣してはならず、自ら身と口を慎み、己を卑くして人を敬うべきです。常に持戒を楽しみ、調戯を楽しんではなりません。自らの才力を恃んではならず、また軽躁であってはなりません。羞恥を知り、定まらない乱れた言葉を言ってはなりません。ただ庠序として理にかなうべきです。浄と不浄を知り、常に二師に従い、経法を読誦すべきです。一切の衆の中において、作すところあらば、皆、違えてはなりません。五百問経に云く、沙弥が詐って大道人と称し、比丘の一拝を受ける、是れを賊住と名づけます。沙弥七十二威儀経一卷あり、伝字函に在り。善く善き者有らば請いて検読しなさい。


師資
法衣

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