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title: "圓悟佛果禪師語錄 · 上堂八"
description: "圓悟佛果禪師語錄由宋代僧人紹隆等人編撰，收錄了臨濟宗高僧圓悟克勤禪師的語錄、法語、書信及詩偈等。該書成書於南宋初期，系統闡釋了禪宗心性論、頓悟思想及修行方法，並包含其著名評唱作品碧巖錄的核心觀點。作為禪宗史上極具影響力的語錄集，它不僅是研究宋代臨濟宗思想的重要文獻，更是後世參禪者指導心性的權威典籍，對中日韓禪宗發展均有深遠影響。"
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## 圓悟佛果禪師語錄卷第八

> 圜悟佛果禅師語録 巻第八

宋平江府虎丘山門人紹隆等編

> 宋平江府虎丘山門人紹隆等編

### 上堂八

> 上堂八

歲旦上堂。元正啟祚打開門戶。萬物維新天地同春。應時納祐不落窠臼罄無不宜。萬世一時孟春猶寒。伏惟。首座大眾。起居萬福。乞火和煙得。擔泉帶月歸。復云。新年頭有佛法。正是土上加泥。新年頭無佛法。又成當面蹉過。到箇裏佛法世法有無新舊。一時拈向一邊。且不落夤緣一句作麼生道。還委悉麼。乾坤一合地餬餅。日月兩輪天氣毱。

> 歳旦上堂（正月の朝、説法のための上堂）。新年が始まり、福がもたらされる。門を開け放つと、万物は新たに生まれ変わり、天地とともに春を迎える。時宜にかなって福を受け、型にはまることなく、すべてが良しとされる。万世も一時のごとく、初春はなお寒さが残る。伏して申し上げる。首座（修行僧の代表）ならびに大衆の皆様、日々の暮らしが万福でありますように。火を乞えば煙とともに得て、泉を担げば月とともに帰る。さらに云う。新年に仏法があるというのは、まさに土の上に泥を塗るようなものだ。新年に仏法がないというのも、目の前で（仏法を）通り過ぎてしまうことになる。このところに至って、仏法と世法、有と無、新旧、すべてをひとまず脇に置く。そして、縁に依存しない一句をどのように言うべきか。みなさん、おわかりであろうか。乾坤は一つに合わさった大地の餠（もち）、日月は両輪の如き天の毱（まり）。

施主捨法衣上堂云。迦葉携坐鷄足峯。老盧持過大庾嶺。如今披向寶華座。孤光逈逈高峯頂。且道。是同是別。錦衣公子貴。林下道人高。

> 施主が法衣を施し、上堂していう。「迦葉は坐具を携えて鷄足峯にあり、老盧はそれを大庾嶺に持ち渡った。今、ここに寶華座に披く。孤光はただただ高峯の頂にあり。かつていう、同じか別か。錦衣の公子は貴く、林下の道人は高い。」 （訳注：迦葉=摩訶迦葉、老盧=六祖慧能、寶華座=説法の座）

上堂云。大眾。眾手共淘金。人人皆有得。霜風襲四圍。天華滿衣裓。大賞不論功。虛空長逼塞。分身千百億。彌勒真彌勒。復云。入水須斬蛟。入山須擒虎。才方撲帝鐘。便擊塗毒鼓。一箭落九烏。一捻千鈞土。諸聖和不齊。臘月二十五。

> 上堂にて言われた。「大衆よ。多くの手で共に金を淘ぐならば、誰もがみな得るものがある。霜の風は四方から吹きつけ、天から降る花は衣の端に満ちる。大いなる報いについては、功績を論じない。虚空は長く周りを満たしている。身を分かちて千百億に現じる。弥勒よ、真の弥勒よ。」さらに言われた。「水に入れば必ず蛟を斬り、山に入れば必ず虎を捕まえよ。ちょうど帝鐘を打ち鳴らすや否や、毒を塗った太鼓を打ち鳴らす。一矢で九つの烏を落とし、一握りで千鈞の土を持つ。すべての聖者たちもこれに及ばない。臘月二十五日。」

舒禪師周祥上堂。大眾。去年今日一語翁。泥牛入海無消息。今年今日鐵斧老。優曇鉢華現籌室。油雲出沒太虛空。動靜去來那有跡。須信雪晴天地春。金烏依舊從東出。

> 舒禅師が周祥の上堂でおっしゃった。 皆さん、去年の今頃、一言翁がいました。泥の牛が海に入り、消息はありませんでした。今年の今頃、鉄斧老がいます。優曇鉢華が籌室に現れました。油雲が虚空に出没し、動静去来にどうして跡があろうか。雪が晴れて天地が春になることを信じなさい。金烏は相変わらず東から昇るのだ。

上堂。大眾。天上月圓萬像歷然。地下月半觸途成現。見不見。包裹十虛尚餘半。聞不聞。透脫圓通徹本根。玉漏銅壺催不得。乾坤大地一枝燈。一處圓融一切處。無邊剎海更峻層。

> 上堂にて、みなさん。天上の月は満ちて、あらゆるものがそのままに明らかである。地上の月は半分で、道のあらゆる所に現れ出でる。見えるか見えないか——十方の虚空を包み込んでも、なお半分余る。聞こえるか聞こえないか——円通をすり抜けて、根本に徹する。玉の漏刻や銅の壺の時計でも、これを促すことはできない。天地の間は、一本の灯明である。一つのところが円融すれば、すべてのところが円融する。果てしなく広がる仏の世界は、さらに高く重なり合うのである。

上堂云。透脫祖師關不知物遷變。一念可萬年。一條真白練。千差眼底親。萬化鏡中現。驀要入三門。等閑騎佛殿。復云。夜雨漬深春。莓苔色染人。溪邊芳草碧。華與柳條新。氣味濃於酒。風光軟勝絪。靈雲覓不得何處悟天真。

> 上堂で言われた。「祖師の関を透り抜けば、物の移り変わりを知ることもない。一念は万年となり得る。一条の真白い練り絹のようだ。千差万別のことは目の前で親しく見え、万物の変化は鏡の中に現れる。ふいに三門に入ろうとすれば、あっさりと仏殿に乗り越えることもできる。」さらに言われた。「夜の雨が深い春を潤し、苔の色が人に染みる。川辺の芳草は青々とし、花と柳の枝は新しい。その香りは酒よりも濃く、風光は茵よりも柔らかい。霊雲は求めて得られなかったが、どこで天真を悟るのだろうか。」

上堂云。日面月面胡來漢現。有時放行有時把斷。世法佛法打成一片。若作一片會。遇貴即賤。不作一片會。麥裏有麵。復云。三世諸佛不知有。一一面南看北斗。狸奴白牯却知有。戴角擎頭獅子吼。四稜蹋地又團圝。八角磨盤空裏走。擬推尋劈脊摟。拈得鼻孔失却口。為問普化一頭驢。何似紫胡一隻狗。

> 上堂して言う、「日面と月面、胡が来て漢が現れる。時には放ち行き、時には把り断つ。世法と仏法、一つの片となる。もし一片と会するならば、貴きに遇いて即ち賤し。一片と会せざれば、麦の中に麵あり。」また言う、「三世の諸仏は有ることを知らず、一々面を南にして北斗を見る。狸奴白牯は却って有ることを知る。角を戴き頭を捧げて獅子吼す。四稜は地を踏みて又團圝たり。八角の磨盤は空裏を走る。推し尋ねんと擬すれば脊を劈きて摟む。鼻孔を拈得して口を失う。問う、普化の一頭の驢、何ぞ紫胡の一匹の狗に似たるや。」

上堂云。有句無句超宗越格。如藤倚樹銀山鐵壁。及至樹倒藤枯。多少人失却鼻孔。直饒收拾得來。已是千里萬里。只如未有與麼消息時。還透得麼。風暖鳥聲碎。日高華影重。

> 上堂で言われた。「句があるのも、句がないのも、宗門の規範を超え、格別の境地である。それは、蔦が樹に絡まるようなものであり、また、銀の山や鉄の壁のようにも思われる。しかし、樹が倒れ蔦が枯れてしまえば、どれほどの人が分別の鼻っ柱を失うことか。たとえ何とか見失わずに取り戻せたとしても、すでに千里万里の隔たりがある。いまだそのような消息が無い時、はたしてそれを通り抜けることができようか。風は暖かく、鳥の声は細やかで、日は高く、花の影は幾重にも重なっている。」

上堂云。大眾。久雨不晴今日晴。乾坤大地放光明。牆壁瓦礫說佛法。露柱燈籠著眼聽。敢問諸人。作麼生聽得。乃云親。復云。釋迦老子道。知幻即離。橫身萬里不作方便十分成現。離幻即覺。須彌倒卓亦無漸次眼中出刺。忽若盡大地撮來如粟米粒大。且作麼生知。扇子𨁝跳上三十三天。且作麼生覺。正恁麼時還委悉麼。十方剎海金剛座。萬煆爐中鐵蒺藜。

> 上堂で言われた。「皆の者よ。長く雨が降り続いていたが、今日は晴れた。天地四方の大地は光を放っている。壁や瓦礫が仏法を説き、露柱や燈籠が目を凝らして聴いている。あえて諸人に問うが、どのようにして聴くのか。」そして、「親しくせよ」と言われた。さらに続けて、「釈迦牟尼仏は『幻を知れば即ち離れる』と説かれた。身を万里に横たえても、方便を施すことなく、十分に現前している。幻を離れれば即ち覚りである。須弥山が逆さまに立っても、段階を経ることなく、目に棘が刺さるようなものである。もし忽ちに全ての大地を握り集めて粟粒ほどの大きさにするならば、いったいどのように知るのか。扇子が跳ね上がって三十三天に至るとして、いったいどのように覚るのか。まさにこのような時、はたして委細を悟っているか。十方の仏国土における金剛座、万回鍛えられた炉の中の鉄の茨よ。」

上堂。僧問。日面佛月面佛。意旨如何。師云。翻來覆去看。進云。金烏急玉兔速又作麼生。兩重公案。進云。只如道三世諸佛六代祖師同一舌說。未審同那一舌說。師云。便是同也截斷了也。進云。未審將什麼截。師云。將無舌底。進云。草賊大敗。師云點。師乃云。大眾。月生一。快鷹俊鷂趁不及。月生二。德山臨濟失巴鼻。月生三。文殊普賢特地參。忿怒那吒把須彌。一擘百雜碎。折脚鐺子撞破無底籃兒。大悲千手一隻手中一隻眼也提不起。無言童子却解道。前三三後三三。還委悉麼。萬仞峯頭都放却。多年破衲太𣰦毿。

> 上堂。僧が問う。「日面仏、月面仏、その意旨は如何。」師が言う。「ひっくり返したり、裏返したりして見よ。」さらに問う。「金烏は急ぎ、玉兎は速い、とはまたどういうことか。」「二重の公案だ。」さらに問う。「ただ、三世諸仏、六代祖師が同じ舌で説くと言うが、いったいどの同じ舌で説くのか、未だに詳らかにしない。」師が言う。「まさにそれと同じだ。すでに截断されたのだ。」さらに問う。「未だに何をもって截断するのか詳らかにしない。」師が言う。「舌のないものをもってする。」さらに問う。「草賊は大いに敗れた。」師が言う。「点。」師はそこで言った。「大衆よ。月は生まれて一。速い鷹や優れた隼も追いつけない。月は生まれて二。徳山や臨済も手がかりを失う。月は生まれて三。文殊や普賢がわざわざ参じる。忿怒の那吒が須弥山を掴み、一撃で粉々に砕く。折れ脚の鐺子が底なしの籃児を打ち破る。大悲の千手は、一つの手の中の一つの眼さえも持ち上げることができない。無言童子はかえって説くことを解する。前三三、後三三。はたして詳らかにしているか。万仞の峰の頂上にすべてを放り捨てる。多年の破衲はあまりにぼろぼろである。」

上堂云。大眾。傅大士道。須彌芥子父。芥子須彌爺。山水坦然平。敲氷來煮茶。曾聞傅大士乃彌勒大士化身。看他通箇消息。不妨著實。山僧今日土上加泥。亦有箇頌子。須彌納芥不容易。芥納須彌匹似閑。長河攪著成酥酪。輕輕擊透祖師關。

> 上堂で、僧侶たちに告げて言った。「大衆よ。傅大士はこう言った。須弥山は芥子の父であり、芥子は須弥山の母である。山河は平らかに広がり、氷を砕いて茶を煮る。傅大士は弥勒大士の化身だと聞くが、彼の示した消息は実にその通りである。山僧が今日は土の上にさらに土を加えて、一つの頌を作った。須弥山を芥子の中に収めるのは容易ではないが、芥子の中に須弥山を収めるのは造作もない。長い川をかき混ぜれば酥酪となる。軽く打てば祖師の関門を突き破る。」

舉。丹霞裕長老為人入室上堂云。大眾。摩醯首羅揭示頂門正眼。摩竭陀國全提向上鉗鎚。壁立萬仞絕承當。孤光爍破四天下。所以道。殺人刀活人劍。將錯就錯。上古之風規。亦是今時之樞要。和泥合水。若論殺人刀不存毫末。活人劍橫屍萬里。須知殺中有活擒縱人天。活中有殺權衡佛祖。直饒說得殺活倜儻分明。山僧更問爾。覓劍在。正恁麼時見麼。萬仞懸崖垂隻手。高峯共唱太平歌。復云。趙州道。趙州南石橋北。觀音院裏有彌勒。祖師留下一隻履。直至如今覓不得。諸人要知落處麼。問取丹霞和尚。

> 挙って、丹霞裕長老師が人のために室に入って上堂して云く。「大衆よ。摩醯首羅（まけしゅら）は頂門の正眼を掲げ示し、摩竭陀国（まかつたこく）は向上の鉗鎚（けんつい）を全提す。壁立万仞（へきりつばんじん）、承当すべきこと絶えたり。孤光は爍々（しゃくしゃく）として四天下を破る。故に道う、殺人刀・活人剣、将錯就錯す。上古の風規（ふうき）は、また今時の枢要なり。和泥合水（わでいがっすい）。もし殺人刀を論ずれば、毫末も存せず。活人剣は、横屍万里なり。須く知るべし、殺の中に活あり、擒縦して人天に及ぶ。活の中に殺あり、権衡して佛祖に及ぶ。仮令、殺活が儻侗（とうとう）として分明に説き得たりとも、山僧は更に爾に問う、剣を覓むることあらんや。正に恁麼の時、見るや否や。万仞の懸崖に一隻手を垂れ、高峯に共に太平歌を唱う。復た云く。趙州道わく、趙州の南、石橋の北、観音院裏に弥勒有り。祖師は一隻の履を留下一たまい、如今に至るまで覓めども得ず。諸人は落処を知らんと要するや。丹霞和尚に問取せよ。」

結制上堂。二千年前佛制諸方遵行為例。九旬之內安閑共作鬼家活計。且如何是鬼家活計。猢猻入布袋。復云。九旬結袋口。安居解脫道。水乳自和同。萬緣無所撓。栗棘蓬快吞。金剛圈猛跳。共透衲僧家。頂𩕳上一竅。

> 結制の上堂。二千年の昔、仏が制を定め、諸方がこれに従って例と為す。九十日の間、安閑と共に鬼家の活計を作す。且つ如何なるか是れ鬼家の活計。猢猻は布袋に入る。復た云く、九十日は袋口を結び、安居は解脱の道。水乳は自ずから和し同ず。万縁は撓む所無し。栗棘蓬は快く呑み、金剛圏は猛く跳ぶ。共に衲僧の家を透る。頂顖の上の一竅。

上堂。金色頭陀衣糞掃。毱多尊者運神通。火星迸入新羅國。大象牽藏藕竅中。

五月旦日上堂云。鐵樹𩰀鬆石牛哮吼。火雲亘天長萬丈。金烏普照大光明。直得東海鯉魚振鬣揚鱗。南國波斯呈橈舞棹。文殊普賢不敢說理說事。德山臨濟不敢行棒行喝。正恁麼時會麼。拄杖擬吞三世佛。燈籠百解瀉明珠。復云。釋迦老子道。若有一人發真歸源。十方虛空悉皆消殞。五祖和尚又云。一人發真歸源。十方虛空築著磕著。山僧即不然。若有一人發真歸源。十方虛空錦上鋪華。

上堂云。新月如鉤輕雲映火。山前麥熟筐裏蠶繰。田夫戢戢栽苗。柳岸垂垂之線。風調雨順盜賊消禳。我輩林下之人。一餉非常慶快。纔作此語。驀地有箇符使。出來道。山前諸處五瘟行疫病太甚。欲就和尚覓箇神符。往前驅逐。山僧遂以拄杖畫一圓相與之。瞥然不見。逡巡却來道。五瘟疫鬼已驅。向他方世界去也。只有一事待請益和尚。此靈驗神符從何處得來。山僧劈脊便打。當下滅跡消聲。因行掉臂。成箇頌子。五月五日天中節。赤口毒舌盡消滅。五月五日五時書。放下蛇頭捋虎鬚。

上堂云。逈無依倚超宗越格。非佛非心萬仞壁立。桑樹上著箭。柳樹上汁出。

上堂云。粥足飯足飽柴飽水。廬陵米價高。山前麥熟走。盡乾坤剎海。都盧是箇自己。撮向眉毛眼睫間。直得放光動地。不是如來禪。亦非第一義。更說甚衲僧巴鼻。爭如撒手懸崖去却藥忌。且唱箇囉囉哩哩。參。

上堂。一二三四五六七。七六五四三二一。旋風車上定盤星。百尺竿頭吹篳栗。咦復舉。雲門一日示眾云。和尚子莫妄想。山是山水是水。僧是僧俗是俗。時有僧出云。學人見山是山見水是水時如何。雲門以手劃一劃云。佛殿為什麼從這裏去。師拈云。似地擎山如石含玉。透得過者盡在無盡藏中。透不過者未免搏量。只如雲門以手劃一劃云。佛殿因什麼從這裏去。又且如何。一葉落知天下秋。

蔣運使寄雲居山三大字。仍請陞座云。法法圓融心心虛寂。大包無外文彩已彰。細入無間眼莫能觀。所以道。萬法是心光。諸緣唯性曉。本無迷悟人。只要今日了。今日便與麼。坐斷報化佛頭。喚什麼作心。喚什麼作性恁麼說話已是截斷諸根了也。且作麼生是截斷諸根處。放一線道通箇消息。還委悉麼。大旱得甘雨。大熱得清涼。復有頌云。眾峯盤屈屋耽耽。天上泓澄雨碧潭。渴驥怒猊三大字。高蹤千古振名藍。

住南康軍雲居真如禪院。送化主上堂云。火不待日而熱性相類。風不待月而涼氣相合。獨樹不成林。單絲不成線。建大廈非一木之能。濟巨川非一棹之力。所以道眾毛成毬。聚鐵成斧。要須內外相應賓主知容。自然氣類相同羽毛相似。正與麼時如何。八萬四千非鳳毛。三十三人入虎穴。復有頌云。三十餘員雲水客。諸方分化力行持。山門庶事渾依賴。正是金毛奮迅時。

上堂云。有句無句已絕誵訛。非色非心直超路布。到箇裏有啟口分也無。莫道是勤上座口似匾檐。設使三世諸佛歷代祖師出來。辯似懸河機如掣電。未免亡鋒結舌。何故。只為風頭太硬。然雖如此。若向箇裏直下承當得去。如龍得水似虎靠山。有丈夫志氣。具絕羅籠手段。所以道。殺人刀活人劍。則這邊那邊向上向下有事無事佛界魔界一時坐斷。忽有人問。未審刀劍在什麼處。委悉麼。從前汗馬無人識。只要重論蓋代功。復舉。僧問雲門。樹凋葉落時如何。雲門云。體露金風。師云。雲門眼似流星機如掣電。拈得將來不妨奇特。如今忽有人問山僧。樹凋葉落時如何。只向伊道。千山雲霧卷。一望見前村。

上堂云。十方同聚會。箇箇學無為。此是選佛場。心空及第歸。大丈夫俱決烈志氣。慷慨英靈。踏破化城直截承當。外不見有一切境界。內不見有自己。上不見有諸聖。下不見有凡愚。淨裸裸赤灑灑。一念不生桶底剔脫。豈不是心空。到箇裏還容棒喝麼。還容玄妙理性麼。還容彼我是非麼。直下如紅爐上一點雪相似。豈不是選佛場中擎頭戴角。雖然如此。子細檢點將來。猶涉階梯。且不涉階梯一句作麼生道。還委悉麼。千聖不留無朕跡。萬人叢裏奪高標。復有頌云。住山只貴眾和諧。表裏通明應整齊。折脚濫兒幸無恙。相憑出手共提携。

> 上堂で説かれた。「十方は共に集まり、一人ひとりが無為を学ぶ。ここは仏を選ぶ場、心が空になれば及第して帰るのだ。大丈夫たる者よ、皆決然たる志気を持ち、気概は雄々しく英傑たれ。化城を踏み破り、直ちに引き受けるのだ。外にはいかなる境界も見えず、内には自分自身も見えない。上には諸々の聖者も見えず、下には凡夫や愚者も見えない。清らかで裸のまま、何一つまとわず、一念も生じず、桶の底が外れたように透き通る。これこそ心の空ではないか。この境地に至って、なお棒喝を容れる余地があろうか。なお玄妙な理屈を容れる余地があろうか。なお彼我や是非を容れる余地があろうか。まさに紅炉の上の一点の雪のようなものだ。これこそ仏を選ぶ場において頭を高く掲げ角を戴くというものではないか。とはいえ、よくよく点検してみれば、これでもまだ段階を踏んでいる。そこで、段階を踏まない一句をどのように説くのか。あなたがたはよく理解しているだろうか。千人の聖者も痕跡を残さず、万人の群れの中で高く掲げた旗印を勝ち取るのだ。」さらに頌があり、「山に住むはただ衆の和合を尊ぶのみ、表裏が通じ明らかで、整い斉っているべきだ。折れた脚の水瓶も幸いに無事だ、互いに手を差し伸べ、共に持ち上げて進もう。」と。

上堂云。清秋晴色苗稼豐登。四海晏清萬民樂業。林下之士歇意休心。直下當陽坐斷報化。饑飡渴飲倦臥閑行。無事無為得大自在。當陽一句不可重宣。迴避不行直須漏泄。還委悉麼。八月秋何處熱。復云。昨夜夢登樓。驀然得箇時節因緣。今朝舉似大眾。四野逈澄澄。端如坐少林。雲籠高嶽頂。月在碧波心。

> 上堂で説いた。 「秋の空は澄み渡り、穀物は豊かに実った。世の中は穏やかで、民は皆、穏やかに暮らしている。林の中に隠れ住む修行者たちよ、心を休め、思いを静めよ。目の前のこの瞬間をしっかりと掴み、悟りや教えにとらわれることなく、坐れ、歩け。飢えれば食い、渇けば飲み、疲れれば眠り、暇があれば散歩する。何もしなくても、何も企てなくても、この上ない自由を手にしている。目の前のこの一句は、繰り返し説明できるものではない。避けようとしても逃れられない。そのまま、漏れ出るままに任せよ。さあ、このことをよく知っているか。八月の秋、どこが暑いというのか。」 さらに言った。 「昨夜、夢の中で楼に登った。ふと、ある時節因縁を得たのだ。今朝、その話を皆に伝えよう。四方は果てしなく澄み渡り、まるで達磨大師が少林寺に坐していたかのようだ。雲は高い山の頂にかかり、月は青い波の心に映っている。」

中秋上堂云。只恁麼透得。已是涉泥水。何堪更廉纖。沒頭又沒嘴。到箇裏也須是箇似大死底人却活始得。還委悉麼。棒頭能取證。喝下絕承當。復云。光景急如梭。賢明爭柰何。千林凋敗葉。一雁度秋河。風急砧聲遠。山高月色多。誰當此時節。解唱紫芝歌。

退院上堂云。七處住持三十載。今朝方作地行仙。上蒙聖主從卑願。亭毒之恩遠似天。見可而進知難而退。權柄在手舒放非他。住既無心動亦非我。所以二六時中與他同得同證同出同入。豈有心於彼此。何有象於去來。所以道。欲識佛性義。當觀時節因緣。時節若至其理自彰。正當與麼時。還委悉麼。林間蕭散處。世外一閑人。復有頌云。禪月昔年曾有語。山僧師範作良謀。如斯標致雖清拙。大丈夫兒合自由。