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法華伝記 (法華傳記)

「法華傳記」について

唐 · 僧詳撰 著

6.6 万字 · 約 219 分

『法華伝記』は、唐代の僧侶・僧詳によって編纂された重要な仏教史伝類の著作です。この書物は、『法華経』に関連する数多くの霊験感通の物語や、高僧大徳による読誦の事績を集めており、『法華経』が中国で初期にどのように伝播し、信仰されていたかを生き生きと映し出しています。内容は豊富で、多くの貴重な歴史的資料が記録されているだけでなく、大乗仏教の重要な経典としての『法華経』が提唱する一仏乗の思想や、すべての人が成仏できるという理念が、中国仏教の各宗派、特に天台宗の発展に深遠な影響を与えたことが示されています。これは、『法華経』の流布史と中国仏教社会史を研究する上で欠かせない重要な文献です。


法華傳記卷第一

法華伝記 巻第一

敬禮天人大導師 三身一體釋迦尊
三世五佛章門中 興世演說一乘主
證明法華多寶佛 十方分身諸如來
乃至盡空法界海 常住世雄及分身
稽首妙法蓮華經 八萬十二諸聖教
諸佛護念大寶藏 利樂無際難測典
歸命文殊彌勒等 八萬大士法王子
地涌千界諸薩埵 八十萬億那由他
妙音觀音普賢等 發誓弘經菩薩眾
滿分五眼咸照世 普現色身示同塵
身子迦葉目連等 萬億聲聞真佛子
自界他方不可量 權實一切受化眾
我撰經典護法城 哀愍覆護願加威
法燈不斷長夜照 迷者因此得佛慧
釋迦如來末法中 一聞法華隨喜者
三世罪障悉消盡 三生決定入正位
唯願妙法久住世 流通十方諸剎土
諸同遇者生慶幸 世世恒聞能修行
乃至見聞讚毀者 順逆俱證無生忍
麁言軟語歸一義 不相違背至真際

天と人の大いなる導き手、 三身一体なる釈迦尊に礼拝いたします。 三世五仏の教えの門において、 世に現れ、一乗の教えを説き示した主よ。 法華経を証明する多宝仏、 十方に分身されたすべての如来、 さらには虚空の果てまで広がる法界の海に、 常に世に在す尊師とその分身たちよ。 妙法蓮華経に、心から頭を下げます。 八万十二のあらゆる聖なる教え、 諸仏が護り念じる大いなる宝庫、 限りない利益と喜びをもたらす、測り知れぬ経典よ。 文殊菩薩、弥勒菩薩をはじめ、 八万もの大いなる菩薩、法の王子たちに帰依します。 地より湧き出た千の世界の菩薩たち、 八十万億那由他もの大衆、 妙音菩薩、観音菩薩、普賢菩薩など、 誓いを立てて経典を広める菩薩の僧たちよ。 完全なる五眼で世を照らし、 普遍の色身を示して、塵世に同じく現れる方々よ。 舎利弗、迦葉、目連らの、 万億の声聞、真の仏の子らよ。 自らの世界、他方の世界、計り知れないほどの、 権(仮の)も実も含め、すべて教えを受ける者たちよ。 私は経典を撰び、法の城を守ります。 哀れみ、覆い護り、どうか威光を加えたまえ。 法の灯が絶えることなく、長い夜を照らし、 迷える者が、この智慧によって仏の悟りを得られますように。 釈迦如来の末法の世にあって、 ひとたび法華経を聞き、喜び随喜する者は、 三世の罪障がすべて消え去り、 三回の生のうちに、必ず正しい位に入るでしょう。 願わくは、妙法が久しく世にあり、 十方のあらゆる仏土に広まらんことを。 同じく遇う者は、幸せに思い、 世々たゆまず聞き、修行できますように。 さらには、見たり聞いたり、讃えたり毀(そし)ったりする者も、 順も逆も、ともに無生忍を証得しますように。 粗い言葉も柔らかな言葉も、一つの真理に帰し、 互いに背かず、真実の境地に至りますように。

抑祥宿殖所資妙因斯發。流通一乘。讚詠真文。目聞未聞。耳見未見。昔始自姚秦訪道。暨于我大唐之有天下。流通之益。先代無之。感應無謀。非籌算能測。妙利凝𨗿。亦繩準所知乎。今聊撰集耳目見聞。動勵後輩信心。簡以十二科。分為十軸。部類隱顯傳譯支派經序論釋講解諷誦轉讀書寫聽聞供養。各略引三五。編其分科。詞質而俚。欲見聞徒易悟。事竅而實。使來葉之傳信心。更探所得新舊製撰諸宗記傳等。錄而出之。後有所獲。亦欲隨而編。編脫或當來見者編次。遂褰興妙法真文。乘乘無窮。先列篇目。後隨集而已。

まれなる因縁に培われた善根が、妙なる教えを発現させました。一乗の教えを流通させ、真実の経典を称賛し、未だ聞かざるを聞き、未だ見ざるを見るに至りました。昔、姚秦の時代に道を求めてより、我が大唐の天下に至るまで、この教えを流通させる功徳は、先代には及びません。その感応は計らいを超え、思慮で測れるものではなく、その妙なる利益は広大で、基準すら知り得るものではありません。

ここに、私が見聞きしたことを集め、後輩の信心を奮い立たせるため、十二の部門に分け、十巻としました。経典の隠顕、伝訳の流派、経・序・論・釈・講・解・諷誦・転読・書写・聴聞・供養、それぞれから三、五の例を挙げて科目を編みました。言葉は質素で通俗的ですが、見聞きする者が容易に悟れるよう意図しています。事例は細かく、しかも真実で、後世に信心を伝えるものです。

さらに、新旧の著述や諸宗の記伝などから得たものを採録し、ここに編みました。今後、新たに得るものがあれば、それも随時編纂したいと思います。もし整理が不十分ならば、後世の見る者によって補われ、妙法と真文が永遠に伝わることを願います。まず篇目を掲げ、後に随時編集した次第です。

  • 部類增減第一
  • 隱顯時異第二
  • 傳譯年代第三
  • 支派別行第四
  • 論釋不同第五
  • 諸師序集第六
  • 講解感應第七
  • 諷誦勝利第八
  • 轉讀滅罪第九
  • 書寫救苦第十
  • 聽聞利益第十一
  • 依正供養第十二
部類增減第一

第1章 部類の増減

夫部類增減者。機樂有廣略。遂致部類增減。雖有增減。不失其冥顯利。略為七例。一者一會之經法用為一部。如十地等。二者多會共為一部。如華嚴等。三者經之初分用為一部。如六卷泥洹等。四者具足二分為一部。如大涅槃等。五者略本以為一部。如小品經等。六者廣本以為一部。如大品等。七者一品為一部。如觀世音經。今此法華。於中是具足本。若依梵本。文應是略說。所以者何。此經是三身一體能所寂說。普賢觀云。釋迦牟尼佛。名毘盧遮那遍一切處。其佛住處名常寂光。四波羅蜜所建立。法王開運。說無量義經已。入義處定。現奇特瑞。生大眾慇重。與文殊等八萬大士。舍利弗等萬億諸大聲聞。八龍四緊乾脩等。六天四禪。萬億轉輪聖王。國王王子國女雜民。不可說不可說海會眾。而所說也。始自如是。終至而去。俱是妙法。字字結妙。一文一句無非法界。一字一點無非是佛。上窮舍那功德。下點阿鼻依正。不即不離。體具微妙不可思議。此乃圓滿修多羅甘露法寶也。西方相傳。靈山八載結集之文。應敷一由旬城。若盡結集。無處容受。無量無邊海會之眾。令其開解。正說領解述成授記歡喜說偈自界他方讚佛發誓。一一品各無量無邊字義成就。如大通佛。說是法華經。如恒河沙偈。宿王智佛。說甄迦羅頻婆羅阿閦婆等偈。威音王。說二十千億偈。今佛亦爾。芬陀利亦云說無央數偈。時有七寶塔。踊現其前。寶塔已前。有無央數偈。又涌出眾。以諸菩薩種種讚法。而讚於佛。千界塵數種種讚偈。誰知其偈數。覺愛三藏云。西方相傳。佛說法華。不可說。品品之內。有多偈句。以須彌山聚筆。大海水墨書。一一品一一句偈。不可窮盡。佛常在靈山。共大菩薩諸聲聞眾。圍遶說法。天人充滿。窮前後際。無有休息。唯是無盡總持力所持。非是翰墨之所能記。但約一期機感。八載結為一部。雖略結集。葉敷一由旬量。誦本最略。滿方丈室。二十八品大綱目足。又如真諦三藏云。西域傳記說。龍樹菩薩逕海。龍宮見此法華平等摩訶衍經。有大千界微塵偈四天下塵數品。具記錄奇瑞問答重重往覆。東方土相南西北方四維上下光中所現。又二百億燈明。一一說法華經儀。歎十方三世諸佛智慧大事因緣。化三乘人。開悟一乘。菩薩聲聞本緣得記佛說自領節節無盡重重不可說自界他方發願弘持踊出讚詞果後方便十方來會等事。具如隱顯中。今長安所傳四本不同。一五千偈。正無畏所傳是也。二六千五百偈。竺法護所譯是也。三六千偈。鳩摩羅什所傳是也。四六千二百偈。闍那崛多所傳是也。三本是多羅葉。什本白㲲也。此土所傳。尚有偈數增減。西方經何量。然相傳言。梵文唯有二十八品。文前皆無題目。但云悉曇。此云吉法。亦名成就。不成立名。皆在品末經終。而迴後在初者。蓋是譯經之人。隨震旦法。欲令因名字不同議部類。但護多本二十七品。名結其末。闕提婆品目。不同之事。如下傳譯中。或分其品成部。如下支派辨。廣略在器。部類增減。本法大義無虧矣。

経典の部類に増減がある理由は、衆生の機根や好みに広狭があるからである。それにより部類に増減が生じるが、増減があっても、その隠れた顕れた利益を失うことはない。大まかに七つの例を挙げる。

第一に、一つの説法会座における経典をそのまま一部とするもの。『十地経』などがこれにあたる。 第二に、複数の説法会座をまとめて一部とするもの。『華厳経』などがこれにあたる。 第三に、経典の初めの部分だけを一部とするもの。六巻の『泥洹経』などがこれにあたる。 第四に、経典の二つの部分を備えて一部とするもの。『大涅槃経』などがこれにあたる。 第五に、簡略な版本を一部とするもの。『小品般若経』などがこれにあたる。 第六に、詳細な版本を一部とするもの。『大品般若経』などがこれにあたる。 第七に、一品だけを一部とするもの。『観世音経』などがこれにあたる。

さて、この『法華経』は、これらのうち、完全な形を備えた版本である。しかし、もし梵本に従えば、その文は簡略な説法ということになるだろう。なぜか。この経典は、三身が一体となり、能説と所説が寂滅している法を説くものだからである。

『普賢観経』にはこうある。釈迦牟尼仏は毘盧遮那(遍一切処)と名づけられ、その仏の住むところを常寂光と名づける。四波羅蜜によって建立されたところである。法王が運を開き、『無量義経』を説き終えた後、義処の定に入り、奇特な瑞相を現わし、大衆に深い敬慕の心を生じさせた。そして、文殊菩薩などの八万の大士、舎利弗などの万億の大いなる声聞、八種の竜、四種の緊那羅・乾闘婆など、六欲天・四禅天の者、万億の転輪聖王、国王・王子・国の女・雑多な民など、説くことのできないほどの海会の大衆を前にして説法されたのである。

最初の「如是(このように)」から最後の「而去(去りぬ)」に至るまで、すべてが妙法であり、一字一字が妙と結ばれている。一文一句、法界ならざるはなく、一字一点、仏ならざるはない。上は毘盧遮那仏の功徳にまで及び、下は阿鼻地獄の依報・正報にまで及ぶ。即なるのでもなく、離れるのでもなく、体が微細で不可思議な功徳を具えている。これこそ、円満な修多羅(経典)の甘露の法宝である。

西方(インド)で伝えられる説では、霊鷲山で八年かけて結集された文は、一由旬(約四十キロ)の城を敷き詰めるほどになるという。もしすべてを結集すれば、収める場所がなくなるほどである。無量無辺の海会の大衆がその教えを開き理解できるよう、正説・領解・述成・授記・歓喜説偈・自界他方における讚仏発誓など、一品一品がそれぞれ無量無辺の字や義によって成就されている。

大通智勝仏が『法華経』を説かれた時、その偈の数は恒河沙のごとくであり、宿王智仏は甄迦羅・頻婆羅・阿閦婆などの偈を説かれ、威音王仏は二十千億の偈を説かれた。今の釈迦牟尼仏もまた同様である。『芬陀利経』にも、無数の偈を説いたとある。その時、七宝の塔が空中に現れ、その前に無数の偈があった。また、地より涌出した大菩薩たちが、種々の讚法によって仏を讚えた。千界の塵の数ほどの種々の讚偈がある。誰がその偈の数を知ることができようか。

覚愛三蔵は言う。西方で伝えられる説では、仏が『法華経』を説かれた内容は、言葉に尽くせないものである。品々の中には多くの偈句がある。須弥山ほどの筆と、大海の墨をもって書こうとしても、一品一品の一句一偈さえも書き尽くすことはできない。仏は常に霊鷲山におられ、大菩薩や諸声聞の衆に囲まれて説法されている。天人たちは満ち満ち、過去から未来にわたって休むことがない。ただ、尽きることのない陀羅尼の力によって支えられているのであって、筆墨で書き記せるものではない。

ただ、一期の機感に合わせて、八年間の説法を一部にまとめたのである。簡略に結集したとはいえ、その文は一由旬の量に達する。さらに略した誦本でも、方丈の部屋いっぱいになる。二十八品という大綱目が備わっているのである。

また、真諦三蔵は次のように伝えている。西域の伝記によれば、竜樹菩薩が海に入り、竜宮でこの『法華経』の平等摩訶衍経を見た。その経典は、大千世界の微塵ほどの偈と、四天下の塵ほどの品を持っていた。そこには、奇瑞や問答が幾重にもわたって詳細に記録されていた。東方の国土の相から南西北方・四維・上下の光の中に現れたもの、また二百億の燈明仏がそれぞれに『法華経』を説いた儀式、十方三世の諸仏の智慧と大事因縁を讚えたもの、三乗の者を教化して一乗に開悟させること、菩薩や声聞の本縁や授記、仏の自らの説法と領解、節々限りなく重なり合って尽きることのないこと、自界他方における発願・弘持、涌出した菩薩たちの讚詞、果後の方便、十方から集まって来る会衆などの事が、詳しく隠顕の義の中に説かれている。

現在、長安で伝えられている四本には異同がある。第一は五千偈の本で、これは正無畏が伝えたものである。第二は六千五百偈の本で、竺法護が訳したものである。第三は六千偈の本で、鳩摩羅什が伝えたものである。第四は六千二百偈の本で、闍那崛多が伝えたものである。三本は多羅葉(貝多羅の葉)に書かれ、鳩摩羅什の本は白㲲(白い木綿)に書かれていた。この土(中国)で伝わるものでさえ、偈の数に増減があるのだから、西方(インド)の経典はどれほどの量があったことか。

しかし、伝えられるところによれば、梵文には二十八品のみがあり、文の前にはいずれも題目がなく、ただ「悉曇(成就・吉祥の意)」とだけ記されていたという。この「悉曇」は、この土では「吉法」、あるいは「成就」と訳される。名前が付けられているのは、みな品の終わりか経の終わりであり、それを後に回して初めに置いたのは、訳経の人が震旦(中国)の習慣に従い、名前の違いによって部類を区別しようとしたからである。ただ、竺法護の本だけは二十七品で、その終わりに名前を記し、提婆達多品の目を欠いている。このような違いについては、以下の伝訳の項で述べる。また、その品を分けて一部とすることもあるが、これについては以下の支派の辨において詳しく述べる。

要するに、略説があるのも詳説があるのも、衆生の機根によるのであり、部類に増減があっても、本法の大義に欠けるところはないのである。


2 隱顯時異

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