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title: "法華傳記 · 2 法華經後序"
description: "法華傳記由唐代僧人僧詳編撰是一部重要的佛教史傳類著作該書匯集了諸多與法華經相關的靈驗感通故事及高僧大德的持誦事蹟生動反映了法華經在中國早期的傳播與信仰狀況全書內容豐富不僅記載了許多珍貴的歷史資料更展現了法華經作為大乘佛教重要經典其提倡的一佛乘思想和人人皆可成佛的理念對中國佛教各宗派尤其是天台宗的發展產生了深遠影響是研究法華經流傳史和中國佛教社會史不可或缺的重要文獻"
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### 法華經後序

> 法華経後序

僧叡法師作

> 僧叡法師 著

法華經者。諸佛之祕藏。眾經之實體也。以華為名者。照其本也。稱分陀利者。美其盛也。所興既玄。其旨甚婉。自非達識傳之。罕有得其門者。夫百卉藥木之英。萬物寶之本也。八萬四千法藏者。道果之源也。故以喻焉。諸華之中。蓮華最勝華。而未敷名屈摩羅。敷而將落。名迦摩羅。處中盛時。名分陀利。未敷喻二道。將落譬泥洹。榮曜獨足。以喻斯典。至如般若諸經。深無不極故。道者以之而歸。大無不該故。乘者以之而濟。然其大略。皆以適化。為本應務之門。不得不以善權為用。權之為化。悟物雖弘。於實體不足。皆屬法華。固其宜矣。尋其幽旨。恢廓宏邃。所該甚遠。豈徒說實歸本。畢定殊塗而已耶。乃實大明覺理。囊括古今云。佛壽無量。永劫未足以明其久也。分身無數。萬形不足以異其體也。然則壽量定其非數。分身明其無實。普賢顯其無成。多寶照其不滅。夫邁玄古以期今。則萬世同一日。即百化以悟玄。則千塗無異轍。夫如是者。則生生未足以期在。永寂亦未可言其滅矣。尋幽宗以絕往。則喪功於本無。控心轡於三昧。則忘期於二地。經流茲土。雖復垂及百年。譯者昧其虛津。靈關莫之或啟。談者乖其准挌。幽蹤罕得而履。徒復搜研皓首。並未有窺其門者。秦司徒挍尉左軍安城侯姚嵩。擬韻玄門。宅心世表。注誠斯典。信詣彌至。每思尋其文。深識譯者之失。既遇鳩摩羅法師。為之傳寫。捐其大歸真。若披重霄而高蹈。登崑崙而俯眄矣。于時聽受領悟之僧八百餘人。皆是諸方英秀。一時之傑也。是歲弘始八年歲次鶉火同前。

> 法華経は、諸仏の秘められた宝庫であり、すべての経典の真実の本体です。「華」と名付けられたのは、その根本を照らし出すからであり、「分陀利」と呼ばれるのは、その盛んさを美しく表現するからです。その興りはすでに深遠であり、その趣旨は非常に巧妙です。もし優れた智慧を持つ人がこれを伝えなければ、その門に入る者はほとんどいないでしょう。 草木や花の英華は、万物の宝の根本であり、八万四千の法蔵は、悟りの果実の源です。それゆえに、これをもって譬えとします。様々な花の中で、蓮華が最も優れています。まだ開花していないものを「屈摩羅」、開いて間もなく散ろうとするものを「迦摩羅」、盛りの真ん中にあるものを「分陀利」と呼びます。未開は二つの道（声聞と縁覚）を譬え、散りゆくことは涅槃を譬えています。その栄え輝く様は、この経典を象徴するのにふさわしいのです。 般若経などの諸経典は、その深さは極みに達しないものはなく、道を求める者はそれによって帰依し、その広大さはあらゆるものを含まないものはないので、菩薩の修行者はそれによって救われます。しかしその大要は、いずれも衆生に適応して教化することを旨としており、現世の務めに応じるためには、巧みな方便を用いざるを得ません。方便による教化は、悟りを得させることの広大さはあっても、真実の本体においては不十分であり、すべて法華経に属するのは、まさに当然のことなのです。 その隠された深遠な趣旨を探求すれば、広大かつ深遠で、その範囲は非常に広く、ただ真実を説き、根源に帰し、究極の道が異なるだけを語るものではありません。実に大いに悟りの理を明らかにし、古今を包括して、こう言います。「仏の寿命は無量であり、永劫をもってその久遠さを測ることはできない。分身は無数であり、万の形をもってその本体と異なることはない。」すなわち、寿命という数字を定めないこと、分身はその実体の無いことを示し、普賢菩薩はその成就の無いことを顕し、多宝如来はその消滅しないことを照らすのです。 遠い昔を超えて現在に及べば、万世も同一日であり、あらゆる変化に応じて玄妙を悟れば、千の道も異なる轍はありません。このようであれば、生々流転は永遠を期すに足りず、永遠の寂静もまたその消滅を言うことはできません。深遠な宗旨を探って過去を絶ち切れば、本来無いものに功を費やすことを失い、心の手綱を三昧に制御すれば、二つの境地（有と無）への執着を忘れるのです。 この経典がこの国に伝わってから、すでに百年に及ぼうとしていますが、翻訳者はその虚ろなる真理の関所に暗く、霊的な関門は開かれることがなく、論じる者はその基準にそむき、幽かな跡を踏む者はほとんどいません。ただ白髪になるまで研究を重ねても、その門を覗く者すらもいないのです。 秦の司徒・校尉・左軍・安城侯である姚嵩は、玄妙な門に心を寄せ、世を超えた境地に心を留め、この経典に誠心を注ぎ、その信念は極めて深く、常にその文を探求し、翻訳者の誤りを深く悟っていました。ちょうど鳩摩羅什法師に出会い、その書き写しを依頼し、その大要を明らかにされました。まるで幾重もの大空を押し分けて高く舞い上がり、崑崙山に登って眼下を見下ろすかのようでした。その時、聞き受け悟った僧侶は八〇〇余人であり、みな各方の英傑、当時の傑士でした。この年は、弘始八年（歳は鶉火に次ぐ）<note>同前</note>です。