諸經要集序
諸経要集の序
西明寺沙門釋道世集
西明寺の僧 釋道世 編纂
原夫法身一相。瞻仰異容。正教無偏。說聽殊旨。故師有等雨之況。弟子有異聞之說。良以隨機授與。逐器淺深。至如十二分教之大綱。八萬法門之廣派。龍宮西蓄。未盡懋林之知。象駕東馳。豈窮手葉之誨。是以不遊大海。未覩沃日之奇。不仰太山。靡覿干霄之狀。得驪龍之珍。乃驗魚目之非寶。聽黃鍾之節。方知擊缶之為細。故知釋典幽宗。聖凡所尚。寔人天之祕寶。越儒墨之希聲。威振大千。光超巨億。益覃沙界。功逾塵劫。弘濟之術。其大矣哉。但時緣未會。感通有殊。暨晨林變釆。霄夢啟徵。創開白馬之基。漸被赤烏之歲。聖迹遐感。年逾六百。道俗蒙益。等同一子。慨正像䆮移。沿流末代。凡情闇短。器識昏迷。日有澆醨。教沈道喪。所以彝章訛替。教迹淪湑。文句浩汗。卒難尋覽。故於顯慶年中。讀一切經。隨情逐要。人堪行者。善惡業報。錄出一千。述篇三十。勒成兩帙。冀道俗依行。傳燈有據。敬尋釋典深奧。非淺識之所知。出俗幽微。豈滯惑而能辯良由海大舟輕。山高塵眇。操刀易割。製錦難成。不揆庸識。妄談祕典。輒樹題目。更增愧恧矣。
そもそも法身は一つの相であるが、仰ぎ見る姿は異なる。正しい教えには偏りがないが、説く者と聞く者でその趣旨は異なる。それゆえ、師には雨を等しく降らせるような状況があり、弟子には異なる説を聞くということがある。実に、機根に応じて与え、器の浅深に従って授けるのである。例えば、十二分教の大綱、八万法門の広大な流派、龍宮に西に蓄えられても、林の如き仏の知恵を尽くすことはできず、象の駕籠が東へ馳せても、手の葉のような教えを極めることはできない。このゆえに、大海に遊ばなければ、日を潤すほどの壮大さを見ることはできず、太山を仰がなければ、空を衝くような形を観ることはできない。驪龍の宝を得て、初めて魚目が宝でないと知り、黄鐘の節を聴いて、初めて土器を叩く音が粗末であると知る。それゆえ、仏典の幽玄な宗旨は、聖者も凡夫も尊ぶところであり、実に天人の秘宝であり、儒や墨の希なる声を超える。その威光は大千世界に震動し、その光明は巨億を超える。その功徳は砂界に広がり、その功績は塵劫を超える。広く救済する術は、実に大いなるものである。
ただ、時節の縁がまだ合わず、感応通達に異なることがある。晨林がその彩りを変え、宵の夢が瑞兆を開き、初めて白馬の基を開き、次第に赤烏の歳に及んだ。聖蹟は遠くに感応し、年は六百を超えた。道俗共に利益を受け、一人の子のように等しく扱われた。正法・像法が次第に移り、未代に流れ及ぶことを慨嘆する。凡夫の情は暗く短く、器と識は昏迷している。日ごとに浅薄となり、教えは沈み道は喪われる。このゆえに、定められた規範は誤って伝わり、教えの跡は沈み散って行く。文句は浩瀚で、ついに尋ね観覧することは難しい。そこで、顕慶年中に、一切経を読み、情に随い要に従い、人の修行に堪えるもの、善悪の業報を、一千を録出し、三十篇を述べ、二帙に勒した。道俗が依って行い、灯明の伝承に拠り所があることを望む。
敬って考えるに、仏典は深遠であり、浅い識者が知るところではない。世俗を超えた幽微なことは、滞った惑いがどうして弁え得ようか。まことに、海は大きく舟は小さく、山は高く塵は微かである。刀を操るのは切り易く、錦を製すのは成し難い。庸浅な識を顧みず、妄りに秘典を論じ、勝手に題目を立て、さらに慚愧を加えるのみである。
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諸經要集卷第一
諸経要集 巻第一