余聞。佛稱大聖機教匪凡。義豈邊鄙方為匡化。所以閻浮一域面周四海。環海之洲理居中正。故因果經云。菩薩昔在兜率天說補處行。期運將至當下作佛。觀諸國土何者處中。即知迦毘羅國最是地之中也。又本起云。佛之威神至尊至重。不可生邊地地為傾斜。此迦毘羅城。三千日月天地之中央也。往古佛興皆出於此。又俱舍論云。剡浮洲之中(此洲或名閻浮。剡浮。贍部。皆取音不同)有金剛座。上與地齊下至金剛輪際。以有此座菩薩坐之。入金剛定得成覺道。除此座外地則不勝。唯此洲有三方。則無以佛不往彼成道故。所以然者。良由人稱至聖道德尊高。人天群有莫不迴向。故託茲勝座。表化物良緣。至於震旦一州緣居海右。軒轅五岳曲指嵩山以為中也。然則。周旦揆日圭程景分未盡。漢徹自高諸夏張掖有年。局號中原偏稱中國。以事考定中義自亡。原立中之名待邊為稱神洲。東則拒海三方蔑聞。此則邊義自彰不俟分析。雖云四海貢職萬國歡心。乃夸飾於一朝。終負實於千代。今以剡浮一域。中分葱嶺西號大夏。五竺統焉。東曰赤縣五岳統焉。雖兩方皆五事必偏中。此方在東彼土居正。何以明耶。按閻浮圖云。葱嶺西據香山。東南綿亘至於蜀部(此山相狀。西北東南角維而列。冬夏積雪)故此山東名為赤縣。雖云中國局對四岳而立名焉(約例陰陽宅經。凡宅中主勿犯。亦是一家之忌)至於山西南面。號曰天竺。山海經云。身毒之國軒轅氏居之(郭璞注云。即天竺也)彼土自分以為五國。中天竺國。天地之中。名既非邊四垂斯絕。據名以定中義存焉。
私はこう聞いています。仏は大聖と称され、その教えや機縁は凡庸なものではありません。道理が辺鄙な地にあって教化の対象となるはずがありません。それゆえ閻浮提の一地は四海をめぐり、海に囲まれた洲は理の上で中正の位置を占めます。そこで『因果経』には「菩薩は昔、兜率天において補処の行を説き、その期運が至れば下って仏となる。諸々の国土を観察して、どこが中なるかを知るに、迦毘羅国が最も地の中である」とあります。また『本起経』には「仏の威神は至りて尊く至りて重く、辺地に生まれるべからず。もし辺地にあれば地は傾斜する。この迦毘羅城は、三千の日月・天地の中央である。過去の諸仏が興起するときも、みなここより出ず」とあります。さらに『俱舎論』には「閻浮洲の中に金剛座あり。上は地と斉しく、下は金剛輪際に至る。この座があるがゆえに、菩薩はこれに坐して金剛定に入り、覚道を成就する。この座を除けば、他の地はその重みに耐えない。ただこの洲に三方があるのみで、仏がそこに赴いて成道しないわけではない」とあります。そうである理由は、人が至聖と称され、道徳が尊く高く、人天のあらゆる存在がみな帰依するからです。それゆえにこの勝れた座に託して、教化の良縁を示すのです。
震旦(中国)の地については、海の西側に位置します。軒轅氏の時代、五岳のうち嵩山を中としました。しかし周公旦が日影を測った方法では完全ではなく、漢の武帝が張掖を置いて自ら夏(中国)と称したのは一時のことで、限られた地域を「中原」と号し、偏って「中国」と呼びました。事実に照らして考えれば、「中」という意味は失われます。本来「中」という名は、「辺」に対して立てられたものです。神州(中国)は東に海を隔て、他の三方については聞くところがありません。これでは辺地であることが明らかで、分析を要しません。たとえ四海が貢ぎ、万国が喜んで従うと言っても、それは一朝の誇りに過ぎず、千代にわたって実を失っています。
今、閻浮提の一地を考えれば、葱嶺を境に西を大夏と呼び、五竺(五天竺)が統べています。東を赤県(中国)と呼び、五岳が統べています。両方とも五つと言いますが、事実上は必ず偏りがあります。こちら(赤県)は東にあり、あちら(天竺)は正しく中央にあります。どうしてそれを明らかにするのでしょうか。『閻浮図』によれば、「葱嶺は西には香山を拠り、東南には蜀の地に至るまで連なっている。この山の形は西北から東南に角をなして並び、冬夏ともに積雪がある」とあります。ゆえにこの山の東を赤県と名づけます。これは「中国」という名を、四岳に対して局地的に立てたものです(例えて言えば、陰陽宅経にあるように、家の中心は犯してはならないという、一家だけの禁忌のようなものです)。山の西南の面は天竺と号します。『山海経』には「身毒の国、軒轅氏が住む」とあり(郭璞の注には「即ち天竺なり」とあります)、その地は自ら五国に分かれています。中天竺国は天地の中であり、その名は辺地ではなく、四方の果てが絶えています。名によってこれを定めれば、「中」の義はここに存するのです。