No. 939-A重刻五百問論序
939-A 重刻五百問論序
五百問論何為而造耶曰為俾破權執悟實道也然篤而論之如來一代說大小權實教每會必各有囑累諸大羅漢弘演小宗彌勒以權教為職文殊大乘為任等是荷擔菩提莊嚴雙樹其間豈容優劣哉及至滅後諸大祖師後先𮞏出分宗立家偏弘一門葢亦各受密囑乘願轂而來者也若慈恩基師專據深密主張瑜伽以三時教該括一化三無二有統轄眾機其極遂至乎以一乘為權三乘為實矣斯旨也始與我所弘法華之者戞戞乎不相容焉則不得不作為玄贊別立一家之說也然竊忖其意豈非木牛楊葉俯提弱喪以餘深法示教利喜者耶所謂世界故實第一義故實權誘方便皆無唐捐但稟今宗教眼未明者或眩其說將泣兩岐又彼宗徒牢執一途或恐馴致蹋順璟之禍又復焉知無或不幸而寶器受粗食者乎是論主之所以深憂遠慮而有此造也歟條章雖多大要有三焉一開顯正意為決定聲聞而翻判屬有性以敗種之論通再活之經安得今已生竟引論滅之此剡足徇屨點金成鐵不知其可二今經要在乎顯一代設化之意諸法門綱目總讓之前經然虗張名相廣開章段大小參雜今昔莫辨而大事因緣措之弗顧買櫝還珠不亦戾乎三末世弘通專為行人紛綸法相茫如烟海不見一語及于行要問橋論箭空費光景一朝瞑目色心何依此棄所急而不知務也他若事義去取訓詁同異類則抑末矣三要既呈矣庶幾教台徒確有所守及習彼宗者祛膠著或有圓種者生慕嚮焉非必圖強聒一切悉使捨彼從此也製作主意葢如斯而已矣此論智證大師之所將來趙宋時彼方已失傳最宜須寶護獨奈舊刻鹵莾訛謬相望而復靡別本可讐校慧心致疑其來也久矣每一披卷未曾不憮然而增慨也山門碩匠有守篤和尚恒惋惜不置乃據昔人所考覈及玄贊等默索精思嚴訂其譌疑者不敢輒改別為箋註三卷論定是非且略釋肯綮難通者於是從來以為不可讀委諸高閣者皆喜而讀之研之得益者寢多其孫昌宗上人銳志進學稱不愧堂搆之任比以和尚校本壽之梨棗仍以箋註分會入本論各章之下合刻之將欲以公于大方而揭論主之志於幾墜也其為功為惠亦豈小哉刻成徵余弁言余聞之喜甚乃不自揣敢攄鄙見如此且為提其要曰清涼國師有言法華云此經難信難解佛現在世猶多怨嫉況滅度後誠哉斯言若保執三乘五性不信一乘一性者深為可愍此甄簡權實絲毫不貸所謂寶山無非寶取之先擇摩尼也智證大師曰釋法華者三家三論法相天台竝是法王之一官法界之一門能為眾生之妙藥能為諸趣之津梁此四悉投機諸祖一揆所謂雪山無非藥採者期於對病也若異其異而不通於大同則於和合海分河飲水徒長見慢與夫外道諍訟何異乎雖然此猶未也智者大師之言曰方便說稱妙不妙見理之時無復權實非權非實亦無妙與不妙是故稱妙也嗚乎此何等境界安得與法界有情同造乎斯地受廣大妙法喜樂乎讀者倘幸稔知之則守篤和尚用心之苦併昌宗上人致力之勤皆為非唐設也乃是論流通日昌月盛我有望焉豈不大歡喜哉。
五百問論はいかなる故に造られしか。曰く、権(かり)の執着を破りて実の道を悟らしめんがためなり。しかれども、つらつら考えるに、如来一代の説法、大小・権実の教えあり。その会ごとに必ず付属(ゆだね)あり。諸々の大阿羅漢は小乗の宗を広く演じ、弥勒は権教を職とし、文殊は大乗を任とす。これらは皆、菩提を担い、双樹を荘厳する者にして、その間に優劣を容るる余地なきがごとし。
如来滅後に至りて、諸々の大祖師たち、相次いで世に出現し、宗を分かち家を立て、偏(ひとえ)に一門を弘めたるも、また、各々密かに付属を受け、願の轂(こしき)に乗りて来たれる者なり。慈恩基師のごときは、専ら『深密経』に拠り『瑜伽論』を主張し、三時の教えを以て一切の化導を該括し、三無二有を以て衆機を統轄す。その極まり、ついに一乗を権とし、三乗を実とす。この旨は、我らが弘むる所の法華と、戞戞(かっかく)として相容れず。ここにおいて、『玄賛』を作り、別に一家の説を立てざるを得ざるに至る。
しかれども、ひそかにその意を忖るに、豈に木牛楊葉(もくぎゅうようよう)をもって、弱喪(じゃくそう)を俯提(ふてい)し、余深の法を以て示教利喜するにあらざらんや。いわゆる世界故実、第一義故実、権誘方便、すべて徒爾(とじ)なることなし。ただ、今の宗(天台宗)の教えを禀け、眼の明らかならざる者、あるいはその説に眩(くら)み、両岐に泣かん。また彼の宗徒、一途に牢執すれば、あるいは遂に順璟(じゅんきょう)の禍を踏むに至らん。また、あに知らんや、あるいは不幸にして、宝器に粗食を受けん者あるを。これ、論主の深く憂い遠く慮りて、この造(つくり)ある所なり。
条章(じょうしょう)多しと雖も、大要三あり。一には、開顕正意。決定声聞のために、翻って有性と判属し、敗種の論を以て再活の経に通ず。安(いずく)んぞ今已に生じて、竟(つい)に論じて滅に引かん。これは足を剡(そ)ぎ履(くつ)に徇(したが)い、金を点じて鉄と成す。その可きを知らず。二には、今経の要は、一代設化の意を顕わすにあり。諸法門の綱目は、総(すべ)て前経に譲る。しかるに、虚しく名相を張り、広く章段を開き、大小参雑して、今昔を弁ぜず。大事因縁を措(お)きて顧みず、櫝(くしげ)を買いて珠を還す。また謬(あやま)りに非ずや。三には、末世の弘通、専ら行人のためなり。紛糺(ふんきゅう)たる法相、茫として煙海のごとく、一言も行要に及ぶを見ず。橋を問い箭を論じて、空しく光景を費す。一朝瞑目すれば、色心いずれにか依らん。これは急所を棄てて務めざるなり。他は事義の去取、訓詁の同異のごときは、これ末なり。
三要既に呈す。庶幾(こいねがわ)くば、台徒をして確かに守る所あらしめ、また彼の宗を習う者の膠著(こうじゃく)を払わん。あるいは円種ある者をして、慕嚮(しょうかう)を生ぜしめん。必ずしも強いて一切を躁(かまびす)しくして、悉く彼を捨てて此に従わしめんと図るにあらず。製作の主意、蓋(けだ)し斯(かく)の如きのみ。
此の論は、智証大師の将来せし所なり。趙宋の時、彼方已に失伝せり。最も宜しく宝護すべし。唯だ旧刻粗莽にして、訛謬相望み、而も別本を校するに供すべき者なし。慧心疑を致すこと、その来たるや久し。一たび巻を披く毎に、未だ嘗て憮然として慨を増さずんばあらず。山門の碩匠、守篤和尚、恒に惋惜(わんせき)やまず。乃(すなわ)ち昔人の所考及び『玄賛』等に据り、黙索精思して、その譌疑を厳訂す。疑わしき者は敢えて輒(すなわ)ち改めず、別に箋註三巻を為し、論定是非。且つ肯綮(こうけい)通じ難きを略釈す。ここにおいて、従来以て読む可からずとし、諸高閣に委(ゆだ)ぬる者、皆喜びて之を読み、之を研きて益を得る者、寝(しだい)に多し。その孫、昌宗上人、鋭志学に進み、堂搆の任に愧(は)じずと称す。比(ころ)に和上の校本を以て梨棗に寿し、仍(よ)って箋註を分かち会して、本論の各章の下に入れ、之を合刻す。将に以て大方に公にし、論主の志を幾墜(きつい)に揭げんとす。其の功を為し恵を為すこと、また豈に小ならんや。
刻成りて、余に弁首(べんしゅ)を徴す。余聞きて之を喜び、乃ち自ら揣(はか)らず、敢えて鄙見を攄(の)べて、且つ其の要を提(てい)して曰く、清涼国師の言われく、「法華に云わく『此の経は信じ難く解し難し、仏の現在世に在しまして尚(なお)怨嫉多し、況や滅度の後をや』誠に是の言のごとし。若し三乗五性を保執し、一乗一性を信ぜざれば、深く愍(あわ)れむ可し」と。これ甄簡(けんかん)権実、絲毫(しごう)も貸さず。いわゆる「宝山には宝に非ざるなく、之を取るに先ず摩尼を択ぶ」なり。智證大師の曰わく、「法華を釈するに三家あり。三論、法相、天台、並びに是れ法王の一官、法界の一門。能く衆生の妙薬と為り、能く諸趣の津梁と為る。此の四悉、機に投ずること、諸祖一揆。」いわゆる「雪山には薬に非ざるなく、之を採るに病に對するを期す」なり。若し其の異なるを異として、大同に通ぜざれば、和合の海に於いて河に分かち水を飲み、徒に見慢を長じ、外道の諍訟と何ぞ異ならん。雖然(しかのみならず)、これ未だし。智者大師の言われく、「方便の説は妙と称すれども妙ならず、理を見る時には、権実なし。非権非実にして、また妙・不妙なし。是の故に妙と称す」と。嗚呼(ああ)、此れ何等の境界ぞ。安(いずく)んぞ法界有情と共に、斯の地に造(いた)りて、広大な妙法の喜楽を受けんや。読者幸いにも此れを稔(みの)り知らば、則ち守篤和尚の心を用うるの苦しみ、並びに昌宗上人の致力の勤め、皆以て徒設(とせつ)に非ずとなす。是の論の流通、日昌月盛ならんことを、我に望み有り。豈に大いに歓喜せざらんや。
寬政六秊歲次甲寅孟秋 後學六如沙門慈周撰
寛政六年、甲寅の年の孟秋の頃、後学の六如沙門・慈周が撰す。