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title: "沙彌律儀要略增註 · 隨師出行第三"
description: "沙彌律儀要略增註由清代高僧弘贊律師註解。該書以明末蓮池大師輯錄的《沙彌律儀要略》為基礎進行深入註釋闡發。內容涵蓋沙彌應持的十戒二十四威儀等行持規範，並詳細解釋其制戒緣起與實踐細則。本書是漢傳佛教僧伽教育的重要律學典籍，系統總結了沙彌行為準則，為新出家者提供了權威的修行指南，在佛教戒律傳承中具有不可替代的地位，至今仍是寺院培養僧才的核心教材。"
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### △隨師出行第三

> 師に従って外出する第三

不得過歷人家。

> 他家を巡り歩いてはならない。

從一家到一家。故曰過歷。縱過父母檀越家。師不聽。亦不得入。

> 一つの家から次の家へと巡る。それゆえに「過歴」という。たとえ父母や檀越の家を通り過ぎるとしても、師が許さなければ、入ってはならない。

不得止住道邊。共人語。

> 道端で立ち止まって、人と話してはいけません。

道路也。若遇親朋知識。當善辭却。無得共語。而失隨侍也。

> 道は修行の道です。もし親しい友人や知人に出会ったら、上手に断り、共に語らず、師に随行することを失わないようにしなさい。

不得左右顧視。當低頭隨師後。

> 左右を見回したりせず、師の後ろに付いて、うつむいて歩きなさい。

顧視。則散意失儀。低頭則心端表正。

> 目を上げれば、心は散り、姿勢は乱れる。うつむけば、心は整い、態度は正される。

到檀越家。當住一面。師教坐應坐。

住一面。謂侍立師側也。檀是梵語。此云施。謂彼能行布施。則便越度貧窮苦海也。

> 住一面とは、師の側に侍立することをいう。檀とは梵語で、ここでは施と訳す。彼が布施を行えば、貧しさの苦しみの海を越えて渡ることができるという意味である。

到他寺院。師禮佛。或自禮。不得擅自鳴磬。

> 他の寺院を訪れた時、師が仏に礼拝する場合、あるいは自分で礼拝する場合、勝手に磬を鳴らしてはならない。

檀。是自專也。寺各有主。賓主須分。自具客儀。不得輙自舉動故也。

> 檀越とは、自分勝手に振る舞うことを戒めるものです。寺にはそれぞれ主人がおり、賓客と主人の区別をはっきりさせなければなりません。自ら賓客としての礼儀をわきまえ、勝手に行動してはならないからです。

若山行當持。坐具隨之。

> 山を歩くときは、必ず坐具を持ち歩きなさい。

或尼師壇。或蒲團。或隨所坐物。任持之。以便師坐也。

> または座布団、あるいは蒲団、またはその場にある座具を用意し、師が座られるように整えます。

若遠行。不得相離太遠。

> 遠くへ行くときは、あまり離れすぎないように。

太近則足蹈師影。或步揚塵。太遠則不聞師喚示。或致餘失。五十頌云。若足蹈師影。獲罪如破塔。

> あまり近すぎると、師の影を踏んでしまったり、歩く時に砂埃を立てたりします。あまり遠すぎると、師の呼びかけや指示が聞こえなかったり、その他の過ちを招いたりします。五十頌に云う。もし師の影を踏めば、塔を壊す罪を得るが如し。

若渡水當持杖徐試淺深。

> 水を渡るときは杖を持ち、ゆっくりと浅深を試すべきです。

淺則扶師渡過。深則倩人荷輿。

> 浅ければ師を支えて渡り、深ければ人に頼んで輿を担がせる。

持瓶擕錫等。具如律中。文繁不錄。

> 水瓶を携え錫杖を執るなどの作法は、すべて律典に詳細に説かれている。しかし、その記述は長く複雑であるため、ここには書き記さない。

十戒經中。持師澡瓶有十五事。携錫有七事。文多故云不錄。欲學者。自當檢閱戒經。

> 『十戒経』には、師の水筒を持つことに関する十五の作法と、錫杖を持つことに関する七つの作法が記されています。しかし、その内容が多く詳細にわたるため、ここには書き記しません。学びたい方は、ご自身で戒律の経典を参照してください。

附　若偶分行。約於某處會。不得後時。

> もしも別々の道を行くことがあっても、約束した場所で必ず会いましょう。決して遅れることのないように。

偶者。適然也。不得後時者。當先到約師處候。勿在師後方至。

> たまたま。偶然のことです。後になってはならないというのは、先に師匠のところへ行って待つべきであり、師匠の後から行ってはならないということです。

師受齋。當侍立出生。齋畢。當侍立收䞋。

> 師匠が斎を受けるときは、そばに立って食事の準備をしなさい。斎が終わったら、そばに立って施し物を片付けなさい。

出生者。謂施諸鬼神眾生之食。須著淨器。安於淨處。䞋是檀越所施之物。成範云。候師齋訖。收師檀䞋。大律云。食後施衣物。名為達嚫。是也。案嚫字。本從口。今從貝。訛也。梵語具云達嚫拏。此言施。在法則曰法施。在財則曰財施。在家人應行財施。出家人應行法施。一覽云。財法二施始成功。福慧兩全方作佛。

> 出生者とは、諸々の鬼神や衆生に食物を施すことを指します。清らかな器を用い、清浄な場所に置かなければなりません。䞋（しん）とは、檀越（信者）が布施した物のことです。成範には、「師の斎食が終わるのを待ち、師の檀䞋を収める」とあります。大律には、「食後に衣類を施すことを達嚫（だっしん）という」と記されています。これがそれです。 案ずるに、「嚫」の字は本来「口」偏でしたが、今は「貝」偏になっています。これは誤りです。梵語では完全には「達嚫拏（だっしんな）」と言い、これは「施す」という意味です。法に関しては法施、財に関しては財施と呼ばれます。在家の者は財施を行うべきであり、出家の者は法施を行うべきです。一覧には、「財と法の二つの布施が初めて功徳を成し、福と慧の両方が全うされて初めて仏となる」とあります。