集神州三寶感通錄卷上
集神州三宝感通録 巻上
唐麟德元年終南山釋道宣撰
唐の麟徳元年、終南山の釈道宣が撰述しました。
夫三寶利見其來久矣。但以信毀相競。故有感應之緣。自漢泊唐年餘六百。靈相肹嚮群錄可尋。而神化無方待機而扣。光瑞出沒。開信於一時。景像垂容。陳迹於萬代。或見於既往。或顯於將來。昭彰於道俗。生信於迷悟。故撮舉其要。三卷成部云。
三宝が利益を現すことは、その来たること久しいと言えます。ただ信と毀とが相競うために、感応の縁があるのです。漢から唐に至るまで六百余年、霊妙な姿は響き合い、諸々の記録から尋ねることができます。しかし神変は方所なく、機を待って応じられます。光明の瑞相は出没し、一時の信を開かせます。景像は容を垂れ、陳迹を万代に残します。あるいは過去に現れ、あるいは将来に顕れ、道俗に昭彰として、迷悟に信を生じさせます。それゆえその要を撮り挙げて、三巻を成部とするのです。
初明舍利表塔次列靈像垂降後引聖寺瑞經神僧。
まず、舎利を安置する塔を明らかにし、次に霊験あらたかな仏像が降り立つ姿を並べ、その後に聖なる寺々や瑞兆の経典、神通力を備えた僧侶たちを紹介します。
初明舍利表塔。昔如來行乞。有童子戲於路側。以沙土為米麪。逆請以土麪奉。佛因為受之。命侍者以為土漿。塗佛住房。足遍南面。記曰。此童子者。吾滅度後一百年。王閻浮提空中地下四十里內。所有鬼神並皆臣屬。開前八塔所獲舍利。於一日夜役諸鬼神造八萬四千塔。廣如眾經。故不備載(此土即洲之東境故塔現不足以疑)舍利西梵天言。此云骨身也(恐濫凡夫之骨故依本名而別之)。
昔、如来が托鉢の途中、道端で遊んでいた一人の子どもがいました。その子は砂を米や小麦粉に見立てて、土のご飯を差し出しました。仏はそれを受け取り、侍者に命じて「その土に水を混ぜ、私の住まいの壁に塗りなさい」と言いました。そして南側一面に塗らせた後、次のようにおっしゃいました。
「この子どもは、私が亡くなってから百年後、閻浮提(この世界)の上空から地下四十里にわたるすべての鬼神を従える王となるでしょう。そして、これまでに建てられた八つの塔から舎利を取り出し、一昼夜のうちに鬼神たちに命じて八万四千の塔を造らせるでしょう。(これらの詳細は多くの経典に詳しいので、ここでは省略します)(この地は洲の東の果てにあるため、塔が現れても驚くには及びません)
「舎利」とは、サンスクリット語(天語)を音写したもので、我々の言葉では「骨身」を意味します。(しかし、これは凡人(凡夫)の骨と混同されないよう、原語のまま「舎利」と呼んで区別します)
- 西晉會稽鄮塔緣一
- 東晉金陵長干塔緣二
- 石趙青州東城塔緣三
- 姚秦河東蒲坂塔緣四
- 周岐州岐山南塔緣五
- 周瓜州城東古塔緣六
- 周沙州城內大乘寺塔緣七
- 周洛州故都西塔緣八
- 周涼州姑臧縣塔緣九
- 周甘州刪丹縣塔緣十
- 周晉州霍山南塔緣十一
- 齊伐州城東古塔緣十二
- 隋益州福感寺塔緣十三
- 隋益州晉源縣塔緣十四
- 隋鄭州起化寺塔緣十五
- 隋懷州妙樂寺塔緣十六
- 隋并州淨明寺塔緣十七
- 隋并州榆社縣塔緣十八
- 隋魏州臨黃縣塔緣十九
- 雜明神州山川藏寶等緣二十