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title: "北磵居簡禪師語錄 · 小參"
description: "北磵居簡禪師語錄由宋代禪師居簡的弟子大觀編撰而成，記錄了南宋臨濟宗高僧北磵居簡的禪法開示、機鋒問答及詩文著作。該語錄反映了宋代禪宗的思想特色與實踐風貌，內容涵蓋禪宗心要、修行指導及對機教化，是研究宋代臨濟宗禪法的重要文獻。居簡禪師作為大慧宗杲的法脈傳承者，其語錄語言犀利直指人心，在佛教史上具有承先啟後的地位，對後世禪宗發展影響深遠。"
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### 小參

> 小参

結夏。以大圓覺。為我伽藍。身心安居平等性智。分明向平地上掘窖。陷沒了多少平人。過去諸如來。擡脚不起。見在諸菩薩。頭出頭沒。未來修學人。須別討一條活路。二千年前。黃面瞿曇。於光明藏中。得恁麼狼籍。雖則畫龍。成蛇。要且亦能興雲。亦能吐霧。亦能為霖。亦能為雨。今夜被報恩。花擘一場。剗地似龍無角。似蛇有足。致令六十花甲子。都打亂了。眾中若有識機宜別休咎底。出來圓此話頭。免見報恩話墮。主丈子道。和尚恁麼說話。是何心行。卓主丈云老僧罪過。

> 結夏に入る。大いなる円覚を、我が伽藍とし、身心を安んじて平等の智慧に安居する。はっきりと平らな地面に穴を掘り、数多の凡人を落とし込んだ。過去の諸如来は足を上げることもできず、現在の諸菩薩は頭を出したり沈めたりしている。未来の修行者は、別に一つの活路を探さねばならない。二千年前、黄金の顔の瞿曇（ゴータマ）は、光明の蔵の中で、これほどまでに散らかしてしまった。「龍を描いたつもりが、蛇になってしまった」が、それでもなお、雲を起こし、霧を吐き、慈雨をもたらし、雨を降らせることもできるのだ。今夜は報恩寺が、これを打ち壊した。まるで龍には角がなく、蛇には足があるかのようだ。そのため、六十の花甲子がすべて乱れてしまった。衆の中に、機に応じ休咎を見分ける者がいるなら、出てきてこの話の端を丸く収めよ。報恩寺の話が落ちるのを免れよ。主丈が言う、「和尚がそのような話をするのは、どのような心がけか」と。老僧の罪過である。

舉法昌遇和尚問。英勝二首座。我要向箇裏。建法堂。未審作得什麼向當。英云。賊是小人。昌云。邵武子動著。便作屎臭氣。英云。曾經霜雪苦。昌云。明珠自有千金價。肯向籬邊打󳭋兒。英云。大似持鉢不得。詐道不飢。

> 法昌遇和尚が問うた。 「英・勝の二首座よ、私はここで法堂を建てたいと思う。どのような心構えで臨めばよいか。」 英首座が答えた。「賊は小人でございます。」 和尚が言った。「邵武の者は、少し動くとすぐに糞のような臭いを放つ。」 英首座が言った。「霜や雪の苦しみを経てまいりました。」 和尚が言った。「真珠にはもともと千金の値打ちがある。それを垣根のそばで叩いて値切るようなものだ。」 英首座が言った。「まるで、お鉢をいただけなかったのに、『お腹は空いていない』と偽るようなものでございます。」

昌問勝。你且道。作得什麼向當。勝云。本來無位次。昌云。你者驢漢。向甚處安著。勝云。一任鑽龜打瓦。昌云。你也只是杜撰巡官。英云。若是千金寶。何須打󳭋兒。昌云。東家人死。西家人助哀。英云。路見不平。

> 昌が勝に問うた。「ちょっと聞くが、何がふさわしいと言うのか？」勝が答える。「本来、位(くらい)や次(じ)はないものです。」昌が言う。「お前という馬鹿者め、それをどこに置こうというのか？」勝が言う。「好きなように亀を焼き、瓦を打てということだ。」昌が言う。「お前も所詮はでたらめな巡礼者に過ぎないな。」英が言う。「もし千金の宝であるなら、わざわざ瓦を打つまでもないだろう。」昌が言う。「東家で人が死ねば、西家が弔うものだ。」英が言う。「道で理不尽を見たら黙っていられない。」

師拈云。三尊宿。鼎足相持。箭鋒相拄。撿點將來。猶欠一著。爭得報恩無語。要建法堂。不知向當。賊是小人。匙挑不上。本無位次。也著安排。杜撰巡官。好與活埋。明珠彈󳭋。爛泥有刺。路見不平。拔劒相助。

> 師が言った。「三人の尊宿は鼎の足のように対立し、矢の先が互いに突き合っていた。よくよく点検してみると、まだ一着足りない。報恩和尚が何も言わず、法堂を建てようとしたことを、どうして知ることができようか？ だが、その振る舞いは見当違いだった。賊は小人であり、匙でさえもすくい上げることができない。本来位次などないのに、わざわざ順序を並べた。つまらない占い師め、生きたまま埋めてやろう。明るい珠で雀を打ち、爛泥には棘がある。道で不平を見れば、剣を抜いて助ける。」

冬夜小參。一陽來復。小人道消。消剝群陰。君子道長。大似依文解義。取笑傍觀。須知有物先天地。無形本寂寥。能為萬象主。不逐四時凋。又誰管你。󳫴運推移。日南長至。孟夏漸熱。仲秋漸凉。主丈子。忍俊不禁。出來道。我則不然。寒時向火。熱即乘凉。為復是世諦流布。為復是佛法商量。贏得莊周蝶夢長。

> 冬夜の小参。 陽気が一たび巡り来て、 小人の道は消え去る。 群陰を削り尽くし、 君子の道は長じてゆく。 これはまるで、文字のままに解釈して、 傍観者の笑いを取るようなものだ。 知るべきである、 「物」よりも先にあり、 形なく、本来は寂寥としているものがあることを。 それは万象の主となり、 四季とともに衰えることもない。 さらに、誰がそんなことを気にするものか。 「運が巡り、日が南に至る。」 「初夏は次第に暑くなり、中秋は次第に涼しくなる。」 と。 杖が思わずこらえきれず、 出てきて言う。 「私はそうではない。 寒ければ火にあたり、暑ければ涼をとる。」 これは、世間の風習として言っているのか。 それとも、仏法の話として論じているのか。 荘周の蝶の夢は、長く続くのである。

舉法昌遇和尚。冬夜與感首座喫菓子。法昌拈起橘子云。黃龍滋味。何似者箇。感云。且待甞過始得。昌云。驗人端的處。下口便知音。感云。末代禪師。多虗少實。昌拈起托子云。者箇又作麼生甞。感云。須是和尚始得。昌云。一箇托子。便不奈何。

> 法昌遇和尚が、冬の夜に感首座と果物を食べていました。法昌がみかんを取り上げて言いました。「黄龍の味わいは、これと比べてどうかな？」 感首座が言いました。「まずは味見をしてからにしましょう。」 法昌が言いました。「人を見極めるには、口に入れてみれば、すぐに分かるものだ。」 感首座が言いました。「近年の禅師は、虚言が多くて実が少ないものです。」 法昌が茶托（たく）を取り上げて言いました。「これはどうやって味わうんだ？」 感首座が言いました。「それには和尚さまこそ適任です。」 法昌が言いました。「たった一つの茶托に、もうお手上げか。」

師拈云。停囚長智。養病喪𨈬。檢點將來。誰之過歟。當時見他拈起橘子。只向他道。內不足者。急於人知。待他拈起托子。討什麼碗。

> 師が言われた。「囚人を長く置けば知恵がつく。病を養えば体を失う。よくよく考えてみれば、これは誰の過ちであろうか。あの時、彼がみかんを手に取るのを見て、ただ『内に足りない者は、人に知られることを急ぐ』とだけ言えばよかった。彼が托子を手に取った時に、何のための碗を求めるのか。」

結夏小參。一法若有。毗盧墮在凡夫。萬法若無。普賢失其境界。若一向把作無。則墮空空。大空。勝義空。有為空。無為空。畢竟空。因有立無。執空為有。依無立有。亦復如是。殆不知幽靈絕待。不有不無。清淨本然。遍周法界。隨眾生心。應所知量。恁麼恁麼。此義斯墮。不恁麼不恁麼。其義亦墮。只如毗盧普賢。作麼生折合。湖州紙貴。一狀領過。

> 結制夏安居の小参。 一つの法が「有る」と言えば、毘盧遮那仏も凡夫に堕ちる。 万の法が「無し」と言えば、普賢菩薩もその境地を失う。 もし一貫して「無」と決めつければ、空々、大空、勝義空、有為空、無為空、畢竟空といった空の概念に堕ちる。 「有」があるから「無」を立て、その「無」を執着して「有」とする。 「無」に依って「有」を立てるのも、また同じである。 実に、幽霊（幽かな霊妙さ）は対待を絶し、「有」でも「無」でもないことを知らないのである。 清らかで本来このままであり、法界のあらゆる場所に遍満している。 衆生の心に従い、その知りうる量に応じて現れる。 「こうだ、こうだ」と言えば、この義は堕ちる。 「こうではない、こうではない」と言えば、その義もまた堕ちる。 さて、毘盧遮那仏と普賢菩薩を、どのようにして一つに収めるのか。 湖州の紙は高価だが、一つの訴状としてまとめて引き受けよう。

舉以大圓覺。為我伽藍。身心安居。平等性智。

> 大いなる円覚を掲げて、我が伽藍とせん。身心を安んじ、平等性智に住す。

師拈云。時時具足。日日團圝。含元殿裏。更問長安。

> 師が言った。 「時々にあまねく具わり、日々に完全に円満している。 含元殿にいながら、さらに長安を尋ねるようなものだ。」

散夏小參。鵞護雪。䗶人氷。盡是閑家潑具。一片畬。一羅粟。無非向外馳求。喫粥喫飯過。聽風聽雨眠。但念水草。餘無所知。恁麼也不得。不恁麼也不得。恁麼不恁麼總不得。以主丈畫一畫云散亂定。隨流禪。莫將安樂法。容易與人傳。

> 夏の修行を終えた小参の時です。 雁が雪を守り、蝋が人の氷となるようなことは、すべて暇人の無駄な道具立てに過ぎません。 少しばかりの焼き畑の土地、わずかばかりの穀物を得るために追い求めることは、すべて外に向かって求めて走り回ることにほかなりません。 お粥を食べ、ご飯を食べて過ごし、風の音を聞き、雨の音を聞きながら眠る。 ただ水や草のことを思い、それ以外は何も知らない。 このようであってもなりません。このようでなくてもなりません。このようであることも、このようでないことも、すべて許されません。 <note>杖で線を一本引いて、</note> 散乱した心も定まり、流れに従うのが禅。 安らぎの法を、軽々しく人に伝えてはいけません。

舉溈山令侍者喚院主。院主到。溈山云。我喚院主。你來作什麼。院主無對。

> (主人と下僕の関係をなぞらえた禅問答です。訳は意図的に平易にしています。) 潙山が侍者に「院主を呼んできなさい」と命じた。院主が来た。潙山が言った。「私は院主を呼んだんだ。あなたはなぜ来たのかね？」院主は答えることができなかった。

保寧代云。將謂有何處分。

> 保寧禅師がこう言った。「いったいどこに特別な処置があるというのか。」

北磵即不然。只向他道。和尚且坐。待為喚來。教這老漢。一生起不得。

> 北磵はそうではない。ただ彼にこう言うだけだ。「和尚さま、どうぞお掛けください。私が呼んでまいります。この老いぼれめに、一生涯立ち上がれなくしてやりましょう。」

除夜小參。未得黃梅山裏信。先開大庾嶺頭花。如何種栢㘽松手。流入擔柴賣筊家。今夕無可分歲。豈無露地白牛。不欲踏古人脚蹟。不如為梅兄說法。所以古人道。春風不世情。委曲到山家。隨分有春色。一枝三兩花。小小生涯。隨家豐儉。或若臨風千萬點。背日兩三枝。多多益辨。未稱全提。至於為有暗香來。遙知不是雪。依稀越國。彷彿楊州。瞥轉一機。落落寞寞路不分。夢中喚作梨花雲。清清之水。游魚自迷。若是玉堂金馬。茅舍踈籬。風月不到處。花在不萠枝。也大奇卓主丈云爛熳也。想百花猶自未知舉龐居士。問大梅。久嚮大梅。未審梅子熟也未。師云。到處生事。大梅云。你向什麼處下口。師云。引得春風入菜藍。居士云。百雜碎。師云。放過即不可。大梅云。還我核子來。師云。不索何獲。居士便禮拜。師云。如何得一轉語。啞却居士口。良久云自非板築手。鼎鼐少知音。

> 除夜の小参。 黄梅山の信を得ずして、 先ず大庾嶺の頭に花が開く。 いかにして柏を植え松を栽える手が、 薪を担い筊を売る家に流れ込むのか。 今宵、分け与える歳も無く、 露地の白牛（ろじのびゃくご）無からんや。 古人の足跡を踏むことなく、 梅兄のために説法せん。 古人が言う、 春風は世情ならず、曲がりて山家に到る。 分に随いて春色あり、一枝に三両の花。 小さき生涯、家に随いて豊かにも貧しくにも。 あるいは風に臨みて千万の点、 日に向かいて背きて二三の枝。 多ければますます弁ずるも、 全提（ぜんてい）と称するに足らず。 「暗香有りて来たる」を為とし、 遥かに知る雪にあらずと。 依稀として越国、彷佛として楊州。 瞥転の一機、 落落寞寞として路は分かたず。 夢中に喚んで梨花の雲となす。 清き水、遊魚は自ら迷う。 もし玉堂金馬、茅舍疏籬、 風月の到らざる処、 花は萌えざる枝にあり。 「これも大いに奇なり」<note>卓主丈云</note> 爛漫たり。 想うに百花はなお自ら知らず。 龐居士（ほうこじ）挙げて、大梅に問う。 「久しく大梅に嚮う。未だ審らかにせず、梅子は熟したるか未だかを」 師云く、「到る処に事を生ず」 大梅云く、「汝は何れの処に向かいて口を下す」 師云く、「春風を引きて菜藍に入る」 居士云く、「百雑砕（ひゃくざつさい）」 師云く、「放過すれば即ち可ならず」 大梅云く、「還せ我が核子（かくす）を」 師云く、「索めずして何を得ん」 居士即ち礼拝す。 師云く、「いかにして一転語を得て、居士の口を啞（あ）せん」 <note>良久云</note> 「自ら板築（はんちく）の手にあらずんば、鼎鼐（ていだい）に知音少なし」

為無得和尚。對靈小參。大地及日月。時至皆歸盡。未甞有一物。不被無常吞。二千年前。黃面瞿曇。雙林樹下。夜半子時。豈不是歸盡底時節。正恁麼時。無常吞耶。吞無常耶。若吞無常。則怖死貪生。慈悲何在。自高用奇。顯異惑眾。為無常吞。則三界獨尊。四生共仰。反不若三家村裏。了事凡夫。恁麼也不得。不恁麼也不得。恁麼不恁麼㹅不得。到者裏。識得黃面瞿曇敗缺處。便見得。新圓寂。無得禪師。昔本不生。今本不滅。五坐道場。不曾動一絲毫許。瀾飜千偈。不曾有箇元字脚。恁麼也得。不恁麼也得。恁麼不恁麼㹅得。雖然如是。要且未是。他超宗越格處。竪起拂子云要見無得和尚麼。良久云劒去久矣復舉。佛將入涅槃。文殊請佛。再轉法輪。佛謂文殊云。我四十九年。未曾說一字。汝請吾再轉法輪。是吾曾轉法輪耶。

> 亡き無得和尚のための小参忌。 大地も日月も、時至れば皆尽きる。無常に呑まれぬものは、一つとしてない。 二千年前、あの黄面の瞿曇（釈尊）も、沙羅双樹の下で、夜半の時、まさに尽きる時節を迎えたではないか。 まさにその時、無常が釈尊を呑んだのか。それとも、釈尊が無常を呑んだのか。 もし無常が釈尊を呑んだのなら、死を恐れ生に執着する心、すなわち慈悲はどこにあるというのか。己を高く見せ、奇を衒い、不思議な力で人を惑わした行為は、まさに無常に呑まれたことになる。 だが、もしそうなら、三界（迷いの世界）で唯一尊く、四生（あらゆる生きとし生けるもの）から敬われる釈尊が、かえって田舎の村の、物事をわきまえた凡夫にも及ばないことになる。 「そうする」も良しとせず、「そうしない」も良しとせず、「そうする、そうしない」のどちらも良しとしない。この境地に至ってこそ、黄面の瞿曇の欠点を見抜くことができるのだ。 そうすれば、つい先ごろ入滅された無得禅師は、元より生まれたわけでもなく、今も滅したわけでもないとわかる。五つの道場で説法されても、微動だにせず、千もの偈頌を縦横に説かれても、元の字すらなかった。 それゆえ、「そうする」も良し、「そうしない」も良し、「そうする、そうしない」のどちらも良しとするのだ。 しかしそう言っても、まだ彼の、宗派の枠を超え格を越えた真骨頂には届いていない。 <note>払子を立てて</note> 無得和尚にお会いしたいか？ <note>しばらく間を置いて</note> 剣はすでに去って久しいのだ。 さて、再び挙げる。仏が涅槃に入ろうとされた時、文殊菩薩が仏に請うた。「どうかもう一度、法輪を転じてください」と。仏は文殊に答えた。「私は四十九年の間、一字も説いたことがない。あなたが私に、再び法輪を転じよと請うのは、私がかつて法輪を転じたことがあるということになるのか」と。

師頌云。末上何曾轉法輪。只今再轉謾勞神。路行人不知天曉。猶把靈符執夜明。

> 師が頌でおっしゃった。 「最初から法輪を転じたことなどないのに、 今さら再び転じようとしても、ただ無駄に心を労するだけだ。 道ゆく人は、夜が明けたことにも気づかず、 まだ夜を照らすお札を手放そうとしない。」