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title: "大慧普覺禪師語錄 · 2"
description: "大慧普觉禅师语录由宋代高僧蕴闻编集，收录了临济宗高僧大慧宗杲的禅法开示、书信、法语等。宗杲禅师是两宋之际禅宗巨匠，提倡看话禅，对后世影响深远。此语录系统阐述其禅学思想，强调疑情参究、真参实悟，批判当时流弊，是研究宋代禅宗特别是看话禅的重要典籍。该书在佛教史上地位崇高，是禅门必读经典，对中日韩禅法发展均有深远影响。"
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## 大慧普覺禪師住徑山能仁禪院語錄卷第二

> 大慧普覚禅師、径山能仁禅院住持語録 巻第二

徑山能仁禪院住持嗣法慧日禪師臣蘊聞　上進

> 徑山能仁禪院住持、嗣法慧日禪師、臣・蘊聞 謹んで奉呈す

大堂舉白雲端師翁道若端的得一回汗出也。便向一莖草上。現瓊樓玉殿。若未端的得一回汗出。縱有瓊樓玉殿。却被一莖草蓋却。師云。一莖草上現瓊樓玉殿。決定可信。瓊樓玉殿被一莖草蓋却。莫被他熱謾。徑山恁麼道。為已得一回汗出者說。若未得一回汗出者。切不得疑著。

> 大堂で白雲端師翁がおっしゃった。「もし本当に一度、汗をかくほどの悟りを得たならば、その時には一本の草の上に、美しい楼閣や宮殿が現れるであろう。もし一度も汗をかくほどの悟りを得ていなければ、たとえ美しい楼閣や宮殿があっても、一本の草に覆い隠されてしまうだろう。」 師は言われた。「一本の草の上に美しい楼閣や宮殿が現れるということは、確かに信じることができる。しかし、美しい楼閣や宮殿が一本の草に覆い隠されるというのも、決して人を欺く言葉ではない。 徑山がこのように言うのは、すでに一度の汗をかくほどの悟りを得た人のために説いているのである。もしまだ一度もその悟りを得ていない人は、決して疑いの心を起こしてはならない。」

天申節上堂。稽首能度諸世間。無量殊勝福德聚。金輪統御四天下。普施群生安隱樂。還有知恩報恩底麼。良久云。一年三百六十日。唯有今日最吉祥。

> 天申節の上堂。頭を垂れて、あらゆる世を救うお方に帰依する。限りない勝れた福徳の集まり。金輪が四方の天下を統べ治め、全ての生きとし生けるものに安らぎと楽しみを施す。はたして、恩を知り恩に報いる者はいるだろうか。しばらくあって言う。一年三百六十日、ただ今日この日が最も吉祥である。

上堂舉。百靈問龐居士。石頭得力底句。還曾舉似人否。士云。亦曾舉似人。靈云。舉似阿誰。士自點胸云。龐公。靈云。直是妙德空生。也讚歎不及。居士却問百靈。阿師石頭得力底句。還曾舉似人否。靈云。亦曾舉似人。士云。舉似阿誰。靈戴笠子便行。師云。這箇話端。若不是龐公。幾乎錯舉似人。雖然如是。百靈輸他龐公一著。何故。當時若不得箇破笠遮却髑髏。有甚面目見他龐公。

> 上堂の説法で、次のように述べた。 百霊が龐居士に尋ねた。「石頭禅師から得た肝心の言葉を、かつて人に示したことがありますか。」 居士は答えた。「かつて人に示したことがあります。」 百霊が尋ねた。「誰に示したのですか。」 居士は自分の胸を指さして言った。「龐公に。」 百霊は言った。「それはまったくもって、妙徳や空生（須菩提）でさえも、称賛し尽くせないものです。」 居士は逆に百霊に尋ねた。「和尚さま、石頭禅師から得た肝心の言葉を、かつて人に示したことがありますか。」 百霊は答えた。「かつて人に示したことがあります。」 居士が尋ねた。「誰に示したのですか。」 百霊は笠をかぶってそのまま立ち去った。 師は言った。「この話の種は、もし龐公でなければ、ほとんど誤って人に示すところであった。しかし、そうは言っても、百霊は龐公に一着負けている。なぜか。あの時、もし破れた笠で頭蓋骨を覆っていなければ、どのような面目があって龐公に会えるというのか。」

上堂。顛倒想生生死續。顛倒想滅生死絕。生死絕處涅槃空。涅槃空處眼中屑。涅槃既空。喚甚麼作眼中屑。白雲乍可來青嶂。明月難教下碧天。

> 上堂。迷いの想いが生じれば、生と死の輪廻が続く。迷いの想いが滅すれば、生と死の輪廻は絶える。生死の絶えたところに涅槃はない。涅槃の空じたところに、眼中の屑がある。涅槃すらも空ならば、何を以て眼中の屑と呼ぶのか。白雲は峰に立ち昇ることもあろうが、明月を碧天から降ろすことは難しい。

上堂舉。無著往臺山禮文殊。殊問。大德從何方而來。著云。南方。殊云。南方佛法如何住持。著云。末法比丘少奉戒律。殊云。多少眾。著云。或三百或五百。無著却問。和尚此間佛法如何住持。殊云。凡聖同居龍蛇混雜。著云。多少眾。殊云。前三三後三三師云。徑山當時若見。即向他道。和尚如此住持。極是不易。

> ここで師は説法を開かれた。 無著菩薩が五台山に文殊菩薩を訪ねた時のことである。文殊菩薩が尋ねた。「大徳よ、どちらの方角から来られたのか。」無著が答えた。「南方から参りました。」文殊菩薩が問うた。「南方ではどのように仏法が保たれているのか。」無著が答えた。「末法の時代ゆえ、比丘たちは戒律をあまり守っておりません。」文殊菩薩が尋ねた。「どれほどの僧がいるのか。」無著が答えた。「三百人ほどの時もあり、五百人ほどの時もあります。」 無著が逆に尋ねた。「和尚様、こちらではどのように仏法が保たれているのでしょうか。」文殊菩薩が答えた。「凡夫と聖人が共に住み、龍と蛇が入り混じっている。」無著が尋ねた。「どれほどの僧がいるのですか。」文殊菩薩が答えた。「前の三三、後の三三である。」 ここで径山の師が言われた。「私が当時そこにいたなら、すぐにこう言ったであろう。『和尚様、そのように仏法を保たれているのは、まことに容易なことではありません。』」

上堂。拈拄杖卓一下喝一喝云。德山棒臨濟喝。今日為君重拈掇。天何高地何闊。休向糞掃堆上更添搕𢶍。換却骨洗却腸。徑山退身三步。許爾諸人商量。且作麼生商量。擲下拄杖喝一喝云。紅粉易成端正女。無錢難作好兒郎。

> 上堂の説法。柱杖を拈じて一打ちし、一喝して云く、「徳山の棒、臨済の喝。今日、君の為に重ねて拈掇す。天は何ぞ高く、地は何ぞ広きや。糞掃の堆き上に、更に搕𢶍を添うることなかれ。骨を換え、腸を洗う。徑山、退身して三步すれば、爾の諸人の商量を許さん。且つ、如何が商量せん」。柱杖を擲ちて一喝し、云く、「紅粉は容易に端正の女を成す。金なければ、難し良き児郎を作るには」。

上堂。僧問。雪峯三上投子九到洞山。為甚麼向鼇山成道。師云。屋裏販揚州。進云。後來住菴。有僧敲門。雪峯放身出云。是甚麼。僧亦云。是甚麼。還有優劣也無。師云。優則總優。劣則總劣。進云。為甚麼雪峯低頭歸菴。師云。疑殺天下人。進云。僧舉似巖頭。頭云。我當時若向伊道末後句。天下人不柰雪老何。作麼生是末後句。師云。若不同床睡。焉知被底穿。進云。巖頭道。雪峯與我同條生。不與我同條死。要識末後句。只這是。意旨如何。師云。殺人須是殺人刀。活人須是活人劍。乃云。古德道。青蘿夤緣。直上寒松之頂。白雲淡泞。出沒太虛之中。萬法本閑。唯人自鬧。又教中道。凡夫見諸法但隨於相轉。不了法無相。以是不見佛。遂舉起拂子云。這箇是相。那箇是無相。現今目前森羅萬象眼見耳聞。悉皆是法。又何曾鬧來。既不曾鬧。教甚麼物隨相轉。又舉拂子云。這箇是無相。又作麼生了。既無可了却。向甚麼處見佛。且道古德底是。教中底是。是又是。箇甚麼。若向這裏分剖得出。釋迦不先彌勒不後。雖然如是。未免被山僧拂子穿却鼻孔。復舉拂子云。隨相轉也。被拂子穿却鼻孔。不隨相轉也。被拂子穿却鼻孔。見佛也被拂子穿却鼻孔。不見佛也被拂子穿却鼻孔。乃顧視大眾云。且作麼生免得此過。畢竟水須潮海去。到頭雲定覓山歸。擊禪床下座。

> 上堂の説法。僧が問う。「雪峯は三度投子に登り、九度洞山に参じたのに、なぜ鼇山で悟りを開かれたのでしょうか。」師は答えた。「家の中で揚州の品物を売るようなものだ。」僧がさらに問う。「その後、庵に住んでおられた時、僧が門を叩きました。雪峯は身を乗り出して『何だ』と言うと、その僧もまた『何だ』と言いました。そこに優劣はあるのでしょうか。」師は言った。「優れているならば両方とも優れ、劣っているならば両方とも劣る。」僧が問う。「ではなぜ雪峯はうつむいて庵に戻られたのですか。」師は言った。「天下の人々を疑問でいっぱいにするからだ。」僧が問う。「その僧が巖頭にこのことを話すと、巖頭は『あの時、私がもし彼に最後の一句を言っていたなら、天下の人々は雪老を相手にできなかっただろう』と言いました。では、最後の一句とは何でしょうか。」師は言った。「同じ床で寝なければ、どうして布団の底が破れているのを知ることができようか。」僧が問う。「巖頭は『雪峯は私と同じ生まれだが、同じ死に方はしない。最後の一句を知りたければ、これこそがそれだ』と言いました。その意味はどうでしょうか。」師は言った。「人を殺すには殺人の刀が必要であり、人を生かすには活人の剣が必要だ。」そしてこう言った。「古徳が言った。『青い蔦が絡みつき、寒松の頂上までまっすぐに登る。白い雲は淡々と広がり、虚空の中を出没する。万物は本来静かなものであるが、ただ人だけが自ら騒ぎ立てるのだ。』また教典にはこうある。『凡夫は諸法を見るが、ただ相に従って転じるだけである。法に相がないことを悟らないので、それゆえに仏を見ることができない。』そこで拂子を挙げて言った。「これが相である。では、どれが無相か。今まさに目の前に現れている森羅万象、目で見て耳で聞くもの、すべてこれが法である。いったいどこが騒がしかったのか。一度も騒いだことがないのなら、何を教えて相に従って転じさせるというのか。」また拂子を挙げて言った。「これが無相である。これをさらにどうやって理解するのか。理解すべきものがないのなら、どこに向かって仏を見るのか。さあ、古徳の言葉が正しいのか、教典の言葉が正しいのか言ってみよ。正しいとは、何が正しいのか。もしここで見分けがつくならば、釈迦が先でもなく弥勒が後でもない。しかし、そうだとしても、山僧の拂子に鼻を貫かれることは免れないだろう。」また拂子を挙げて言った。「相に従って転じても、拂子に鼻を貫かれる。相に従って転じなくても、拂子に鼻を貫かれる。仏を見ても拂子に鼻を貫かれ、仏を見なくても拂子に鼻を貫かれる。」そして大衆を見渡して言った。「さて、どうすればこの過ちを免れることができるのか。結局、水は海に向かって流れていくものであり、行き着くところ、雲は必ず山を求めて帰っていくのだ。」禅床を叩いて下座した。

上堂舉。僧問米胡。自古上賢。還達真正理也無。胡云達。僧云。只如真正理。作麼生達。胡云。當時霍光賣假銀城與單于契書。是甚麼人做。僧無語。師云。徑山當時若作這僧。即下一轉語。塞却這老漢口。且道下甚麼語。良久云。若教容易得。便作等閑看。

> 上堂のとき、ある僧が米胡に問うた。「昔から優れた賢者は、真実の理に達することができたのでしょうか。」米胡は「達した」と答えた。僧は「では、その真実の理とは、どのようにして達するのですか」と問うた。米胡は「当時、霍光が単于に偽りの銀の城を売ったときの契約書は、誰が書いたのか。」と言った。僧は言葉を失った。師匠は言った。「径山が当時その僧の立場だったなら、すぐに一言を返して、この老人の口を塞いだだろう。さて、どのような言葉を返すべきか。」しばらくして、「もし容易に得られるなら、それはただのありきたりのこととして見られるだろう。」と言った。

上堂。山僧今日設粥供養大眾。粥罷同到龍王殿念誦。念誦罷普請送彥化主茶毘。如此事多。若是祖師西來意。未有工夫說得。

> 上堂。山僧は今日、粥を設けて皆さんに供養します。粥が終わったら、一緒に龍王殿へ参り、お経を唱えます。お経を唱え終わったら、皆で彦化主の茶毘（火葬）を送ります。このようにやることが多いのです。もし祖師が西から来た意図（禅の真意）についてであれば、それを語る暇はまだありません。

上堂舉。圜悟先師在夾山日。示眾云。通身是眼見不到。通身是耳聞不及。通身是口說不著。通身是心鑑不出。通身即且置。或若無眼作麼生見。無耳作麼生聞。無口作麼生說。無心作麼生鑑。若向這裏撥得一線路。便與古佛同參。且道參甚麼人。師云。惜乎徑山當時不在。若在點一把火照看這老漢面皮厚多少。即今或有傍不甘底出來道。和尚也是普州人。又作麼生即向他道。西天斬頭截臂。這裏自領出去。

> 上堂の際に、圜悟先師が夾山にいた時のことを挙げて言った。大衆に示して云う、「全身が目であっても、見ることはできない。全身が耳であっても、聞くことはできない。全身が口であっても、言い表すことはできない。全身が心であっても、鑑みることはできない。全身がどうであるかはひとまず置いておこう。もし目がなければ、どうやって見るのか。耳がなければ、どうやって聞くのか。口がなければ、どうやって言うのか。心がなければ、どうやって鑑みるのか。もしここで一条の道筋を見つけ出せば、古仏と同じく参じることができるだろう。さて、何を参じるというのか。」老師は言った、「惜しいかな、径山はその時そこにいなかった。もしいたならば、一つの火を点けて、この老人の顔の皮がどれほど厚いかを照らして見ただろうに。今、もしここで悔しがって出てくる者がいて、『和尚もまた普州の人だ』と言ったならば、どうするか。その者に向かって言う、「西天では首を斬り腕を切るが、ここでは自分で出て行け。」

上堂。十五日已前。諸人道得著。徑山道不著。十五日已後。徑山道得著。諸人道不著。正當十五日。又作麼生。良久云。普。

> 上堂の説法。十五日以前は、皆が言い当てられるが、径山は言い当てられない。十五日以後は、径山が言い当てられるが、皆は言い当てられない。ちょうど十五日そのものは、どうだろうか。しばらく間を置いて言う、「普（あまねし）」。

上堂。僧問。逼塞虛空時如何。師便喝。進云。文殊普賢來也。師云。逼塞虛空。甚處與徑山相見。僧亦喝。師云。文殊普賢為甚麼在爾脚跟下過。僧擬議。師便打。乃舉。永嘉道。了了見無一物。亦無人亦無佛。大千沙界海中漚。一切聖賢如電拂。有老宿拈云。既無一物。了了見底是箇甚麼。師云。且道這老宿恁麼道。還具眼也無。

上堂。月生一。鐵輪天子寰中勅。月生二。豐干騎虎入鬧市。月生三。蟭螟眼裏巨鼇翻。驀拈拄杖云。莫有同生同死底麼。出來與徑山拄杖子相見。良久云。見義不為何勇之有。擲下拄杖。

上堂。心生法滅。性起情亡。這裏悟去揑怪。有甚麼難。舉起拂子云。看看。觀音彌勒普賢文殊。盡向徑山拂子頭上聚頭打葛藤。若也放開。從教口勞舌沸。若也把住。不消一擊以拂子擊禪床下座。

上堂舉。睦州問僧正云。講得唯識論麼。正云不敢。小年曾讀文字來。州拈起糖餅。擘作兩片云。爾作麼生。正無語。州云。喚作糖餅是。不喚作糖餅是。正云。不可不喚作糖餅。州却喚沙彌來來。爾喚作甚麼。彌云。糖餅。州云。爾也講得唯識論。師云。僧正與沙彌。真實講得唯識論。只是不知糖餅來處。睦州老人雖是一方善知識。若是三界唯心萬法唯識。畢竟理會不得。

上堂。三轉法輪於大千。其輪本來常清淨。天人得道此為證。三寶於是現世間。拈拄杖卓三下云。法輪已三轉竟。作麼生是三寶現世間底消息。良久云。我王庫內無如是刀。又卓一下。

上堂舉。佛昔勅五百尊者。降一毒龍。尊者各運神通。皆降不得。忽有異方一尊者到。佛勅令降。尊者於龍面前彈指一聲。其龍便伏。師云。五百尊者神通。既與異方尊者一般。為甚麼降龍不得。異方尊者神通。既與五百尊者一般。為甚麼却降得。乃舉拂子云。還會麼。鴛鴦繡出從君看。不把金針度與人。擊禪床下座。

陳牓眼至上堂。舉教中道。吾不見時。何不見吾不見之處。若見不見。自然非彼不見之相。若不見吾不見之地。自然非物。云何非汝。白雲師翁頌云。堂前露柱久懷胎。長下孩兒頗俊哉。未解語言先作賦。一操便取狀元來。師云。敢問諸人還知師翁落處麼。若知落處便識得狀元。若也未知。徑山為爾指出。有利無利不離行市。放過一著。落在第二。

上堂。僧問。翠巖示眾云。一夏與兄弟東說西話。看翠巖眉毛在麼。意旨如何。師云。自首者原其罪。進云。保福道。作賊人心虛。又作麼生。師云。驢揀濕處尿。進云。長慶道。生也。雲門云關。又且如何。師云。一箇破糞箕。對箇禿苕帚。進云。後有老宿云。翠巖無風起浪。作麼生見得。師云。作麼見不得。乃云。廓然無聖不用躊躇。蓋色騎聲全承渠力。諸佛以此度生。衲僧以此為命。露裸裸赤灑灑沒可把。行但行坐但坐。饑來喫飯寒來向火。直饒恁麼。末稱衲僧。不見白雲師翁有言。有時碓嘴生華。有時佛面百醜。李公醉倒街頭。自是張公喫酒。燈籠皺斷眉頭。露柱呵呵拍手。且道露柱拍手成得箇甚麼邊事。參。

上堂。超然居士設粥。供養一堂龍象。喫了掛起鉢盂。好箇西來榜樣。

圜悟和尚忌日。師拈香云。這箇尊慈。平昔強項氣壓諸方。逞過頭底顢頇。用格外底儱侗。自言。我能以木槵子。換天下人眼睛。殊不知。被不孝之子將斷貫索穿却鼻孔。鼻孔索頭既在徑山手裏。要教伊生也由徑山。要教伊死也由徑山。且道以何為驗遂燒香云。以此為驗。

上堂。去年人看中秋月。今年人看中秋月。今年人是去年人。去年月是今年月。還有人向這裏著得一隻眼麼。若也著得。徑山分半院與伊住。其或未然。歸堂喫茶。

上堂。古者道。了得一萬事畢。今朝是九月一。諸人作麼生了。驀拈拄杖云。不得喚作拄杖子。便了取好。既不喚作柱杖子。作麼生了。擲下云。差之毫釐。失之千里。

上堂舉。雲門道。既知來處。且道甚麼劫中無祖師。自代云。某甲今日不著便。師云。雲門也是作賊人心虛。徑山即不然。既知來處。且道甚麼劫中無祖師。不圖打草且要蛇驚。

上堂。今朝九月初五。天色半晴半雨。衲僧鼻孔眼睛。切忌和泥合土。乃顧視大眾云。惺惺直是惺惺。靈利不妨靈利。等閑問著十人。五雙不知落處。既惺惺又靈利。為甚麼不知落處。不見道。事因叮囑起。

上堂。拈拄杖示眾云。迷底人喚這箇作拄杖子。悟底人亦喚這箇作拄杖子。雖迷悟之有殊。蓋所見而無異。見既無異。則迷者從教迷。悟者從教悟。總不干這箇事。又舉起云。即今舉起在諸人眼睛上。是迷耶是悟耶。是見耶是不見耶。是異耶是不異耶。喝一喝卓一下云。又是從頭起。

劉參政請就天竺陞座。僧問。高揖釋迦不拜彌勒時如何。師云。夢裏惺惺。進云。將謂和尚忘却。師云。爾記得試道看。進云。雖道不得。要且不失。師云。元來不會。進云。從上來事分付阿誰。師云。分付瞎漢。進云。臨濟一宗全憑渠力。師云。且喜不干爾事。問昔日七賢女遊屍陀林。一女云。屍在這裏。人向甚麼處去。一女云。作麼作麼。當時齊悟無生法忍。如何是無生法忍。師云。拈却髑髏裏底。進云。輝騰今古爍破乾坤。師云。這田庫奴。進云。只如四主簿。即今在甚麼處。師舉起拂子云。在這裏。進云。唯憑這箇力。念念更無差。師云。摩竭令行傳萬古。乃云。拈提要妙掘地覓天。就理明真望空啟告。直得心心不觸物。念念絕攀緣。觀法界於一微塵之中。見一微塵遍法界之內。塵塵爾念念爾法法爾。猶是教乘極則。未是衲僧放身命處。若識得衲僧放身命處。則出生入死得大自在。以生死為游戲之場。而不被生死之所留礙。其或不然。未免葛藤。妙性圓明離諸名相。本來無有世界眾生。因妄有生因生有滅。生滅名妄滅妄名真。乃顧視大眾云。今日參政相公。為亡男主簿盡七之晨命。山僧陞于此座。為眾舉揚。僧俗交參同臨斯會。又是箇甚麼。若言是妄現。今說法聽法歷歷孤明。復是何物。眼若是妄。將甚麼觀色。耳若是妄。將甚麼聽聲。鼻若是妄。將甚麼嗅香。舌若是妄。將甚麼了味。身若是妄。將甚麼覺觸。意若是妄將甚麼分別。眼耳鼻舌身意。色聲香味觸法。既不屬妄。一真何依。其既無依。一道平等。到這裏方知主簿。昔日雖生本不曾生。今日雖滅本不曾滅。既不生又不滅。更喚甚麼作圓明妙性。真妄名相何處安著。還委悉麼。騰身一擲太虛外。鼻孔依前搭上唇。下座。

上堂。佛真法身猶若虛空。以拂子擊禪床一下云。應物現形如水中月。復舉起云。釋迦老子來也。還見麼。若道不見。有眼如盲。若道見。且道。在拂子內拂子外拂子中。間直饒爾道不在內不在外不在中間。恁麼見得分明。徑山門下正好喫棒。擊禪床下座。

上堂。盤山道。向上一路千聖不傳。慈明道。向上一路千聖不然。徑山道。向上一路熱盌鳴聲下座。

出鄉歸上堂。舉肇法師道。動若行雲止猶谷神。既無心於彼此。豈有象於去來。修山主道。去去實不去。途中好善為。來來實不來。路上莫虧危。師云。這二老漢。惜乎不與徑山同時。若也同時。便與縛作一束。送在錢塘江裏。何故古今山河古今日月古今人倫。寒則普天普地寒。熱則普天普地熱。去去來來動動靜靜。又有甚麼過。或有箇衲僧出來道。徑山恁麼說話。也好縛作一束。送在錢塘江裏。山僧却熱炙盞子點茶與伊喫。為甚麼如此。大丈夫兒捋虎鬚。豈是分外。

上堂。千說萬說。讚說毀說。安立說。隨俗說。顯了說。蓋覆說。盡是盌躂丘。拈起拄杖云。爭如直下識取這箇。不被生死之所轉。不被寒暑之所遷。或有箇衲僧出來道。也只是箇拄杖子。用識作甚麼。今時有一種杜撰禪和。多作這般見解。擲拄杖下座。

上堂。臘月十五天降雪。為瑞為祥無空闕。文殊露出廣長舌。普賢大士得一橛。如何是那一橛。看錮鏴著生鐵。

上堂舉。僧問趙州。毫釐有差時如何。州云。天地懸隔。僧云。毫釐無差時如何。州云。天地懸隔。師云。諸人要識趙州麼。慣從五鳳樓前過。手握金鞭賀太平。

上堂。拈拄杖云。今朝臘月二十五。諸方盡唱雲門曲。徑山隨例和一聲。乃卓一下云。還聞麼。莫言楚石不當玉。

開山忌日上堂。今日一會。是當山國一大覺祖師。為諸人向一切處轉無上法輪。全提底時節。直得大地六種十八相震動出大音聲。諸天音樂不鼓自鳴。梵唄詠歌自然敷奏。諸天寶華同時而雨。正當恁麼時。塵沙諸佛諸大菩薩。諸阿羅漢天龍八部諸鬼神等。各從他方而來集會。咸生歡喜踊躍稱慶。同時發聲而作是言。善哉希有大覺祖師。快說此法。我等悉來共作證明。證明即不無。如何是此法。良久云。雲有出山勢。水無投㵎聲。

歲旦上堂。去年今日也只是這箇。前年今日也只是這箇先前年今日也只是這箇。外前年今日也只是這箇。明年今日也只是這箇。後年今日也只是這箇。外後年今日也只是這箇。更外後年今日也只是這箇。且道這箇是甚麼。元正啟祚萬物咸新。應時納祐慶無不宜。喝一喝云。俗氣不除。

陳知縣請陞座。祖師道。通達本法心。無法無非法。悟了同未悟。無心亦無法。既無心又無法。却喚甚麼作本法。本法又作麼生通達。黃面老子云。心不妄取過去法。亦不貪著未來事。不於現在有所住。了達三世悉空寂。諸人還委悉麼。若未委悉。分明為諸人註破。不住現在此名為定。不著未來此名為慧。不取過去此名為智。亦謂之如來禪。亦謂之祖師禪。苟能於日用二六時中。如是通達。如是了悟。則此定此慧此智。一一如空無有邊際。定慧智既無邊際。則當人日用神通光明亦無邊際。神通光明既無邊際。諸波羅蜜諸解脫門亦無邊際。波羅蜜解脫門既無邊際。此無住心亦無邊際。無住心既無邊際。徑山今日以此無邊際心。說此無邊際法。奉為臣子陳亞卿。祝吾君壽地久天長亦無邊際。正當恁麼時。依時及節一句作麼生道。舉起拂子云。將此深心奉塵剎。是則名為報我皇。下座。

上堂。正月十四十五。雙徑椎鑼打鼓。要識祖意西來。看取村歌社舞。

徽宗皇帝大祥上堂。拈香罷乃就座云。身從無相中受生。猶如幻出諸形像。幻人心識本來無。罪福皆空無所住。從上諸聖。莫不皆從無所住處成就眾生。於無所住處示現降神處胎十月。於無所住處示現誕生。於無所住處示現行七步。於無所住處示現處王宮。於無所住處示現出家。於無所住處示現行菩行。於無所住處示現坐菩提樹下成等正覺。於無所住處示現降伏魔軍。於無所住處示現坐道場轉法輪度有情。於無所住處示現授諸菩薩阿耨多羅三藐三菩提記。於無所住處作佛事已示現入般涅槃。召大眾云。從上諸聖既如是示現。今日臣僧宗杲亦如是說法。只將如是之法。恭為徽宗聖文仁德顯孝皇帝顯肅皇后。用嚴仙駕。伏願。不守自性普現塵中。堅密身同彼上人住不思議解脫海。下座。

上堂。即心是佛佛不遠人。無心是道道非物外。三世諸佛只以此心說法。只以此道度生。以此道度生。無生可度。以此心說法。無法可說。無法可說是真說法。無生可度是真度生。當知三世諸佛亦如是。現前大眾亦如是。乃舉拂子云。還委悉麼。復擊禪床云。如是如是。

上堂。僧問。不與萬法為侶者是甚麼人。師云。是箇天上天下奈何不得底人。進云。為甚麼却在徑山座下。師云。家無小使不成君子。乃云。塵塵剎剎沒一絲毫。日用堂堂現成活計。三世諸佛立在下風。諸代祖師魂飛膽喪。且道據箇甚麼道理。便得恁麼奇特。還委悉麼。若委悉去。一念萬年萬年一念。如未委悉。東者東邊座。西者西邊坐。

上堂。纔方改歲賀新年。今朝又是二月一。入所證處沒商量。摩訶般若波羅蜜。

上堂。金佛不度鑪。木佛不度火。泥佛不度水。真佛屋裏坐。趙州和尚吐心吐膽。恁麼告報了也。還有知恩報恩者麼。便下座。

上堂。以拂子擊禪床一下云。摩竭提國親行此令。三世諸佛眼似鼻孔。衲僧分上成得箇甚麼邊事。莫有道得底麼。若有。四楞塌地道將一句來。若道不得。徑山自道去也。便下座。

上堂。僧問。懷州牛喫禾。益州馬腹脹。天下覓醫人。炙猪左膊上。為復神通妙用。為復法爾如然。師云。也不是神通妙用。也不是法爾如然。進云。畢竟如何。師云。八尺眉毛頷下生。乃云。大道只在目前。要且目前難覩。欲識大道真體。不離聲色言語。若即聲色言語求道真體。正是撥火覓浮漚。若離聲色言語求道真體。大似含元殿裏更覓長安。總不恁麼。畢竟如何。翡翠蹋翻荷葉雨。鷺鷥衝破竹林煙。

浴佛上堂。毘藍園裏不曾生。雙林樹下何曾滅。不生不滅見瞿曇。眼中又是重添屑。

結夏上堂。此日諸方叢林。莫不踞菩薩乘修寂滅行。以大圓覺為我伽藍。身心安居平等性智。徑山又且不然。從今日去九十日內。與諸衲子共喫無米飯。咬優曇根。飲不濕水。說睡夢語。且道恁麼修行。與諸方結制。相去多少。良久云。將此深心奉塵剎。是則名為報佛恩。下座。

上堂。身口意清淨。是名佛出世。身口意不淨。是名佛滅度。我今為汝保任此事。終不虛也。且作麼生是此事。又作麼生保任。豈不見。僧問歸宗。如何是佛。宗云。我向汝道。汝還信否。僧云。和尚誠言。安敢不信。宗云。即汝便是。僧云。如何保任。宗云。一翳在眼空華亂墜。師云。歸宗放去太危。收來太速。這僧當時若拍手呵呵大笑一巡。歸宗老漢向甚處著這面目。敢問諸人。而今合作麼生。一氣不言含有象。萬靈何處謝無私。

上堂。四月二十五。久晴忽爾雨。竺土大仙心。東西密相付。這箇猶是時節因緣。未是衲僧門下消息。且作麼生是衲僧門下消息。良久云。北山老大蟲。咬殺南山虎。

上堂舉。高亭初參德山。隔江問訊。德山以手招之。高亭忽然開悟。乃橫趨而去。更不回顧。後開法嗣德山。師云。高亭橫趨而去。許伊是箇靈利衲僧。若要法嗣德山。即未可。何故猶與德山隔江在。

上堂。何似生遼天鶻。萬重雲只一突。古人恁麼說話。大似眼病見空華。徑山即不然。何似生莫妄想。直饒透出古今也。是猢猻伎倆。

上堂舉。劉禹端公上雲居謝雨。問弘覺云。雨從何來。弘覺云。從端公問處來。端公遂禮三拜歡喜而退。行數步。弘覺召云。端公。端公回首。弘覺云。問從何來。端公無語。歸家三日而死。師云。劉禹端公無語歸家。三日而死。正爬著弘覺痒處。只是不知轉身一路。當初待伊道問從何。來但依前禮三拜歡喜而退且教弘覺疑三十年。

上堂。拈起拄杖示眾云。還見麼。又卓一下云。還聞麼。若道實見實聞。正是隨聲逐色漢。復舉起云。還見麼。又卓一下云。還聞麼。若道不見不聞。正是避色逃聲漢。畢竟如何。擲下云。鶴有九皐難翥翼。馬無千里謾追風。

上堂舉。魯祖凡有僧來參。即面壁而坐。一日南泉至。亦面壁而坐。南泉遂於背上拍一掌。祖云誰。泉云。普願。祖云。作甚麼。泉云。也是尋常。師云。垂鉤四海只釣獰龍。格外玄機為尋知己。南泉老人雖善別機。宜識休咎。要且未知魯祖落處。如今莫有知得落處者麼。切忌向鬼窟裏卜度。

江令人請陞座。生是死之生。死是生之死。兩路坦然平。無彼復無此。既無生死又無彼此。明明百草頭。明明祖師意。如天普蓋似地普擎。一念相應一時清淨。召大眾云。既無生死。只如檀越給事。五十七年前是箇甚麼。五十七年後又是箇甚麼。良久云。大眾一時高著眼。看我眉毛有幾莖。

## 大慧普覺禪師住徑山能仁禪院語錄卷第二