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続清涼伝 (續清涼傳)


重雕清涼傳序

清凉伝再刊の序

白馬東來。象教流行於中土。玄風始暢。或示禪寂以探宗。或專神化而素法。亦猶水行地中。枝分別派雖異。至於濟世利物之功。其歸未始不同。故。唐劉夢得。已為佛法在九州間。隨其方而化。因名山以為莊嚴國界。凡言神道示現者。必宗清涼焉。按經言。文殊師利。宅東北清涼山。與其眷屬。住持古佛之法。降大慈悲以接引群生。或現真容以來歸依。或發祥光以竦觀仰。千變萬化。隨感而應。有不可形容擬議者。何其異哉。昔有沙門慧祥與延一者。皆緇林助化之人。洎丞相張公天覺。皇華朱公少章。皆大臣護法之士。異世相望。同心贊翼。慮聖跡在遠。未彰芳塵。經久或熄。乃廣搜見聞。與目所親覩。編次成帙。慧祥。始為清涼傳二卷。延一。復為廣傳三卷。張相國朱奉使。又為續傳記。以附於後。其他超俗談玄之流。與夫高人達士。作為詩頌贊偈。附名傳末。星聯珠貫粲然。貝錦之文。流行於世。凡九州四海之內。雖未躬詣靈巖。目瞻聖跡。但覽卷披文。自然回思易慮。益堅向善之心。其外護之益。未易可述。偶回祿之搆災。致龍文之俱燼。不有興者。聖功神化。歲久弗傳。東安趙統。以酒官視局臺山。慨然有感於心。即白主僧。願捐槖金以助緣。僧正明淨。語其屬曰。茲事。念之日久。屬化宮之災。用力有先後。今因其請。盡出粟帛。以成其事。僦工鏤板。告成有日。趙因造門。屬余為序以冠其首。明淨與前提點僧善誼。相繼以書為請。僕嘗謂。道不在衣。傳衣可以授道。法不在文。披文因以悟法。僕既嘉趙侯用意之善。而二高僧。皆於清涼。有大因緣者。知非販佛以眩眾。故為之書。大定四年九月十七日。古豐姚孝錫序。

白い馬が東方を経て、仏教が中国の地に広まりました。その高遠な教えは初めて流れ、ある者は静かな禅定によって真理を探求し、ある者は神妙な変化をもって教えを説きました。それはまるで水が地中を流れて枝分かれし、流れは異なっても世の中を救い物を利する功徳は、結局は同じところに帰するようなものです。

かつて唐の劉夢得がすでに言ったように、仏法は九州の間にあって、それぞれの土地に応じて教化を行い、名山を荘厳な仏国土としています。神変を示現するものは、必ず清涼山を拠り所とします。

経典によると、文殊師利菩薩は東北の清涼山に住み、その眷属とともに古仏の教えを守り伝え、大いなる慈悲を示して人々を導きます。ある時は真の姿を現して帰依させ、ある時は瑞光を放って人々の敬仰を集めます。千変万化の姿で衆生の心に応じ、言葉や考えで表現することのできない不思議さがあります。

昔、沙門の慧祥と延一という者がいました。彼らは僧侶でありながら世の教化に貢献しました。また、丞相の張天覚や皇華の朱少章公といった大臣たちも仏法を護持しました。彼らは時代を超えて互いに思いを同じくし、聖なる跡が遠くにあり、やがてその徳が知られなくなることを憂えました。

そこで広く見聞を集め、自らの目で見た事柄を編纂して書物としました。慧祥は最初に『清涼伝』二巻を作り、延一はさらに『広伝』三巻を著し、張丞相や朱奉使は続いて伝記を書き加えました。

その他にも、世俗を超えた修行者や高僧たちが詩や頌、賛、偈を作り、これらの作品が伝記の後に連なり、まるで星や真珠が連なって美しい錦の織物のようでした。これらの書は世の中に広く流布しました。

このおかげで、たとえ直接霊験あらたかな山を訪れたり、聖なる跡をこの目で見ることができなくても、書物を開いて読めば自然と心が変わり、善への心がいっそう堅固になるのです。このような功徳は言葉に尽くせません。

ところが不幸にも火災が起き、貴重な書物はことごとく灰になってしまいました。このままでは聖なる功徳や神妙な変化も、年月を経て伝わらなくなってしまうでしょう。

東安の趙統という人物が、酒の役人として五台山に赴任していましたが、このことに心を痛め、すぐに住職に申し出て、自分の財布から費用を出して協力したいと申し出ました。

僧正の明浄はその仲間に向かって言いました。「このことは、私も長い間考えていたことです。たまたま寺院が災難に遭いましたが、工事には順序があります。今、彼の申し出を機に、すべての穀物や布帛を出して、この事業を完成させましょう。」

こうして工人を雇い版木を彫り、完成の日も近づきました。趙統が私の家を訪ねてきて、序文を書いてほしいと依頼しました。明浄と前の僧正の善誼も相次いで手紙を送ってきて、序文を依頼しました。

私は思います。道は衣服にあるのではなく、衣服を伝えて道を授けるのです。また、法は文字にあるのではなく、文を披いて法を悟るのです。私は趙侯の善意を喜び、また二人の高僧には清涼山との深い縁があることを知っています。彼らが仏を売り物にして人々を惑わす者ではないことも分かっています。ですから、この序文を書くことにしたのです。

大定四年九月十七日、古豊の姚孝錫が序す。

續清涼傳卷上

続清涼伝 巻上

朝奉郎權發遣河東路提點刑獄公事 張商英 述

張商英の記述

商英。元祐丁卯二月。夢遊五臺山金剛窟。平生耳目所不接。想慮所不到。覺而異之。時為開封府推官。□告同舍林邵材中。材中戲曰。天覺其帥并閭乎。後五月。商英。除河東提點刑獄公事。材中曰。前夢已驗。勉矣行焉。人生事事預定。何可逃也。八月至部。十一月。即詣金剛窟。驗所見者。皆與夢合。會天寒。恐氷雪封途。一宿遂出山。明年戊辰夏。五臺縣有群盜。未獲以職事督捕。盡室齋戒來遊。六月二十七日壬寅。至清涼山。清涼主僧曰。此去金閣寺三里。往歲。崔提舉。嘗於此見南臺金橋圓光。商英默念。崔何人哉。予何人哉。既抵金閣。日將夕。山林漠然無寸靄。僧正省奇來謁。即三門見之。坐未定。南臺之側。有白雲綿密。如敷白㲲省奇曰。此祥雲也。不易得。集眾僧禮誦。願早見光相。商英。易公裳。燃香再拜。一拜未起。已見金橋及金色相輪。輪內深紺青色。商英。猶疑欲落日之射雲成色。既而暝黑。山前霞光。三道直起。則所疑茫然自失矣。癸卯。至真容院。止於清輝閣。北臺在左。東臺在前。直對龍山。下枕金界溪。北浴室之後。則文殊所化宅也。金界之上。則羅睺足跡堂也。知客𧦬曰。此處亦有聖燈。舊有浙僧請之。飛現欄杆之上。商英遂稽首敬禱。酉後。龍山見黃金寶階。戌初。北山有大火炬。𮗿言。聖燈也。瞻拜之。次又現一燈。良久。東臺龍山羅睺殿左右各現一燈。浴室之後。現大光二。如掣電。金界南溪上。現二燈。亥後。商英俯視溪上。持燈者。其形人也。因念曰。豈寺僧。遣人設一大炬。以見欺耶。是時。𧦬已寢。即遣使王班借職秦愿。排門詰問。𧦬答曰。山有蟲虎。彼處無人行。亦無人居。商英疑不能決。又覩燈光。忽大忽小。忽赤忽白。忽黃忽碧。忽分忽合。照耀林木。即默省曰。此三昧火也。俗謂之燈耳。乃跪啟曰。聖境殊勝。非我見聞。凡夫識界。有所限隔。若非人間燈者。願至我前。如是十請。溪上之燈。忽如紅日。浴海騰空而上。放大光明。漸至閣前其光收斂。如大青喙銜圓火珠。商英遍體森颯。若沃氷雪。即啟曰。疑心已斷。言已。復歸本處。光滿溪上。秦愿等。自傍見之。如金色身曲屈而上。妻拏所見。又異。於是。有白領而紫袍者。螺髻而結跏趺者。仗劍者。戴角者。老僧曰。此金毛飛師子。及天龍八部也。良久。北山雲起。於白雲中。現大寶燈。雲收之後。復現大白圓相。如明月輪。甲辰。至東臺。五色祥雲現。有白圓光。從地踴起。如車輪百旋。商英以偈讚曰。雲貼西山日出東。一輪明相現雲中。修行莫道無撈摸。只恐修行落斷空。相次大風雲霧奔蒸。如欲傾崖裂壑。主臺僧曰。巡檢下兵。適持肉燒煮不可禁。願來日屏去。七月乙巳。謝巡檢兵甲。沈幣於北臺。晚休於中臺。大風不止。四山昏晦。𧦬等失色。臺側有古佛殿。商英令掃灑。携家屬祈禮。所與俱者。𧦬臺主二人。指使蒼頭虞候二人。茶酒二人。北陟數步。中臺之頂。已有祥雲。五色紛郁。俄而西北隅開朗。布碧琉璃世界。現萬菩薩隊仗。寶樓寶殿。寶山寶林。寶幢寶蓋。寶臺寶座。天王羅漢。師子香象。森羅布護。不可名狀。又於真容殿上。見紫芝寶蓋。曲柄悠揚。文殊師利菩薩騎師子。復有七八尊者。升降遊戲。左右俯仰。臺主戲曰。本臺行者。十九年。未嘗見一光一相。願假福力。呼而視之。既呼行者。則從兵潛有隨至竊窺者矣。日漸暝。北臺山畔。有紅炬起。商英問秦愿。此處。有何人燒火。愿以問𧦬。𧦬以問臺主。臺主曰。彼頑崖巨石。且大風鼓山。何火可停。必聖燈也。瞻禮之次。又現金燈二。隔谷現銀燈一。如爛銀色。適會㳂邊安撫郭宗顏。遣人馳柬來。商英指燈示之曰。汝見否。曰見。曰為我謝安撫。方瞻禮聖燈。大風不可秉燭。未及答柬。於是。再拜敬請。願現我前。先西後東。一一如請。末後西下一燈。於紺碧輪中。放大光明而來。東西二燈。一時俱至。自北臺至中臺。十里指顧之間。在百步內。遠則光芒。近則收攝。猶如白玉琢大寶碗。內貯火珠。明潤一色。拜起之際。復歸本所。于時臺上之人。生希有想。慇懃再請。連珠復至。夜漏將分。寒凍徹骨。拜辭下山。東燈即沒。二燈漸暗。商英曰。業已奉辭。瞻仰之心。何時暫釋。發是語已。於一紺輪中。三燈齊現。如東方心宿。紺輪之外。紅焰滿山。是夕。大風達丙午昏霾亦然。商英抗聲曰。昨夜中臺所見。殊勝如此。今日當往西臺。菩薩豈違我哉。行至香山。則慶雲已罩臺頂。沈幣已。所見如初。止無琉璃世界耳。遂遊玉華寺與壽寧寺。還真容院。郭宗顏。及代州通判吳君稱。五臺知縣張之才。都巡檢使劉進。保甲司句當公事陣聿。各以職事來集。商英以所見告之。雖人人稱歎不已。揆其聞而知之亦若。商英曰。卿之傳聞也。是夕清輝。閣前再見金燈。如至之初。遣人白郭吳等五人。同觀浴室後之松上。忽現群燈如連珠。諸君各叩額再拜。頃之。光隱眾散。羅睺殿側。現大白光。如流星。唯浴室後之松林。白氣朦朧。過夜分乃息。丁未。郭吳按東寨。張之才還比。天色亦大昏霾。商英。與陣聿及興善監鎮曹諝。晚登梵仙山。曹諝曰。昨夕。聞金燈見。竊於公宇後見之。聿問曰。君所見處所安在。諝曰。在空中。聿叩頭曰。聖哉聖哉。聿自高而視之。若在溪上。君自下而視。若在空中。商英。自以累日所求無不嚮應。因大言曰。為二君請五色祥雲。即起更衣。再拜默禱。俄而西南隅。天色鮮廓。慶雲絪縕。紫氣盤繞。商英曰。紫氣之下。必有聖賢。請二君虔肅。當見靈跡。良久。宮殿樓閣。諸菩薩眾。化現出沒。商英又啟言。願現隊仗。使二人者一見。言訖。歘然布列。二君但嗟嘆而已。既暮欲去。眴視之際。失其所在。二君曰。聖哉聖哉。若假雲氣而現者。當隱隱沈滅。豈遽然無蹤也哉。其夕。復止清輝閣念言。翌日且出山。寶燈其為我復現。抽扃啟扉。則金界南溪上。已見大炬浴室後二燈。東西相貫。起於松梢。合為一燈。光明照耀。苒苒由東麓而南行。泊於林盡溪磧之上。放大白光。非雲非霧。良久。光中見兩寶燈。一燈南飛。與金界溪上四燈會集。而羅睺足跡殿。及龍山之側兩燈。一時同見。商英即發願言。我若於過去世。是文殊師利眷屬者。願益見希奇之相。言訖。兩燈揮躍。交舞數四。商英覩是事已。發大誓願。期盡此形。學無邊佛法。所有邪淫殺生妄語倒見。及諸惡念。永滅不生。一念若差。願在在處處。菩薩鑒護。於是南北兩燈。黃光白焰。前昂後嚲。騰空至前。爾時中夜。各復本處。是日也。商英先至羅睺足跡殿。見其屋宇摧弊。念欲他日完之。其夜足跡殿所現燈。尤異。即以錢三萬。付僧正奇修建。戊申。至佛光寺。主僧紹仝曰。此解脫禪師道場也。碑與龕存。因閱碑中所載。解脫自解脫。文殊自文殊之語。喟然歎曰。真丈夫哉。以偈贊曰。聖凡路上絕纖痕。解脫文殊各自論。東土西天無著處。佛光山下一龕存。日已夕。寺前慶雲見。紫潤成蘂。問仝曰。此寺。頗有靈跡否。何因何緣。現此瑞氣。仝曰。聞皇祐中嘗有聖燈。商英曰。審有之。必如我請。問其方。曰南嶺。昏夜敬請。嶺中果見銀燈一。嶺崦見金燈二。但比之真容院所見。少差耳。己酉。至祕𡡉巖。未至之十里。自臺有白氣一道。直貫巖頭。巖前見文殊騎師子。既至巖。則天色晦昧。殊失所望。有代州圓果院僧繼哲。結廬於山之陽。閱大藏經。不下山三年矣。即詣其廬。問以居山之久頗有見否。哲曰。三年前。巖上門開。有褐衣黃衣紫衣僧三人。倚門而立。久之復閉。又崖間有聖燈。哲聞而未之見也。哲乃曰。天色若此。豈貧道住庵無狀。致公空來空去乎。雖然願得一篇。以耀巖穴。遂拂壁寫一偈云。閱盡龍宮五百函。三年不下祕𡡉巖。須知別有安身處。脫却如來鶻臭衫。寫偈已。出菴望見巖口。有金色祥雲。光彩奪目。菩薩乘青毛師子。入於雲間。商英曰。今夕大有勝事。必不空來也。巖崖百仞。嵯峨壁立。率妻拏東向望崖。再拜敬請逡巡。兩金燈。現於赤崖間。呼主僧用而視之。夜漏初下。從兵未寢聞舉家歡呼。人人皆仰首見之。喧嘩盈庭。凡七現而隱。虔請累刻。崖面如漆。用曰。聖境獨為公現。豈與吏卒共邪。幸少需之人定。用來白曰。左右睡矣。可再請也。商英更衣俯伏。虔於初請。忽於崖左。見等身白光菩薩。立於光中。如是三現。商英得未曾有。即發大誓願如前。又唱言曰。我若於往昔。真是菩薩中眷屬者。更乞現殊異之相。言訖。兩大金燈照耀崖石。商英又唱曰。若菩薩以像季之法。付囑商英護持者。願愈更示現。言訖。放兩道光。如閃電。一大金燈。耀於崖前。流至松杪。於是十等主僧。及其徒眾。確請曰。謹按華嚴經云。東北方有處。名清涼山。從昔已來。諸菩薩眾。於中止住。現有菩薩。名文殊師利。與其眷屬諸菩薩眾一萬人俱。常為說法。即我山中眾聖遊止。不知過去幾千劫矣。自漢明帝後魏北齊隋唐。至於五代已前。歷朝興建。有侈無陋。我太宗皇帝。既平劉氏。即下有司。蠲放臺山寺院租稅。厥後四朝。亦罔不先志之承。比因邊倅議括曠土。故我聖境山林。為土丘。所有開畬斬伐。發露龍神之窟宅。我等寺宇。十殘八九。僧眾乞匃。散之四方。則我師文殊之教。不久磨滅。今公於我師。有大因緣。見是希有之相。公當為文若記。以傳信於天下。後世之人。以承菩薩所以付囑之意。商英曰。謹謝大眾。艱哉言乎。人之所以為人者。目之於色。耳之於聲。鼻之於香。舌之於味。體之於觸。意之於法。不出是六者而已。今乃師之書曰。色而非色也。聲而非聲也。香而非香也。味而非味也。觸而非觸也。法而非法也。離絕乎世間。所謂見聞覺知。則終身周旋。不出乎人間世者。不以為妖則怪矣。且吾止欲自信而已。安能信之天下及後世邪。已而郭宗顏。吳君稱。以書來言曰。假公之力。獲覯盛事。自昔傳聞。而未之見。今皆驗矣。宜有紀述。以信後人。商英三思曰。以聖語凡。以寂語喧。以妙語麁。以智語愚。以真語妄。以通語塞。以明語暗。以洪語纖。以畛域不相知。分劑不相及。譬之阿修羅王。手撼須彌山。而螻蟻不能舉。一芥迦樓羅王。七日遍四天下。而蟭螟不能飛。尋丈商英非不願言。懼言之無益也。或曰。若嘗知唐之釋法照乎。大歷中。入化竹林寺。慮生疑謗。不敢妄傳。忽見一神僧曰。汝所見者。臺山境界。何不實記普示眾生。作大利益。今君欲避疑謗乎。行利益乎。傳百而信一。則傳千而信十。傳萬而信百矣。百人信之。一人行之。猶足以破邪宗扶正法。況百人能行之乎。商英曰。善哉喻乎。吾一語涉妄。百千億劫。淪於惡趣。謹書之。以附清涼傳後。

私は過去、文殊菩薩の眷属であったなら、さらに不思議な相を示したまえ。」

そう言うと、二つの灯が躍り上がり、幾度も交差して舞った。この光景を見た商英は、大きな誓いを立てた。この身ある限り、限りない仏法を学び、あらゆる邪淫、殺生、妄語、誤った見解、そして諸々の悪しき念を、永遠に滅ぼして生じさせないと。もし一念でも誤ることがあれば、どこにいようとも菩薩が護り導いてくださいと。そう祈ると、南北の二つの灯は、黄と白の光を放ち、前後に揺れながら空高く舞い上がり、目前に迫ってきた。その夜も更けて、それぞれ元の場所へと戻っていった。

この日、商英はまず羅睺足跡殿を訪れ、その建物の老朽ぶりを見て、いつか修繕したいと思った。するとその夜、足跡殿に現れた灯は特に不思議なものだった。そこで商英は銭三万を僧正の省奇に託し、修繕を依頼した。

翌日、佛光寺に着くと、住職の紹仝が言った。「ここは解脱禅師の道場です。碑と龕(仏像を納める厨子)が残っています。」碑文に「解脱自解脱、文殊自文殊」という言葉があるのを見て、商英は深く感嘆し、「まことの大丈夫だ」と讃え、偈を詠んだ。「聖凡の路上、繊痕を絶す。解脱文殊、各おの論ず。東土西天、著する処無し。佛光山下一龕存す。」

日が暮れると、寺の前に慶雲が現れ、紫にも色づき、蕾のように丸く輝いた。商英は紹仝に尋ねた。「この寺には、霊験はよくあるのですか。何の因縁があって、このような瑞気が現れたのでしょう。」仝は答えた。「昔、皇祐の頃に聖灯があったと聞いております。」商英は言った。「本当ならば、私の請いに必ず応じるでしょう。」場所を尋ねると「南の嶺です」と言う。夜になって敬虔に祈ると、果たして嶺の中に銀灯が一つ、嶺の麓に金灯が二つ現れた。ただし、真容院で見たものよりは、やや劣っていた。

祕魔巖に到着する十里程手前から、台の上から白気が一筋、真っ直ぐに巖の頂きへと伸びていた。巖の前では文殊菩薩が獅子に騎乗する姿が見えた。ところが巖に着くと、空は暗く曇り、期待は大きく裏切られた。そこに、代州の圓果院の僧・継哲が、山の南側に草庵を結び、大蔵経を読んで三年も下山せずにいるというので、その庵を訪ねた。長く山に住んでいて、何か見たことがあるかと尋ねると、哲が答えた。「三年前、巖の上で門が開き、褐色、黄色、紫色の衣をまとった三人の僧が、門に寄りかかって立っておられました。しばらくして、また閉じてしまいました。また、崖の間に聖灯が現れるとも聞きましたが、私はまだ見たことがありません。」そして哲は言った。「このような空模様では、私の拙い庵のせいで、あなた様を空しく来させ空しく帰らせることになりそうです。とはいえ、どうか一篇の詩を賜り、この巖穴を光輝かせてください。」

そこで商英は壁を払い、次の偈を書き記した。 「閲尽す龍宮五百函 三年下らず祕魔巖 須く知るべし別に安身处有るを 脱却せよ如来の鶻臭衫」

偈を書き終えて庵を出ると、巖の口に金色の祥雲が広がり、その光彩は目を奪うばかりであった。菩薩が青い毛の獅子に乗って、雲間へと入っていかれた。商英は言った。「今夜は大きなめでたいことがありそうです。決して空しく来たわけではありません。」巖の崖は百仞の高さで、険しく切り立っている。妻や子を連れて東を向いて崖を拝み、しばらく祈ると、二つの金灯が赤い崖の間に現れた。


清涼山賦

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