傳法正宗記卷第二
宋藤州東山沙門釋契嵩編修
宋の藤州東山沙門、释契嵩による編修
- 天竺第一祖摩訶迦葉尊者傳
- 天竺第二祖阿難尊者傳
- 天竺第三祖商那和修尊者傳
- 天竺第四祖優波毱多尊者傳
- 天竺第五祖提多迦尊者傳
- 天竺第六祖彌遮迦尊者傳
- 天竺第七祖婆須蜜尊者傳
- 天竺第八祖佛陀難提尊者傳
- 天竺第九祖伏馱蜜多尊者傳
- 天竺第十祖脇尊者傳
- 天竺第十一祖富那夜奢尊者傳
天竺第一祖摩訶迦葉尊者傳
天竺第一祖 摩訶迦葉尊者伝
摩訶迦葉尊者。摩竭陀國人也。姓婆羅門。其父號飲澤。母號香志。始生姿質美茂。其體金色。而照曜甚遠。相者曰。是子夙德清勝。法當出家。父母憂之。乃相與謀曰。必美婦可縻其心。稍長苦為擇娶。而尊者辭。不得已乃紿之曰。非得女金色如我。不可為偶。父母乃以婆羅門計鑄金人。輦行其國。因觀者求之。果得金色女如迦葉者。遂以室之。先是毘婆尸佛滅後。眾以其舍利建塔。塔之像其面。金色缺壞。是時迦葉方為鍛金師。會有貧女。持一金錢。求治為簿。欲往補之。迦葉聞且樂為補已因相與願。世世為無姻夫妻。以是報九十一劫體皆金色。後生梵天。天之壽盡乃出此婆羅門富家。及是夫婦而其體復然。故初名迦葉波。此曰飲光。蓋取其金色之義也(記內翻梵語義類通華言者如此。迦葉波之類多有。或國本前錄已傳。不敢輒以梵學較之也)然皆清淨。雖偶未甞有男女意。終亦懇求出家。其父母從之。即為沙門。入山以杜多行自修。會空中有告者。曰佛已出。世請往師。之尊者即趨於竹林精舍。致禮勤敬。如來乃分座命之坐。而大眾皆驚。謂其何以與此。如來知之。乃說其夙緣以斷群疑。尋為之說法。而尊者即座成道。然其積修勝德。而智慧高遠。故如來甞曰。我今所有大慈大悲四禪三昧無量功德以自莊嚴。而迦葉比丘亦復如是。一朝乃以正法付之。囑其相傳。無令斷絕。復授金縷袈裟。命之轉付彌勒。及如來般大涅槃。而尊者方在耆闍崛山。是時地震光明照曜。即以天眼知之乃謂眾曰。佛涅槃矣嗟乎。正法眼滅世間空虛。與其徒即趨于拘尸那城。既至乎雙樹之間。而如來既化已內於金棺。尊者大慟。遂感如來足出於棺以慰其哀慕。尋致栴檀白㲲。以資其闍維。既而尊者謂。金剛舍利宜與人天為其福田。吾等比丘當務結集以惠來世為其大明。即以神通自昇須彌之頂。而說偈曰。如來弟子且莫涅槃。得神通者當赴結集。遂擊金鍾。其偈因鍾聲而普聞。故五百應真(或云一千)皆會於畢鉢羅巖。唯阿難以漏未盡。不得即預。宿戶外終夕思之。及曉乃得正證。遂以之叩戶相告。尊者曰。若然汝可以神通自戶鑰中入。阿難如其言而至。是時僉議。三藏者宜何為先。尊者曰。乃宜先修多羅。因謂諸聖曰。此阿難比丘。總持第一。而常侍如來。其所聞法如水傳器。無有遺餘。宜命以集修多羅藏。次命優波離以集毘尼藏。復命阿難集阿毘曇達磨藏(他部或云命迦旃延)已而尊者即入願智三昧。觀其所集。果無謬者。然尊者處世方四十五年。終以結集既畢。而說法度人亦無量矣。念自衰老。宜入定於雞足山以待彌勒。故命阿難曰。昔如來將般涅槃。預以正法眼付囑于我。我將隱矣。此復付汝。汝善傳持。無使斷絕。乃說偈曰。
摩訶迦葉尊者は、マガダ国の出身であり、姓はバラモンであった。その父は飲澤と名乗り、母は香志と呼ばれた。生まれた時からその姿は美しく、身体は金色に輝き、その光は遠くまで照らしていた。占い師は言った。「この子は生まれながらの徳が清らかで優れており、仏法に従って出家すべきである。」両親はこれを憂い、互いに相談して言った。「美しい妻を得させれば、その心を縛ることができるだろう。」やがて成長すると、無理やりに妻を娶らせようとしたが、尊者は辞退した。仕方なく両親は偽って言った。「自分と同じ金色の女性でなければ、妻にできない。」そこで両親はバラモンの計略を用いて金の人の像を鋳造し、国中を巡らせた。それを見た人々の中から、実際に迦葉と同じ金色の女性が見つかり、ついに彼女を娶らせた。
それより以前、毘婆尸仏が滅した後、人々はその舎利をもって塔を建てた。その塔の像の顔は、金色が欠け壊れていた。この時、迦葉は金細工師であった。ちょうど貧しい女性が一枚の金貨を持ってきて、箔に加工してその欠けを補いたいと願った。迦葉はこれを聞いて喜んで補い、共に願を立てた。「世々、夫婦でありながら婚姻の関係を持たないように。」この功徳により、九十一劫の間、体は金色となった。後に梵天に生まれ、天の寿命が尽きると、このバラモンの富裕な家に生まれた。そして夫婦となっても、その体は金色であった。そのため、初めは迦葉波と名付けられた。これは「飲光」という意味であり、金色の輝きを表している(記内翻梵語義類通華言者如此。迦葉波之類多有。或国本前錄已傳。不敢輙以梵學較之也)。彼らは共に清らかであり、夫婦であっても男女の関係を持つことは決してなく、ついには切実に出家を願い出た。両親はこれを許し、すぐに沙門となった。山に入り、頭陀行を自ら修めた。すると虚空から告げる者があった。「仏がすでに世に出られた。師と仰ぎ給え。」尊者はすぐに竹林精舎に向かい、礼を尽くして恭敬した。如来は席を分け与えて座らせたが、大衆は皆驚き、なぜ彼がこのような扱いを受けるのだろうと思った。如来はこれを知り、その過去の因縁を説いて群衆の疑いを断ち切った。そして間もなく法を説かれたところ、尊者はその座で悟りを得た。しかも、その積み重ねた勝れた徳と智慧は高く遠く、如来はかつてこう言った。「私が今有する大慈大悲、四禅三昧、無量の功徳、これらによって自らを荘厳しているが、迦葉比丘もまた同じである。」そしてある日、正法を彼に付嘱し、継承して断絶させてはならないと命じた。さらに金縷の袈裟を授け、弥勒に転付するよう命じた。如来が大涅槃に入られた時、尊者はちょうど耆闍崛山にいた。その時、大地は震動し、光明が照り輝いた。尊者は天眼をもってこれを知り、衆に告げた。「仏が涅槃に入られた。ああ、正法の眼は滅し、世間は空虚となった。」そして弟子たちと共に、急いで拘尸那城に向かった。双樹の間に到着した時には、如来はすでに滅度し、金の棺に納められていた。尊者は大いに悲しみ、ついに如来の足が棺の外に出て、その哀慕を慰めるという感応があった。そしてすぐに栴檀と白疊を捧げて荼毘に供した。その後、尊者は言った。「金剛舎利は人々や天人の福田とすべきである。我々比丘は、将来の世に大明を施すために、結集に努めるべきだ。」そこで神通力をもって自ら須弥山の頂上に昇り、偈を唱えた。「如来の弟子たちよ、未だ涅槃に入るな。神通を得た者は、結集に集え。」そして金の鐘を打った。その偈は鐘の音によって広く聞こえ渡り、五百の阿羅漢(或云一千)が畢鉢羅巖に集まった。阿難だけは、煩悩の漏が尽きていなかったため、直ちに会に加わることができず、戸外に一晩中座して思いを巡らせた。夜が明けると正しい証を得たので、戸を叩いて告げた。尊者は言った。「それならば、神通力をもって戸の鍵穴から入るがよい。」阿難はその言葉の通りにして入った。この時、皆で議した。「三蔵のうち、どれを先にすべきか。」尊者は言った。「まず修多羅(経蔵)を先にすべきである。」そして諸聖者に告げた。「この阿難比丘は、総持第一であり、常に如来に侍して聞いた法を、水を器に移すように、少しの遺漏もなく覚えている。彼に命じて修多羅蔵を編集させなさい。」次に優波離に命じて毘尼蔵(律蔵)を編集させ、さらに阿難に命じて阿毘曇達磨蔵(論蔵)(他部或雲命迦旃延)を編集させた。その後、尊者は願智三昧に入り、編集されたものが誤っていないかを観察した。果たして誤りはなかった。
尊者は世に在ること四十五年、ついに結集が完了した後も、説法して人々を度すること無量であった。自らの衰老を思い、雞足山に入定して弥勒を待つべきと決意し、阿難に告げた。「昔、如来が涅槃に入られる前に、正法の眼を私に付嘱された。私はまさに隠れようとしている。これを再びあなたに付ける。あなたはよく伝え護持し、断絶させてはならない。」そして偈を説いた。
法法本來法 無法無非法
何於一法中 有法有非法
阿難於是作禮奉命。復念。如來舍利皆在諸天。欲往辭之。遽陵虛遍至塔廟。禮已而還。復以夙約必別於阿闍世王。及至其門會王方寢。因謂閽者曰摩訶迦葉將入定於雞足山。故來相別。王起奏之。遂以此周孝王之世。窅然入其山席草而坐。自念。今我被糞掃服。持佛僧伽梨。必經五十七俱胝。六十百千歲。至于彌勒出世。終不致壞。乃語山曰若阿闍世王與阿難偕來。汝當為開去已復合。於是寂然乃入滅盡定。是時大地為之動。而阿闍世王亦夢。其殿梁忽折。及覺而司門者果以尊者之語奏。王聞泣下。為之歎息。即詣竹林精舍。拜阿難命之同往逮至雞足。而其山果闢。尊者定體而儼在其間。王且哀且禮。命香薪欲為焚之。阿難謂王曰。未可燔也。此大迦葉方以禪定持身。而俟彌勒下生。授佛僧伽梨乃般涅槃。王聞此而敬之益勤。及王與阿難引去。而其山合如故。