華嚴經傳記卷第一
華厳経伝記 巻第一
京兆崇福寺僧沙門法藏集
長安崇福寺の僧、沙門法蔵が編んだ
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- 諷誦
- 轉讀
- 書寫
- 雜述
部類第一
部類第一
案此經是毘盧遮那佛法界身雲。在蓮華藏莊嚴世界海。於海印三昧內。與普賢等海會聖眾。為大菩薩之所說也。凡一言一義。一品一會。皆遍十方虛空法界及一一微塵毛端剎土。盡因陀羅網微細世界。窮前後際一切劫海。及一一念具無邊劫。常說普說無有休息。唯是無盡陀羅尼力所持。非是翰墨之所能記。此乃圓滿法輪稱法界之談耳。但以本不離迹。是以處寄人天。時臨二七。以迹不離本。九會即遍十方。二七該于十世。以本迹無二。令無限即限限即無限。如此經中海雲比丘所持。普眼修多羅。以須彌山聚筆大海水墨。書一一品。不可窮盡。又如真諦三藏云。西域傳記說。龍樹菩薩往龍宮。見此華嚴大不思議解脫經。有三本。上本有十三千大千世界微塵數偈四天下微塵數品。中本有四十九萬八千八百偈一千二百品。下本有十萬偈四十八品。其上中二本及普眼等。竝非凡力所持。隱而不傳。下本見流天竺。蓋由機悟不同。所聞宜異。故也是以。文殊普賢親承具教。天親龍樹。僅覩遺筌。小聖同坐而不聞。大士異趣而先覺。聖教之行藏。器局之優劣。斷可知矣。又為佛去世遠。眾生報劣。色力念慧悉皆減損。於此下本。無力具受。遂隨力隨樂。分寫受持。或具十萬。大本猶在。或三萬六千。如晉朝所譯。或餘四萬。此周朝所翻。或分其品會。別成部帙。如支流所辨。或漸湮滅不聞其名。皆由器致耳。亦如曦陽麗天明無優劣。但眼淨具瞻目眩稍味盲絕不見。日豈非朗耶。今此亦爾。廣略在器。本法無虧。
この経典は、毘盧遮那仏の法界身雲が蓮華蔵荘厳世界海において、海印三昧の中で普賢菩薩をはじめとする海会の聖なる集いと共に、大菩薩たちのために説かれた教えです。その一言一句、一品一会はすべて、十方の虚空法界、さらには微塵や毛端の一粒一粒に至る国土、因陀羅網の微細な世界に及んでいます。過去・未来の一切の劫の海、また一念ごとに無辺の劫を含み、常に説き、普遍的に説き尽くすことなく、ただ無尽の陀羅尼の力に支えられており、筆墨で記録できるものではありません。これは円満な法輪であり、法界そのものを語る教えです。
しかし、根本は跡を離れないため、説かれた場所は人間界・天界に仮に置かれ、時は釈尊成道後二七日とされています。また、跡は根本を離れないため、九会は十方に遍く、二七日は十世に及びます。根本と跡が一つであるため、有限が無限を、無限が有限を含むのです。この経典の中で海雲比丘が受持した普眼経のように、須弥山のような筆と大海の墨をもって、一品ごとを書いても尽きることがありません。
また、真諦三蔵が伝える西域の記録によれば、龍樹菩薩が龍宮に赴き、この華厳大不思議解脱経を目にしました。三種類の版本があり、上本は十三千大千世界の微塵の数ほどの偈と四天下の微塵の数ほどの品、中本は四十九万八千八百偈と千二百品、下本は十万偈と四十八品からなります。上本と中本、そして普眼経などは、凡人には受持できず、隠されて伝わりませんでした。下本だけが天竺に流布しました。これは、人々の悟りの機縁が異なり、聞くべき教えが異なるからです。
ゆえに、文殊菩薩と普賢菩薩は直接完全な教えを受け継ぎましたが、天親や龍樹はわずかに残された手がかりを目にしたにすぎません。小乗の聖者たちは同じ席にいながら聞くことができず、大乗の菩薩たちは異なる境地に至って先に覚りました。聖教の顕現・隠没、そして人々の器の優劣は、これで明らかです。
さらに、仏の滅後が遠くなり、衆生の果報が劣り、色身・勢力・念・智慧のすべてが減損しています。そのため、この下本でさえ完全に受け止める力がなく、各自の力や好みに応じて書き写し受持しました。十万偈の大本はなお存在しますが、三万六千偈(晋朝の訳)、あるいは四万余偈(周朝の訳)として伝わり、あるいは品会を分割して別々の部帙としたものもあります。次第に湮滅して名さえも聞かれなくなったものもあります。これらはすべて、人々の器によるものです。
たとえば、太陽が空に輝くのに明暗の区別はなく、ただ目が澄んでいれば全体を見渡せ、目が眩めばぼんやりとしか見えず、盲目ならまったく見えません。太陽が輝いていないわけではないのです。今のこの経典も同じです。広略は器にあり、法そのものに欠損はありません。