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title: "法苑珠林 · 4 山量部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 山量部第四

> 第四　山量の章

今據三千大千世界之中。諸佛世尊皆垂化現。現生現滅導聖導凡。約一四天下。即以一日月所照臨處。以蘇迷廬山為中唐云。妙高山。舊名須彌山。又曰迷留。亦云彌婁山。此皆訛略耳高三百三十六萬里。四寶所成。東面黃金。南面琉璃。西面白銀。北面玻󵘆。在大海中亦深三百三十六萬里。據金輪上。如起世經云。須彌山下有八重山。初山名佉提羅。高四萬二千由旬。上闊亦爾。七寶所成。其須彌山佉提羅山二山之間闊八萬四千由旬。周匝無量。佉提羅山外有山。名曰伊沙陀羅。高二萬一千由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山之間闊四萬二千由旬。周匝無量。伊沙陀羅山外有山。名曰遊乾陀羅。高一萬二千由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山之間二萬一千由旬周匝無量。遊乾陀羅山外有山。名曰善見。高六千由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山相去一萬二千由旬周匝無量。善見山外有山。名曰馬半頭。高三千由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山之間闊六千由旬周匝無量。馬半頭山外有山。名曰尼民陀羅。高一千二百由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山之間闊二千四百由旬周匝無量。尼民陀羅山外有山。名毘那耶迦。高六百由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山之間闊一千二百由旬周匝無量。毘那耶迦山外有山。名斫迦羅隋言輪圍。即鐵圍山是也。高三百由旬。上闊亦爾。七寶所成。二山之間闊六百由旬周匝無量。上列諸山中間皆是海水。水皆有憂鉢羅華。鉢頭摩華。拘牟陀華。奔茶利迦華等。諸妙香物遍覆於水。去斫迦羅山其間不遠。亦有空地。青草遍布。即是大海。於大海北有大樹王。名曰閻浮樹。身周圍有七十由旬。根下入地二十一由旬。高百由旬。乃至枝葉四面垂覆五十由旬。長阿含經云。其山空地中有大海水。名欝禪那。此水下轉輪聖王道。廣十二由旬。俠道兩邊有七重牆。七重欄楯。七重羅網。七重行樹。周匝交飾七寶所成。閻浮提地輪王出時。水自然去其道平現。去海不遠有山名欝禪山。去此山不遠有山名金壁。過此山已有山名雪山。縱廣五百由旬。深五百由旬。雪山中間有寶山高二十由旬。雪山埵出高百由旬。其山頂上有阿耨達池。縱廣五十由旬。其水清冷澄淨無穢。七寶砌壘。其池底金沙充滿。華如車輪根如車轂。華根出汁色白如乳。味甘如蜜。池東有殑伽河。從牛口出。從五百河入于東海。池南有新頭河。從師子口出。從五百河入于南海。池西有博叉河。從馬口出。從五百河入于西海。池北有斯陀河。從象口出。從五百河入于北海。依奘法師西國傳。其贍部洲之中地者阿那婆答多池也唐云無熱。舊曰阿耨達池訛也。在香山之南大雪山之北。周八百里矣。金銀琉璃頗胝飾其岸焉。金沙彌漫清波晈鏡。十地菩薩以願力故。化為龍王。於中潛宅。出清冷水屬贍部洲。是以池東面銀牛口流出殑伽河舊曰恒河又曰恒伽訛也遶池一匝入東南海。池南面金象口流出信度河舊曰辛頭河者訛也遶池一匝入西南海。池西面琉璃馬口流出縛芻河舊曰博叉河者訛也遶池一匝入西北海。池北面頗胝師子口流出徙多河舊曰私陀河者訛也遶池一匝入東北海。或曰。潛流下地出積石山。即徙多河之流。為中國之河源也。時無輪王應運。贍部洲地有四主焉。南象主則暑溫宜象。西寶主乃臨海盈寶。北馬主寒勁宜馬。東人主和暢多人。故象主之國躁烈篤學特閑異術。寶主之鄉無禮義重財賄。馬主之俗天資獷暴情忍殺戮。人主之地風俗機慧仁義昭明。四主之俗東方為上。其居室則東開其戶。日則東向以拜。人主之地南面為尊。方俗殊風斯其大概。至於君臣上下之禮。憲章文軌之儀。人主之地無以加也。清心釋累之訓。出離生死之數。象主之國其理優矣。斯皆著之經誥。聞諸土俗。博閑今古詳考見聞。然則佛興西方法流東國。通譯音訛方言語謬。音訛則義失。語謬則理乖。故曰。必也正名乎。貴無乖謬矣。又起世經云。阿耨達宮中有五柱堂。阿耨達龍王恒於中止。佛言。何故名為阿耨達。其義云何。此閻浮提所有龍王盡有三患。唯阿耨達龍無有三患。云何為三。一者所有諸龍皆被熱風熱沙著身燒其皮肉及燒骨髓以為苦惱。唯有阿耨達龍無有此患。二者所有龍宮惡風暴起。吹其宮內失寶飾衣。龍身自現以為苦惱。唯阿耨達龍王無如此患。三者所有龍王各在宮中相娛樂時。金翅大鳥入宮搏撮。或始生方便欲取龍食。龍怖懼常懷熱惱。唯阿耨達龍無如此患。若金翅鳥王生念欲往即便命終。故名阿耨達。阿耨達者秦言無惱佛告比丘。雪山右面有城名金毘離。其城北有七黑山。黑山北有香山。其山常有歌舞唱伎音樂之聲。山有二窟。一名為盡。二名善盡。天七寶所成。柔軟香潔猶如天衣。妙音乾闥婆王。從五百乾闥婆在其中止。又順正理論云。四洲之中唯贍部洲有金剛座。上窮地際下據金輪。諸最後身菩提薩埵。將登無上正等菩提。皆坐此座起金剛定。以無餘依及餘依及餘處所有堅固力能持此座。又長阿含經云。佛告比丘。有四大天神。何等為四。一者地神。二者水神。三者風神。四者火神。此之四大。各共有之。故地神生惡見言。地中無水火風。時我知此地神所念。即往語言。汝嘗生念言地中無水火風耶。曰地中實無水火風也。我時語言。汝勿生此念謂地中無水火風。所以者何。地中有水火風。但地大多故地大得名。佛告比丘。我為彼地神。除其惡見示教利喜得法眼淨。水中有地火風。火中有地水風。風中有地水火。但初大多故偏得名也。

> さて、三千大千世界の中では、あらゆる諸仏世尊が教化のために姿を現し、生まれ、滅し、聖者や凡夫を導かれます。一つの四天下について言えば、一日一月が照らす範囲を単位とし、その中心に蘇迷廬山があります<note>唐の言葉で妙高山といい。古くは須彌山、または迷留、彌婁山とも呼ばれた。これらはすべて訛りや省略である</note>。高さは三百三十六万里で、金・琉璃・銀・玻璃の四宝でできています。東面は黄金、南面は琉璃、西面は白銀、北面は玻璃です。大海の中にあり、深さも三百三十六万里で、金輪の上にそびえています。 『起世経』によると、須彌山の下には八重の山々があります。第一の山は佉提羅山といい、高さ四万二千由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。須彌山と佉提羅山との間は八万四千由旬、周囲は無量です。佉提羅山の外には伊沙陀羅山があり、高さ二万千由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は四万二千由旬、周囲は無量です。伊沙陀羅山の外には遊乾陀羅山があり、高さ一万二千由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は二万千由旬、周囲は無量です。遊乾陀羅山の外には善見山があり、高さ六千由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は一万二千由旬、周囲は無量です。善見山の外には馬半頭山があり、高さ三千由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は六千由旬、周囲は無量です。馬半頭山の外には尼民陀羅山があり、高さ千二百由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は二千四百由旬、周囲は無量です。尼民陀羅山の外には毘那耶迦山があり、高さ六百由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は千二百由旬、周囲は無量です。毘那耶迦山の外には斫迦羅山<note>隋の言葉で輪圍。すなわち鉄囲山である</note>があります。高さ三百由旬、頂上の広さも同じで、七宝でできています。二山の間隔は六百由旬、周囲は無量です。 これら列挙した山々の間にはすべて海水があり、その水には優鉢羅華、鉢頭摩華、拘牟陀華、奔茶利迦華など、さまざまな素晴らしい香りのものが一面に浮かんでいます。斫迦羅山からそれほど遠くない場所には空地があり、青草が一面に生い茂り、それが大海となっています。大海の北には閻浮樹という大樹王があり、幹の周囲は七十由旬、根は地下二十一由旬まで伸び、高さ百由旬、枝葉は四方に五十由旬にわたって垂れ覆っています。 『長阿含経』によりますと、その山中の空地には欝禪那という大海があり、この水の下に転輪聖王の道があります。幅は十二由旬で、道の両側には七重の壁、七重の欄干、七重の羅網、七重の並木があり、周囲を飾り、すべて七宝でできています。閻浮提の地では、輪王が出現するとき、水は自然に去り、道が平らに現れます。海から遠くない場所に欝禪山があり、この山から遠くない場所に金壁山があり、これを過ぎると雪山があります。広さは五百由旬、深さも五百由旬です。雪山の中間には宝山があり、高さ二十由旬、雪山の頂上から百由旬の高さにそびえています。その山頂には阿耨達池があり、広さは五十由旬で、水は清らかで冷たく、澄んでいて汚れがありません。七宝で築かれ、池の底には金の砂が満ちています。花は車輪のようで、根は車の轂のようです。花の根から出る汁は色が乳のように白く、味は蜂蜜のように甘いです。池の東からは殑伽河が牛の口から流れ出て、五百の川と合流して東海に入ります。池の南からは新頭河が獅子の口から流れ出て、五百の川と合流して南海に入ります。池の西からは博叉河が馬の口から流れ出て、五百の川と合流して西海に入ります。池の北からは斯陀河が象の口から流れ出て、五百の川と合流して北海に入ります。 玄奘法師の『西国伝』によると、贍部洲の中央の地にあるのが阿那婆答多池<note>唐の言葉で無熱。古く阿耨達池というのは訛りである</note>です。香山の南、大雪山の北にあり、周囲は八百里です。金、銀、琉璃、頗胝（水晶）で岸が飾られ、金の砂が広がり、清らかな波は鏡のように澄んでいます。十地の菩薩が願力によって龍王となり、その中に潜んで宮殿とし、清らかな冷水を贍部洲に送り出しています。そのため、池の東面からは銀の牛の口から殑伽河<note>古くは恒河、または恒伽というのは訛りである</note>が流れ出て、池を一周して東南海に入ります。池の南面からは金の象の口から信度河<note>古く辛頭河というのは訛りである</note>が流れ出て、池を一周して西南海に入ります。池の西面からは琉璃の馬の口から縛芻河<note>古く博叉河というのは訛りである</note>が流れ出て、池を一周して西北海に入ります。池の北面からは頗胝の獅子の口から徙多河<note>古く私陀河というのは訛りである</note>が流れ出て、池を一周して東北海に入ります。あるいは、地下に潜って流れ、積石山から湧き出るともいいます。これが徙多河の流れであり、中国の河の源流です。 当時、輪王が世に出る時ではなかったので、贍部洲の地には四主がいました。南の象主は暑くて象に適し、西の宝主は海に臨み宝が豊かで、北の馬主は寒く厳しくて馬に適し、東の人主は気候が和やかで人口が多いです。そのため、象主の国は気性が激しく、学問に励み、特に異術に通じています。宝主の地域は礼儀を重んじず、財貨を重視します。馬主の風俗は天性的に荒々しく残忍で、殺戮を好みます。人主の土地の風俗は機知に富み、仁義が明らかです。四主の風俗の中で東方を上とし、その家屋は東に戸を開け、日に向かって東に礼拝します。人主の地では南面を尊びます。方角による風俗の違いはこのような大まかなものです。君臣上下の礼儀や、法制度や文物の規範については、人主の地に勝るものはありません。心を清め煩縛を解く教えや、生死を離れる方法については、象主の国が優れています。これらはすべて経典に記され、土地の風習として聞かれています。古今に広く通じ、見聞を詳しく考察すると、仏法は西方で興り、東方に流伝しましたが、翻訳の際に音が訛り、言葉が誤りました。音が訛れば意味を失い、言葉が誤れば道理に反します。だからこそ、「必ずや名を正しくせよ」と言われるのです。誤りがないことを貴ぶのです。 また、『起世経』によりますと、阿耨達の宮殿には五本の柱がある堂があり、阿耨達龍王が常にその中にとどまっています。仏は言われました。「なぜ阿耨達と名づけられたのか、その意味は何か。この閻浮提のすべての龍王には三つの悩みがあるが、阿耨達龍にはその三つの悩みがない。三つとは何か。第一に、すべての龍は熱風や熱い砂が身に降りかかり、皮や肉を焼き、骨髄まで焼かれて苦しむが、阿耨達龍にはその悩みがない。第二に、すべての龍宮では悪風が突然吹き荒れ、宮内の宝飾品や衣服を吹き飛ばし、龍の姿が露わになって苦しむが、阿耨達龍王にはその悩みがない。第三に、すべての龍王はそれぞれの宮殿で楽しんでいるとき、金翅大鳥が宮殿に飛来して龍を捕らえ、あるいは食べようとすることがあり、龍は恐怖し常に熱悩を抱いているが、阿耨達龍にはその悩みがない。もし金翅鳥王が阿耨達龍を取ろうと思っても、その思いが起こっただけで命を終える。だから阿耨達と名づけられたのである。阿耨達<note>秦の言葉で無悩</note>とは、悩みがないという意味である。」 仏は比丘たちに告げられました。「雪山の右側に金毘離という城がある。その城の北に七つの黒山があり、黒山の北に香山がある。その山では常に歌や舞、音楽の声が聞こえる。山には二つの窟があり、一つは「尽」、二つは「善尽」という。天の七宝でできていて、柔らかく香り高く清らかで、まるで天の衣のようである。美妙な音楽を奏でる乾闥婆王が、五百の乾闥婆と共にその中にとどまっている。」 また、『順正理論』によると、四洲の中では贍部洲だけに金剛座がある。これは地下の際まで達し、下は金輪に接している。最後身の菩薩が無上正等菩提に登ろうとするとき、必ずこの座に坐って金剛定を起こす。なぜなら、余依（ヌエ）やその他の場所にある堅固な力は、この座を支えることができないからである。 さらに、『長阿含経』にはこうあります。仏は比丘たちに告げられました。「四大天神というものがある。四つとは何か。一つは地神、二つは水神、三つは風神、四つは火神である。この四大はそれぞれすべてを共有している。そのため地神が「地の中には水・火・風はない」という誤った見解を抱いたとき、私は地神の心の中を知り、すぐに行って言った。『あなたは地の中には水・火・風はないと思っているのか。』地神は『地の中には確かに水・火・風はありません』と答えた。私はその時、『そのような考えを起こしてはならない。地の中に水・火・風がないなどと。なぜなら、地の中には水・火・風があるからだ。ただ地の要素が多いため、地大という名が与えられているのだ。』と語った。仏は比丘たちに告げられました。「私はその地神のために、誤った見解を取り除き、教え示し、利益と喜びを与え、法眼を清らかにした。水の中にも地・火・風があり、火の中にも地・水・風があり、風の中にも地・水・火がある。ただ最初の要素が多いため、偏った名が与えられているのである。」