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title: "法苑珠林 · 1 辯位部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 辯位部第一

> 第一品 弁位部

如婆沙論中說。天有三十二種。欲界有十。色界有十八。無色界有四。合有三十二天也。第一欲界十天者。一名干手天。二名持華鬘天。三名常放逸天。四名日月星宿天。五名四天王天。六名三十三天總名忉利天攝七名炎摩天。八名兜率陀天。九名化樂天。十名他化自在天初星宿及後四。此五居空。干手華鬘放逸四天忉利。此五在山。具如下第九住處說第二色界有十八天者。初禪有三天。一名梵眾天。二名梵輔天。三名大梵天此大梵天無別住處。但於梵輔有層臺高顯嚴博。大梵天王獨於上住。以別群下於此。三天之中梵眾是庶民。梵輔是臣。大梵是君。唯此初禪有其君臣民庶之別。自此已上悉皆無也二禪之中有三天。一名少光天。二名無量光天。三名光音天。第三禪中亦有三天。一名少淨天。二名無量淨天。三名遍淨天。第四禪中獨有九天。一名福生天。二名福愛天。三名廣果天。四名無想天此無想天亦無別所。但與廣果同階別處以是外道所居故分二種別名也五名無煩天。六名無熱天。七名善現天。八名善見天。九名色究竟天亦名阿迦膩吒天名色界合有十八天第三無色界中有四天。一名空處天。二名識處天。三名無所有處天。四名非想非非想處天是名三界總有三十二種天也問曰。未知此三十二天幾凡幾聖。答曰。二唯凡住。五唯聖住。自餘二十五天凡聖共住。所言二唯凡住者。一是初禪大梵天王。二是四禪中無想天中。唯是外道所居。問曰。何故此二唯凡住耶。答曰。為大梵天王不達業因。唯說我能造化一切天地人物。恃此高慢輕蔑一切聖人。故不與居。又無想天中唯是外道修無想定以生其中。受五百劫無心之報。外道不達謂為涅槃。受報畢已必起邪見來生地獄。以是義故。一切聖人亦不生中也。所言五唯聖人居者。謂從廣果已上無煩無熱等五淨居天。唯是那含羅漢之所住也。縱凡生彼天者要是進向那含身。得四禪發於無漏起熏禪業。或起一品乃至五品。方乃得生。凡夫無此熏禪業故不得生也。若言那含生彼理則無疑。問曰。阿羅漢既是無生。何故亦云生彼天者。答曰。此應言欲界那含生彼而得羅漢。非謂先是羅漢而生彼也。自餘二十五天凡聖共居。不言可悉。若總據大小乘說。合有四天。故涅槃經云。有四種天。一世間天。二生天。三淨天。四義天。世間天者如諸國王。生天者從四天王乃至非想非無想天。淨天者從須陀洹至辟支佛。義天者十住菩薩摩訶薩。以何義故。十住菩薩名為義天。以能善解諸法義見一切法是空義故。

> 『婆沙論』に説くところによれば、天には三十二の種類があります。欲界に十、色界に十八、無色界に四つの天があり、合わせて三十二天となります。 まず、欲界の十天です。一に「干手天」、二に「持華鬘天」、三に「常放逸天」、四に「日月星宿天」、五に「四天王天」、六に「三十三天」（総じて忉利天に含まれます）、七に「炎摩天」、八に「兜率陀天」、九に「化楽天」、十に「他化自在天」です（初めの星宿天と後の四天は虚空にあり、干手天、華鬘天、放逸天、四天王天、忉利天の五つは山にあります。詳しくは後述の第九住処の説明の通りです）。 次に、色界の十八天です。初禅には三天があります。一に「梵衆天」、二に「梵輔天」、三に「大梵天」です（この大梵天には特別な住処はなく、梵輔天の中に高く広々とした層塔があり、大梵天王がその上に独り住み、下の者たちと区別しています。この初禅の三天において、梵衆天は庶民、梵輔天は臣下、大梵天は君主の関係にあり、君臣・民衆の区別があるのはこの初禅のみで、それより上にはこのような区別は全くありません）。二禅には三天があります。一に「少光天」、二に「無量光天」、三に「光音天」です。三禅にも三天があります。一に「少浄天」、二に「無量浄天」、三に「遍浄天」です。四禅には特に九天があります。一に「福生天」、二に「福愛天」、三に「広果天」、四に「無想天」（この無想天にも別の場所はなく、広果天と同じ階層の別の区域です。外道が住むところなので、二種に分けて別名としているのです）、五に「無煩天」、六に「無熱天」、七に「善現天」、八に「善見天」、九に「色究竟天」（阿迦膩吒天とも呼ばれます。色界は合わせて十八天となります）。 第三に、無色界には四天があります。一に「空処天」、二に「識処天」、三に「無所有処天」、四に「非想非非想処天」です（これらを三界と総称し、全部で三十二種の天があるのです）。 問うて曰く、この三十二天のうち、凡夫が住むものと聖者が住むものはどれほどあるのでしょうか。答えて曰く、二つは凡夫だけが住み、五つは聖者だけが住み、残りの二十五の天は凡夫と聖者が共に住んでいます。言うところの「二つは凡夫だけが住む」とは、一つは初禅の大梵天王、もう一つは四禅の無想天で、ここには外道だけが住んでいます。問うて曰く、なぜこの二つは凡夫だけが住むのでしょうか。答えて曰く、大梵天王は業因を理解せず、自分だけが天地・万物・人を創造したと語り、その高慢さに頼って一切の聖人を軽蔑するため、聖人は共に住まないのです。また、無想天では外道だけが無想定を修めてそこに生まれ、五百劫の間、心のない報いを受けます。外道はこれを理解せず涅槃だと思い込み、報いが終わると必ず邪見を起こして地獄に生まれます。このような理由から、一切の聖人もここには生まれないのです。言うところの「五つは聖人だけが住む」とは、広果天より上の無煩天、無熱天などの五つの浄居天のことで、これらは那含（阿那含）や阿羅漢だけが住むところです。たとえ凡夫がこれらの天に生まれるとしても、那含の位に向かう身であり、四禅を得て無漏を発し、熏禅の業を起こし、一品から五品までを修めて初めて生まれることができるのです。凡夫にはこの熏禅の業がないので、生まれることはできません。もし那含がこれらの天に生まれると言うならば、道理に疑いはありません。問うて曰く、阿羅漢はすでに無生であるのに、なぜ「これらの天に生まれる」と言うのでしょうか。答えて曰く、これは「欲界の那含がこれらの天に生まれ、そこで阿羅漢を得る」と言うべきであり、あらかじめ阿羅漢であった者がこれらの天に生まれるということではありません。残りの二十五の天は凡夫と聖者が共に住んでおり、改めて説明する必要はないでしょう。 総じて大小乗の教えによれば、合わせて四種の天があると説かれています。『涅槃経』に「四種の天がある。一世間天、二生天、三浄天、四義天である」とあります。世間天とは諸国の王などのことです。生天とは、四天王天から非想非非想天までの天のことです。浄天とは、須陀洹から辟支仏までの聖者のことです。義天とは、十住の菩薩摩訶薩のことです。どのような理由で十住の菩薩が義天と呼ばれるのかというと、すべての法の真理をよく理解し、一切の法は空であるという意味を見極めるからです。