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title: "法苑珠林 · 2 會名部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 會名部第二

> 第二部　会の名称

第一四天王者。依長阿含經云。東方天王名多羅咤。此云治國主智度論云提頭賴吒領乾闥婆及毘舍闍神將。護弗婆提人不令侵害。南方天王名毘瑠璃。此云增長主智度論名毘樓勒叉領鳩槃茶及薜荔神。將護閻浮提人。西方天王名毘留博叉。此云雜語主智度論云毘樓博叉領一切諸龍及富單那。將護瞿耶尼人。北方天王名毘沙門。此云多聞主。領夜叉及羅剎。將護欝單越人。智度論云。天帝釋具依梵音應云提婆那因。釋迦者秦言能也提婆言天因言主合而言之。是能天主也。須夜摩天者秦言妙善兜率陀者秦言妙足須涅蜜陀者秦言化樂婆舍跋提者秦言他化自在天也梵天王名曰尸棄秦言大頂別云大器首陀婆天者秦言淨居天。且依智度論逐要釋。此少多自外天。已上天名具如婆沙論為文煩故不可具錄也中阿含經云。時有異比丘。來詣佛所稽首佛足。退住一面白佛言。世尊。何因緣名釋提桓因。佛告比丘。釋提桓因本為人時行於䪺施。沙門婆羅門貧窮困苦。施以飲食錢財燈明等。以堪能故名釋提桓因。復何因緣名富蘭陀羅。告曰。彼本為人時數數行施。衣被飲食乃至燈明。故名富蘭陀羅。復何因緣故名摩訶婆。告曰。本為人時名摩伽婆。即以本為名。復何因緣故名娑婆婆。告曰。本為人時以婆詵私衣布施供養。故名娑婆婆。復何因緣故名憍尸迦。告曰。本為人時為憍尸迦姓故。復何因緣故名舍脂鉢低。告曰。彼舍脂為天帝釋第一天后。復何因緣故名千眼。告曰。本為人時聰明智慧。於一坐間思千種義觀察稱量故。復何因緣故名因提利。告曰。天帝於諸三十二天為主故。佛告比丘。然彼釋提桓因本為人時。受持七種受得天帝釋。何等為七。謂供養父母乃至等行惠施。如經偈說。為天帝釋。

> 第一の四天王について。『長阿含経』によれば、東方の天王は多羅咤（たらた）といい、日本語では「治国主」と訳します。彼は乾闥婆（けんだつば）と毘舎闍（びしゃじゃ）の神々を統率し、弗婆提（ふばだい）の人々を守り害から遠ざけます。南方の天王は毘瑠璃（びるり）といい、「增長主」と訳します。彼は鳩槃茶（くばんだ）と薜荔（へいれい）の神々を率い、閻浮提（えんぶだい）の人々を守ります。西方の天王は毘留博叉（びるはくしゃ）といい、「雑語主」と訳します。彼はすべての龍と富単那（ふたんな）を統率し、瞿耶尼（くやに）の人々を守ります。北方の天王は毘沙門（びしゃもん）といい、「多聞主」と訳します。彼は夜叉（やしゃ）と羅刹（らせつ）を率いて、欝単越（うったんおつ）の人々を守ります。 『大智度論』にはこうあります。天帝釈は、サンスクリット語の本来の発音に従えば「提婆那因」というべきです。「釈迦」は「能」という意味で、「提婆」は「天」、「因」は「主」を意味します。これらを合わせると、「能く天の主たる者」という意味になります。須夜摩天（すやまてん）は「妙善」と訳し、兜率陀（とそつだ）は「妙足」と訳します。須涅蜜陀（すねみつだ）は「化楽」と訳し、婆舎跋提（ばしゃばつだい）は「他化自在天」と訳します。梵天王の名は尸棄（しき）といい、「大頂」あるいは「大器」と訳します。首陀婆天（しゅだばてん）は「浄居天」と訳します。なお、ここでは『大智度論』に従って要点だけを挙げています。これ以外の天の名前は、『婆沙論』に詳しく述べられていますが、文が煩雑になるため、すべてを記すことはできません。 『中阿含経』にはこうあります。ある時、一人の比丘が仏のもとに来て、仏の足に頭を付けて礼をし、退いて一方に立ち、こう尋ねました。「世尊よ、どのような理由で釈提桓因（しゃくだいかんいん）と名づけられたのですか。」 仏は比丘に答えました。「釈提桓因は、もと人間だった時、深い布施を行った。沙門やバラモン、貧しく苦しむ人々に、食べ物や飲み物、財産、灯明などを施した。その能力によって、釈提桓因と呼ばれるのだ。」 「では、どのような理由で富蘭陀羅（ふらんだら）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「彼は人間だった時、何度も何度も布施を行った。衣服や食べ物、飲み物、そして灯明などを施した。そのため、富蘭陀羅と呼ばれるのだ。」 「では、どのような理由で摩訶婆（まかば）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「彼は人間だった時、摩伽婆（まかば）と名乗っていた。その本名にちなんでそう呼ばれるのだ。」 「では、どのような理由で娑婆婆（しゃばば）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「彼は人間だった時、バシャンジの衣を布施として供養した。そのため、娑婆婆と呼ばれるのだ。」 「では、どのような理由で憍尸迦（きょうしか）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「彼は人間だった時、憍尸迦という姓だったからだ。」 「では、どのような理由で舍脂鉢低（しゃしはってい）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「彼の后である舍脂が、天帝釈の第一の天后だからである。」 「では、どのような理由で千眼（せんげん）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「彼は人間だった時、聡明で智慧があった。ただ一つの座にいる間に、千もの意味を考え、観察し、評価したからである。」 「では、どのような理由で因提利（いんだいり）と呼ばれるのですか。」と尋ねると、仏は答えました。「天帝は三十二天のすべての主であるからである。」 仏は比丘に告げました。「しかし、あの釈提桓因は、人間だった時に七つのことを守ったからこそ、天帝釈となることができたのだ。その七つとは何か。父母を供養すること、そして等しく施しを行うことなどである。まさに経の偈に説かれている通り、天帝釈となるための道である。」