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title: "法苑珠林 · 7 虧盈部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 虧盈部第七

> 第七章 欠損と満盈

依立世阿毘曇論云。云何黑半。云何白半。由日黑半。由日白半。日恒逐月行。一一日相近四萬八千八十由旬。日日相離亦復如是。若相近時日日月圓被覆三由旬。又一由旬三分之一。以是事故十五日月被覆則盡。是日黑半圓滿。日日離月亦四萬八千八十由旬。月日日開三由旬。又一由旬三分之一。以是事故十五日月則開淨圓滿。世間則名白半圓滿。日月若最相離行。是時月圓。世間則說白半圓滿。日月若共一處。是名合行。世間則說黑半圓滿。若日隨月後行日光照月光。月光麁故被照生影。此月影還自翳月。是故見月後分不圓。以是事故漸漸掩覆至十五日覆月都盡。隨後行時是名黑半。若日在月前行。日日開淨亦復如是。至十五日具足圓滿。在前行時是名白半。

> 『世阿毘曇論』に依れば、黒半とは何か、白半とは何か。日によって黒半があり、日によって白半がある。太陽は常に月を追って運行し、一日ごとに四万八千八十由旬ずつ近づき、また一日ごとに同じ距離だけ離れる。近づく時、太陽と月の円は三由旬と三分の一由旬分、覆われる。このため十五日目には月の覆いが尽き、これが黒半の満ちる時である。日が月から離れる時も、一日に四万八千八十由旬ずつ離れ、月は一日に三由旬と三分の一由旬分ずつ開く。このため十五日目には月が清らかに満ち開き、世間ではこれを白半の満ちる時という。太陽と月が最も離れて運行する時、月は円満となる。これを世間では白半の満ちる時という。太陽と月が同じ場所にある時、これを「合行」といい、世間では黒半の満ちる時という。もし太陽が月の後を追って運行するなら、日の光が月の光を照らす。月の光は粗いため、照らされて影が生じる。この月の影が再び月自身を覆い隠す。そのため月の後ろの部分が円満に見えない。こうして次第に覆われ、十五日目には月が完全に覆われる。後を追って運行する時を黒半という。もし太陽が月の前を運行するなら、日々清らかに開くことも同様であり、十五日目には完全に円満となる。前を運行する時を白半という。

又起世經。問言。復有何因緣。於冬分時夜長晝短。佛答比丘。日天宮殿過六月已漸向南行。每於一日移六拘盧奢。無有差失。當於是時日天宮殿在閻浮洲最極南垂。地形狹小日過速疾。以此因緣。於冬分時晝短夜長。復何因緣。於春夏時晝長夜短。佛答云。日天宮殿過六月已漸向北行。每一日中移六俱盧奢無有差失。異於常道。當於是時。在閻浮洲處中而行。地寬行久所以晝長。以此因緣。春夏晝長夜分短促。

> また、『起世経』によれば、次のような問答がある。 「どのような因縁で、冬の季節には夜が長く昼が短いのでしょうか？」 仏は比丘たちに答えられた。 「太陽の天宮殿は、六ヶ月が過ぎると次第に南へと向かう。一日ごとに六倶盧舎ずつ移動し、その動きに誤りはない。その時、太陽の天宮殿は閻浮洲の最も南の果てに位置する。地形が狭いため太陽の通り過ぎるのが速く、その因縁により、冬の季節は昼が短く夜が長くなるのだ。」 「では、どのような因縁で、春や夏には昼が長く夜が短いのでしょうか？」 仏は答えられた。 「太陽の天宮殿は、六ヶ月が過ぎると次第に北へと向かう。一日ごとに六倶盧舎ずつ移動し、その動きに誤りはなく、常道とは異なる。その時、閻浮洲の中ほどを進むため、地が広く進むのに時間がかかる。そのため昼が長くなる。この因縁により、春や夏は昼が長く夜が短いのだ。」

智度論云。如阿鞞跋致品中所說。日月歲節者。日名從旦至旦。初分中分後分。夜亦有三分。一日一夜有三十時。春秋分時十五時屬晝。十五時屬夜。餘時增減。若五月至晝十八時。夜十二時。十一月至夜十八時。晝十二時。一月或三十日半。或三十日。或二十九日半。或二十七日半。有四種月。一者日月。二者世間月。三者月月。四者星宿月。日月者三十日半。世間月者三十日。月月者二十九日。加六十二分之三十。星宿月者。二十七日加六十分之二十一。閏月者從日月世間月二事中出。是名十三月。或十三月名一歲。是歲三百六十六日。周而復始。菩薩知日中分時。前分已過。後分未生。中分無住處。無相可取日分。空空無所有。到三十日。時二十九日減。云何和合成日月。無故云何和合而為歲。以是故。佛言。世間法如幻如夢。但是誑心法。菩薩能知世間日月歲和合。能知破散無所有。是名巧分別依經人多薄福日月災變。或有赤日赤月。種種徵惡。具如經說。

> 『智度論』にはこう説かれている。「阿鞞跋致品の中で述べられているように、『日月・歳・節』について言えば、『日』とは夜明けから次の夜明けまでを指す。昼には初分・中分・後分の三分があり、夜にも三分がある。一日一夜には三十の時がある。春分・秋分の時には十五時が昼、十五時が夜に当たる。それ以外の季節では増減がある。例えば五月には昼が十八時、夜が十二時となり、十一月には夜が十八時、昼が十二時となる。一ヶ月は三十日半の場合もあれば、三十日、二十九日半、二十七日半の場合もある。四種類の月がある。第一に日月、第二に世間月、第三に月月、第四に星宿月である。日月は三十日半、世間月は三十日、月月は二十九日と六十二分の三十を加えたもの、星宿月は二十七日と六十分の二十一を加えたものである。閏月は、日月と世間月の二つから生じる。これを十三月と呼ぶ。時に十三月を一歳とすることもある。この一歳は三百六十六日あり、めぐりめぐってまた元に戻る。菩薩は、日中（昼の真ん中）の時を知る。前分はすでに過ぎ、後分は未だ生じておらず、中分にはとどまる場所がなく、相として捉えられる日分はない。空にして何ものも存在しない。三十日に至れば、二十九日は減じている。どうしてこれらが和合して日月となるのか。無（実体がない）であるものたちが、どうして和合して歳となり得ようか。ゆえに仏は言われる。『世間の法は幻の如く、夢の如し。ただ心を惑わす法に過ぎない』と。菩薩は、世間の日月や歳の和合をよく知り、それらを打ち砕き散じていって何ものも存在しないことをよく知る。これを『巧みな分別』と呼ぶのである。 <note>経典によれば、人は総じて福徳が薄く、日月に災いや異変が生じることが多い。赤い太陽や赤い月など、様々な不吉な兆しがある。詳しくは経典の記述の通りである。</note>」