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title: "法苑珠林 · 6 照用部"
description: "法苑珠林由唐代高僧道世编纂，成书于唐高宗总章元年（668年），是佛教重要的类书典籍。全书共一百卷，系统分类整理了佛教经律论三藏中的典故、名相、教义及因果故事，内容涵盖佛教宇宙观、修行方法、戒律仪轨等，被誉为佛教百科全书。道世以严谨的学术态度广引经典，保存了大量唐代以前的佛教文献，具有极高的史料价值。该书不仅对唐代佛教研究影响深远，更为后世学者提供了系统研究佛教教义的重要依据，在中国佛教文献史上占据重要地位。"
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### 照用部第六

> 照用部 第六

依長阿含經云。劫初長成時天地大闇。有大黑風吹大海水。開取日以照天下。著須彌半安日道中。行旋繞四天下照燭眾生。又起世經云。爾時世間便成黑暗。是時忽然出生日月及諸星宿。便有晝夜年歲時節。爾時日天昇大宮殿。從東方出繞須彌山半腹而行於西方。沒已還從東出。爾時眾生復見日天從東方出。各相告言。諸仁者。還是日天光明宮殿。再從東出。右繞須彌當於西沒。第三見已亦相語言。是天光明流行此也。故有如是名字出。又智度論云。日月方圓五百由旬。而今所見不過如扇。處處經云。佛語阿難。人眼所見。知四十二萬由旬人眼所見。又立世阿毘曇云。云何為夜。云何為晝。因日故夜。因日故晝。欲界者自性黑暗。日光隱故。是則為夜。日光顯故。是則為晝。又起世經云。佛告諸比丘。若閻浮洲日正中時。弗婆提洲日則始沒。瞿耶尼洲日則初出。欝單越洲正當半夜。若瞿耶尼洲日正中時。此閻浮洲日則始沒。欝單越洲日則初出。弗婆提洲正當半夜。若欝單越洲日正中時。瞿耶尼洲日則始沒。弗婆提洲日則始出。閻浮洲中正當半夜。若弗婆提洲日正中時。欝單越洲日則始沒。閻浮洲中日則初出。瞿耶尼洲正當半夜。

> 『長阿含経』によると、こう語られている。 この世界が始めて成ったばかりの時、天地は深い闇に包まれていた。すると大きな黒い風が吹き起こり、大海の水を掻き分けて、太陽を取り出し、世界を照らすために、それを須弥山の中腹に置いた。それ以来、太陽は太陽の道筋に従って、四つの大陸の周りを巡りながら、すべての生きとし生けるものを照らし続けているのである。 また『起世経』にはこうある。 その時、世の中は暗闇に包まれた。しかしそこに、突如として太陽と月、そして数多くの星々が生まれ出た。そして、昼と夜、年や季節ができたのである。その時、太陽神は大きな宮殿に乗り、東の方から昇り、須弥山の中腹を半周して西に沈み、また東から昇った。人々は、太陽神が再び東から昇るのを見て、互いに言い合った。「尊者よ、あれはやはり太陽神の光り輝く宮殿だ。再び東から昇り、須弥山を右に巡り、西に沈んでいく」と。三度目に見た時も、また同じように言い合った。「この天の光は、こうして巡っているのだ」。こうして、さまざまな名前が生まれたのである。 さらに『大智度論』にはこうある。 太陽と月の大きさは、縦横それぞれ五百由旬である。しかし、私たちの目に映るのは、せいぜい扇ほどの大きさに過ぎない。 『処処経』には、こう記されている。 仏は阿難に告げた。「人の目が見ることのできる範囲は、四十二万由旬である」と。 また『立世阿毘曇論』にはこうある。 なぜ夜があり、なぜ昼があるのか。それは太陽によって夜となり、太陽によって昼となるのだ。欲界は、その本質が暗黒である。太陽の光が隠れる時、それが夜であり、太陽の光が現れる時、それが昼となるのである。 さらに『起世経』には、こうある。 仏は比丘たちに告げた。「もし閻浮提洲（我々の住む世界）で太陽が真上にある時、弗婆提洲ではちょうど太陽が沈みかけ、瞿耶尼洲ではちょうど太陽が昇り始め、欝単越洲ではちょうど真夜中である。もし瞿耶尼洲で太陽が真上にある時、この閻浮提洲ではちょうど太陽が沈みかけ、欝単越洲ではちょうど太陽が昇り始め、弗婆提洲ではちょうど真夜中である。もし欝単越洲で太陽が真上にある時、瞿耶尼洲ではちょうど太陽が沈みかけ、弗婆提洲ではちょうど太陽が昇り始め、閻浮提洲ではちょうど真夜中である。もし弗婆提洲で太陽が真上にある時、欝単越洲ではちょうど太陽が沈みかけ、閻浮提洲ではちょうど太陽が昇り始め、瞿耶尼洲ではちょうど真夜中である。」

佛告比丘。若閻浮洲人所謂西方瞿耶尼人以為東方。瞿耶尼人所謂西方欝單越人以為東方。欝單越人所謂西方弗婆提人以為東方。弗婆提人所謂西方閻浮洲人以為東方。南北二方亦復如是。

> ブッダは比丘たちに告げられた。「例えば、閻浮提の人々が『西』と呼ぶ方向を、瞿耶尼の人々は『東』と呼ぶ。瞿耶尼の人々が『西』と呼ぶ方向を、欝単越の人々は『東』と呼ぶ。欝単越の人々が『西』と呼ぶ方向を、弗婆提の人々は『東』と呼ぶ。弗婆提の人々が『西』と呼ぶ方向を、閻浮提の人々は『東』と呼ぶ。南北の二方についても、まったく同じである。」