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title: "祖庭事苑 · 雲門錄"
description: "祖庭事苑由北宋僧人了善卿编正，是一部重要的佛教辞书类著作。该书编撰于中国佛教禅宗鼎盛的宋代，旨在汇集和解释禅宗典籍中的疑难字词、名相典故及丛林制度。其内容广涉经律论、祖师语录、公案机锋等，为学人阅读和理解禅宗文献提供了极大便利。作为早期禅宗辞典的代表，祖庭事苑对研究唐宋禅宗思想、语言及历史具有极高的文献价值，是佛教工具书发展史上的重要里程碑。"
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### ●雲門錄上

> 雲門録 上

師諱文偃。生東吳之嘉興。姓張氏。受業於兜率院。訪道諸方。

> 師の名は文偃。東吳の嘉興の生まれで、姓は張氏。兜率院で修行し、各地を訪ねて道を求めた。

初至睦州。參陳尊宿。扣其門。陳問。阿誰。曰。文偃。

> 睦州に初めて到り、陳尊宿を訪ねた。門を叩くと、陳が問うた。「誰じゃ。」「文偃と申します。」

陳開門把住曰。道。道。師無語。

> 陳が門を押さえて開けながら言った。「言え、言え。」師は何も言えなかった。

陳曰。秦時𨍏輅鑽。遂托開。以門揜折右足。師因發明大意。

> 陳が言った。「秦の時代の轆轤の錐だ。」すると、突然（その言葉で）悟りが開けた。和尚は門を閉める際に（陳の）右足を折ってしまった。これによって師（陳尊宿）は大いなる悟りの境地を発見したのである。

陳指游雪峯。師既至。適雪峯陞堂。乃出眾曰。項上三百斤鐵枷何不脫却。

> 陳が雪峯を訪ねた。師が到着した時、ちょうど雪峯が説法のために高座に上がっていた。すると師は人々の中から進み出て言った。「頭の上の三百斤もある鉄の枷を、なぜまだ外さないのですか。」

峰下座。把住云。因甚到與麼。師以手拭目。

> 峰の下に座す。把住して云く、何に因りてかかくの如きに至れる。師、手を以て目を拭う。

自後道振叢席。再歷禪林。至韶州靈樹。居第一座。靈樹既沒。廣主劉氏令州牧何希範請師繼其法席。由是大唱雪峰之道於天下。遷雲門。而學者輻湊。至南漢乾和七年四月十日。坐而示化。即大漢之乾祐二年也。

> その後、師の教えは僧院に広まり、禅林を巡り、韶州霊樹に至って首座を務めた。霊樹が亡くなると、広主劉氏が州牧の何希範に命じて師に法席を継がせた。ここから師は雪峰の教えを天下に大いに宣揚し、雲門に移ると、学僧たちが四方から集まった。南漢の乾和七年四月十日、座禅のまま示寂した。これは大きな漢の乾祐二年にあたる。

本朝太祖乾德元年。感阮紹莊之夢。時進李托奏上之。發塔得全身。容止如生。迎赴闕供養。既而得旨。歸葬于本山。諡號大慈雲匡真弘明大師。

> 本朝の太祖、乾徳元年のこと。阮紹莊という人物の夢に感応があり、時、李托が奏上した。塔を開くと全身（全身の舎利）が現れ、その姿は生きているかのようであった。都に迎えて供養した。その後、勅命を得て、元の山に葬った。諡号を大慈雲匡真弘明大師とされた。

嗚呼。師之亡後一十四年。復題于　蓺祖之時。其道流通洋洋于今日。豈偶然乎。師資

> ああ、師が亡くなられてから十四年。ふたたび芸祖の時代に題することとなった。その教えが広く流れ、今日に至るまで盛んであるのは、決して偶然のことではない。師と弟子の絆よ。

老氏曰。善人。不善人之師。不善人。善人之資。

> 老子は言われた。 善人は、不善の人にとっての師であり、 不善の人は、善人にとっての教えの糧となる。

說者曰。善人有不善人。然後善救之功著。故曰資。喻筏

> 善人には不善な人がいてこそ、善く救うという功績が顕著になる。だから「資（よりどころ）」と言うのだ。これは筏（いかだ）に例えられる。

房越切。正作橃。說文云。海中大船也。亦作筏。

> 筏（いかだ）とは、もともと「橃」という字で表されていたもので、『説文解字』によれば「海の中の大きな船」という意味です。また、「筏」とも書かれます。

金剛般若曰。如來常說。汝等。說法如筏喻者。法尚應捨。何況非法。止啼

> 金剛般若経にはこう説かれています。 如来は常におっしゃいました。「あなたがたに説く教えは、譬えていえば、いかだのようなものだ」と。 教えそのものさえも、彼岸に渡ったならば手放すべきなのです。ましてや、教えに反するものを執着するなど、なおさらのことです。これは、まるで子供の泣き声を止めるための方便のようなものです。

譬如嬰兒啼哭之時。父母即以楊樹黃葉而語之言。莫啼。莫啼。我與汝金。嬰兒見已。生真金想。便止不啼。然此楊葉實非金也。見涅盤經。忘筌

> 例えば、赤ちゃんが泣いている時、親は楊の木の枯れ葉を使ってこう言います。「泣かないで、泣かないで。黄金をあげよう」と。赤ちゃんはそれを見て本物の金だと思い込み、泣き止みます。しかし、その楊の葉は実際には金ではありません。──『涅槃経』より、手段にこだわれば本質を見失うという教え。

易略例曰。言者所以明象。得象而忘言。象者所以存意。得意而忘象。猶蹄者所以在兔。得兔而忘蹄。筌者所以在魚。得魚而忘筌也。然則言者象之蹄也。象者意之筌也。存言者非得象者也。存象者非得意者也。摩竭揜室

> 言葉は、イメージ（象）を明らかにするための道具です。 そのイメージを得たなら、言葉にはこだわる必要はありません。 イメージは、意味（意）をとどめるためのものです。 その意味を得たなら、イメージにこだわる必要はありません。 ちょうど、わなはウサギを捕まえるためのもので、ウサギを得たならわなを忘れるのと同じです。 また、もじ（筌）は魚を捕るための道具で、魚を得たならもじを忘れるのと同じです。 したがって、言葉はイメージというウサギを捕まえるわなのようなものであり、 イメージは意味という魚を捕るもじのようなものです。 言葉をそのまま守るだけの者は、イメージを得たことにはならず、 イメージをそのまま守るだけの者は、意味を得たことにはなりません。 （このようにして）摩竭（

梵云摩竭陀。此云文物國。揜室。言世尊禪定於普光法堂也。西域記云。昔如來於摩竭陀國初成正覺。梵王建七寶堂。帝釋建七寶座。佛坐其上。於七日中思惟是事。義同揜室也。毗耶杜口

> 梵語で「マガダ」と言います。この国は、文化や文物が栄えた国という意味です。「揜室（えんしつ）」とは、世尊（釈迦）が普光法堂で禅定に入られたことを指します。『大唐西域記』にはこうあります。昔、如来がマガダ国で初めて正覚（さとり）を開かれたとき、梵天が七宝で飾られた堂を建て、帝釈天が七宝の座を設けました。仏はその上に座り、七日間にわたってこのことを思惟されました。その意味は「揜室」と同じです。毘耶離（ヴァイシャーリー）の維摩詰は口を閉ざして沈黙されました（杜口）。

梵云毗耶離。此言廣嚴。維摩所居之城。杜。閉也。維摩．入不二法門品曰。文殊問維摩詰。我等各自說已。仁者當說何等是菩薩入不二法門。時維摩詰默然無言。文殊歎曰。善哉。善哉。乃至無有文字語言。是真入不二法門。異儻

> サンスクリット語で「ヴァイシャーリー」、日本語では「広厳」といいます。維摩居士が住んでいた町のことです。 「杜」は「閉じる」という意味です。 維摩経の「入不二法門品」にはこうあります。文殊菩薩が維摩詰に問いました。「私たちはそれぞれ自分の考えを述べました。では、あなたはどのようなことが菩薩の不二の真理に入る道だとお思いですか？」その時、維摩詰は黙って何も言いませんでした。文殊菩薩は感嘆して言いました。「素晴らしい、素晴らしい。言葉や文字をまったく用いないことこそ、まさに不二の法門に入ることなのです。」 非凡なる仲間たちよ。

當作異黨。黨。輩．類也。儻。它郎切。非義。迦葉

> これを「異なる仲間」と見なしてはならない。「黨」とは仲間やたぐいのことである。「儻」と読むのは誤りである（この場合は「たもう」ではなく、「とう」と読むのが正しい）。カーシャパよ、理解しなさい。

梵云迦葉波。此云飲光。謂其身光最勝。飲服諸天。故名焉。曹溪

> 【原文】 梵云迦葉波。此云飲光。謂其身光最勝。飲服諸天。故名焉。曹溪 【現代語訳】 サンスクリット語で「迦葉波（カッショウパ）」といいます。これを日本語では「飲光（いんこう）」と訳します。この方は全身から最も優れた光を放ち、その光は天人の光さえも飲み尽くしてしまうかのようであるため、この名がつけられました。曹溪（の教え）によれば。

寶林傳。唐儀鳳中。居人曹叔良施地六祖大師。居之地有雙峯．大溪。因曹侯之姓。曰曹溪。天下參祖道者。枝分派列皆其流裔。烈派

> 宝林伝によると、唐代の儀鳳年間（676-679年）に、地元の曹叔良という人が土地を寄進しました。六祖大師（慧能）が住まわれたその地には、双峯と大きな川がありました。曹侯という姓にちなんで、曹溪と名付けられました。世の中で祖師の道を学ぶ人々は、枝分かれして流派をなしていますが、皆この流れを汲む者たちです。

烈當依列言行列也。石頭洪注

> 烈は、当に列の言うように行じるべきである。石頭が広く註を施した。

桉唐丘玄素作天王道悟禪師󳬴。天王嗣馬祖。而非石頭弟子。然考其󳬴。悟生荊州。得法於江西馬大師。師囑之曰。汝若住持。莫離舊處。由是返荊州。結茅於渚宮之上。荊師以居處荒榛。而怒投之於水中。已而。天王神發火光於師庭。師感悟。為之建寺。今荊州天王寺存焉。今作天皇者。誤矣。又復考傳燈。謂。師婺州東陽人也。年十四。依昭州僧剃髮。受具杭州。與荊州󳬴全異。今據丘玄素󳬴。天王嗣馬祖明矣。非石頭洪注也。當胄

> 唐代の丘玄素によれば、道悟禅師は天王寺の僧であり、馬祖の法を継いだ者であって、石頭の弟子ではないとされる。その墓碑銘を調べてみると、道悟は荊州で生まれ、江西の馬大師のもとで悟りを得た。師は彼に「もし住持となるなら、かつての場所を離れてはならない」と告げた。それにより荊州に戻り、渚宮のほとりに草庵を結んだ。荊州刺史は、その住まいが荒れ果てているのを見て怒り、彼を水中に投げ込んだ。しかしその後、天王の神が道悟の庭に火光を現したため、師は心を開かれて寺院を建立した。現在も荊州には天王寺が残っている。これを「天皇寺」と記すのは誤りである。 さらに『伝燈録』を調べると、道悟禅師は婺州東陽の人で、十四歳のときに昭州の僧のもとで剃髪し、杭州で具足戒を受けたとあるが、これは荊州の墓碑銘の内容と全く異なる。丘玄素の墓碑銘に従えば、天王寺の道悟が馬祖の法を嗣いだことは明らかであり、石頭の弟子であるとするのは誤りである。その正しい系統を明らかにすべきである。

直祐切。胤也。故字从肉。胄。裔之謂也。裔。从衣。以子孫為裔者。取衣有下垂之義。裔。余製切。藏六

> 「直祐切（ちょくゆうせつ）。胤（たね）という意味です。だから字は「肉」偏に従います。「胄」とは「裔（すえ）」のことです。「裔」は「衣」偏に従い、子孫を「裔」と呼ぶのは、衣服が垂れ下がる様子から取った意味です。「裔」は「余製切（よせいせつ）です。藏六（ぞうろく）」

雜阿含云。有龜被野干所得。藏六不出。野干怒而捨去。佛告諸比丘。汝當如龜藏六。自藏六根。魔不得便。三句

> 『雑阿含経』にこうある。ある亀が山犬に捕まったが、六つの部分を甲羅に引っ込めて出さなかった。山犬は怒って去っていった。仏は比丘たちに告げられた。「あなたがたは、あの亀が六つを隠すように、自分の六根（眼・耳・鼻・舌・身・意）を守りなさい。そうすれば、悪魔も隙を得ることはできない」と。

一．截斷眾流。二．函蓋乾坤。三．隨波逐浪。立此三句。自德山圓明大師始也。今皆謂雲門三句者。蓋參尋之不審也。然德山即雲門之嗣。有此三句爾。囊穎

> 一、あらゆる分別の流れを断ち切る。 二、あらゆるものを包み込む。 三、流れに身を任せて波に乗る。 この三句は、徳山円明大師が初めて打ち立てたものである。今日では皆「雲門三句」と呼んでいるが、それは参究の行き届かない誤りである。そもそも徳山は雲門の法嗣であり、この三句を持っていたにすぎないのだから。

平原君傳曰。夫賢士之處世也。譬如錐之處囊中。其末立見。毛遂曰。使遂早得處囊中。乃頴脫而出。非特末見而已。待兔

> 平原君の伝記にこういう言葉がある。世の中の賢者は、ちょうど袋の中にある錐のようなもので、すぐにその先端があらわれるものだと。 これに対して毛遂が言った。「もし私が早くに袋の中に入れられていたなら、先端だけではなく、錐全体が飛び出して見えていたでしょう。ただ先端があらわれるだけではないのです。」

韓子曰。宋人有耕者。田中有株。兔走抵株。折頸而死。因釋耕而守株。冀復得兔。為宋國笑。勉歷

> 韓非子が言う。宋の国に農夫がいた。畑の中に切り株があった。そこにウサギが走ってきて、ぶつかり、首の骨を折って死んだ。それからこの農夫は、鍬を置いて、その切り株のそばで待ち続け、またウサギがかかるのを願った。しかし、それは宋の国中の笑いものになった。教訓とすべきである。

上當作免。止也。勉強。非義。瘡疣

> 免は「やめる」という意味であり、また「無理すること」や「よからぬこと」、さらには「傷やこぶのようなもの（煩わしいもの）」を指します。

羽求切。結病也。釋名曰。疣。丘也。出皮上聚高。如地之有丘。雖搜徧訣

> 疣（いぼ）、これを求むるに切（せつ）あり。結（けつ）の病なり。釋名に曰く、「疣は丘なり。皮の上に出でて聚（あつ）まり高きこと、地に丘あるが如し。遍く搜（あさ）るも、決（さ）くることなし」と。

當作雖徧搜抉。謂師弗容抄寫。遂徧行搜抉於他處。今方得自於真公也。抉。絹悅切。挑也。玄鶴

> 師は広く探し求めたけれども、師は書き写すことを許さなかった。そこで他の場所で広く探し求めて、今ようやく真公から得ることができたのである。「抉」は「けんえつ」と読み、えぐり出すという意味である。玄鶴

相鶴經云。鶴者。陽鳥也。稟金氣以生。二年。頂赤。七年。飛薄雲漢。又七年。晝夜十二時鳴。六十年。大毛落。茸毛生。色白如雪。泥水不能污。百六年。雌雄相視乃孕。三百六十歲則色純黑如漆。故曰玄鶴。二千六百歲。飲而不食。胎化。產而為仙人之騏驥。帥曠

> 『相鶴経』にこうある。 鶴は陽の鳥である。金の気を授かって生まれる。二年で頭頂が赤くなり、七年で雲や天の川を翔けるようになる。さらに七年経つと、昼夜十二時（一日中）にわたって鳴く。六十年で大きな羽が抜け落ち、柔らかな毛が生え、その色は雪のように白く、泥水も汚すことができない。百六年で、雌雄が見つめ合うことで妊娠する。三百六十歳になると、色は漆のように真っ黒になる。そのため「玄鶴」と呼ばれる。二千六百年にわたり、水は飲むが食物はとらず、胎内で育ち、仙人の乗る優れた馬となって生まれるという。師曠はこう述べている。

師曠。晉平公樂師也。公使曠鼓琴。公曰。琴無此最悲乎。有可得聞乎。曰。君德義薄。不可以聽之。曰。寡人所好音也。願聞之。師曠不得已。援琴皷之。一奏之。有玄鶴六集于郭門。再奏之。延頸而鳴。舒翼而舞。平公大喜。起為師廣壽。子期．伯牙

> 師曠（しこう）は、晋の平公（へいこう）に仕えた楽師です。 ある日、平公が師曠に琴を弾かせて、こう尋ねました。 「この琴で、これ以上に悲しい曲はないのか。それを聞くことはできぬか。」 師曠は答えました。 「主君の徳や義は薄く、そのような曲をお聞きになるべきではございません。」 すると平公は言いました。 「私はただ音楽が好きなのだ。どうか聞かせてほしい。」 師曠はやむを得ず、琴を手に取り弾き始めました。 一曲目を弾くと、六羽の黒い鶴が城門に集まりました。 二曲目を弾くと、鶴たちは首を伸ばして鳴き、翼を広げて舞いました。 平公は大いに喜び、立ち上がって師曠に祝いの杯を捧げました。 ——ここに、

呂氏春秋曰。伯牙善琴。子期善於聽。伯牙志在高山。子期曰。峩峩兮若太山。志在流水。洋洋兮若江河。伯牙所念。子期必得之。伯牙游太山之陰。逢暴雨。止於巖下。心悲乃鼓琴。作淋雨之操。更造崩山之音。每奏。子期輒窮其趣。伯牙捨琴而嘆曰。善哉。子聽志想像於吾心。吾何逃聲哉。涉瀝

> 『呂氏春秋』にこうある。 伯牙は琴の名手であり、子期はその音を聴き分けることに優れていた。 伯牙が心に高い山を思い浮かべて弾くと、子期は言った。 「なんと雄大なことよ、あたかも泰山のようだ」 次に、はやる流れを思い浮かべて弾くと、子期は言った。 「なんと広々としていることよ、まるで大河のようだ」 伯牙の想うところは、子期は必ず感じ取った。 ある時、伯牙が泰山の北側を遊覧していたところ、にわか雨に遭い、岩陰で雨宿りをした。 心が悲しみに沈み、琴を弾きだした。 まずは「降りしきる雨の曲」を作り、次に「山の崩れ落ちる音」を奏でた。 これらの曲を弾くたびに、子期はその趣きをすべて見抜いた。 伯牙は琴を置いて、嘆息して言った。 「なんと素晴らしいことか。君は私の心

瀝。當作歷。狼狄切。過也。瀝。水下滴瀝。非義。昇堂

> 立つべきは「歴」の字。音は「狼狄切」。意味は「過ぎる」。 「瀝」は水がしたたり落ちる意であり、ここでの意味には合わない。 堂に昇る。

昇。當作陞。登也。昇。日之昇也。非義。師劉隱。僭號稱漢。據廣州。幸韶石。覽先靈樹知聖大師遺誡。詔師受紫衣。令太守何希範請師開堂。錄中謂何公者。即希範。三藏

> 昇（＝「陞」と同じく、「登る」の意味）。「昇」とは本来、日の昇ることを指すので、ここでの意味には当たらない。 師は劉隱に従った。劉隱は帝号を僭称して漢を名乗り、広州を拠点とした。師が韶石を訪れた際、先師である霊樹の知聖大師の遺訓を拝見した。そこで師は紫衣を賜るよう詔を受け、太守何希範に命じて師に法堂を開かせた。記録の中に「何公」とあるのは、すなわち何希範のことである。三蔵。

一．修多羅藏。四阿含等經。二．阿毗曇藏。俱舍．婆沙等論。三．毗尼藏。五部律。五乘

> 一、経蔵（修多羅蔵）──四阿含などの経典。 二、論蔵（阿毘曇蔵）──倶舎論や婆沙論などの論書。 三、律蔵（毘尼蔵）──五部の律。五つの乗り物。

一．持戒。得人乘。二．行十善。得天乘。三．修四諦。得聲聞乘。四．修十二因緣。得緣覺乘。五．具六度行。得菩薩乘。四時

> １．戒律を守れば、人としての幸せが得られる。 ２．十の善行を実践すれば、天の世界に生まれる。 ３．四つの真理を修めれば、声聞の悟りを得る。 ４．十二の因縁の道理を修めれば、縁覚の悟りを得る。 ５．六つの完全な修行を備えれば、菩薩の境地に至る。 これらが四つの時節である。

桉台宗有五時。言四時。蓋誤也。所謂五者。一．華嚴時。譬如日出先照高山。二．鹿苑時。說四阿含。如日照幽谷。三．方等時。說維摩．思益．楞伽．楞嚴三昧．金光明．勝鬘等經。約時。即食時。四．般若時。說摩訶般若諸般若經。則禺中時。五．法華．涅槃時。則日輪當午。罄無形影。八教

> 天台宗には五時がある。四時というのは誤りである。五時とは、第一に華厳時であり、例えるなら日の出がまず高い山を照らすようなものである。第二に鹿苑時であり、四阿含を説く。これは太陽が深い谷間を照らすようなものである。第三に方等時であり、維摩経・思益経・楞伽経・楞厳三味経・金光明経・勝鬘経などを説く。時節で言えば、食事の時にあたる。第四に般若時であり、摩訶般若経などの諸般若経を説く。これは午前中の遅い時にあたる。第五に法華・涅槃時であり、これは太陽が真上に来た時で、影すらも完全に消えているようなものである。八教については、

台宗有化法四教。一藏．二通．三別．四圓。有化儀四教。一頓．二漸．三祕密．四不定。一乘圓頓。教家之極則也。這

> 天台宗には、教えの内容を分類した「化法四教」があります。一つ目は蔵教、二つ目は通教、三つ目は別教、四つ目は円教です。 また、教えの方法を分類した「化儀四教」もあります。一つ目は頓教、二つ目は漸教、三つ目は秘密教、四つ目は不定教です。 この中で、一乗円頓の教えこそが、仏教教学の最高の基準なのです。

當作者。別事之詞。禪錄多作這。或作遮。皆非義。這。三蒼詁訓云。古文適字。今非此用。忘想

> 「当（これ）」は、作者とは別の事を示す言葉である。禅録では多く「這（これ）」と書かれる。また「遮（これ）」と書くこともあるが、いずれも正しい意味ではない。「這」という字について、『三蒼』の詁訓（語義説明）には「古くは『適（あ）う』の字」とあるが、現在はこの使い方はしない。思い込みでそう考えるのは誤りである。

當作妄。無放切。亂也。𣉜㫰

> 「妄」という字は、「乱」を意味します。心が乱れ、落ち着かない状態を指します。「𣉜㫰」も同様の意味合いです。

上正作曬。所賣切。暴也。𣉜。書無此字。嬴

> 正しくは「曬（さい）」と書く。「売る」という意味の「賣」の字を使うが、これに「暴（ほ）」の意味がある。「𣉜」という字は、書物には存在しない。

當作贏。音盈。有餘賈利也。三乘

> 当を得る（“贏”は「盈」と発音し、余剰の利益の意味がある）。三乗。

一聲聞．二緣覺．三菩薩。乘以運載。進趣無窮也。十二分

> 一、声聞。二、縁覚。三、菩薩。これらの三乗は、人を運び、無限の悟りへと進ませるものです。

一．梵語修多羅。此云契經。二．祇夜。應頌。三．和伽羅。授記。四．伽陀。諷頌。五．尼陀羅。因緣。六．優陀那。自說。七．伊帝目多。本事。八．闍陀伽。本生。九．毗舍略。方廣。十．阿浮達磨。未有。十一．婆陀。譬喻。十二．優婆提舍。論議。教外別傳

> 一、サンスクリット語の「スートラ」は、これを「契経」といいます。 二、「ゲーヤ」は「応頌」。 三、「ヴィヤーカラナ」は「授記」。 四、「ガーター」は「諷頌」。 五、「ニダーナ」は「因縁」。 六、「ウダーナ」は「自説」。 七、「イティヴリッタカ」は「本事」。 八、「ジャータカ」は「本生」。 九、「ヴァイプーリヤ」は「方広」。 十、「アドブタ・ダルマ」は「未有」。 十一、「アヴァダーナ」は「譬喩」。 十二、「ウパデーシャ」は「論議」。 教外別伝。

正宗記曰。其所謂教外別傳者。非謂黃卷赤軸間言聲字色。樅然之有狀者。直與寶相無相一也。亦非果別於佛教也。正其教迹所不到者也。桉智度論曰。諸佛斷法愛。不立經書。亦不莊嚴語言。如此則大聖人其意何甞必在於教乎。經曰。我坐道場時。不得一法實。空拳誑小兒。以度於一切。是豈非大聖人以教為權。而不必專之乎。又經曰。修多羅教如標月指。若復見月。了知所標畢竟非月。是豈使人執其教迹邪。又經曰。始從鹿野苑。終至拔提河。中間五十年。未曾說一字。斯固其教外之謂也。然此極且奧密。雖載於經。亦但說耳。聖人驗此。故命以心相傳。而禪者所謂教外別傳。乃此也。又吾宋　章聖皇帝為之修心詩曰。初祖安禪在少林。不傳經教但傳心。後人若悟真如性。密印由來妙理深。十地

> 正宗記にこう述べている。いわゆる「教外別伝」とは、経典や文字、声音、色相といった形あるもののことではない。それらは真の実相（無相）と一体であり、決して仏教から別個のものがあるわけではない。むしろ、教えの及ばない領域を指すのである。 『大智度論』にこうある。「諸仏は法への執着を断ち、経典を立てず、また言葉を飾らない」。このように、大聖人の意図は、そもそも必ずしも教えにあるわけではない。経典にもある。「私は道場に坐した時、一法も実と認めなかった。空拳で子供を欺くようにして、一切の衆生を度したのである」。これは大聖人が教えを方便とし、それに固執しなかったことを示すではないか。 また経典にいう。「修多羅（経典）は月を指す指のようなもの。もし月を見たら、指が月でないことを知るべきである」。これは人々に教えの形に執着することを戒めているのだ。 さらに経典にいう。「鹿野苑から娑羅双樹に至るまで、五十年の間、一文字も説かなかった」。これこそまさに「教外」を意味する。しかし、これは極めて奥深く秘密であり、経典に記されてはいても、それは言葉で述べられているにすぎない。聖人はこの真理を自ら体得したため、心をもって伝えることを命じた。禅宗で「教外別伝」と呼ぶのは、このことである。 また、我が宋の章聖皇帝は『修心詩』で詠んでいる。「初祖は少林にて禅を安じ、経教を伝えず、ただ心を伝えた。後の人がもし真如の性を悟れば、密印の由来するところ妙理深きことを知るであろう」 十地の菩薩も

一．歡喜。二．離垢。三．發光。四．焰慧。五．難勝。六．現前。七．遠行。八．不動。九．善慧。十．法雲。隔羅縠

> 一、歓喜。二、離垢。三、発光。四、焔慧。五、難勝。六、現前。七、遠行。八、不動。九、善慧。十、法雲。あたかも薄絹を通して見るように、隔たってはいるが清らかに映る。

華嚴疏云。菩薩智與如來智。如明眼人隔輕縠覩眾色像。此言菩薩與佛見性不同。嗄

> 華厳の疏（注釈書）にこうあります。「菩薩の智慧と如来の智慧は、まるで目の良い人が薄い絹を通して様々な色や形を見るようなものだ」と。この言葉は、菩薩と仏とでは、真理（仏性）を観る境地に違いがあることを示しています。ああ、なるほど。

所嫁切。聲變也。今借為夏音。詐疑之意。如㖿。本音斜聲也。今借為耶音。𡎺

> まあ！それは何だ！あの人の言うことはおかしいなあ。そうだ、あれはきっとそうだよ。

側六切。塞也。有嚮

> ろくせつ。ふさぐこと。こたえあり。

當作有響。尚嚮。當作尚饗。透法身

> ただのこだまのように響くだけだ。まだ響きに執着している。響きに執着するな。法身を見通せ。

甞讀雲門古錄。僧問。如何是透法身句。師拈起拄杖云。會麼。僧云。不會。師云。北斗裏藏身。今脫拈杖一節。似失當時宗旨。骼胔

> かつて雲門の古録を読んだことがある。ある僧が問うた。「法身を透る句はいかなるものか。」師は杖を手に取り、「わかるか？」と言った。僧は「わかりません」と答えた。師は「北斗の裡に身を蔵す」と言った。今、杖を手に取る部分を省くと、当時の宗旨を失ったように思われる。骨だけが残っている。

上音格。刀入骨聲。又枯骨曰骼。下疾智切。骨有肉也。又鳥獸殘骨。又刀入肉聲。月令。掩骼。薶胔。吃

> 音（上）は「にあたらしい」意味で、刀が骨に入る音を表す。また、枯れた骨を「かろ」という。音（下）は「しちしん」と読み、骨に肉がついている状態をいう。さらに、鳥獣の残った骨も指す。また、刀が肉に入る音である。「月令」には「骨を覆い、死骸を埋める」とある。

居乞切。言蹇也。對牛彈琴

> 牛に対して琴を弾くかのごとし。言葉が通じず、理解されないことのたとえ。

魯賢士公明儀對牛彈琴。弄清角之操。牛食如故。非牛不聞。不合耳也。轉為蚊䖟之聲。乳犢之鳴。乃掉尾𨇾蹄。奮耳而聽。合意故也。𨇾。悉協切。行貌。一榼

> 魯の賢士、公明儀が牛に向かって琴を弾いた。 まずは「清角（せいかく）」という曲を奏でたが、牛は食事を続けてまるで気にしない。 牛が聞こえなかったわけではない。その曲が牛の耳に合わなかったのだ。 そこで彼は、蚊やアブの羽音、子牛を呼ぶ母牛の鳴き声に変えた。 すると牛は尻尾を振り、蹄を軽く踏み鳴らし、耳を立てて聴き入った。 それは、曲が牛の心に合ったからである。

苦盍切榼。󳬰榼也。即今偏榼。所以盛酒。椑。鼙音。唇吻

> 苦しみというのは「榼（かめ）」のことだ。 「榼」とは、現在でいう「片口（かたぐち）」の器である。 酒を入れておくためのものである。 「椑」とは、鼙（べい）の音（おん）のことである。 唇（くちびる）を合わせるという意味だ。

當作脣。唇音真。驚也。非義。吻。武粉切。起無

> 唇とは、くちびるのこと。くちびるの音は「真（しん）」で、驚きを表しますが、特別な意味はありません。吻は「武粉（ぶふん）の読み」で、無から起こることを意味します。

當作豈無。吉嘹

> さあ、それを義務だと思うことが、あるでしょうか。いいえ、ありません。

下音料。北人方言。合音為字。吉嘹。言繳。繳。紏戾也。繳其舌。猶縮却舌頭也。如呼窟籠為孔。窟駞為𭔐也。又或以多言為吉嘹者。嶺南有鳥似鸜鵒。籠養。久則能言。南人謂之吉嘹。開元初。廣州獻之。言音雄重如丈夫。委曲識人情性。非鸚鵡．鸜鵒之比。雲門居嶺南。亦恐用此意。特石

> 下音料。北人の方言では、音を合わせて「吉嘹」という字を作る。「繳」とは、よじる、ねじるという意味である。「繳其舌」、すなわち舌を縮めることだ。例えば「窟籠」を「孔」と呼び、「窟駞」を「𭔐」と呼ぶようなものである。 また、「吉嘹」で多弁を意味することもある。嶺南には鸚鵡や九官鳥に似た鳥がいる。籠で飼い、長く経つと話すようになる。南方の人々はこれを「吉嘹」と呼ぶ。開元の初め、広州から献上された。その鳴き声は男性のように力強く、人情を細かく理解する。鸚鵡や九官鳥とは比べ物にならない。雲門は嶺南に住んでいたので、この意味も使っているのかもしれない。特石

大石也。如牛曰特牛。說文曰。特牛。牛父也。言其朴特。皆是佛法

> 大きな岩のようなものです。例えば、牛のことを「特牛（とくぎゅう）」と言います。『説文解字』には「特牛とは、牛の父である」とあり、その質朴で特別な様子を指します。これらは全て、仏法の教えなのです。

寶積云。佛告無邊莊嚴。如來常說一切法皆是佛法。以於諸法能善了知。名為佛法。諸佛本性與佛法等。是故諸法皆是佛法。性僺

> 宝積経にこう説かれています。仏は無辺荘厳菩薩に告げられた。「如来は常に、すべての法はみな仏法であると説く。あらゆる法をよく理解し知ること、それを仏法と名づける。諸仏の本性は仏法と等しい。それゆえ、すべての法はみな仏法である。その性質は清らかである。」

僺當作󰕱。蘇到切。性踈貌。榼𣜂

> 「僺」は「作（つく）るに当たる」という意味で、音は「ソウ（蘇＋到の切音）」である。性質があらく、隙間が多いさまを表す。「榼」という字はこれに関連する。

借音盦󳱥。糞壤也。務原

> 借音というものは、ただの汚れた土のようなものに過ぎません。務（つと）めや考えの基（もと）とはなり得ないものです。

當作翁源。邑名。在韶州。其邑有靈山。山頂有泉下流。人飲此水者多壽。故以名焉。務。原當从女作婺。在歙州。非此用。滅胡種

> 韶州にある翁源という町があります。この町には靈山があり、山頂から流れ落ちる泉の水を飲む人々は長生きするため、その名がつけられました。「務」の字は本来「婺」と書き、歙州のことであり、ここでの意味は異なります。胡人の種を滅ぼす。

稱西竺為胡。自秦晉㳂襲而來。卒難變革。故有名佛為老胡。經為胡語。祖為碧眼胡。裔其後者為胡種。為釋氏子。而名胡種。得不撫膺自愧。所謂必也正名。孚世法師云。竊觀上代有經已來。賢德筆受。每至度語。無不稱云。譯胡為漢。且東夏．九州．西域為天竺者。是總名也。或云身毒。如梵稱此方為支那．震旦。若稱漢。漢止劉氏兩代二號。已後禪讓。魏．晉不同。須依帝王。稱謂甄別。且胡之雜戎。乃是西方邊俗。類此土有羌狄變夷之屬。何得經書乃為胡語。佛生天竺。彼土士族婆羅門總稱為梵。梵者。清淨也。承胤光音天。劫初來此。食地肥。身重不去。因即為人。仍其本名。故稱為梵。但有胡言處。以梵替之。庶後哲善談得其真正者矣。今雲門稱佛祖為胡。亦相襲而言也。身毒。毒。音篤。打野榸

> 天竺を「胡」と呼ぶようになったのは、秦や晋の時代から受け継がれてきた習慣であり、今となっては容易に変えられない。そのため、仏を「老胡（老いた胡人）」、経典を「胡語（胡の言葉）」、祖師を「碧眼胡（青い目の胡人）」、そしてその後継者を「胡種（胡の血筋）」と呼ぶようになった。仏弟子でありながら「胡種」と呼ばれるのは、胸を打って自ら恥じ入るべきではないだろうか。まさに「必ず名を正すべきである」と言われる所以である。 孚世法師は次のように述べている。『考えてみると、昔、経典が伝来して以来、賢徳の方々が筆記・翻訳に携わってきたが、言葉を置き換えるたびに必ず「胡を訳して漢とする」と称してきた。そもそも、東夏（中国）や九州から見て、西域の天竺というのは総称である。あるいは「身毒（シンドゥ）」とも言う。ちょうど、梵（インド）がこの地（中国）を「支那（チーナ）」や「震旦（チンスタン）」と呼ぶのと同じである。「漢」という呼称は、漢の二代、劉氏の時代だけの名称に過ぎず、その後、帝位が禅譲されて魏や晋が異なってからは、帝王の呼称に従って区別しなければならない。そもそも「胡」というのは、雑多な異民族のことであり、西方の辺境の風習である。例えるなら、この地に羌・狄・夷・変といった部族がいるのと同じである。どうして経典の言葉を「胡語」などと呼べようか。仏は天竺で生まれた。あの土地の士族やバラモンは総じて「梵」と呼ばれる。「梵」とは「清らか」という意味である。光音天（光音天）の末裔であり、劫の初めにこの地に来て、地肥を食べ、身体が重くなって去れず、そのまま人間となった。その本来の名を受け継いで、「梵」と呼ばれるようになったのである。「胡」という言葉が出てきた場合は、「梵」に置き換えるべきである。そうすれば、後世の賢者が論じる際に、その真実を得ることができるであろう。』 現在、雲門宗では仏・祖師を「胡」と呼んでいるが、これも先人の呼び方を受け継いだものに過ぎない。 身毒の「毒」は「ドク」と読む。 （打野榸については、情報が不十分なため訳を控えさせていただく。）

卓皆切。枯木根出貌。遠浮山九帶作野狸。以字

> 生え出る木の根が枯れたような様子。 遠浮山九帶では「野狸」としている。「以」の字。

以字不成。其說有三。一謂是嘔啊二字。二謂是音字不譯。三謂是梵書心字。並指經籤題上以字也。嘔啊者。清涼疏主云。經首立如是。謂異外道。故外道經首皆立嘔啊。或云阿優。以為吉。阿之言無。優之言有。萬法雖眾。不出有無。此則斷常之計。今如即真如是。即妙有對破邪宗。以彰中道。一代時教。不出如是二字。

> 「以」という字が成立しないとする説は三つある。第一に「嘔（お）」「啊（あ）」の二字であるとする説。第二に音写された字で、訳されていないとする説。第三に、サンスクリットの書物における「心」の字であるとする説。これらはいずれも経典の表題にある「以」の字を指している。 「嘔」「啊」について、清涼の疏主はこう述べている。 「経典の冒頭に『如是（かくのごとし）』と置くのは、外道（仏教以外の教え）と区別するためである。外道の経典は必ず冒頭に『嘔』『啊』を置く。あるいは『阿（あ）』『優（う）』と記して、それを吉祥とした。『阿』は『無』を意味し、『優』は『有』を意味する。あらゆる現象は多いけれども、その本質は『有』と『無』から出ることがない。しかし、この考えは断見と常見に陥ったものである。今、『如』は真如（真実のあり方）そのものであり、『是』は妙有（すぐれた

高僧傳有譯經新意六例。一譯字譯音例。內分四。一．譯字不譯音。謂陀羅尼。二．譯音不譯字。謂佛𮌎前卍字。三．音字俱譯。謂經．律．論。四．音字俱不譯。謂經題以字。所謂嘔啊。經首如是我聞。即不在經外籤題之上。所謂音字俱不譯。未詳起自於誰。考其二說。似乎無稽。或者妄指為梵書心字。梵本且無此說。尤謬。

> 『高僧伝』には経典翻訳における新たな意図の六例が記されています。まず「訳字訳音」の例が四つあります。第一に「字を訳して音を訳さない」もの、例えば陀羅尼です。第二に「音を訳して字を訳さない」もの、例えば仏の胸の前にある卍の字です。第三に「音も字も共に訳す」もの、例えば経・律・論です。第四に「音も字も共に訳さない」もの、例えば経題にある「以」の字のようなものです。いわゆる「嘔啊」や、経の冒頭の「如是我聞」がこれに当たります。これらは経典の外側にある題簽の上には記されていません。 この「音字俱不訳」が、いったい誰によって始められたのかは明らかではありません。これに関する二つの説を調べてみると、どうやら根拠がないようです。あるいは無分別にも、これを梵字の「心」の字と誤って指摘する者もいますが、梵本にはそもそもそのような説はなく、特に誤りであると言えます。

愚甞過興國之傳法院。竊取西竺貝葉真書。考之其未譯之書。經題尚且未立。何有以字之文。蓋自古習謬妄為其說。先聖法門不在斯焉。或問經首以形自何而得。蓋當時傭書者運筆以覆經題。固無疑矣。然宗匠假此以接來學。豈知識擬議哉。庾峯

> 私はかつて興国の伝法院を訪れた。 そこで西天の貝葉経の真実の写本を調べてみたところ、まだ翻訳されていない経典には、タイトルすら記されていなかったのだ。ましてや文字で綴られた文章などあるはずもない。古来より誤った解釈が広まり、勝手な説が作り出されてきた。先達の教えの真髄は、そんな形にあるのではない。 ある人が尋ねた。「経典の冒頭にある図形はどこから来たのですか？」それは当時、写本を請け負った者が筆を運んで経題を隠したにすぎず、疑う余地はない。しかし高僧はこれを利用して学び手を導いたのだ。私たち凡人が推し量ることができようか。

當作庚峰。覿體

> 庚峰として受け入れなさい。本体をありのままに見なさい。

覿。當作敵。對也。提剛

> 見なさい。敵対するという意味だ。向き合うこと、対することだ。しっかりと捉えるべき要点を明確に示している。

當作提綱。謂提綱振領也。下皆倣此。鑿壁

> 綱をまとめるということです。つまり、全体の要所を掴んで重要なポイントを引き出すことです。以下もこれに倣います。

西京雜記云。𭅕衡。字雉圭。東陽人。好讀書。家貧無油燭。乃鑿鄰壁孔。映光讀書。位至丞相。盲龜

> 西京雑記にこうある。匡衡（きょうこう）という人物は、字を雉圭（ちけい）といい、東陽（とうよう）の人である。学問を好んだが、家が貧しく灯火の油がなかった。そこで隣の壁に穴を掘り、そこから差し込む光で書物を読んだという。後に丞相にまで昇進した。まさに「目の見えぬ亀」の如しだ。

阿含云。佛告諸比丘。如大海中有一盲龜。壽無量劫。百年一過出頭。浮有一木。正有一孔。漂流海浪。隨流東西。盲龜百年一出。得遇此孔。至海東。浮木或至海西。圍繞亦爾。雖復差違。或復相得。凡夫漂流五趣之海。還復人身。甚難於此。

> 『阿含経』にはこうあります。仏が比丘たちに告げました。「大海に一匹の盲目の亀がいる。その寿命は無量劫であり、百年に一度だけ水面に頭を出す。そこに一本の丸太が浮かんでいる。それにはたった一つの穴があり、波に流されて東西へ漂っている。盲目の亀が百年に一度浮かび上がり、この穴にぴたりと合うことがあるだろうか。丸太は東へ流れたかと思えば、また西へ流れ、周りを巡る。たとえすれ違うことがあっても、また合うこともあるかもしれない。凡夫が五つの迷いの世界（五趣）を漂い続け、人間として生まれ変わることは、これよりもさらに難しいことなのである。」

又莊嚴論云。有一小兒。聞佛說人身難得。如盲龜值浮木孔。小兒穿板作孔。置池水中。以頭出入。終不能入。曰。盲龜在海百年一出。何日值耶。我今為人。有於面目。一日百出。值木孔猶難。刢利

> また、荘厳経論にはこうある。 ある小さな子どもが、仏様が「人の身に生まれることはとても難しい。それは、目が見えない亀が、大海に浮かぶ板の小さな穴にちょうど頭を入れることができるほど珍しいことだ」とお説きになったのを聞いた。 そこでその子どもは、板に穴を開けて池に浮かべ、自分の頭を出したり入れたりしてみたが、ついには穴にうまく入らなかった。 そして言った。「目の見えない亀は、百年に一度、海の上に出てくるというが、それがいつになることだろうか。それに比べて、今、私は人間として、顔や目もはっきりとある。それでも、一日に百回、穴に頭を出し入れしようとしても、なかなか板の穴にうまく当

當作靈利。下皆倣此。穿楊

> 鋭敏であれ。以下すべてこれに倣う。「穿楊」の意

史記云。養叔。字由基。百步射楊葉。百發百中。伶俜

> 史記にこうある。養由基という者は、百歩離れたところから楊の葉を射ると、百発百中であった。

正作竛竮。上盧經切。下滂丁切。行不正也。撒披

> 正しく歩けない。上は「盧経」の音、下は「滂丁」の音で、歩き方が歪んでいること。また、衣をだらりとまとうこと。

當作散披。桑担切。撒。音薩。非義。蝍蟟

> 散披せよ。桑担切。撒。音は薩。義にあらず。蝍蟟。

上子悉切。下音寮。皆蟲名。浮桑

> 上は「子悉切」、下は「音寮」と読む。いずれも虫の名である。浮桑。

淮南子云。扶桑。日所出也。在陽谷中。其桑相扶而生。浮。當作扶。蝦䗫

> 『淮南子』にこうあります。「扶桑（ふそう）とは、太陽が昇る場所のことです。陽谷（ようこく）という谷の中にあり、その桑の木々は互いに支え合って生えています。「浮」は「扶」と書くべきです。蝦䗫（かま）のことです。」

下正作蟆。音麻。五性

> 正しくは「蟆」と作り、音は「麻」です。五つの性質があります。

見證道歌。斬頭截臂

> 斬頭截臂の境地を見よ。

西域法。凡遇論議。義墮。即斬首截臂。以謝不敏。二祖償債

> 西域の習慣として、議論において道理に反する見解を示した者は、首を切られたり腕を断たれたりして、その不十分さを償ったと言います。第二祖（慧可）はそのような償いを自ら受けたのです。

可祖傳授之後。於筦城縣𭅕救寺之三門談無上道。聽者林會。時辯和法師。於其寺講涅槃經。其徒聞師闡法。稍稍引去。和不勝其憤。乃興謗于邑宰翟仲侃。侃惑其說。加師以非法。師怡然委順。識真者。謂之償債。

> 祖師が法を伝授された後、管城県の𭅕救寺の三門において無上の道を説かれました。聴衆は林のように集まりました。その時、弁和法師が同じ寺で涅槃経を講じていました。彼の弟子たちは師が法を説くのを聞いて、次々に去っていきました。弁和はその怒りに耐えかねて、県宰の翟仲侃に師を誹謗しました。仲侃はその言葉に惑わされ、師に不法を加えました。師は安らかにその運命を受け入れました。真実を知る者たちは、これを「借りを返す」ことだと言いました。

皓月供奉問長沙岑云。了即業障本來空。未了應須償宿債。師子尊者．二祖大師為甚麼却償債。岑云。大德不識本來空。如何是本來空。云。業障是。如何是業障是。云。本來空是。供奉無語。長沙乃示偈云。假有元非有。假滅亦非無。涅槃償債義。一性更無殊。槨示雙趺

> 皓月という僧が長沙景岑禅師に問いました。 「『悟れば業障は本来空であり、悟らねば過去の借りを返さねばならない』と言いますが、それならば師子尊者や二祖大師は、なぜ借りを返すことになったのでしょうか？」 長沙が答えました。 「あなたは『本来空』の意味をよく理解していない。では、本来空とは何か？」 皓月が言いました。 「業障のことです。」 長沙が問いました。 「では、業障とは何か？」 皓月が答えました。 「本来空のことです。」 皓月は黙り込んでしまいました。そこで長沙は次の偈を示しました。 「仮に有るというも、もとより有るにあらず 　仮に滅すというも、また無きにあらず 　涅槃も、借りを返すという意味も 　一つの本性に、何の違いもない」 （そして師子尊者の）棺からは、両足が現れたのでした。

涅槃。爾時。迦葉與諸弟子在耆闍崛山入于正定。於正受中。忽然心驚。舉身戰慄。從定中出。見諸山地皆大振動。即知如來已入涅槃。於是將諸弟子尋路疾行。悲哀速往。正滿七日。至拘尸城。右遶寶棺七匝。盈目流淚。說偈贊嘆。其略云。世尊。我今大苦痛。情亂昬悶迷濁心。我今為禮世尊頂。為復哀禮如來肩。為復敬禮大聖手。為復悲禮如來腰。為復敬禮如來臍。為復深心禮佛足。何因不見佛涅槃。唯願示我敬禮處。世尊大悲。即現千輻輪相出於棺外。回示迦葉。從千輻輪放千光明。徧照十方一切世界。然後還自入棺。封閉如故。緊梢

> 涅槃の時。そのとき、迦葉（かしょう）は弟子たちと共に耆闍崛山（ぎしゃくつせん）にて正定（しょうじょう）に入っていました。その正受（しょうじゅ）の最中、突然、心に驚きが走り、全身が震え上がりました。禅定から出て見ると、すべての山や大地が大きく揺れ動いています。そこで彼は、如来がすでに涅槃に入られたことを悟りました。そして弟子たちを連れて、道を急いで悲しみに満ちて駆けつけました。ちょうど七日目に、拘尸城（くしじょう）に到着しました。宝石の棺の周りを右に三回巡り、目にあふれる涙を流しながら、偈（げ）を唱えて讃嘆しました。その大意は次の通りです。 「世尊よ、私は今、大いなる苦しみの中にあり、心は乱れ、暗く、迷いに満ちています。 私は今、世尊の頭頂を礼拝すべきでしょうか。それとも、如来の肩を哀れんで礼拝すべきでしょうか。 あるいは、大聖の手を敬って礼拝すべきでしょうか。それとも、如来の腰を悲しんで礼拝すべきでしょうか。 あるいは、如来の臍（へそ）を敬って礼拝すべきでしょうか。それとも、深く心を込めて仏の足を礼拝すべきでしょうか。 なぜ、仏の涅槃を見ることができないのでしょうか。どうか、私が礼拝すべき場所を示してください。」 世尊は大いなる慈悲の心から、千の輻（や）のある輪相（りんそう）を棺の外に現し、迦葉に示しました。その千輻輪からは千の光明が放たれ、十方のすべての世界を照らし渡しました。そして再び自ら棺の中に戻り、もとのように閉じて固く閉ざされました。

當作帩。七笑切。縛也。梢。音筲。非義。氣勳

> 仕えるべきものである。ショウ（七笑切：縛る意）。梢（ショウ、音は筲：意味は異なる）。気の勢い。

當作熏。許云切。火氣盛貌。勳。功勳也。非義。橫說竪說

> 「熏」という字は「許云」と切る（クンと読む）。火の気が盛んである様子を表す。「勳」は手柄・功績という意味だが、ここではその意味ではない。縦横に説き示すことである。

黃蘗示眾云。馬大師下有八十八人坐道場。得正眼者止三兩人。廬山和上是其一。夫出家人。須知有從上來事。且如四祖下融大師。橫說竪說。猶未知向上關棙子。有此眼腦。方辨得邪正宗黨。關捩

> 黄檗が大衆に示して言った。 「馬祖大師の門下には八十八人の高僧がそれぞれ道場に坐しておられたが、正法の眼を得た者はわずか二、三人に過ぎなかった。廬山和尚もそのお一人である。出家した者は、古来より伝わる大事を知らねばならない。 たとえば、四祖の下にいた牛頭融大師は、縦横無尽に説法されたが、それでもなお、向上の大事な関門（からくり）については知り尽くしておられなかった。 このような眼と心がなければ、邪宗と正統の区別をつけることはできない。ここがまさに、肝心な要所である。」

下正作棙。音戾。可撥物也。𭷼狗

> 下（下）、正作（正しくは）「棙（れい）」と作く。音は「戾（れい）」に同じ。物を撥ね退ける道具である。「𭷼（こ）」は狗（犬）を意味する。

上正作疥。音介。癩也。忙忙

> 上部に「正」と書いて「疥」と読む。音は「カイ」である。癩（ハンセン病）のことである。

當作茫茫。無窮也。忙。廼心迫也。非義。謔

> 「忙しい」というのは、果てしなく続くように感じるものです。しかし本当の「忙しさ」とは、心がせかされて余裕を失うことです。それは道理から外れた心のあり方なのです。

當作諕。許亞切。誑也。謔。虗約切。戲也。非義。下皆倣此。蓋國

> 「嚇」は「許亞切」と読み、人を欺くという意味です。「謔」は「虗約切」と読み、ふざける・からかうという意味です。「義」ではありません。以下もこれに倣います。これは国です。

上與盍同。胡臘切。或依丐。音呼。非義。解見雪竇頌古。躇蹰

> 「上」と「盍」は同じ意味です。胡臘（ころう）という音です。また、「丐（こう）」に従い、「呼（こ）」と読むこともありますが、これは正しい意味ではありません。解釈は雪竇頌古（せっちょうじゅうこ）にあるので、それを参照してください。躇蹰（ちょちゅう）とは、ためらうことです。

當作躊躇。音儔除。行不前也。躇蹰。非義。蹰。音厨。酌然

> ためらいが生じる。（躊躇は、「ちゃうちょ」と読み、前に進もうとしないさまを表す。）「躇蹰（ちょちゅ）」は、本来の意味としては正しくない。（蹰は「ちょ」と読む。）しっくりと納得するさま。

當作灼然。隻略切。昭灼也。酌。說文。盛酒行觴也。非義。冥濛

> 「はっきりとあきらかであること。ただ単に略し切るという意味ではない。昭灼（しょうしゃく）とは、あきらかという意。酌（しゃく）は、説文解字にある通り、酒を盛って杯をまわすこと。ここでの意味ではない。冥濛（めいもう）は、くらいさま。」

當作冥蒙。蒙。猶昧也。𰗸濟

> 暗い闇の中にいるようなものです。「蒙」とは、暗くてはっきりしないことを意味します。

正作拯。拯。蒸之上聲呼。上舉也。艾樵

> 「すくう」と読む。蒸（じょう）の上声で発音する。上にあげる、引き上げるという意味である。「艾」は「刈り取る」、「樵」は「たきぎ」のこと。

當作艾燋。子肖切。灼龜炬也。或作爝。爝即行火官名。湯得伊尹。爝以爟火。乃有炬焰者爾。非義。𧩓𧩓詛詛

> 艾（よもぎ）にする時の火の種。 子肖の読み。亀の甲を焼く時のたいまつ。また「爝」とも書く。「爝」は火を司る役人の名前。湯王が伊尹を得た時、大がかりなたいまつで「爝」という儀式を行ったが、これはただのたいまつの炎に過ぎない。本来の意味ではない。誹謗し呪い合うこと。

按天衣古本作悾悾󱠯󱠯。音孔󴂒。事多也。鈍置

> 天衣古本には「悾悾」とある。音は「孔」。事が多いという意味である。鈍置。

下當作躓。音致。礙不行也。五蘊

> つまずくという意味です。「致」と読み、妨げられて進めないことを表します。五蘊。

謂色．受．想．行．識。有相為色。領納名受。取像曰想。遷流為行。分別為識。蘊者。積聚為義。謂積聚生死之過患。亦曰五陰。陰以陰覆為義。無明黑雲之所陰覆。蓋覆真性。攝盡有為。擗口

> 色・受・想・行・識について説明します。形あるものは「色」、感覚として受け取るのは「受」、姿を思い描くのは「想」、絶えず移り変わるのは「行」、見分けるのは「識」です。「蘊」とは積み集めるという意味で、生と死を繰り返す苦しみが積み重なることを指します。また「五陰」ともいいます。「陰」は覆い隠すという意味で、無明の黒い雲に覆われて、本来の清らかな性質をさえぎり、形あるものすべてを包み込んでしまいます。

上當作劈。匹歷切。破也。擗。音闢。撫也。非義。視聽無聲

> 上は「劈」と作すべきである。匹歴切。破るの意。「擗」は音は「闢」。撫でるの意。義に非ず。視聴に声も形もなし。

老氏曰。視之不見。名曰夷。聽之不聞。名曰希。搏之不得。名曰微。鐘聲

> 老子は言いました。「見ようとしても見えないものを『夷』と呼び、聞こうとしても聞こえないものを『希』と呼び、触れようとしても触れられないものを『微』と呼ぶ」。鐘の音。

桉天衣古本作鐘聲裏披七條。骨臀

> 天衣の古い本には「鐘の声の中で七条の衣を身にまとう」とあります。骨と臀。

上當作胐。音窟胐。股上也。㖒唾

> <note>ここでは「胐」と書き、「窟胐（くつき）」と読む。腿の上部のことである。</note>㖒唾

上正作洟。音替。鼻液也。下吐臥切。口液也。斧打

> 上は「洟」と正しく作る。音は「替」。 鼻水のことです。下は「吐臥切」と読む。よだれのことです。斧で打つ。

當作斧斫。盖見它本。韓情

> 斧で斬りつけるように扱うべきです。というのは、他の版に見られるからです。韓の情というのは……

當作韓盧。盧。黑也。謂黑狗也。齊人韓國相狗於市。遂有狗號鳴。而國知其善。見選．注。偈頌

> 黒い犬のことです。「盧」は黒という意味で、黒い犬を指します。斉の国の人が韓の国で犬を市場で見定めたところ、その犬の吠え声で国中の人がその犬の優れていることを知った、という故事があります。『文選』の注に引用されています。偈頌。

雲門所著偈頌。皆不立題目。或舉揚宗旨。或激勸後昆。非同詩人俟題而後有作。然後世學者議論不一。或多臆說。亡失道真。愚甞讀傳燈．廣燈并雪峯廣錄。有其緣者。唯一二偈。未聞其它。今錄于下。

> 雲門が作った偈頌には、どれも題名がついていない。あるものは宗旨を掲げて示し、あるものは後輩を励ましている。詩人のように題があって初めて作るものとは違う。しかし後世の学者たちの議論は一様ではなく、多くは憶測で語られ、道の真実を失ってしまっている。かつて『伝灯』『広灯』ならびに『雪峯広録』を読んだが、その縁のあるものはわずか一二の偈だけで、他には聞いたことがない。ここに以下のものを記す。

傳燈云。僧問雲門。十二時中如何即得不空過。雲門云。你向甚麼處著此一問。學人不會。請師舉。門迺索筆成頌云。舉不顧。即差互。擬思量。何劫悟。

> 『傳燈録』にこうある。ある僧が雲門に尋ねた。「一日十二時の中で、どうすれば無駄に過ごさずに済むのでしょうか。」雲門は言った。「あなたは、この問いをどこに置くのか。」学人は理解できず、「どうか師よ、示してください」と請うた。そこで雲門は筆を求め、偈をしたためた。「挙して顧みざれば、すなわち差互す。思量を擬すれば、何劫にか悟らん。」

又雪峯廣錄。僧問。如何是學人自己。峯云。築著鼻孔。僧舉目雲門。門云。你作麼生會。其僧方思惟。門亦以此頌而示之。

> また雪峯の広録にこうある。僧が「学人の自己とは何ですか」と問うた。雪峯は「鼻孔に突き当たる」と答えた。僧はそのことを雲門に挙げた。雲門は「あなたはどう理解するのか」と言った。その僧がちょうど考え込んでいると、雲門もこの頌によって示した。

廣燈云。福朗上座幼出家。常游講肆。因聞。僧問雲門。如何是透法身句。門云。北斗裏藏身。朗罔側。遂造焉。雲門一見。把住云。道。道。朗擬議。門乃托開。因作雲門聳剔頌以示之。朗從此悟入。是故後世學者因覩此緣。遂妄生穿鑿。然何必爾也。管解

> 広灯が語った。福朗上座は幼い頃に出家し、いつも講席を巡っていた。あるとき僧が雲門に「法身を透る句とは何か」と問うたのを聞いた。雲門は「北斗の裏に身を蔵す」と答えた。福朗はその意味が分からず、ついに雲門のもとを訪れた。雲門は一目見るなり、彼を掴まえて「言え、言え」といった。福朗が答えようと迷っていると、雲門は彼を突き放した。そこで雲門聳剔の頌を作って彼に示した。福朗はこれによって悟りに入った。それゆえ後の学者たちはこの因縁を見て、妄りに穿鑿の解釈を生じた。しかしどうしてその必要があろうか。管見の解釈である。

古語。持蠡酌海。握管窺天。康氏

> 古い言葉にこうあります。貝殻で海の水を量ろうとし、管で空を覗き見るようなものだと。康氏はそう述べました。

梁慧皎傳。僧會法師。本康居國王大子。故稱康氏。師形儀偉麗。為世所重。晉鋒八博

> 梁の慧皎の伝による。僧会法師は、もともと康居国の王子であった。そのため康氏と呼ばれた。師の姿かたちは立派で美しく、世の人々に重んじられた。晋の鋒八博。

晉鋒。蓋指晉王逸少之筆鋒也。八博。未詳。疑八法。聲近之訛也。禁經云。八法起於𨽻字之始。自崔．張．鐘．王傳授所用。墨道之最。不可不明也。隋僧智永。發其旨趣於虞世南。自茲傳授彰厥存焉。李陽冰云。昔逸少工書。遂歷多載。十五年中偏工永字。以其八法之勢。能通一切字也。

> <note>「晉鋒」とは、晉の王羲之（字は逸少）の筆使いを指す。「八博」については不明であり、おそらく「八法」の音が近いことによる誤りであろう。『禁経』にこうある。「八法は隷書の始まりに起こり、崔瑗・張芝・鍾繇・王羲之が伝授して用いたところである。書道の極意であり、明らかにしないわけにはいかない。」隋の僧・智永はその趣旨を虞世南に伝えた。ここから伝授されて、その存在が明らかになった。李陽冰が言うには、「昔、王羲之は書を巧みにし、長い年月を経て、十五年のうち特に「永」の一字に力を尽くした。その八法の勢いによって、すべての字に通じることができるからである。」</note>

八法者。永字八畫矣。一．點為側。二．橫為勒。三．竪為弩。四．挑為趯。五．左上為䇿。六．下為掠。七．右上為󲣅。八．下為磔。

> 八つの筆法とは、永という字の八画のことです。一、点は「側」。二、横は「勒」。三、縦は「弩」。四、はね上げは「趯」。五、左上へのはらいは「策」。六、左下へのはらいは「掠」。七、右上へのはらい「啄」。八、右下へのはらいは「磔」です。

、。此為側。側者。側也。不得平直其筆。一。此為勒。勒如錐戞石。不得臥筆。〡。此為竪。竪牽為弩。弩不得直。直則無力。㇏。此為挑。挑為趯。須存鋒得勢而出。

。此為䇿。斫筆背發而仰收。丿。此為掠。筆鋒左出而須和。㇒。此為󲣅。須疾為之。乀。此為磔。不得疾而不得遲。磔。陟格切。出三句語

> 、。これは「側（そく）」です。側とは、側（かたむ）けるという意味です。筆を平らにまっすぐにしてはいけません。一。これは「勒（ろく）」です。勒は、錐（きり）で石を削るように。筆を伏せてはいけません。〡。これは「竪（じゅ）」です。竪は牽（ひ）いて「弩（ど）」とします。弩はまっすぐにしてはいけません。まっすぐでは力がありません。㇏。これは「挑（ちょう）」です。挑は「趯（てき）」です。筆先を保ち、勢いを得て出なければなりません。<figure><graphic url="../figures/X/X64p0318\_01.gif"/></figure>。これは「䇿（さく）」です。筆を斫（はら）って背から発し、仰いで収めます。丿。これは「掠（りゃく）」です。筆鋒を左に出し、和らげなければなりません。㇒。これは「󲣅（たく）」です。素早く行わなければなりません。乀。これは「磔（たく）」です。速くしてはいけなく、遅くしてもいけません。磔。陟格切。三句の語を出す。

雲門有時示眾云。函蓋乾坤．目機銖兩．不𠉡世緣。作麼生承當。自代云。一鏃破三關。然雖有此意。且未甞立為三句。昔普安道禪師。因德山出三句語。隨以頌之𬽵于卷末。往往亦指此頌為雲門所作。是皆看閱不審也。道即德山之的嗣。頭頭物物傷

> 雲門は時に人々に示してこう言った。「函蓋乾坤、目機銖兩、不𠉡世縁。どうやって受け止めるのか。」自ら代わって答えた。「一鏃、三関を破る。」しかし、このような意味はあったものの、まだ試みに三句として立てたことはなかった。昔、普安道禅師が、徳山が三句の語を出したのを受けて、続いて頌を作り巻末に記した。往々にしてこの頌を雲門の作だとするが、これは皆、よく見定めないままの判断である。道はすなわち徳山の正嫡である。頭頭物物、傷つく

當作㹅。不傷。形近之誤也。軫候

> 軫候とすべきところ、㹅を傷つけない。形が近いための誤りである。

上當作診。止忍切。視也。軫。車後橫木。非義。眼中毉

> 上を診とす。止忍切。視るなり。軫。車の後横木。義に非ず。眼中の翳。

當作翳。於計切。障也。商量

> まぶたのように覆いかぶさるもの。障りとなるもの。よく考えて判断すること。

如商賈之量度。使不失於中平。以各得其意也。消得箇非遙

> まるで商人がはかりで量るように、中道から外れないようにして、それぞれが自分の意味を理解するようにするのです。そうすれば、遠いものではないと分かるでしょう。

當作消得箇搖頭。休頭。同韻也。終諸

> これを消し得るものとみなし、首を振る。やめる。同じ韻である。ついに諸々。

方言。猶舉止也。什方

> 方言とは、つまり立ち居振る舞いのことです。あちこちの方面で。

當作十方。什。雜也。非此義。同一眼

> 十方と見なす。什とは、雑である。この意味ではない。同じ一つの眼である。

當作開一眼。雲門．對機錄後。附普安道禪師所作一十二頌。自三句三頌之題出於德山。餘之九題兼頌皆道自作也。並見廣燈錄。

> まさに一目を開くがごとし。雲門の対機録の後に、普安道禅師の作った十二の頌を付す。三句三頌の題が徳山から出たほか、残りの九つの題と頌はすべて道みずからの作である。あわせて広灯録に見える。

●雲門錄下刻舟

> 雲門録の下刻舟

呂氏春秋曰。楚人有涉江行舟。自舟遺劒。遽刻其舟。曰。吾於此墜劒。求必得之。其迷有如此者。舉覺

> 呂氏春秋にこうあります。楚の人が川を船で渡っているとき、舟から剣を落としてしまいました。そこで慌てて舟に印をつけて言いました。「私はここで剣を落とした。探せばきっと見つかるはずだ。」人の迷いは、このようなものなのです。よく気づきなさい。

當作搉。博雅云揚搉。都凡也。搉音角。死而不吊

> 死んだ人を弔わないことを「搉」という。博雅には「揚搉」とあり、これは「およそ」「たいてい」という意味である。「搉」の発音は「角」である。

吊。當作弔。多嘯切。說文曰。問終也。古之葬者。厚衣之以薪。从人持弓。會敺禽獸。禮記。死而不弔者有三。畏．壓．溺。溺。謂憑河者也。城地

> 弔。弔として用いる。多嘯切。説文に曰く、問終なり。古の葬る者は、厚く薪をもって衣う。人に従い弓を持す。禽獣を駆るを会するなり。礼記に、死して弔わざる者三あり。畏・圧・溺。溺は、河に憑る者を謂う。城地。

當作城池。城池之中。君所居爾。地。筆誤。見它本。任你當何

> これを城のたとえとします。城の中は、あなたがお住まいになる土地です。これは書き誤りで、他の写本ではこうなっています。どう受け取るかはあなた次第です。

何。下可切。儋也。亦音何。徐鉉曰。儋何。即負何也。十五入夏

> 何。下可切。儋也。また音は「何」。徐鉉が言うには、儋何とは、すなわち負何である。十五入夏。

天台寒山子於國清寺見僧半月說戒次。云。聚頭作相。那事悠悠。僧皆打叱之。乃與拾得撫掌大笑而出。羅浮檀特

> 天台山の寒山子は、国清寺で僧たちが半月ごとの戒の説法をしているところに出会いました。するとこう言いました。「頭を寄せ合って形式ばかり整えても、肝心のことはいつまでもおぼつかないままだ」。僧たちはみな彼を叱りつけました。そこで寒山は拾得とともに手を打って大笑いしながら出て行きました。羅浮と檀特。

二山名也。羅浮。在今廣州。檀特。在西域缾沙國。即世尊見阿藍迦藍處也。蹙舌

> 二つは山の名です。羅浮は今の広州にあります。檀特は西域の缾沙国にあり、お釈迦様が阿藍迦藍に会われた場所です。蹙舌

子六切。猶縮也。斗擻

> ちょうど縮むことです。抖擻（とそう）とは、衣類を振り払って塵を落とすことです。

當作抖擻。音斗叟。舉索物也。摩㝹

> 「抖擻」と書いて、音は「トウソウ」と読む。物を掲げて探し求めることをいう。摩㝹。

提婆菩薩釋楞伽經中小乘涅槃論云。外道女人眷屬論師說。摩醯首羅天作八女人。一名阿提𠊷。生諸天。二名提𠊷。生阿修羅。三名蘇羅娑。生諸龍。四名毗那多。生諸鳥。五名迦毗羅。生四足。六名摩㝹。生人。七名伊羅。生一切穀子。八名歌頭。生一切蛇．蝎．蚊．䖟．蠅．蚤．蚰．蜒．百足等。𩿒吻

> 提婆菩薩が楞伽経を解釈した小乗涅槃論にこう説かれています。外道の女人眷属論師が言うには、摩醯首羅天が八人の女人を生み出しました。一人目は阿提𠊷といい、諸々の天を生みました。二人目は提𠊷といい、阿修羅を生みました。三人目は蘇羅娑といい、諸々の龍を生みました。四人目は毗那多といい、諸々の鳥を生みました。五人目は迦毗羅といい、四足の獣を生みました。六人目は摩㝹といい、人を生みました。七人目は伊羅といい、一切の穀物の種を生みました。八人目は歌頭といい、一切の蛇・蝎・蚊・䖟・蠅・蚤・蚰・蜒・百足などを生みました。

炙穀子云。漢栢梁殿頻火起。巫獻術取𩿒魚尾。置於殿上穰之。今以瓦為之。相傳為𩿒吻。不言𩿒尾。蓋俗流之誤也。莊香

> 炙穀子が言うには、漢の柏梁殿ではたびたび火災が起きた。巫女が術を献じ、𩿒の尾を取って殿の上に置き、これで災いを払った。今では瓦でこれを作っている。世間ではこれを𩿒吻と呼び、𩿒の尾とは言わない。これは世間の誤った言い伝えであろう。

莊。當作裝。裹也。大殺

> 荘。装と作す。包むなり。大いに殺す。

上它蓋切。甚也。下所拜切。猛也。摩挱

> 上は「它蓋切」、甚だしいという意味です。下は「所拜切」、猛々しいという意味です。摩捫すること。

正作抄。桑何切。摩也。黃泉

> 正作抄。桑何切。摩也。黄泉

人死歸地。黃泉深幽。此指其極。日榭

> 人は死ぬと地に帰る。黄泉は深く暗い。これはその果てを指す。日榭。

當从冫。作㓔凋也。榭。臺榭。非義。深坑

> 当は冫に従う。㓔は凋（しぼ）むの意。榭は台榭。義にあらず。深き坑（あな）。

正作阬。丘庚切。踣跳

> 正しく穴を掘る。丘庚と切る。つまずき跳ねる。

正作㪍趒。音孛眺。排越也。玄殊

> 正しくは「㪍趒」と作す。音は「孛眺」。押しのけて越えるという意味である。玄殊。

當作懸殊。懸。遠也。江華

> 差は歴然としています。懸とは、遠いという意味です。江華。

縣名。在湘南道州。眚

> 県名。湘南の道州にある。眚

所景切。目病生翳也。不溺

> 所景切。目に病が生じて翳（かげ）となること。不溺。

當作匿。奴力切。藏匿也。溺。沉溺。非義。恁麼

> 隠すこと。力を尽くすこと。隠し持つこと。溺れること。溺れ沈むこと。道理に外れたこと。そのように。

上當作與。麼。正从幺。作麼。與麼。指辭也。或作恁麼。恁。音稔。思也。恁麼。審辭也。或作什麼。當作甚麼。甚麼。問辭也。什。雜也。非義。或作漝麼。漝。音十。水貌。又音習。滀漝。水貌。皆非義。然果。言外之士無不可者。國師問經

> 「上當作與。麼。正从幺。作麼。與麼。指辭也。」は、与麼（いんも）と書くべきである。麼は正しくは幺から作る。作麼、與麼は、指示の辞である。「或作恁麼。恁。音稔。思也。恁麼。審辭也。」あるいは恁麼（じんも）とも書く。恁は音は稔（じん）、思うという意味である。恁麼は、審（つまび）らかにする辞である。「或作什麼。當作甚麼。甚麼。問辭也。什。雜也。非義。」あるいは什麼とも書く。甚麼と書くべきである。甚麼は、問いの辞である。什は、雑（まじ）るという意味で、義ではない。「或作漝麼。漝。音十。水貌。又音習。滀漝。水貌。皆非義。」あるいは漝麼とも書く。漝は音は十（じゅう）、水の容貌である。また音は習（しゅう）、滀漝（ちくしゅう）は水の容貌である。いずれも義ではない。「然果。言外之士無不可者。」しかし、ことばの外の士（すぐれた人）は、どれでもよいとしないものはない。「國師問經」国師、経を問う。

禪席多舉南陽國師勘念經僧蝙蝠事。忠國師錄不載。未詳別出。按西域傳一緣頗類。傳曰。南海之濵有一枯樹。五百蝙蝠於中穴居。時有商侶止於樹下。既屬風寒。人皆飢凍。聚𧂐樵薪。蘊火其下。烟焰漸熾。枯樹自然。商侶中有一賈客。夜分已後。誦阿毗達磨藏。彼諸蝙蝠雖為火困。愛好法音。忍而不去。於是命終。隨業受生。俱得人身。捨家修學乘。聞法音。聦明利智。並證聖果。迦尼色迦王與脇尊者招集五百賢聖。於迦濕彌羅國作毗婆沙論。斯並枯樹中五百蝙蝠也。摩斯吒

> 禅の席では、南陽の国師が経を読む僧を試した蝙蝠の話がよく取り上げられます。忠国師の記録には載っておらず、別に出典は詳らかではありません。西域伝の一つの話がよく似ています。それによると、南海のほとりに一本の枯れ木があり、五百匹の蝙蝠がその穴に住んでいました。ある時、商人の一行が木の下に立ち寄りました。折しも風が寒く、人々は皆飢え凍えていました。そこで薪を積み重ね、木の下で火を燃やしました。煙と炎が次第に盛んになり、枯れ木は自然と燃え上がりました。商人の中に一人の旅人がいて、夜半過ぎに阿毘達磨蔵を誦んでいました。それらの蝙蝠は火に苦しみながらも、法の音を愛しんで、耐えて飛び去りませんでした。こうして命を終え、業に従って生を受け、皆、人の身を得ました。家を捨てて修行に励み、法の音を聞いた功徳によって、聡明で利発な智慧を得て、皆、聖なる果証を証しました。迦尼色迦王と脇尊者が五百の賢聖を招集し、迦湿弥羅国で毘婆沙論を作ったのは、まさにこの枯れ木の中の五百匹の蝙蝠でした。摩斯吒。

梵云摩斯吒。此言獼猴。本行經云。我念往昔海中有一大虬。其虬有婦懷姙。思獼猴心食。夫言。此事甚難。我居於海。獼猴在山。汝且容忍。我當求之。時虬即出于岸。見一獼猴在大樹上。即以善言尉問。結為交友。我當將汝度海。彼岸別有大林。花果豐饒。汝可下來。騎我背上。獼猴心無定故。即依虬言。俱沒於水。虬即報言。我婦懷姙。思食汝心。故將汝來。獼猴即誑虬言。汝何不預說。我心適留於娑羅樹上。不持將行。善友。還回。放我取心。得已却來。於是虬復水岸。獼猴努力跳上大樹。其虬夕停。見猴不下。而語之曰。善友。汝速下來。同至我家。猴說偈言。汝虬計校雖能寬。而心智慮甚狹劣。汝但審諦自思忖。一切眾類誰無心。虬。六度經作鼈。聽氷

> 梵語で「摩斯吒」とは、日本語で「猕猴」のことです。本行経にはこう説かれています。私は過去を思い起こします。海の中に大きな虬（みずち）がいました。その虬には妻がいて、妊娠していました。妻は猕猴の心を食べたいと思いました。夫は言いました。「それはとても難しいことだ。私は海に住み、猕猴は山にいる。しばらく耐えなさい。私が探してくる」。そこで虬は岸に出て、大きな木の上にいる一匹の猕猴を見つけました。そして優しい言葉で慰め、友達になりましょうと言いました。「私はあなたを海の向こうへ連れて行きましょう。向こう岸には大きな林があり、花や果物が豊かに実っています。さあ降りてきて、私の背中に乗りなさい」。猕猴は心が定まらないので、すぐに虬の言葉に従い、一緒に水に沈みました。虬はそこで告げました。「私の妻が妊娠していて、あなたの心を食べたいと望んでいる。だからあなたを連れてきたのだ」。猕猴はすぐに虬をだまして言いました。「どうしてもっと早く言ってくれなかったのですか。私の心はちょうど娑羅樹の上に置いてきて、持って来ていません。善友よ、引き返して、私が心を取ってくるのを放してください。取ったらまた戻ってきます」。そこで虬は再び水辺に戻りました。猕猴は力いっぱい跳んで大きな木に上りました。虬は夕方まで待って、猿が降りてこないのを見て、こう言いました。「善友よ、早く降りてきて、一緒に私の家へ行きましょう」。猿は偈を説いて言いました。「あなた虬は計らいが広いようでいて、心の思慮はとても狭く劣っている。あなたはただよくよく自分で考えてみなさい。すべての生き物で心がないものがいるでしょうか」。虬は、六度経では鼈と書かれています。

迖佂記云。河冰人須狐聽而行。運州

> 氷の上を渡る人は、狐の声を聞いてから進むのだという。運州。

當作鄆。音運。綣繢

> 鄆と書く。音は「運」。綣繢。

當作圈䙡。上去園切。屈木也。下丘媿切。󴁿也。綣繢。非義。鼻孔遼天

> 輪のように曲がったものを圈䙡といいます。木を曲げたものです。また、綣繢というのは、正しい意味ではありません。鼻孔はるかに天を貫く。

遼。當作撩。撩取也。昂視之貌。遼。遠也。非義。夜叉說半偈

> 遼は「撩」とすべきである。撩とは、すくい取るという意味である。また、見上げるさまを表す。遼は「遠い」という意味であり、ここでは正しい意味ではない。夜叉が半偈を説いた。

涅槃經云。佛言。過去之世。佛日未出。我於爾時作婆羅門。修菩薩行。周徧求索大乘經典。乃至不聞方等文字。住雪山中。思惟坐禪。時釋提桓因心大驚怪。要當自試。自變其身作羅剎像。去其不遠。其聲清雅。宣過去佛所說半偈。諸行無常。是生滅法。聞是半偈。心生歡喜。即從座起。四向顧視云。向所聞偈。誰之所說。唯見羅剎。即便前至。善哉大士。汝於何處得是過去離怖畏者所說半偈。即答我言。我不食多日。心亂䆿語。非我本心之所知也。汝所食者為是何物。答言。食人暖肉。飲人熱血。汝但具足說是半偈已。當以此身奉施。誰當信汝為八字故。捨所愛身。我所證者。梵天釋提桓因．十方世尊。汝若如是。諦聽。諦聽。當為汝說。生滅滅已。寂滅為樂。折半烈三

> 涅槃経にこう説かれています。仏がおっしゃいました。「過去の世に、仏の日はまだ昇っていなかった。そのとき私は婆羅門となり、菩薩の修行をしていた。大乗の経典をあまねく求め続けたが、方等の文字すら聞くことがなかった。雪山の中に住み、思惟して座禅をしていた。そのとき、帝釈天は心に大きな驚きを抱き、必ず試そうとして、自らその身を羅刹の姿に変え、遠くないところに立った。その声は清らかで雅やかで、過去の仏が説かれた半偈を唱えた。『諸行は無常であり、これは生滅の法である』と。この半偈を聞いて、心に歓喜が生じ、すぐに座から立ち上がり、四方を見回して言った。『先ほど聞いた偈は、誰が説いたのか』と。ただ羅刹だけが見えた。そこで前に進み寄って言った。『善哉、大士よ。あなたはどこで、この過去の畏れを離れた方の説かれた半偈を得たのか』と。すると私に答えた。『私は長い間食べておらず、心が乱れてうわごとを言ったまでだ。私の本心が知るところではない』と。『あなたが食べるものは何か』と問うと、答えた。『人の温かい肉を食べ、人の熱い血を飲む』と。『あなたがただ完全にこの半偈を説き終えたなら、この身を捧げて施そう』と言った。『誰があなたを信じて、八文字のために愛する身を捨てるだろうか。私が証するものは、梵天と帝釈天、十方の世尊である』と。『あなたがそのように言うなら、よく聴き、よく聴きなさい。あなたのために説こう。生滅が滅び尽きたなら、寂滅こそが楽しみである』と。」

折。當从木。作析。音錫。劈析也。烈。當作列。分解也。烈。火盛貌。非義。文殊解脫

> 折は木へんに従い、析と作す。音は錫。劈析の意。烈は列に当作す。分解の意。烈は火の盛んなる貌。義に非ず。文殊解脱。

古清涼傳。大隋五臺縣昭果寺解脫禪師。自文殊示心印之後。乃謙卑自牧。專精侍眾。厥後。文殊躬臨試驗。解脫每清旦為眾營粥。文殊忽見於前。脫殊不顧視。文殊警之曰。吾是文殊。吾是文殊。脫應聲曰。文殊自文殊。解脫自解脫。怛薩阿竭

> 古清涼伝。大隋の五台県の昭果寺に解脱禅師という方がいました。文殊菩薩から心の印を授かってからというもの、ひたすら謙虚に自分を律し、もっぱら修行に打ち込み、人々に尽くしていました。その後、文殊菩薩が自ら解脱禅師を試そうと現れました。解脱は毎朝早く、皆のために粥を炊いていました。そこへ文殊菩薩が突然目の前に現れましたが、解脱は見向きもしませんでした。文殊菩薩が「わたしは文殊だ、わたしは文殊だ」と声をかけると、解脱はすかさず答えました。「文殊は文殊のまま、解脱は解脱のまま。」タターガタ。

此言如來。演義云。若依法身如來者。即諸法如義。若依報身。即乘如實道。來成正覺。若依化身。則乘薩婆若乘。來化眾生。故曰如來。托子

> この言葉は「如来」について述べたものです。『演義』にはこう説かれています。もし法身の如来によれば、すなわち諸法の如の義です。もし報身によれば、すなわち如実の道に乗り、来たりて正覚を成じます。もし化身によれば、すなわち薩婆若の乗に乗り、来たりて衆生を教化します。それゆえ「如来」というのです。托子

茶托子。建中初。蜀相崔寧之女以金茶杯無儲。病其熨指。取𭪱子盛之。既啜而杯傾。乃以蠟環𭪱子。使其杯遂定。即遣匠以漆環代蠟。進於相國。相奇之。為製名托子。因行於代。是後傳者更環其底焉。入京

> 茶托のお話。建中のはじめ、蜀の宰相・崔寧の娘が金の茶杯を使っていたが、受け皿がなくて指をやけどするのを患っていた。そこで小さな皿に茶碗をのせたところ、飲もうとすると杯が傾いた。そこで蠟で輪を作って皿に取り付け、杯を安定させた。すぐに職人に命じて漆の輪を蠟の代わりにさせ、宰相のもとへ献上した。宰相はこれを珍しがり、「托子」と名づけた。こうして世に広まった。その後、伝える者はさらに底に輪を付けるようになった。京に入る。

雲門入京。即五代東漢劉氏之世乾祐四年。或謂廣南偏霸劉龑。非也。龑音儼。觸悞

> 雲門は都に入った。それは五代の東漢劉氏の時代、乾祐四年のことである。広南を支配した劉龑のことだと言う人もいるが、それは間違いである。龑の音は「儼」で、これは誤りである。

悞。當作忤。音誤。逆也。悞。欺也。非此義。朦朧

> 「悞」は「忤」とすべきで、読みは「ご」、意味は逆らうことです。「悞」には欺くという意味がありますが、ここではその意味ではありません。「朦朧」については……

上音蒙。下盧紅切。朦朧。月入貌。人義

> 月が朧に霞むさま。人が月の光に溶け込むような、ぼんやりとした趣をいう。

當作仁義。老兒作歌舞

> 人としての仁義を大切にし、老人たちは歌や踊りを楽しむ。

智度論云。佛功德已滿。更無所須。為教弟子故。語之言。我尚作功德。汝云何不作。如伎家百歲老翁自舞。有人呵之言。老翁年已百歲。何用舞為。答曰。我不須舞。但欲教子孫故爾。羅漢藥食

> 智度論にこう説かれています。仏の功德はすでに満ち足りて、これ以上必要とするものは何もない。しかし弟子たちを教え導くために、こう仰せられた。「私でさえ功德を積んでいる。お前たちはどうして積まないのか」と。ちょうど芸人の家の百歳の老翁が自分で舞を舞うようなものである。ある人が叱って言った。「老翁よ、あなたはもう百歳だ。何のために舞うのか」。答えて言った。「私は舞う必要などない。ただ子孫を教えたいがために、こうしているのだ」。羅漢の薬食。

食。當作石。取療病義。故曰藥石。夫攻病曰藥。劫病曰石。古以砭石為針也。全元起欲注素問。訪以砭石。王僧孺答曰。古人當以石為針。必不用鐵。說文有此砭字。許慎云。以石刺病也。東山經。高氏之山多針石。郭璞云。可以為砭針。春秋。美疢不如惡石。服子慎注云。石。砭石也。季世無復佳石。故以鐵代之爾。

> 食べること。これを石とみなす。病を治すという意味を取る。それゆえ薬石という。そもそも病を攻めることを薬といい、病を防ぐことを石という。昔は砭石を針としたのである。全元起が素問に注を付けようとして、砭石について尋ねた。王僧孺はこう答えた。昔の人は石を針としたに違いない。きっと鉄は用いなかっただろう。説文にこの砭という字がある。許慎は言う。石で病を刺すことであると。東山経に、高氏の山には針石が多いとある。郭璞は言う。砭針にすることができると。春秋に、美しい病より悪い石のほうがよいとある。服子慎の注にはこうある。石とは、砭石のことであると。後世にはもはや良い石がなくなった。それゆえ鉄で代用するようになったのである。

又以服石子止飢。如高僧僧善傳。善疾篤將殛。告弟子曰。吾患腹中冷結者。昔在少年。山居服業。粮粒既斷。懶往追求。噉小石子用充日夕。因覺為病。死後可破腹看之。果如所言。

> また、小石を食べて飢えをしのいだ話として、高僧・僧善の伝記があります。僧善が重い病で今にも亡くなろうとしたとき、弟子たちに告げました。「私の腹の中に冷たい塊があるのは、昔若かったころ、山にこもって修行していたとき、食糧が尽きてしまい、探しに行くのも面倒だったので、小さな石を食べて日々の空腹をしのいだためだ。そのせいで病になったのだ。死んだら腹を切って見てみなさい。」果たして、言ったとおりでした。

愚竊詳二意。皆不然也。又神仙傳或以藥煑石而食之。又非先聖之意。今叢林習以為常。未有非之者焉。又況四果真人。詎肯輒違佛制。來享非時之餐。雲門欲以誘接學者。而正言似反。後世或資以為口實。豈不誤乎。疢音趂。熱病也。殛。音棘。死也。入水見長人

> 私は思うに、これらの二つの説はどちらも正しくありません。また『神仙伝』には、薬で石を煮て食べたという話がありますが、これも古の聖人の教えではありません。今では僧院でこれを当然のこととして行い、それを非難する者もいません。ましてや四果の真人が、どうして軽々しく仏の定めに背いて、非時の食事をいただくことがありましょうか。雲門は学ぶ者を導き招くために、あえて逆のことを言ったのです。後世の者がこれを口実にするならば、なんと大きな誤りではないでしょうか。疢の音は「趂」、熱病のことです。殛の音は「棘」、死ぬことです。水に入ると長い人が見える

桉耀禪師錄。唐武后召嵩山老安．北宗神秀入禁中供養。因澡浴。以宮姬給侍。獨安怡然無它。后歎曰。入水始知有長人。徒什麼

> 禅師の記録です。唐の武后が嵩山の老安と北宗の神秀を宮中に招いて供養しました。沐浴の際、宮中の女官たちが付き添いを命じられましたが、ただ安だけは心穏やかで何の動揺もありませんでした。武后は感嘆して言いました。「水に入って初めて、並外れた人だとわかる。ただ者ではない」と。

徒。當作圖。謀也。什麼。當作甚麼。師溺

> 弟子たちよ、絵を描くべきである。それは計画することである。何を、すべきか。師は溺れている。

當作匿。師子藏匿也。駞󴁉

> 隠れるときは、獅子のように身を潜めなさい。獅子が身を隠すのです。駱駝のように。

當作馲󴁉。上陟革切。下莫百切。獸名也。驢父牛母。形似騾而小。騾

> 馲𱧉と呼ぶ。上は陟革切、下は莫百切。獣の名である。驢馬の父と牛の母から生まれ、騾に似ているが小さい。騾。

盧戈切。驢父馬母也。󴁰圝

> ロゴチェ。驢馬の父と馬の母の子です。󴁰圝

上音丸。小麥麴也。此乃稱完全之方言。當云凸圝。圝。音巒。

> <note>「上音丸」とは、小麦麹のことである。これは完全な方言の呼び方で、本来は「凸圝」と言うべきである。「圝」の発音は「巒」である。</note>