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  1. 慈悲道場水懺法随聞録 (慈悲道場水懺法隨聞錄)
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慈悲道場水懺法随聞録 (慈悲道場水懺法隨聞錄)


No. 1495-A序

序文

夫水懺隨聞錄者。乃晝中禪師註釋也。昔悟達國師患人面之瘡。若不感諾迦尊者現㵎泉之水。焉能不復為冤。始知因緣會遇。定孽難逃。宿纏不解。果報無差。古德所云欲出苦輪。莫先持戒。欲淨戒根。莫先懺悔。是以包藏瑕疵。佛不許可。說悔先罪。淨名所尚。自茲妙製靈文。分為三卷。名曰水懺。窃思懺典法門高廣。因果分明。言簡意賅。深不可測。如不縷析條分。凡愚昧者未易覺悟耳。屆於人心不古。世風日下。將視佛菩薩之經文懺典。為迂談腐論。而不可信從者矣。故晝中禪師註隨聞一錄。文而不夸。辯而不爭。裒輯繁富。極稱賅備。凡善惡禍福之理燭照靡遺。開示一切微妙之門。至矣切矣。不但以資冥福。且以為迷津寶筏。無出此也。況禪師晝公。佛門中之龍象也。教演禪府。無不咨詢。三教百家。靡不綜練。是故學者宜究心焉。非惟自警。亦將以為未得未證者砭艾也。嗟乎。兵燹坂燬無存。置於同袍。亦未得見此書為憾。想當時刷印未多。故流傳甚少。余渴慕亦有二十餘年矣。先在同袍處始得一部。殘闕不全。後遇清源沈居士處。竟得全璧。若有冥相而默助之者也。余敬閱一過。急欲付梓。冀以流傳。其時正逢常住開工。奈何囊鉢蕭然。故而因循未彰。今蒙諸同袍等慨然樂助。果余願矣。願與同志者共參之。

『水懺随聞録』は、昼中禅師による注釈書である。 昔、悟達国師が人面瘡を患った時、もし諾迦尊者が現れ、谷川の清水を示さなければ、どうして怨みを解くことができただろうか。このことから、因縁が巡り会う時、定まった業は逃れられず、過去からの縛りが解けなければ、果報には誤りがないと知るのである。 古徳が言うように、苦の輪廻から脱したいなら、まず戒律を守ること。戒の根本を清めたいなら、まず懺悔すること。だからこそ、過ちを隠し持つことは仏に許されず、過去の罪を悔いることは『維摩経』が尊ぶところなのである。 こうして、優れた霊文が作られ、三巻に分けられ、『水懺』と名付けられた。思うに、この懺悔の教えは法門が高く広く、因果が明らかで、言葉は簡潔ながら要点を押さえ、深遠で測り知れない。もし細かく分析しなければ、凡夫や愚かな者には悟りにくいであろう。 今や人心は古に及ばず、世の風潮は日に日に下り、仏菩薩の経文や懺悔の教えを、迂遠で陳腐な論として信じ従おうとしない者もいる。そこで昼中禅師が『随聞録』を注釈されたのである。文は飾り立てず、論は争わず、多くのものを集めて極めて完備している。善悪禍福の道理を明らかに示し、一切の微妙な法門を開示する点は、至極であり切実である。 ただ冥福を資えるだけでなく、迷いの海を渡る宝の筏として、これに勝るものはない。ましてや禅師である昼公は、仏門における龍象(優れた僧)である。教えを説き、禅の府に及び、相談せぬことはなく、三教百家に通じていないものはない。だからこそ、学ぶ者は心を尽くして研究すべきである。自らを戒めるだけでなく、まだ悟りを得ていない者への良薬ともなるであろう。 ああ、戦火で版木は失われ、同門の間でも、この書を見られないことを残念がっていた。当時、刷り部数が少なかったため、流布も稀であった。私も二十余年、切に慕い求めていた。初めに同門のところで一部を得たが、欠けて完全ではなかった。後に清源の沈居士のところで、ついに完全な本を得た。まるで冥々のうちに助けられたかのようである。 私は謹んで一通り読み、急ぎ出版して広めたいと願った。その時、ちょうど常住の工事が始まり、しかも財布は空っぽで、つい先延ばしにしてしまった。今、諸々の同門の方々が快く喜んで助力してくださり、ついに私の願いは果たされた。志を同じくする方々と共に参究したいと願う。

時光緒二十一年歲次乙未宮四月佛浴日杭州古靈鷲義吾寺住持沙門傳天台教觀裔孫瑞斌謹序

光緒二十一年、乙未の歳、四月、仏浴の日に当たる。杭州古霊鷲義吾寺の住持、沙門、天台教観の裔孫、瑞斌、謹んで序す。


No. 1495-B 隨聞錄序

CBETA コード: X1495

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