大乘阿毘達磨雜集論本事分中攝品第二
大乗阿毘達磨雑集論 本事分の中の摂品 第二
復次若略說攝有十一種,謂相攝、界攝、種類攝、分位攝、伴攝、方攝、時攝、一分攝、具分攝、更互攝、勝義攝。
次に、簡略に説くならば、摂には十一種があります。すなわち、相摂、界摂、種類摂、分位摂、伴摂、方摂、時摂、一分摂、具分摂、更互摂、勝義摂です。
相攝者,謂蘊界處一一自相即體自攝。如色蘊攝色蘊,廣說乃至法處攝法處。界攝者,謂蘊界處所有種子阿賴耶識能攝彼界,由彼種子此中有故。種類攝者,謂蘊界處其相雖異,蘊義界義處義等故展轉相攝。蘊義等者,謂色受等皆有聚義,雖相各異,一切相攝,更互相望,同一類故。界義等者,謂眼耳等皆有能持受用義,故一切相攝。處義等者,謂眼耳等皆生長門義,相應故一切相攝。
相摂について述べます。蘊・界・処の一つ一つは、それ自身の相がすなわちその本体であり、自らを摂めます。たとえば色蘊が色蘊を摂め、詳しく説けば、乃至、法処が法処を摂めるのと同じです。界摂とは、蘊・界・処のすべての種子である阿頼耶識が、それらの界を摂めることをいいます。それらの種子がこの中にあるからです。種類摂とは、蘊・界・処はその相が異なっていても、蘊の義、界の義、処の義が等しいため、互いに相摂し合うことをいいます。蘊の義が等しいとは、色や受などがみな集まりという義を持つことをいい、相はそれぞれ異なっていても、すべてが相摂し、互いに照らし合って同じ一類であるからです。界の義が等しいとは、眼や耳などがみな保持し受用するという義を持つことをいい、それゆえすべてが相摂します。処の義が等しいとは、眼や耳などがみな生長の門という義を持ち、相応するゆえにすべてが相摂することをいいます。
分位攝者,謂樂位蘊界處即自相攝,苦位不苦不樂位亦爾,分位等故。如色受等雖同蘊類,然苦樂等分位差別,樂位還攝樂位非苦等位。如是苦位、不苦不樂位還自相攝。如蘊,界處亦爾。
分位摂(ぶんいしょう)について述べます。楽の位にある蘊・界・処は、それぞれ自らの相によって摂められます。苦の位、不苦不楽の位についても同様です。分位が等しいからです。色や受などは同じ蘊の類に属していても、苦・楽などの分位の違いによって、楽の位は楽の位を摂め、苦などの位を摂めることはありません。このように、苦の位、不苦不楽の位もそれぞれ自らの相を摂めます。蘊についても、界・処についても同様です。
伴攝者,謂色蘊與餘蘊互為伴故,即攝助伴。餘蘊界處亦爾。如色蘊與餘受等互為助伴能攝五蘊,如是受等一一助伴各攝五蘊。如蘊,界處亦爾,互為伴故,一一皆攝一切界處。方攝者,謂依東方諸蘊界處還自相攝,餘方蘊界處亦爾。時攝者,謂過去世諸蘊界處還自相攝,未來現在諸蘊界處亦爾。
伴摂とは、色蘊が他の蘊と互いに伴となることです。すなわち助伴を摂めるということです。他の蘊・界・処についても同様です。たとえば色蘊が受などの他のものと互いに助伴となって五蘊を摂めるように、受などの一つ一つも、それぞれの助伴によって五蘊を摂めます。蘊についてそうであるように、界と処についても同様です。互いに伴となるから、その一つ一つがすべての界と処を摂めます。方摂とは、東方による諸々の蘊・界・処が、それぞれ自らを摂めるということです。他の方角の蘊・界・処についても同様です。時摂とは、過去世の諸々の蘊・界・処が、それぞれ自らを摂めるということです。未来と現在の諸々の蘊・界・処についても同様です。
一分攝者,謂所有法蘊界處所攝,但攝一分非餘。如戒蘊但攝色蘊等一分,定慧蘊等但攝行蘊一分,欲恚害界但攝法界一分,空無邊處等但攝意法處一分,如是等。
一分摂について述べます。一分摂とは、すべての法が蘊・界・処に摂められる場合に、ただその一分だけを摂め、他を摂めないことをいいます。たとえば、戒蘊はただ色蘊などの一分だけを摂め、定蘊・慧蘊などはただ行蘊の一分だけを摂めます。欲界・恚界・害界はただ法界の一分だけを摂め、空無辺処などはただ意処・法処の一分だけを摂めます。このようなものです。
具分攝者,謂所有法蘊界處所攝,能攝全分。如苦蘊攝五取蘊,欲界攝十八界,無想有情處攝十處除香味。由此道理,於餘經中諸蘊界處所攝一切法能攝全分。
具分摂について述べます。すべての法が蘊・界・処に摂められる場合、それらは全体を摂することができます。たとえば、苦蘊は五取蘊を摂し、欲界は十八界を摂し、無想有情処は香と味を除いた十処を摂します。この道理により、他の経典においても、蘊・界・処に摂められるすべての法は全体を摂することができるのです。
更互攝者,色蘊攝幾界幾處?十全一少分。受蘊攝幾界幾處?一少分。如受蘊,想行蘊亦爾。識蘊攝幾界幾處?七界一處。眼界攝幾蘊幾處?色蘊少分一處全。如眼界,耳鼻舌身色聲香味觸界亦爾。意界攝幾蘊幾處?一蘊一處。法界攝幾蘊幾處?三蘊全色蘊少分一處全。眼識界攝幾蘊幾處?識蘊意處少分。如眼識,耳鼻舌身意識界亦爾。眼處攝幾蘊幾界?色蘊少分一界全。如眼處,耳鼻舌身色聲香味觸處亦爾。意處攝幾蘊幾界?一蘊七界。法處攝幾蘊幾界?三蘊全一少分一界全。如是諸餘法以蘊界處名說,及餘非蘊界處名說。如實有、假有、世俗有、勝義有、所知所識所達、有色無色、有見無見,如是等如前所顯,隨其所應,與蘊界處更互相攝盡當知。隨其所應者,如蘊一一攝諸界處,界一一攝諸蘊處,處一一攝諸蘊界,如是廣說當思了知。勝義攝者,謂蘊界處真如所攝。
更互摂について、色蘊はいくつの界といくつの処を摂するでしょうか。十界すべてと一処の少分を摂します。受蘊はいくつの界といくつの処を摂するでしょうか。一界の少分を摂します。受蘊と同じように、想蘊と行蘊も同様です。識蘊はいくつの界といくつの処を摂するでしょうか。七界と一処を摂します。眼界はいくつの蘊といくつの処を摂するでしょうか。色蘊の少分と一処の全部を摂します。眼界と同じように、耳界・鼻界・舌界・身界・色界・声界・香界・味界・触界も同様です。意界はいくつの蘊といくつの処を摂するでしょうか。一蘊と一処を摂します。法界はいくつの蘊といくつの処を摂するでしょうか。三蘊の全部と色蘊の少分と一処の全部を摂します。眼識界はいくつの蘊といくつの処を摂するでしょうか。識蘊と意処の少分を摂します。眼識界と同じように、耳識界・鼻識界・舌識界・身識界・意識界も同様です。眼処はいくつの蘊といくつの界を摂するでしょうか。色蘊の少分と一界の全部を摂します。眼処と同じように、耳処・鼻処・舌処・身処・色処・声処・香処・味処・触処も同様です。意処はいくつの蘊といくつの界を摂するでしょうか。一蘊と七界を摂します。法処はいくつの蘊といくつの界を摂するでしょうか。三蘊の全部と一つの少分と一界の全部を摂します。このように、その他の諸法が蘊・界・処の名で説かれるもの、および蘊・界・処以外の名で説かれるものについても、如実有・仮有・世俗有・勝義有・所知・所識・所達・有色・無色・有見・無見など、これらは前に示したとおりであり、それぞれの相応に応じて、蘊・界・処と互いに摂し合うことをすべて知るべきです。それぞれの相応に応じてとは、蘊の一つ一つが諸々の界と処を摂し、界の一つ一つが諸々の蘊と処を摂し、処の一つ一つが諸々の蘊と界を摂するということであり、このように広く説かれたことを思惟して理解すべきです。勝義摂とは、蘊・界・処が真如に摂せられることをいいます。
如是攝相,隨諸世間共所成立。相攝道理復有六種:一依處攝,如世間說贍部洲攝於人、阿練若攝於鹿,當知此中眼等諸根攝眼等識亦爾。二任持攝,如世間說繩等攝薪束等,當知此中身根攝眼等根亦爾。三同事攝,如世間說眾人同事共相保信更互相攝,當知此中同一緣轉諸相應法更互相攝亦爾。四攝受攝,如世間說主能攝錄自僕使等,當知此中阿賴耶識攝受自身亦爾。五不流散攝,如世間說瓶攝持水,當知此中諸三摩地攝餘心心法亦爾。六略集攝,如世間說海攝眾流,當知此中色受蘊等攝眼耳等亦爾。如前所說十一種攝,皆依此中略集攝說。
このように、相を摂めるとは、世間で一般に成り立っているところに従っています。相を摂める道理には、さらに六つの種類があります。
一つ目は「依処摂」です。世間で「贍部洲は人を摂める」「阿練若は鹿を摂める」と言うように、ここでは眼などの諸根が眼などの識を摂める場合も同様であると知るべきです。
二つ目は「任持摂」です。世間で「縄などが薪の束などを摂める」と言うように、ここでは身根が眼などの根を摂める場合も同様であると知るべきです。
三つ目は「同事摂」です。世間で「多くの人が同じ仕事を共にし、互いに信じ合って保ち、さらに互いに摂め合う」と言うように、ここでは同じ一つの対象に縁して働く諸々の相応の法が互いに摂め合う場合も同様であると知るべきです。
四つ目は「摂受摂」です。世間で「主が自分の僕や使者などを摂め取る」と言うように、ここでは阿頼耶識が自己の身体を摂め受ける場合も同様であると知るべきです。
五つ目は「不流散摂」です。世間で「瓶が水を摂め保つ」と言うように、ここでは諸々の三摩地が他の心や心法を摂める場合も同様であると知るべきです。
六つ目は「略集摂」です。世間で「海が多くの流れを摂める」と言うように、ここでは色蘊や受蘊などが眼や耳などを摂める場合も同様であると知るべきです。
先に述べた十一種の摂は、すべてこの中の略集摂に基づいて説かれています。
問:於攝善巧得何勝利?答:得於所緣略集勝利,隨彼彼境略聚其心,如是如是善根增勝。
問:摂善巧において、どのような勝利を得るのでしょうか。 答:所縁を略集する勝利を得ます。それぞれの境に随って心を略聚すれば、それに応じて善根が増し勝れていくのです。