大丈夫論卷上
大丈夫論 上巻
提婆羅菩薩造
提婆羅菩薩による
北涼沙門道泰譯
北涼の僧侶 道泰 訳
施勝品第一
布施の功徳品第一
敬禮等正覺, 大悲哀世尊!
因彼起正法, 三界中真濟。
眾中第一尊, 無量功德藏,
菩薩本所行, 我當說少分。
我今哀愍彼, 開演妙施門,
一切諸賢士, 應當歡喜聽。
菩薩行施時, 大地皆震動,
巨海涌眾寶, 慧雲雨妙花,
無心猶如是, 況有情識者?
菩薩施廣大, 猶如虛空界,
假使五通仙, 充滿十方剎,
聽聞猶尚難, 況復分別說?
無有地方所, 而不以求施,
淨水浸大地, 無有不遍處,
無有一切物, 菩薩所未施,
無有一眾生, 不曾受施者。
論者語大地, 一切應禮汝,
何故禮大地, 菩薩行施處?
菩薩一日施, 種種眾雜物,
辟支佛百劫, 不能知邊際。
所以不能知, 大悲為施體,
能成種智果, 施因為最大。
此是智者說, 施能到彼岸,
若一到彼岸, 諸度悉具足。
波羅蜜義者, 名為和集聲,
譬如多人處, 名之為大眾。
菩提之種子, 能成大智果,
一切眾事具, 莫不由施成。
施是生天道、 出世之胞胎,
無相施為妙, 平等為最勝。
身及物皆施, 無有所悋惜,
一切處皆施, 無有方所者,
一切時皆施, 無有不施時,
於此四施中, 心智常不動,
如是行施者, 名不思議施。
若施一眾生, 一切盡蒙樂,
若不如是施, 是名為欺誑。
雖名施一人, 是為施一切,
所以名一切, 大悲心普故,
大悲所以普, 為求種智故。
施佛及羅漢, 世名良福田,
大悲平等施, 是為最勝施。
無量財寶施, 不如暫止息,
悲心施一人, 功德如大地。
為己施一切, 得報如芥子,
救一厄難人, 勝餘一切施,
眾星雖有光, 不如一月明。
眾生垢心重, 所施恒為己,
菩薩悲心施, 如灰去眾穢,
救濟慈悲施, 普為群生類。
如是慈悲施, 功德無窮盡,
如此微妙施, 安樂諸眾生。
貪求佛智慧, 心無有厭足,
如是悲心施, 能除無明障,
開導愚冥者, 使得智慧眼,
能滅諸結使, 消伏老病死。
施與悲心俱, 眾生之甘露。
敬礼します、等しく正覚を開かれた方、 大いなる悲しみをもって世を哀れまれる世尊に! その方によって正しい法が起こり、 三界の中で真実の救いとなりました。
衆の中の第一の尊き方、 無量の功徳の蔵、 菩薩が本来行じられた行いを、 私は少しばかり述べましょう。
私は今、彼らを哀れみ、 妙なる布施の門を開き示します。 すべてのすぐれた人々は、 喜んで聞くべきでしょう。
菩薩が布施を行じるとき、 大地はみな震動し、 大海は多くの宝を涌き出し、 智慧の雲は妙なる花を降らせます。 心なきものさえこのようであるなら、 ましてや情識ある者はどうでしょうか?
菩薩の布施は広大で、 あたかも虚空の世界のようです。 たとえ五通を得た仙人であっても、 十方の国土に満ちたとしても、 聞くことさえまだ難しく、 ましてや分別して説くことなどできましょうか。
布施を求めない場所は、 どこにもありません。 清らかな水が大地を浸すように、 遍く行き渡らないところはなく、 菩薩が施さなかったものは、 一切の物の中にありません。 菩薩の施しを受けなかった 一切の衆生はいません。
論者は語ります、大地よ、 すべての者は汝に礼すべきだと。 なぜ大地に礼するのか? 菩薩が布施を行じた場所だからです。
菩薩が一日に施す、 種々様々な多くの雑物を、 辟支仏が百劫かけても、 その辺際を知ることはできません。
なぜ知ることができないか? 大悲が布施の本体であり、 種々の智慧の果を成じさせる、 布施の因が最も大きいからです。
これは智者が説くところ、 布施は彼岸に到ることができると。 もし一たび彼岸に到れば、 諸々の波羅蜜は悉く具足します。
波羅蜜という意味は、 和合して集まる声と名づけられ、 たとえば多くの人のいるところを、 大衆と名づけるようなものです。
菩提の種子は、 大いなる智慧の果を成じさせ、 一切の衆事が具わるのは、 布施によって成じないものはありません。
布施は天道を生じさせ、 出世の胎盤であり、 無相の布施が妙であり、 平等が最も勝れています。
身および物をみな施し、 惜しむところがなく、 一切の処でみな施し、 方所のない者がなく、 一切の時にみな施し、 施さない時がないのです。
この四つの布施の中で、 心と智は常に動かず、 このように布施を行う者を、 不思議の布施と名づけます。
もし一衆生に施せば、 一切はみな楽しみを蒙り、 もしこのように施さなければ、 それは欺き偽りと名づけられます。
一人に施すと名づけても、 それは一切に施すことであり、 なぜ一切と名づけるか? 大悲の心が普く行き渡るからです。 大悲がなぜ普く行き渡るか? 種々の智慧を求めるからです。
仏および羅漢に施すことは、 世間では良き福田と名づけられますが、 大悲の平等の施しこそが、 最も勝れた施しなのです。
無量の財宝を施すよりも、 しばらく止息して、 悲心をもって一人に施す方が、 功徳は大地のようであり、 自分のために一切を施せば、 得る報いは芥子のようです。
一人の厄難の人を救うことは、 他の一切の施しに勝り、 衆星は光があっても、 一つの月の明るさには及びません。
衆生の垢の心は重く、 施すことは常に自分のためであり、 菩薩の悲心の施しは、 灰が多くの穢れを去るようであり、 救済の慈悲の施しは、 普く群生の類のためです。
このような慈悲の施しは、 功徳は窮まりなく、 このような微妙な施しは、 諸々の衆生を安楽にします。
仏の智慧を貪り求め、 心に厭うことがなく、 このような悲心の施しは、 無明の障りを除くことができ、 愚冥の者を開き導き、 智慧の眼を得させ、 諸々の結使を滅し、 老病死を消し伏せます。
施しと悲心がともにあれば、 それは衆生の甘露なのです。