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大丈夫論 (大丈夫論)


恭敬乞者品第七
菩薩思惟:「因彼乞者得證菩提,我當以此菩提迴與一切眾生,以報恩故。我今因施眾生得無比樂,因此樂故得成菩提,如此菩提我當施與乞者。我今因施乞者得於快樂勝解脫樂,因中施樂猶尚如是,況無上菩提?我當捨之施諸乞者。如是乞者其恩甚重無以可報,如此乞者乃能與我作大樂因,若以財寶不足報恩,當以所得無上菩提而施與之。以我福故,願使乞者於將來世亦如我今成大施主。」菩薩內自思惟:「因於乞者得施快樂,使乞者得無上菩提為法施檀越。」諸乞求者見菩薩大施而問之言:「為求何等而等行大施?」菩薩各答言:「我今不求人天果報、聲聞涅槃,願得無上菩提拔濟一切眾生。」諸慳貪者而作念言:「菩薩云何能行大施心不疲厭?」菩薩答言:「我師三界尊,悲念一切眾生。我今無以報師恩,故施無疲厭。一切之樂無勝解脫樂者,我愛眾生勝愛解脫。我以愛念眾生欲令得解脫,故修種種施。若生死不極苦者,我施終不求菩提,以生死苦故我施求菩提。」拔生死苦者誰之所作?煩惱以業之所造作。使一切眾生以悲心為體,常樂惠施。

菩薩はこう考えた──「あの乞食のおかげで、私は悟りを得ることができる。ならば、この悟りをすべての衆生に回向しよう。恩に報いるためである。今、施しによって衆生に比類なき喜びを得ている。この喜びによって悟りを成就するのだから、その悟りを乞食に施そう。今、施しによって得た喜びは、解脱の喜びさえも超えている。この因縁による喜びでさえこのようである。ましてや無上の悟りにおいてはなおさらだ。私はそれを捨てて、すべての乞食に施そう。この乞食たちの恩は非常に重く、報いるすべもない。彼らは私に大きな喜びの因を与えてくれる。財宝をもってしても恩に報いることはできない。だからこそ、得た無上の悟りを施そう。私の功徳によって、願わくは乞食たちが未来世において、私のように偉大な施主となりますように。」

菩薩はさらに内省した──「乞食によって施しの喜びを得る。その乞食たちに無上の悟りを与え、法施の檀那としよう。」すると、乞食たちは菩薩の大いなる施しを見て問うた。「何を求めて、このように大施を行うのですか?」菩薩はそれぞれに答えた。「私は今、天人の果報や声聞の涅槃を求めているのではない。無上の悟りを得て、すべての衆生を救済したいと願っているのだ。」

吝嗇な者たちはこう思った──「菩薩はどうして心に疲れもなく、大いなる施しを行えるのだろうか?」菩薩は答えた。「私の師は三界の尊であり、すべての衆生を慈悲の心で哀れんでおられる。私は師の恩に報いるすべがない。だからこそ、施しに疲れもしないのだ。すべての喜びの中で、解脱の喜びに勝るものはない。しかし、私は衆生を愛すること、解脱を愛するよりも勝っている。衆生を愛し、彼らに解脱を得させたいと願うからこそ、様々な施しを修めるのだ。もし生死が極めて苦しいものでなければ、私は施しをもって悟りを求めはしないだろう。生死の苦しみがあるからこそ、私は施しによって悟りを求めるのだ。」

生死の苦しみを抜くのは、誰の為せる業か?煩悩と業によって造られたものである。一切の衆生に慈悲の心を体得させ、常に喜んで施しを行うようにさせるのだ。


6 施主增長品
8 施慳品

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