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title: "光讚經 · 17 觀品"
description: "光讚經由西晉高僧竺法護於公元3世紀末譯出，是大乘佛教早期重要經典《般若經》的漢譯本之一。此經依梵文原典《二萬五千頌般若經》譯成，主要闡述般若空性思想，強調諸法性空、緣起無自性的深奧義理，並論述菩薩修行六度萬行的實踐之道。在佛教史上，光讚經作為般若系經典的早期譯本，為中觀學派的發展奠定了文獻基礎，對中國佛教義學的興起具有啟蒙作用，與後出的放光般若經共同推動了魏晉南北朝般若學的研習熱潮。"
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## 光讚經卷第七

> 光讃経巻第七

西晉三藏竺法護譯

> 西晋三蔵竺法護訳

### 摩訶般若波羅蜜觀品第十七

> 第十七品 大般若智慧の観

佛告須菩提：「菩薩摩訶薩摩訶衍者，謂四意止。何謂四意止？內自觀身，不與身俱，亦不想念、亦不得身。觀于外身，不與身俱，亦不想念、亦不得身，於是安詳調御其意。觀於世間無明愁慼，內觀痛痒彼心法者，於是安詳調御其意。覩於世間無明愁慼，觀外痛痒，不與痛痒俱，亦不想念，亦不得身。觀內思想，不與想俱，亦無想念，不得思想。觀外思想，不與想俱，亦無想念，不得思想。觀於內法，不與法俱，亦無法想，亦不得法。觀于外法，不與法俱，亦無法念，亦不得法。於是寂然調御其意於世無明愁慼之事。何謂，須菩提！菩薩摩訶薩內觀身？於此菩薩摩訶薩，知心所行若住已住，亦知已坐當坐，亦知行臥已當行臥，如身應住所志所趣，皆悉知之。是為菩薩摩訶薩觀內身也。於是安詳調御其意於世無明愁慼之事。

> 仏は須菩提に告げられた。「菩薩大士の大乗というのは、四つの意止（四念処）のことである。では、その四つの意止とは何か。 自己の身体を内側から観察しても、その身体と同一視せず、それについて想いを巡らせず、身体という実体も得ない。外側の身体を観察しても、その身体と同一視せず、想いを巡らせず、身体という実体も得ない。こうして安らかに、心を整え導くのである。 世の中の無明や憂い悲しみを観察し、内側の感受（痛痒）や心の働きを観察しても、そこに安らかに心を整え導く。 世の中の無明や憂い悲しみを見渡し、外側の感受を観察しても、感受と同一視せず、想いを巡らせず、身体という実体も得ない。内側の想念を観察しても、想念と同一視せず、想いもなく、想念という実体も得ない。外側の想念を観察しても、想念と同一視せず、想いもなく、想念という実体も得ない。 内側の法（心の対象）を観察しても、法と同一視せず、法という想いもなく、法という実体も得ない。外側の法を観察しても、法と同一視せず、法という念いもなく、法という実体も得ない。こうして静かに、世の中の無明や憂い悲しみに対して心を整え導くのである。 須菩提よ、では菩薩大士が内側の身体を観察するとは、どういうことか。 この菩薩大士は、心の働きを知る。立っている時は立っていると知り、坐っている時は坐っていると知り、横になろうとする時は横になろうとすると知り、行こうとする時は行こうとすると知る。身体のあるべき場所、心の向かうところ、そのすべてをはっきりと知るのである。 これが菩薩大士の内側の身体の観察である。こうして安らかに、世の中の無明や憂い悲しみに対して心を整え導くのである。」

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩往反安詳觀察視瞻而不卒暴，進止屈伸、著衣持鉢、飲食臥寐，懈息所從律行去來，坐起臥覺，有所說者，常懷徐詳，憙在閑居心不馳騁。是為，須菩提！菩薩摩訶薩行般若波羅蜜自觀內身而不可得。

> また、須菩提よ。菩薩大士は、行き来するときも安らかで落ち着いており、周りを穏やかに見渡し、決して慌てたりしません。進んだり止まったり、体を曲げ伸ばしするとき、衣を着たり鉢を持つとき、食事や休息、眠りから覚めるときも、常に心のままに行動し、余裕をもって振る舞います。話すときもいつも穏やかで、静かな場所を好み、心が散り乱れることはありません。須菩提よ、これこそが菩薩大士が般若波羅蜜を実践しながら、自分の内なる身体を観察しても、そこに実体を見出せない、というあり方なのです。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩其心專一覩出入息，息長、息短亦悉知之；意息若近、若遠亦悉知之；意息若遲、若疾亦悉知之；意息卒暴、柔和亦悉知之。譬如，轉輪聖王知土地長短廣狹！譬如，瓦師作器知大小深淺！如是，須菩提！菩薩摩訶薩知息出入、長短、遲疾、剛柔。菩薩如是觀其內身，知其安詳，調御其心令順法教。是為，須菩提！菩薩摩訶薩內自觀身調御其意於世無明愁慼之事。

> また、須菩提よ。大菩薩は心を一つに集中して、呼吸の出入りを観察し、息が長いか短いかもすべて知る。心の息が近いか遠いかもすべて知る。心の息が遅いか速いかもすべて知る。心の息が荒々しいか柔和かもすべて知る。例えば、転輪聖王が土地の長さや広さ、狭さをすべて知るようなものだ。また、陶工が器を作る時に、その大きさや深さ、浅さを知るようなものだ。このように、須菩提よ。大菩薩は息の出入り、長短、遅速、剛柔を知るのだ。菩薩はこのように自身の内身を観察し、その安らかな様子を知り、心を調御して教えに従わせる。これが、須菩提よ。大菩薩が内身を観察し、心を調え、世間の無明や憂い悲しみの事柄から解脱する方法なのである。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩自觀其身四分諸種，今身有是地種、水種、火種、風種。譬如，屠兒以持利刀，殺害牛、畜解為四段，為四段已，坐起省察則無牛，因緣合成。如是，須菩提！菩薩摩訶薩行般若波羅蜜自觀是身，而身有此地種、水種、火種、風種。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜自觀內身，亦不見身，亦無所得。

> 「また、須菩提よ。大いなる菩薩は、自らの身体を観察し、それが地・水・火・風の四つの元素から成ることを知る。たとえば、屠殺者が鋭い刀で牛を殺し、四つに分けたとする。その四つを分けた後、座してその死骸を眺めても、もはや『牛』というものは見えない。ただ要素が寄り集まっていたに過ぎないのだ。 同様に、須菩提よ。大いなる菩薩が般若波羅蜜を修行し、自らの身体を観察するとき、この身には地・水・火・風の元素があると知る。そして般若波羅蜜を修行しながら、内なる身体を観察しても、そこに実体としての『私の身体』を見ることはなく、何も得るものはないのである。」

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩自察其身從頭至足，有身、髮、髓、腦，惡穢不淨具足充滿。有此身者，有髮毛、爪齒、皮革、筋脈、骨節、腸𦝩、腹、肝、肺、心、腎、五臟、血肉、脂髓、涕唾、垢濁、不淨、大便、小便。譬如，佃家以囊器盛若干種穀、麻、米、粟、豆、大麥、小麥、稻穬。明目之人寫之置地分別知之，是為麻油、是為粳米、是為豆粟、是為稻穬。如是，須菩提！菩薩摩訶薩今此身者，從足至頭，髮毛、爪齒、皮革、筋脈、骨節、腸胃、腹、肝、肺、心、腎、五臟、血肉、脂髓、㖒唾、垢濁、不淨、大便、小便。如是，須菩提！菩薩摩訶薩內自觀身調御其意於世無明愁慼之事，亦無所得。

> 「また、須菩提よ。菩薩大士は、自分自身の体を頭から足の先まで観察する。そこには、髪の毛、骨髄、脳髄があり、汚れや不浄が満ち満ちている。この体には、髪の毛、体毛、爪、歯、皮膚、皮革、筋、血管、骨の節、腸、胃、腹、肝臓、肺、心臓、腎臓、五臓、血肉、脂肪、骨髄、涙、唾、垢、濁り、不浄、大便、小便がある。 たとえば、農家が袋や器に様々な穀物——麻、米、粟、豆、大麦、小麦、稲穂——を入れておくようなものだ。目明きの人がそれを地面に広げて、一つ一つ見分ける。これは胡麻油、これは粳米、これは豆や粟、これは稲穂だと。 そのように、須菩提よ。菩薩大士は、今この体が、頭から足の先まで、髪の毛、体毛、爪、歯、皮膚、皮革、筋、血管、骨の節、腸、胃、腹、肝臓、肺、心臓、腎臓、五臓、血肉、脂肪、骨髄、涙、唾、垢、濁り、不浄、大便、小便で成り立っていると観察する。 このように、須菩提よ。菩薩大士は、内に己の身を観察し、その心を調御する。世の中の無明や愁い悲しみの出来事に対しても、何の執着も得ることがない。」

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩如今觀身遭諸寒熱，若其壽終一日、若三日四日五日，其身膖脹，其色變青，臭爛膿血流出，計如此身，則不能離無常之法。如是，須菩提！菩薩摩訶薩自觀內身！知其安詳，調御其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。

> また、須菩提よ。大菩薩は、このように自分の身が寒さや暑さを経験するのを観察します。もしその命が終わって一日、あるいは三日、四日、五日が過ぎれば、その体は膨れ上がり、色は青黒く変わり、腐って膿や血が流れ出ます。このような我が身もまた、無常という法則から逃れることはできないと知るのです。このように、須菩提よ。大菩薩は自分の内なる身を観察し、その安らかさを知り、心を静めて、世の中の無明や憂い悲しみの事柄にとらわれることなく、得るものもなく、見るものもないのです。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩觀人壽終遭是寒熱日炙風飄，死至一日、若至二日三日四日五日六日七日，為鳥烏所食，狐、狼、熊、羆、虎、豹、鵄、梟、狗犬所食，無央數蟲從其身出還食其體。其人自察身所遊處，法無有常，分散離別，無脫此者。內自觀身調御其意於世無明愁慼之事，亦無所見。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩假使見身非常之後，寒熱所遭、日炙風飄，膖腫青脹，鳥獸所噉，臭處不淨。還自觀身亦當如是，調御其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩假使觀身終亡之後，遭於寒熱、日炙風飄，骨節相連譬如交璅，肉塗血澆、筋纏革裹皮覆。自觀身調定其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩假使見人終亡之後，但白骨鉤璅相連，有血脈皮肉筋髓，則而察之：『今此軀體其法如是，分散別離，此非常法，無有脫者。』如是，須菩提！菩薩摩訶薩觀身，調定其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩假使見骨髓筋纏碎壞分散還與土合。觀察如是：『今此軀體，其法如是。』內自觀身，調御其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。

「復次，須菩提！假使覩見骨散在地，東西南北腳骨異處，膝臏、項頸、胸脇、頭髗各自異處，則而察之：『今此軀體，其法如是，手足分散別離，此非常法，無脫此者。』內觀其身，調定其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩便觀身，死來久遠骨散在地，積有年歲，不可稱數難量之載，青骨碎壞與灰土合：『今此軀體其法如是，分散別離，此非常法，無有脫者。』如是，須菩提！菩薩摩訶薩內自觀身，調定其意於世無明愁慼之事，亦無所得，亦無所見。痛痒思想觀法，亦復如是。以持誘進初發意者為無常觀，稍稍入空乃知無本；以為發意達者，觀內外身亦無有身，觀內外想亦無有想，觀內外法亦無有法，亦無所觀亦無所見，道不離俗、俗不離道，二者俱空，亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩行摩訶衍者，四意斷。何等為四意斷？於是菩薩摩訶薩，諸惡未起不善之法，設來興者，制令不生；慇懃精進攝其心本，令斷諸瑕，諸惡不善非法之事，適興尋斷，慇懃精進自攝其心，使平等斷；諸善德本設來興者，假欲斷者，慇懃精進救攝其心，平等解脫；懷善法生，堅住不失，思惟具足，廣普令備益加歡樂，慇懃精進救攝其心，平等解脫。有所得亦無所得、亦無所見。是為，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍也！

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩行摩訶衍，謂五根：信根、精進根、意根、定根、慧根。是為菩薩摩訶薩摩訶衍，有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍者，謂五力也。何謂五力？信力、精進力、意力、定力、慧力。是為菩薩摩訶薩摩訶衍五力也。有所得亦無所得、亦無所獲也。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，謂七覺意。何謂七覺意？於是，須菩提！菩薩摩訶薩專修思覺意，依於寂然，無有貪欲，亦無所依，除於諍訟、捨諸法，是謂思覺意。有行精進覺意，依於寂然，無有貪欲，亦無所依，除諍訟、捨諸法，是謂精進覺意。又行悅豫覺意、行信覺意、行安覺意、定覺意、行觀覺意，依於寂然，無有貪欲，亦無所依，除諍訟、捨諸法，是謂菩薩摩訶薩摩訶衍行七覺也。有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，謂八由行賢聖之路。何謂八？正見、正念、正語、正治、正業、正方便、正意、正定，是為八由行賢聖之法。有所得亦無所得、亦無所獲，是為菩薩摩訶薩摩訶衍也。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍者，謂三品三昧。何謂為三？空三昧，無相、無願三昧。彼何謂空三昧？已相法空，空者脫門，則為無相，其無相者便為脫門，其所行者無所行也，是為無願脫門也。是為，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍也。逮得此已，亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，當分別若曉了所習、決斷滅盡、覺知由路、知所盡者、知無所起。曉了諸法，分別無我。曉了柔和終沒之事，自知其心、了他人心，是謂為慧。彼何謂分別？於苦知苦、無所從生、亦無所起，是謂分別苦。何謂為曉了所習？謂蠲除所習令不復生。何等為決斷滅盡？謂苦已盡，令無根本。何等覺知由路？謂賢聖之法八由路也。何謂知所盡者？謂婬、怒、癡滅。何謂知無所起？謂無所從生不起之慧。何謂曉了法慧？謂於五陰所造罪福，斷絕為慧。何謂分別無我？謂色非常，痛痒思想生死識非常。眼耳鼻舌身心，非我所有；色聲香味細滑法，非我所有；眼色識、耳聲識、鼻香識、舌味識、身細滑識、意法識，亦非我所有；何謂曉了柔和終沒之事？有所咨嗟多所發起。何謂自知其心？自知古來根原。何謂知人心？能別他人眾生心之所念。彼何謂如所慧心？謂怛薩阿竭薩芸若慧，是謂如所慧心。已得，是以亦無所得，亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍謂有三根！異人根、異根、別根。彼何謂異人根？謂有諸學士未得平等信根、精進根、意根、定根、慧根。何謂異根？其學士者無有異信、信根、精進根、意根、定根、慧根，是謂異根。彼何謂別根？謂未學士而發大意——辟支佛、菩薩、怛薩阿竭、阿羅訶、三耶三佛——信根、精進根、意根、定根、慧根！是謂菩薩摩訶薩別根摩訶衍也。有所得者亦無所得、亦無所獲也。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍者，謂平等定也。有三事：有想有行三昧、無想有行三昧、無想無行三昧。彼何謂有想有行三昧？脫諸欲，寂除諸惡不善之法，有想有行，行第一寂，是謂有想有行三昧。彼何謂無想有行三昧？謂其心之內無想有行，亦無所著至第二寂，亦無內外，是謂無想有行三昧。彼何謂無想無行三昧？過第二、第三寂，度於無量有慧之定，越於無量識慧之宜，過於無量不用慧定，越於無量有想無想之定，是謂無想無行。是謂須菩提菩薩摩訶薩摩訶衍也。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍者，當行十念。何謂十念？念佛、念法、念聖眾、念戒、念布施、念天、念恬怕、念無所起、念觀身、念當終亡，是為十念。是為菩薩摩訶薩摩訶衍。有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，謂四禪、四無色定、四等心、八脫門、未曾所獲味之定，是謂須菩提菩薩摩訶薩摩訶衍也。有所得者亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，謂怛薩阿竭十種力也。何謂十種力？謂知他人、眾生之類處處非處，處有限無限。如審悉知過去、當來、今現在因緣罪福所行之處有所報應。如審悉知，世間之人有若干種，其體不同。如審悉知，他人眾生若干種心，所憙各異。如審悉知，他人眾生根原所趣，本末各異。如審悉知，一切五道終始所歸。如審悉知，知於眾人行者之心，根、力、覺意、一心、脫門、三昧正受，結縛、瞋恨、鬪訟之事，能慧分別。如審悉知，無數寂然。悉識過去無數億劫之事。識過去無數億劫之所。遊居眾生察其終沒之所歸趣。道眼徹視於十方一切佛界。五道生死、善惡、禍福、起滅終始。如審悉知，諸漏已盡，無有塵垢，度於想念，以知慧脫現在造行，自以神通證知諸行，生死已斷，稱舉梵行，所作已辦知未度者。是為，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍。有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，謂四無所畏。何謂四無所畏？今吾已逮成平等覺，若有沙門、梵志、諸天、人民，若復異天、異覺之人，來欲訟理求佛之短，謂為不成平等之覺，不見瑞應，敢有發意當如來者！無敢發念，故佛安隱所行，無難亦無畏。勇猛行達無所著，而為他人師子之吼，講說分別清淨法輪，沙門、梵志、諸天宮魔及諸梵天，天上、世間無有能及道法之誼，諸漏已盡，無有終始。沙門、梵志、諸天魔梵、天上、世間，欲求佛短，謂不然者，諸漏未盡。都了不見發心求短者，故佛安隱無有恐懼，則為眾人而師子吼。悉知內法，無有內外，不見吾我。沙門、梵志、諸天魔梵、天上、世間，欲求佛短，謂不然者，不知內法計有吾我。都了不見發心求短者，故佛安隱無有恐懼，則為眾人而師子吼。講說賢聖，不解者解、不達者達、無乘者乘，而以平等普除苦惱，終不能求得佛短也。以奉法故，不違道誼，勇猛、無恐、無懼，而為他人講說清淨法輪，為師子吼。是為，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍也。有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍，謂四分別辯。何謂為四？一曰分別誼、二曰分別法、三曰所歸順分別、四曰分別辯。是謂，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍。有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍者，謂十八不共諸佛之法。何謂十八？一者如來無有瑕短。所說應時，無有短乏心、無忘失、無有若干想、無有不定心、無有不辯。分別所觀無有所樂。斷精進無失，終無失意。智慧無損解脫不闕。度知見不減。一切諸身之事無所不達。一切口所言說無所不通，各令得所。一切心所念，以智慧心悉知其原。又知過去不可計會無央數劫事，智慧悉見。又知當來不可計會無央數劫事，智慧悉見。又知現在不可計會無央數劫事，智慧悉見。是為，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍。有所得亦無所得、亦無所獲。

「復次，須菩提！菩薩摩訶薩摩訶衍者，謂總持門。彼何謂總持門？諸文字等，所說平等，文字之門、文字所入。何謂文字門、文字所入因緣之門？一切諸法，以過去者亦無所起。其門所作是。羅之門，法離諸垢是。波之門，分別諸誼是。遮之門，逮得一切諸法之行，亦無所得，亦無所沒者、亦無所生者是。那之門，一切法離諸號字，計其本淨而不可得是。羅之門，皆悉超度一切世法——恩愛、報應、因緣——是。陀之門，一切諸法悉為本無，有、無斷絕是為。波之門，皆悉解結諸法所縛是。咤之門，燒盡諸法逮至清淨是。沙之門，一切諸法，無有罣礙不得諸事是。惒之門，斷除一切諸法音聲句跡所趣是。多之門，一切諸法而無有本不可動搖是。計之門，一切諸法而無所起是。吒之門，一切諸法得至究竟是。阿之門，一切諸法所當作為皆悉逮得是。娑之門，一切諸法皆已時得，通不悉節是。摩之門，解知諸法從吾我起是。迦之門，一切諸法逮得擁護是。癉之門，一切諸法逮得諸法之處是。闍之門，一切諸法而無所起是。波之門，一切諸法而無所起是。陀呵之門，一切諸法諸種無所起會是。奢之門，一切諸法寂然不起是。呿之門，一切諸法猶如虛空而無所生是。叉之門，一切諸法皆悉滅盡而不可得是。尸癉之門，一切諸法堅住於處而不可動，亦不可得是。𢜪之門，一切諸法慧不可得是。咤呵之門，一切諸法逮得所持是。披何之門，一切諸法已得閑靜是。車之門，一切諸法皆已焚燒是。那之門，一切諸法而無所作是。沙波之門，一切諸法而得至信是。嗟之門，一切諸法皆得盡滅是。迦何之門，一切諸法得輪數所在是。咤徐之門，一切諸法有所住處得無所住是。那之門，一切諸法，不來不去不立不坐不臥不寐，無應不應、無想不想是。頗之門，一切諸法不可所奏是。尸迦之門，一切諸法不得五陰是。磋之門，一切諸法不得他念是。伊陀之門，捨一切法而無所得。伊陀之門，一切諸法不得所在是。吒之門，一切諸法，究竟邊際盡其處所，無生無死、無有無作，拔去文字音聲之說。所以者何？厭諸罣礙，無彼無名、無處所言，亦不可得、亦不可說、亦不可盡、亦不可見。譬如，須菩提！虛空虛無，一切諸法亦悉如是。是為，須菩提！總持所入因緣，文字分別所入。其有菩薩摩訶薩知是一切因緣，文字方便分別，則不復著音聲言說，則能次第曉了諸法之所歸趣也。」