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title: "根本說一切有部毘奈耶雜事 · 第十八"
description: "根本说一切有部毗奈耶杂事是唐代高僧义净翻译的一部重要佛教律典，属于说一切有部的律藏文献。义净在7世纪赴印度求法，归国后系统翻译了大量佛教经典。该典籍主要记载了佛陀制定戒律的因缘、具体戒条及僧团生活规范，涵盖衣食住行等日常细节，是研究早期佛教戒律制度的重要文献。作为上座部佛教根本说一切有部的重要律典，它在南传佛教中具有权威地位，对了解原始佛教僧团运作和戒律思想具有不可替代的价值，是汉传佛教律学研究的核心经典之一。"
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## 根本說一切有部毘奈耶雜事卷第十八

> 根本説一切有部毘奈耶雑事 巻第十八

三藏法師義淨奉　制譯

> 三蔵法師義浄奉　制訳

第五門總攝頌曰：

> 第五門の総摂頌に曰く、

焚屍詰三轉、 捨墮我身亡、界苾芻不應、 不合五皮用。

> 遺体を焼く際に三度転がし、 捨て去るべきものは我執という身を滅ぼすもの。 僧たちは境界を越えるべきではなく、 五種の皮を用いることは許されない。

第五門第一子攝頌曰：

> 第五門第一子の摂頌にはこうあります。

焚屍誦三啟、 目連因打亡、不應廣大作、 多獲諸珍寶。

> 火葬の際に三啓経を唱えるべきだ。目連は亡者を打ったからである。 広く盛大に行うべきではない。多くの宝を手に入れたとしても。

緣在室羅伐城逝多林。時此城中有一長者，娶妻未久便誕一息，年漸長大，於佛法中而為出家，遇病身死。時諸苾芻即以死屍并其衣鉢棄於路側。有俗人見，作如是語：「沙門釋子身亡棄去。」有云：「我試觀之。」見已便識，報諸人曰：「是長者子。」各共生嫌：「於釋子中為出家者無有依怙，向若在俗，諸親必與如法焚燒。」苾芻白佛，佛言：「苾芻身死，應為供養。」苾芻不知云何供養，佛言：「應可焚燒。」具壽鄔波離請世尊曰：「如佛所說於此身中有八萬戶蟲，如何得燒？」佛言：「此諸蟲類，人生隨生，若死隨死，此無有過。身有瘡者，觀察無蟲，方可燒殯。」欲燒殯時無柴可得，佛言：「可棄河中。若無河者，穿地埋之。」夏中地濕多有蟲蟻，佛言：「於叢薄深處，令其北首，右脇而臥，以草稕支頭，若草、若葉覆其身上。送喪苾芻可令能者誦三啟無常經，并說伽他為其呪願。」事了歸寺便不洗浴隨處而散，俗人見譏，咸言：「釋子極不淨潔，身近死屍身不洗浴。」佛言：「不應爾，應可洗身。」彼即俱洗，佛言：「若觸屍者連衣俱洗，其不觸者但洗手足。」彼還寺中不禮制底，佛言：「應禮制底。」

> 室羅伐城の逝多林に縁があります。この時、この都に一人の長者がいました。結婚して間もなく一人の息子が生まれ、年を重ねるにつれて、仏法の中で出家しました。しかし病にかかり命を落としました。その時、多くの比丘たちは死体と衣鉢を道端に捨てました。俗人がそれを見て、「沙門の釈子は死ぬと捨てられてしまうのか」と言いました。ある者が「試しに見てみよう」と言い、見てみるとその人だと分かり、「あれは長者の息子だ」と皆に知らせました。皆は「釈子の中で出家した者には頼る者がなく、もし在家のままであれば、親族たちが必ず法に従って荼毘に付しただろうに」と非難しました。比丘たちが仏に告げると、仏は言われました。「比丘が死んだならば、供養をすべきである。」比丘たちがどう供養すればよいか分からずにいると、仏は言われました。「荼毘に付すべきである。」具寿邬波離が世尊に請うて言いました。「仏がおっしゃるように、この身の中には八万戸の虫がいます。どうして焼くことができましょうか。」仏は言われました。「この虫たちは、人が生まれると共に生まれ、死ぬと共に死ぬものである。これには過ちはない。ただし、身に瘡があるならば、虫がいないか観察してから荼毘に付すように。」荼毘に付そうとした時、薪が手に入りませんでした。仏は言われました。「河に流すがよい。河がなければ、地面を掘って埋めなさい。」夏は地面が湿って虫や蟻が多いので、仏は言われました。「藪の深いところで、頭を北に向け、右脇を下にして横たえ、草束で頭を支え、草や葉でその体を覆いなさい。葬送の比丘たちは、能力のある者に三啓無常経を誦わせ、伽他をもって呪願させなさい。」用事が終わって寺に帰っても、洗浴せずにそのまま散ってしまったので、俗人がそれを見て「釈子たちは非常に不浄で、死体に近づいたのに身を洗わない」と非難しました。仏は言われました。「そうすべきではない。身を洗うべきである。」彼らが皆洗うと、仏は言われました。「死体に触れた者は着衣のまま洗い、触れなかった者は手足だけを洗いなさい。」彼らが寺に還っても制底を礼拝しなかったので、仏は言われました。「制底を礼拝すべきである。」

緣在王舍城。具壽舍利子及大目連，於時時中往觀地獄、餓鬼、傍生、人、天五趣，巡行觀察至無間獄。時舍利子語大目連曰：「具壽！宜當為此無間有情息猛焰苦。」時大目連聞是語已即昇虛空，於大獄上降注洪雨渧如車軸，獄中猛焰令空中雨隨處銷亡。時舍利子見是事已報目連曰：「具壽且止！我滅其火。」答言：「隨意」。時舍利子入勝解三摩地降注大雨，令無間獄地並成泥，咸得清涼皆蒙息苦。遂見外道晡剌拏，由昔為他說惡邪教，報受大身，於其舌上有五百鐵犁耕墾流血，見二尊者報言：「大德！仁等若往贍部洲中，傳我所說報我門徒曰：『由我生時口說邪法欺誑他故，彼惡業力墮無間中，於我舌上有五百鐵犁，耕墾流血受極苦惱。然汝供養我本塔時，我身苦痛倍更增劇，從此已後勿為供養。』」時二尊者聞彼語已默然而受，從地獄沒至王舍城，二人相隨共入城內，便於中路逢諸外道，並是執杖推髻之流。外道議曰：「我欲打彼沙門釋子。」一人報曰：「今正是時，然有過方打不損勿聽。我且先問，稱我意者善。若不遂心打之未晚。」舍利子在前而至，問言：「苾芻！正命眾中有沙門不？」舍利子作是思惟：「何心見問？」觀知欲打，即說頌言露形外道自云正命：

> 時、王舎城にて。具寿の舎利子と大目連は、折々に地獄・餓鬼・畜生・人間・天の五つの世界を訪れて観察していた。そして巡り歩いて、無間地獄に至った。その時、舎利子は大目連に言った。「友よ、この無間地獄の有情たちのために、猛火の苦しみを鎮めるべきです。」大目連はこの言葉を聞くと、虚空に昇り、地獄の上で車軸ほどの大雨を降らせた。しかし、地獄の猛火のために、空中の雨は降り注ぐそばから消え去ってしまった。 舎利子はこれを見て、目連に言った。「友よ、お待ちください。私がこの火を消しましょう。」目連は「お任せします」と答えた。舎利子は勝解三摩地に入り、大雨を降らせると、無間地獄の地面はすべて泥となり、涼しく清らかになり、苦しみが鎮まった。 すると、外道の晡剌拏が見えてきた。彼はかつて他人に悪い邪教を説いたために、大きな体を受けており、その舌の上には五百の鉄の犁があり、耕されて血を流していた。彼は二人の尊者を見て言った。「大徳よ、どうか贍部洲に戻られたなら、私の言葉を門弟たちに伝えてください。『私が生きていた時に、邪な法を説いて人を欺いたため、その悪業の力で無間地獄に堕ちた。私の舌の上には五百の鉄の犁があり、耕されて血を流し、極めて苦しい。しかし、あなたがたが私の塔に供養するとき、私の体の苦しみはますます激しくなる。これからは供養してはならない』と。」 二人の尊者はこの言葉を聞いて黙って受け入れ、地獄から消え失せて王舎城に至った。そして二人で共に城に入り、途中で外道たちに出会った。彼らは杖を持ち、髪を束ねた者たちであった。外道たちは相談した。「あの沙門の釈子を打ちたいものだ。」一人が言った。「今こそその時だ。しかし、過失があれば打つが、損がなければ聞き流そう。まず問いかけてみて、我々の意にかなえば良し。もし心にかなわなければ、打つのも遅くはない。」 舎利子が先に進んで来ると、外道が問うた。「比丘よ、正命の衆の中に沙門はいるか？」舎利子は考えた。「どういう心でこの問いを発したのか？」そして、打とうとしていることを観察して知った。そこで偈を説いた<note>露形外道は自らを正命と称す</note>。

「正命眾中無沙門， 釋迦眾內沙門有；若阿羅漢有貪愛， 即無凡小愚癡人。」

> 「正しい生き方をする者の中には、修行者はいない。 しかし、釈迦の教えの集まりの中には、修行者がいる。 もし阿羅漢（悟りを開いた者）に欲望や執着があるなら、 凡夫や小さき愚か者はいなくなるだろう。」

時彼外道不閑頌義，報尊者曰：「汝讚歎我，當隨意去。」尊者即便順路而行。尊者目連前業將熟，緩步而來，外道即見問言：「苾芻！正命眾中有沙門不？」若不豫觀，雖阿羅漢智亦不行，答言：「汝等眾內寧有沙門？如佛所說：『此是初沙門，此是第二沙門，此是第三沙門，此是第四沙門，除此已外更無沙門。婆羅門但有空名，說是沙門婆羅門而無其實。如是我於人天之中及聲聞眾，說無誑言作師子吼。』又復汝師晡剌拏，由在人中說邪惡法誑惑人故，生無間獄受廣大身，於其舌上有五百鐵犁，耕墾流血受極苦惱，彼寄我言：『我由人中說惡邪法誑惑眾生，今墮惡趣受耕舌苦，總報徒眾，汝等更勿供養我塔，每供養時我身苦痛倍更增劇，從此已後憶我言教。』」諸人聞已便生忿怒，作如是語：「諸人當知！此禿頭沙門非但於我強論過失，并我大師亦被誹謗，今欲如何？」一人報曰：「直須熟打餘更何言？豈不平章有過方打，今既謗我大師斯為巨過，打便合理。」眾即以杖打尊者身遍體爛熟，由如搥𥯤即便四散。時舍利子怪其在後遲晚不來，遂即往看，見其形體碎如搥𥯤而布于地，問言：「具壽！何意如此？」答言：「舍利子！此是業熟，知欲如何？」舍利子言：「具壽！豈非大師聲聞眾中稱說神通最為第一，何乃至斯？」答曰：「業力持故，我於神字尚不能憶，況發通耶？」時舍利子以七條衣裹襆其身，猶若孾兒抱持至寺。諸人驚集問舍利子：「尊者何緣身至如此？」答曰：「執杖外道打令爛熟。」遂緩下衣徐置于地。時諸苾芻問舍利子曰：「豈非大師聲聞眾中，說尊者目連神通第一？」答言：「實說，仁等當知！業力最大，然大目連有大氣力，以足右指蹴天帝釋戰勝之宮，能令搖動幾欲崩倒，於聲聞中如來讚說有大威力神通第一。然由前世業力所持，於神字尚不能憶，況發於通！」是時目連作如是念：「我以不淨無用之身，親於佛邊而為給侍，奉行教命隨力隨能無有違犯，於佛教主少酬恩惠，誰於德海盡能報謝？我於此身不能荷負，無邊苦器深生厭離，當求寂靜無宜久停。」即留命行捨其壽行。

> その時、外道は頌の意味を知らずに尊者に申し上げた。「あなたは私を讚めているのか。それならば、好きなように立ち去るとよい。」尊者はそのまま道に沿って進んだ。尊者目連は前世の業が熟す時を迎え、ゆっくりと歩みながら行くと、外道はそれを見て問いかけた。「比丘よ、正命の衆の中に沙門はいるか？」もし予め観察しなければ、たとえ阿羅漢の智慧でも働かないものである。尊者は答えた。「あなたたちの衆の中に、どうして沙門がいるだろうか。仏がお説きになったように、『これが第一の沙門、これが第二の沙門、これが第三の沙門、これが第四の沙門である。これらを除いて、他に沙門はいない。婆羅門はただ名ばかりで、沙門や婆羅門と称されながら、その実体はないのである。私はこのように、人天の中や声聞の衆の中で、偽りのない言葉を説き、獅子吼を行じたのである。』また、あなたたちの師である晡剌拏は、人の世で邪悪な法を説き、人々を惑わしたがために、無間地獄に生まれ、広大な身を受け、その舌の上には五百の鉄の犁があり、耕されて血を流し、極めて苦しみを受けている。その師が私に伝言を寄せた。『私は人の世で邪悪な法を説き、衆生を惑わしたために、今、悪趣に堕ちて耕舌の苦しみを受けている。弟子たちに伝えてくれ。あなたたちはもう、私の塔に供養してはならない。供養するたびに、私の身の苦しみは倍増してさらに激しくなる。これからは、私の教えと言葉を思い起こしなさい。』」 人々はこれを聞いて怒りを生じ、このように言った。「人々よ、知るがよい。この禿頭の沙門は、ただ我々に過ちを強く論じただけでなく、我々の大師までも誹謗したのだ。今、どうすべきか？」一人が言った。「ただ激しく打つだけだ。他に何を言うことがあろうか。過ちがあってから打つのではないか。今、我々の大師を誹謗したのは大きな過ちである。打つのが理にかなっている。」衆はすぐに杖で尊者を打ち、その身は全身が爛れるほどになった。まるで搥穊のようになり、人々は四方に散っていった。 その時、舍利子は尊者が遅れて来ないのを怪しみ、見に行った。その身体が搥穊のように砕かれて地に横たわっているのを見て、問いかけた。「具寿よ、どうしてこのようなことになったのか？」尊者は答えた。「舍利子よ、これは業が熟したのだ。どうすればよいのか知る由もない。」舍利子は言った。「具寿よ、大師の声聞の衆の中で、神通最も第一と称されているのではなかったか。どうしてこのようなことになったのか？」尊者は答えた。「業の力が持つからだ。私は『神』という字さえ思い出すことができない。まして神通を起こすことなどできようか？」 その時、舍利子は七条の衣で尊者を包み、まるで幼子を抱くようにして寺に連れ帰った。人々は驚いて集まり、舍利子に尋ねた。「尊者はどうしてこのような身になられたのですか？」舍利子は答えた。「杖を持った外道に打たれて、爛れるほどにされたのだ。」そして、ゆっくりと衣を下ろし、静かに地に置いた。 その時、比丘たちは舍利子に尋ねた。「大師の声聞の衆の中で、尊者目連が神通第一と説かれていたのではなかったのですか？」舍利子は答えた。「確かに説かれた。しかし、あなたたちは知るがよい。業の力は最も大きいのである。大目連は大きな力を持ち、右足の指で天帝釈の戦勝の宮殿を蹴り、揺り動かして今にも崩れ落ちんばかりにした。声聞の中にあって、如来はその大いなる威力と神通第一であると讚えた。しかし、前世の業の力に持たれて、『神』の字さえ思い出すことができない。まして神通を起こすことなどできようか！」 その時、目連はこのように考えた。「私は不浄で無用なこの身をもって、親しく仏のもとでお仕えし、教えを奉行し、力に応じて能力に応じて、違反することはなかった。しかし、仏の教えの主に対して、恩恵に報いることはほんのわずかであった。誰がこの徳の海に対して、すべて報いることができようか？ 私はこの身を担うことができない。限りない苦しみの器であるこの身に深く厭離を生じ、寂静を求めるべきである。長く留まるべきではない。」そこで、命を留めることなく、寿行を捨てた。

時有苾芻未得聖道者，見是事已極生憂惱起出離心，即往林中阿蘭若處，受下臥具少欲自居，屏棄人間專修寂靜。于時王舍城中并餘住處人皆普聞，執杖外道共打聖者大目乾連，遍身支節悉皆爛熟碎如搥𥯤。時舍利子自以衣裹，猶若孾兒持至竹園，僅有殘命極受苦痛不久將死。時有百千大眾總萃竹園，諸臣白王：「執杖外道共打聖者大目乾連，遍身支節碎如搥𥯤。時舍利子自以衣裹猶若孾兒持至園中，僅有殘命極受苦痛不久將死。」王既聞已深生痛惜，便與內宮太子宰相城內諸人，悉皆雲集詣竹園中，諸人見王即便開路，至尊者所涕淚橫流，猶如大樹崩倒于地，執足號啼悲哽言曰：「聖者！何因忽至於此？」答言：「大王！此是前身自作業熟，知欲如何？」王極瞋怒告大臣曰：「卿等即宜奔馳四散覓彼外道，若捉獲者置於空室以火焚燒。」尊者報曰：「大王！不應作如是事。我先作業猶如瀑流，注在於身非餘代受。」王報臣曰：「若如是者上命難違，若捉得時應令出國。」王又白言：「我之所有皆奉聖者隨意受用。」王言：「聖者！豈非大師聲聞眾中稱說尊者神通第一，何不飛騰遭斯苦痛？」答言：「大王！是大師說，然業力持，我於神字尚不能憶，況發通耶？如來大師不為二語，親說伽陀曰：

> その時、まだ聖なる道を得ていない比丘たちが、この出来事を見て深く憂い悲しみ、離脱の心を起こし、林の中の静かな場所へ行き、粗末な寝具で足りるとし、人里を離れて静寂に専念しました。 その頃、王舎城や他の場所に住む人々は皆、「執杖外道が聖者マハーモッガラーナを打ち、全身の節々が砕けて藁のようになった」という噂を聞きました。舎利子は自分の衣で彼を包み、まるで幼子のようにして竹林精舎に運びましたが、彼はわずかに息のある状態で、激しい苦痛を受け、もうすぐ死にそうでした。 その時、百千の人々が竹林精舎に集まりました。大臣たちは王に申し上げました。「執杖外道が聖者マハーモッガラーナを打ち、全身の節々が砕けて藁のようになりました。舎利子は自分の衣で彼を包み、まるで幼子のようにして精舎に運びましたが、彼はわずかに息のある状態で、激しい苦痛を受け、もうすぐ死にそうです。」 王はこれを聞いて深く痛み惜しみ、后宮や太子、宰相、そして城中の人々とともに、雲が集まるようにして竹林精舎に赴きました。人々は王を見て道を開け、尊者（マハーモッガラーナ）のもとに至ると、涙が滝のように流れ、大木が倒れるように地に伏して、その足を抱えて大声に泣き、喉を詰まらせながら言いました。「聖者よ！ どうしてこのようなことになったのですか？」 尊者は答えました。「大王よ、これは前世の自らの業が熟した結果です。どうしようもありません。」 王は非常に怒り、大臣たちに言いました。「卿たちはすぐに四方に走り、あの外道たちを探し出せ。もし捕まえたならば、空き部屋に入れて火で焼け。」 尊者は言いました。「大王よ、そのようなことをしてはなりません。私が先に作った業は、まるで滝のようなもので、私の身に注がれているのであり、他の者が代わりに受けるものではありません。」 王は大臣たちに言いました。「もしそうならば、王命に背くことはできない。捕まえたならば、国から追い出すように。」 王はまた尊者に申し上げました。「私の所有するものはすべて聖者に差し上げます。どうぞお好きにお使いください。」 王は言いました。「聖者よ、大師（仏陀）の声聞弟子の中で、尊者は神通第一と称えられていませんか。なぜ飛び去ってこの苦痛を受けなかったのですか？」 尊者は答えました。「大王よ、それは大師がおっしゃったことです。しかし業の力に縛られて、私は『神』という字さえ思い出せません。ましてや神通を発することなどできましょうか。如来大師は二言を言われません。親しく伽他（詩偈）を説かれました。」

「『假令經百劫， 所作業不亡；因緣會遇時， 果報還自受。』

> 『たとえ百劫の時を経ようとも、なした業は消え去ることはない。因と縁が巡り合う時、その報いは自らが受けることとなる。』

「我今受報，知更何言？」時未生怨王以衣掩淚命諸醫曰：「於七日中不令聖者遍身支節平復如故者，我當奪汝現在封祿。」復令大臣躬為瞻養，慇懃致敬禮尊者足奉辭而去。時大目連告舍利子曰：「具壽當知！願垂恩恕！願垂恩恕！我當涅槃。」舍利子聞而告曰：「我等二人俱求善法，同時出家，同證甘露，同歸圓寂。」舍利子言：「當如是作！」尊者馬勝聞大目連身遭苦楚，來至其所而申慰問，告言：「具壽當知：

> 私は今、報いを受けている。何を言うべきだろうか？」その時、未生怨王は衣で涙を拭い、医者たちに命じて言った。「七日間のうちに聖者の全身の節々が元通りに治らなければ、お前たちの現在の俸禄を奪うだろう。」さらに大臣に命じて自ら見舞い養わせ、丁寧に敬意を表して尊者（大目連）の足を礼拝し、辞去した。その時、大目連は舎利子に告げて言った。「具寿よ、知っておいてほしい。どうか恩恕を垂れてほしい。どうか恩恕を垂れてほしい。私は涅槃に入ろうと思う。」舎利子はこれを聞いて告げて言った。「我々二人はともに善法を求め、同時に出家し、同時に甘露を証得し、同時に円寂に帰するのだ。」舎利子は言った。「そのようにすべきであろう！」尊者馬勝は大目連が苦痛を受けているのを聞き、彼の所に来て見舞いを述べ、告げて言った。「具寿よ、知っておいてほしい：

「非山非海中， 無有地方所；亦不在空裏， 能避於先業。如影隨人去， 無有安住者；善惡業不亡， 無上尊所說。」

> 山にも海の中にも、逃れられる場所はない。 虚空の中にも、宿業を避ける場所はない。 影が人に寄り添うように、業は離れず、とどまることなく。 善悪の業は決して消えず、これは尊き師の教えである。

時大目連及舍利子，即禮尊者馬勝足已，右繞三匝白言：「阿遮利耶！

> その時、大目連と舎利子は、尊者馬勝の足元に礼拝し、右に三度回ってから申し上げました。「阿闍梨よ。」

「所作我已辦， 今是最後辭；當入無餘依， 清涼涅槃界。」

> 「成すべきことは全て成し終えた、　これが私の最後の言葉である。 まさに無余依の境地に入り、　清らかで涼しい涅槃の世界へ至るのだ。」

是時尊者馬勝告舍利子曰：

> そのとき、尊者マハーカーシャパ（マーシァ）は舎利子にこう告げました。

「汝所作事已成辦， 能隨善逝轉法輪；今者樂欲入涅槃， 世間法將燈明滅。」

> 「あなたの成すべきことは既に成し遂げられ、善逝（仏陀）に従って法の輪を転じられた。今、涅槃に入ることを望まれるならば、世の中の法（教え）の灯りが消えゆくことになるでしょう。」

彼醫人等既奉王命，共相議曰：「王出嚴勅，我欲如何？」一人告曰：「知何所為？聖者年尊被杖熟打，猶如搥𥯤如何可治？然此尊者有大悲力，我等歸命彼自垂恩。」諸人曰：「斯為善計。」即便共去詣尊者所，禮足而白：「大王有教總命醫人：『於七日中不令聖者遍身支節平復如故者，我當奪汝現在封祿。』然聖者年尊加斯苦害難可平復，唯願慈悲賜方便力，令我封祿不至削除。」時尊者報醫人曰：「若如是者汝去白王：『聖者目連滿七日已，入王舍城次行乞食。』」諸人喜辭，共詣王所而白王曰：「聖者！目連滿七日已，入王舍城次行乞食。」王聞歡喜：「若實如是，斯曰善哉！」滿七日已，以神通力息除苦痛入王舍城，次行乞食至大王宮門。門人見已入報王曰：「尊者大目連今在門首欲見大王。」王聞語已不勝喜躍，疾起敷座出至門首，見尊者五輪著地慇懃禮已，請尊者入就座而坐，白言：「聖者！尊體起居得平和不？」尊者答曰：「大王應聽！

> 医師たちは王命を受けると、互いに相談し合って言いました。「王が厳しいお達しを出された。どうしたらよいものか。」一人が言いました。「どうすることもできないでしょう。尊者は高齢で、激しい打撃を受けて傷ついておられる。まるで折れた葦のような状態で、どうして治せるでしょうか。しかし尊者には大きな慈悲の力がおありだ。我々が心からおすがりすれば、きっとお慈悲をかけてくださるでしょう。」皆が言いました。「それがよい考えだ。」そこで医師たちは一緒に尊者を訪ね、足に礼拝して申し上げました。「王が仰せには、すべての医師に命じて、『七日以内に聖者が全身の傷を元のように治さなければ、お前たちの現在の俸禄をすべて取り上げる』と。しかし尊者はご高齢で、これほどの苦しみを受けておられるので、回復は難しいかと存じます。どうかお慈悲をもって力をお貸しいただき、我々の俸禄が減らされないようお救いください。」尊者は医師たちに答えました。「それならば、あなたたちは王にこう伝えなさい。『聖者目連は七日が満ちた後、王舎城に入って托鉢に参ります』と。」医師たちは喜び、共に王のもとへ行き、こう申し上げました。「聖者目連は七日が満ちた後、王舎城に入って托鉢に参ります。」王はこれを聞いて大いに喜び、「もし本当ならば、それは素晴らしいことだ。」と言いました。七日が満ちると、目連尊者は神通力で苦痛を鎮め、王舎城に入って行乞し、大王の宮殿の門までやって来ました。門番はこれを見て中に入り、王に報告しました。「尊者大目連が今、門前にいて大王にお会いしたいと願っておられます。」王はこの言葉を聞くと、喜びのあまり堪えきれず、急いで立ち上がって座を整え、門前に出て尊者を見ると、五体を地に投げ打って丁寧に礼拝し、尊者を中にお迎えして座らせました。そして申し上げました。「聖者よ、お体の具合はいかがですか。ご快適にお過ごしですか。」尊者は答えました。「大王、お聞きください。」

「我今何用膿血身， 荷負眾苦無休息；今已除盡蚖蛇毒， 安隱當趣涅槃城。涅槃城中絕諸患， 緣生眾苦悉皆無；佛及聖眾在中居， 輪轉愚夫不能入。

> 「この身は膿や血でできたもの、 それなのに私は何のためにこれを使うのだろう。 数えきれない苦しみを背負い、休む間もない。 今や、毒蛇のような煩悩の毒はすっかり断ち切った。 安らかに、涅槃の城へと向かおう。 涅槃の城には、あらゆる苦しみがなく、 縁によって生じるさまざまな苦しみも、すべて存在しない。 仏と聖なる弟子たちはそこに住まわれるが、 迷いを繰り返す凡夫は、そこに入ることができない。

「大王當知！是我宿業必須受報，身如搥𥯤無可療治，假使古大醫王不能痊復。所有醫人願皆釋放。」王曰：「皆放醫人。」王聞是已涕淚交流起禮尊足，尊者告曰：「王勿放逸！」略說法已即辭而去。時舍利子入定觀察，以何意故具壽目連，雖遭此苦入城乞食？乃見將欲入於涅槃。尊者舍利子從見目連被打之後，心生悲戀遂嬰疾苦，作如是念：「具壽目連若涅槃者，我住何為？我今宜可先入圓寂。」作是念已至具壽阿難陀所辭別，廣如經說，次往世尊所頂禮佛足，在一面坐，白世尊言：

> 大王よ、知るがよい。これは我が過去の業による報いであり、必ず受けねばならない。我が身は、槌で打たれた葦のようなもので、治す術もない。たとえ昔の大医王であっても、癒やし得ないだろう。すべての医師たちを、どうか解放してほしい。」王は言った。「医師たちを皆、解放せよ。」王はこれを聞くと、涙を流して、尊者（目連）の足元に礼をした。尊者は告げた。「王よ、怠けてはなりません。」こう簡潔に法を説いて、尊者は立ち去った。 その時、舎利子は入定して観察した。「具寿目連は、この苦しみに遭いながら、なぜ城に入って乞食するのだろうか。」すると、目連がまさに涅槃に入ろうとしているのを見た。尊者舎利子は、目連が打たれたのを見てから、深い悲しみと執着の心を抱き、病に苦しむようになった。そしてこう思った。「具寿目連が涅槃に入るならば、私は何のために生きているのだろうか。今こそ先に涅槃に入るべきだ。」こう考えて、具寿阿難陀のところへ行き別れを告げた。詳しいことは経典に説かれている通りである。次に世尊のもとへ行き、仏の足を頭に頂いて礼をし、一方に坐って世尊に申し上げた。

「佛教我已持， 隨力為他說；聖眾已供侍， 於身無愛心。勉勵自事終， 已修涅槃行；身語意三業， 依正道無差。我於生不愛， 於死亦無憂；是故我涅槃， 更無過此樂。」

> 「私はすでに仏の教えを身につけ、 力の及ぶ限り人々に伝えてきました。 聖なる僧伽（さんが）にもお仕えし、 この身に対して執着の心はありません。 自らの努めを果たし終え、 すでに涅槃への道を歩んでまいりました。 身・口・意の三つの行いも、 正しい道に従って、少しの迷いもありません。 私は生を愛おしむこともなく、 死を憂えることもありません。 それゆえに私は涅槃に入りますが、 これより勝る喜びはありません。」

作是語已，佛告舍利子：「汝於如是殊勝法中，於後而來最初而去，有何意耶？」爾時舍利子合掌恭敬說伽他曰：

> このようにお釈迦様がお話しになると、仏様は舎利子に告げられました。「あなたはこのような素晴らしい教えにおいて、後から来て最初に去っていく。それはどのようなお考えがあるのか。」そのとき、舎利子は両手を合わせて敬い、偈を唱えました。

「不忍見佛入涅槃， 殊勝目連亦如是；如來法將今事了， 故我於先證圓寂。今啟大聖人中尊， 我今欲往本生處；為諸親族說法要， 當捨輪迴五蘊身。」

> 仏様が涅槃に入られるのを見るに忍びず、尊い目連もまた同じ心である。 如来の教えの大将も今その役目を終えたので、私は先に円寂（完全な悟り）を証しよう。 今、大聖なる人の中の尊い仏様に申し上げます。私はこれから生まれ故郷へ参り、 親族たちのために教えの要点を説き、やがて輪廻の五蘊の身を捨てるつもりでございます。

佛告舍利子：「汝欲涅槃？」白佛言：「世尊！我欲涅槃。」又問：「汝欲涅槃？」白佛言：「善逝！我欲涅槃。」又告舍利子：「若汝欲得入涅槃者，諸行無常是生滅法，隨汝所欲我更何言。」時舍利子最後禮佛合掌恭敬，右繞三匝奉辭而去。

> 仏は舎利子に告げられた。「あなたは涅槃を望むか？」舎利子は申し上げた。「世尊よ、私は涅槃を望みます。」再び問われた。「あなたは涅槃を望むか？」舎利子は申し上げた。「善逝よ、私は涅槃を望みます。」さらに仏は舎利子に告げられた。「もしあなたが涅槃に入ることを望むならば、あらゆる行は無常であり、これらは生滅の法である。あなたの望むままに、私がさらに何を言うことがありましょうか。」そのとき舎利子は最後に仏を礼拝し、合掌して恭しく敬意を表し、右に三度回ってから、辞去の挨拶を述べて立ち去った。

次至大目連處，白言：「具壽！我有重病，仁頗知不？我今欲往那羅陀聚落，於親族所為其說法，當趣涅槃。」答言：「具壽！隨意應作。我亦如是往林園聚落，為諸親眷說法要已，當入涅槃。」次至難陀、阿難陀、阿尼盧陀、頡離伐多、跋陀迦、羅怙羅等諸大聲聞，咸與辭別云：「欲涅槃。」時彼尊宿告言：「謹慎！」舍利子侍者準陀與苾芻眾詣那羅陀村在那爛陀寺東南二十餘里許，具壽羅怙羅亦與苾芻眾隨後而行。時舍利子便以愛語告羅怙羅曰：

> 次に大目連のもとへ赴き、こう告げた。「具寿よ、私は重い病にかかっております。あなたはご存知ですか。私は今、那羅陀の村へ行き、親族たちのために説法をして、涅槃に入ろうと思っております。」大目連は答えた。「具寿よ、お好きなようになさってください。私も同じように林園の村へ行き、親族たちに法の要を説いたのち、涅槃に入るつもりです。」次に難陀、阿難陀、阿尼盧陀、頡離伐多、跋陀迦、羅怙羅といった大いなる声聞たちのもとへ赴き、皆に別れを告げて、「涅槃に入ろうと思います」と伝えた。そのとき、年長者たちは「どうかお気をつけて」と告げた。舎利子の侍者である準陀は、苾芻の衆とともに那羅陀の村へ向かった<note>那爛陀寺の東南二十余里ほどのところにある</note>。具寿の羅怙羅もまた、苾芻の衆とともに後に従って行った。そのとき、舎利子はやさしい言葉で羅怙羅にこう語りかけた。

「若有志求於解脫， 當知一切悉無常；世間無有可愛事， 決定應觀莫放逸。形命無常無有樂， 猶如畫水不暫停；了知一切皆如夢， 危生同聚亦如是。敬佛敬法供養僧， 佛正法藏為依止；汝羅怙羅如我囑， 於耆宿者應親近。三藏教中有疑處， 除我更無能答者！若有宜應問世尊， 為汝解疑宣實義。」

> もし解脱を志す者があるならば、すべては無常であると知るべきである。 世の中に愛すべきものなど何ひとつなく、かならず無常を観じて怠ってはならない。 形も命も無常であり、楽はない。ちょうど水の上に描いた絵が一瞬もとどまらないようなものである。 すべては夢のようであると知りなさい。はかない命もまた、同じように儚いものである。 仏を敬い、法を敬い、僧を供養しなさい。仏の正しい法の宝をよりどころとしなさい。 ラーフラよ、あなたにわたしが告げるように、年長者には親しみ近づきなさい。 三蔵の教えの中に疑いのあるところがあれば、わたしのほかに答えられる者はない。 もしあるならば、世尊に問うがよい。あなたのために疑いを解き、真実の意味を説いてくださるであろう。

具壽羅怙羅答曰：

> 具寿羅怙羅がお答えになりました。

「我觀是次第， 佛亦不久滅；如樹燒四枝， 其身寧久住？」

> 我はこの次第を観るに、仏もまた久しからずして滅びたまう。たとえ火に焼かれた四本の枝を持つ木のように、その身はどうして長く留まることがあろうか。

時羅怙羅禮舍利子足右繞三匝，了知諸行皆悉無常即便迴去。尊者舍利子將求寂準陀以為侍者，於摩揭陀國人間遊行，漸至那羅陀村北升攝波林依止而住，為諸親屬演說法要，令住三歸受五學處。聞舍利子將欲涅槃，時有無量百千眾生悉皆雲集，尊者觀察如是人眾堪應受化，順其根性方便說法，開示勸導讚勵慶喜，令彼眾生或得煖法，或得頂、忍、世間第一，或得預流、一來、不還，或復出家得應供果，或植無上菩提種子、或植獨覺聲聞種子。是時尊者濟度親屬，及諸大眾生淨信已，於日初分，上昇虛空放大光明現諸神變，入無餘依妙涅槃界。當圓寂時大地震動，四方焰起流星墮落，於虛空中天鼓發響。諸苾芻眾或在北俱盧東西二洲，或居妙高餘七山處，雪香山等諸崖坎窟江河之側，隨處禪修受解脫樂。時彼諸人見地動已便作是念：「何意大地忽然震動？」斂念觀察，見其親教已入涅槃，皆作是念：「我今不應無親教師於贍部洲安隱而住。」作是念已，尊者弟子有八萬阿羅漢，同時皆悉入般涅槃。

> 時に羅怙羅は舎利子の足に礼をし、右に三度繞って、諸行がすべて無常であることを了知して、ただちにその場を去った。尊者舎利子は求寂の準陀を侍者として連れ、摩揭陀国を遊行し、やがて那羅陀村の北にある升攝波林に至り、そこに依止して住み、親族の者たちのために法要を説き、三歸に住せしめ、五學處を受けさせた。舎利子がまさに涅槃に入ろうとしているのを聞いて、無量の百千の衆生がことごとく雲集した。尊者はこれらの人々が教化を受けるにふさわしいと観察し、その根性に応じて方便をもって説法し、開示・勧導・讚勵・慶喜し、彼らのうちある者は煖法を得、ある者は頂、忍、世間第一を得、ある者は預流、一來、不還を得、ある者は出家して應供果を得、ある者は無上菩提の種子を植え、ある者は獨覺・聲聞の種子を植えた。尊者は親族や大衆を済度して清らかな信を生じさせると、日の初分に虚空に上昇し、大光明を放ち、諸々の神變を示し、無餘依の妙涅槃界に入った。圓寂の時、大地は震動し、四方に焰が起こり、流星が墮ち、虚空中に天鼓が響いた。諸々の苾芻たちは、あるいは北倶盧洲や東西の二洲にあり、あるいは妙高山やその他の七山の處にあり、雪山や香山などの崖・坎・窟・河のほとりにいて、隨處に禅修し解脫の樂を受けていた。彼らは地動を見て思う、「どうして大地が忽然と動いたのか」と。念を斂めて観察すると、その親教がすでに涅槃に入ったのを見て、皆こう思った、「わたしは今、親教師なしに贍部洲に安穩に住すべきではない」と。こう思うや否や、尊者の弟子である八萬の阿羅漢が、同時にすべて般涅槃に入った。

爾時大目乾連於日初分執持衣鉢，以神通力支持身體，入王舍城次第乞食，還至本處飯食訖，收衣鉢洗足已，詣世尊所禮雙足已，白世尊言

> その時、大目乾連（だいもくけんれん）は、日の初めの頃に衣と鉢を持ち、神通力で身体を支えながら、王舎城（おうしゃじょう）に入って順に托鉢（たくはつ）しました。そして元の場所に戻って食事を終え、衣と鉢を片付け、足を洗ってから、世尊（せそん）のところに赴き、両足に礼拝して、世尊にこう申し上げました。

「此身皆是膿血聚， 無堅危脆常動搖；猶如毒餅我捨除， 唯願大師哀愍恕。」

> この身はすべて膿や血の塊であり、堅くなく、危うく脆く、常に揺れ動くものです。それは毒を混ぜた餅のようなものなので、私はこれを捨て去ります。どうか大師よ、哀れみをもってお許しください。

又說頌曰：

> また、この偈（うた）が説かれました。

「我今無有債， 意將為滿足，生死海無邊， 離怖昇彼岸。我伴舍利子， 大智已圓寂，我今隨後去， 唯願大雄知。」

> 私は今、借りもなく、満ち足りた心でいる。 生と死の海は果てしないが、恐れを離れて彼岸に昇る。 私の友である舎利子は、大いなる智慧のもとで悟りを開き、すでにこの世を去った。 私は今、その後に従って行く。ただ、慈悲深き方よ、どうかお知りください。

佛告目連：「汝欲涅槃？」白佛言：「世尊！我欲涅槃。」又問：「汝欲涅槃？」白佛言：「善逝！我欲涅槃。」又問：「若汝欲得入涅槃者，諸行無常是生滅法，隨汝所欲我更何言。」時大目連最後禮佛合掌恭敬，右繞三匝奉辭而去。時大目連往林園村，為諸親族說法要已，廣如前說，為受歸戒發心獲果者其數無量。尊者遂於晡時入般涅槃，所有弟子七萬七千阿羅漢，同時皆悉入于涅槃。時二聖者涅槃之後，所有親屬婆羅門居士等，取其身骨造窣覩波營造，諸人皆作生天解脫勝妙之業。

> 仏は目連に告げられた。「お前は涅槃に入りたいのか。」目連は仏に申し上げた。「世尊よ、私は涅槃に入りたいと思います。」仏はまた問われた。「お前は涅槃に入りたいのか。」目連は申し上げた。「善逝よ、私は涅槃に入りたいと思います。」仏は再び問われた。「もしお前が涅槃に入ろうと望むならば、諸行は無常であり、これこそが生滅の法である。お前の望むままにせよ。私がさらに何を言うことがあろうか。」その時、大目連は最後に仏に礼拝し、合掌して恭敬し、右に三度巡ってから辞去した。その時、大目連は林園村へ向かい、親族たちのために法の要を説いた。広く先に述べた通りであり、帰依と戒を受け、心を発して果を得た者たちの数は限りなく多かった。尊者はついに晩の時に般涅槃に入った。その弟子たち七万七千人の阿羅漢も、同時に皆涅槃に入った。二人の聖者が涅槃に入った後、親族やバラモン、居士たちはその遺骨を取り、ストゥーパを造って安置し、人々は皆、天に生まれ、解脱するという優れた善い業を積んだのである。

時具壽阿難陀及羅怙羅，聞舍利子并大目連入涅槃已悲泣盈目，往詣佛所禮佛足已俱立一面，具壽阿難陀白佛言：「世尊！

> その時、尊い阿難陀と羅怙羅は、舎利子と大目連が涅槃に入られたと聞いて、涙を流しながら悲しみました。二人は仏のもとへ赴き、仏の足に礼拝してから、片隅に立っていました。そこで尊い阿難陀が仏に申し上げました。「世尊よ、」

「我聞身子目連滅， 周遍身心皆動搖；目視諸方悉暗冥， 假使聞法心迷亂。」

> 「私は聞きました——舍利弗と目連が滅せられたと。 その知らせに、わが全身の心は揺れ動きました。 見渡す限りのすべては暗く霞み、 たとえ法を聞いても、心は乱れるばかりです。」

爾時世尊告彼二人曰：

> その時、世尊はその二人にこうおっしゃいました。

「汝等勿生惱， 恩愛皆離別；先為汝等說， 是故莫憂悲。生者不免死， 世界無常定；輪迴五趣中， 終無得存者。」

> 「あなたたちは悩み苦しむことはありません。愛する者との別れは、すべて避けられないのです。このことをあなたたちに伝えておいたのですから、悲しみ嘆くことはありません。生まれた者は死を免れることができず、この世は無常で定まったものはありません。輪廻の五つの世界を巡る中で、永遠に留まる者など誰もいないのです。」

時求寂準陀為鄔波馱耶焚燒供養已，取遺骨舍利并持衣鉢詣王舍城。既至住處，置衣鉢洗足已，至具壽阿難陀所，頂禮足已在一面坐，白言：「大德知不？我鄔波馱耶大德舍利子已入涅槃，此是遺身并三衣鉢。」時阿難陀即將準陀往詣佛所頂禮佛足，在一面坐白世尊言：

> その時、修行者チュンダは師のために遺体を焼き供養した後、遺骨の舎利と衣鉢を携えて王舎城へ向かった。到着すると、住処に衣鉢を置き、足を洗ってから、尊者アーナンダのところへ行き、足に礼拝して一方に座り、こう告げた。「尊者よ、ご存知ですか。私の師である尊者シャーリプトラは既に涅槃に入られました。これは遺体と三衣鉢です。」するとアーナンダはチュンダを連れて仏のもとへ赴き、仏の足に礼拝して一方に座り、世尊にこう申し上げた。

「我聞身子滅， 形體若癡人；不辯於方隅， 聞法心無解。

> 私は聞きました、舎利弗（しゃりほつ）が滅されたと、 その姿はあたかも愚かな人のようでありました。 方角さえも見分けられず、 法を聞いても心に理解が生まれませんでした。

「今求寂準陀來詣我所作如是言：『大德知不？我鄔波馱耶大德舍利子已入涅槃，我已焚燒供養取遺身舍利，并持衣鉢並皆至此。』今欲如何？」佛告阿難陀：「舍利子苾芻將諸戒蘊入涅槃耶？」「不爾。世尊！」「將諸定蘊、慧蘊、解脫蘊、解脫智見蘊入涅槃耶？」「不爾。世尊！」「又我自覺所說之法，謂四念住、四正勤、四神足、五根、五力、七覺分、八聖道，携持此法入涅槃耶？」「不爾。世尊！具壽舍利子不將如是無漏法蘊及三十七菩提分法入於涅槃。然具壽舍利子具戒多聞少欲知足，樂寂靜行常有勤勇，正念現前有正知慧、速疾慧、出離慧、趣入慧、大利慧、寬廣慧、甚深慧、無等慧、空慧具足，開示勸導讚勵慶喜，聞悉解了，處眾宣揚情無怯弱。然我與舍利子於佛法中同共受用，今既涅槃，由斯憶念令我憂愁悲啼不樂。」佛告阿難陀：「汝勿憂愁悲啼不樂，無容得有如斯道理，從緣生法欲令常住者，無有是處。既知諸法性常滅壞，不應憂慼。阿難陀！我先曾於處處宣說，一切恩愛歡樂之事，悉皆無常終歸離別。譬如大樹植根深固，莖幹枝條花果繁實悉皆充滿，枝聳出者必先摧折；如大寶山峯高峻者必先墮落。今亦如是，佛為上首苾芻僧伽現住於世，而舍利子先般涅槃。又阿難陀！若舍利子所去之處，於彼方隅名稱充滿我無憂慮。是故汝今勿生憂念，世相如是終歸離別。若我現在或復去世，如是應知：自為洲渚、自為救護，法為洲渚、法為救護，無別洲渚無別歸依。又阿難陀！汝可自為洲渚乃至無別歸依，然於我法弟子之中，能持戒者則為第一。云何苾芻自為洲渚、自為救護，法為洲渚、法為救護，無別洲渚無別歸依？若有苾芻觀於內身勤行正念，知諸世間瞋恚憂愁妄生煩惱，或於外身或於內身或內外身，如是廣說，觀受、心、法勤行正念，知諸世間瞋恚憂愁妄生煩惱，如是名為自為洲渚乃至無別歸依。」時阿難陀聞佛說已，頂禮佛足退辭而去。

> さて、修行者のジュンダが私のもとに来て、こう言いました。「尊者よ、ご存知ですか。私の師匠である尊者シャーリプトラはすでに涅槃に入られました。私は荼毘に付し、遺骨の舎利と衣鉢を携えて、ここに参りました。」さて、どのようにいたしましょうか。」 仏はアーナンダに告げられました。「シャーリプトラは、戒の集まり（戒蘊）を携えて涅槃に入ったのか。」 「いいえ、世尊よ。」 「定の集まり、慧の集まり、解脱の集まり、解脱知見の集まりを携えて涅槃に入ったのか。」 「いいえ、世尊よ。」 「また、私が自ら覚り、説いた法、すなわち四念住、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八正道を携えて涅槃に入ったのか。」 「いいえ、世尊よ。尊者シャーリプトラは、このような無漏の法の集まりや三十七菩提分法を携えて涅槃に入られたのではありません。しかし、尊者シャーリプトラは、戒を具え、多く聞き、欲が少なく足ることを知り、寂静を楽しみ、常に勇猛精進し、正念を現前させ、正知の慧、速やかな慧、出離の慧、趣入の慧、大いなる利の慧、広大な慧、甚深の慧、無等の慧、空の慧を具え、人々を開示し、勧め、励まし、喜ばせ、聞けばすべて理解し、大衆の中で宣揚しても怯むことがありませんでした。しかし、私とシャーリプトラは仏法の中で共に享受してきました。今、彼が涅槃に入られたので、そのことを思い、私は憂い悲しみ、泣き叫び、喜べないのです。」 仏はアーナンダに告げられました。「あなたは憂い悲しみ、泣き叫び、喜ばないでください。このような道理はありえません。縁によって生じた法が常住であることを望むことは、ありえないことです。諸法の性が常に滅び壊れるものであると知ったなら、憂い悲しむべきではありません。アーナンダよ、私は以前からあちこちで説いてきました。すべての恩愛や歓楽の事柄は、すべて無常であり、ついには別離に帰するのだと。たとえば、大きな木が深く根を張り、幹や枝葉や花果が繁り実っているとしても、高く聳え出た枝は必ず先に折れます。大きな宝山でも、高く峻険な峰は必ず先に崩れ落ちます。今もまた同じです。仏を上首とする比丘の僧伽が世に現存しているのに、シャーリプトラが先に涅槃に入りました。また、アーナンダよ、シャーリプトラが赴いた場所には、その方角に彼の名称が満ちています。私は憂えることはありません。ゆえに、あなたも今、憂いの念を起こさないでください。世の相はこのようなもので、ついには別離に帰するのです。私が今いようと、あるいは後にお世を去ろうと、このように知るべきです。自らを島とし、自らをよりどころとし、法を島とし、法をよりどころとせよ。他の島も、他のよりどころもないのだと。また、アーナンダよ、あなたは自らを島とし、自らをよりどころとし、法を島とし、法をよりどころとし、他の島も他のよりどころもないとせよ。しかし、私の法の弟子たちの中で、戒を保つことができる者が第一である。どのように比丘が、自らを島とし、自らをよりどころとし、法を島とし、法をよりどころとし、他の島も他のよりどころもないとするのか。もし比丘が、内身を観察して精進し正念を行じ、世間の瞋恚や憂愁が妄りに煩悩を生じることを知るならば、あるいは外身、あるいは内外身についても同様に広く説く。また、受・心・法を観察して精進し正念を行じ、世間の瞋恚や憂愁が妄りに煩悩を生じることを知るならば、これを、自らを島とし、自らをよりどころとし、法を島とし、法をよりどころとし、他の島も他のよりどころもない、と名付けるのです。」 その時、アーナンダは仏の説法を聞き終えると、仏の足に頭を付けて礼拝し、退いて去っていきました。

時諸苾芻咸皆有疑，請世尊曰：「聖者！目連曾作何業，被諸外道粉碎其身？」世尊告曰：「汝等苾芻！大目乾連自所作業，無人代受，乃至廣說。乃往古昔於一城處，有一婆羅門妻誕一男，年既長大為其娶婦，兒於婦處極生愛戀，母瞋新婦，兒懷忿心，於其母處不為敬重，母責子曰：『汝愛其婦與我相違。』婦聞是語遂生惡念：『此之老母年過容華，於己婿邊未能暫離，而更於我夫主強說過非。』從是已後常求母過。後於異時婦見姑嫜作私隱事，遂告其夫共生瞋忿，子告婦曰：『愚癡老耄尚不息心，於我少年強生言責。』遂起惡心作磣害語：『如何得有勇力之人，打彼身形碎如搥葦。』汝等苾芻勿生異念，往時婆羅門子即大目連，由於父母發生惡念作無義言，於五百生中身常被打碎如搥葦，乃至今日最後生身，於我弟子聲聞眾中神通第一，尚受斯報。是故汝等當知：先所作業必須自受，無人代當，乃至廣說如是應學。」諸苾芻眾聞已奉行。

> その時、多くの比丘たちは皆、疑問を抱いて世尊に尋ねました。「聖者よ、目連はかつてどのような業を為したので、諸々の外道にその身を粉々に打ち砕かれたのですか？」 世尊はお告げになりました。「汝ら比丘よ、大目乾連が為した業は、自らが受けるものであり、誰かが代わりに受けることはない。乃至、広く説けば、その通りである。 遠い昔、ある城市に一人の婆羅門がいた。その妻が男の子を産み、成長すると妻を娶った。その息子は妻に対して非常に愛情を深く抱き、母が嫁を憎んだことで、息子は憤りの心を抱き、母に対して敬意を払わなかった。 母は子を責めて言った。『お前は妻を愛し、私に背こうとしている。』 その言葉を聞いた嫁は邪悪な念を抱いた。『この老母は、年を取って容色も衰えたのに、自分の夫からも離れようとせず、それでいて私の夫に対して余計な非難を強いている。』その後、嫁は常に姑の過ちを探し求めた。 後にある時、嫁は姑が密かなことをしているのを見つけ、夫に告げて共に怒りを起こした。息子は嫁に言った。『愚かで年老いた者は、まだ心を休めることを知らず、若い私に無理に言葉で責め立てる。』 そこで悪心を起こし、過激な害意のある言葉を発した。『どうにかして勇力のある者がいて、彼女の体を葦を搗くように粉々に打ち砕いてくれればよいのに。』 汝ら比丘よ、異なった思いを持つな。かつての婆羅門の息子こそ、すなわち大目連である。父母に対して悪念を起こし、道理に反した言葉を発したことにより、五百生の間、その身は常に葦を搗くように打ち砕かれ、乃至、今日の最後の生において、我が弟子である声聞衆の中で神通第一と称されながらも、なおこの報いを受けたのである。 それゆえ、汝らは知るべきである。先に為した業は必ず自らが受け、誰も代わりに受ける者はいない。乃至、広く説けば、その通りである。このように学ぶべきである。」 比丘たちはこの教えを聞いて、皆、その通りに実践した。

時諸苾芻復請佛言：「由何緣故，諸外道等不打舍利子而害目連？」佛告苾芻：「非但今日放一打一，過去亦爾。汝等應聽！乃往古昔於一村邊有多童子，群聚遊戲，見二摩納婆隨路而來，遂相告曰：『我今打此二人。』又共議曰：『無宜即打，且可問之。若可意者我不行杖，如不可意方可打之。』一人問曰：『何時有寒？』一摩納婆念曰：『何意相問？』看其形勢擬欲相打，即便答曰：

> 時に、比丘たちは再び仏に問うて言った。「どのような因縁によって、外道たちは舎利子を打たずに、目連のみを害したのでしょうか。」 仏は比丘たちに告げた。「ただ今日だけでなく、過去にも一方を放ち一方を打つことがあった。あなたたちは聴きなさい。昔、ある村の辺りに大勢の童子がいて、群れ集まって遊んでいた。二人の行者が道を辿って来るのを見て、互いに告げて言った。『私はこの二人を打とう。』また共に議して言った。『すぐに打つのはよくない。まず彼らに問うべきだ。もし意にかなえば杖を振るわず、もし意にかなわなければ打つのだ。』一人が問うた。『いつ寒さがあるのか。』一人の行者は思った。『どうして問うのか。』その様子を見ると、打とうとしているようだ。そこで即座に答えた。

「『不問冬夏時， 但令有風起；風生寒即有， 無風寒定無。』

> 「季節が冬であろうと夏であろうと、風が立たなければ意味がない。風が吹けば寒さが生じるが、風がなければ寒さも決してない。」

「童子聞言，遂便放去。次問第二者，彼便報曰：

> 童子はその言葉を聞いて、すぐに彼を放してやった。次に二人目の者に尋ねると、その者はこう答えた。

「『冬月定有寒， 夏時寒不有；此事人皆識， 無智共生疑。』

> 「冬の月には必ず寒さがある、夏の時期には寒さはない。このことは誰もが知っているのに、無知な者だけが一緒になって疑いを抱くのだ。」

「時諸童子聞已瞋嫌，熟打而去。汝等苾芻！往時放去者即舍利子是，其被打者即大目連，今時亦爾。」

> その時、子どもたちはこれを聞いて怒り、飽き飽きして彼を殴りつけて立ち去りました。あなたがた、比丘たちよ、かつて放してやった者こそが舎利子であり、殴られた者こそが大目連である。今もまた同じことが起こるだろう。」

時諸苾芻復更有疑，請世尊曰：「希有大德！具壽阿難陀生大憂惱，世尊大慈能為開解。」佛告諸苾芻：「我今開解慶喜憂懷，未成希有，我於往昔已為慶喜除其憂慼。汝等應聽！過去世時，迦尸國婆羅痆斯城，王名梵授，乃至廣說，豐樂安隱，其王有子名曰善生。善生有子顏貌端正，宗親聚會乞與立名，諸人議曰：『此是迦尸國王之孫，應名迦尸孫陀羅。』後於異時善生王子忽然命過，時梵授王憐愛子故，兩手抱屍悲啼號哭，搥胸大喚憂懷悶絕。時迦尸孫陀羅有方便智，作如是念：『大王憂惱或致身亡，我今宜可為解憂結。』即詣王所禮足白言：『大王！我有所欲。』王曰：『汝欲何物？』答曰：『與我造車，用日月為輪，裝挍精妙可疾將來，若不與者至第七日，我胸當破而取命終。』王聞是以更增憂懼，告其子曰：

> そこで多くの比丘たちはさらに疑問を抱き、世尊に尋ねました。「尊い方よ、実に不思議です。具寿アーナンダは大いなる憂い悩みを生じましたが、世尊の大いなる慈悲によって、よく解きほぐしてくださいました。」仏は比丘たちに告げられました。「私が今アーナンダの憂いの心を開き解いたことは、未だ希有とは言えない。私は過去世においても、すでにアーナンダの憂い苦しみを取り除いたことがある。お前たちはよく聞きなさい。過去世において、カーシ国バーラーナシー城の王、名を梵授といった。彼の国は豊かで安らかであり、その王には善生という王子がいた。善生には顔立ちが端正な子がおり、親族が集まって名前を付けようとした。人々は議って言った。『これはカーシ国王の孫であるから、カーシ・スンダラと名付けるべきだ。』その後、ある時、善生王子が突然命を終えた。梵授王は子を愛するあまり、両手で遺体を抱き、悲しみのあまり号泣し、胸を打ち叩いて大いに叫び、憂いのあまり気を失った。その時、カーシ・スンダラは方便の智恵があり、こう思った。『大王の憂い悩みは、あるいは身の破滅に至るかもしれない。私は今こそその憂いの結び目を解くべきだ。』そこで王のもとに行き、足に礼拝して申し上げた。『大王よ、私には欲しいものがあります。』王が言った。『お前は何を欲するのか。』答えていうには、『私のために車を作ってください。日月を車輪とし、精巧に飾り付けて、速やかに持ってきてください。もし与えないならば、七日目には私の胸は破れて命を終えるでしょう。』王はこれを聞いて、ますます憂い恐れを増し、その子に告げた。

「『誰作斯無益， 是愚者所言；定知我不能， 強欲令求覓。』

> 「これはいったい誰が言ったのか、実に無益なことだ。これは愚か者の言葉に過ぎない。自分にはできないと分かっているのに、無理に求めさせようとするなど。」

「其子白言：

> その子が言いました。

「『大王我非愚， 國主是愚者；抱此臭屍肉， 喚子苦悲號。日月纔出時， 普照於人世；能除四方闇， 開發大光明。父王今不知， 子去生他趣；地獄傍生鬼， 人天異道中。非處勿攀緣， 人王善思察；慇懃須定意， 唯法可歸依。』王聞童子語， 身心皆欣躍；拔除憂毒箭， 便棄子屍骸。

> 「大王よ、私は愚かではありません。愚かなのは国王であるあなたの方です。 この臭き屍肉を抱きしめて、子を呼びながら苦しみ悲しんで泣き叫ばれる。 太陽と月が昇れば、世の中を照らし、四方の闇を除き、大きな光明を開くものです。 父王はまだご存じありません—子はすでに去って、他の生まれに赴いたことを。地獄、畜生、餓鬼、人間、天人の様々な道へ。 そうでない場所に執着してはなりません。人王よ、よく考えなさい。心を定めて、ただ法のみを拠り所としなさい。」 王は童子の言葉を聞いて、心身ともに喜び踊り、憂いの毒矢を抜き去り、子の屍骸を捨てたのであった。

「汝等苾芻勿生異念，往時迦尸孫陀羅者即我身是，善生者即舍利子是，其梵授王即阿難陀是。」即說頌曰：

> 「あなたがた比丘たちよ、どうか疑いの心を起こさないでください。かつての迦尸孫陀羅とは、すなわち私自身のことであり、善生とは、すなわち舎利子のことである。そして、梵授王とは、すなわち阿難陀のことである。」そして、次の偈を説かれた。

「王子即我身， 我父舍利子；阿難陀梵授， 往昔事應知。」

> 「王子は私自身であり、私の父は舎利子； 阿難陀梵授、昔の出来事を知るべきである。」

爾時世尊出王舍城，往憍薩羅國，人間遊行至室羅伐城給孤獨園。時具壽阿難陀於舍利子遺身之骨香花供養，給孤長者聞舍利子已入涅槃，有遺身骨具壽阿難陀親為供養。便詣其所禮雙足已，白言：「聖者！知不？尊者舍利子今已涅槃，彼即是我先所尊重，長時日夜敬仰彌深，仁將彼骨隨處供養。我亦有心欲申供養，惟願見與。」報言：「長者！我亦如是，先所尊敬，無由相與。」廣說乃至給孤長者往詣佛所，白言：「世尊！惟願慈愍，與我具壽舍利子遺身之骨，欲申供養。」佛告阿難陀：「汝於同梵行者供養遺骨，於如來所未為供養，未是報恩。於如是事若能作者，是於如來真為供養是大報恩，所謂能與他人出家及受近圓，或與依止教其讀誦，策勵禪思專求出道勿令虛度。何以故？阿難陀！如來世尊於三無數大劫之中，為諸有情備受無量百千萬種難行苦行，方證無上正等菩提。阿難陀！由依止我為善知識故，令諸有情於生老病死憂悲苦惱皆得解脫。是故汝今應與長者遺身之骨令其供養。」時阿難陀蒙佛教已，即持身骨授與長者。何故阿難陀不違佛教？如佛昔時行菩薩道，於父母師長尊重之處，所有言教曾無違逆，今有言教無敢違者。是時長者得身骨已禮佛而去，持歸本宅置高顯處，與其居家并諸眷屬，咸以所有香華妙物具申供養。時此城內人眾，共聞尊者舍利子於摩伽陀國那羅聚落已般涅槃；所有身骨，求寂準陀持付阿難陀；尊者阿難陀持來至此，佛令授與給孤長者，持歸宅內共申供養。時勝光王及勝鬘夫人行雨夫人，并諸長者鄔波索迦、毘舍佉鄔波斯迦及餘人眾，咸持香花奇妙供具，詣長者宅俱申供養，或有曾因舍利子故得證道者，追念昔恩亦來供養。

> その時、世尊は王舎城を出発し、憍薩羅国へ向かわれました。人々の間を巡錫され、室羅伐城の給孤独園に到着されました。 その時、具寿阿難陀は舎利子の遺骨を香や花で供養しておられました。給孤独長者は、舎利子がすでに涅槃に入られたこと、そしてその遺骨を具寿阿難陀が自ら供養しておられることを聞きました。そこで長者は阿難陀のもとを訪れ、両足に礼拝してから申し上げました。 「聖者よ、ご存知ですか。尊者の舎利子は今、涅槃に入られました。彼は私が以前から敬い、長い間、昼夜を問わず深く尊敬してまいりました方です。あなたがその遺骨をどこでも供養しておられますが、私もまた供養の心がございます。どうか、その遺骨をお分けください。」 阿難陀は答えました。「長者よ、私も同じく、以前から尊敬してまいりました方です。お分けすることはできません。」 このようにして、最終的に給孤独長者は仏のもとを訪れ、こう申し上げました。「世尊よ、どうか慈しみをもって、私に具寿舎利子の遺骨をお与えください。供養したいのです。」 そこで仏は阿難陀に告げられました。「あなたが同じ梵行を修める者のために遺骨を供養しても、如来に対して供養したことにはならず、恩返しにもならない。しかし、あることを行うならば、それこそが如来に対する真の供養であり、大きな恩返しとなるのだ。それは、他人に出家を許し、具足戒を受けさせ、依止師となって教えを読み誦させ、禅思を励まし、専ら解脱の道を求めて、無駄に日々を過ごさせないことである。 なぜか。阿難陀よ、如来世尊は三つの无数劫の長い間、すべての有情のために無量の百千種の難行苦行を受けられ、ついに無上の正等菩提を証得された。阿難陀よ、私に依止して善知識とすることによって、すべての有情は生・老・病・死の憂い悲しみ苦しみ煩いから解脱できるのである。 それゆえ、あなたは今、長者に遺骨を与えて供養させなさい。」 阿難陀は仏の教えを受けると、すぐに遺骨を長者に渡しました。なぜ阿難陀は仏の教えに背かなかったのでしょうか。かつて仏が菩薩の道を行じておられた時、父母や師長など尊重すべき方々の教えに一度も背いたことがなく、今もその教えを畏れて背く者がなかったからです。 長者は遺骨を受け取ると、仏に礼拝して去り、自宅に持ち帰って高い清らかな場所に安置し、家族や親族とともに、すべての香や花や素晴らしい供物を捧げて供養しました。 その時、この城内の人々は、尊者舎利子が摩伽陀国の那羅聚落で涅槃に入られたこと、そしてその遺骨を求寂準陀が阿難陀に渡し、尊者阿難陀がここに持ち来たり、仏が給孤独長者に授けて、長者が自宅で供養していることを聞きました。 そこで勝光王、勝鬘夫人、行雨夫人、そして多くの長者たち、優婆塞たち、毘舎佉優婆夷、その他の人々も、皆それぞれ香や花や素晴らしい供物を持って長者の家を訪れ、共に供養しました。また、かつて舎利子の教えによって悟りを得た人々も、昔の恩を偲んで供養にやって来ました。

後於異時給孤長者，有緣須出鎖門而去，時諸大眾咸持供養來至門所，見其門閉共起譏嫌：「長者何因障生福路？」長者迴還，家人告曰：「多有人來欲申供養，見門鎖閉咸起譏嫌，云障福業。」長者聞已便作是念：「此即是緣，可往白佛。」禮佛足已在一面坐，白言：「世尊！多有人眾，於尊者舍利子遺身舍利情生敬重，持諸妙物各申供養來至我宅。我有他緣鎖門而去，諸人來見共起嫌言：『長者閉門障我福路。』若佛聽者，我今欲於顯敞之處以尊者骨起窣覩波，得使眾人隨情供養。」佛言：「長者！隨意當作。」長者便念：「云何而作？」佛言：「應可用甎兩重作基，次安塔身上安覆鉢，隨意高下上置平頭，高一二尺、方二三尺，準量大小中竪輪竿、次著相輪。其相輪重數，或一、二、三、四乃至十三，次安寶瓶。」長者自念：「唯舍利子得作如此窣覩波耶？為餘亦得？」即往白佛，佛告長者：「若為如來造窣覩波者，應可如前具足而作。若為獨覺勿安寶瓶，若阿羅漢相輪四重，不還至三、一來應二、預流應一，凡夫善人但可平頭無有輪蓋。」如世尊說如是應作，苾芻不知若為安置？佛言：「如世尊住法處中應安大師制底，諸大聲聞應在兩邊，餘尊宿類隨大小安置。凡夫善人應在寺外。」長者既為造窣覩波已，白佛言：「若聽許者，我為尊者舍利子慶窣覩波設大施會。」佛言：「隨作。」

> その後、ある時、給孤独長者が用事があって門に鍵をかけて出かけなければならないことがありました。その時、大勢の人々が供養の品々を持って長者の家の門までやって来ましたが、門が閉まっているのを見て、皆そろって非難しました。「長者はどういう理由で福徳を積む道を妨げるのか」と。 長者が戻ってくると、家人が告げました。「大勢の人が供養をしたいと言ってやって来ましたが、門が鍵で閉まっているのを見て、皆そろって非難し、『福業を妨げている』と言いました。」 長者はこれを聞いて考えました。「これは因縁である。仏様に伺いを立てに行こう。」そして仏様の足に礼拝し、片隅に座って申し上げました。「世尊よ、大勢の人々が尊者舎利子の遺舎利に対して深い敬愛の心を抱き、様々な供養の品を持って私の家に供養にやって来ます。私は他用があって門に鍵をかけて出かけましたが、人々が来て見ると、皆そろって非難して言います。『長者は門を閉ざして私達の福徳を積む道を妨げている』と。もし仏様がお許しになるならば、私は今、見晴らしの良い場所に尊者（舎利子）の遺骨を安置する卒塔婆（ストゥーパ）を建て、人々が思いのままに供養できるようにしたいと思います。」 仏様は言われました。「長者よ、お好きなように作りなさい。」 長者は考えました。「どのように作ればよいのだろうか。」 仏様は言われました。「煉瓦を二重に積んで基盤とし、次に塔身を置き、その上に覆鉢（仏塔の上部の覆い）を載せなさい。高さはお好みで、その上に平頭（塔の最上部の平らな部分）を置きなさい。高さは一、二尺、幅は二、三尺。大きさに合わせて、中央に輪竿（相輪を通す柱）を立て、次に相輪（塔の頂部にある輪）を付けなさい。相輪の重ねの数は、一、二、三、四、あるいは十三までとしなさい。次に宝瓶（宝瓶形の装飾）を置きなさい。」 長者は心の中で思いました。「舎利子尊者だけがこのような卒塔婆を建てられるのだろうか、それとも他の人も建てられるのだろうか。」そこで仏様のところに行って申し上げました。 仏様は長者に告げられました。「如来のために卒塔婆を建てるならば、先ほど述べたように完全に作りなさい。独覚（独りで悟りを開いた人）のためならば宝瓶を置いてはならない。阿羅漢は相輪を四重にしなさい。不還（第三果の聖者）は三重まで、一来（第二果の聖者）は二重、預流（第一果の聖者）は一重にしなさい。凡夫の善人はただ平頭だけを置き、輪や蓋（かさ）は付けなくてよい。」 このように世尊がお説きになったので、比丘たちはどこに安置すればよいのか分かりませんでした。 仏様は言われました。「世尊が住まれる場所の中央には大師（仏陀）の制底（塔）を安置し、各大声聞（すぐれた弟子）は両側に置き、その他の尊宿（徳の高い年長者）の類は、その大きさに応じて安置しなさい。凡夫の善人は寺の外に置くべきである。」 長者は卒塔婆を建て終えた後、仏様に申し上げました。「もしお許しになるならば、私は尊者舎利子のために卒塔婆の完成を祝う大規模な施しの会（供養の集まり）を開きたいと思います。」 仏様は言われました。「お好きなように行いなさい。」

時勝光王聞大長者請佛，欲為尊者舍利子慶塔設會，王作是念：「我當助作。」即於城中搖鈴普告：「現在城中所有人物，及餘四遠商估之類，若有來觀此法會者，所賣貨物隨情交易不取其稅。」時有五百商人，於大海內遭遇黑風，欲破船舶。時彼諸人先於尊者舍利子所，曾受歸戒各各稱念，復賴諸天共相扶助得出洪波平安屆此。聞勝光王作如是教，咸生是念：「王由昔業受斯勝位，今復無厭更修檀捨。我等云何而不營福？」商人皆共起敬信心，即以眾多金銀珍寶真珠貝玉，於法會中盡心供養，捨之而去。苾芻受已不知如何處分其物，佛言：「螺貝堪吹響者，應與贍部影像處用。自餘所有珍寶應留多少，與舍利子塔修理所須。若有衣物堪懸供養者應留多少，可於齋日懸繒供養，所餘諸物衣裳疊布及錢貝等，現前僧眾應共分之，是同梵行財理合用故。此據舍利子塔物作斯處分。若是佛塔之物，皆入塔用。」

> 時に勝光王は、大長者が仏を招請し、尊者舎利子の塔の慶讃のための法要を営もうとしているのを聞いて、こう考えた。「私も助けに参じよう。」そこで都中に鈴を鳴らして広く告げた。「現在都中にいるすべての人々、および四方遠方から来た商人たちよ、もしこの法会を見学しに来る者があれば、売り物は自由に交易させ、税は取り立てない。」その時、五百人の商人が大海で黒風に遭い、船が破壊されそうになった。彼らは以前、尊者舎利子のもとで三帰五戒を受け、それぞれ念仏を唱えていた。さらに諸天の加護もあって、互いに助け合い、荒波を乗り越えて無事にこの地へたどり着いた。勝光王がこのようなおふれを出したのを聞いて、皆こう思った。「王は過去の善業によってこのような尊い位についているのに、今なお飽くことなく布施を修行している。我々もどうして福を積まないでいられようか。」商人たちは皆、信仰心を起こし、多くの金銀・珍宝・真珠・貝・玉を、法会の中で心を尽くして供養し、捧げて去っていった。比丘たちはそれを受け取ったが、これらの物をどのように処分すればよいのか分からなかった。仏は言われた。「螺貝で吹いて音が出るものは、贍部洲の影像のある場所に供えるべきである。残りの珍宝は、舎利子塔の修理に必要な分をいくらか残しておきなさい。もし衣類で供養に掛けられるものがあれば、その一部を残して斎日に絹を掛けて供養しなさい。残りの衣類・畳布・銭・貝などは、現前の僧侶たちで平等に分けなさい。これは同じ梵行の者の財であり、共に用いるべきものだからである。これは舎利子塔の物についての処分である。もし仏塔の物であれば、すべて塔の用に充てなさい。」

第五門第二子攝頌曰：

> 第五門の第二の子攝頌（サブセクションの詩）にはこうあります：

詰問令憶念、 問彼容許不、教授事不為、 長淨及隨意。

> 問い詰めて彼に思い出させ、その許しを請うかどうかを問う。教え导を与えることをせず、長浄（布薩）や随意（自恣）のこともない。

佛在室羅伐城。時六眾苾芻不審見聞疑，即便詰問苾芻。諸苾芻聞已各生羞恥，形體羸瘦顏色萎黃氣力減少，不能讀誦如理思惟，乃至佛告諸苾芻：「從今已去，苾芻不以不審見聞疑詰他苾芻。若作如是詰責他者，得越法罪。詰問既爾，如是應知，憶念、問訊、不為教授、長淨、隨意，類此應知，皆越法罪。」

> 仏は室羅伐城にいらっしゃいました。そのとき、六群比丘たちが明確に見たり聞いたり疑ったりすることもなく、ただちに他の比丘たちを詰問しました。比丘たちはこれを聞いて、それぞれ恥じ入り、体はやせ細り、顔色は青ざめ、気力も衰え、読誦もできず、道理にかなった思惟もできなくなりました。やがて仏は比丘たちに告げられました。「今後は、比丘は確かな見聞や疑いもなく他の比丘を詰問してはならない。もしそのように詰責するならば、法に背く罪を得るであろう。詰問がそうであるならば、次のように知るべきである。すなわち、憶念（相手の過去を引き合いに出すこと）、問訊（問い詰めること）、教授しないこと、長浄（布薩）、随意（自恣）についても、これに類すると知って、すべて法に背く罪となるのである。」

## 根本說一切有部毘奈耶雜事卷第十八

> 根本説一切有部毘奈耶雑事 巻第十八